では、どうぞ。
幾多の艱難辛苦を乗り越え、ノーマは勝利と自由を手にした。そしてその側には、彼女たちをいつも支え、導き、救ってきた一人の男の姿があった。
その男…皮肉な運命に弄ばれたシュバルツ=ブルーダーはこの世界で彼女たちと共に歩むことを選んだ。
だがそれは、シュバルツを巡っての女の戦いが始まるということに他ならなかった。シュバルツに想いを寄せる女性陣のアピール、そしてその純粋で真っ直ぐな想いをぶつけられ、シュバルツは大いに悩むことになる。
そして幾多の紆余曲折、すったもんだの末、シュバルツはその中から一人を選んだ。選ばれなかった他の女性陣には、幾度となく土下座をして許しを乞うたのはご愛嬌というものである。それでも諦めきれない様子の女性陣だったが、シュバルツの真剣な想いが徐々に彼女たちを軟化させ、大分時間はかかったものの理解はしてくれた。(注:納得はしてくれてはいないので、選ばれなかった女性陣が隙あらば虎視眈々とその座を狙っているのは秘密である)
そして、シュバルツが選んだのは…
研究施設。
今日もいつもと同じようにキョウジがモニターを睨み、キーボードを叩きながらUG細胞の特性…あの三大理論を復活させるために研究に勤しんでいた。と、不意にドアの開く音がする。
「ん?」
来客の存在を知らされたキョウジがモニターから視線を外して顔を捻る。そこには、
「キョウジ」
スーツをビシッと着こなしたサリアの姿があった。
「サリア」
その姿を見て、キョウジはすぐにあることに思い至った。
「そうか、もうそんな時間か」
「ええ」
頷いたサリアを尻目にキョウジが目頭を押さえると、背もたれに寄りかかって一度大きく伸びをした。そして、時計に目をやる。
時計の針は当然のように正午を少し過ぎた時間を指していた。
「時間の経つのは早いものだ」
「ふふ、そうね」
軽く笑みを浮かべたサリアはそのままキョウジに近づくと、手慣れた様子で近くのテーブルに備え付けの椅子を引き、その上に腰を下ろした。そして、両手に一つずつ持っていた包みをテーブルの上に置く。
「さ、早く食べましょ?」
「そうだな」
サリアに促されても立ち上がると、キョウジはサリアの正面に移動して腰を下ろした。そして包みのうちの一つをサリアから受け取るとそれを解く。姿を現したのは見慣れた弁当箱だった。サリアもキョウジと同様に、残った包みを解く。そちらにも同じように、弁当箱が入っていた。
『いただきます』
二人はほぼ同じタイミングでそう言うと、どちらからともなく弁当箱の中身に手を伸ばし始めた。そう、ランチの時間の始まりである。
「仕事の方は順調か?」
ランチが始まって少し経ち、食べながらキョウジが尋ねた。
「ええ」
同じように、サリアも弁当を食べながら答える。一度お茶を飲んで一息つくと、補足を付け加え始めた。
「皆頑張ってくれるから助かるわ。このままいけば、今の区画の完成は当初の予定より早まりそうね」
「そうか。それは何より」
言葉通り、満足げにキョウジが頷いた。今キョウジが口に出したサリアの仕事。それは、エンブリヲによって破壊されたこの真なる地球の復興事業である。サリアはその陣頭指揮の補佐役を任されていた。
実際に指揮を執るのはドラゴンの民なのだが、元アルゼナルの面々のうちかなりの人数がそれを手伝っている。そんな面々の代表役がサリアだった。物資や人員の手配から補給や仕入れ、流通に金勘定、そしてドラゴンたちと元アルゼナル勢の間に入っての折衝や交渉など、実に多彩な仕事をこなしているのである。真面目な上に多数の分野で能力が高いため、サリアは実に色々な仕事を任されていた。
その分、サリアにかかる負担は大きくなるのだが、生来の性格故か決して手を抜くことなくサリアはすべての仕事に向き合っていた。その上、こうやってお昼は必ずキョウジの許にやってきて一緒に摂るのである。無論、そのお弁当もサリアの手作りであった。
サリアの日々の仕事が多忙なのは良く知っているので、キョウジは無理しなくてもいいと何度も言っていた。弁当は出来合いの物でも…何だったら、こちらで勝手に食べるので、その分ゆっくり休めと何度も伝えたのだ。だが、サリアは頑として譲らず、毎日こうして手作り弁当を届けてくれるのである。
身体を壊しかねないと危惧はしているものの、聞く耳を持ってくれないためどうしようもできず、キョウジはお手上げだった。そのため、せめてサリアの負担を減らせるように、自宅では率先して色々とやっているのであるが、負担を軽減できているのかと問われれば自信をもって頷くことは出来なかった。
「どう? 今日の出来は?」
そんな風にキョウジが葛藤していることなど知らず、サリアがキョウジに尋ねてきた。
「ああ、美味いぞ」
キョウジが素直に感想を述べた。元々の料理の腕も酷いものではなかったが、飲み込みの早さからサリアはかなり短期間で色々な料理をマスターしていた。味付けもしっかりしていてケチのつけようがない。
「本当に?」
しかし、サリアは少し疑った様子で答えた。何しろキョウジの料理の腕前はアルゼナルで散々見てきたのだ。その味を知るだけに、本人からの称賛を素直に受け取れないのだ。
「ああ。嘘をついてどうする」
「だって…」
サリアが言葉を濁した。やはり、どうしても引っかかるのは拭えないのだろう。
「私は嘘は言わんよ」
そんなサリアを気遣って、キョウジが再び口を開いた。
「それはお前とてよくわかっているだろう? サリア」
「そうだけど…」
やはりサリアが言葉を濁す。称賛を素直に受け取れないのは生まれ持った性格もあるのだろう。アルゼナルにいた頃からそうだったが、実に損な性分である。
(本当に、損な性格をしているな)
内心で苦笑しながらキョウジが他愛もない話をしながら食事を進める。サリアも同じくそれに答えながら、あるいは自分から話題を振って食事を進めていく。そうして程なく、二人はランチを終えたのだった。
「ごちそうさま」
「はい、お粗末さま」
ほぼ同時に二人が食べ終えると、いつものようにキョウジは空になった弁当箱をサリアに渡した。サリアはそれを受け取ると、テーブルの上に二つ並べる。
「さてと…」
うーんと伸びをすると、サリアが彼女にしては珍しくふあっと欠伸をした。
「寝不足か?」
「いえ、そんなことないけど」
「ならば疲労が溜まっているのか?」
「それもないと思うんだけどね」
そこでサリアが立ち上がろうとするが、
「折角だ。食後のお茶ぐらい飲んでいけ」
キョウジがそう声をかけて椅子から立ち上がった。
「あ、じゃあ、私が」
慌てて立ち上がろうとしたサリアだったが、
「いい。ゆっくりしていろ」
キョウジはそれを許さなかった。
「でも…」
「食事を用意してくれてるのはお前だからな。このぐらいしてもバチは当たるまいよ」
そう言い残して、キョウジはそのままその場を後にする。
「ん。じゃあ、御馳走になろうかしら」
「ああ」
頷いたサリアを残し、キョウジはお茶を淹れに少しだけ席を外した。
「ん…」
ゆっくり吐息を吐きながら、サリアがぼんやりと目の前に映るものを見た。それは、部屋の天井だった。
「あれ…私…」
ぼんやりとした頭でゆっくりと身体を起こす。と、
「お目覚めか?」
側から不意に声が聞こえた。慌てて振り返ると、そこには椅子に座っているキョウジの姿があった。そして、いつもキョウジが着ている白衣はサリアの身体の上をゆっくりと滑り落ちていった。
「え…? 私…?」
状況が飲み込めず、サリアが少し呆然とした表情で現状の把握に何とか努めようとする。
「覚えていないか」
楽しそうに咽喉の奥でクククと笑うと、キョウジは未だ混乱している様子のサリアに説明した。
「私がお茶を淹れに行っている少しの間に、お前は眠ってしまっていたのだよ。頑張ってはいたようだが、やはり身体は正直だな。疲労が蓄積していたのだろう」
「あ…」
確かに、サリアが今意識を取り戻す前の記憶を辿ると、キョウジがお茶を淹れて行っている間に軽く目を閉じたところでプッツリと切れていた。
「戻ってきたら穏やかな寝息を立てていたのでな。起こすのも忍びなかったので、そのままそこに横たわらせた。私の白衣を毛布代わりにな」
「そ、そう。ありがとう」
サリアが礼を言いながら少し顔を赤らめる。キョウジの白衣に包まれていたことに、今更ながら恥ずかしくなってしまったのだ。と、
「そうだわ、仕事に戻らないと」
そのことに気付いたサリアが慌てて立ち上がろうとする。が、
「行っても無駄だぞ」
その足を止めたのはやはりキョウジだった。
「え?」
サリアが止まり、キョウジへと振り返る。
「お前の様子を見に色々な連中がここに来たのだがな、眠っているお前の姿を見たら大なり小なり状況を察したのか、そのまま戻っていった。こっちで仕事は片づけておくから、今日はゆっくり静養するように伝えてくれと言い残してな」
「そう…」
座り直すと、サリアが大きく息を吐いた。
「ダメね、私」
「そんなことはないだろう。まあ、責任感が強くて背負い込みすぎるからこういうことにもなるが、強いてあげるならそれぐらいだ。申し訳ないと思うなら、今後は少しでもその点を改善するようにするのだな」
「ええ」
サリアが頷くと、キョウジもまた満足そうに頷いたのだった。
「ということで、今日はゆっくり休め。せっかくの機会なのだからな」
「う…ん…」
頷きはしたが、どうにもぎこちない。加えて、チラチラとキョウジに視線を向けていた。
「? どうした?」
それに気づいたキョウジが尋ねる。と、
「ね、ねえ」
サリアが徐に口を開いた。
「ん?」
「お願いがあるんだけど…」
「お願い? 何だ、言ってみろ」
「あ、あのね…」
頬を赤く染めながら、サリアはそのお願いをキョウジに告げたのだった。
「これでいいのか?」
「うん♪」
キョウジの問いかけに、サリアが嬉しそうに答えた。
「そうか。しかし、お前も物好きだな。男の膝枕などをご所望とはな」
少し呆れ気味にキョウジが呟いたとおり、サリアはキョウジの膝の上に己の頭を乗せて横たわっていた。これが、サリアのお願いの内容だったのである。
「いいじゃない、私がそうしたかったんだから」
「ま、構わんがな。私としては」
嬉しそうなサリアと、何故嬉しそうなのかわからないキョウジの姿が見事に対比している。だがサリアは揶揄するようなキョウジの言葉にも気分を害することなく、相変わらず嬉しそうにしていた。と、
「ねえ」
再びサリアが口を開いた。
「ん?」
「お願いついでに、もう一つわがまま言っていいかしら?」
「内容にもよるが、まあ言うだけ言ってみろ」
「ん」
キョウジの了承を得てサリアが頷く。
「手を…」
「ん?」
「私が眠るまで、手を握っててほしいの」
「なんだ、そんなことか」
「うん。…ダメ?」
「まさか」
苦笑しながら、キョウジはサリアの手を握った。
「これでいいのか?」
「うん♪」
再び嬉しそうにサリアが頷くと、そのまま目を閉じる。すると、急激に眠りの世界へと誘われていった。
(温かい…いい匂い…何だろう、凄く落ち着く…)
これまでに感じたことのないほどの充足感を感じながら、サリアはすぐに寝息を立て始めたのだった。
「やれやれ…」
早々に寝息を立てたサリアに苦笑しながら、キョウジは空いているもう一つの手でサリアの髪を優しく撫でた。
穏やかな時間が流れる昼下がり、こうしてこの日は過ぎて行ったのであった。