では、どうぞ。
幾多の艱難辛苦を乗り越え、ノーマは勝利と自由を手にした。そしてその側には、彼女たちをいつも支え、導き、救ってきた一人の男の姿があった。
その男…皮肉な運命に弄ばれたシュバルツ=ブルーダーはこの世界で彼女たちと共に歩むことを選んだ。
だがそれは、シュバルツを巡っての女の戦いが始まるということに他ならなかった。シュバルツに想いを寄せる女性陣のアピール、そしてその純粋で真っ直ぐな想いをぶつけられ、シュバルツは大いに悩むことになる。
そして幾多の紆余曲折、すったもんだの末、シュバルツはその中から一人を選んだ。選ばれなかった他の女性陣には、幾度となく土下座をして許しを乞うたのはご愛嬌というものである。それでも諦めきれない様子の女性陣だったが、シュバルツの真剣な想いが徐々に彼女たちを軟化させ、大分時間はかかったものの理解はしてくれた。(注:納得はしてくれてはいないので、選ばれなかった女性陣が隙あらば虎視眈々とその座を狙っているのは秘密である)
そして、シュバルツが選んだのは…
「ふぅ…」
とある研究施設の一角で、モニターとにらめっこしながらキーボードを叩いていたキョウジが大きく息を吐いた。そして、トントンと自分の肩を叩く。
大巫女から宛がわれた立派な研究施設の一角で、キョウジは今日も研究を続けていた。テーマは勿論、失った三大理論の再構築についてである。
(しかし…)
これまでのことを振り返りながらキョウジは両親のことを思い出していた。
(我が二親ながら大したものだな。私も助手として参加していたが、それでもまだまだわからないことが多すぎる)
随分と冷めてしまったコーヒーを飲みながら、キョウジは素直に両親に脱帽していた。まだUG細胞の本格研究に取り組み始めたばかりだとはいえ、予想以上にその解明にてこずっているのである。
(これは、長い戦いになりそうだな)
モニターとのにらめっこを再開しながら、キョウジはそう思っていた。と、
「シュバルツ」
不意に、ドアの開く音が聞こえて誰かが入ってきた。キョウジが振り返ると、そこには見慣れた顔があった。
「ジル」
「や」
自分の名前を呼ばれ、ジルが手を挙げながら近づいてきた。彼女本来のものなのだろう、雰囲気も表情もエンブリヲと戦っていたころからは想像できないほど柔らかいものになっている。
「どう、忙しい?」
キョウジの側にやってくると、ジルは手近にあった椅子を手に取り、それに腰を下ろした。
「そうだな…。忙しいといえば忙しいし、忙しくないといえば忙しくない」
「何それ?」
禅問答のようなキョウジの回答に、ジルがクスッと微笑んだ。
「やるべきことは沢山ある。だが、根を詰めたところでその道のりは長い。焦ったところで仕方がないから、じっくり腰を据えて取り掛かるしかないということだ」
「そ。頑張ってね」
ジルがニコニコしながらキョウジを気遣う。司令の立場にあった時とはまた、えらい変わりようである。
「ねえ、それより…」
ジルが少しムッとしながらキョウジを睨んだ。
「ん?」
「いい加減、ジルは止めてよ」
「っと、そうだったな。すまん、アレクトラ」
「うん♪」
謝罪を受け、名前を言い直してくれたことに気分を良くしたジル…アレクトラが笑顔になった。自分をパートナーに選んでくれたキョウジに、アレクトラはこれからは本当の名前で自分を呼んでほしいと言ったのだ。断る理由もなかったので、キョウジはそれを了承した。そして、
「ではお前も、いい加減シュバルツは止せ」
「あ、そうだった。ゴメンね」
アレクトラが素直に謝る。この世界に腰を落ち着けることを選んだ後、キョウジは旧知の皆に一つ頼みごとをしたのだ。それが、今アレクトラに言ったこと。自分のことをシュバルツではなくキョウジと呼んでほしいというものだった。
当然、理由を問われることになるわけになり、キョウジは未来世紀で自分の辿った運命を正直に話した。キョウジの詳細な過去の話に、その壮絶な運命に、誰もが驚き戸惑った。
だがキョウジはそれは過去のことだし、お前たちには直接関係のないことだから気にするなと諭した。そして、今までの自分は戦士…ファイターとしてこの世界に必要されていたからガンダムファイターであるシュバルツの名を名乗っていたが、これからは戦士としてではなく一己の人間としてこの世界で歩むことになるために、本来の名前であるキョウジと呼んでほしいと言ったのだった。
キョウジの過去を聞いた彼女たちはそれに反対することもなく、それを受け入れた。キョウジであってもシュバルツであっても、その中身が変わるわけではない。彼女たちが反対しないのも当然のことだった。
「何か、手伝えることはある?」
ニコニコしながらジル…アレクトラがキョウジに尋ねた。
「いや、先ほども言ったようにじっくりと取り掛かることになりそうなのでな。取り立てて今、お前に手伝ってもらうことはない」
「そっか…」
その言葉に、アレクトラが心底残念そうな顔をした。キョウジの手伝いができないのが本当に残念なのだろう。
「心遣いはありがたく受け取っておく。だがお前こそ、家で寛いでいればいいだろう、アレクトラ」
キョウジが身体をアレクトラに向けて正対させるとそう口にする。
「今までずっと張り詰めていたのだ。しばらく自堕落な生活をしていても文句は言わんぞ」
「ありがと♪」
アレクトラが嬉しそうに微笑んだ。自分を気遣ってくれるキョウジの優しさが伝わってくるのが本当に嬉しいのだろう。
「でも、そんな真似しないよ。貴方に愛想つかされたらやだもの」
先ほどから変わらず、ニコニコしながらアレクトラがそう答える。他愛ない会話だが、今のアレクトラにはそれですら心底楽しめているようだった。雰囲気でそれがわかる。
「確かに余りにも目に余るのは困るが、アレクトラなら大丈夫だと思うのだがな」
「ふふっ、ありがと。そう言ってくれて嬉しいよ」
先ほどまでと同じく、言葉通り嬉しそうにアレクトラが答えた。そして椅子を持つとキョウジの隣に移動して、再び椅子に腰掛けてその身を寄せ、頭をキョウジの肩へと預けた。
「どうした?」
余りこんな真似をしてこないアレクトラの行動に少し驚いてキョウジが尋ねる。
「ん? 幸せだなって」
目を閉じ、穏やかな表情でアレクトラがそう呟いた。
「こんな日々が来るとは思わなかったよ。いいものだね、こういうの…」
「そうか」
元からやめさせる気などなかったが、そう言われては益々やめさせるわけにもいかず、キョウジはアレクトラの好きにさせた。だが、
「なあ」
不意に、キョウジが口を開く。
「ん? なあに?」
その体勢のまま、アレクトラが答えた。
「本当にこれで良かったのか?」
「え? どういうこと?」
キョウジの言葉の意味がわからず、アレクトラが目を開けて横からキョウジの顔を覗き込んだ。
「確かに私はお前の生命を救った。だからもしそのことに恩を感じて、それを返すために私と今の関係になったのだとしたら、そんな必要は」
それ以上、キョウジはその先を続けられなかった。何故なら
「んっ…」
アレクトラが不意に抱き着いて、その唇を塞いだからである。無論、口付けで。そして暫くそれを堪能した後、
「ふぅ…」
ゆっくり、しかし名残惜しそうにアレクトラがキョウジから離れた。そして、
「怒るよ」
顔を僅かなりとも赤らめながらも、拗ねたようにムッとした表情になってキョウジを睨んだ。
「確かに、貴方は生命の恩人だよ。でも、だからってそれだけで惚れ込むような女に私が見える?」
「それは…」
アレクトラの返答にキョウジが言葉を詰まらせる。
「だが、男なら私だけではなくこの世界にも山ほどいるだろう?」
「ドラゴンの…ね。今更差別する気はないけど、あの姿は男っていうよりはやっぱり雄っていう意識が先に来ちゃってね。どうしてもそういう対象に見れないんだよ。それに…」
そのまま、アレクトラがシュバルツの胸に顔を埋める。
「貴方以上のイイ男なんて、この世界…ううん、私たちが元居た向こうの世界も含めていないもの。だから、私は打算や損得で貴方とこういう関係になったわけじゃない。惚れ込んだからこういう関係になったの。だから」
そこでアレクトラは離れると、キョウジを見上げてその真っ直ぐな瞳でキョウジの瞳を射抜いた。
「今度そんなこと言ったら、本気で怒るからね」
「…すまん」
そうまで言われては返す言葉もなく、キョウジは素直に謝ることしかできなかった。
「ん、わかってくれればいいの」
キョウジの謝罪に、アレクトラはすぐに機嫌を直して微笑んだ。そして、もう一度目を閉じる。
「アレクトラ?」
その行動の意味がわからず、キョウジが尋ねた。
「悪かったと思ってるんでしょ?」
目を閉じたまま、アレクトラがキョウジに尋ねた。
「ああ」
「だったら、お詫びの印にもう一回」
「…仕方のない奴だな」
少しだけ呆れながら、キョウジはそのままアレクトラの顎に手を添えて少し上を向かせる。そして、今度は自分からアレクトラに口付けした。
「んっ…」
先ほどと同じようにその感触を存分に味わい、アレクトラは離れた。キョウジとしてはすぐに離れるつもりだったのだが、アレクトラにがっちりホールドされて離れるに離れられなかったのだ。
「ふぅ…」
呼吸が苦しかったのか、解放された後にキョウジが大きく空気を吸い込む。そんなキョウジを、
「ふふっ…」
アレクトラは愛おし気な表情で見ていた。と、
「さあ、もう帰れ」
キョウジがアレクトラに帰宅を促した。
「もう少し…一緒にいたいな」
その言葉に、アレクトラが寂しさを隠さずに呟いた。
「そう言ってくれるのは嬉しいが、今は安静にしていないとな。わかるだろう?」
「ええ」
そして二人は視線を落とす。その先はアレクトラの腹部だった。彼女の腹部はふっくらと盛り上がっている。そしてアレクトラが着ているものも、マタニティー仕様のワンピースだった。そう、彼女の胎内には今、新しい生命が宿っているのである。
「私も今日はなるべく早く切り上げる。だからお前も、ゆっくり家で私の帰りを待っていてくれ」
「はい。お帰りをお待ちしてます、あなた…」
正直なところは後ろ髪を引かれる思いなのだがそう諭されては仕方がなく、アレクトラは立ち上がると歩き出す。
「本当に早く帰ってきてくださいね」
「ああ」
言質を取って満足したのか、アレクトラは嬉しそうに微笑むとそのまま研究室を出て行った。
「ふぅ…」
アレクトラを見送ったキョウジが椅子の背もたれに身を預けて大きく息を吐きだした。
「変われば変わるものだな…」
チラッと、先ほどアレクトラが出て行った扉に目を向けてそう呟く。その言葉の対象は、勿論アレクトラだった。
「いや、もしかしたらあれがアレクトラの元来の性格なのかもしれんな。寧ろ、ジルだった時の方が無理をしていたのかもしれん」
そう思う。それほどまでに、アルゼナルの司令として戦いに身を置いていたジルと、今の穏やかなアレクトラは別人と言っていいほど雰囲気も物腰も一変していた。その豹変ぶりに今でも時々違和感を感じることはあるが、
「無理も背伸びもしなくても良くなったのだから、決して悪いことではないな」
それが、正直なキョウジの思うところであった。そのまま少しの間、キョウジはアレクトラが後にしたドアを見ていたが、やがて背もたれから身を起こす。
「さて、では私ももう少し頑張るか。早く切り上げると約束してしまったからな」
そして、作業を再開する。アレクトラの訪問がいい気分転換になったのか、その後はいつもよりスムーズに調査、研究が進み、大分早く今日の予定が終了したのだった。
「よし」
機器の電源を落とすとキョウジは帰り支度を始める。そして、手早く纏めると帰路に着いたのだった。
(先ほどのアレクトラの言葉ではないが、こんな日々が来るとはな…)
未来世紀では運命に翻弄された挙句非業の死を遂げたはずなのに、異世界に来てこんなことになるとは思わなかった。実に、わからないものである。だが、キョウジにとっては今目の前にあるものが現実なのだ。
(ならば、それが終わる時までそれを噛み締めるのみ)
そんなことを思いながらドアを出て、キョウジは歩き出した。目指すは自宅。そこで待ってくれている彼女のことを想いながら、キョウジは帰路に着いたのだった。