学園黙示録:Cub of the Wolfpack 作:i-pod男
思ったより大学での行事が忙しく、中々執筆作業の時間が空きませんでした。本当に申し訳ありません。
一ヶ月近くほったらかしにしておいての投稿です、どうぞ。
竜次との交流が始まったのは全くの偶然であり、特別な感情が芽生えたのも初めて彼と会った時だ。彼との実戦を想定した稽古を続けて行くうちにその感情は雪達磨式に膨れ上がって行った。
社会的秩序が崩壊する日より以前から冴子はどこか竜次に依存している節があった。面と向かって『好みの女』だと言われ、誰にも許した事の無い唇まで奪われてからと言う物、彼への依存はどんどん高まって行く。
そして高いからこそ、突然の『否定』によって引き起こされる禁断症状も重度の物になる。
—————どうしよう。
竜次に釘を刺されて、冴子は申し訳無さと後悔で胸が張り裂けそうだった。
そんなお前など、俺は嫌いだ。
お前など、嫌いだ。
深々と突き刺さったその言葉は、その刺し傷の中を行ったり来たりして幾度もしつこく抉るナイフの様に何度も何度も耳の奥で響き、繰り返される度に胸の奥がズキズキと痛む。
失望と戒めの二つが混じった視線が槍衾の様に容赦無く背後から貫き、バーサが盛った毒ガスでの一件とはまた違う意味で追い詰められている。意気消沈してはいるものの、敢えてそれは表情には出さなかった。
もうこれ以上の失態を犯す訳にはいかない。
当初から定められた陣形通り先頭に立ってポイントマンを勤め、黙々とリストに載った必要な物を持参したダッフルバッグに入れて行く。化粧品や薬、包帯は既に棚を空にした為、一番近いスポーツ用品店に向かった。
店は様々なスポーツギアを揃えており、登山用の物やレジャーで使うアウトドア用品も取り扱っていた。
「スペクター、スペクター。コレ、母さん使えるかも。」
「ん?」
ガラスケースに入っている双眼鏡の精度を確かめていたスペクターが振り向くと、竜次の手にはアイスクライミングなどに使うピッケルが握られていた。柄が短いツルハシの様なそれには細く尖ったピック部分とスパイクを打ち込む為のハンマーが付いており、持ち手の先端も槍の様な石突が突き出ている。
スペクターはそれを手に取って大体の重さを計り、試しに何度か振った。
「うむ、これは素晴らしい。久し振りに掘り出し物を見たな。」
ガスマスクで表情は隠れている物の、声はかなり弾んでいた。
「ここまで軽量で簡単に振り抜けるならばチタンを使っている事は間違い無い。グリップにはフィンガーチャネルも付いているし、この角度ならば手袋を嵌めていても滑らず確実に握り込める。高台に登っている時に手が届かなければこれを引っ掛けて体を引き上げる事もルポやフォーアイズの体重ならば可能だね。一つと言わず四つ程幾つか持って行くとしよう。流石は日本、ここまで高度な
様々な用途があるワイヤー、ロッククライミングで使われるロープ、ハーネス、そしてカラビナも次々とダッフルバッグに詰めて行く。
「これで全部だね。我ながら良い物が手に入った。」
だが突如足音が聞こえて来て、三人は息を潜めた。
「おーい!婦警さーん!どこにいんだぁー?会議始めるぞーー。」
「いるなら返事して頂戴!」
二人はどんどん三人との距離を縮めて来る。竜次はスペクターを見やり、手で首をかき切る動作をして見せた。スペクターは小さく頷き、冴子を指差した。
その意味を汲み取った冴子は、拳の頭が真っ白になる位強く握り締めた。今度こそ、失敗は出来ない。左腰の刀を抜いてその場に置き、ナイフをシースから抜いて隠し持った。
出て行こうとした所で肩を叩かれ、振り向くと竜次が手に一枚の紙切れを持っていた。
Never forget
英語で『絶対忘れるな』と書かれている。
『お前が誰の物か、絶対に忘れるな。』
そうだ、私は彼の物だ。
『彼の隣で戦う事が出来ればそれで良いのです。』
私は彼の剣だ。剣とは武器。武器とは人を殺す為に作られた道具。今手にしているナイフも高城総帥から頂いた刀も、そして私が幼少から身に付けて来た技も元を正せば総じて人を殺める為だけに考案された物。
剣は凶器、古今東西の武術は殺人術。どの様な綺麗事や御題目を並べ立てようともそれは永劫変わる事の無い事実だ。
あの七人は皆明日をも知れぬ修羅の道を往き、今も生き続ける
その為に私がすべきは、刃とこの身を血で汚す事。彼の敵は私の敵。私はその敵を排除しなければならない。
『次グズったら、『お預け』程度の事では済まさないぞ?』
永劫鞘に納まり、手入れをする時だけ抜刀する観賞用の品となってしまえば、どれだけ入念な手入れを繰り返そうとも刃が持つ真の美しさは失せてしまう。剣は相手を斬り捨ててこそ美しさを保つなのだ。相手を斬らぬ剣、鈍らな剣など、彼は必要としていない。侍もその様な剣になど用は無いだろう。
『半端な覚悟で俺について来る事を決断した訳じゃないだろう?』
だからもう終わりだ。躊躇うのは終わりだ。迷うのは終わりだ。臆するのも終わりだ。
唯一終わるのは————敵の命だ。
左手にナイフ、右手にベレッタ。
心の中でウルフパックとの訓練を始めてから繰り返し言われた事を反芻しつつ、頭の中でどう相手の息の根を迅速且つ静かに止められるか何度も何度もシミュレートした。
距離はどんどん縮まって行く。呼吸に集中しながらトリガーにかけた人差し指を軽く曲げ伸ばしし、意を決して飛び出した。
まず男の方は声を出せない様に喉に一撃を入れ、更に股間を力一杯蹴り上げた。声にならない悲鳴を上げ、男は踞った。少し距離を話して歩いていた女に銃口を向け、三度引き金を引いた。一発目の銃弾は女の肩を貫き、二発目、三発目が彼女の腹を貫く。喉を潰され声を上げられず、更に股間の激痛で反撃する事も動く事も出来ない男は成す術無くナイフで盆の窪を抉られて脳幹を破壊された。
冴子は生者を殺めるのはこれが初めてではなかった。波に晒された砂の城の様に秩序が崩れ落ちた世界が産声を上げてから間も無く、保健室で噛まれたばかりの生徒を、彼の許可の許で介錯———と言ってもあの時使ったのは木刀だったが———をしてやった。
あれは、言うなれば家族に人間の血肉を食む生ける屍となったおぞましい姿を晒さぬ様にする為の『慈悲』だった。
だが今回は違う。ただの『殺人』だ。二人は噛まれていないし、その場には感染者も居合わせていない。
ナイフと銃弾によって穿たれた穴から流れ出る血は勢いを増し、どんどん広がって行く。
「フフッ・・・・」
冴子は徐々に広がって行くその血溜りの中心に立ち、笑みを浮かべながら死体を見下ろしていた。だがいつも学友達に向ける落ち着いた、穏やかな微笑みではない。堰を切った濁流の様に心の奥底に押さえ込んでいた狂気が溢れ出し、歪んだ薄ら笑いとなっていた。瑞々しい唇を舌先で小さくぺろりと舐める姿は、艶やかでもあり同時に恐ろしい物だった。
目を見開き、叫び声を上げようと口が半開きになっている女の死体と苦痛に顔を歪めたまま踞ってうつ伏せに倒れている男の死体を見下ろし、根元まで血に染まったナイフの刃を彼らの服で拭う。
その刹那、小さな呻き声がして冴子は銃を構えて声がした方へ振り向いた。だが彼女が引き金を引く必要は無かった。声の主はスーツを着た若い男で、その手には鉄パイプらしき物があった。そして唖然として胸から突き出ているカーボンファイバー製の矢を見下ろし、崩れ落ちた。
「冴子、活き活きと殺すのは結構だが周りにもっと気を配れ。特にこう言う建物じゃ隠れる場所や死角を作る遮蔽物が多いし、取り零せば追跡が面倒になる。」
心臓を正確に射抜かれて絶命したのだろうが、標本にされたばかりの虫の様にしばらく手足をばたつかせていたが、やがて息絶えて動きも止まった。
「スペクター、評価は?」
「ふむ・・・・・まあ、初めてにしては良い方だな。だが私からすればギリギリ及第点と言った所だよ。あのやり方では明らかに誰かを殺したと言う痕跡が残ってしまう。今度からやるなら素手でやれ。ベルトウェイ、これから帰投する。」
『了解。ルポ、建物の中にはまだ何人か残っているがどうする?先に始末させるか?』
『いや、次にそこへ戻った時にまだいる様ならば殺せ。今は一先ず戻るんだ。』
「了解。」
「えー、残り十人以下だけなら良いでしょ別に。」
『駄目だ。彼女の稽古台にする必要がある。今はまだ生かしておけ。大体お前がやれば五分も掛からんだろうが。』
「冴子と一緒だったら十分もあれば皆殺しに出来るよ?」
無線の向こう側にいたルポは暫く何も言わずにいたが、やがて口を開いた。
『スペクターと先に帰れ。どうせなら本当の実戦経験を積ませた方が良い。その建物に残っている者を彼女一人に無力化させ、且つ一人でセーフハウスまで戻らせろ。タイムは当然測る。帰投中の経緯も評価の内だ。』
どう言う訳か竜次がぼやきかけているのを察知出来たらしく、それ以上彼が何か言う前にこう付け加えた。
『異論は受け付けん、嫌ならそのまま帰って来い。』
「こうなっては君の我が儘でも聞き入れないよ、リュウジ。どうする?」
竜次は考え込む素振りを見せ、狙い通り冴子はその誘いに乗った。
「君の指示ならば、従う以外無いよ。君が言うなら、たとえ死んでもやろう。」
『本人はやる気満々の様だな。結構だ。ではこの建物にいる残りの人間全員の無力化と最短時間での帰投を命ずる。方法は問わない。スペクターとリュウジは物資を持ってそのまま帰投。以上だ。』
「だそうだ、リュウジ。撤収するぞ。」
「先に行ってて、まだ用事があるから。三十秒あれば済む。」
スペクターは肩を竦めると片手にMk23を構え、空いた手でダッフルバッグを持って非常口を目指してすたすたと歩き始めた。
「地図を置いて行く。今俺達がいるのはここだ。」
尻ポケットに入っている地図を取り出して広げると、手持ちのボールペンでショッピングセンターがある場所を囲んだ。そこには既に赤いバツ印が油性ペンで書かれている。
「赤いバツ印がセーフハウス。ここまで戻ったら、お待ちかねの『ご褒美』を用意しておく。死ぬなよ?」
冴子の胸ぐらを掴んで引き寄せると、強引ながらもキスをした。去り際に頭を軽く撫でてやり、残ったボストンバッグを右肩に引っ掻け、スペクターと同じ様に拳銃を片手に入って来た非常口から出た。
うーむ、久し振りだからか文字数がノルマの5000に届かねえ・・・・