冥界は叫喚に包まれていた。突如として現れた十二匹と一匹の怪物。その大きさ、差こそあれど全て百メートルを優に超え、一匹の個体においては他の十二匹より一回りほど大きい。怪物に共通して決まった形はないようで、人型や獣型など形状も様々である。しかし、十二匹と一匹全てがその表面からぼたぼたと人間大の怪物を何百と生み出すことと、市街地を目指して通る道の物全てを破壊し尽くすことは共通していた。
十二匹を
しかし、そんなことを冥界の人々が知るわけがない。何故怪物が現れたのか分かるはずもない。どうやって現れたのか分かるはずもない。どのような怪物とすら分からない。分かったのはただ一つ。突如として現れたその怪物の、巨体に見合う巨大な力のみ。
それはまるで災害のように人々を飲み込もうとしていた。幸いだったのは、それが目に見える形であり、そして巨大であり、災害というには歩みが遅く、被害者が悪魔であったこと。つまり、確認されてから被害が出るまで、避難する時間が十分あったことだった。
幸いだったのはそれだけである。例えば思い出のあった土地が、やっとの思いで買った家が、かつて埋めたタイムカプセルが。為す術もなく止める術もなく破壊し尽くされていく。壊れ、砕け、朽ち、消え、滅び。
正義感から止めようと飛び出した男性悪魔の強力な魔法が、絶対安静の母を助けようと飛び出した少年悪魔の拙い魔法が、思い出の土地を守ろうと飛び出した老爺の悪魔の高度な魔法が、怪物へ向かい儚く散ってゆく。どれほど力の限りを尽くせど、歩みを止めることすら叶わない。僅かな間すら能わない。
抵抗は虚しく散る。最後まで抗ったものはその身を潰され絶えてゆく。何も出来ぬまま、何も成せぬまま。その命を無駄に消してゆく。男性は最後まで諦めることなく、少年は恐怖に身を縮こませながら、老爺は覚悟を決めたような顔つきで。その巨体に踏み潰される。誰も誰もが死んでゆく。
家族を守ろうと立ち上がった女性悪魔の強力な魔法が、年下の幼馴染を守ろうと立ち上がった少女悪魔の拙い魔法が、自分は老い先短いからと立ち上がった老婆の悪魔の高度な魔法が、人間大の怪物たちへと向かい、彼らを散らしてゆく。しかしどれほど倒しても、群勢の進みを止めることすら叶わない。僅かな間すら能わない。
抵抗は容易く砕ける。僅かでも足を止めたものはその身を殴られ、蹴られ、溶かされ千切られ絶えてゆく。行動に意味を成さぬまま、意味を成せぬまま。その命を儚く散らしてゆく。女性は気強く自分を保ちながら、少女は涙をその目からこぼしながら、老婆は静かな顔をして。巨大な群勢に踏み潰される。誰も誰もが殺されてゆく。
巨体は止まらず、人大は尽きず。屍山血河を作り上げてなお、死屍累々の光景を作り上げてなお、彼らは止まらず破壊を尽くす。
世界を滅ぼしかねない十二匹と一匹の怪物は、冥界を今、滅ぼさんとしていた。
★
ようやっと試験が終わった。まあ少し前の話しなんだけど、それほどの開放感だった。筆記は半分以上空欄だった気もするけどまあ気にしないでおこう。あんなのできるわけねーじゃん。これが現実だっての。勉強なんて普段からやるわけねえし。いつもは……えーっと。あれ? 思い返せば俺って悪魔になってから普段本当に何やってたんだ? やべえセック●じゃないことしか分からないんだけど。昼寝?
ていうか結局ライザーもあんまり手伝ってくれなかったからレポートとかものすごい適当になったし。自分でもこれどうなんだろうという気分になるほどの出来だった。まあでもいいよね。そもそも全部が全部ライザーがかまってくれないのが悪い。犯してくれないのが悪い。
だいたい得点源なはずの実戦の試験もよく分からんうちに終わったしさあ。一回目はプロモーションしたらなんか引力すごくなって、ヤバイと思って
あーくそ。アレ絶対落ちたよなあ。合格点とかそんなん知らないけど。名前書けば受かるとかそんなんだったらいいんだけど、多分そんなんじゃないよなあ。まあいいや。これでもう勉強しなくて言いし。俺としては結果とかどうでもいいし。問題はライザーがこの結果に怒って俺を勉強漬けにするとかそんなんだよね。するなら快楽漬けがいいのに。
あ、ていうかレイヴェルに知られてもまずい。むしろレイヴェルこそがまずい。ユーベルーナもアウトな気がする。……やべえ。なんかライザーに知られるくらいどうってことない気がしてきた。とにかくレイヴェルから逃げる手段を考えよう。話はそれからだ。
俺より速くて、怪我させたらダメで、もちろん殺してもダメ。……うん。やっぱ詰んでんな。無理ゲー無理ゲー。くそう。俺の引力に耐え切れるくらいの力が重さを持った奴がいれば問題は解決するのに……。神器で飛んでいけるのに。あるいはライザーが俺を腰砕けにすればそれを言い訳として使えるね。使えなくてもしてほしい。
だいたいここら辺大っきくて頑丈な建造物なさすぎなんだよ。冥界っていうくらいならめっちゃデカイ岩くらいごろごろしててもおかしくないだろ。ただ広くて暗いだけじゃねえか。深海かよ。
山とかだと表面が取れるだけだから無理なんだよなあ。ていうか近くにあったっけ? 窓から外を見ると、普通にあった。あ、ていうかあの遠くにあるやつ重そう。山の向こうにいるやつ。何だろあれ。山よりデカイけど……。何メートルあんだよ。
てかまじでなんだあれ。でかすぎんだろ。神器使ったら俺の方が引き寄せられそうだわ。ていうか気のせいかこっち来てんだけど。なんだあの……生き物? あんな生き物いんの? すげえな冥界。見直したわ。……あ、そうだ。アレを動けないようにして留めておけば、俺はレイヴェルから逃げる手段を得られるってことじゃん。ライザーも喜んで俺を押し倒すんじゃないだろうか。いえー。
殴ると割とあっさりスライムは四散する。んー、なんなんだこれ。外を見ると、相変わらず山よりデカイ生き物は山の向こうにいる。んだけど、やっぱ近づいてるよねあれ。ていうか引力で近くまで行けないのかよ。めんどいなー。多分生きてるから流動性があってなんか表面だけ取れたって感じかな。例えるなら引力でライザーのチンコ入れようとしたらズボンだけ破れて来たみたいな。
まあ、それなら話は簡単か。殺せば多分死後硬直とかすんだろ。後のことのために手間を惜しまないと良いことがあるってことぐらい俺にもわかるからね。だから殺す。羽を広げてデカイのに向けて飛び立つ。……微妙に遠いな。まあいいや。あのデカイのがスライムなら固まるまでスライムプレイとかできそうだし、のんびり行こうか。
しばらく飛んでると全容が見えてきた……っていうかほんとデカイな。百メートルくらい? なんだろうこのキモさ。緑色のスライムが表面をボコボコ泡立てながらぬるぬる動いてるというね。しかも山よりデカイ。更に泡だっているところから新たなスライムがボコボコ生まれてる……うん。スライムプレイはなしだ。無理。きもい。
もう少し飛んで、スライムの目と鼻の先につく。まあとりあえずさっさと終わらせて固めて帰ろう。というわけで
ぶちゅん。
……ん? もう一回殴る。
ぶちゅん。
あー、なるほど。そういうことね。まあそうだよね。拳突き抜けるだけだね。やっぱスライム相手に物理ってきついよね。……さて。どうしよう。うんどうしようもない。こいつが硬かったりするなら問題なく殺せるんだけど、柔らかいんだよなあ。効果音がぶよんぐらいだったらいけるのに。炎なら相性良さそうだけど使えないし、くそ、ライザーがいさえすればすぐにでもおっ始められるってのに。
出てくるスライムを殺しながら何度かデカイのを蹴ってみるが、少しの間動かなくなるくらいでダメージはないようだ。いや若干とはいえ飛び散ってるからダメージは……あんのこれ? あるなら千発ぐらい殴るんだけど飛び散ったやつなんか回収されてね?
どうしよう。とにかく適当に叩いとけば少しは止まるんだけど俺は永遠に止まってほしいわけで。とにかくずっと止まってくれさえするならゼラチンで固めるなり片栗粉でとろみをつけるなり出来るんだけど……。なんでこんなに水っぽいかなあ。濡れたらどうすんだ。ライザーに慰めてもらうか。
というか最近気づいたんだけどさ、俺ぐらいの威力なら普通衝撃波とか起きないの? それすらも引力で引きつけちゃったりしてるの? どうだろうか。取り敢えず引力をやめて殴る。……変わんなくね? ていうか引力ないせいで小さいスライムが俺を攻撃しようとしてくるんだけど。包み込まれるならライザーか布団がいい。
あー。引力復活させてっと。攻撃が効かない原因はなんだろうか。ちっさいスライムは殴れば死ぬんだからおっきい方も殴れば死ぬはず。でも死んでないのは……攻撃範囲の問題? まあ確かにデカイ水みたいなの殴って四散させるには広い範囲を攻撃した方がいいんだろうけどそんな手段ないんだよなあ。
ていうか考えたら別にそんなん関係なくね? 山とか殴れば全体が弾け飛ぶんだから山よりデカいスライムを殴れば全体が弾け飛んでもおかしくないはず。なるほど。つまりこういうことだ。まだ威力が足りない。ついでにライザーからのリビドーも足りない。
なら解決は簡単だ。もっと強くなればいい。もっと引力をあげればいい。もっと質量をあげればいい。神器の出力を強めてスライムを殴る。弾けない。まだ足りない。さらに出力を上げる。殴る。スライムが少し後退した。だが足りない。ていうか動くな。ここから屋敷の神器の有効範囲ギリギリなんだぞ。
スライムが後退した分寄ってくるのを待ちながら出力を上げる。戻ったらしい。殴るとさっきよりさらに後退した。でも足りない。あと動くなって言っただろうが。何回も言わせるんじゃねえよ。
……ていうかこれだと四散する前にどっか吹き飛んでいきそう。いや四散させたらダメじゃん。どうしようか。出力を上げつつ考えるけど、いい手段が思い浮かばない。ていうかスライムタイプってどうやったら四散以外で死ぬの? やっぱ凍結? できねえよ。できたらライザーとひんやりプレイでもしてるっての。
真っ二つにするとかでも良さそうだけどやっぱり出来ないし……。穴を開けるとかは効きそうにないしなあ。あとなんかあるっけ。んー。あれ? なんか視界が緑色なんだけど。何ぞこれ。なんか生暖かいし。おお息もできない。なんか俺スライムの中にいるみたい。うひゃー。どっちかっていうと入るより挿れられたい。ライザーにね。
んー。しかしこれどういうこと? 考え事してる間に俺を飲み込むまでスライムが進んできたってこと? 全然気づかなかったわ。ていうかこいつ馬鹿みたいに一方向しか動かないよね。本能かなんかかと思ったけど、その先にあるのは湖も海も水辺もない市街地だけなんだけど……。馬鹿なの?
こういう知能どころか本能すらダメダメなやつってめっちゃしぶといパターンだよね。それこそ四散しないと死なないくらいに。うーん。死ななくても永遠に止まってくれたらいいのに。それくらいしてくれよもう。
あ、そうだ。転落死はどうだろ。真っ直ぐ打ち上げて真っ直ぐ降りてくるなら位置は変わらないし、上手くやれば四散しないかも。うん。まあ試すだけ試そうっと。取り敢えずさっきは殴ればちょっと後ろに行く程度だったからもっと強くして、あとはちょうどスライムの中にいるし中心から打ち上げれば真っ直ぐ飛ぶよね。
移動速度的に俺がスライムの中心にくるまで時間がかかりそうなので、さっきまで高めて続けていた出力をさらに高める。ていうかこいつおっせえな。まあいいや。高く打ち上げないとたいした衝撃にはならないだろうし、高められるだけ高めよう。
そういえばスライムって核あるやつもいるよね。まあこいつはないみたいだけど。そういう場合って核壊せば死体残んのかな。それとも溶けんのかな。……まあ、こいつじゃないしなあ。あ、関係ないけどなんでライザーってあんな兄弟多いんだろうね。普通死なないならあんま子供作れないもんって聞いたんだけど。
んー。まあ作れても作れなくても俺としては気持ちいいならいいんだけどさ。妊娠するくらいライザーとセック●したい。してもなおセック●したい。まあ俺の場合孕むのは子供じゃなくて卵かもしれないけどね。ボテ腹プレイならまかせろー。
ん? おお。噂をすればちょっと近くにライザーの気配がする。まあ視界は緑色だから見えないんだけど。どうしたんだろ。……ていうかよく考えればこれどうやって中心ってこと分かるんだ? なんかいける気がしてたけど全然無理だわ。
まあいいや。近くにライザーいるみたいだから、せっかくだしライザーもスライムの中に入らせて誰にも見られずしっぽりやろうぜ。割と出力上げてるし多分もうちょっと引力強ければいけるだろ。強めてー強めてー。へい来いよ! ……あれ、来ないな。スライムが邪魔してんのか。もっと引力強めないといけないのか。もっと強めてっと。……まだ来ないな。強めて、来ない。強めて。強めて。強めて。
もっと。
もっと。
もっと。
――もっと強く。
――ピシ。
★
それを目撃したのは、ライザー・フェニックスただ一人だった。冥界の危機に立ち上がり、下僕の一人、
スライムのような形をしたその姿は、明らかに物理攻撃に対して対策していた。まるで物理攻撃さえ防げればいいというように。そう、スライムは明らかに
それが分かったからこそ、ライザーは飛び出したのだ。物理攻撃を除いては、
だからこそ、その光景を見た。否、見てはいない。見えてはいない。見えてはいけない。ライザーが見たのは、スライムの空間周囲が歪む光景だった。ゆっくりとスライムが形を歪ませていく光景だった。
直後、スライムが消失した。
山ほどの巨体が、見上げるほどの巨体が、まるで幻覚であったかのように消え失せた。思わず見渡せば、近くにあった山も、そして地面も相当深くまで、それもかなりの広さが消えている。あたり一面が失われている。
なんだ。なんだこれは。ライザーは目の前の光景が信じられなかった。確かにいたのだ。ライザーの前には
誰かが遠距離から攻撃したか、とライザーは一瞬考えたが、しかしあの巨体を一瞬で消滅させるなど出来るはずがない。出来るとしてもそれこそ魔王、それもサーゼクス様ぐらいのものだろう。魔法陣が出現しなかったことから転移魔法でもない。
そもそも、ライザーは怪物たちのしぶとさを聞いている。レーティングゲームの上位ランカーが足止めしかできなかったという事実を聞いている。それほどの生命力を持つ怪物だ。一瞬でどころか倒せることすら疑問に思う。
しかし自滅もありえない。ライザーは
もしかしたらその予想が外れているかもしれないが、しかしそれでは怪物の説明がつかなくなる。アンチ・モンスターである理由が分からなくなる。ライザーはどうにか理解しようと考え、そして――
その目の前に火の粉が舞う。
「お前……」
思わず、ライザーから小さな声が漏れる。ライザーは何もしていない。彼女は契約による転移しか使えないはずだ。それも魔法陣が現れるはずだ。しかし、なんの前触れもなく、炎と共に彼女は現れた。ライザーの目の前には
彼女はライザーの姿を視界に収めた後、辺りを見渡して何度か手をグーパーさせる。何かを探しているような様子である。何かをしたような様子である。
「あのデカイスライムを消したのは……お前か?」
その様子を見て、ライザーは尋ねた。
「どうやってあんなのを一瞬で……」
「つぶし」
ライザーの独り言に答える形で
「た」
「……潰した? なるほど、お前の神器は元々引力の能力だったか。いや、だがどうやって……」
彼女は答えなかった。答えられなかった。何度か口を開きながら、しかし言葉を発さず、こまったように口をパクパクさせる。その後。しばらくライザーを見つめて動かなくなり、そして――
「な……」
気配も、生命も感じられない。灰はすぐに消え去り、そこにはもう何もなかった。
「死……? いや、は? どういう……ことだ?」
混乱するライザーの前に、またも火の粉が舞い、
「今のは……今のでスライムを殺したのか?」
「これで」
何でもないことのように、言い淀むことすらせず
「しねる」
いつも通りの無表情に、何の感情も見せない声色で、その目の奥に誰にも分からぬ狂気を渦巻かせながら。
「…………ああ、なるほど。そうか。不死鳥か」
ライザーはため息を吐いた。分からないことをようやっと理解した口ぶりではない。理解できないものをどうにか認めようとしているような、苦しい声だった。
「お前、不死身のくせに命を燃やし尽くせるのか」
これで第二章終わりです。
主人公の新技は名づけるなら自縛転生。簡単に言うと死んでも生き返ります。不滅です。
そしてスライムは引力に飲まれました。