学園黙示録:Cub of the Wolfpack   作:i-pod男

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御待たせいたしました。大学生活二年目がスタートしましたので更新スピードが恐らく下がる事を先に御伝えしておきます


Fear and Will

冴子はもうまともに歩く事も出来ない位の深い酩酊状態に陥っていた。目眩も吐き気もどんどん強くなって行く。二階に着くと、そのままばたりと床に倒れ込んだ。

 

「毒島さん?!顔が真っ赤よ、どうしたの?!」

 

バーサの個室に続くドアが開き、スウェットの上下を身に付けた静香が慌てて駆け寄った。そのすぐ後にホットパンツとタンクトップと対照的に露出度の高い服装で現れ、冴子の脈を測って彼女の額に手を当てた。スンスンと鼻を鳴らすと、何が起きたか即座に理解した。

「大丈夫、酔っぱらってるのよ。口から独特の香りがするでしょ?アブサンって言うリキュールよ。恐らくルポが彼女に飲ませたんだわ。私の部屋の冷蔵庫に水のボトルとトマトジュースの缶があるから、取って来て。」

 

静香は言われた物を取りに行き、直ぐに戻った。バーサは水とトマトジュースを少しずつ交互に飲ませ、リビングにあるソファーまで運んで横に寝かせた。

 

「一杯だけでこんなになる物なんですか?」

 

「ええ、テキーラ・ライムがカルーアミルクに思えるぐらい強いわ。弱い奴でもアルコール度数は70%はある。水割りにしても余程強くないとこれだけで潰れちゃうもの。さてと、丁度良いわ。シズカ、手を貸して頂戴。体の次は心のテストよ。」

 

悪戯を企てる腕白坊主の様なバーサの純粋な笑みは背筋が凍る底無しな邪悪さを感じさせた。

 

 

 

 

冷水を頭から浴びせられて冴子は目を覚ました。まだ酔いが完全に抜け切っていないのか、未だに頭痛がする。冷水の所為で酷くなった気がした。立ち上がろうとしたが、後ろ手に足首と一緒にきつく縛られている事に気付く。今いるここも真っ暗で視界がゼロだ。

 

次の瞬間、頭の中で幾つもの警報が暴れろ、逃げろと木霊した。

 

「目は覚めたか?」

 

聞こえて来る声も不明瞭だ。今の自分の状態も原因の一つだろうが、声の主も本来の声調を誤摩化す為にボイスチェンジャーか何かを介して喋っているらしく、機械的だ。

 

「三日経っても目が覚めないから痺れを切らした。ああ、そうそう。」

 

目の前にタブレットのスクリーンが現れた。画面の光で顔を顰めていたが、徐々に慣れて行った。そして視界に入った映像を見て冴子は心臓を冷たい手で握り潰された様に息を詰まらせた。

 

「その三日間、待ってるのも退屈だったしあまりにも小僧が暴れてうるさいんで遊んでやった。」

 

タブレットの画面には拷問を受けている何者かの姿があったが、ずた袋をかぶせられている所為で顔は見えない。だが見覚えのある右胸のローマ数字の刺青で正体が分かり、悲鳴を上げた。

 

タブレットに映っているのは、竜次だった。横幅のある十字架に縛り付けられた彼は手や足指の爪の下に幾つもの待針が根元まで突き刺さり、指の関節は数カ所に深々と釘が突き刺さっている。

 

痛みに耐えて獣の様な唸り声を上げる竜次の肩に屠殺場で肉をつり下げるフックを突き立て、繋がったロープを滑車にかけると思い切り上に引き上げた。

 

滑車が軋み、ロープがピンと張る。

 

痛みに耐える竜次の唸り声が一瞬にして悲鳴に変わった。

 

一気に酔いが吹き飛んだ冴子はその映像から目を背けようと抵抗した。だが万力の様な凄まじい力で頭を固定され、目を閉じようにも無理矢理瞼を開かされた。

 

数時間の休憩を挟んでは拷問を繰り返したのだろう。地獄絵図で見る古典的な鞭打ちや石抱きから独創的且ついやらしい物まで様々な物を見せられた。顔を背ける事も目を閉じる事も出来ない冴子はそれを見てあまりの悪心に吐いてはむせび泣き、泣いては吐きを数時間に渡って繰り返した。

 

「心配しなくてもガキはまだ生きてる。それにお前の場合こうはならない。女の体は傷つけるのは勿体無い。こんな若い上玉なら尚更な。まずは心だ。お前の心を折れるか折れないかの瀬戸際まで追い詰める。」

 

マッチを擦る音がし、しばらくしてから言葉で言い表せない様な不思議な香りが鼻を突いた。

 

「吸い込め。深ぁ〜く吸い込むんだ。」

 

冴子は己の意識が部屋のよりも暗く、深い闇の中へ沈んで行くのを感じた。

 

再び目を開けると、見知った天井が見えた。起き上がるとソファーでシャツが重くなる程の冷や汗をかいていた。シャツを突き抜けて汗がソファーに溜まっている。

 

「これは・・・・一体・・・・・?!」

 

セーフハウスはまるで自然災害の影響を受けたかの様に荒れ放題だった。窓は割れ、自分が横になっていたソファー以外の家具はひっくり返されている。

 

違う。これは現実ではない。意識が途絶える前に何かを嗅がされた。

 

あれは何らかの幻覚剤に違いない。

 

これは夢だ、悪い夢だ。

 

経の様に心の中で何度もそう唱えながら手近にあったナイフを拾い上げた。

 

『楽しんでいるか?』

 

必死に辺りを見回すが誰もいない。声の主は先程のボイスチェンジャーで喋っていた、謎の人物だ。まるで頭の中で拡声器を通して語りかけられている様に声が時々割れる。

 

『女が恐怖する様はたまらなくてね。これは私に取ってのゲーム、お前に取ってのサバイバルだ。』

 

立ち上がると爪先に堅い何かが当たった。見ると、それは初めて使った銃と同じ形をしたリボルバーだった。しかし足元にあるこれは使い慣れた物よりも大きく、目方もある。シリンダーを確認するとしっかり弾が六発分込められていた。

 

『死ぬ気で抗え。簡単に心が折れてしまってはこちらもつまらない。心の奥底で、お前は一体何を恐れている?それをじっくりと見せてくれ。』

 

ナイフと銃を汗で滑る手で持ち、冴子は動いた。今はここをどうにかして乗り切るしか無い。心臓が胸の内から飛び出さんばかりの勢いで脈打ち、轟々と自分の血が流れる音が耳に付く。

 

ゴトリ、と何かが落ちる音がした。個室に続くドアが並ぶ廊下の方だ。振り向き様にそちらへ銃を向けると、薄暗い中に人の輪郭が見えた。ゆっくりと冴子の方に近付いて行き、やがてそれが竜次だと気付いた。ボロボロになって乾いた血で汚れたカーゴパンツと出鱈目に巻かれた包帯以外は何も身に付けていない。その為今まで拷問により受けて来たであろう大小様々な生傷が覗いている。

 

「み、御か———」

 

名前を呼ぼうとした所で殴られた時よりも凄まじい衝撃を腹に感じた。そこだけ妙に熱い。下を見ると、丁度鳩尾辺りから服が赤く染まっている。

 

「え・・・・・?」

 

アドレナリンの効果が消えたのか、突如襲い来る激痛で言葉を形作るだけの余裕は無く、先程の出来事が信じられなかった。

 

今、自分は撃たれたのか?彼に?

 

その証拠に、どこに隠し持っていたのか、冴子が持っている物とは違うサイレンサーを銃口に取り付けた銃が左手に握られていた。未だに硝煙を燻らせている。そして肩を振るわせながら笑い始めた。銃のグリップを握り直し、再び矢継ぎ早に引き金を引いて行く。

 

痛む体に鞭打って横に飛びながらも、冴子は一発だけ竜次に向かって発砲した。今まで使っていた銃とは比べ物にならない程の轟音に耳がキーンとなり始め、あまりの反動に手首に痛みが走った。命中したかどうか確認する余裕も無く、銃を竜次がいる方向に向けようとした。

 

しかし既に竜次は彼女との距離を詰めており、銃をシリンダーが回転しない様に握った。力任せに引き金を引こうとしたが落ちかけていた撃鉄と撃針の間に小指を挟み込まれる。

 

これでは発砲出来ない。

 

銃を捨て、左手のナイフを振り抜いたがその手も掴まれた。引き剥がそうと両足で押し飛ばそうとするがその勢いを利用され、竜次は後ろに倒れ込みながら巴投げを決めた。咄嗟に受け身を取り、冴子は半ば転げ落ちながら階段を降りた。

 

そして一階に広がる光景に冴子は硬直し、戦慄した。

 

無造作にペンキの缶をぶちまけた様に壁や天井を彩る血痕、切断された手足、そして死体からはみ出している内蔵の数々。嵐が通り過ぎた様に荒れ果てたリビングは、ホラー映画ではお決まりの殺人現場の一つに数えられる廃れた屠殺場の様になっていた。

 

「これは・・・・・一体・・・・・・?」

 

殺気を感じ、前に飛んで受け身を取る。ズキリと腹の傷が痛んだ。振り向くと、丁度刀を振り下ろした竜次が立っていた。冴子が壮一郎から譲り受けた村田刀である。そして凶悪な刀が持つ諸刃の切っ先は自分に向けられている。

 

「御影君、何を・・・・・?」

 

だが竜次は何も答えず、抜き身の村田刀を床に置いて腰に差しているもう一振りを抜刀した。以前ベクターは大小二振りが私物だと言っていたのを思い出す。と言う事は、あの刀は同田貫なのか。

 

冴子は刀を拾い上げ、構えを取った。瞬きをした瞬間、喉を狙った正確な突きが一寸先まで迫っていた。それを払い除け、応戦するが腹の銃創から未だに血がドクドクと流れ出て体温は下がって行き、体力もどんどん失われて行く。

 

だが不思議と頭は冴え渡っており、竜次と斬り結ぶ度、心が踊った。噎せ返る鉄錆の様な血の臭いもさっき程気にはならない。

 

真剣を握った事は何度もあるが、それで立ち合った回数は片手で数えられる程度でしかない。しかもどれもが演武か約束組手だ。

 

楽しい。

 

良い知れぬ快感に、下腹部が疼いて熱を持ち始める。

 

これだ。これなのだ。これこそが、自分の心の奥底に封じ込めていた、求めて止まぬ欲求。誰にも知られてはならない禁じられた欲求

 

『敵を己の手で叩き伏せ、一方的に蹂躙する。』

 

それが今、出来る。

 

脳が痺れる様な快感は極上で甘く、冴子は正しく陶酔の極地に至ったのを感じた。それこそ銃弾で穿たれた腹の痛みすら感じなくなってしまう程に。

 

「濡れるッ!!!」

 

思わずそう叫んでいて、気付いた時には竜次の首がごとりと床に落ちた。それに続いて首が無くなった体が膝から崩れ落ち、床に倒れ臥す。

 

その音で、自分がたった今何をしてしまったかを思い出し、興奮は一気に覚めた。ドット冷や汗が流れ始め、全身の肌がぶわりと泡立つ。ブルブルと激しく体が震え、手から刀が滑り落ちた。胃液が逆流したが両手で口を塞いでそれを堪える。

 

「ひどいな、冴子。」

 

竜次の声が聞こえた瞬間、胸に焼け付く様な激しい痛みを感じた。下を見ると、胸元から波紋のある刃が血に塗れて突き出ていた。背後から貫かれたのだ。

 

「俺を殺そうとするなんて、悪い子だ。」

 

霞んで行く視界の中で、竜次の姿が見えた。それも、泣き別れさせた筈の胴体と首が繋がった状態で。冴子が落とした村田刀を拾い上げると、腰まで届く墨を流した様な艶やかな黒髪を切り落とす。

 

耳に掛かる程度にまで切られた髪を掴まれ、屋上までずるずると引き摺られて行く。

 

屋上の端に着いた所で竜次は冴子の胸を貫いた刀を引き抜き、手摺に立て掛ける。ぐったりとした彼女を持ち上げ、サッカーでスローインされるボールの如く路上目掛けて投げ下ろした。

 

あまりの凄まじい衝撃に痛みに悲鳴を上げる事も出来ず、代わりに全身がその代わりを務める。そして地面に迫るアスファルトの他に冴子が視界の中で捉えたのは衝撃音に反応して自分の方へと近付いて来る感染者の群れだった。

 

己の腕の、足の、腹の、首の、顔の、肉体のあらゆる箇所の皮膚が食い破られ、肉が食い千切られて行った。

 

————嗚呼、そうか。これは罰だ。彼を殺そうとした私の罰だ。私の・・・・・

 

まるで感覚が通常の千分の一秒で経過しているかの様に鋭い痛みがゆっくりと全身を襲い、冴子の意識は薄暗い水底へと沈んで行く石の様に静かに落ちて行った。


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