では、どうぞ。
幾多の艱難辛苦を乗り越え、ノーマは勝利と自由を手にした。そしてその側には、彼女たちをいつも支え、導き、救ってきた一人の男の姿があった。
その男…皮肉な運命に弄ばれたシュバルツ=ブルーダーはこの世界で彼女たちと共に歩むことを選んだ。
だがそれは、シュバルツを巡っての女の戦いが始まるということに他ならなかった。シュバルツに想いを寄せる女性陣のアピール、そしてその純粋で真っ直ぐな想いをぶつけられ、シュバルツは大いに悩むことになる。
そして幾多の紆余曲折、すったもんだの末、シュバルツはその中から一人を選んだ。選ばれなかった他の女性陣には、幾度となく土下座をして許しを乞うたのはご愛嬌というものである。それでも諦めきれない様子の女性陣だったが、シュバルツの真剣な想いが徐々に彼女たちを軟化させ、大分時間はかかったものの理解はしてくれた。(注:納得はしてくれてはいないので、選ばれなかった女性陣が隙あらば虎視眈々とその座を狙っているのは秘密である)
そして、シュバルツが選んだのは…
大巫女から宛がわれた研究施設の一室。シュバルツ=ブルーダーことキョウジ=カッシュは今日も何時ものようにそこで研究に励んでいた。勿論、研究のテーマはジルの生命を救うために失ってしまった三大理論の復活についてである。
助手として自分も携わっていたためにある程度の知識はあるが、それでも両親…特にメインの開発者である父親の天才ぶりをまざまざと見せつけられ、キョウジは四苦八苦していた。
(やはり、一朝一夕にどうなるものではないな)
わかってはいたことだが、それでも先は長いことに思わず溜め息をつく。と、
「はい」
横から声がして、目の前に湯気の立つコーヒーが置かれた。
「ああ、すまんな」
そのことに礼を言ってカップを手に取ると、口を付けてゆっくりと飲んでいく。実際はそんなことはないのだが、程よい苦みが披露した頭脳の機能を回復させているような気になった。
ある程度中身を減らしたところでカップを置くと、キョウジは横に顔を向ける。
「ありがとう。美味いぞ」
「えへへ…」
褒められてくすぐったそうにはにかんだのはヒルダだった。トレイを胸に抱きながら、ヒルダは尋ねる。
「何かお茶請けでも持ってこようか?」
「ふむ…」
キョウジが少し考える。昼食を取ってからあまり時間が経ってないので、おやつというには少し時間が早すぎる。
また、あまり腹を満たしてしまうと、今度は眠気との戦いになってしまう。それを考えると、ここは断るべきだと思った。
(しかし…)
考え込みながら、キョウジが気付かれぬようにヒルダに視線を送った。その表情から、一緒にティータイムを過ごしたいという欲求がありありと窺えたのだ。それがわかってしまったために、キョウジは悩んでいた。そして、
「…では、頂こうか」
キョウジが出した答えはこれだった。
「うん! じゃあ、すぐに用意するからね!」
キョウジの返答を聞いたヒルダはパアッと表情を輝かせると、すぐさま踵を返して研究室を出て行った。
(やれやれ…)
その現金な姿に苦笑しつつ、用意ができるまでキョウジは少しでも研究を前に進めようと、再びモニターに視線を戻したのだった。
「では、頂こうか」
「うん。どうぞ♪」
研究室を出て行ってから少し後、再びヒルダは諸々を用意して研究室に戻ってきた。そしてテキパキと準備を整えると、瞬く間にお茶の用意を終えたのだった。そして二人は、仲良くティータイムに入ったというわけである。
そんな中、普通のティータイムとは大いに異なる点が一つあった。それは、
「あー…」
ヒルダが目を閉じて上を向くと、軽く口を開ける。
(やれやれ…)
仕方ないなと思いつつも無視するような考えは浮かんでこず、キョウジはその口の中にヒルダが用意してくれたお茶請けのクッキーを入れた。
「ふふっ♪」
嬉しそうにクッキーを咀嚼しながら、ヒルダは自身の横に身を寄せた。程なく、その身体が何かに当たって密着する。その何かとは、言うまでもなくキョウジの身体だった。
これが、普通のティータイムとは違う点である。二人はテーブルを挟んで向かい合っているわけではなく、肩を並べてお茶を楽しんでいるのだ。
「♪♪♪」
上機嫌な様子でヒルダがキョウジに身を寄せ、己の身体をスリスリとキョウジの身体に擦り付ける。まるで、自分の所有物だとマーキングするかのように。
(…全く、変われば変わるものだな)
キョウジは隣で心地良さそうにご機嫌な様子で自分に身を寄せているヒルダを見ながら素直にそう思った。ヒルダをパートナーとして選んでからというもの、ほぼずっとこんな調子なのだ。とにかく四六時中キョウジと一緒に居たがるのである。
初めは助手として一緒に研究をしたいと申し出てきたのだ。当然本職のメカニックには及ばないものの、元々はメイルライダーだけに機械関係の知識もそれなりにあるのでそう申し出てきたのだった。
しかし、アルティメットガンダム…UG細胞という特殊も特殊なものに対する研究のため、ヒルダの知識では例え助手でも務まらないということが程なくわかった。もっとも、この世界の技術とキョウジの元居た未来世界の技術ではレベルも違えばそもそも根本の思想から違うので、ヒルダに助手が務まらないのは当然と言っても良かったが。教え込むにも時間がかかるためにそれも断念して、申し訳ないと思いつつもヒルダを説得した。
キョウジの説明にヒルダは非常に残念そうな表情になったのだが、ならばと研究時の身の回りの世話を申し出てきたのである。まあ、言ってみれば体のいいメイドだ。
自宅で一緒に過ごせるのに、それ以外でも一緒なのは少し思うところがあり、キョウジは気持ちだけ受け取っておこうとしてヒルダを説得した。だが、ヒルダは頑として聞き入れなかったのだ。理由は何故かというと先述の通り、とにかく一緒に居たいというものであった。
何度も諭したのだがヒルダは全く首を縦に振らず、最後はキョウジが折れた。こうして、ヒルダはキョウジが研究中はキョウジのメイドとして身の回りの世話を行うことになったのだった。
(こんなことを考えるべきではないのかもしれんが、もしかしたら私に想いを寄せてくれた連中の中で、一番豹変したのはヒルダなのかもしれんな)
無論、それは本当にそうなのかはわからない。ヒルダを選んだ以上、他の人間を選んだ結果、その人物がどうなるのかなど確かめる方法などないのである。
とは言え、思わずそう思ってしまうほどの激変ぶりだった。アルゼナル時代には基本、トゲトゲギスギスした雰囲気でいることが多かったが、今は一変して柔らかで明るい雰囲気に満ちていた。
(馬子にも衣裳というわけでもないが、化ければ化けるものだ)
何度も思ったことだが、それでもやはりそう思わざるを得なかった。
「あー…」
キョウジが物思いに耽っていると、ヒルダが再び口を開けておかわりをねだる。苦笑しながら、キョウジは再びその口にクッキーを入れた。
「ん、美味し♪」
嬉しそうに微笑みながら、先ほどと同じようにヒルダはクッキーを咀嚼してゆく。
「そうか」
「うん。好きな人と一緒に、その好きな人に食べさせてもらってるから尚更だよね」
「む…」
ヒルダのストレートな愛情表現に、キョウジが言葉に詰まる。どうにも性格からか辿ってきた境遇からか、純粋で素直な思いをぶつけられるのは苦手だった。知らず、顔が赤くなる。
「ふふっ」
そして、その些細なキョウジの変化をヒルダは見逃さなかった。
「赤くなっちゃって、可愛いんだから」
そのまま、ヒルダがキョウジの頬をツンツンと突く。
「その行為は、出来れば止めてくれると助かるのだが」
頬を突かれながらも、遠慮がちにキョウジがそう申し出た。
「どうして?」
ヒルダは変わらず、楽しそうに頬を突きながら答えた。
「その…どんな顔をすればいいかわからんのでな」
「ふーん。でも、止めてあげない」
満面の笑顔でそう答えながら、ヒルダは言葉通り止めることはせずにそのまま続けたのだった。
「敵わんな…」
まあそうなるだろうなと半ば確信しつつ、キョウジはヒルダの気のすむまでやらせることにしたのだった。実力行使をすればどうにでもなるが、それは流石に大人げなさすぎる。と、
「んふふー」
ヒルダはそのまま、今度は抱きついてきた。
「温かい…いい匂い…」
心底安らかな表情になってヒルダが呟く。その表情に、キョウジは益々何も言えなくなってしまったのだった。が、
「なあ…」
それでも…いや、だからこそ、キョウジは重い口を開いた。
「何?」
顔を上げ、ヒルダが答える。
「本当に、今のままでいいのか?」
「なんだ、またそのこと?」
その一言だけでキョウジが何を言いたいのかわかったヒルダは、一転して面白くなさそうな表情になった。
「何回聞いても答えは同じだよ」
「しかし…」
それでも諦めきれないような表情でキョウジが呟いた。二人が何のことについて言っているのかというと、ヒルダの私生活についてである。
と言っても、親や教師のようにダメ出しをすると言うようなものでは勿論なく、簡単に言えばもう少し生活範囲を広げろというものである。
先述の通り、キョウジがパートナーとして選んで以降、ヒルダは基本ずっとキョウジと一緒に居たがる。それが悪いとは言わないが、まだまだヒルダは年若い。外の世界という表現が妥当かどうかはわからないが、同い年の子たちと交流を持ち、ドラゴンの世界の文化にも触れることで視野が広まるとキョウジは思っていた。それに、今でしか出来ないことも沢山ある。だからこそ、何度かキョウジはヒルダを説得しているのである。
しかし、これも先述の通りヒルダはそのことに対しては頑として首を縦に振らなかった。可能な限りキョウジと一緒に居たがるのである。この話題になると二人の主張はいつも平行線をたどり、決して二人とも納得する結論は出なかった。
(慕ってくれるのは嬉しいのだが、それでも狭い世界だけで生きてほしくないのだがな)
とは言え、毎回説得することは出来ない。そして今回も同じと思った。
「いずれ…心境に変化があればそんな時も来るだろうさ」
だが、予想外に新たな展開になりそうだった。
「ん?」
内心では驚きつつも、それを表面に出さずにキョウジがヒルダに尋ね返す。が、それを見計らったかのようにヒルダが口付けをしてきた。
「んっ…」
ヒルダからの突然のキスに少し戸惑ったが、だからと言って振りほどくような真似はせずにキョウジはヒルダの気のすむまでやらせることにした。やがて
「ふぅ…」
大きな息を吐きながらヒルダが離れる。だがすぐに、キョウジの胸に飛び込んできた。
「でも今は、気のすむまであんたと…キョウジと一緒に居たいんだよ。これが返答じゃ、ダメかな?」
「…いや」
ヒルダの告白を受けて少し考えた後、キョウジは徐に口を開いた。
「十分だ」
そしてそう答える。本音を言えばもう少し譲歩してもらいたいところだったが、これ以上は無理な話だと思ったからだ。今まで取り付く島もなかったのに、今回譲歩してきたということは、これ以上は譲歩しないという意味でもあるのだろう。だからこそ、キョウジもこれ以上は無理押しをしなかった。
「お前はいい女だからな」
「な、何だよ、急に…」
不意打ち気味に褒められ、ヒルダが顔を真っ赤にさせて俯いた。
「照れるな。だからこそ、色々と視野を広げてほしいのさ。お前なら十分、素敵なレディになれるだろうからな」
「あ…う…」
顔を茹で蛸のように真っ赤にしてヒルダは二の句を告げなくなってしまう。そんなヒルダを肴に、キョウジは再びお茶に口を付けた。
こうして、今日もまったりとした心地よい二人の時間が過ぎていったのであった。