学園黙示録:Cub of the Wolfpack   作:i-pod男

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ようやく年末の試験が終わったのでゆっくり執筆にあたる事が出来ます。


Code Black

ブォンッと凄まじい勢いで右薙ぎに振るわれた冴子の木刀が半歩引いた孝の鼻先を掠めた。彼女が動き、腰まで届く黒髪が跳ねる度に道場の窓から差し込む朝日を受けて煌めく。

 

「後三センチ踏み込んで下さい。」

 

頭上から更に追撃が迫る。深く踏み込み両手を交差させてそれを受け止め、木刀を掴むと体全体を左に捻って相手を投げ飛ばし、木刀を奪い取った。

 

「いつつ・・・・流石だ、小室君。相変わらず全く掠りもしない。」

 

受け身を取った時落下の衝撃を殺しきれなかったのか、冴子は尻を摩りながら立ち上がって木刀を拾い上げる。

 

「すまないな、無理を言って。だがここには君の様な達人はいないから、君にしか頼めない事なのだ。」

 

冴子は剣術の有段者として持ちうる力を存分に振るえる相手を見つけられた事に充足感を覚えている様だ。まだ余韻が残っているのか、口元の薄ら笑いが未だに消えておらず、狂気に満ち満ちた目をしたままだ。

 

「それは分かりますけど、俺じゃなかったら死んでますよ。」

 

軽口で言う物の、今までの仕事で発現する緊迫した状況を擬似的にとは言え再現出来る事に孝もかなり助かっていた。後は自分に向かって銃を撃ち、尚且つ全力の反撃で相手をしに至らせても罪に問われない様な状況が望ましい。

 

「時に小室君、お腹は空いていないかね?」

 

「運動の後は何時も空いてます。」

 

「それは丁度良かった。」

 

まるでその答えを待っていたとばかりに大きな風呂敷包みを取り出し、結び目を解いた。小振りな三段重ねの重箱が姿を現し、孝は目を丸くした。

 

「君なら量は多い方が良いかと思って作っていたのだが、調子に乗ってしまってな・・・」

恥ずかしそうに俯く冴子を見て孝は笑ってしまった。普段の凛とした佇まいからは想像もつかないちょっとしたドジっぷりは見ていて面白い。

 

「良いですよ、それ位なら完食します。運動する前は基本何も食べないですし。いただきます。」

 

重箱にはおにぎりやきんぴら、卵焼き、唐揚げ、煮付け、筑前煮など和風弁当の定番とも言える献立がたっぷりと入っていた。

 

「頂きます。」

 

まずおにぎりを一つ取ってかぶりついた。咀嚼して飲み込んでから、只一言だけ漏れた。

 

「・・・・・美味い・・・・・」

 

昔は半ば逃亡生活を送っていた為、料理をのんびり作るなどと悠長な事は出来なかった。もっぱら外食か直ぐに食べられる者を勝手それをその場で食べる事の方が多かったのだ。来日してからは自炊で切り抜ける為に手解きはカリーナや意外と家庭的なベクターから受けている。孝からすれば料理を教えてくれた二人の料理より美味い物を食べた事は無かったが、今それが変わった。割り箸を動かして黙々と食べ続けた。冴子は隣でそれを眺めながら心底嬉しそうに笑う。

 

気付くと二十分もしない内に完食していた。余程空腹だったのだろう。割り箸を置いて手を合わせた。

 

「冴子。」

 

聞き慣れた敬語も無く呼び捨てにされた事に事に反応し、ピクリと肩を振るわせた。

 

「また明日も、頼めるか?今度は重箱じゃなくていい。」

 

そして彼女の肩を掴み、床に押し倒した。突然の事に思考が追い付かず、冴子は目を白黒させた。食欲の次にこれとは、我ながら自分も単純な思考の持ち主だ。

 

「それと、一応教えておく。俺の好みは、お前の様に強く躊躇いの無い女だ。」

 

押し倒した彼女に覆い被さって暫く彼女を見つめた。道着から覗くうなじと抜群のプロポーションを持つ体は瑞々しい白い肌で眩しいとすら言える。艶やかな唇に自分の唇を合わせた。それを暫く維持していたが、廊下の足音を聞きつけて直ぐに離れ、放心状態の彼女を助け起こす。

 

「じゃ、また後で。先輩。」

 

シャワーを浴びる為に更衣室へと向かい、コックを捻った冷たい水がノズルから噴き出し、孝の汗を流して滾った体を冷やして行く。水を止めて体を拭くとまだ湿った髪の毛から水が体を伝った。前後にある洗面台の鏡にローマ数字の七とトライバルの狼以外に蜷局を巻いて鎌首を擡げた蛇の新しいタトゥーが写る。

 

「何をやってるんだ俺は・・・・・?」

 

深く関わり過ぎるな、線はしっかり引いてそれを超えるな。

 

今のウルフパックの経歴や書類は大半が偽装された物ばかりだ。万が一誰か一人が民間人に深く関わり過ぎてしまえば、それで死ぬかもしれないし、最悪の場合何かの拍子で正体が露見してまた逃亡生活に逆戻りするかもしれない。

 

自分でも何故いきなりあの様な行動に走ったか分からなかった。確かに彼女は十人が十人振り向けば美人だと断言する容姿の持ち主だが、それとこれとは話が別だ。自分をここまで育ててくれた家族に迷惑をかける位なら迷わず死を選ぶ。

 

体の関係は深くなってしまうかもしれないが、心の中では今まで以上にしっかり線を引かなければならない。

 

汗塗れになったジャージの上下とTシャツをスポーツバッグに詰め込み、学ランに袖を通した。

 

「・・・・・サボるか。」

 

授業なんて受ける気にもならない。暫く何も考えないでいよう。昼寝なり瞑想なりをして頭と心のスイッチを一度全て切り、ある程度時間を置いてまた入れ直す。パソコンを再起動させるのと変わりない。

 

丁度四月だ。気候も気温も湿度も丁度良い。授業が始まるまでまだ時間はある事だし今から屋上で二度寝でもすれば良い。授業の内容ももう既に知っている事だし、一度や二度さぼった所でどうと言う事も無い。本来ならもう大学を出て良い位の知識があるのだから。

 

ついでに屋上に隠してある自分専用の非常袋がまだ誰にも弄られていないか確認する必要がある。

 

 

 

 

一方、ファーストキスを奪われた冴子は未だにボーッとしながら虚空を見つめていた。先程の行動はつまり自分の事が好きと言う事で間違い無いのだろう。

 

彼の唇の感触がまだ残っているのか、何度も自分の唇に手をやり、顔を真っ赤にして俯く。

思い返せば、一目惚れ———一方的な恋だったのかもしれない。暴漢に襲われた時に自分より年下の少年が武道の心得が無かったとは言え風に攫われた紙切れの如く大の大人に宙を舞わせたのだ。迷いも躊躇いも曇りも無い、流麗で力強いその動きは武門の出身者として見惚れない方がどうかしている。一瞬彼と目が合ったが、年齢にそぐわぬ大人びた雰囲気と滲み出す尋常ならざる気配に引き込まれてしまった。余りにも強く印象に残った彼の顔は生涯忘れまいとその時誓った。

 

そして藤美学園で奇跡的に再会した時も初めてどこで会ったかを説明するまで彼は自分の事を覚えていなかった。その事には一抹の落胆を覚えたが、それよりも再会出来た事と彼もまた武術に造詣が深い事を知れた喜びの方が大きかった。

 

放課後に一度興味本意で手合わせを申し出たが、彼の武力は自分とは次元を異にしているのを思い知らされた。無手であろうと無かろうと、気付いた時には敗北しているのだ。だがそれは悔しさを生む所か彼への想いを更に強くする要因になった。

 

もっと強くなりたい。そして彼に認められたい。

 

雑念を振り払いつつ立ち上がり、木刀を正眼に構え直して冴子は素振りを続けた。

 

今まで剣の道に打ち込む理由は心身の鍛錬しか無かったが、孝に出会ってからは彼に追い付くと言う目標が定まった。

 

 

 

 

 

 

駄目だ。三時間程の二度寝をしても、直後に瞑想をしてスイッチを切っても何も変わらない。おまけに長い間感じなかったアレが反応している。何かしらの危機を察知する、ウルフパックを何度も危機から救った第六感が警報を鳴らしているのだ。

 

「仕方無い・・・・出すか。」

 

屋上のタイル二つを叩いて剥がし、中に入っているダッフルバッグを引っ張り出した。

 

「気の所為、なんて事は無いよな?」

 

制服を脱ぎ、中に入っている黒いタンクトップ、防弾ベスト、プレートキャリアー、黒いミリタリーパンツ、防弾レガースとサポーター、シューティンググローブ、そして踏み抜き防止の鉄板を仕込んだブーツに着替え始めた。パンツの尻ポケットに入っている識別票を首にかけ、ポケットに入っている物に生地越しに触れて確認した。

 

携帯、ジッポライター、防水メモパッド、マルチツールナイフ、TACフラッシュライト、そしてミントガム。よし、全てある。

 

ベストとプレートキャリアーを着る前に迷彩柄ののフード付きジャケットに袖を通した。丈は膝まであり、パンツと同じ模様が入っている。

 

「作動良好。装備の確認に移行する。」

 

別に誰がいる訳でもないが、そう呟いた。

 

やっと戻る事が出来る。本来の、あるべき姿の自分に。

 

小室孝ではなく、御影竜次———ヴァイパーに。

 

次に武器だ。昔は重くて長時間保持出来なかったが今はベルトウェイに勝るとも劣らない筋力がある。今なら高威力の45口径拳銃も軽々と扱える。分解された拳銃、レーザーライト、サイレンサー、そして同様に分解された数本のダブルカラムマガジンを真空包装した袋から取り出した。それらを全て素早く組み立て、紙箱に入っている45口径弾を込める。当然薬室に入れられる余分の一発も忘れない。

 

タクティカルベルトを腰に巻き付け、右腰に吊ってあるレッグホルスターに拳銃を、左腰のポーチに入るだけマガジンを詰め、最後に小型の双眼鏡を左腿のポーチに押し込んだ。

 

分解されたもう一丁の銃、ドイツのH&K社製MP7A1とそのマガジンも同様のスピードで組み立てて弾込めを行い、プレートキャリアーのポーチに四十発入りのバナナマガジンを差し込んだ。スリングをかけてカラビナでベストにしっかりと固定する。

 

一工程、また一工程と武器を組み立て、それを収めるべき場所に武器と道具を収めて行くのは自分を守る為に嘘と偽装で十重二十重に塗り固めた仮面と鎧を剥ぎ取って外気に晒して行くに等しい。高所から海やプールに飛び込まんとする時に感じる奇妙な高揚感を禁じえなかった。

ダッフルバッグに残っている武器に手を伸ばそうとした所で何かが金属にぶつかる音がした。屈んだまま音がした方向へ前進し、欄干の隙間から双眼鏡を覗いて原因を探った。学園の正門でスーツ姿の男が何度も門にぶつかっているのだ。職員室からこの様子は見えていた様で、体育の教師とその他の男性教師数名が対応していた。脳内の警報が更に大きくなる。これで最早確定も同じだ。

 

————くそったれめ!

 

ズームの倍率を上げてスーツの男の顔を確認すると、虚ろな目をしていた。門を開けようとも登って越えようともせず、只歩こうとする機械的で単純かつ知性を感じさせない意識レベルの低下を示唆する動き。

 

Tウィルスの初期症状と同じだ。

 

ジャージ姿の屈強な教師が門の隙間に腕を通し、男の胸ぐらを掴んで乱暴に揺すり始めた。最初こそ無反応だった男はその腕を掴むと、二の腕の肉を思い切り噛み千切った。状況を飲み込めていないその場にいる教師達の命運も尽きるだろう。

 

また始まる。ラクーンシティーの戦場がまたここで蘇る。もうここでグズグズしてはいられない。もしあれの原因が本当にTウィルスならば、家かセーフハウスに保存してあるワクチンを一刻も早く摂取しなければならない。フードを被ると残りの武器を身に付ける。

 

残っているのは、自分にとってなくてはならない牙———五本のナイフだ。タクティカルベルトのバックルの両端についたシースにシャベルの形をした小さなプッシュナイフを差し込み、プレートキャリアーの両肩付近のスペースにシースごと銃剣ナイフOKC 3Sとコンバットナイフ KM2000を収めた。そして五本の中で一番長い64式銃剣と言う、自衛隊で使われている自動小銃に装着される物を取り出した。全長が40センチ前後あるそれはナイフと言うよりも小振りな剣と呼ぶべき代物で、ベルトに沿って腰背面に取り付けられる。

 

「Wolf-7, codename Viper. Standing by, reporting as ordered.」

 

完成だ。遂に本来の自分が、ヴァイパーがこれで完成した。

 

余った弾薬をダッフルバッグと一緒に入っていた非常用リュックに押し込み、イリジウム携帯を取り出して素早くボタンを押して行く。繋がった所で低い声で繰り返した。

 

「コンディブラック。繰り返す、コンディブラック。作戦名アポカリプス・ナウ。」

 

常軌を逸した非常事態の為の暗号を口にした。通常コンディオレンジは緊迫状態、コンディレッドなら非常に危険と言う意味だ。だが今はそれをあらゆる意味で通り越した絶望的な状況だ。故にコンディブラックなのである。電話の向こう側にいるスペクターはその意味を理解し、息を大きくついて指示を飛ばす。

 

『・・・・セーフハウスに向かえ。ルポと私で他の四人を回収して落ち合う。』

 

「皆はどこに?」

 

『私達は一ヶ月と少し前からグアムで合同の射撃訓練をしていたんだ。お前こそ今どこにいる?』

 

「学校だよ。」

 

『出来るだけ直ぐにそこを出ろ。今から二十四時間以内にセーフハウスに行くんだ、良いな?我々もそれまでには床主洋上空港から急行する。それまで持ち堪えていてくれ。』

 

「了解。」

 

『ああ、そうそう。お前と同じ学校にいて、尚且つお前に興味がある女の事だが、身辺調査の結果からしてクリーンだ。一緒に連れて来ても構わんぞ?調べた所によると、武道の達人だとか。』

 

スペクターの茶化しに鼻を鳴らした。

 

「俺より弱い奴に背中を任せる事なんか出来ない。」

 

『まあそう言うな。バックアップは必要だぞ?後もう一つ、私が育てたBSAA極東支部の実行部隊隊員が洋上空港にいる。元警視庁SAT部隊に所属していた南リカと言うスナイパーだ。お前がいる学校に養護教諭をしている彼女の友人がいるのだが、出来れば一緒に連れて来てくれと頼まれた。』

 

南リカ。

 

警察学校を優秀な成績で卒業してから手塩にかけてSATの第一小隊隊長にまで登り詰めた腕利きのスナイパーだ。会ったのは二、三度だけだが良く覚えていた。スペクターの技を伝授した彼女の腕前はかなり良い。国連管轄のBSAAに目を付けられるのも無理は無いだろう。

 

「何でさ・・・・?」

 

『彼女はバーサとフォーアイズの教え子だ。間が抜けている所がある事は否めんが、一応あれでも充分医療の知識はある。医者は一人より二人いた方が良い。』

 

「分かったよ。じゃあ、セーフハウスで。」

 

衛星電話をリュックに突っ込んで背負うと、丁度校内放送が流れた。どうやら噛まれた教師達が校舎に侵入したらしい。断末魔の叫びがしてから約一分程時が止まったかの様に辺りが静まり返った。そして生徒も教師も我先にと出口を目指して走り始めた。逃げ遅れた者は草食動物のスタンピードに遭ったかの如く将棋倒しになり、踏み潰されて行く。その音量は凄まじく、屋上の高台まで響いた。

 

それを聞きながらヴァイパーは狂った様に腹を抱えて笑い始めた。まさかここまで完璧に自分の本性を曝け出せる状況のお膳立てが整うとは想像も出来なかった。

 

もう我慢をする必要は無い。隠れるのも隙を窺うのも、もう終わりだ。

 

目の色を変えるカラーコンタクトレンズを外し、本来の蒼い双眼が姿を見せた。最後にガスマスクを装着し、一歩一歩をしっかりと感じながら屋上から校舎へと続く階段へと向かった。

 

「Alea iacta est. Si vis pacem para bellum」

 

祈る様に何度も呟いた。

 

賽は投げられた、平和を求むなら戦に備えよ




ウルフパックと合流するのはまだ後になります。ご了承下さい。

それでは、感想、評価、お待ちしております。

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