前回の続き、サラたちがアウローラに合流した後になります。
最後に向けて、色々と展開も動き始めてきだす頃でしょうか。
では、どうぞ。
「アンジュの騎士だと!?」
タスクに何度も斬りかかりながら激昂するエンブリヲ。余程、先ほどのタスクの発言が気に食わないようだった。
「旧世界のサルども! テロリストの残党風情が!」
怒りに任せたエンブリヲは攻撃の手を休めない。タスクは防戦一方でここまでなんとか凌いでいた。
「無駄なことを…」
そんなタスクを、エンブリヲがバカにしたように蔑む。
「無駄じゃないさ。ハイゼルベルグの悪魔、不確定世界の住人、少しでも、お前の足止めができるならな」
タスクが反論する。その表情には、例え刺し違えても己の目的を達成するという強い意志が見て取れた。
「ほぉ…」
エンブリヲが剣を捨て、少しだけ感心したような口調になった。
「サルも少しは賢くなったということか。だが…」
エンブリヲはいつもの厭らしい笑みを浮かべると銃を手にし、自分のこめかみへと銃口を当てた。
「所詮はサル」
そして、そう侮蔑するように言い残すと躊躇なく引き金を弾いた。当然のごとくエンブリヲは血を流しながらその場に倒れ、そして跡形もなく消え去る。
「! しまった!」
その行為の意味に気付いたタスクの表情が青ざめた。
「モモカ、海よ!」
他方、アウローラを目指してタスクのマシンを駆っているアンジュ。いつの間にか時間は経ち、夕暮れが辺りを包んでいた。と、アンジュの後ろに跨っていたモモカが不意に手を伸ばし、アンジュに手を重ねて操縦桿を操作した。
「モモカ…?」
アンジュがその行為に怪訝な声を上げる。当のモモカは、再び瞳からハイライトが消えていた。その意味するものは…
「!」
アンジュが息を呑んで着地点になるであろう場所に目を向けた。そこには、椅子に腰かけて悠然とお茶を楽しんでいるエンブリヲの姿があった。
「っ!」
その姿に、思わずアンジュは拒否反応を起こし身震いしてしまったのだった。
「アンジュ」
結局、エンブリヲのすぐ側に着陸することになったアンジュたちをエンブリヲが迎えた。
「怒った顔もまた美しい」
椅子から立ち上がると、エンブリヲはゆっくりとアンジュに近づく。対照的にアンジュは怒りからか嫌悪感からかワナワナと震えていた。
「…何故、そこまで私を拒絶する」
刺すような視線でアンジュを射抜いたエンブリヲがアンジュに尋ねる。そして、瞬時にアンジュの背後に回った。
「あの男か」
「!」
エンブリヲはそのままアンジュの右手を掴むと、背中越しに捻り上げた。
「それとも、君を護って吹き飛んだ、あの彼かな?」
「!」
思い出したくもないことを思い出させられ、アンジュがガタガタ震えた。と、不意に近場の手摺にワイヤーが絡まり、今話題に出していた人物の片割れ…タスクがそのワイヤーを伝ってその場に現れた。
「アンジュを放せ」
「ふっ」
エンブリヲが蔑むように嘲笑する。と、それを合図にしたかのようにモモカが剣を片手にタスクに襲い掛かった。
「モモカ!」
タスクが驚いて何とか剣を受け止めるが、予想外の展開だったからだろうか自分の得物を落としてしまう。そのままモモカは、恐るべきスピードで刺突を繰り返してタスクに襲い掛かった。
「くっ!」
歯噛みしながらも何とかやり過ごすが全てをかわし切れず、タスクは何箇所か身を斬られることとなった。
「肉体の限界まで身体能力を高めた。愚かな男の末路を見ていたまえ」
「止めて…っ!」
アンジュが痛みに顔を顰めながらもゆっくりと顔を起こす。その視線の先には、問答無用でタスクに襲いかかっているモモカの姿があった。
「止めなさい! モモカ!」
「無駄だよ。創造主の命には抗えない」
何とかその暴挙をやめさせようとするアンジュだが、エンブリヲは余裕綽々と言った様子でそう言い切る。だが、アンジュの諦めの悪さも中々のものであることをエンブリヲは忘れていた。
「違う…。モモカは、私の筆頭侍女よ。目を覚ましなさい! モモカ!」
叱りつけるかのように叫ぶアンジュ。と、エンブリヲの想定外のことが起こった。
「アンジュ…リーゼ…様…」
モモカの瞳にハイライトが戻ったのだ。それは、エンブリヲの洗脳、支配から脱却したことを表していた。
「タスクさん、姫様をお願いします。私と…シュバルツさんのぶんも」
「!」
モモカが正気に戻ったことにタスクが驚き、思わず息を呑んだ。そのままモモカは持っていた剣を、エンブリヲに向けて構え直す。
「逃げてください、姫様!」
そして、そのままエンブリヲへと突っ込んだ。
「!」
アンジュはそれを合図にしたかのようにもがくと、何とかエンブリヲの拘束から逃れる。が、エンブリヲは一先ずアンジュのことを意識の外に追いやることにした。そのまま、拳銃を取り出すと構える。
「ほぉ…」
感心したかのように呟くと、エンブリヲは躊躇なくその引き金を弾いた。モモカの胸に銃弾の風穴が開く。
「モモカ!」
アンジュが思わず声を上げるも、モモカは怯むことなくエンブリヲに突進していく。
「光よ! マナの光よ!」
「何っ!?」
驚愕に彩られたエンブリヲの胸板をモモカの剣が貫いた。その直後、モモカがマナの力によって操縦したのであろう一台の車が突っ込んできて、エンブリヲを撥ね飛ばす。そして、モモカ自身も。
モモカはそのまま暴走した車と共に崖下へと落ちていく。その彼女を飲み込むかのように車が爆発炎上し、モモカはその姿を消したのだった。
「モモカ…」
フラフラとした足取りで、アンジュは車が破壊して落下した崖の手前までやってくる。そして、愕然とした表情でその場に崩れ落ちた。
「モモカ…モモカーーーっ!」
嘆きながら崖下に向かって叫ぶ。そんな、絶望の淵にいるアンジュにタスクが近寄ると、彼女をお姫様抱っこの形で抱きかかえ、自分のマシンに向かって歩き出す。
「! 待って! モモカが!」
諦めきれないのだろう、タスクの腕の中でアンジュが暴れる。が、タスクはそれを黙殺するかのように足を止めることはなかった。
「タスクお願い! モモカを!」
アンジュがそう訴えた直後、その空間に銃声が鳴り響いた。そして、タスクの瞳が大きく見開かれる。
「いやいや、驚きだよ。ホムンクルスたちの中に、私を拒絶する者がいたとは」
「エンブリヲ…っ!」
タスクが振り返ると、そこには当然のようにエンブリヲが立っていた。
「よくも…よくもシュバルツだけでなく、モモカまで!」
怒りと恨みからエンブリヲに向かっていこうとするアンジュだったが、それはできなかった。何故ならタスクが手錠でアンジュと自分のマシンを繋いでしまったのだ。
「えっ!?」
戸惑うアンジュをよそにタスクがマシンを自動操縦にセットした。
「君は…生きるんだ」
そして、優しく微笑む。
「必ず帰るから。君のところに」
「ダメ…ダメよ、タスク!」
アンジュが必死にタスクを翻意させようとするが、その先は言えなかった。タスクに口付けされてその口を塞がれてしまったからだ。
「……」
状況が状況なのに、思わず頬を赤らめてアンジュはウットリとした表情を浮かべた。少し後、タスクがアンジュから離れる。そして、アンジュの手の平にあるものを乗せた。
それはネックレスだった。この状況下で渡すということはタスクにとって余程大事なものなのだろう。ひょっとしたら父親か母親の形見なのかもしれない。
残念なことに鮮血に染まってしまったそれは、夕日を受けて鈍く輝いていた。そしてそれを合図としたかのように、タスクのマシンはアンジュを乗せて空へと舞い上がる。
「タスク! タスクーっ!」
叫んでも距離は遠ざかるだけだった。そしてタスクはエンブリヲに向き直る。
「下郎が!」
目の前でアンジュとのキスシーンを見せられたことが余程我慢ならなかったのだろう。怒りを隠そうともせずにエンブリヲはタスクを撃った。
「うっ!」
銃弾をその身に喰らい、よろけながらタスクは膝を着く。が、
「しつこい男は…嫌われるよ!」
その言葉と共に、防弾チョッキを勢いよく開けた。直後、タスクとエンブリヲのいた場所が爆発と轟音に包まれ、炎上した。
「は…っ…」
アンジュが振り返ると、そこには黒煙が立ち込め何も確認できなくなっていた。
「嘘でしょ…ねぇ…?」
今日で何度浮かべたのかわからない絶望の表情を再び浮かべ、縋るようにアンジュが呟く。
「嘘よね…モモカ…タスク…シュバルツ…」
先ほど、タスクに託されたネックレスを握り締めながらアンジュが思わず涙を流した。
「私を…一人にしないで…」
そして、赤く染まった空にアンジュの慟哭が響き渡ったのだった。
「ラグナメイルコネクター、パージ」
日が沈んで夜になったミスルギの皇城で、エンブリヲの声が響く。が、それと同時に何かを引っ叩く音がその空間に響いた。
「くっ!」
直後に、サリアが顔を赤く染めたまま苦悶の表情を浮かべている。どういう状況なのかと言うと、エンブリヲが椅子に腰かけながら自分の計画の指示を出している。そして、その膝の上にはサリアをうつ伏せにして寝かせ、お仕置きよろしく彼女の尻を叩いているという状態であった。無論、下着は開けて素肌の状態である。
…本当に、調律者の名が泣く行為である。
「耐圧核展開。ドラグニウムリアクター、エンゲージ」
だが、調律者様は気にする様子もなく次々に指示を出していく。
「D-ブレーン共振器、接続。全出力、供給開始」
エンブリヲの指示に伴って次々に次の段階へと進み、アウラを取り囲むように配置されているラグナメイルが共鳴するかのように光りだす。そして、その光が暁ノ御柱まで届いた。
「準備は整った。なぁ?」
自分の膝の上のサリアに問い掛けながらエンブリヲが再び彼女の尻を引っ叩いた。
「ああっ!」
エンブリヲの膝の上でサリアが悲鳴を上げる。が、エンブリヲは自分の膝の上の彼女に大して興味を示さなかった。
「…アンジュがいないとは」
「っ!」
これ見よがしに溜め息をつきながら呟いたその一言に、サリアが羞恥とはまた違う意味で顔を赤く染めた。
「何故逃がした?」
「……」
サリアは答えない。が、エンブリヲはすべてお見通しのようだった。
「嫉妬か?」
尋ねると同時にエンブリヲが三度サリアの尻を引っ叩いた。
「どうしてアンジュが必要なんですか!」
顔を赤く染めたままサリアが振り返るとエンブリヲをキッと睨み付けた。
「私はずっと、エンブリヲ様に忠誠を誓ってきました。エンブリヲ様のために戦ってきました。なのに、またアンジュなんですか!? 私はもう、用済みなんですか!?」
サリアが素直に己の心境を吐露して訴える。それは、糾弾や怒りと言うよりは文字通り見捨てられる恐怖や取って代わられる嫉妬心から来ているものだった。
それがわかっているからだろう、エンブリヲがサリアを弄ぶように口を開き始めた。
「私の新世界を創るのは、強く賢い女たちだ。だから、君たちを選んだ。アンジュも同じ理由だ」
よくもまあ、こんなペラッペラの嘘をスラスラと言えるものである。だがある意味、面の皮の厚さはまさしく調律者と言っても過言ではないかもしれないが。
「愚かな女に用はない」
「はっ!?」
そして、調律者様はサリアを見限るような言葉を発した。それがわかったからだろうか、サリアの表情が先ほどまでの鋭いものではなく、弱々しいものに一変してしまった。
エンブリヲはそのまま立ち上がり、そのためサリアは地面に倒れ伏すことになった。そして、サリアを大上段から見下ろす。
「アンジュは必ずここに来るだろう。私を殺すために」
最後通告のつもりだろうか、エンブリヲがその先を続ける。
「サリア。君が本当に賢く、強いなら、やるべきことはわかるね?」
急いで開けていた下着を元に戻すと、そのままサリアはエンブリヲに敬礼する。
「アンジュを捕え、服従させます」
「期待しているよ、私のサリア」
「っ!」
上辺だけの期待の言葉に、サリアは悔しさに唇を噛んだのだった。
「レイザーは破損部の装甲を換装! ロザリー機は補給を最優先! ヒルダ機はダメージチェックを!」
『イエス、マム!』
場面は変わりアウローラの格納庫。メイが慌ただしく整備班に指示を出している。先ほどナオミからある程度の説明を受け、不承不承とは言え納得したので自分の仕事に戻っていた。年は若くても、こういうプロ意識は流石に部門を任されているだけのことはあるということだろうか。
「マリカ!」
「もう、勝手に出て行っちゃだめじゃない!」
「ゴメン。でも、そのぐらいで勘弁してよ。この後司令に呼び出されてるんだから…」
『あー…』
勝手に出撃したマリカを糾弾していたメアリーとノンナだったが、そのマリカの一言を聞いてこれ以上責める気が無くなってしまった。ゾーラのお説教が待っているのだから仕方ない話であるが。
そのゾーラは、出撃していたヒルダたちと一緒に異世界からの客人、サラたちと対面していた。
「二つの地球を…融合?」
「ええ」
サラが頷く。
「リザーディア…と言っても誰だかわからないでしょうけど、我々がミスルギに送り込んでいたスパイからの情報です。制御装置であるラグナメイルと、エネルギーであるアウラ。エンブリヲは、二つの地球を時空ごと融合させ、新しい地球を創るつもりなのです」
「何ともはや…」
ゾーラが苦虫を噛み潰したような顔でボリボリと頭を掻いた。
「随分な真似しようとしてるもんだね、その神様ってやつは」
「仰る通り」
サラが再び頷いた。その脳裏には、真なる地球で見た、あの竜巻が巻き起こした悲劇が思い出されていた。
「二つの世界が混ざり合えば、全てのものは破壊されるでしょう。急がねば…。司令官殿」
サラがゾーラに向き直る。
「ん?」
「我々アウラの民は、ノーマとの同盟締結を求めます」
「ああ、いいよ」
ゾーラの即断にサラが少しだけ驚いたような表情をした。
「…宜しいのですか?」
「何がだい?」
「いえ、碌に考えもせずにすぐに決めてしまって」
「あんたたちのことはアンジュから聞いてたからね。それから今まで、判断する時間は十分にあった。別に考えなしに決めたわけじゃないさ。それに、あたしらの戦力だけで奴らに渡り合うのは現実的じゃない。それはおたくらだって同じだろう?」
「はい」
「だったら、取るべき指針は一つだ。それだけのことさ」
「そうですか」
そこでサラがフッと微笑んだ。
「話の分かる方で、助かりましたわ」
「まあ、今言ったことも嘘じゃないが、何よりあいつがあんたらの世話になって、信用できるって言ってくれたことも大きいがね」
「それって…」
言葉にこそしなかったが、サラの頭に浮かんだ人物とゾーラの頭に浮かんだ人物は一致していた。
「ただし、条件が一つある」
ゾーラが人差し指を立てた。
「条件…ですか?」
「ああ」
「何でしょう?」
「何、難しいことじゃない。アンジュを取り戻すことさ。エンブリヲを倒すためにはあいつのヴィルキスが核になるんだろう?」
「はい」
「だったら、あいつがいなけりゃ何の意味もない。と言うことで、あいつの探索、あんたらも協力してくれるね?」
「それは勿論」
「よし」
サラの了承を得て、ゾーラが満足げに頷いた。が、その和やかな雰囲気はすぐに打ち砕かれる。
『おや? アンジュは戻っていないのか?』
聞いたことのない声に、その場の全員が声のした方に顔を向けた。ジャスミンの飼い犬であるバルカンが鋭く唸りながら警戒心を剥き出しにしている。
『やれやれ、何処に行ってしまったのやら、我が妻は』
そこに現れたのはエマだった。だが、その声色はいつものエマのものとは明らかに違っていた。
「監察官さん?」
「違います、あれは!」
不思議に思って声を上げたヴィヴィアンをサラが制した。エマの横にウインドウが開き、そこには、
「エンブリヲ!」
今話題に上っていたエンブリヲが姿を現したのだ。全員の間に緊張が走る。
「エンブリヲだって!?」
ジャスミンが思わず声を上げた。と同時にバルカンがエマにとびかかるが、こともなげに一蹴されてしまう。
「バルカン!」
「トチ狂ったか、テメェ!」
ヒルダが銃を構えようとするが、サラが刀でそれを制した。
「彼女は、操られているだけです」
「何?」
驚くヒルダを尻目に、サラが視線をエンブリヲに向ける。
「逃げた女に追いすがるなど、無様ですわね、調律者殿」
『ドラゴンの姫か』
挑発するサラだが、エンブリヲも軽く受け流す。
「焦らずとも、すぐにアンジュと共に伺いますわ。その首、もらい受けに」
『ほぉ…』
そこで何を思いついたのか、エンブリヲがよく浮かべる意地の悪い笑みを浮かべた。
『それはそうと、面白いものを見せてやろう』
「結構ですわ。どうせ碌でもないものでしょう」
『それは実際に見てから判断したまえ』
そして、反論を気にすることもなくエンブリヲはある映像を流し始めた。そこには、
『! シュバルツ!』
彼女たちが最も望む人物の姿があった。
「? あなた方と一緒にいるのではないのですか?」
そう言えばその姿を今まで見ていないことに気づいたサラがゾーラに尋ねた。
「ちょっとわけありでね。今、出張ってる」
と、映像が動き始めた。そしてその直後に出てきた人影を見た第一中隊の面々が驚愕に目を剥いたのだ。
「あれは、ココ!」
「それにミランダも! どうなってるんだよ!?」
ヒルダとロザリーの疑問に当然ながら答えられるものは存在しない。その間も映像は進み、そして、
「え…?」
誰の呟きかわからないものが誰かの口から発せられ、そして消えた。が、それは他の面々も心情的には同じだった。何故ならシュバルツは爆弾を持って走り出したココとミランダをその両肩に担ぎ上げ、そしてビルの屋上から空中に身を投げ出し、その直後に爆発に巻き込まれたのだから。
「嘘…」
またしても誰かが呆然と呟いた。その場の全員の視線は、ウインドウの中の延々と炎上する炎と黒煙に釘付けだったからだ。
『どうかね?』
そして頃合いを見計らったかのように再びエンブリヲが姿を現す。
『中々面白いものだっただろう?』
「し、信じません!」
真っ先に口を開いたのはサラだった。憎悪をみなぎらせながらエンブリヲを睨む。
「何の真似ですか、あんな偽造したものを!」
『やれやれ、君はもう少し理知的だと思ったがね、ドラゴンの姫』
エンブリヲは余裕綽々の態度を崩さず、小バカにするようにサラに話しかけた。
『偽造? 私がそんな回りくどい真似をすると思うのかい? 君が信じたくないものは現実に起こっていても信じないような底の浅い相手だとは思わなかったよ』
「ッ! さっきから言わせておけば!」
ギリッと歯ぎしりしながらサラが憎しみのこもった目でエンブリヲを睨みつける。
『君たちもああなりたくなかったら、無駄な抵抗は止めることだね。そうすれば生命だけは…』
悠然と言葉を続けるエンブリヲだったが、その先は言えなかった。と言うのも、
「ラーっ!!!」
サラがエンブリヲ…と言うより、エンブリヲに操られているエマにおたけびを浴びせかけたからである。それによってエンブリヲが開いていたウインドウは粉砕され、そして支配下にあったエマも意識を取り戻して気を失ったからである。
「そんな…」
『サラマンディーネ様!』
エンブリヲを蹴散らしたサラはそのまま崩れ落ちてしまった。慌ててナーガとカナメがサラの元に駆け寄るも、二人とも心境としてはサラと同じだった。何せ、目の前で最も頼れる戦力が死亡した場面を見せつけられたのだから。
しかし実はエンブリヲは、あの程度でシュバルツが死んだなどとは毛頭思っていなかった。ただ精神的ダメージを与えるためにあの映像をアルゼナルの面々、そしてサラたちに見せたのだ。そして、その目論見は思い通りに嵌った。
が、エンブリヲにとって誤算だったこともあった。それは…
「大丈夫かい?」
腕組みをしながらゾーラが崩れ落ちたサラに声をかける。サラは顔を弱々しく上げると、フルフルとその首を左右に振った。
「申し訳ありませんが、そんなわけ…」
「だろうね」
ゾーラも同意する。と、そこでサラは一つの違和感に気付いた。それは、同じようにショックを受けているはずのアルゼナルの面々が誰一人サラと同じような状態になっていないことである。その目からはエンブリヲに対する敵意こそありありと感じられたが、シュバルツに対する悲愴感と言うのはあまり感じられなかった。
「あの…一つ宜しいですか?」
サラが何とか立ち上がりながらゾーラに尋ねる。
「何だい?」
「その…どうして皆さん普通にしていられるんです? あんなシーン見せられて」
「決まってるだろ」
口を開いたのはヒルダだった。
「あいつがあんなことぐらいで死ぬわけないからさ」
「そうだぜ。さっきの映像が例え事実だとしても、あんなことぐらいでくたばるような奴じゃない」
「うん。それに、シュバルツは約束してくれたし」
「約束?」
「ああ」
サラの疑問符にゾーラが答えた。そしてそのまま、顔をナオミに向ける。
「なあ、ナオミ?」
「はい。必ず帰ってくるって、そう約束して出て行きましたから。あの人が約束を破るわけはありません」
「と、言うことさ」
ゾーラが義眼である右目の辺りを擦りながら、満足そうに答えた。
「さっきヒルダも言ったが、あいつがあのぐらいで死ぬようなタマか。それはあんただってわかってるんじゃないのかい? あいつ、暫くあんたたちのところでご厄介になったんだろ?」
「はい」
「だったら、あいつがどれほど外れた存在かはわかってると思ったけどね。そんなあいつが必ず帰ってくるって言ったんだ。帰ってくるに決まってるさ。あたしらは、それを信じて待つだけだよ」
「場合によっては、こっちから迎えに行くのもアリですけどね」
「そーゆーことさ」
これが、エンブリヲの誤算だった。エンブリヲはサラたち同様、アルゼナルの面々も先ほどの映像で大いにショックを受けると踏んでいたが、そんなことはなかったのである。
確かに全員少なからずショックは受けているだろうが、それでもシュバルツがあのまま死んだとは誰も思っていなかったのだ。寧ろどこかで生きていて、必ず戻ってくると信じて疑っていなかった。エンブリヲはサラたちの心をへし折ることには成功したが、ゾーラたちアルゼナルの面々の心はへし折れなかったのである。
(…敵いませんわね)
そして、その様子を目の当たりにしたサラも落ち着きと平静を取り戻したのだった。
「お見苦しいところをお見せしてしまいましたね」
「いいさ。あたしらだってあいつとの付き合いが短かったら、同じようになってるはずだからな」
そして、サラとゾーラは互いに顔を見合わせるとフッと笑った。中々に良い関係の築けそうなコンビである。
「まあ、シュバルツのことは取り敢えず置いておいて、差し当たってはアンジュだね」
「ええ。ここに戻ってきてないことを知った以上、エンブリヲは形振り構わずアンジュを探すでしょう。その目をかわし、アンジュを助け出さなければなりません。できますか?」
「やるしかないだろうよ」
ゾーラが軽く頭を掻く。
「何はともあれ、鍵であり核となるのがあいつだ。くたばってんならともかく、そうじゃないなら必ず回収しないとな」
「ええ。…でも大丈夫。必ず帰ってきますよ、アンジュは」
「へぇ…自信満々じゃないか。何でわかるんだい?」
興味深気にそう聞いたゾーラに、
「友ですから」
サラは不敵な笑みを浮かべてそう答えたのだった。
「やれやれ…野蛮な女だ」
ミスルギの皇城でエンブリヲは溜め息をつくと、一冊の本を広げて読書をしだす。と、その部屋のドアが不意に開いた。
「ん?」
エンブリヲが本から顔を上げて視線をドアの方向に移すと、そこには悲しみの表情を浮かべて立ち尽くしているエルシャの姿があった。
「エンブリヲさん…」
「どうしたね、エルシャ?」
暗い表情をしているエルシャにエンブリヲが声をかける。
「幼稚園の…子供たちが…」
その一言、そしてエルシャの表情で何が起こったのかエンブリヲには大体察しがついた。そして、エルシャがこれから言わんとすることも。
「あの子たちを、また、生き返らせてください」
予想通りの懇願に、エンブリヲは大きく溜め息をついた。そして、
「それはできない」
エルシャにとっては想定外の一言を口に出したのだった。
「えっ!?」
呆気にとられたエルシャが呟く。そんなエルシャを無視して、エンブリヲはそのまま言葉を続けた。
「新しい世界は新しい人類のもの。あの娘たちは連れてはいけないんだ」
「そんな」
「君には新たな世界で、新たな人類の母になってもらいたい。わかってくれるね、エルシャ?」
「いや…いやっ!」
愕然とした表情になってエルシャがエンブリヲに駆け寄り、跪いて懇願する。
「あの子たちは! あの子たちは私の全てなんです! 私はどうなっても構いませんから、どうか…!」
エルシャの必死の懇願に、エンブリヲは煩わしい表情を浮かべ、その目の前で手の平を広げる。と、
「がっ! ぐっ!」
エルシャが急に苦悶の表情を浮かべた。そして、宙に吊し上げられる。まるで首根っこを締め上げられたかのように。
「もう少し物分かりのいい女だと思ったが…」
エンブリヲは苦しむエルシャを蔑んだ目で見ながら、心底失望したような口調でそう呟いた。
そして、それと同時にエルシャを解放する。呼吸器を押さえつけられて当然苦しかったのだろう、地面に倒れこんだエルシャが何度も咳き込んだ。
「これ以上手を掛けさせないでくれ。私は忙しい」
そう吐き捨ててその場を去るエンブリヲ。そんなエンブリヲにエルシャは何もできず、声を押し殺して泣くことしかできなかった。
「ミスルギでヒルダたちを追い詰めたの、クリスらしいよ」
「何?」
ジルの自室。ソファーに腰を下ろしながら口を開いたジャスミンに、ジルが怪訝そうな表情になった。
「ヒルダたち相手に互角に立ち回って、新兵も一人やられかけたんだと」
「……」
「エンブリヲの部下は優秀だね。兵隊も、隊長さんも」
「…何が言いたい」
ジルが憮然とした表情で口を開いた。
「いや…」
吐き出すようにそう言いながら、ジャスミンがソファーから立ち上がった。
「サリアにもっと優しくしていれば、あの子が敵になることはなかったんじゃないか…ってね」
ジャスミンはジルを一瞥してそれだけ言い残すと部屋を出て行った。その後を、バルカンがついていく。
「……」
残されたジルはどんな顔をしたらいいのかわからず、しかめっ面を浮かべることしかできなかった。
「全部、嘘だったのね…」
雨が降りしきる皇城の中庭。雨に打たれるのも気にせず、全身濡れ鼠になりながらエルシャがシャベルで穴を掘り、呆然と呟いた。
「平和な世界も、平等な暮らしも、何もかも…」
涙が雨と共に流れ落ち、思わずそれを拭った。
「ごめんね、みんな」
許しを請いながらエルシャは穴を…彼女たちの墓標を作り続けていた。やはり爆発に巻き込まれて粉々になってしまったのか亡骸は見つけられなかった。ただ、彼女たちの日用品や遊び道具は元の面影が無くなったといえどある程度は見つけられたので、それを埋める気だった。
エルシャは悲しみと絶望の中、雨に打たれながらその後も延々と穴を掘り続けたのだった。
とある孤島。
アンジュを乗せたタスクのマシンはその島に着陸する。そして、役目は終えたのだろう、オートロックを解除した。
「ん…」
解放され、自由になった手首をプラプラさせながら前方を見る。そこには見覚えのある光景があった。そう、タスクがねぐらにしていたあの横穴の住居である。タスクは二人が初めて会った場所に航路を設定していたのだ。
マシンから降り立ったアンジュは覚束ない足取りで懐かしのその場所へと歩いていく。彼女の全身もエルシャと同じく雨が濡らしていた。
「あの日の…まま…」
入り口で立ち尽くしながら呆然とアンジュが呟いた。そして、中に入っていく。と、その拍子にそのポケットから何かが滑り落ちた。金属音に振り返ると、そこには床に落ちたペンダントが光っていた。タスクに託された、あのペンダントである。
「……」
それを目にして、アンジュの真紅の瞳が揺れる。
「帰るときには、いつも貴方がいた…。帰る場所には、モモカ、貴方が…」
タスクとモモカの姿がアンジュの脳裏に浮かび上がる。
「そして、そんな私をいつも護ってくれたのは、貴方だった…」
アンジュの脳裏に今度はシュバルツが浮かび上がった。しゃがみ込むと、アンジュは落としたそのペンダントを拾い上げる。
「なのに…なのに…」
今は誰もいない。その事実がアンジュの心に重くのしかかり、自然と落涙させる。そしてそのまま、彼女の周りを慟哭が包んだのだった。
同時刻、アウローラ。
『私が、アレクトラの仇を討つんだから!』
自室でソファーに横になりながら、ジルは昔のことを思い出していた。先ほどジャスミンに言われたからだろうか、泣きながらそう言ってくれたサリアのことを。しかし、今彼女はここにはいない。
「……」
ジルはその事実から目を背けるように寝返りを打った。そして、その当人であるサリアは、
「アンジュは、必ずここに来る…」
ミスルギ皇城の自室で、ベッドの上に体育座りをしながらブツブツと呟いていた。
「期待しているよ、私のサリア…」
膝を抱えながら、先ほどエンブリヲに掛けられた言葉を復唱するように呟いた。が、
「だって。嘘ばっかり」
サリアが吐き捨てるようにそう言うとベッドから立ち上がる。
「でもね、アンジュ。あんたがいなくなれば、私の方が強いってわかれば…」
サリアは部屋に飾ってある変身用の自分の衣装の元へとツカツカと歩み寄った。そして、コンバットナイフを抜いてその手を振り上げて、自分の衣装に突き立てた。
「エンブリヲ様は認めてくれる! 私の価値を!」
そして、まるでアンジュにそうするかのように衣装を切り裂いた。
「…それができるなら、何もいらない」
そう言って顔を上げたサリアの目は、何も映していないかのように昏いものになっていた。