学園黙示録:Cub of the Wolfpack   作:i-pod男

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お待たせしました。今回は何時もより少し長めです。

UA三万突破、お気に入り登録数300突破、そして評価が目標の7をようやく超えました。

誠にありがとうございます。


The Power To Choose

一日が経過した。

 

雨の勢いは弱まりつつあったが、高城邸に避難した者や誘導された者達の不平不満は逆に増して行った。避難所を管理している一心会の構成員は皆屈強で、何かしらの武器を常に所持している。避難民はいつその矛先が自分達に向けられるか疑心暗鬼になっているのだ。

世間は一般的に右翼と聞けば暴力団となんら変わらない、社会の嫌われ者の集まりと受け取る。彼らはそれに対する恐怖と嫌悪感、そして今や何の役にも立たない社会的な立場に物を言わせ、一心会と押し問答を続けていた。

 

しかしこの考えは様々な事が根本的に間違っている。

 

まず、一心会は己の基準で全てを判断する壮一郎に従う組織であり、公僕ではないと言う事。自衛隊員でも警察官でもない彼らには安全地帯を確保したり、逃げる人々を受け入れる義務や責任は元から無い。しかし壮一郎は構わず百人以上の避難民を受け入れた。門の外で逃げ惑う人々に比べれば、ここは楽園に等しい。寧ろ感謝して当然である。

 

二つ目は、社会的秩序の存在によって効果を発揮する『弱者の権利』が未だに通用すると言う誤った認識である。社会の偏見も混じってはいるが、女性、未成年者、そして高齢者は極一部を除いて一般的に弱い立場にある。弱い故に社会的に優遇されている。だが社会的秩序が崩壊した弱肉強食の世界ではそんな権利は無きに等しい。

 

「・・・・・ハハッ、低能の役立たず共が。」

 

窓越しに響く外の喧騒で目を覚ました竜次は、その様子を見ながら彼らを嘲った。

 

無きに等しい権利を一心会相手に振り翳すなど、不渡りの小切手を持って漁師と揉めるのと変わりない。避難民の醜く、哀れで滑稽な様を目の当たりにし、口元に自然と笑みが浮かぶ。

 

「仕方の無い事だよ。この世の終焉が訪れるなど誰も想像だにしていなかった。増してやこの様な形では、尚更ね。」

 

人が人を喰らい、喰われた者が死して蘇って別の人間にまた食らい付く。そんな映画の中でしかあり得なかった状況が世界中で起こっている。俄には信じられないが、現実は非情である。

 

「仕方の無い事、ねえ。まあ確かに起こってしまった事はどうしようも無い、覆水盆に返らずだ。だがそうじゃない事もある。」

 

世界が終わった、ならば次はどうする?

 

その選択、判断は世界中にいる一人一人の人間に委ねられている。

 

そしてこの世界で生き残る為の選択肢は只一つ、己自身の変革だ。

 

「世界がどうなろうとも、人間には死なない限り行使を許される絶対的な『選択』の権利がある。何を得る為に、何を切り捨てるか?誰を助ける為に誰を見捨てるか?その結果は全て『選択』の上に成り立っている。」

 

内容は不明だが、相変わらず騒いでいる避難民達を竜次は指差した。一瞬見覚えのあるピンク色のツインテールが見えたが、直ぐ死角に入って見えなくなった。

 

「なのに奴らは碌な吟味すらせず、与えられた道の一つを愚かにも放棄した。新しい世界に順応せず、生き残る為に進化すると言う道を拒み、他者の力にのみ縋る弱者の道を選んだ。」

 

事態の深刻さを理解せず、受け入れない者はいずれ弱肉強食の掟により淘汰される。故に、彼らの死は必然。手を差し伸べる義理もその価値も無い。非協力的である以上、組織の足を引っ張るだけのお荷物だ。むしろ囮や餌として利用した方がまだ建設的かもしれない。いや、今この場で彼らを皆殺しにした方が後々に益になるかもしれない。せめて誰にも迷惑をかけずに死ねば、内側から組織が瓦解すると言うリスクは大幅に下げられる。

 

「そう、か・・・・」

 

「何か言いた気だな。」

 

「その・・・・・一体どうやるんだ?」

 

「何を?」

 

「君の戦い方もそうだが、その考え方だよ。圧倒的な『狂気』と徹底された『合理性』。相反する筈の二つを同調させ、極限まで高めている。」

 

その単純な質問に竜次はフッと笑って肩を竦めた。

 

俺達(ウルフパック)がやって来た様な仕事を続けるにはそう言う気の持ち方をしてないと長続きしないからな。その内嫌でも出来る様になるさ。」

 

「それが君の、強さの源・・・・・」

 

「正解だ。狂気と合理性の様に相反する二つの観念を持つ事が出来れば、人は大きく化ける事が出来る。凄まじい力を手にする事が出来る。下で喚いてる奴らには逆立ちしようが不可能だ。やってみた所で食われるか精神的な重圧に堪え切れずに自害してる。それとだ、冴子。」

 

そう言いながら竜次は冴子の肩に手を置きやんわりと握ると、耳元で囁いた。

 

「今更だが、お前はあのカス共とは違う。」

 

ぞくりと肌が泡立った。まるで初めて愛を告白された乙女の様に体が火照り始める。

 

「俺の直感は高い的中率が評判でな。お前が同類だと言う方に賭けている。精々俺を失望させてくれるなよ?」

 

竜次は彼女の首筋に付けた咬み傷が何を意味するかを忘れるなと、念を押す様にちろりと舌先で舐め上げた。

 

「そろそろ雨も上がって来た。何時でも出れる様に準備だけはしておけ。」

 

部屋に彼女を残して廊下に出ると、ベクターが戸口の脇に立っていた。先程の会話は聞こえていたらしく、その目は竜次の真意を伺っている。

 

「あの女が我々の同類とは片腹痛い。そんな日が来るのは遥か先の未来だ。焦らせて死んだらどうするつもりだ?」

 

「別に何も。死んだら所詮そこまでの力しか無かったって事だ。期待外れにはなるけど、実害は無いから。それに、個人的に見てみたくなったんだ。俺達と同じ高みに登り詰めた彼女がどれ程強く、良い女になるか。それを何時まで維持出来るか。その内観察日記でも付けるよ。」

 

竜次のおどけた言葉にベクターは無関心にフンと鼻を鳴らす。

 

「好きにするが良い。出発の準備は?」

 

やはりベクターは出られる内にここを出たいと思っているのだろう。不規則に爪先を床に打ち付けている。

 

「もう一分もしない内に出来るよ。」

 

「ルポやスペクター達から連絡は?」

 

「ああ、来た。既に準備に取りかかってはいるが、我々が戻り次第、即刻対EMP用のファラデーケージの設置を手伝って欲しいと言っている。スペアの電子機器やジェネレーターは多数あるとは言え、再び設置する手間を省きたいそうだ。今あるデータを移す作業中に回路を焼き切られたらお終いだからな。」

 

「それは別に構わないけど、スペクターなら核ミサイル発射のプログラムとコードを書き換えるなんて余裕だと思うんだけど?無理なら海上自衛隊のミサイルをハックして撃ち落とすとか。」

 

「今は合衆国大統領がまだ生きているから、BSAAの各支部が政府に働きかける事も出来ている。少なくとも、アメリカがドゥームズデイ・オーダーの666D(トリプルシックス・デルタ)を発動する可能性は限り無く零に近い。だが『国家の責務』と称して自国にICBMを向けている他国を国としてまだ機能している間に叩き潰そうとする間抜けは間違い無く現れるぞ。」

 

核は何も第二次世界大戦の原爆の様にに辺り一帯を更地にするだけではない。インフラその物を破壊する事も可能なのだ。その代表格が電磁パルス(EMP)である。今や無くてはならない電気で動く電子機器、車、そしてその他のアンテナと成りうる物や集積回路(IC)を内蔵した機械類を破壊する事が出来る。

 

効果範囲は核爆弾の比ではなく、アメリカで使用されればほぼ全土にその影響が及ぶ。日本に向けてそんな物が発射されれば日本全土の機能が麻痺してしまう。そうなってしまえば、電力が復旧するまで何年とも分からない時間の中、文明は一瞬にして石器時代に逆戻りしてしまう。

 

「まあ、いざとなればスペクターとベルトウェイがどうにか出来るだろう。情報戦と機械であいつらの右に出る物はいない。」

 

「俺はどうなのさ?一応表向きの仕事でメカニックとかプログラマーのアルバイトやってたんだけど?」

 

「アメリカの国防総省(DOD)にハッキングかまして捕まりかける様じゃ当てには出来ない。」

 

「何時の話だよ?あれはもう時効だって。第一、アレやったの俺だけじゃないから。偶々別の素人と搗ち合った所為だから。でも代わりにCIA(ラングレー)の科学技術本部から開発してるセキュリティーシステム数種類引っ張れたよ?バレずにね。」

 

「そうだったか?」

 

「・・・・車に荷物積んで挨拶して来る。降りて来る時はマイク鳴らして。帰りは運転するから。」

ベクターの言い草に不貞腐れた竜次は自分の荷物を持って下に降りた。

 

「自分なりの愛着がある様だな、ベクター。ハンクに冷たく当たられていたからか?」

 

「あの人の話はするな。準備が出来たなら行くぞ。」

 

そう言った直後に小振りなリュック、右腰にM37、左腰に村田刀を携えた冴子が部屋の戸口に現れた。

 

「お待たせしました。」

 

「・・・・行くぞ。」

 

素っ気無く言いつつ一階に素早く降りて行き、歩きながらインカムのマイクを二、三度叩いた。外に出ると、車の横で一心会の構成員が壮一郎と百合子を筆頭に立っていた。丁度挨拶を終えたらしく、竜次は二人に深く頭を下げ、運転席に戻った。

 

「高城総帥、お世話になりました。皆さん、どうかご無事で。」

 

「うむ。会う事があれば、毒島先生にもよろしく伝えておいてくれ。」

 

ベクターとフォーアイズは特に何も言わずに小さく会釈をして車に乗り込んだ。鉄門と数あるコンクリ—ト製の車除けを抜ける間は誰も口を開かなかった。

 

「竜次、帰ったらスペクターが祝杯を挙げたいと言う筈だ。飲みたい物はあるか?」

 

暫く運転してから意外にも口火を切ったのはベクターの次に無口なフォーアイズである。

 

「ん〜、無難にオレンジ・ブロッサムかホワイトルシアンかな。作るの簡単だし。フォーアイズは?」

 

「テキーラ多めのエル・ディアブロ。」

 

それを聞いた竜次は信じられないとばかりに目を見開くと同時に顔を顰めた。

 

「アレ飲むの!?ブラッディー・メアリーとかならまだ分かるんだけどアレ飲みたいの?!」

 

元々フォーアイズは下戸だったのだが、ベルトウェイと関係を持ってから滅法強くなり、特にテキーラなどの強い酒やそれをベースにしたカクテルを涼しい顔で飲む様になった。

 

「レモンジュースとジンジャーエールで口当たりは軽い方だが?」

 

「いやそれでもだよ。個人的に強いベースのカクテルはジンかウォッカベースで打ち止め。甘い方が好きだから。ベクターは?」

 

「焼酎のロック、もしくはシェイクしたウォッカマティーニ。オリーブは抜きだ。」

 

おお、と竜次は言いながら拍手の代わりにハンドルを何度か軽く叩いた。やはり元々の硬派な性格をしているからか、チョイスもぶれていない。シンプル且つオーソドックスで中々渋い。

 

だが後部座席から肩をつつかれた。会話に入れない不満を露わにした冴子が僅かに顔を膨らませたのがバックミラー越しに写った。竜次の肩を指先でつついている。

 

「おぉ、悪い悪い。けど冴子、お前バーとか行った事無いし酒自体精々正月にお屠蘇を舐めるぐらいしか酒の味を知らないから、聞いても仕方無いだろう?」

 

「な、なら、帰ったら君のお勧めを飲む!」

 

「やめておけ、竜次は十七の時から飲んでいる。そんな飲み慣れた奴の勧める物を飲んだら悪酔いするし、後の行動に響く。」

 

会話に加わろうと冴子は食い下がったが、ベクターに窘められた。

 

「堅い事言わないでよ、ベクター。ブラックルシアンとかスクリュードライバー飲ませようってんじゃないんだからさ。カルーアミルクとかグラスホッパーにしとくよ。いざとなれば酒の量を減らせば良いんだし。第一彼女の事は俺に任せるって決まったんだ。悪酔いしたら責任は取る。」

 

『さっきから酒やカクテルの名前が聞こえて来るんだが、帰ってから飲むつもりかね?』

 

先程の会話を聞いていたスペクターの声がハンドマイクから会話に割り込んだ。

 

「無事に帰れた祝い酒の話になった。飲むと言っても一杯だけの事だ。」

 

『それは良い考えだ。私もいい加減ストレートで酒を飲むのも飽きて来た所でね。』

 

「時にスペクター、ファラデーケージの調子はどうだ?」

 

『バックアップ用の電子機器は元々ロッカーに入れてその周りにケージを組んでいたから問題無い。その中に皆の携帯やノートパソコンも勝手ながら収納しておいたよ。ジェネレーターとブレーカーにも張り終わった。後は車と屋上のアンテナ、後はコンピュータールームにある機器だけだ。君達が到着する頃には作業はざっと九割程終了しているだろう。』

 

「そうか。任せきりにしてすまない。」

 

『構う事は無いさ。雨が降って感染者が跋扈している時に徒歩ならまだしも、車での移動は控えた方が賢明だ。色々と危険が多いからな。300メートル先を左だ。』

 

高城邸を出たのは雨が止んで地面もある程度乾燥した昼下がりだ。感染者によって強いられる回り道も含めれば早くて午後六時あたりにはセーフハウスに到着しているだろう。

 

「ベクター、フォーアイズ、少し寄り道と言うか道草くいたいんだけど。」

 

「何故?」

 

「冴子の射撃訓練と耐久訓練。」

 

道草と言う言い回しは兎も角、理由としては至極真っ当だ。銃の扱い方を覚えるのは死活問題なのだ。冴子がまともな戦闘らしい戦闘を行ったのは数日前で、持たせた銃も今の所撃つどころか触ったのがホルスターに収めた時が最後だ。幾ら武道の達人とは言え、いつまでもそれが通用する訳ではない。

 

「・・・・・スペクター、我々の近くに規模が小さい感染者の群れはいるか?」

 

『そこから左に曲がって50メートル行けば噴水が設置された公園に辿り着く。ざっと30体はいるな。』

 

「最短ルートで誘導してくれ。」

 

『了解。』

 

ベクターの意図を理解したのか、スペクターは笑いながら了承した。

 

『面接の次は研修か。頑張れよ、試験官殿。研修生も死なない様にな。』

 

公園の近くで停車し、フォーアイズとベクターに見張りを任せて竜次は冴子を連れて公園の中に入った。

 

「さてと、操作の手順はセーフハウスを出る前に教えたが、ここでテスト。空の銃に装填、射撃体勢、排莢までの動作を出来るだけ早く。」

 

冴子は右腰のホルスターに手をやり、M37を引き抜いた。やはり普段の鍛錬から動作の物覚えは一般人より良いらしく、素人がスピードローダーなしでリボルバーを再び撃てる状態にするまでの所要時間を下回った。

 

撃鉄は起こしてある。左手はグリップの底に添えられており、しっかりと銃を保持している。姿勢も細かい所以外は殆ど直すべき所が無い。人差し指も引き金ではなくそれを囲むトリガーガードに掛かっていた。

 

「姿勢と操作が出来たからっていい気になるな。得意気にしたいなら実際に撃った弾を確実に当てられる様になってからにしろ。」

 

幾ら姿勢や操作に慣れていても実際に撃った弾が命中しなければ意味が無い。

 

したり顔の冴子を窘め、竜次もホルスターのP14を引き抜いた。マガジンと薬室の中にある一発を弾き出し、冴子の隣で同じ様に両手で構えを取った。

 

「銃を構える時は必ず深呼吸。実際に何かを狙う時は銃の上にある凹凸が一直線に並んだ時だ。狙っている間は息を止めて十秒以内に引き金を引け。撃鉄を起こした状態だと引き金の遊びは殆ど無い。引けば直ぐに撃鉄が落ちて弾が出る。これがシングルアクション。」

 

P14の撃鉄を起こし、引き金を引くとカチンと小気味の良い金属音と共に撃鉄が落ちた。冴子も再び銃弾を抜いてM37を構え、それに倣う。

 

「即座に撃てると言うメリットがある反面、撃鉄を起こしてから狙って撃つまでのタイムロスが存在する。まあ、慣れれば大した事無いしそれは比較的小型で小口径の銃だからそこはあまり心配してないけど。だが何時でもそれが出来る様な状況にはいない。撃鉄を操作せずに撃つ事にも慣れろ。」

 

今度は撃鉄を起こさずにゆっくりと引き金を引いた。するとP14の撃鉄はゆっくりと起き上がり、再びカチンと言う音と共に落ちた。

 

「撃鉄を起こす、そして撃鉄を落とす。引き金の動作一つがその二つの動作に繋がるからダブルアクションと呼ばれている。さてと、さっきまでカチカチやってたから随分寄って来た。三発だけ実演するから、冴子も三発だけ撃て。そしたら帰るから。」

 

P14のスライドを引いて薬室に入っていた一発を滑り込ませ、マガジンも装填した。サイレンサーを銃口に取り付けると、向かって来る感染者の群れから三体を適当に選び、引き金を引いた。

 

くぐもった銃声が規則正しい間隔を空けて三つ上がった。感染者三体もそれに合わせてリズム良く崩れ落ちた。

 

普段の射撃スピードの半分以下に抑えてはいたが、それでもやはり冴子から見れば上手過ぎて参考にならなかった。とりあえず教わった事を頭の中で反芻し、経験を積みながら覚えて行くしか無い。そう考えながら銃を構え、射撃体勢に入ろうとしたが竜次がそれを制した。

 

「待て、撃つのはもっと引き付けてからだ。それは銃身がかなり短い。あいつらはまだ20メートル近く離れてる。それじゃ当てようと思っても当てようと思っても当てられない。胴体ならまだしも、素人が頭を狙い撃てる距離は精々5、6メートルが限度だ。」

 

ようやく距離が縮まった所で冴子は銃を構えた。撃鉄を起こしシングルアクションでの射撃を試みる。

 

遠方から人を殺すと言う只一つの目的の為だけに開発され、改良されて来た武器、『銃』。ある程度の練習を重ねればどんな不器用な人間でも扱える。心技体の三つが揃って初めて真価を発揮する刀とはまた違った重みに手が震えた。

 

「もうそろそろ良いかな。発砲開始。三発の内一発は撃鉄を起こさずにな。良く狙えよ?」

 

引き金にかかった人差し指に力が籠り、乾いた銃声が昼下がりの公園に木霊した。震えは冴子が思った以上に弾道に作用し、狙った感染者とはまた別の感染者の頬を抉るだけに終わった。殺すには至らなかったのだ。

 

「手が震えてる。深呼吸しろっつったろうが。ビビッてるのか?」

 

キーンと耳鳴りがする中竜次が野次を飛ばす。初めて間近で嗅ぐ硝煙の臭いが鼻腔を突いた。

 

今度は撃鉄を起こさずに引き金を引いて遊びを殺した状態で狙いを定めたが、やはり手の震えは収まらない。二発目の弾丸は感染者の間を通り抜けて明後日の方向へと飛んで行った。

 

「お〜い、弾が無駄になってんぞ〜。」

 

おどけた言葉と己の覚えの悪さに冴子は顔を顰めた。震えを止めようと銃のグリップを更に強く握り締め、再三再四深呼吸を繰り返しながら早鐘の様な動悸を静めようとする。

 

そしてふと何かを思い付いたのか、暫く目を閉じると、手の震えはまるで最初から無かった様に止まっていた。撃鉄をもう一度起こし、三発目を発射した。

 

38スペシャル弾は老人だった感染者の眼球易々と穿った。小口径である為か、竜次が発砲した時の様に後頭部から脳味噌と頭蓋骨の欠片を撒き散らす事は無かった。だが感染者が体をくの字に曲げて崩れ落ちて行く様を見ると、脳に著しい損傷は与えられた。

 

「お見事。戻るぞ。」

 

既に運転席にはベクターが座っており、助手席もフォーアイズが占領している。

 

二人が後部座席に飛び込むのをバックミラーで確認すると、ドアが閉まるのも待たずにベクターは車を発進させた。

 

「初めて銃を撃った感想はどうだ?」

 

「刀とはまた違って・・・・想像以上に重かったです。やはり、慣れるまでに時間は掛かるかと。」

 

「そんな時間は無い、実戦で覚えろ。」

 

冴子の感想を弱音と捉えたのか、運転席のベクターは前を見据えたまま素っ気無く言った。

 

「アサルトライフルを目隠ししたまま分解と組み立てを一分以内に出来る様になれとは言わん。流石にそこまで期待するのは酷だ。だが、まずは五メートル先にある直径2センチの的五つに十秒以内で全弾を命中させられるレベルには達してもらう。リボルバーだけじゃなくセミオートのハンドガンでもな。」

 

ベクターが設定した、初心者にはあまりにも高難度な目標に竜次はヒュウと口笛を吹いた。直径2センチは日本の一円玉と大差無いサイズだ。

 

「流石にそれはやり過ぎだろ。それ、まんまSPの資格条件の一つじゃん。まあ剣道は段位クラスの腕前でクリアしてるからそっちは大丈夫だろうけど。」

 

「レクチャーをするのはお前だぞ?」

 

「だと思ったよ・・・・まあ、良いけどさ。」

 

「期間は設けないが、銃をまともに扱える様になるまで毒島の刀は没収だ。心配しなくとも代用品のナイフぐらいは貸してやる。」

 

「そんな・・・・!」

 

無茶な、と言おうとした所でベクターが急ブレーキをかけ、冴子は前にがくんと倒れた。シートベルトのお陰で投げ出されずには済んだがその直後、喉を掴まれてプッシュナイフの切っ先が眼球の一寸先で止まる。

 

「黙れ。」

 

振り解こうと抵抗したが、ベクターの指先は万力の様に冴子の器官を締め付け、酸素の供給を断ち切った。陸に上がった魚の様に口をパクパクし始める。

 

「我々の一員になると言うのならば、同じ次元に立ったと全員が認める時まで、お前に否定の権利は無い。泣き言は許さん。反論も許さん。弱いままでいる事も、スタンドプレーも、迷う事も、銃を扱えない事も許さん。」

 

竜次と似た経歴でデルタチームに流れ着いていたならベクターも何も言わなかっただろう。だが冴子は違う。彼女と竜次の間にある絆の重さはウルフパックの物に比べれば砂粒一つにしか値しない。

 

ウルフパックの絆は同じ戦場を生き抜いた者しか持ちえない、異質且つ特別な物だ。連帯感、共に生きた長い経験、そしてその経験に裏打ちされた信頼により育まれた鋼にも勝る堅い物で、肉親の情程度は足元にも及ばない。故に、余所者は相手にされない。命を預ける事は勿論、命を賭けて助けるなど以ての外だ。

 

「当然、許可無く死ぬ事も許さん。どう言う訳か竜次はお前を気に入っている様だからな。お前の選択肢は同格と見なされるに値する心技体を身につけるか、我々の元から去るか。その二つだけだ。選択しないと言うのはなしだ。」

 

冴子の喉を掴んだベクターの握力が強まった。器官だけでなく頸動脈、頸静脈、そして椎骨動脈の閉鎖により、冴子の(かんばせ)は蒼白になっていた。抵抗の力も弱まっている。意識を失うまでもう10秒も無いだろう。

 

それだけ道が険しく潜ろうとしているもんの隙間の狭さを改めて自覚させる為だと分かっているのか、フォーアイズも竜次も何も言わない。

 

「そら、この程度の拘束からも抜けられないのだろう?今のお前は、ここに来た時最初に明言した物・・・・ただの捨て石だ。」

 

ようやく解放され、激しく咳き込みながら荒い呼吸で酸素を必死に確保しようとする冴子を尻目にベクター再び道路に目を向けて車を発進させた。


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