学園黙示録:Cub of the Wolfpack 作:i-pod男
「ちょっ・・・・・?」
端から見れば投身自殺にしか見えない竜次の奇行を見て、冴子は慌ててベランダに出て下を見た。
「怖かったら下は見るな。ゆっくり来いよ?」
どうやったのか、竜次は二階のベランダの内側に入り込んでいた。
冴子は竜次がした様に足を振り上げてベランダの向こう側に立って縁にスニーカーの爪先をかける。足を外し、懸垂の要領でゆっくりと体を下に下ろして行く。脹脛を掴まれるのを感じて手を離すと一気に階下のベランダに引き込まれた。
もう一度同じ事を繰り返して地上に降りると、竜次はリカーブボウの弦を張り、一度引き絞って調子を確かめた。
「奇襲と言っても車で来ている相手をどうやって倒す?そんな顔をしてるな。まあ分からないだろう。スペクターの特技は狙撃だけじゃない。彼はロシアの元諜報員だ。コンピューターのソフトウェアやハードウェアに関する知識はずば抜けてる。車の電子キーも改造したスマホ一つで遠隔操作した位だ。ここまで言えば分かるだろ?」
「ハッキングで・・・・車をどうかすると言う事か?」
『ETAは一分だ、準備しろ。』
竜次が答える前にスペクターが無線で割り込んだ。
「冴子、左側の壁を越えろ。念の為にナイフを腕の内側に隠し持って車の方に向かって歩け。後の指示はスペクターが無線で出す。絶対に従え。銃は使うな。」
「心得た。」
壁を越えた冴子はナイフのヒルトを逆手で刃が腕の内側に隠れる様に持った。脇に沿って歩いていると車が見え始めた。
『聞こえているか、研修生?もうすぐ車を止める。』
「はい。」
唇をあまり動かさずに低い声で呟いた。
『五秒前・・・・停車。』
先頭を走っていた車が急に止まり、後続の二台も急ブレーキをかけた。ハイブリッド車は設計で安全性を重きに於いている。その為進行方向に障害物があっても設定された距離の範囲内で自動的にブレーキがかかる様になっている。
『車の方に向かえ。出来るだけおっかなびっくりを装うんだ。』
「おい、何やってんだよ!?急に止まるなボケ!!」
「俺は何もしちゃいねえよ!!急に止まりやがったんだよ、このぽんこつが!!」
言い争いの中で一人がスペクターのハッキングによって止まった車両を蹴る。車のボンネットを跳ね上げ、何が問題なのか見ようと何人かが車の前に集まって行く。その間感染者を寄せ付けない様にする為か、他のヤクザの仲間が車両外に出始める。
そして進行方向から冴子がやって来るのを目にした。
「おお?おい。」
ボンネットの中を見ていた連中も彼女の方に目を向ける。
彼らは『暴力』の渦中に身を置いて生きて来た連中だ。そして今や壊れてしまったこの世界で存分にそれを振るう事が出来る。本能の赴くままに行動し続けて来た彼らの目の前に高校生とは思えない程肉付きの良い、色香の高い肢体を持った女がどこからとも無く現れたのだ。
三大欲求を激しく刺激され、全員が冴子に目を奪われた。
ヤクザ達を率いている開襟シャツを着た男が下卑た薄ら笑いを浮かべ、大股で彼女の方に近付いて行く。冴子はその場で足を止め、目を左右に泳がせた。
『十分に近付いたら、奴をナイフで殺せ。』
ナイフで相手を殺害する時の間合いはたとえ腕が長いとしてもかなり短い。それだけ近付かれると殺す側の受傷のリスクも高まる。加えて相手はガタイの良い男だ、単純な腕力ならば冴子は叶わない。故に、攻撃は一撃必殺。たとえそうならなくても致命傷になる位深い傷を負わせる事が出来れば良い。それだけ深い『楔』を打ち込めば後はどうとでも出来る。
「怖がらなくて良いよ、お嬢ちゃん。」
ゆっくりと、まるで冴子が怯える様を楽しむ様に距離を縮めて行く。
残り三歩。
汗で手が滑り、ナイフを落としそうになった。震えを抑える為、隠し持ったナイフを握り直す。こんな至近距離での実戦は初めてだった。急所を狙えば一撃で目の前の男は死ぬ。血肉の詰まった袋に変わる。外れれば自分がそうなる。
どちらの状況にも転ぶ。全ては自分の腕次第。
その様な状況にいる事を改めて理解すると、動悸が収まらない。どうしようも無く下腹部が疼く。
「おじさん達が守ってあげるからね?」
煙草のヤニらしき悪臭が鼻に付いたが、疼きが強まって気にも止めなかった。
距離がゼロになる。
刹那、逆手に持ったナイフが振り抜かれた。
男の喉笛は横一文字にぱっくりと裂け、切れ込みの入った消防車のホースの様に鮮血が迸って壁を彩った。何が起こったか理解出来ないまま喉を抑え、濁った喉音を立てながら自分の血に溺れて崩れ落ちる。
直後に車の周りに集まっていたヤクザの中心に二本の矢が撃ち込まれ、霧が発生した。
『電柱に身を隠して、すぐにガスマスクを付けろ。』
それは瞬く間に広がって行き、先頭車両が包まれた。やがてその中から小さく、くぐもった悲鳴が断続的に幾つも上がる。やがて風に流されて霧は霧散し、先程まで生きていたヤクザ達は急所に深い切り傷や刺し傷を負っており、首や胸、額にも矢やナイフが深々と刺さって動かなくなっている。その内の半数近くは泡を吹いていた。
一瞬空気が歪み、それぞれリカーブボウとクロスボウを携えた竜次とベクターの姿が現れた。
『敵影無し。状況終了だ。死体は脇にどけて、持っている銃や使えそうな持ち物は物色したら研修生に持ち帰らせろ。車の方は私が処理する。』
「冴子、出て来て手伝え。」
指示通り電柱の影に身を潜めていた冴子は血に塗れたナイフを握ったままふらりと現れた。意外にガスマスクが似合っている。
「み、みか・・・・御影、く・・・・」
過呼吸に陥った様な不規則な呼吸をしながら竜次の名を呼んだ。
「上出来だ。迫真の演技だったぞ。ナイフも扱いが少しは上手くなった。後は銃だな。」
竜次は自分なりの労いの言葉を冴子にかけながら彼女を抱き寄せ、首筋に軽く吸い付いて甘噛みする。
それで現実に引き戻されたのか、乱れた呼吸も少しずつ整って行った。
「ああ、マスクは付けたままにしておけよ?さっき撃ち込まれた矢の先端はアンプルだ。空気に触れると気化する濃縮したガスの原液が入ってる。ロシアのKGB製神経ガスをベルトウェイが改造したから、威力は折り紙付き。少しでも吸ったら一発で死ぬよ。」
だがガスマスクを付けていない竜次を見て、冴子は目の色を変えた。
「心配無い。竜次は特殊な体質の持ち主だ。手伝え。」
矢と投げ放たれた十数本の投げナイフを回収しつつ、死体を道路脇や民家の塀の中へ放り込み、持っていた銃と刃物は勿論、ライターや酒瓶すらも回収した。一階にいるベルトウェイが塀の内側から投げて寄越したダッフルバッグにそれを詰め、冴子は一足先にセーフハウスへと戻った。
『リュウジ、本当に何とも無いのか?頭痛や目眩、吐き気、何でも良い。違和感があったら直ぐに言うんだぞ?』
「大丈夫だって。相変わらず心配性だな、母さんは。生きてるって事は問題無いって事だから。あー、終わった終わった。」
ルポの言葉に竜次は笑いながら答え、ベクターと共に
一階のリビングに全員が集合した。
「何故この場所が奴らに割れた?」
「ああ、それ多分俺のミス。」
竜次が額に手をやり、もう片方の手を挙げた。
「ごめん。あいつらは恐らく高城の家に向かう途中で始末したヤクザの残り滓だ。ベクター、フォーアイズ、あの二台の車の内の一台を代わりの足に使ったでしょ?多分だけど、あれはレンタカーだった可能性が高い。」
「なるほど、ガスや電気などのインフラが保たれている以上、それが一番有力だな。レンタカーならGPSを搭載されている位置が分からない方がおかしい。十中八九斥候か物資の調達に回っていたあの二台が変な動きを見せたからここまで出張って来た訳か。私はあの三台の後始末があるから先に失礼する。」
スペクターはタブレットを小脇に抱えて階段を上がって行った。
「リュウジ。確かに今回の件はお前のミスだ。だが、この作戦で彼女が優秀な働きをした事実もある為不問とする。二度とこんな凡ミスを犯すな。」
竜次はすまなそうに頭を垂れた。
「彼女は、今後の為にもしっかり仕込んでおけ。」
「D’accord (了解)。」
「以上だ、屋上から見張れ。」
リカーブボウの弦を外し、スペクターに続いて階段を登った。冴子もそれに続こうとした所でルポに呼び止められる。
「お前には少し話がある。座れ。」
ルポが座っている革張りの安楽椅子の真向かいに鎮座するソファーの端に腰掛けた。
「あくまで私見だが、お前はそこそこ見込みがある。ナイフの筋もありそうだ。外のやり取りで恐らくリュウジが常人とは違う事はもう分かっているだろう。彼は余程のダメージを負わない限り、死ぬ事は無い。免疫力も極端に高いから病にもかからない上、自白剤の様な薬品や劇毒物の抗体もすぐ出来る。代わりに医薬品が効き難くなる事があるが。だが人間と同じ弱点を持っている事に変わりは無い。」
どこから取り出したのか、ルポの手にはトマホークが握られていた。研ぎ澄まされたフルタングの刃がぎらりと凶悪に蛍光灯の灯りを反射する。
「リュウジ・・・・・ヴァイパーは、私の息子だ。我々は彼の父であり、母であり、伯父であり伯母であり、兄であり、姉である。彼を傷つける者はたとえ誰であろうと容赦はしない。だから、もし彼を傷つけたら殺す。傷ついた原因がお前にあるなら殺す。裏切れば殺す。足を引っ張れば殺す。お前が想像もつかない様な方法であらん限りの苦痛を与えてから感染者の餌にする。」
「来ない事を祈りますが、もしその時が来れば、甘んじて受けましょう。私はもう彼の物ですから。」
竜次に付けられた首筋の傷跡を見せ、ルポを見据えた。
ルポも瞬き一つせずに冴子の目の奥底を見つめ、小さく笑った。
「そうか。では、その誓いを嘘にしない為にもこれを飲んで貰おう。一気にな。」
コトリとショットグラスを冴子の目の前に置いた。そしてボトルを開け、中に入った薄緑色を帯びた液体を注ぐ。
冴子は酒の銘柄などの知識は無いが、書かれている数字から相当アルコール度数が高い物であると言う見当はついていた。一瞬迷いはした物の、腹を括ってグラスを手に取り、口につけた。途端に口の中に唐辛子の粉をぶちまけられた様な激痛に襲われた。激しく咳き込むのも構わず飲み込み、食道から胃までが燃える感覚を胸を摩りながら堪えた。
「酒に慣れていない割には良くアブサンを飲み干せたな。」
燃える感覚は消えない。かなりひどい頭痛と目眩もするし、軽く吐き気もする。そんな状態でも冴子は立ち上がり、フラフラと屋上を目指して階段を登った。
「・・・・・ベクター、いるのは分かっている。立ち聞きは行儀が悪いぞ?」
キッチンで息を潜めていたベクターは緑茶が入ったペットボトルを片手に姿を見せた。
「分かる様にしていたからだ。悟らせたくなければ気配は誤摩化していたさ。」
「全部聞いていたのか?」
「ああ。」
緑茶を一口飲み、再び口を開く。
「あの小娘、初めての割には良くやった。」
「お前の見立てでは後は銃を人並み以上に取り扱えれば良いのか?」
「それでようやく半人前と言った所だ。それはそうとルポ、随分丸くなったな。」
「ん?」
「一昔前なら、ここまですんなりと誰かを受け入れるなんて事、お前はしなかった。」
「不服か?」
「いや、そうではない。何であろうと定期的に新しい何かを自主的に受け入れる事は大事だ。」
そう言いながらベクターはルポと向かい合う様に座り、緑茶をまた一口飲んだ。
「ただ、気をつけろ。お前も竜次も我々の『要』である故に『弱点』でもある。長年我々を率いて来たお前の実力を疑う訳ではないが、誰にも勝つ事が出来ない物がある。寄る年波だ。特に、この中で既に五十に達しているのはお前だけだ。前線に出過ぎると言うのも考え物だぞ。見た目は四十前半だがな。」
普段は現実的でオブラートに包む事をしないベクターの口から世辞が出たのがおかしかったのか、ルポはクスクスと笑った。
「誉めても何も出んぞ?」
「本当の事を言っているだけだ。兎に角、だ。」
逸れた話を元に戻し、ベクターはボトルに残った緑茶を飲み干すとキッチンの奥にあるゴミ箱を目視せずに投げ込んだ。
「お前が死ねば竜次が壊れ、竜次が死ねばお前が壊れる。どちらにせよ、遺された者達には『瓦解』とそのすぐ後には『死亡』と言う結末しか残っていない。人間総じて命は一つだが、お前と竜次の命は皆の命と繋がっている。それだけは忘れるな。」
気付いたらUAが4万を突破していました。
ゆっくりとですが拙作を読んでくれるユーザー様の増加は作者として喜ばしい限りです。
今後とも拙作をよろしくお願いいたします。
感想、評価、こう言うエピソードが見たいなど、どの様な些細な事でも結構です。お待ちしています。