学園黙示録:Cub of the Wolfpack 作:i-pod男
次話辺りで高城邸に到着です。
ベクターはマスクの奥で顔を顰めた。運良く彼らがどこかで右折なり左折なりしてくれれば様々な無駄を省く事が出来る。だがそうならなければ戦況は一気に不利になってしまう。
何故なら、今自分達の周りに弾避けに使える遮蔽物は何も無い。もし彼らが全員銃で武装していたら受傷のリスクは免れない。ヤクザの中にも射撃に秀でた者も僅かだがいるのだ。武闘派のヤクザとなればほぼ間違い無いだろう。
目的地に送り届けなければならない二人を囮にし、逃げて改めて体勢を立て直すと言う事も出来るが、スペクターの情報では自分達より倍以上の人数がこちらに向かっている。その餌に全員が食いつくとは思えない。
老練な手練となれば圧倒的な数の暴力に屈するのは時間の問題だ。故に経験に基づいた計略を巡らせなければならない。
『このスピードだと到着予定時間まで後5分17秒。そちらに向かっている連中は、どうやら曲がるつもりは無いらしいぞ。』
退路は断たれている。
動かなければ、死。
ならば、答えは一つしか無い。
「スペクター、ここから一つ目の交差点までの距離は?」
『525メートルだ。車の走るスピードも計算に入れたが、お前とフォーアイズ、そしてリュウジの三人だけなら問題無く行ける。荷物を運びながらだと間に合うかは分の悪い賭けになってしまうが。』
「戦闘は何時だって賭けの連続だ。フォーアイズ、全員を集めろ。」
フォーアイズはワイヤーの手前で既に百体近い感染者の屍山血河を作り上げた二人を呼び戻し、一難去って一息ついて座っていた沙耶とコータを強引に引っ張り上げて立たせた。
「先程の通信は聞こえていたな?これから俺達は交差点に辿り着くまでの520メートルを走り、こちらに向かっている車両をやり過ごす。」
「ごひゃ・・・・!?無理ですよそんなの!!」
内気なコータは六人の中で最もアスレチックとは程遠い肥満ボディーの持ち主だ。運動自体が大の苦手である彼は百メートル走ですら苦労するのに、その五倍以上の距離を出来るだけ速く走破するなど無茶苦茶過ぎる。
「余裕だろう。俺のジョギングコースの一割りにも満たない距離だ。無理だと言うならそれでも一向に構わない。止まったらその場に置いて行くまでだ。だが、良く覚えておけ。Living is not for the weak(弱者に生きる資格なし)。」
そう言い捨て、ベクターは走り出した。フォーアイズもそれに続く。
撃たれて死ぬか、轢かれて死ぬか、食われて死ぬか。経路はどうであろうと行き着く先は変わらない。そして弱者はその経路を選ぶ権利すら無い。
「行きましょう、高城さん。」
コータは沙耶の腕を掴み、走り出した。
壊れる前の世界の弱い住人でいるのはもう沢山だ。今のこの壊れた世界で、自分は銃さえあれば強者だ。だから、自分は生きる。自分は変わる。そして自分の死に場所も自分で選ぶ。その権利を勝ち取る為にも、今は死に物狂いで行動するしか無い。
「おらおらもっと速く走れ、止まったらナイフが背中にざっくり刺さるぞ。髄液と血液ぶちまけちまうぞ。Hurry hurry hurry!」
チクリと背中に痛みを感じ、それが竜次のナイフであると言う事に気付くのに時間は掛からなかった。そして速度を上げてもしっかりと竜次が後ろに張り付き、ナイフの切っ先が背中に当たるか当たらないかの微妙な距離を保って急ぐ様に促して行く。
『奴らの到着までもう間も無い、急げ。』
ベクターは更に走るスピードを上げた。鼻で大きく吸い、口から大きく吐き出す。そうしながらも踏み出した足の靴底でしっかりと地面を捉え、力一杯地を蹴った。逆の足の膝が腹辺りに来るまで上げ、その足でまた大きく一歩前進する。
そしてようやく見えて来た。
アスファルトに描かれた横断歩道の白いストライプ、道路標識、信号、そして停車した数台の車。紛れも無く交差点だ。
「距離150だ。左に曲がるんだったな?」
『ああ。』
後ろを一瞥し、全員が付いて来ているのを確認すると左に曲がった。距離はあるが、感染者も十人ばかりおまけで屯している。
「行くぞ。」
喘息でも発症したかの様な不規則な息遣いで滝の様な汗をかくコータと息を切らす沙耶に呼吸を整える暇も与えず、再び移動を開始した。
『コンボイがその辺りに通りかかるまで後一分。どこかに身を隠せ。』
皆がそれぞれ茂みの後ろ、車のトランクの中、工事で使われている鉄骨を覆う水色の防水シートの中などに身を隠す間、ベクターはフォーアイズが背負っているリュックを開き中にある物を一つだけ取り出した。
『5、4、3、2、1、来たぞ。クソ・・・・・減速している。』
やはり目をつけられた様だ。ベクターは直ぐに光学迷彩装置を起動して取り出した物を設置し、二つ目を車線のほぼ中心に置いた。これで準備は整った。
光学迷彩を起動出来る限界時間が迫る前に自分達の方へ向かって来るヤクザの構成員の後ろに回り込んだ。乾いた血痕が付いたワイシャツに黒いスラックスを身に付けた者も入れば、大掛かりな刺青を彫った上半身を見せつけて威圧する為かズボンだけ履いている者もいる。
偵察に必要な基本情報は五つある。
敵の
敵の
敵の
敵の
自軍と鉢合わせるまでの
敵の
これらの頭文字を取ってSALUTEと覚える。そして眼前に敵が迫っている為、その情報は全て揃っている。
敵の数、13
敵の行動、索敵中
敵の位置、眼前、距離20弱
敵の部隊編成、該当無し
鉢合わせるまでの時間、1分
敵の装備、車三台、拳銃が5、ライフルが3、刃物は2、鈍器は3
後は仕掛けた物が最大限の力を発揮出来る位置に相手が踏み込むまで待つだけだ。フォーアイズのリュックから取り出した物をしっかりと握り込み、身構える。
『今だ。』
スペクターの声がマイクから発せられるのと、ベクターが持っていた物を放り投げたのはほぼ同時だった。
間近で聞くジャンボジェットのエンジン音よりも凄まじい轟音とサーチライトを凌ぐ眩い光が辺りを包んだ。怒号と悲鳴に混じって銃声が辺りに木霊する。
———やはりヤクザはヤクザか、こんな初歩的なアンブッシュに引っ掛かるとは。
爆発まで耳を塞いでいたベクターは嘆息した。
ベクターが先程投げたのはスタングレネードだ。屋内の様な密閉された空間の中で使用した方が威力は大きいが、屋外でもその威力は殆ど変わらない。160から180デシベルの凄まじい音は屈強なプロの傭兵であろうとヤクザであろうと装備が整っていなければ太刀打ち出来ない。
立ち上がって背負っていたシュタイヤーAUGの薬室に第一弾を送り込み、銃を持っている男を真っ先にを始末した。恐慌状態に陥った彼らがどの様な行動をとるか分からない。それに目と耳が使い物にならない状態で銃を乱射されて流れ弾を食らう恐れもあるのだ。
向かいの歩道からサプレッサーである程度抑圧された銃声がし、どさりと重い物が地面に当たる鈍い音が不規則に続いた。
『ベクター、こっちは二人仕留めた。』
『俺、三人。』
先程ベクターが倒した男を含めれば半数近くだ。光学迷彩を解除し、手近にいた構成員に向かって突っ込んだ。
彼らは不明瞭な視界の中、灰色と黒の何かが迫って来るのを確認したが、未だに頭の奥から鈍痛がする上に耳鳴りも酷い。まともに反応など出来る筈も無く、額や胸に鉛弾を受けて倒れ臥した。
「てめえええええええ!!!!」
意外にも既にある程度視力と聴力が回復した者がいたのか、日本刀を滅茶苦茶に振り回しながら短髪の男が飛びかかって来た。
ベクターはそれをプロボクサーの様にかろやかなフットワークで避けると片膝をつき、引き金を絞った。発射された5.56ミリ弾は空気を切り裂いて短髪の男の心臓を貫く。後ろに倒れ込む彼の手に握られた日本刀が落ちる前にベクターはそれを掴み取る。
そしてシュタイヤーAUGのグリップから手を放し、新調した日本刀を構えた。無謀だと知りつつ飛びかかる者も、死んだ仲間が持っていた銃を拾って応戦しようとする者も例外無く一刀の下に切り捨てた。
血に塗れた刃を眺めると、小さく舌打ちをしてそれを投げ捨てた。
————焼きが甘過ぎる。これ以上斬ったら折れるか、欠ける。
「クリア。」
ベクターの言葉に二カ所から同じくフォーアイズと竜次がクリアと返した。戦闘が起こる前に歩いていた歩道で六人は再び集まった。
「
「ライフル3、ハンド1。」
「ライフル30、ハンド2。」
フォーアイズと竜次がそれぞれ使用した弾数を告げると、散乱しているヤクザ達の銃の弾丸を拾い集め始めた。共産圏のマカロフやトカレフが殆どで銃本体の質も粗悪な物ばかりで、長い目で見れば使い物にならない。だが銃弾は別の事に使える。
「失礼ですが、どこで剣術の修行を積んでいたのですか?」
手伝いながら、冴子はベクターに尋ねた。
「何故?」
「太刀筋もそうですが、身の運び方も明らかに日本の武術に精通している者の動きでしたので。」
「そうだ。剣術は柳生新陰流をベースに他の流派二つの技を織り込んである。動きに癖がついてはいけないから、免許皆伝した後は技を統一し、我流で磨いて来た。セーフハウスにも私物の同田貫と脇差の浦島虎徹が置いてある。」
一つの流派ですら極める道程は長いと言うのに、それを三つも修めている。
その言葉に冴子は軽く目眩を覚え、拾い上げて持っていた銃弾が何発か零れ落ちた。
絶対的とまでは行かないが、冴子は己の武芸の腕に自信を持っていた。幼少期から竹刀だけでなく木刀を使った素振りなどの型稽古を初め、中学に上がって間も無く真剣による居合いの手解きも受けた。武門の出身者である冴子は良く剣道部の仲間や師でもある父の友人、そして親戚縁者に天才剣士だの、千葉さな子の生まれ変わりだのと耳にタコが出来る程持て囃す者もおり、羨望の眼差しを浴び続けて来た。
しかし、それも偶然知り合った竜次の技の前に容易く敗れ去った。
そしてようやく理解した。常に戦場に身を置いて培われた技は自分の磨いて来た物とは気迫も年季も、どれを取っても次元を異にしている技の使い手に勝てないのは当たり前だと。
彼の育ての親の歴々がベクターの様な百戦錬磨の戦士の集まりならば自分如きの未熟者が勝てるなどと考える事すら烏滸がましい。
「冴子、言っておくが俺達に教えを乞おうとは思わない方が良い。今のお前は、ウルフパックの中で一番弱いって事を忘れるなよ。」
「無論、それは心得ているよ。君やあの方から見れば私の技など中途半端に見えるだろうからな。まずはそれを徹底的に極める事を急務とする。」
そう言いつつ、取りこぼした銃弾を拾い上げた。
「かなり音を立てた。感染者がまた大挙して押し寄せて来る。行き先への道を断たれる前に二人を連れて急ぐぞ。」
後部ドアからミニバンの中で身を潜めていた沙耶とコータを中から引っ張り出すと、先程葬ったヤクザ達の車の内二台を拝借し、その場を後にした。