学園黙示録:Cub of the Wolfpack   作:i-pod男

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Learning To Hunt

パタリとドアが静かに閉まる音を皮切りに、冴子は動き出した。地図をズボンのポケットに押し込み、段々使い慣れて来たナイフを手に移動を始めた。

 

今まで何人もの感染者を木刀で叩き伏せて来たし、人間もこれで三人殺した事になる。だが、最早呵責も悪心(おしん)も感じない。まるで剣道の大会で試合をする時の様に不思議と頭は冴えていた。

 

始末せねばならない標的は先程屠られた四名を除けば七、八人だけ。死体も今や全て隠されている。あの四人を捜しに来るのは時間の問題だ。グズグズしてはいられない。外界から隔絶される事を選んだとは言え、同じ屋根の下に人殺しが紛れ込んだとなると四方八方に逃げ出し、逃げた出入り口から雪崩れ込む感染者に彼らも自分も飲み込まれてしまう。

 

『嬢ちゃん、聞こえるか?』

 

付けているインカムから飛び出したベルトウェイの声に驚き、冴子は思わずナイフを取り落とす所だった。

 

「は、はい・・・・大丈夫です。」

 

『よし。最低限の誘導は俺がしてやるが、計画、追跡、抹殺の三つの事項はそっちに任せる。分かってると思うが一人も逃がすんじゃねえぞ?嬢ちゃんがいる階には家具売り場で五人、一階の茶店に三人だからな。』

 

必要事項を事務的に伝え終えると、ブツリと言う音と共に回線が遮断された。

 

ここから先は勝手にやれ、と言う事だろう。

 

歩きながら思考を巡らせた。どちらから先に行く?

 

どちらを始末してももう片方は違う階にいる。辿り着くまでの時間で逃げ切られる可能性は十分だ。

 

上の五人を先に始末すれば残りの数は少なくなる。だが逃げられれば追い付く可能性は低い。下の階で逃げ惑う残りの三人を撃ち殺そうにも感染者より俊敏に動ける人間を一撃で絶命させられる程の射撃の技術は無いのだ。

 

かと言って下の二人を先に始末すれば追跡する人数が増えて余計に時間が掛かる。下から上にいる者を狙うのは角度の事もあり、弾を無駄に消費するだけとなる。

 

決めた。下にいる小数を先に片付けよう。使い慣れた刀と馴染み始めたナイフの方が銃より静かに殺せる。下から始めればたとえ非常口を使おうと上にいる連中は感染者に阻まれて逃げられはしない。銃は上の五人の為に楽しみとしてとっておくべきだ。

 

ショーウィンドウには瑞々しい唇を三日月の様に歪めて笑みを浮かべた自分がいた。

 

『そうだ。俺はそう言うお前が好きだ。』

 

後押しする様に、竜次が彼女の肩をやんわりと握り、耳元でそっと囁くと揺らめいて消えた。

 

もう何も迷う事は無い。自分に自信を持て、毒島冴子。出来ると言う確信がありさえすれば人間を八人殺し果せる事など造作も無い筈だ。

 

ベレッタの薬室に弾が装填されている事を確認するとホルスターに戻し、ナイフを握り直した。

 

武器らしい武器を持っている人間は始末された婦警を除けば残りは二人しかいない筈だ。二人共下の方にいれば更に良い。

 

天井から下がる案内板を頼りに一階にある『スターラークス』のカフェを目指した。息を殺し、気配を探りながら降りる。テーブルの一つには老夫婦が互いに寄り添って座り、コーヒーを飲んでいた。

 

銃を構え、照準を合わせようとして冴子は手が震えるのを感じた。引き金にかかった人差し指がどうしても動かない。深呼吸をして気持ちを切り替えようとしても震えが大きくなって照準が余計にズレるばかり。誤射してしまう前に引き金から指を外してトリガーガードにかけた。

 

その時、多少反響しながらも不特定多数の呻き声が聞こえて来た。

 

「来やがった・・・・・・非常口から入って来やがったぁあああああああ!!!」

 

二階から男の叫び声がした。念の為に持っておいたパンフレットに記載された地図にはショッピングセンターの一階と繋がっている駐輪場がある。恐らくこの建物の中にいる人間の一人が愚かにもその扉を開けたのだろう。

 

自分の手に掛からなかったと言うのが心残りだが、ともあれこれで一人脱落だ。いや、あの老夫婦も逃げ切る事は出来まい。上の階にいる者達もワザワザ救出しようとは思うまい。脱落者は三人。

 

時が経てば刻一刻と状況はたとえ些事であろうと変わる物だが、状況はあっと言う間に急展開を迎えた。全員が後先考えずに散けて逃げれば間違い無く何名かは討ち漏らす。そして時間が過ぎれば過ぎる程、屋内を占拠する感染者の数は増えて行き、脱出はより困難になって行く。

 

臍を噛み、下りた階段を素早く駆け上がると家具売り場へと向かった。鼓動が速くなり始めたので鼻から息を吸い、口から細く吹き出す呼吸法に切り替えて歩みのペースも徐々に緩めていく。

 

耳をそばだてると話し声が聞こえて来た。何やら言い争っている様だ。いる事を気取られぬ様ある程度距離を置いている所為で委細は不明だったが、『バリケード』と言う単語から彼らがやろうとしている事の予想はこれでついた。

 

しめた、と冴子はほくそ笑む。全員がバリケード作りの為に一時的であろうと、一致団結してくれれば更に都合が良い。固まって作業に集中している間に確実に仕留められる。獲物が既に自ら窮地に立ってくれるのはありがたかった。

 

それなりの人数が大きな箪笥を運ぶ為に固まった所で冴子はナイフと銃を手に躍り出た。

 

まずリムレスをかけ、ヒップホップ系ファッションに身を包んだ軽そうな坊主頭の男の喉を貫いて抉る。

 

四人目、刺殺。

 

喉から噴水の様に吹き出す鮮血を全身に浴びるのも構わず、脇目も振らずに次へ進んだ。

 

銃口を向けたままナイフを逆手に持ち替え、一緒に箪笥を運んでいたサラリーマン風の男の喉笛を切り裂いた。天辺はげを申し訳程度に繕おうとする髪型で、いかにも神経質そうな風体をした彼は恐怖と驚きに顔を歪めて倒れ臥した。喉から溢れ出る血を何とか止めようと喘ぎながらも喉を抑えて止血を試みたが、やがて動かなくなった。

 

五人目、斬殺。

 

「このアマァッ!!」

 

背後からニット帽を被ったガタイの良い男が怒号を上げ、腰から下げた鉈を抜いて振り被る。冴子は落ち着いて前に飛んで受け身を取ると振り向き様にベレッタの引き金を引いた。ベレッタはバスンッと言うくぐもった銃声を響かせ、冴子の手の中で跳ねた。更に二度引き金を引くと男は鉈を振り上げたまま仰け反って絶命した。

 

六人目、銃殺。残るはこれで後二人。後二人で任務完了だ。

 

感覚を研ぎ澄まし、集中した。と、ソファーの裏側から微かに荒い呼吸が聞こえて来た。本人は抑えているつもりなのだろうが、恐らく冴子でなくとも聞き逃す事は無いだろう。ベレッタを構え、ソファーに向けて一発だけ撃った。9ミリ弾はチョコレート色の革ソファーの背もたれを貫き、向かいにある液晶テレビの画面に罅を入れた。

 

銃弾が画面に衝突すると、小さな悲鳴が聞こえた。血走った目をぎょろつかせながら若い男がソファーを乗り越えた。口角から泡を飛ばしながら訳の分からない事を大声で口走り、乾いた血糊が付いた包丁を振り回しながら冴子に飛びかかる。

 

ナイフとベレッタを纏めて左手に持ち替えると、空いた右手で村田刀を抜刀して振り抜いた。鮮やかな切り口から迸る血飛沫は程よい熱を宿しており、軽いシャワーの様に心地良い。冴子が腹の底から漏らした吐息はとても艶っぽかった。

 

八人目、斬殺。

 

「残るは、一人。」

 

マガジン内の弾は半分近く使った。最後の一人を捜す為に消費する必要は無い。そう思い、ベレッタをホルスターに収めた。右手に刀、左手にナイフを持って感染者を斬り伏せ、首を斬り飛ばし、脳を抉りながらも捜索を続ける。

 

逃げるとすればどこだ?一階へはもう行くだけ無駄だ。バリケードも中途半端な所で作業を中断させたので二階を捨てる事になるのも時間の問題だろう。日常と言う微温湯に浸かって人生を過ごして来た彼らに武器を探す余裕は皆無。やる事と言えば兎に角しゃにむに逃げるのみ。

 

そしてこの状況下で破れかぶれなりに考えつく逃走先があるとすれば、屋上。以前テレビでやっていた映画のCMでその様な場面があった。唯一の違いは映画の方では非常階段が外についていなかったと言う事だろうか。

 

「・・・・・あれがいるな。」

 

冴子はぽつりとそう呟き竜次やスペクターと一緒にロッククライミングやハイキング用具を物色した店へ取って返し、手頃なサイズのリュックを見つけた。その中に水筒、双眼鏡、ロープ、そしてカラビナ付きのハーネスをリュックに押し込んだ。後は自分から注意を逸らす為の道具がいる。

 

そして冴子は思い出した。

 

ここから少し離れた所に『なつかし屋』と言う独楽やでんでん太鼓などの古風な玩具を扱っている店があった。その中に花火と書かれた所があった筈だ。

 

パンフレットの地図を見て場所を確認すると、足音を殺す事も忘れてかけ出した。立ち塞がる感染者の首を刎ね、踏みつけながら前進する。

 

そしてようやく『なつかし屋』と書かれた古びた木製の看板が見えて来た。竹を編んで作ったらしい入れ物から花火や爆竹、癇癪玉を詰められるだけ詰め込み、非常階段へと取って返した。

 

 

 

 

 

 

「ベルトウェイ、あの娘はどうしている?」

 

「おお、ルポ。今ん所は問題無いと思うぜ。今は・・・・何か爆竹とか花火をかっぱらってるみたいだ。そこそこ頭の回転は速いらしい。初めて行く所にある物の位置を一巡しただけで朧げとは言え覚えてるみたいだ。使えなくはないと思うぜ?」

 

だがルポは小さく首を横に振った。

 

「使えたとしても半人前と言わざるを得ない。」

 

確かにあの八人の殺害は素人の割りには短時間で終わった。だが殺しに味を占めて余韻が抜け切っていないとしか思えない。脱出の手筈を事を終えてからようやく考え始めたのが良い証拠だ。当初の目的を果たしつつ無駄を省いて脱出する手筈を常に数手先考えていなければならない。

 

「相っ変わらず厳しいこった。まあ違いないんだがな。」

 

「たとえどれだけ醜悪で残酷な選択であろうと自己保存が本能の一部である以上、我々は常に必要な事をする。そうする事でしか生き残れない。どの世に生まれようと、それは絶対に変わらない。我々と共に生きると言うのはそう言う事だ。」

 

確かにな、とベルトウェイが相槌を打ったそのほぼ直後、小さくパソコンから警報がした。画面には数十個の赤い点が拠点に向かって来ているのだ。

 

『ルポ、ベルトウェイ。ベクターだ。まずい事になった。』

 

落ち着き払った声音ではある物の、その声には緊張が混じっていた。

 

「どうした?」

 

『今までどう生き残って来たのかは知らんが、大型のスパナを持った子連れの男が走ってる。それも後ろにかなりの感染者を引き連れてだ。』

 

「この建物のカーテンは全て閉まっている。通り過ぎるのを待つ。下手に撃てば感染者を更に呼び寄せ、呼び寄せた感染者がまた多くの感染者を呼ぶ。そうなったらこの拠点を捨てる事になるかもしれない。それだけは絶対に避けねばならん。」

 

『それについては心配無用だよ、母さん。』

 

「リュウジか。今どこにいる?」

 

『まだ拠点からかなり離れてる。ショッピングモールから一キロ前後って所かな?』

 

「分かった。だが心配無用とはどう言う事だ?」

 

『また音で引き離す。ショッピングセンターで日用品は勿論爆発物の原料も容易に見つかってな。』

 

「・・・・・ANFO、か?」

 

『ああ。ホームセンターで肥料を見つけたし、登山用品を売っている所には無線もあったからな。遠隔操作で爆破出来る簡単な物を作って非常階段を塞いでいる車両の下に仕掛けた。頃合いを見て起爆する。』

 

「小娘が爆発か爆風に巻き込まれる範囲内にいたとしても、か?」

 

返事は直ぐには帰って来なかった。少し意地が悪過ぎたかとルポは思い始めたが、その矢先に含み笑い混じりで竜次から返事が返って来た。

 

『母さん、それは愚問って奴だよ?俺達は不測の事態に咄嗟の判断を正しく下して、尚且つそれを全体の利に繋げられる様に立ち回るからこそ強いんだ。』

 

非日常、不測の事態こそがウルフパックの日常だ。それらを全てとまでは行かなくとも可能な限り予測、対応し得る事は基本である。部隊の結束が乱れれば、必然的に誰かが手傷を負うか死ぬ。

 

『その不測の事態の回避は疎か、予兆すら察知出来ない位ののろまなら・・・・・・別に良いよ、死んでも。あんな良い女勿体無いけど、残念ながら世界は情に絆されて生き残れる程甘くはないからね。』

 

全ては、冴子の器量と度胸、危機管理能力に掛かっている。




落とし所をどうするべきか・・・・・

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