では、どうぞ。
幾多の艱難辛苦を乗り越え、ノーマは勝利と自由を手にした。そしてその側には、彼女たちをいつも支え、導き、救ってきた一人の男の姿があった。
その男…皮肉な運命に弄ばれたシュバルツ=ブルーダーはこの世界で彼女たちと共に歩むことを選んだ。
だがそれは、シュバルツを巡っての女の戦いが始まるということに他ならなかった。シュバルツに想いを寄せる女性陣のアピール、そしてその純粋で真っ直ぐな想いをぶつけられ、シュバルツは大いに悩むことになる。
そして幾多の紆余曲折、すったもんだの末、シュバルツはその中から一人を選んだ。選ばれなかった他の女性陣には、幾度となく土下座をして許しを乞うたのはご愛嬌というものである。それでも諦めきれない様子の女性陣だったが、シュバルツの真剣な想いが徐々に彼女たちを軟化させ、大分時間はかかったものの理解はしてくれた。(注:納得はしてくれてはいないので、選ばれなかった女性陣が隙あらば虎視眈々とその座を狙っているのは秘密である)
そして、シュバルツが選んだのは…
「さて、帰るか…」
研究施設で今日の仕事を終えたキョウジが、凝り固まった身体をほぐすためにうーんと伸びをする。そして手早く各システムをダウンさせると、こちらも手早く帰り支度を整えて研究施設を後にした。
「ただいま」
帰宅して部屋のドアを開けると室内に声をかける。と、
「あ、お帰りなさい!」
すぐに返事が返ってきた。そして、パタパタとこちらに向かってくる足音が聞こえてくる。やがて姿を現したのはナオミだった。
「今日も一日お疲れ様」
「ああ」
頷くと、キョウジは室内に入った。
「お前もな、ナオミ。お疲れ」
「えへへ…」
ねぎらいの言葉を掛けられ、ナオミは気恥ずかし気にはにかんで鼻の頭を掻いた。と、
「あ、すぐご飯の用意するね」
ナオミはそのまま来た時と同じようにパタパタと部屋の奥へと引っ込んでいく。
「やれやれ、相変わらず忙しない奴だ」
苦笑しながらキョウジも室内へと歩を進めた。
「御馳走さま」
「はい♪」
ニコニコしながらナオミが答える。
「食器洗いは私がしよう。食べ終わったら流しに置いといてくれ」
自分の分の食器を手に持ちながらキョウジがそう答えた。
「え、でも…」
キョウジの申し出に申し訳なさそうな顔をするナオミ。
「気にするな。食事はお前が作ってるのだから、これぐらいは私が担当してもバチは当たるまい」
「そう? それじゃあ、お願いしていい?」
「ああ」
ナオミのお願いに、キョウジは二つ返事で引き受けた。
「…というより面倒だから、今後は私が食器洗いは担当しよう」
「でも…悪いよ、そんなの」
流石に申し訳なく思うのか、ナオミが遠慮がちに口を開く。
「気にするな。第一、ここにいるときしか出来んしな。今後は施設の方で泊りになることも、出張ってどこかへ足を延ばすこともありうる。そのときは出来んのだから、ここにいる間はそれぐらいさせてくれ」
「うーん…」
ナオミが考え込む。ありがたい話ではあるのだが、キョウジの多忙さを考えるとあまり負担をかけたくないのが素直なところだった。
「お前とて、毎日ここでのんびりしているわけではあるまい、ナオミ。仕事を持ちながら、家事も全部負担するのがどれほど大変なのかは少なからずわかっているつもりだ」
(父さんも母さんも仕事上留守がちで、私がドモンの面倒を見ていたからな。仕事はしていなかった上に、出来ることのみしかやっていなかったが、それでも家事の負担というものがどういうものかは理解している)
キョウジも両親の助手を務める前にはドモンの面倒を見ていた経験があるので、それが手に取るようにわかっていた。だからこそ、ナオミ一人だけに家のことを丸投げする気にはなれなかったのである。
また、今言ったようにナオミもナオミで仕事を抱えていた。この世界の復興事業に携わっているのだ。アルゼナルとドラゴン陣営、両方に所属していたという貴重な経歴から、アルゼナル側とドラゴン陣営の橋渡し役をしているのである。
内容自体は特に難しい仕事というわけでもないが、何せ現状その役目をできるのはアルゼナルとドラゴン陣営の両方に属していたナオミしかいないため替えが利かないのだ。立場としてはヴィヴィアンが近いが、ヴィヴィアンでは流石に能力的に無理がある。もう少し交流が深まれば双方の陣営から少しずつ人材が出てくるだろうが、現状はナオミしかいないのが実情だった。
そのため、個々の仕事自体は先述の通りそう難しくもないが、どうしても無理や歪みが生じてナオミに負担がかかってしまう形になっていた。その上で家事もこなすとなると、最悪身体を壊しかねない。
それがわかるからこそ、キョウジは申し出たのだった。
「でもぉ…」
だがナオミは煮え切らない。自分の負担が減るのは歓迎なのだが、それがキョウジへ向かうとなると諸手を挙げて喜べないのだ。ある意味損な性格である。と、
「デモもヘチマもない」
キョウジが軽くナオミを小突いた。
「さっきも言っただろう? それぐらいさせてくれ。それに、パートナーを過労で倒れさせるような真似、させたくないからな」
「そう? そこまで言うんなら…」
ようやくナオミが折れてくれた。その頑固さにキョウジが思わず内心で溜め息をつく。
「では、食器は置いておいてくれ。頼むぞ。風呂は?」
「うん、沸いてるよ」
「そうか。では、頂くぞ?」
「はーい」
ナオミの了承を得て、キョウジは入浴へと向かったのだった。
「ふーっ…」
入浴後、部屋でくつろぎながらパソコンのモニターと睨めっこしているキョウジ。本日分の仕事は終わったが、明日に備えて少し調べたいことがあったのだ。と、
「はい」
不意に、側から声が聞こえる。振り返ると、ナオミがアイスコーヒーを手に持って側に立っていた。そして、そのうちの一つをキョウジに渡す。
「ああ、ありがとう」
受け取ると、キョウジは少しそれを飲んだ。そのままナオミはキョウジの隣にちょこんと腰を下ろし、キョウジに寄りかかりながら同じようにアイスコーヒーに口を付け、モニターを覗き込んだ。キョウジと同じく風呂上がりのためその体温はいつもより暖かく、ボディーソープの匂いが鼻腔をくすぐった。
(正直、目のやり場に困るな…)
隣にいる、湯上りの色っぽい女性の存在にキョウジが戸惑う。こんなシチュエーションは初めてというわけではないのだが、それでも慣れないものであった。
「どうなの? 進捗状況は?」
ナオミがキョウジに顔を向けて尋ねた。
「わかるのか?」
少し驚き気味にキョウジが尋ね返す。が、
「全然」
お手上げとばかりにナオミが肩を竦めた。
「だから聞いたんだけどね。で、どうなの?」
「そうだな…」
顎に手を置いてキョウジが脳細胞をフル活用させる。
「とっかかりはできた。だが、未だ道遠しといったところか」
「ふーん。よくわからないけど、大変なんだね」
「ああ」
キョウジが頷いた。
「見るたびに思い知らされる」
「何を?」
「格の違いというやつだ」
まったく、我が両親ながらとんでもないな。そんなことを考えていると、不意に頬に激痛が走った。
「痛ッ!」
慌てて振り返ると、ナオミが不機嫌そうな表情でキョウジの頬を抓っていた。
「ナオミ?」
頬を抓られているためにちょっと変わってしまった声で探るようにナオミに声をかける。と、
「ダメ」
一言だけ言って、ナオミが手を離した。
「???」
言葉の意味がわからず、キョウジが痛みの残る頬を擦りながら引き続きナオミに視線を向ける。と、
「弱気になっちゃダメ」
そう補足して、ナオミがジッとキョウジを見据えた。
「私のキョウジは、そんな泣き言言わないもん。たとえ冗談でもね」
「そうだな…」
ナオミの先ほどの行為の意味を知り、キョウジが苦笑して答えた。
「悪かった。確かに、お前の言う通りだ」
「ん、宜しい♪」
満足そうな笑顔を見せると、ナオミが嬉しそうに頷いた。そして再び、その身をキョウジに預ける。
「ふふ…」
「どうした?」
そして嬉しそうに笑ったナオミに、キョウジが首を傾げた。
「ん? こんな日が来るなんて、ちょっと前までは思わなかったなって」
身を預けたまま目を閉じ、ナオミがその先を続ける。
「アルゼナルでは代わりのある消耗品として使われ、こっちの世界に来てからはもう二度と向こうに戻ることはないと思ったのに戻ることになって、最後は神様を倒してきたんだもん。ホント、ちょっと前じゃ考えられないよ。それに…」
「それに?」
「…こんな素敵な恋人ができるなんて、思わなかった」
そして、ナオミはギュッとキョウジの服を握る。
「ねえ」
ゆっくりと目を開くと、ナオミが少し戸惑いながら続けて口を開く。
「何だ?」
「その…怒らないで聞いてね?」
「内容にもよるが」
「うっ…そう言われると決心が鈍るなぁ…」
キョウジの返答に苦笑するナオミ。だが、すぐに表情を戻した。
「…本当に、私でよかったの?」
ナオミの口から出てきたのは、キョウジの思いもよらぬ言葉だった。
「何?」
「だって、隊長もエルシャも司令も、他の皆だって魅力的じゃない。なのに、私なんかを…」
しかしナオミはその先を言うことはできなかった。何故ならキョウジがナオミの口に人差し指を当て、黙るように促したからだ。
「その先は言ってはいかんな」
「う…」
蛇に睨まれた蛙…というわけでもないだろうが、ナオミはキョウジの視線にシュンとなって俯いてしまう。
「その…やっぱり怒った?」
キョウジの様子を窺いながら、ナオミがそのままおずおずと尋ねてくる。
「怒ってはいないさ。少し悲しくなっただけだ」
「え? 何で?」
その理由がわからず、ナオミは思わず尋ねた。と、
「お前は、私がそんな打算で動くような男に見えるのか?」
キョウジはそう切り出してきたのだった。
「そ、それは…でも…だって…」
煮え切らないナオミ。無論、キョウジがそんな打算で動くような人物ではないというのはわかっているだろうが、それでもキョウジに想いを寄せていた他の面々と自分を比較してしまうと、どうしても気後れしてしまうのだろう。と、
「んっ!?」
ナオミが驚きの声を上げた。というのも、キョウジが自分の顎を上げて口付けをしてきたからである。
最初こそ驚きに固まっていたが、それも少しだけのこと。すぐにとろんとした表情になり、頬を赤らめながらもそれを受け入れたのだった。
「ふぅ…」
どれくらい時間が経ってからだろうか、ゆっくりとキョウジがナオミから離れる。
「はあぁ…」
ナオミも落ち着くため、そして酸素を求めて大きく呼吸をした。
「これが答えでは、不満か?」
少し頬を赤くしながらキョウジが尋ねる。思い切ったとはいえ慣れてないことをしたため、そうなるのも仕方ない話だった。
「ううん、そんなことないよ」
それがわかるからこそ、ナオミはいつもの表情 に戻った。キョウジが誰にでもこんな真似をするような人物ではないことはよくわかっているからだ。そのまま、再びナオミがキョウジに身を預ける。
「ゴメンね、変なこと聞いて」
「わかってくれればいい。それに、私にも非がないわけではないからな」
「え?」
「お前がそう思ったということは、何かしら不安にさせたのだろう? なら、その責は取るのが筋というものだろう」
(ホント…敵わないなぁ…)
キョウジのその一言にナオミは何とも形容しがたい感情になり、そしてそのまま語り掛けた。
「ありがとう。そう言ってくれるだけで十分嬉しいよ」
「そうか」
「これからも、宜しくね」
「ああ」
「ずっと、側にいてね」
「ん」
キョウジが小さくともしっかり頷いたのを確認し、ナオミはまた目を閉じた。
(大好き)
こうして更に仲を深め、二人の時間はゆっくりと過ぎていったのであった。