侵略! 軟体動物娘!   作:ナトリウム

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第三話

 

 

 ダゴンは黄昏れていた。 『本日 正午 二次試験スタート』 と書かれている建造物の前で、思う存分に黄昏れていた。

 奇声を発しながら建物の周囲を回り続けているニコル少年の声によってドップラー効果を実感させられる中、ダゴンは一人だけポツンと座っている。拾った枝をくるくる回しながら時計を見上げると、時計の針は10時12分を指している。つまりあと2時間近くあるのに、何もやる事がないのだ。何ともいえない孤独感である。

 

 他の受験生といえば、半分以上はサトツさんが呼び寄せた飛行船に乗って帰ってしまったようで、残り半分は建物の屋根の上に避難しているらしい。チラッと顔を覗かせたサトツさんから、 『12時開始ですので、そこで待っていて下さい! 絶対に上ってこないように!』 という内容の投げ文を頂き、それに従っているのが現状だった。

 正直、この扱いは酷いと思う。そりゃあ善良な少年にちょっとした悪影響を与えてしまったのは事実だけれども、手足と髪の毛の一部が触手なくらいで、他はれっきとした美少女なのだ。人間並みに扱って欲しいというのは贅沢かもしれないが……と考え、道中の事件を思い出して沈黙する。

 

 どうやら自分の声には精神を錯乱させる作用があるらしく、巨大な亀(背中に変な植物が生えていた)にびっくりして悲鳴を上げた瞬間、周囲の動物が一斉に気絶したのである。近くの木に鳥の巣があったらしく、カラフルなインコが大量に落下してきたのは本当に参った。罪悪感がマッハだ。

 それに驚いてもう一度悲鳴を上げたら、その鳥たちが一斉に跳ね回り、直後にインメルマンターンを決めながら森へと消えていったのには、もっと困った。明らかに鳥には不可能な、垂直離陸やら90度直角ターンやら、最新の戦闘機よりも酷い曲劇飛行を行った固体も見ている。驚愕した。

 それ以外には、物凄く凶暴そうなトラが自分を見た瞬間に 「勘弁してくださいよマジで」 と言わんばかりに顔を歪めた挙句に引っくり返って死んだふりを始めた辺り、良く分からない補正を周囲に撒き散らされているのかもしれない。もしかして、これが歩く愉快なクトルゥ属性って奴の影響だろうか? 嬉しすぎて涙が出そうだ。神様とか1000回くらい死ねばいいのに。

 

 

【そういえば、二次試験って料理だったよね? ……迷惑のかからない隅っこで、焚き火の準備でもしてようかな……】

 

 

 ズルズルという足音と共に建物から離れる。ちょっと寂しさで泣きそうになった。

 

 

 

 

 

 天井で伏せている(あるいは疲れ果てて眠っている)150人ほどの志望者たちは、遠ざかっていくダゴンの姿を見て、あるいは人伝に聞いて、胸を撫で下ろす。中には感動のあまり涙を流している者まで居た。よほどダゴンが怖かったらしい、あるいはニコルだったモノが怖かったのか。皆の顔に笑顔が浮かんだ。

 第一試験という苦難を乗り越えて、多くの志望者たちには強い団結力が身についていた。リーダーはジャポン在住で少しはダゴンの姿に耐性があるハンゾーだ。それについて文句を言う者はいない。彼は頼れるリーダーとして諸手を上げて受け入れられていたし、一部孤独を望む者を除いて協力体制を取っていた。

 

 

「この先、受験生同士で戦う試練がきっと来るだろう。その場合のために、彼女への対策を話し合うべきだと思うのだが……」

 

 

 未来を見越した発言を飛ばすのは、その頭脳に保有している大量の知識によりこの集団のブレインとしての立ち位置を確保しているクラピカである。

 普段の彼からすると憔悴しているのがありありと見て取れる様子だが、知的な輝きを持つ眼光は全く衰えていなかった。参謀として収まったのは当然の帰結だろう。

 

 彼の言葉によってダゴンとの戦いを想像したのか、屋根の上の各所から無数の悲鳴が上がる。考えたくも無いらしくブーイングすら飛び交いかねないところだったが、経験豊富なトンパなどから受験者同士での潰し合いは必ずあると聞かされ、悲鳴を上げた者も覚悟を決めて話し合いに臨んだ。

 

 まず明らかになったのは、問題の少女(?)を直視した場合に受ける影響に、かなり大きな個人差があるという事だった。

 スシやサシミと呼ばれるジャポン料理などによりタコやイカへの高い耐性を持つハンゾーならば、触手について多少気持ちが悪いと思うものの、直視できないという事はない。忍者としての厳しい修行の成果もあるのだろう、嫌悪感も最大級の努力を重ねればなんとか我慢できる範疇に抑えられ、人間部分の顔についても判別できた。これが最も軽い症状である。

 

 一方で、大多数の者にとってタコやイカは、はっきり言うと馴染みが薄い。見た事もなければ食べたいとも思わない。そんな物体である。

 その見た目から俗にデビルフィッシュなどとも呼ばれるほどで、食卓に上がる事は極めて稀だ。中には写真ですら見た事がない者も少なからず居た。当然ながら彼らのタコやイカなどへの耐性はゼロであり、直視はおろか視界に入れる事すら耐えがたいという。

 耐性がない者が彼女から受ける印象を言葉で表すとすれば、全身に蓮のコラージュ(検索注意)を施された人型の物体かつ、その穴の中でカラフルな芋虫が蠕動しているのを見るのが近いらしい。素晴らしく地獄過ぎる。想像もしたくないような姿ではないか。その辺の魔獣の方がよほど可愛かった。

 

 いかにハンター志望者として厳しい訓練を積んで来た者たちであっても、そんな物を直視しながらの戦闘は無理だ。中にはハンゾーから寿司の説明を聞いて、ダゴンの触手で寿司を作るのを想像してしまったのか、顔を真っ青にして胃の内容物を逆流させてしまう者まで出てきた。

 まず対面するだけでもこれだけのハードルがあるのだから、戦って勝つという線はどう考えても見込みが薄い。そう言わざるお得なかった。

 

 

「皆! 見てくれ! ニコルが正気に戻ったらしい!」

 

 

 ニコルへライフルの照準を向けていた女性の声により、受験生たちは一斉に下を覗き込む。

 そこには全身疲労でフラフラになりながらも、瞳に理性の色を戻した少年の姿があった。

 

 すぐさまハンゾー率いる戦闘力の高いメンバーが彼とコンタクトを取り、どうやら疲労以外は怪我もない事を突き止める。

 ニコルは何故ここに立っているのかも分からない様子で、どうやら暴走中の事は何も覚えていないようだった。これは朗報だろう。忘れてしまった方が良い記憶は確実に存在する。今回の件がそれに分類される事は間違いない。時間が経てばあの状態から復帰可能だと判断され、ハンター志望者たちの間に笑顔が戻る。

 正午を迎えてもニコルが正気に戻らず、こちらに攻撃を仕掛けてくるような事があれば、プロのスナイパーであるスパーが狙撃する予定になっていたのだ。そういう意味でもいいニュースだった。

 

 その後の話し合いの結果として、ダゴンについてはともかく刺激しない事、もし襲われれば一目散に逃げる事が決定された。

 これは試験開始前、待機中の彼女が比較的大人しかった事と、マラソンのお陰で平地での移動速度は決して高くないとの判断が可能だった事に起因している。

 

 グループは二次試験開始までに少しでも体力を回復させるため、交代で仮眠を取った。

 

 

 

 

 

 

 次の被害者……もとい、試験官を務めるのは、美食ハンターであるメンチである。彼女は数分後に襲い来る惨劇を知る由もなく、箸と醤油を用意した机を前にして、貧乏ゆすりを繰り返している。今は特徴的な髪型を揺らしていた。

 若くしてシングルハンターである彼女は気難しい性格をしているが、この時ばかりは余計に苛立っていた。短気な彼女であるから怒っていると言い換えてもいいだろう。不機嫌である事には変わりない。

 

 彼女を苛立たせている原因といえば、それは単純だ。見通しの甘い自分に腹を立てていた。

 二次試験の前半であるブハラのメニューにて、異常なまでの団結力を見せた受験者たちがほぼ全員合格してしまった事が、まず一つ。

 

 美食ハンターの試験とはいえ、豚の丸焼きを作る腕を試すものではない。一定時間内にグレイトストンプを倒して調理し、500キロを軽く超える巨体をブハラのもとまで運ぶのがこの試験の内容だ。頭部を強打すれば簡単に倒せる食材であるとはいえ、判断力や度胸が問われる。それを試すものである。

 見た目で言えば単なる大食いにしか見えないブハラであっても、コップ一杯の水に溶かされた一欠けらの塩の産地を判別できる舌を持っている。だから火加減などを言い始めたらきりがないし、細かい味を審査するものではないというのもわかっているが、それでも己の味覚を蔑ろにしているようで、メンチは彼の態度が気に入らなかった。

 

 ブハラは予想外に集まった豚の丸焼きを、その場で食べきれない分までオヤツとして確保すると言い、予想外の数の受験生を合格にしてしまったのである。

 メンチだってハンターが皆料理に精通しているとは思わないし、その行動が素早く狩を終えても料理で手間取った者への救済措置である事は理解していた。だが理解できるのと納得できるのは別だ。美食ハンターたるもの、自分の胃には正直にあるべきだと思っている。温め直した料理なんて言語道断だ。

 

 そしてもう一つが、自分ですら料理人になってから初めて知ったメニューである 『寿司』 が、いとも容易く看破されている事だった。

 この怒りが今現在彼女を不機嫌にさせている最大の原因であり、同時に美食ハンターとしてのプライドを傷つけている。

 

 ジャポン出身の志望者が居ることくらいは想定の範囲内だったが、ハンター試験は他者を蹴落として自分のみが勝ち上がるための場と言っていい。だから一人二人混じっていたところで、たいした影響は出ないと高を括っていたのに、既に30人以上の合格者が出てしまっている。非常に気に入らなかった。

 出てくるネタにしても雑というか手抜きというか、知識として知っていたからこそ形だけは真似られるというレベルの物ばかり。ただ長方形に固めた酢飯の上へ、適当に確保してきたネタを乗せただけという、非常に幼稚なものしか出てこないのだ。なんだこれは。そこらの子供だってもう少しマシな物を作るだろう。非常に面白くなかった。

 

 

「ったくー! どいつもこいつも、無難な物ばかり持ってきて……。私はゲテモノを食いに来たのよ!? つまんないわねー!」

 

 

 新たに提出されたスシを口に入れると、握りが遅いのか全体が生温く不快である。それでも寿司と分類するには最低限の(本当に最低でしかないが)要素はクリアしているため、合格判定を出すしかない。

 喜ぶ受講者を前に、メンチは苛立ちを隠さぬまま、空になった皿を机に叩き付けた。口直しの生姜を放り込み、ギリギリと奥歯を噛み締める。

 

 料理としては失格だ。料理と名前をつける事すら否定するだろう。

 だがメンチはプロのハンターであり、その自分が 「スシはスシでも握り寿司しか認めない」 としか言っていないのだから、不味さを理由に否定する事はできないのである。これは単純にプライドの問題だった。試験をあっさりパスされそうになったからといって、無暗矢鱈と不合格判定を出すのは美学に反していた。

 

 寿司を試験内容に選んだのは他ならぬ自分であり、それを作るのには高い技術が必要で、素人が作ったのでは紛い物にしかならない事を理解していた。だから美食ハンター志望者とか、鋭い観察眼で寿司を推測できた奴だけは、多少不味い物を持ってきたって合格にしようと思っていたのだ。

 料理は奥が深い。例え知識だけの者が多少現れようと、どうせ次の試験で落ちるだろう。だから新しい味に出会う喜びを知っている者が合格してくれればいい。

 だというのに、この愚かしく愚図で間抜けなメンチは、その程度の関門で愚者をふるいにかけられると思っていた。馬鹿だった。悪いのは寿司の知名度の低さに胡坐をかいていた自分の方なのである。迂闊だった。

 

 もし何らかの理由が、例えば自分の目の前で試験内容が暴露されるような事があれば、即座に味での判別に切り替えていただろう。材料に魚を使うという事が広まっただけでも切り替えていたかもしれない。

 だが最初に持ってきた奴の不味い寿司を、知識の流出を避けるため仕方が無かったとはいえ、安易に合格判定を出してしまった。その時点で味での評価という線は完全に消えた。

 

 不味いとか形が悪いとかの不満を言い出す事は容易いが、一度決めてしまった合格基準を覆したのでは、いかにも公平性に欠ける。それは許されない。

 合格にした最初の一人に金を貰っていたのではないか、将来的に自分の部下にする予定だったのではないか、意図的に合格者を出さないために動いたのではないか、ハンター協会に不利益を与えるために問題行動を起こしたのではないか。そんな風に受け取られかねないのである。

 ハンター協会にしても一枚岩ではないのだ。若干21歳でシングルハンターとなったメンチの功績を妬む者も居るし、派閥争いに勤しむしか脳のないクズだって居る。試験官にしても遊びでやっている訳ではなく、相応の責任が圧し掛かっているのだから、ヘタな事は出来なかった。

 

 

「あー、もう! ヒャクメドジョウは、一度真水で茹でてから丹念に塩を揉みこんだ後じゃないと、綺麗に皮を剥げないのに……! 悔しいけど、合格よ!」

 

 

 所々に皮がへばり付いているソレ――これをスシだと言いたくない――をお茶で飲み下すと、荒々しく合格を宣言する。

 美味しい料理なら幾らでも食べられるが、こんな不味い物では満腹になるのも早い。メンチは早くも胃が重くなってくるのを感じていた。

 もうこれ以上、下らない物を食べ続ける気にはならない。40人以上も合格者を出してやったし、もう十分だろう。次あたりで打ち切ってやろうと考え……。

 

 

【Ü‚·Bå—・åŒ ç“Í‚¢‚½–ã 'u,7甫 s‚オ\u,7! (えっと、よろしくお願いします!)】

 

 

 解読不能の言語と共に差し出されたネタを見て、SAN値が激減していくのを感じた。

 魚介類が魚介類を調理するのはありなのだろうか。いかに美食ハンターをやっているとはいえ、共食いは禁断の領域である。

 

 ――なんなの? いつからハンター試験は軟体動物も受けられるようになったの? 書類を認可した奴、後で殺す。

 

 顔を上げて少女の顔を覗き込むと、耳障りなノイズを含んだ声が自分の脳髄を侵し犯し蹂躙し、夢と現が混ざり合っていくように感じた。今までに食べてきた魚介類が海の底から湧き出して自分を引きずり込もうとしているのではないか、そんな荒唐無稽な錯覚に捕らわれそうになる。

 いや、錯覚ではないのかもしれない。少女の青い瞳を覗き込む。何かが見えた。何かが。何かが、何者かが。何者かがやってくる。人知の及ばぬ深海から深遠から深層から、何者かが何者かが何者かが何者かが何者かが何者かが。海の海の海海ののno海ううみuみうみういみののこそこskそあかあkらkらkrk

 

 

「……ったあ!!!! ふ、ふふふふ……。や、やるわね、魚介類……。その挑戦、受けて立とうじゃないの!」

 

 

 間一髪のところで正気判定に成功し、メンチは自我を取り戻す事に成功した。荒い呼吸を繰り返し、こみ上げる吐き気を押さえ込んだ。

 僅かに傷む頭に眉を顰め、己の横っ面を思い切り引っ叩く。広い室内に破裂音が響き渡るほどの勢いだった。後ろのブハラが困惑した表情を浮かべているのが見える。一瞬だけ彼は大丈夫なのかと驚愕の念を抱いたが、その表情が引き攣っているのを見て理解した。彼もまた恐怖を抱いているようだ。

 脳が揺れたために意識が飛びそうになるも、赤く腫れ上がった頬がギリギリの所で正気を取り戻す手伝いをしてくれるだろう。踏み込んではいけない領域に突入しかけた魂を引っ張り上げ、頭の奥に自意識をガッチリと固定すると、今度は彼女の顔をしっかりと眺めてやった。

 

 彼女にしても抵抗されるのは予想外であったらしく、驚いたような表情が心地よい。偉そうに腕を組み、見下すように胸を張って見返してやる。

 こうやって向かい合っているだけでも物凄い労力がいるのだが、目を逸らしたら負けのような気がした。なにせ相手は軟体動物であり、メンチは美食ハンターである。タコやイカなんて何百と食材にしてやった。つまり自分こそが捕食者であり、捕食者は食料に負けたりしないのだ。

 自分が食う前に相手に食われるのは、美食ハンターとして最も恥ずべき行為とされていた。シングルハンターは負けないのである。

 

 ――化け物かと思ったけど、よく見れば可愛いじゃない。

 

 じっくり観察してみれば、人間部分は愛くるしいとすら思えるような女の子ではないか。付属する触手が大きいのでそうは見えないが、人間の手足をつければ小学校高学年くらいのサイズになるだろう。胸元につけられているナンバープレートが大きく感じられた。

 金属質なスカートのお陰でどの部分から触手なのか分かりにくかったが、大まかに考えると腰から下が太い触手の束になっているらしく、そのお陰で直立した自分と目線の高さが揃うらしい。

 此方をじっと見詰める一対の瞳は吸い込まれそうな深みがあり、果てしなく澄んだ海と、死臭漂うヘドロの沼という、両極端とも言える印象を混沌としたバランスで両立していた。瞳の中に小宇宙が渦巻いているのが見える。長く注目していると危険だと本能が告げた。固定したばかりの意識が再び揺らいでいるのを自覚し、メンチは少女から視線を逸らした。

 

 

「ふぅん。見た目に反して、最低限の心得だけは、あるようね」

 

 

 その代わりに寿司が乗っている皿を見てみれば、予想に反してまずまずの出来である。奇妙な怪物の割にはまともだ。少しだけ評価を改めた。

 今までの候補者たちはシャリの一つ取っても適当で、ただ適当な大きさにレンガのごとく固めているだけだったが、これは下手糞ながらも地紙型を作ろうと努力した形跡が見られる。限られた時間をこういう場所に使えるなんて、心憎い演出ではないか。ただ合格するために取って付けたのでは、こうは行かない。

 続いてナンバープレートから作業場の位置を割り出してみると、まな板の上には複数の魚を捌いた形跡があった。トゲアンコウモドキやハリニセハゼ、カワアシネズミなどなど。決して寿司ネタには向いていない魚ばかりだが、きちんと自分で試食し、その上で美味しいと判断した物をもってきたらしい。ますます高評価だ。

 

 これぞ”料理”である。自分が味見すらしないで他人に食わせようなどと、その発想がまず失格、言語道断なのだ。

 もっと早く持って来てくれたら、評価基準を厳密なものに書き換える事も出来ただろうに。これを見ずに合格者を出してしまった事を後悔した。

 

 

「技術は未熟以前だけど、料理人としての心構えが出来てるじゃないの! ……既に合格者は居るけれど、自分の料理を味見してから出した殊勝な奴が、何人居るかしら? 今からでも不合格にしてやりたいくらいね」

 

 

 合格した事に調子付いて、好き勝手に談笑を交わしている者たちへと釘を刺す。彼らはメンチの言葉を聞き、反論できず唇を尖らせて押し黙った。

 やはり適当に作った奴が大半だったようだ。彼らが気まずげに顔を歪めるのを見て、メンチの心も幾らか晴れる。

 

 

「さて、それじゃ、審査に戻るわよ」

 

 

 満足して作品へと視線を戻すと、まずは目で楽しむ。小皿の上に乗せられたそれをじっくりと見つめた。

 シャリもネタも真っ白で、欲を言えば何らかの彩を添えて欲しかった。とはいえ素人には無茶な注文だろう。包丁の扱いが下手糞で全体的に不恰好だが、頑張って形を整えようとした努力は見て取れる。きちんと骨のない場所を使っているし、料理の経験はあるらしい。

 この試験は料理の腕を試すものではなく、与えられた任務を消化できるか否か、あるいは消化しようと努力できるか否かが焦点になる。いわばハンターとしての心構えを料理という形で問うものであり、彼女の場合は十分に許容範囲と言えるだろう。

 

 ブハラのような試験にしなかったのは、単純に未知の魚を食べたかったからだ。

 メンチでさえ全ての食材を把握しているわけではないし、このビスカ国立公園には未知の魚も数多く存在している。特殊な生態系をもつためにハンター試験でもなければ立ち入りが難しい地域であるから、こういう物を求めて試験管として志願したのである。

 

 果たしてどんな味がするのか。口に入れた時のお楽しみだ。改めて観察してみる。

 捌いたばかりだけにネタは実に新鮮で、箸が触れた瞬間にビクッと動くほどの生きの良さで。なんとも生命力に溢れたネタではないか。

 しかもよく見てみると、寿司ネタ全体がチェレンコフ光のような青白い光に包まれていて、実にビューティフォー。全く新しい寿司である。

 

 では、早速醤油を付けて……。と思ったが、その途中でただならぬ違和感を覚えた。

 

 ――ん? いや、いやいやいや、ちょっと待て。何で寿司が動くの? しかも、この光、明らかにヤバくない?

 

 一瞬の間を置いてその事実に気付き、今や寿司の最先端を核融合エンジンでカッ飛んでいるソレを掴んだまま、言い知れぬ怖気に全身を硬直させた。

 何がと言わず全てがおかしい。魚の中には発光器官を持つ者も少なからず居るし、バクテリアなどの効果で発光し鬼火などと間違われるケースもあるが、箸から逃げだそうと痙攣する寿司なんて聞いた事もない。料理人としての本能が「嘘だといってよバーニィ」状態である。見間違いだと信じたかった。

 

 ツン ツン ツン

 

 ビクンッ ビクンッ ビクンッ

 

 皿の上に戻し、軽く箸でつついてみると、店のおじさんと喧嘩して海に飛び込みかねない勢いで反応している。凄まじい生きの良さだ。

 いやコレを生きの良さとかそういう分類に押し込んではダメだろうが、ともかく。鮮度だけは抜群のようである。

 また、これだけ激しく動いてもネタとシャリが剥離しないのは凄い。すごい一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を! でも風が吹きすぎて飛ばされそうだよ。突風だの台風通り越して、全てを破壊する竜巻レベルじゃないのコレ。マジキチ。

 自ら醤油に飛び込んで食えとアピールする寿司なんて、私知らない。知りたくもない。お願いだから店のおじさんの事は忘れてそのまま海の中で平穏に過ごして欲しい。いじめっ子のサメは私が倒すから。貴方は二度と地上に出てこないで。

 

 

「流石に美食ハンターでもアレは……」

「いや、猛毒のキノコを常食して無毒化の方法を発見し、新しい珍味に加えた者も居るというぞ?」

「マジか! 美食ハンターすげえ……」

「しかも彼女はシングル<一つ星>ハンターだからな……。アレも食うのかもしれない」

「美食ハンターたるもの、常に新しい味への挑戦は欠かさないというからな……」

 

 

 試食を拒否しようとした瞬間に、受験生から一斉に尊敬の眼差しを集めてしまった。何の嫌がらせだよこれ。今更止めるとか言えないんですけど。

 自ら動き回る物体X(これをスシと呼びたくない)を見たブハラが、背後で 「吐きそう……」 と呻いているのが聞こえた。自分の方が泣きたいくらいだ。

 

 メンチは己が我が強い性格をしている事と、自尊心が強い事を自覚している。そんな自分が大声でゲテモノを寄越せと叫んでしまったのだから、全米が号泣のあまり脱水症状で死ぬような超大型のゲテモノが上陸してきたとしても、撤回してしまったら負けなのだ。

 努めて物体Xの方を見ないようにしながら、大きく14回ほど深呼吸。酸素過剰で頭が痛くなってきた。もう深呼吸できないので、物凄くとっても非常に嫌々ながら仕方なく覚悟を決める。

 

 ――何で? 何で、寿司が寿司を食べてるの? 馬鹿なの? 死ぬの? 私これ食べるの? 死ぬよ?

 

 その直後、折角固めた覚悟がミクロン単位で粉砕されるのを感じた。

 もうダメ、ダメだ。お終いだ。勝てるわけが無い! 美食ハンターとして感じた事の無い挫折が目の前に迫っている。

 

 醤油皿から移動した寿司が、不合格として机の上に放置されていた物に接近し、同化するようにして捕食しているのを見てしまった。白かった表面には赤や青のマーブル模様が浮き出ており、ネタの表面からタコの物と思われる触手が発生していた。うにょうにょ触手を伸ばして元気に他の寿司を貪っている。

 産地直送ならぬSAN値直葬なネタじゃないか。美味しいと聞けば芋虫の幼虫すら躊躇なく踊り食いできる自分が、まさか死んでも食べたくないと断言させられるようなモノが存在するとは思わなかった。これを食べるくらいならジャイアニズムの提唱者が作るシチューの方が万倍もマシだと思う。

 

 この殺気、尋常の物ではござらん……!

 

 もう全員合格でいいからこの寿司を食べないっていう選択肢を選びたい。食べたら人としての人生が終わる気がする。それかこのふざけた幻想をぶち壊せるような少年が来ればいいなあと思う。私の常識はもう限界です。旅に出ますから探さないで下さい。

 

 

【ァ)・ス繝K8・禄Mセ楳・€Aw(ンrァタu3U害<Qァ(ス・r・rW p;、(本当にごめんなさい。私、不合格でいいです……)】

 

 

 折れかけた心に全力でキンニクバスターを決めたのは、相変わらず無自覚に場を引っ掻き回してしまう幼女、我らのアイドルダゴンちゃんである。自分の声にルナティックな作用がある事をすっかり忘れていた。

 直後に素敵な付属効果を思い出した時には手遅れで、彼女の言葉はいい感じにSAN値が減っていたメンチちゃん(21)のピュアハートをブロークンし、カオスとパニックと外宇宙的な何かを沿えてミキサーに突っ込み、とりあえず部分的には原作通り……だと思うテンプレに流し込んで焼き上げたのだ。ああ、窓に! 窓に!

 

 

「……あれ? このスシ、もしかしたら物凄く美味しいんじゃないの? 見れば見るほどとってもキュート……」

 

 

 メンチの目から光が失われ、掌の上に乗せた物体Xに向けてピンク色の言葉を吐き出す。俗に言うレイプ眼だ。会場にいる全員の背筋が凍った。

 物体Xはメンチの掌の上で更なる進化を遂げ、吸収した複数のスシネタから得た外見的特長を発揮している。具体的には真っ黒のボディから2本の角と6本の触手が生え、冷たい青色の光を放ちながらギェーギェーと異音を発していた。どう見ても食べ物には見えない。百歩譲ってもクリーチャーはクリーチャーである。どこぞ平行世界に存在するパンデモニウムさんの方がまだマシに思えるレベルだ。

 

 そんなB級パニックホラーに出てきそうな物体に向かって、美味しそうだのキュートだのと愛を囁き続けるメンチさん(21)。彼女は今人生の岐路に立っているといっても過言ではないだろう。

 彼女の目の焦点は完璧に合っておらず、今にも口に入れてしまいそうである。入れたが最後、外宇宙的な何かで大変な事になりそうだった。

 

 

「これが美食ハンターか……」

「なんていう悪食だ! 俺には絶対に真似できないぜ」

「二度とスシを食えなくなってもいい!! それ程の決意と覚悟でなければ不可能!!」

「どれほどの代償を払えば、あれだけの感性を……!!」

 

 

 悪夢のような光景に受験生たちが騒ぎ始める。その光景のおぞましさに耐え切れなかったのか、ピエロ風のメイクをした男がカールルイスも真っ青な速度でトイレに駆け込んだ。その後ろにカタカタとしか喋らない針山さんも続く。

 どうやらタコやイカが嫌いなのに、自分がアレを食べる瞬間を想像してしまったらしい。既に会場には耐性の低い者の胃から逆流して来たゲップーの群れが各所で発生しており、酸っぱい匂いが充満し始めていた。もはや誰も料理をしていない。というかこんな状況で料理なんてできない。

 運悪くメンチの真後ろにポジショニングしてしまったブハラなど、自分のパートナーが7本の触手を生やした物体Xとチュッチュしているのを特等席で観察してしまい、第一宇宙速度より早く現実逃避に走っている。白目を剥きながらあらぬ方向に向けて首を曲げ、捕まえてごらんアハハウフフ状態だった。

 

 

「よし、いただきまーす!」

 

 

 メンチの白い歯がクリーチャーの表面に食い込む。

 水を打ったように静まり返った会場には、恐ろしく粘着質な グ チ ャ ァ ァ という咀嚼音が響いた。そして30人が吐いた。ブハラは飛びすぎてシャングリラに衝突した。

 

 試験会場というより生物兵器の実験場のような様相を呈している会場で、メンチは咀嚼を続ける。誰もが奇跡を願って見つめた。

 だが、ひと噛みする度に口の端から触手をうねらせつつ重度のトリップを決めている元試験官の姿を見て、パンドラの箱には絶望しか入っていないのだと知る。

 

 

「お、美味しいじゃないの! この歯が腐り落チそUな食感! 脳髄wo蹂躙スる刺激臭! と、ととととってもmっててててえてててえっててててててててってtetetete……」

 

 

 奇怪な言葉を叫ぶメンチ。その様子は正にアルマゲドン。この世の終わりがそこにあった。

 口からは大小様々な触手を噴出し、四肢を異常に痙攣させながら迫り来る新たなクリーチャー。良い子も悪い子もトラウマは確実である。

 

 ここに居ては不味い。会場の誰もがそう思った。

 それはトイレから飛び出した、今現在ズボンのベルトを直している最中のピエロと、半分ぐらい針を抜いた状態で逃げ出してきたので顔面がカオスになっている暗殺一家の人も同じで、戦闘能力に優れる彼らは状況を認識すると同時に壁をぶち抜いて逃げ出す。

 また楽しい楽しい追いかけっこが開催されるのだ。嬉しくて嬉しくて号泣する参加者も多数おり、特にダンディなお髭が鼻水でテカテカしているサトツさんなど、専用の通信機に向かって「バイオハザードだ! 審判の日が来たんだ! ゾルディックに依頼しろ!」と必死の形相で応援を送っていた。

 

 

 そしてダゴンちゃんは、皆が逃げ去った建物の片隅で、一人寂しく体育座りをしていた。

 


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