おまけの後日談でもあるエクストラ・エピソードもこれで三本目ですね。投稿日時でおわかりのように今回はバレンタインがテーマです。
実は正直なところを言うと、他の季節イベントは考えていたんですがバレンタインのネタは考えていませんでした。
しかし、ご感想でバレンタインに触れられているものがあったので、せっかくだから書いてみようと考えて完成したのが本作品です。
そういう経緯で作った本作品なので、いつもとは少し毛色が違う形になっています。どう違うのか、そして今回の主役は誰なのかは本文を読んでご確認ください。
では、どうぞ。
幾多の艱難辛苦を乗り越え、ノーマは勝利と自由を手にした。そしてその側には、彼女たちをいつも支え、導き、救ってきた一人の男の姿があった。
その男…皮肉な運命に弄ばれたシュバルツ=ブルーダーはこの世界で彼女たちと共に歩むことを選んだ。
だがそれは、シュバルツを巡っての女の戦いが始まるということに他ならなかった。シュバルツに想いを寄せる女性陣のアピール、そしてその純粋で真っ直ぐな想いをぶつけられ、シュバルツは大いに悩むことになる。
これはその最中のある一つの風景。そして、いずれ辿ることになるかもしれない一つの未来のお話。
年が明けて少し経ったある日。自宅にいるキョウジの許にとある来客が尋ねてきていた。
「よし!」
準備万端、気合十分といった様子で来客が軽くパンと自分の頬を叩く。そして、キョウジに振り返った。
「よろしく頼むぜ、先生!」
「ああ。わかった」
場所はキッチン。装備はエプロン。そして指導を仰ぐ来客の生徒はロザリーであった。
(気合十分だな)
やる気満々のロザリーに内心で苦笑しながら、キョウジはこうなった経緯を思い出していた。
年が明けて数日後。新年の雰囲気もまだ抜けきっていないような中、キョウジは早速研究に取り掛かっていた。例によって元アルゼナル組やドラゴン連中の少なからぬ面々から温泉やらウインタースポーツやらのお誘いがあったのだが、丁重に断って研究に復帰したのである。
(三が日休めば十分だしな)
それに、早く完成させるに越したことはない。そう考えてキョウジは研究に取り組んでいた。いつもなら誰かしらがいて研究室らしからぬ賑やかさをしているこの場所も、先ほど挙げた温泉やらウインタースポーツやらで出掛けていて、この場にそぐわぬ静寂が支配していた。
その静寂の中、いつもよりも研究の進み具合が捗り、キョウジはとても満足していた。
「ふぅ…」
本日の研究開始からしばらく時間が経ち、区切りの良いところになったので一段落つけるようになった。
「お茶でも淹れるか」
椅子から立ち上がると、お湯を沸かしてお茶を淹れる。飲み物としては、コーヒー、紅茶、日本茶など、結構なバリエーションがあるのだが、今日は気分で日本茶にした。
急須から湯呑に茶を注ぎ、一息ついてまったりとした時間を過ごす。不思議なもので、いつもなら賑やかなこの空間が来客がないためにとても静かで、そのためにいつもより研究が捗っているのだが、それと同時にこの静寂が何とも物足りなく感じてしまっていた。
(度し難いな、我ながら…)
自分の心境に苦笑しながらも引き続きゆっくりと一服を楽しむ。と、
「あのよ、いるか?」
不意に研究室のドアが開き、静寂が破られた。
「ん?」
誰も来ないと思っていたために不意を突かれたが、すぐに落ち着いて視線を向けると、そこにいたのはロザリーだった。
(ほぉ…)
予想外の珍しい来客だなと思ったキョウジが、湯呑を脇に置いて立ち上がった。
「お前か、ロザリー。珍しいな」
「ん、ああ…」
キョウジがいたことに安心したようだがそれも一瞬、すぐにきまり悪そうな表情になってポリポリと後頭部を掻いた。
(?)
どうしたのだろうと思ったが、用があるから来たのだからそのうち言うだろうと考え直し、席を勧めることにした。
「取りあえず、座ったらどうだ」
「あ、ああ。悪ぃな」
「いや」
それだけ伝えるとキョウジは奥へ引っ込み、湯呑をもう一つとお茶請けのお菓子を持ってきた。そして、先ほどの自分と同じようにそれにお茶を淹れると、ロザリーにお菓子と共に勧めたのだった。
「まあ、少しゆっくりしたらどうだ」
「あー、うん、そうだな…」
湯呑を手に取りお茶を飲み、お茶請けのお菓子を食べながら、キョウジとロザリーの一服は穏やかに過ぎて行った。
「御馳走さん」
お茶とお菓子がほぼ空になり、ロザリーが湯呑をキョウジに返した。
「ああ」
キョウジはそれを受け取ると、奥へ引っ込む。そして軽く処理をした後戻ってきた。
「それで?」
椅子に着席して早々、キョウジがロザリーに尋ねる。
「え?」
ロザリーが首を傾げた。
「何か用事があるのだろう?」
「あ、ああ」
キョウジにそう言われ、ロザリーがポンと手を打った。
「そうだったぜ」
「忘れていたのか?」
「うっ…」
冷静に指摘され、ロザリーが言葉に詰まる。
「だ、だってよぉ…」
バツの悪そうな表情になってロザリーが恨めし気にキョウジを見上げた。そんなロザリーに、キョウジがフッと柔らかく微笑む。
「仕方のない奴だな」
「う、うるせーな。いいだろ、そのことはもう」
「確かにな。では改めて聞くが、何かあったのか?」
「ああ」
ロザリーは気持ちを落ち着かせるためだろうかコホンと軽く咳払いをする。そして、
「あんたに頼みがあるんだ」
と、ここに来た理由を端的に述べたのだった。
「頼み?」
キョウジが首を捻る。
「ああ」
「珍しいな。お前が私に頼みとは」
「まあな。実際、あんたじゃなきゃダメだってわけじゃないんだけど、他の連中はどうも信用できなくてよ」
「そんなことはないだろう?」
キョウジが驚いたように口を開いた。あの戦いを乗り越えた仲間が信頼できないとは到底思えないからだ。
「あ、か、勘違いすんなよ!」
そうキョウジが考えていることがわかったからか、ロザリーが慌ててブンブンと首を振った。
「ん?」
「皆、心底信頼できる奴さ。でも、口が堅いかといえば怪しい連中が多いからな」
「成る程、そういう意味か」
そこでようやくキョウジが納得した。ロザリーの頼み事というのは秘密厳守が前提ということらしい。それを考慮に入れた時、一番信用できるのがキョウジだということになったのだろう。
「わかった。他言無用ということだな」
「ああ。すまねえな、あんたならそう言ってくれると思ったよ」
キョウジの返答を聞き、へへへとロザリーが鼻の頭を擦りながら笑った。
「では改めて、何の用だ」
「ああ。実はあたしに料理を教えてほしいんだ」
「ほぉ」
ロザリーの明かした頼みに、意外半分拍子抜け半分といった心情でキョウジが答える。
「構わんが…それは別に周りに知られてもいいのではないか?」
ロザリーからの頼みに率直に感じた感想をキョウジが伝えた。が、
「いや、それはそうなんだけどよ。そうじゃないんだよな」
「? 益々わからん」
「だからさ…」
ロザリーが説明した詳細に今度こそキョウジは納得し、その機会は後日に設けられることになったのだった。
「では、始めるか」
「おう!」
「材料は用意してきたのだろうな?」
「ああ。言われた通り、必要な物は揃えてきたぜ」
「結構。ではまずは、このボウルにメインの食材を砕いて投入してくれ」
「オッケー」
キョウジの指示通り、ロザリーは自分の用意したメイン食材を砕いてそのボウルに入れていく。その間、キョウジは脇でお湯を温めていた。
「しかし、料理を教えてくれといった時、周りに知られてもいいが知られたくないというのはどういうことかと思ったが、こういうことだったとはな」
ロザリーの進捗状況を確認しながらキョウジがその時のことを思い出していた。
「まあ、こういうことなら納得もできる」
「へへ、だろ?」
得意げにニカッと微笑みながらロザリーがメイン食材であるチョコレートを引き続き砕いていた。そう、ロザリーはチョコを作っているのである。そしてこれが、知られてもいいが知られたくないという理由だった。
「クリスに喜んでほしいんだよ…」
真剣な表情で作業に打ち込むロザリー。エンブリヲとの戦いの際、ロザリーとクリスは和解して真の友達となった。しかしそれでも、ロザリーは時々クリスに壁を感じていた。
エンブリヲとの戦いでロザリーたちと敵対したことがどうしても心に引っかかっているのだろう。クリスがそう考えているかどうかはわからないが、ロザリーはそう判断した。そこで、本当に仲直りするためにロザリーが考えたのが、バレンタインにチョコを作って渡すというものだった。しかし、そういった経緯で渡すチョコのため、出来合いの物を渡したくはなかった。不格好でも、自分で作ってクリスに渡したかったのだ。だが残念なことに、自分の料理の腕前はとてもそんなことができるものではない。そのため、誰かに教えを乞うしかなかった。そうして白羽の矢が立ったのがキョウジなのである。
「しかし、助かるぜ。何せ、料理の腕があって口が堅いのはあんたぐらいなもんだからな」
砕いたチョコをボウルに入れながら、ロザリーがそんなことを言った。
「そうか? エルシャ辺りなら、十分資格があるかと思うが」
「ダメダメ。エルシャはともかく、ガキどもがいるだろ? そこから絶対に漏れる」
「成る程な」
確かにそうかもしれんなと思い、キョウジは適温にしたお湯をロザリーがチョコを砕いて入れているボウルより少し大きめのボウルになみなみと注いだ。それとほぼ時を同じくして、ロザリーもチョコを砕き終える。
「できたぜ」
「ん」
差し出されたボウルを受け取ると、キョウジはそれを先ほどお湯を注いだボウルの中に入れた。
「ところで、これは何なんだよ?」
ロザリーがキョウジの手元をひょいと覗き込みながら尋ねた。
「これは湯せんと言ってな。チョコレートを溶かす方法の一つだ」
そう言って、キョウジはゴムベラでチョコを万遍なく混ぜながら現在の作業…湯せんについて説明した。
「手作りのチョコを作るときに、恐らくだが一番スタンダードな方法は、既存のチョコレートを溶かして自分の好きな型に流し込み、それを冷やして固めるのが一般的な方法だ。そうすれば、好きな形のチョコレートを作ることができる。後はそれにデコレートすれば、簡単だが手作りのチョコが出来上がる」
「へぇ…」
感心したようにロザリーが呟いた。その様子を見るに、本当にこういう知識はないのだろう。加えて、チョコに関してはずっと出来合いの物ばかり食べていたのだろう。必要のない知識ならば知らなくても仕方ないことである。
「少々面倒だが、こうするしかないからな。鍋に水を張ってそこに投げ込んで煮るわけにも、フライパンで熱するわけにもいかん。と…」
そうこうしているうちに、混ぜていたチョコが十分に溶けてペースト状になった。そこでキョウジは湯せんしたボウルを取り出すと、お湯が滴り落ちないように水分を軽く布巾で拭き取った。
「よし。ここにホイップクリームを入れて、念入りに万遍なく混ぜてくれ」
「わかったぜ」
ロザリーがキョウジに指示された量のホイップクリームをボウルに入れると、ゴムベラをキョウジから受け取って言われたように念入りに万遍なく混ぜ始めた。中々骨の折れる作業だったが、それでも努力の甲斐あって艶のある生チョコが完成する。
「型を」
「ああ」
ロザリーが手を止めて用意していた型を取り出す。
「よし、そのまま型に流し込め」
「え? あ、あたしが!?」
己を指さし、ロザリーは大仰に驚いた。
「当然だろう」
「い、いや、だって…」
確かにキョウジの言った通り当然なのだが、何故かロザリーは及び腰だった。
「何か引っかかることでもあるのか?」
予想外の態度に、キョウジが心底不思議そうにロザリーに尋ねた。
「いや…あたしがやって失敗したらと思うと、どうしても腰が引けてよ。できるんなら、あんたにやってほしいかなー…って」
愛想笑いで誤魔化そうとするロザリーだったが、キョウジはそれを認めなかった。
「断る」
そして言葉を続ける。
「私はあくまで指南役だ。サポートはするが、メインはしない。どうしてもやりたくないのなら、荷物をまとめて帰れ」
「あー…」
やっぱりそうだよなぁといった感じでロザリーが言葉を詰まらせた。
「わかった。悪かったよ」
ロザリーがボウルを手に取る。
「ただ、あたしは不器用だからな。仕上がりがガッタガタになるだろうから、どうしてもよ…」
「それはそれで味というものだろう? 綺麗な仕上がりの物が良ければ、それこそ既製品を用意すればいいだけのこと。だが、クリスを喜ばせるためにそうはしたくないのだろう?」
「ああ」
「ならば尚更、お前がやるべきだ」
「ん」
ロザリーがボウルを持ったまま、キョウジを見て軽くコクンと頷いた。
「その代わり、ヤバそうだったらすぐに言ってくれよな」
「わかった」
「よっし! そんじゃやるか」
覚悟を決めたのか、ロザリーがボウルを斜めにし始めた。が、いかんせんなれないことだからだろうか、小刻みに震えている上に斜めにする速度も非常に遅い。そんな、料理上手な人が見たらイライラしかねない光景だったが、キョウジは口を挟むことなくその工程をジッと見ていた。と、ようやく型にチョコが流れ始める。
「うわっ!」
型に流れ込んだチョコはごく少量だったが、それでも慣れないことだけにロザリーがテンパる。その影響か、チョコを流し込む位置がズレまくり、平面には程遠い凹凸のできたチョコになろうとしていた。
「え! あ! う…」
どうしたらいいのかわからずに引き続きテンパるロザリー。と、
「落ち着け」
キョウジが脇からロザリーの手に自分の手を重ねた。そして、ボウルを固定させる。
「あ…」
思わずキョウジの手の感触と温もりを感じ取り、ロザリーが止まってしまう。それを落ち着いたからだと思ったキョウジがその先を続けた。
「焦る必要はない。ゆっくりとそのまま流し込んでいけばいい」
「お、おう」
キョウジに導かれるままに、そのままチョコをゆっくりと型に流し込んでいくロザリー。理由もわからずに赤くなって熱を帯びる自身の顔に戸惑いながらも、キョウジの指示のおかげで無事にリカバリーできた。
「よし」
型にチョコを流し込み終わり、キョウジはボウルを引いた。そして、そのままキッチンの上に置くと手を放す。
「ふぅ…」
キョウジの手が離れたことでようやく一息付けたロザリーが大きく息を吐いた。
「よくやったな」
半分は手伝ったものの、それでもロザリーがちゃんと作ったことにキョウジが称賛した。そのまま、型に入れたチョコを冷蔵庫へと入れる。
「後は冷やすだけだ。その間に、デコレーションの用意をするぞ」
「わかったぜ」
ロザリーが頷いた。といっても、大したことをするつもりは元々ロザリーにはなかった。そこまでの技量は自分にはないと十分承知していたからだ。絞り袋を使って表面に文字を書くぐらいのものである。
だがそれでもロザリーには十分に高い壁だった。そして恐らく、最初に危惧したようにガタガタの仕上がりになるだろう。それでもロザリーはもうそれをやめるつもりはなかった。
「ご指導、宜しくな」
「うむ」
キョウジの力強い頷きにロザリーが安心した表情を見せる。冷やして固めている間に用意を整え、十分に固まったところでチョコを取り出すとロザリーはキョウジの指導の下でデコレーションを始めた。そして、
「できた…」
ようやく完成したお手製のチョコに、ロザリーが感無量とばかりに呟いた。
「見事」
「へへへ…」
キョウジの称賛に、ロザリーが嬉しそうに微笑む。ようやく完成したそれをロザリーが丁寧にラッピングし、その間、キョウジはキッチンの後片付けに入った。そして程なく、全てが終了する。
「じゃあな」
ラッピングが終了し、ロザリーは残った材料と共に戦果を持ってキョウジの許を去ろうとしていた。
「気を付けてな」
「ああ」
そして、ロザリーがキョウジに軽く頭を下げた。
「本当にありがとう。あんたのおかげで助かったぜ」
「何、私は何もしてはいない。全てお前の努力の賜物だ」
(ホント、こういうところは謙虚が過ぎるよな、コイツ)
予想通りといえば予想通りのキョウジの回答に、ロザリーは内心で苦笑せざるを得なかった。
「上手くいくことを祈ってるぞ」
「ありがとよ。それじゃ!」
嬉しそうに微笑むと、ロザリーは小走りでキョウジの自宅を後にしたのだった。
「ふぅ…」
ロザリーを見送った後、キョウジは軽く首を左右に振ったり肩を回したりする。自分ではそうは思ってはいなかったが、やはりそれなりに疲れが溜まっていたようで、それを実感していた。
「どうもなれんな、人に物を教えるのは…」
自分の性分に苦笑しながらも、自宅へと戻るキョウジ。そこに、通信の音が鳴り響いた。
2月14日。バレンタインデー当日。ロザリーはこの日、何時ものようにクリスと会う約束をしていた。ただし、今日は普段は持ってないプレゼントを手に携えて。
「はぁ…」
いつもとは違う今日に、ロザリーがらしくもなく緊張する。そうしながらも、くじけそうになる心を奮い立たせていた。
(き、緊張するぜ…)
忙しなく指を動かしたり、頬をポリポリと掻いたりして何とか緊張をほぐそうとする。だが、どうにもほぐれてはくれなかった。
(やっぱ、慣れないことはするもんじゃねえな)
タハハと内心で苦笑しながらも、プレゼントを少しだけ強く握った。
(…クリスの奴、喜んでくれるかな?)
自問自答の無間地獄に入ろうかというところで、
「ロザリー」
自分を呼ぶ声が聞こえ、ロザリーはビクッと身体を震わせた。そして、声のした方向に顔を向ける。そこにはいつもと変わらぬ様子でこちらに向かっているクリスの姿があった。
「よ、よう! クリス!」
ぎこちなく手を挙げて応えるロザリー。元々アルゼナルにいた時から立ち回りはお世辞にも上手くない彼女なので、見る人が見ればすぐにピンとくるのだが、クリスは気づいていなかった。…と言うより、
(あれ?)
逆にロザリーがクリスに違和感を感じたぐらいである。クリスもあまり立ち回りの上手い方ではなかったが、それでもロザリーよりは全然立ち回りは上手かった。そんなクリスが、ロザリーでもわかるぐらいに今日の様子はぎこちないものだったのだった。
(???)
どうしたのだろうと思わないでもなかったが、それを聞こうとする前に、まるで機先を制するかのようにクリスが口を開いた。
「早かったね。待たせちゃった?」
「いや、そんなことはねえよ」
「そう。よかった」
ロザリーの返答を受け、クリスがホッと一息つく。
「それじゃあ、行こっか」
「お、おう。そうだな!」
クリスから感じる違和感が未だに拭えないものの、ロザリーは取り敢えずそれを押し込んでいつものようにクリスと時間を過ごすことにした。
「ふぅ…」
とあるカフェのオープンテラスに腰を下ろし、ロザリーが一息ついた。いつものようにクリスと合流してからショッピングだ、カラオケだ、映画だと存分に堪能し、今は休息というわけである。時刻は午後三時を回ったところと、丁度おやつの時間だった。
「いらっしゃいませ」
店員がお冷を持って二人の許にやってくる。
「ご注文は?」
「クリス、何にする?」
「んー…そうだね、アールグレイにしようかな」
「そ。んじゃ、あたしはジンジャーエールで」
「かしこまりました。少々お待ちください」
店員は軽く一礼するとその場を離れた。勿論その背中には羽と尻尾が生えている。
「すっかり見慣れちゃったよなぁ、あの姿にも」
「ふふ、そうだね」
クリスが軽く笑った。注文が来るまでの穏やかな時間を過ごしている。と、
「こんな…」
不意に、クリスが呟いた。
「ん?」
ロザリーが条件反射的に口を開く。と、
「こんな日が来るなんてね…」
感無量といった感じでクリスが呟いた。
「…ああ、そうだな」
ロザリーも同意し、穏やかな時間に浸った。
「お待たせしました」
そこに店員が二人の注文の品を持ってやってきた。そして、二人の注文品をそれぞれの前に置く。
「ごゆっくりどうぞ」
先ほどと同じく一礼すると、店員は伝票を置いてその場を離れた。早速、二人は注文した品に口を付ける。
周囲には、自分たちと同じくまったりと時間を過ごすドラゴンの女性たちが多く見られた。
(本当に、こんな日が来るなんてな…)
その女性たちをボーっと見ながら、ロザリーは思わずそんなことを考えてしまう。物心ついた頃からアルゼナルでドラゴンたちを殺し続ける日々だった。何とか死なずに済んでいたものの、遅かれ早かれいずれは自分もドラゴンに殺されるという思いは常にあった。そのために、ゾーラに取り入りもした。そして、そんな日々が永遠に…それこそ死ぬまで続くと思っていた。だが、状況は一変した。
世界の仕組みを知り、全ての元凶を断つために立ち上がり、そして手に入れた今は、少し前までは考えることのできないような幸せな日々だった。そのすべてはアンジュから始まり、そして、それを成したのはシュバルツ…キョウジの力があってこそだった。
(そろそろ…渡すか)
回想の流れでキョウジのことを思い出したロザリーが、本日の主目的を思い出した。正確に言えば忘れていたわけではないのだが、何時出せばいいのかというタイミングが掴めず、今までずるずると引き延ばしていたのだ。だが不思議と、タイミングは今しかないとロザリーは思っていた。
「あのよ、クリス」
グラスから口を離し、ロザリーがクリスに声をかける。
「ん?」
クリスが小首を傾げた。
「その…実はお前に、渡したいものがあってよ」
そう言って、ロザリーが自分のポーチの中を漁った。
「へぇ、そうなんだ。丁度いいや」
「あん?」
返ってきたクリスの返答に、ロザリーが怪訝な表情になる。
「実は私も、ロザリーに渡したいものがあってさ」
「へぇ」
何だろうと思いながら、ロザリーは自分のお目当てのもの…あの日キョウジに習いながら作った特性の手作りチョコを取り出した。
『これ』
偶然にも二人の声が重なり、そしてお互いがお互いに差し出されたものを見る。
それは、色や包装などに差はあるものの、ほとんど同じような形のラッピングされたプレゼントだった。
「これって…」
「まさか…」
思い当たる節が頭に浮かび、ロザリーとクリスはそれぞれ自分に差し出されたプレゼントを手にしてラッピングを解いた。そこには、綺麗にデコレーションされたチョコレートがあった。
『……』
暫しの間、お互い顔を見合わせて固まってしまう。しかし、
「…プッ」
どちらからともなく噴き出し、そして、
「あはははは…」
「うふふふふ…」
同じようにどちらからともなく笑い出したのだった。そんな二人を、周囲のドラゴンの女の子たちが不思議そうに見つめている。
「…ったく、たまんねえな」
先に落ち着いたのはロザリーだった。
「考えることは同じかよ」
「ふふ、そうだね」
少し遅れて落ち着いたクリスが返事をする。落ち着いたとは言っても二人ともニヤニヤが止まらない状態であったが。
「自分で作ったの?」
ロザリーからのチョコを自分の目の前に持ってきて、クリスが尋ねた。
「そう言えれば、格好も付くんだろうけどな…」
同じようにロザリーがクリスからのチョコを自分の目の前に持ってくる。
「ま、あたしが料理を上手くできるわけもなく、手伝ってもらったのさ。…と言うより、あたしが手伝ったって感じかな?」
「キョウジ?」
「そ」
ロザリーがコクンと頷いた。と、
「何だかなぁ…」
クリスが呆れたような、困ったような顔で苦笑していた。
「? どうしたんだよ?」
その反応に引っかかったロザリーがクリスに尋ねた。と、
「いや、考えることは同じなんだなぁ…って」
「え? じゃあお前も!?」
クリスは苦笑したまま頷いたのだった。
『はい』
無事にチョコを作り終えたロザリーを送り出した直後に入ってきた通信にキョウジが出る。と、
『あ、もしもし?』
モニターに映ったのはクリスの姿だった。
『クリスか』
モニターに映ったクリスの姿に、キョウジは驚いていた。ロザリーといいクリスといい、今日は余り関わりのない連中と関わることの多い日だなと思っていた。
ロザリーのことが思い浮かんだのでさっきまでのことを話そうかと思ったキョウジだったが、今日のロザリーの目的を思い出してそれは止めた。
(それにもしや…)
キョウジはあることに思い至った。それも、ロザリーのことを口に出すことを思い止まらせた原因の一つだった。
『どうした。珍しいな』
そのため、キョウジは普通にクリスと通信のやり取りをする。と、
『あのさ。ちょっと相談っていうかお願いがあってさ。聞いてくれないかな?』
おずおずとクリスが口を開き始めた。
『内容にもよるが』
この時点で何となく言いたいことの察しがついたキョウジだったが、それは億尾にも出さずに尋ねる。
『その…ね。チョコの作り方、教えてくれないかな?』
(やはりか)
予想通りの内容に、キョウジが内心で苦笑していた。
『バレンタインが近いからな』
『う、うん』
『ロザリーに渡すのか?』
『……』
クリスが無言でコクリと頷いた。
『エルシャはどうした?』
教えるのには何も問題はないのだが、一応、アルゼナルでの料理上手だったエルシャの名前をロザリーの時と同様に再び出してみた。と、クリスが呆れたような表情になる。
『本気で言ってるの?』
『? どういうことだ?』
言葉の意味がわからず、キョウジが尋ねる。と、
『本気なんだ…』
クリスは呆れたような表情になってやれやれとばかりに大きく息を吐いた。
『エルシャは自分のチョコで手一杯だよ。ただでさえ子供がいるからその子たちの面倒も見なきゃならないし、到底無理。大体、誰のためにチョコ作ってると思ってるの?』
『む…』
ハッキリとそう言われて二の句が継げなくなってしまう。勿論、子供たちのためにも作っているのだろうが、自惚れでなければ…。
『わかった。私が悪かった』
キョウジがモニター越しに謝罪した。まあ、クリスに謝罪しても何も意味はないのだが。
『それは後日、エルシャに直接言ってあげてね』
『わかった、そうしよう』
『それで? 私を手伝ってくれるの?』
クリスが本題へと話を戻した。
『ああ』
クリスの問いかけにキョウジも率直に答える。
『断る理由もないしな』
『ありがとう。助かるよ』
『構わん。で、日にちはいつだ?』
『そこら辺はまた後日連絡するよ』
『わかった。詳細が決まったら連絡しろ』
『うん。それじゃあね』
『ああ』
そこで通信が切れた。そして後日、この日のロザリーと同じくキョウジの許にやってきたクリスは、これまたロザリーと同じくキョウジに手伝ってもらいながら奮闘を続けて何とかチョコを完成させて今日に至ったということであった。
「ふふっ…」
「へへへ…」
互いに同じ行動をしていたと知ったクリスとロザリーが気恥ずかしそうに微笑んだ。そして、お互いがお互いのチョコに口を付ける。
「甘い…」
「美味い…」
そしてい互いのチョコの感想を言い合うと、顔を合わせてまた照れ臭そうに笑ったのだった。
「でもよぉ…」
不意に、照れ臭そうな表情はそのままにロザリーが口を開いた。
「ん?」
「いや、こんなところまで一緒じゃなくてもいいのにさ…ってな。何で二人して同じ奴に教えを乞うのかなって思ってよ」
「ふふ、そうだね」
クリスも微笑んだ。
「でも、仕方ないよ。エルシャは頼れないし、アンジュのとこのメイドはアンジュのためにチョコ作ってたから、同じく頼れないし。他に私たちが知ってる料理が上手い人なんていないからね」
「そうだな」
ロザリーが再びグラスを手に取った。
「今頃どうしてんのかね」
「司令や隊長に迫られてるんじゃない? あるいは、襲われてるかも」
「ははっ、ありえるな!」
実に楽しそうに笑いながら、ロザリーとクリスは彼女たちの先生に思いを馳せたのであった。
「ふぅ…」
研究室、疲労の色を隠さずにキョウジが大きく溜め息をついた。そして備え付けの冷蔵庫を開けて、中身を満たしていく。その内容物の全ては当然のようにチョコだった。
「暫くおやつには不自由せんな…」
苦笑しながらキョウジは目の前の光景を見ていた。バレンタイン当日ということもあって、朝からひっきりなしにキョウジの許に彼に思いを寄せる女性陣が現れ、次から次へとチョコを渡してきたのである。
中には、露骨にモーションをかけてくる者もいた。それを他の連中が見てまた騒動の種になる…。そんなことの繰り返しで今まで対処におわれていたため、実は今日は碌に研究ができていなかった。そしてそれの対処が終わって一段落ついたのが、つい先ほどのことだったのである。
「一か月後が怖いがな」
苦笑はそのままにお茶のペットボトルだけを取り出すと、キョウジは冷蔵庫を閉めた。時間は三時をそこそこ過ぎたところである。先ほど呟いていたようにおやつの時間ではあるのだが、キョウジは何一つもらったチョコを手に取らなかった。何故なら、今日いただくものは既に決めてあるからである。
ゆっくりと自分のデスクまで戻ってきたキョウジは椅子に腰を下ろす。そして、肩を軽くトントンと叩くとデスクの上に目を向けた。
そこには、つたないながらもラッピングしてある小さめのチョコが二つ。これは今回の弟子であるロザリーとクリスがくれたものであった。手伝ってくれたお礼にと、余り具材でわざわざ作ってくれたのである。
『形は不格好だけど、文句は言うなよな』
『お礼というにはみすぼらしいけど、ゴメンね』
二人が顔を赤く染めながらそう言って渡してくれた時のことは今でも鮮明に覚えている。勿論、今日チョコをくれた他の面々の作品も美味しそうなのではあるが、今日食べるのはこの二つに決めていたのだ。
ゆっくりと、そして丁寧にラッピングを剥がすとキョウジはそれを手に取った。そして、交互に二人の作品を味わっていく。
「…美味いな」
お茶を含みながら、キョウジはそう呟いた。自分が手ほどきしたのだから自画自賛と言えるかもしれないが、そんなつもりは毛頭なかった。二人のチョコからは、それぞれがお互いへの想いを感じたので、自分が手ほどきした以上の美味さを感じたのだ。
キョウジは微笑みながらゆっくりと、そして惜しむようにそれを食べていった。
日頃の感謝に想いを込めて、ハッピーバレンタイン。