この女の子、実はカメラの魂だったのです。
『+にじうら+』文字板に投稿したものを、一部手直しし投稿させていただきます。
「ただいま~」
「あ、俊明さんお帰り~♪ すぐご飯にする? それともお風呂?」
「その前に、はい、これ」
嬉々とした表情で出迎えるアイに、俊明は手提げの紙袋を渡した。
それは濃紺に白抜きで波と千鳥の模様があしらわれたもので、右下には有名な和菓子屋の名前が入っている。
アイがきょとんとした。
「俊明さん、これ何?」
「あ、えっと……どらやき」
「どらやき?」
「うん。駅のコンコースで売っててさ。色々とアイには写真の事で助けてもらってるからさ。そのお礼」
少しだけアイの表情が曇った事に、俊明は全く気付かなかった。
「――あ、ありがと。明日は雨かな?」
アイは微かに笑うと、殊更明るい口調で俊明の事をからかった。
俊明がアイに何かを買ってくるのは今に始まった事ではないが、今までに買って来たのは単三アルカリ電池か2CR5リチウム電池ばかりだ。食べ物、それもお菓子を買ってきたのは初めてである。
「慣れない事をすると、あとでエライ目を見ることになるかもよ?」
「……ア~イ~?」
俊明はアイの頭をはたこうと左手を振り下ろした。もちろん力は加減している。
アイはそれを軽くいなし、逆に俊明の左手を両手で握って言った。
「ほらほら、早く上がって。今日の晩御飯はジャガイモいっぱいのカレーだよ♪」
「それは嬉しいけど、どちらかと言うと、先に風呂入りたいんだけど」
「そんなのあとあと。あ、そうそう。大き目の寸胴で作ったから、ノルマは十杯ね♪」
「どこで買ってきたんだよ、そんなの!?」
アイの背中というかお尻の辺りから、黒くて先の尖った尻尾がチラチラと見え隠れしているように俊明は感じた。
それから十五分後。
「……でさぁ、アイ」
「ん? なぁに?」
カレーを黙々と食べる俊明の対面。ニコニコと笑いながらその様子を見つめるアイに、俊明は質問をぶつける事にした。
「本当に十杯がノルマなのか?」
「やだなぁ、冗談だよ、ジョーダン♪ あ、ほら、お皿が空っぽだよ?」
しゃもじを手に「ほらほら、さあさあ♪」と言いながら、アイはもう一方の手を俊明に向かって差し出した。皿をよこせと言う事らしい。
(冗談は真面目に言うからこそ面白い、と言ったのは誰だったっけ)
俊明はアイを見ながらそんな事を考えずにはいられなかった。そして、間違いなく十杯ノルマは本気だ、と思った。
「ほらほら、まだこんなにたーんとあるよ。ご飯もカレーも」
「見せいでいいから」
観念して皿を差し出す俊明を見て、アイは嬉しそうに笑った。
「なんだかんだ言って、ちゃんとお代わりしてくれるんだ」
「ジャガイモたっぷりのカレーは日保ちしないから、早めに片付けちゃわないともったいないだろ?」
「……ちょっと作りすぎた、かな?」
アイの引きつり笑いを見て、俊明は数年前の出来事を思い出した。
それはアイが俊明の元に来る以前の事だ。
北海道の知り合いから送られてきた十キロのジャガイモをふんだんに使って、俊明はカレーを作った。作ったは良いのだが作りすぎてしまい、結局腐らせてしまったのである。
腐らせただけならまだ良い。少し味が変だと思いつつ無理して食べた結果、激しい腹痛と下痢で三日間、布団とトイレとを往復するという、なんともアレな黒歴史まで創る羽目になってしまったのだ。
俊明はそんな苦い思い出を頭の片隅に追いやると、話を替えた。
「それにしてもさ、アイって僕が食事しているところを、ホント嬉しそうに見てるよね」
「そりゃそうだよ。ボクが作ったお料理を、美味しそうに食べてくれるんだもん。何ていうか、『料理人冥利に尽きる』ってやつだね」
アイは頬を赤くしながら笑った。
実際、アイが作った料理は美味しいと俊明は思う。思うけど……。
少しだけ神妙な面持ちで俊明はアイを見た。
「アイは食べないのか?」
俊明の言葉に、アイの表情が一瞬強張った。
「――ボクは、電池が主食だから」
「まぁ、それはそうだろうけどさ」
「それに、作ってる間にお味見してると、それだけでお腹一杯になっちゃうんだ」
「……そう」
敢えて俊明はそれ以上の追求を避けた。
「ほらほら。ノルマ達成まであと四杯。ファイト、だよ?」
そう言って笑うアイの笑顔は、どこか寂しさを感じさせる笑みだった。
「ご、ごちそうさまでしたぁ……」
「はい、お粗末さまでした。本当に十杯食べるとは思わなかったよ、感心感心♪」
「……まさかわんこそば紛いのイベントを開催されるとは思わなかったよ」
――イヤなら途中でカレー皿を伏せれば良さそうなものだが。
言った後でそれと気付いた俊明は、アイから同様の指摘をされる前に、そそくさと風呂場へと姿を消した。
その様子をクスクス笑いながら見送ると、アイは傍らにある濃紺の紙袋から中身を取り出した。縦横それぞれ二十センチほどで、高さは五センチほどの紙箱だった。
蓋を開けると、中にはどらやきが四つ行儀良く並んでいた。
アイは緊張した面持ちでどらやきを一つ手に取った。そしてそれを半分に割ると、片方を食べ始めた。一口、また一口と、緩慢な動作でアイはどらやきを食べ続ける。
二つに割ったどらやきの片方を全て口に入れたところで、アイの口の動きが止まった。
それと同時に、正座をしているアイの足の上に、水滴が一つ、また一つと落ちた。
「ボクの本体が、亜鉛合金製だったらよかったのに……なんてね」
寂しげに笑うアイの口から、嗚咽が漏れ出した。
「俊明さんと一緒に、ご飯や……お菓子を……」
食べたいよ、と言ったつもりだったが、最後の方は涙声で言葉にならなかった。
そのままアイは、両手で顔を覆い泣きじゃくった。
アイは、食べ物の色や形、料理の作り方や盛り付け方を画像として認識し、記憶し、再現することに長けている。それはアイの本体がカメラである事と無関係ではない。
ただ、アイには味覚がない。これもアイの本体がカメラである事と、決して無関係ではなかった。
ヒトの姿をしているので、モノを食べる事は出来る。
口の中で食べ物がどうなっているかを、感知する事も出来る。
しかし、その味を言葉で的確に表現する事だけは出来なかった。
「俊明さん、ごめんね……ごめんね……」
折角の俊明からの土産を心行くまで楽しめない事を詫びながら、アイはちゃぶ台の上に突っ伏し泣き続けた。
「ふ~っ、いい風呂だった。――あれ、アイ?」
居間に戻ってきた俊明が見たものは、食べかけのどらやきもそのままに、ちゃぶ台に顔を伏せて眠るアイの姿だった。
「まったく、風邪引くぞ?」
言った後で(カメラの精神体も風邪をひくのかな?)と俊明は苦笑し、それでもアイの肩にタオルケットを掛けた。
ふと、食べかけのどらやきが目に留まった。俊明はそれを一口で頬張った。
ほんの少し塩味がするどらやきだった。
【終】