機動武闘伝Gガンダムクロスアンジュ   作: ノーリ

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お早うございます。

前回の続き、エンブリヲとシュバルツの対面のオリジナルストーリーとなります。

どのような展開になったかはぜひ本文を読んでご確認ください。

では、どうぞ。


NO.50 神と影の交錯

「……」

 

目の前に、重厚な扉がある。その前に立っているシュバルツはふぅと一つ溜め息をついた。そして、一歩歩き出す。と、その重厚な扉が音もなくゆっくりと重々しく開いた。

 

「ようこそ」

 

開かれた扉の先にある室内に足を踏み入れたシュバルツに声をかける人物がいた。シュバルツがその方向に視線を向けると、そこには長ーいテーブルの奥で着座しているエンブリヲの姿があった。

 

「よく来てくれたね」

 

エンブリヲは立ち上がると、嬉しそうに笑みを浮かべて両手を広げる。対照的に、エンブリヲの後ろに整列している五人…ダイヤモンドローズ騎士団の面々であるサリア、エルシャ、クリス、ターニャ、イルマは緊張しているような、申し訳ないような表情を浮かべて整列していた。

 

「よくそんなことが言えるな」

 

エンブリヲの後ろに整列している五人が、まずは変わりない様子であることを確認して安心したシュバルツが少し呆れたような口調で呟いた。

 

「ん?」

 

楽しそうな表情のまま、エンブリヲが少し首を傾げる。

 

「断れないような招き方をしておいて、その言い草はないだろう」

「フフッ…」

 

サリアたちはそのエンブリヲに対するシュバルツのものの言い方にムッとしたようで得物を抜こうとしたが、エンブリヲが手でそれを制した。

 

「申し訳ない。君とは一度、どうしても話をしたかったのでね」

「…光栄だな」

 

皮肉気にシュバルツがそう言うが、エンブリヲは気にした様子もなかった。

 

「さ、掛けてくれたまえ」

「ああ。お言葉に甘えるとしよう」

 

シュバルツが言われた通り、自分の近くにあった椅子を引くとそこに腰を下ろした。その正面には同じように再び椅子に掛けたエンブリヲの姿があった。と言っても、前述の通り長ーいテーブルの両端なので、両者の間には随分と距離があるのだが。

シュバルツが椅子に掛けたのを確認すると、エンブリヲはパチンと指を鳴らした。と、奥にある扉が開いて数人のメイドがあるものを運んできた。そしてそれをエンブリヲとシュバルツ、二人の前に黙々とセットする。

やがて、用意が整ったそれはコースメニューと思わしき食事のセットだった。そしてメイドたちはエンブリヲとシュバルツのグラスにワインを注ぐと、そのまま部屋を出て行った。

 

「では」

 

エンブリヲがワイングラスを手に取ると、スッとそれを持ち上げる。

 

「ああ」

 

同じように、シュバルツもワイングラスを持ち上げた。そして、

 

「乾杯」

「乾杯」

 

乾杯を交わすと、二人はワイングラスに口を付けたのだった。

 

「さあ、存分に楽しんでくれたまえ」

「…そうだな、そうさせてもらおうか」

 

ワイングラスを置いたエンブリヲに促され、シュバルツはナイフとフォークを手に取った。一呼吸遅れて、同じようにエンブリヲもナイフとフォークを手に取る。

こうして、呉越同舟の何とも奇妙なランチは始まったのだった。

 

 

 

 

 

少し時を巻き戻してアルゼナル。

 

「これでよし…」

 

シュピーゲルのコックピット内でとあるシステムを組み込んでいたシュバルツがそれを完成させて一息ついていた。偽りの地球にいた頃から考えていたあるシステム。それを、こっちに戻ってきてから急ピッチでシュピーゲルに組み込んでいたシュバルツは、ようやくそれを完成させて安堵の溜め息をついていた。

 

(使う機会があるかどうかはわからんが…)

 

先ほど、自身が組み込んだシステムを思い浮かべる。

 

(まあ、もしもの時の備えはあるに越したことはあるまい。何もなく全てが終わったら、組み直せばいいだけのことだ)

 

そう考えると、シュバルツはシュピーゲルから降りた。そして、いつものように驚くべき速さでアルゼナルを駆け上がってとある場所に辿り着く。

そこは、アルゼナルの中のどこにでもあるとある林の一角だった。その中を、左右を見渡しながらシュバルツがゆっくりと歩く。と、一本の木の前でその足を止めた。

 

「ふむ…これでいいか」

 

ポン、ポンとその幹を叩くと、シュバルツはその木から少し距離を取った。そして、背負っている刀の柄に手を掛ける。

 

「はあっ!」

 

気合と共に走り出すと、その木を刀で根元から切り倒した。切断された木は当然のように轟音と共にその場に倒れる。

 

「よし」

 

シュバルツは一度刀を鞘に納めると、その木に近づいてそれを持ち上げた。そして、

 

「ふっ!」

 

先ほどと同じく気合を入れるとそれを上空に放り投げる。その直後、これまた先ほどと同じように刀の柄に手を掛けるとその木に向かって飛び上がり、そして空中で抜刀すると目にも止まらぬ早業でその木を切り刻んだ。やがて、シュバルツに切り刻まれて落下してきたその木は、二本の丸太に変身していた。一本は短め、そしてもう一本は長めで片方の先端は杭のようにとがった形状になっていた。

 

「よし」

 

もう一度、“よし”と言うと、シュバルツは一本ずつその丸太を持って先ほどの木と同じように上空に投げる。そして、これまた同じように自身も飛び上がると懐から縄を出し、空中でその二本を十字に結わえた。そのままその組み合わさった丸太を手に持つと、長めの方の先端が尖っている方を地面に向け、そのまま地表に向かって投げ降ろす。

 

「はああっ!」

 

気合と共に勢い良く投げ降ろされた丸太は轟音と共に目標地点に深々と突き刺さった。そして、シュバルツはその正面に着地する。

できあがったそれは、巨大な十字架…墓標だった。少しの間自分で作ったそれを見た後、

 

「こんなことしかできないが、許してくれ…」

 

やるせなさそうにそう呟くと目を閉じ、その十字架に向かって祈りを捧げた。そう、これは、文字通り墓標なのだ。人間たちが攻めてきたときに犠牲になった、アルゼナルすべての犠牲者の。

アルゼナルが人間に攻められて多数の犠牲者が出た時、シュバルツは偽りの地球にいた。そして、何もできなかった。そのことはシュバルツの精神に深い傷を残していた。

自分がいたところで犠牲者がすべて救えたと思うほど傲慢ではない。が、それでも犠牲者を少しでも少なくできたのではないか。そう思わずにはいられなかったのだ。だから、少しでも彼女たちの慰めになればと思ってこんなことをしたのだった。

 

(…いや、しょせんは自己満足の欺瞞か)

 

祈りを捧げながらそう思う。どう取り繕おうが自分は犠牲者を助けられなかったのだ。死んだ後にどれだけ立派な墓を建てられても、それで犠牲者が生き返るわけはない。それでも少しでも心を軽くしたいためにこんな真似をしている自分の醜さに、シュバルツは自分のことながら情けないやら腹立たしいやらどうしようもなかった。と、

 

「君が気に病む必要はないよ」

 

不意に、横から声を掛けられる。が、シュバルツは自分が納得いくまで祈りを捧げ、そちらに目をくれることもなかった。そして、ゆっくりと目を開くと、

 

「何者だ?」

 

そこにいた人物に尋ねた。とは言っても、シュバルツも薄々その人物が誰なのかはわかっていたが。

 

「これは失礼。自己紹介が先だったね。私の名はエンブリヲ」

 

そこにいた人物…エンブリヲがいつものように悠然とした笑みを浮かべながら自己紹介をしたのだった。

 

「ほぉ…貴様が」

 

不意に現れたエンブリヲに驚く様子もなくシュバルツがその姿を見た。ある程度予想はついていたから驚くわけもないのだが。

 

「こうして直に会うのは初めてだね」

「確かにな」

 

エンブリヲの言ったことにシュバルツが頷いた。サラたちから話は嫌と言うほど聞いているが、実際に会ったのはこれが初めてなのである。

もっとも、それはシュバルツにとってのことだけで、エンブリヲとしては一方的にシュバルツの姿を覗いたりしているのだが。

 

「敵の総大将ともあろう者が一人で敵地に出向くとは、何とも不用心だな」

「そうかい?」

 

シュバルツの言ったことに対し、エンブリヲが軽く微笑んだ。

 

「敵地と言っても、ここに今いるのは君だけだろう?」

「確かにそうだがな」

 

シュバルツが頷いた。確かにエンブリヲの言った通り、今、このアルゼナル(の跡地)にいるのはシュバルツだけだからである。

 

「それで?」

 

目の前に突然現れたエンブリヲにシュバルツが尋ねた。

 

「ん?」

 

シュバルツの言葉にエンブリヲが軽く首を傾げる。

 

「総大将が単独で何の用だ?」

「ああ、そうだったね」

 

軽くポンと手を叩くとエンブリヲが薄く笑った。

 

「君を招待にきた」

「…何?」

 

言っている意味が分からず、シュバルツがらしくない声色と表情を浮かべる。そんなシュバルツに構わず、エンブリヲは言葉を続けた。

 

「君とは一度ゆっくり話がしたいと思っていてね。どうかな、ランチでも共にしながら?」

 

本当はディナーにしたいところだが、何分私も忙しい身なのでね…そう続けたエンブリヲの顔を、シュバルツはジッと見ている。

 

(この男…何を考えている?)

 

それが、シュバルツの率直な感想だった。確かに腹を割って話すには食事を共にするのが手っ取り早いし有効な方法ではある。しかし、それもそれなりの関係にあればの話である。

明確に敵対関係にあるのに食事を共にしても効果らしい効果は期待できるものではない。政治の世界ならよくある話でもあろうが、残念ながらそういうわけでもないのだ。可能性として考えるならば、毒殺される方が余程考えられた。

 

(もっとも、そんな下手を踏む気はないがな)

 

そう思う。また、エンブリヲ自身もシュバルツを毒殺できるなどとは思っていないだろう。となれば、純粋に食事の誘いということになる。そして、その席で何を言ってくるのか…

 

(容易に想像はできるがな)

 

そして、自分がそれに頷くことはないだろうことも容易に想像できた。そのため、

 

「折角だが…」

 

当然、断りの文句が口を突いて出た。

 

「ん?」

「丁重にお断りさせてもらおう」

「ふむ…理由を聞いていいかい?」

 

エンブリヲがそう言って理由を尋ねてきた。

 

(惚けているのか? まさか本当にわからないわけはないだろうが…)

 

自信たっぷりの薄い笑みに嫌悪感を抱きながらシュバルツが口を開く。

 

「こちらとしては話すことは何もないからだ」

 

そう伝えた。が、エンブリヲの余裕の笑みは崩れない。それが、シュバルツには嫌な予感しか感じさせなかった。

 

(何を考えている?)

 

そう思いながら、シュバルツはエンブリヲの返答を待った。

 

「そうかね」

 

シュバルツが返答した断りの理由は想定の範囲内だったのだろう、特別狼狽える様子もなくエンブリヲが返してきた。そして、

 

「だが、こちらとしてはどうしても君と話をしたくてね」

 

シュバルツが断ったのもお構いなく、エンブリヲは自分の都合を押し付けてきた。

 

「だから、あまりスマートなやり方ではないが言わせてもらうよ。“人質”がどうなってもいいのかい?」

「人質だと?」

 

“人質”というワードにシュバルツの眉がピクリと動いた。

 

「誰のことを言っている」

 

本気で誰のことを指しているかわからず、シュバルツがエンブリヲに尋ねた。

 

「おやおや、君はもう少し勘のいい人だと思っていたが…」

 

少し呆れたような口調でエンブリヲが返してきた。が、こんな挑発に乗る程シュバルツは底の浅い人物ではない。

 

「昔から勘は悪くてな」

 

フッと微笑みながら返す。そんなシュバルツに、同じようにエンブリヲはフフッと微笑みを返した。

 

「そちらからの投降者のことだよ」

「…ちょっと待て」

 

エンブリヲが言った一言を聞いたシュバルツの表情が険しくなり、声が鋭くなった。

 

「何かね?」

 

対照的にエンブリヲは薄ら笑いを浮かべたまま尋ね返す。

 

「それは、サリアたちのことか?」

「そうだが?」

「本気で言っているのか、貴様!」

 

シュバルツが怒鳴るが、エンブリヲは意に介した様子もなく立っている。

 

「あいつらがお前についているということは聞いている。ならば、仲間…とまでは言わんがお前にとっては部下だろう! それを駒に使うつもりか!」

「そうだが?」

 

いっそ清々しいぐらい、エンブリヲはハッキリと言い切った。

 

「貴様…」

 

シュバルツの表情が険しさを増す。だがエンブリヲはやはり意に介した様子もなく続けるのだった。

 

「使えるものは使わなくてはね。君たちが彼女たちを完全に見捨てて、あくまで敵としてしか見ていないならこんな真似はしなかったさ。だが…」

 

そこで、エンブリヲは喉の奥でククッと笑った。

 

「彼女たちが今君たちをどう思っているかは知らないが、君たちは彼女たちを完全に敵としては見ていない。できれば、戻ってきてもらいたいと思っている。つまり、情が残っているわけだ。だからこそ、こんな手も有効になる」

 

そこでエンブリヲが指をパチンと鳴らした。すると、サリアたちダイヤモンドローズ騎士団の五人の姿がエンブリヲの背後に浮かび上がる。

 

「彼女たちがどうなってもいいのかい?」

「下卑た真似を!」

 

エンブリヲのやり口に本気で怒っていたシュバルツだが、こういう手に出てこられた以上は答えは一つしかなかった。

 

(この男なら、本気でやるだろう)

 

サラたちから聞いていたこともあり、シュバルツはそう判断していた。何より、目の前にいる本人の気配が尋常ではない。目的のためなら平然と何でも切り捨てるタイプであることが肌で感じ取れていた。

 

「…わかった」

 

故に、この場はシュバルツが折れるしかなかった。

 

「招待に応じてくれて、嬉しいよ」

 

対照的にエンブリヲはぬけぬけとそんなことを抜かす。先ほどまではそんなエンブリヲに怒りもあったが、コイツはこういう奴なんだと思えばシュバルツもあまり腹も立たなくなっていた。

 

(だが、許せるかどうかは別問題だがな)

 

シュバルツは内心で完全に侮蔑しながらエンブリヲを見ていた。そんなシュバルツの内心に気付いていないのか、それとも気付いているがその葛藤を楽しんでいるのかはわからないが、エンブリヲは実に楽しそうにシュバルツを見ていた。

 

「では、行こうか」

 

エンブリヲが身を翻す。が、

 

「ちょっと待て」

 

シュバルツがその足を止めた。

 

「ん?」

 

エンブリヲが首だけ振り返ってシュバルツを見る。

 

「アルゼナルの連中に何も言わずに留守にすることはできん。一度、アウローラに戻らせてくれ」

「正気かい?」

 

エンブリヲが眉を顰めた。

 

「彼女らが許すわけないだろう? 許可できないね」

「わかっている。私も別に馬鹿正直に話すつもりなどない。ただ、少し留守にする旨を置手紙に書いて自室に置いておくだけだ」

「ふむ…」

 

エンブリヲが顎に手を当てて考える仕草をした。

 

「心配するな。先ほど貴様が言ったがサリアたちの生命を握られている以上、私が断れるわけはあるまい。必ず戻る」

「そうだね。だが、これもさっき言ったように私も忙しい身でね。なるべく手短に頼むよ」

「わかっている」

 

シュバルツは頷くと、その場から姿を消した。後に残ったエンブリヲは太陽を見上げて潮風にあたりながら、客の戻りを待つことにしたのだった。

 

 

 

「さて…」

 

アウローラの自室に戻ってきたシュバルツが、先ほど言った通り簡素な置手紙を二つ折りにして自室の机の上に置いた。これでエンブリヲの許に戻るのに何の支障もないのだが、流石に馬鹿正直にそれだけで戻る気はシュバルツにはなかった。

 

「もしもの備えを、誰かに託すべきか」

 

懐から手の平サイズのある物を出すとそれを見つめ、問題は誰に託すかだが…と思いながらそれをしまってシュバルツが自室を出る。と、

 

「あ、シュバルツ」

 

不意に、誰かの声が聞こえた。

 

「ん?」

 

振り返ったそこにいたのは、ナオミだった。

 

「ナオミか…何か用か?」

 

シュバルツが尋ねる。

 

「ううん、そう言うわけじゃなくって。なんかちょっと艦内がザワついてるような気がしたから、自主的に見回りをね」

「そうか」

 

そこで不意にシュバルツは動きを止めると、ナオミの顔をジッと見た。

 

「? シュバルツ?」

 

動きが止まり、ジッと自分を見ているシュバルツに対してナオミが首を傾げた。

 

「どうしたの?」

 

なおもナオミが続ける。と、

 

「ナオミ」

 

シュバルツがナオミの名前を呼んだ。

 

「な、何?」

 

シュバルツの様子におっかなびっくりながらナオミが返答する。すると、シュバルツが再び自分の懐に手を突っ込むと、そこから先ほどのある物を取り出してナオミに向かって投げた。

 

「わっ!?」

 

条件反射的にナオミがそれを受け取る。

 

「一つ、頼まれてくれ」

 

真剣な表情でそう言ってきたシュバルツに、ナオミも思わず背筋が伸びる。

 

「い、いいけど、内容にもよるよ? それに、これ何?」

 

ナオミが、思わずキャッチしたそれをひょいと摘まみ上げた。

 

「頼まれてほしいことというのは今渡したそれに関するものだ。それはな…」

 

そうして、シュバルツはナオミに頼みごとを伝えたのだった。

 

 

 

 

 

「待たせたな」

 

アルゼナル。先ほど自分が造った墓標の前に戻ってきたシュバルツが、そこにいた人物に声をかけた。

 

「遅かったね」

 

そこにいた人物…エンブリヲがゆっくりとシュバルツに振り返る。

 

「…少し、隊員たちに捕まってな」

 

シュバルツが言葉を濁した。わざわざエンブリヲに馬鹿正直に言う必要はない。

 

「そうかね」

 

エンブリヲも、さして気には止めていないようだった。

 

「では、行こうか?」

「ああ」

 

頷いたシュバルツを確認すると、エンブリヲはいつものようにその場から姿を消す。それと同時に、シュバルツの姿もそこにはなくなっていた。残されたアルゼナルの地は、いつもと変わらぬ表情を取り戻していたのだった。

そして舞台をミスルギの皇城へと移した二人は現在、ランチを楽しんでいるという状況になっていたのだった。もっとも、本当に楽しんでいるのはエンブリヲだけで、シュバルツの心中は決して楽しめたものではないのだが。

 

「いいワインだな」

「気に入ってもらえて何よりだよ」

 

とはいえ、当たり障りのない世辞や会話ぐらいは嗜めるのは流石に年長者としての貫禄だろうか。

 

「料理もいい味だ。腕のいいコックがいるようだな」

「ふふふ…」

 

シュバルツが出された料理に対して感想を述べると、エンブリヲが楽しそうに笑った。同時に、背後にいるターニャが嬉しそうに頬を染める。

 

「だ、そうだよ? ターニャ」

「は、はい。あの…」

 

どう言葉を返したらいいかわからないといった様子でターニャが口ごもった。

 

「ん?」

 

その様子に、シュバルツが首を傾げる。

 

「ああ、失礼」

 

シュバルツの様子に気付いたエンブリヲが口を開いた。

 

「今日のメニューには彼女も噛んでいてね。下拵えや味付けに関わっているのさ」

「そうか」

 

そこで、シュバルツは在りし日のことを思い出す。

 

「そういえば、お前は食料事情の酷いアルゼナルの中で、エルシャと並んで料理に対する意識も腕前も高かったからな」

「あ…う…」

 

ターニャが言葉を詰まらせる。褒めてくれたことは素直に嬉しいのだが、今は敵味方となってしまった間柄なのだ。素直に頷いてもいいものかという思いがターニャの反応を鈍らせていたのだった。又、今の会話に出てきたエルシャから、いいなぁとか羨ましいなぁといった感情を向けられているのも素直に反応できない理由だった。エルシャは基本子供たちの世話に回っているため、ここではあまり料理に携わっていないのである(子供たちの食事は別だが)。

そういった、僅かながらもほのぼのとした会話もありつつ、しかしながら大部分は緊張した空気の中で、会食は滞りなく進んでいったのであった。

 

 

 

「ふーっ…」

 

食後のコーヒーを楽しみながら、シュバルツが大きく息を吐いた。

 

「どうだったかね?」

 

そんなシュバルツを満足そうに見ながら、エンブリヲが感想を求める。

 

「ケチのつけようがないな。美味い食事だった」

「そうかね。満足してもらえたようで何よりだよ」

 

エンブリヲがニコニコしている。その後ろにいるダイヤモンドローズ騎士団も、複雑な思いは抱いているのだが、久しぶりのシュバルツのそんな姿に嬉しくないわけはなかった。が、それもすぐに暗転する。

 

「…で?」

 

カップを置くと、シュバルツが口を開いた。

 

「ん?」

 

エンブリヲが首を傾げる。

 

「そろそろ本題に入ろうではないか。先ほど、ランチでも共にしながら一度話し合ってみたかったと言っていただろう。用件はなんだ?」

「ふむ…」

 

周囲の空気が変わり、張り詰める。それに気づいたダイヤモンドローズ騎士団の面々が動こうとしたが、再びエンブリヲが制した。

 

「随分とせっかちだね?」

 

エンブリヲがシュバルツにそう話し掛ける。

 

「アルゼナルの隊員たちに不義理を働いたことがあってな。あまり長時間留守にしたくないのだ。それに、お前も忙しい身なのだろう?」

「確かに。では、単刀直入に言おう」

 

そこでエンブリヲは口の前で手を組むと、シュバルツにスッと鋭い視線を向けた。

 

「シュバルツ。君、私と共に歩むつもりはないかい?」

(やはりな…)

 

十中八九その手のことだろうなと思っていたシュバルツが、自分の予想通りだったことに内心で頷いていた。

 

「どういうことだ?」

 

答えは決まっているのだが、一応、理由を尋ねている。

 

「君のことはかねてから注目していたのだよ」

 

エンブリヲが楽しそうに不敵な笑みを浮かべた。

 

「異世界から転移してきたイレギュラー。それだけでも十分興味の対象なのだが、君はそれだけの存在ではなかった。その圧倒的な戦闘能力、周りを導く力、弱き者や力なきものを護るその純粋な精神。実に素晴らしい! 君のような存在が側にいてくれれば、私はどれだけ心強いか!」

 

興奮気味に話すエンブリヲだが、それとは対照的にシュバルツは冷静だった。ジッとエンブリヲの言っていることに耳を傾けている。

 

「君は、私と共に歩むのにふさわしい人材なのだよ」

 

少し落ち着いたエンブリヲが、口調を元に戻して続ける。

 

「どうかね? 私と共に歩んでくれるかい?」

「成る程な」

 

シュバルツが頷いた。そして、

 

「フフッ」

 

楽しそうに微笑むと、

 

「ハッハッハッハッ…」

 

と、楽しそうに笑いだしたのだった。

 

「! ちょっと!」

 

人によっては嘲笑にも聞こえかねない大笑いに、サリアがムッとした表情でシュバルツに詰め寄ろうとするが、三度、エンブリヲがそれを制した。

 

「何か、可笑しかったかな?」

 

そして、シュバルツに尋ねる。

 

「いや、失敬。気分を害したのなら謝る。だがな…」

 

シュバルツは笑いを収めると、真顔になって正面のエンブリヲに視線を向けた。

 

「それは買い被り過ぎと言うものだ」

 

そして、そう言葉を続けたのだった。

 

「後ろの連中に聞いたのか、それとも貴様が独自に調べたのかはわからんが、何処まで行っても私は所詮一介のファイターに過ぎん。とてもではないが神と共に歩めるような器ではない。そのことは、私が一番良く知っている」

 

一方的にそこまで言うと、シュバルツは席を立った。席を立ったということはつまり、これ以上話を続ける気はないという意思の表れだった。

その行動をエンブリヲは黙ってい見ていたが、ダイヤモンドローズ騎士団の面々はそれに納得できないのか構えようとする。が、四度エンブリヲに制された。

 

「そんなことはないと思うがね?」

「あるさ」

「ふむ…」

 

ならばと、エンブリヲは別の視点から攻めてみることにした。

 

(まあ、彼のことだ。翻意はしないだろうがね)

 

逆にこれで翻意するなら興醒めだが…と、勝手なことを思いながら口を開く。

 

「となると、この子たちと戦うことになるが…いいのかい?」

 

エンブリヲが後ろのダイヤモンドローズ騎士団の面々に手を向けてそう伝える。そう言われ、ダイヤモンドローズ騎士団の面々の表情にも緊張が走った。が、

 

「それは貴様についたところで同じだろう?」

 

エンブリヲの予想通りシュバルツは揺るがなかった。

 

「ん?」

「貴様につけば成る程、確かに後ろの連中とは戦わずに済む。が、その代わりアルゼナル…アウローラやドラゴンの連中を敵に回すことになる。敵味方が入れ替わるだけのことだ。ならば、意味はない」

「それは…状況によっては彼女たちを殺すことも厭わないということかな?」

 

エンブリヲの言葉に、ダイヤモンドローズ騎士団の面々に再び緊張が走った。

 

「…それは、そいつらも覚悟してのことだろう」

『!』

 

そしてシュバルツが言ったその一言に、ダイヤモンドローズ騎士団の面々は例外なく表情を凍り付かせたのだった。何処かで淡い期待を抱いていたのかもしれないが、それは所詮自分に都合のいい幻想でしかないのだ。それを、あらためて思い知らされたのだった。

 

「敵味方である以上、生命のやり取りをする戦場で対峙すれば、どちらかが勝ってどちらかが敗れるのが定め。そして、戦場での敗北が何を意味するかは、そいつらも良く知っているはずだ。寝返ったということは、その覚悟があってしかるべしということだろう。ならば、それに応えるのが戦場で対峙したときの礼儀というもの」

『……』

 

ダイヤモンドローズ騎士団の面々が複雑な表情になってそれぞれ顔を伏せる。それは、その光景を想像してしまったからか、それともシュバルツにハッキリ言われたからかはわからないが。

 

「そうだな、もし…」

 

ダイヤモンドローズ騎士団の面々が複雑な思いを抱いている中、不意にシュバルツが口を開いた。が、そこで詰まってしまう。

 

「ん?」

 

エンブリヲがまた首を傾げた。この室内の中で彼だけは表情が変わらず、楽しそうにしている。

 

「もし…何かな?」

 

エンブリヲがその先を促した。が、

 

「い、いや、何でもない」

 

シュバルツが慌てて首を左右に振る。そして、

 

「返答は以上だ。では、失礼する」

 

そう言い残すと、会食の会場であるこの部屋を出たのだった。

 

 

 

 

 

「振られてしまったな…」

 

シュバルツが退出していったドアに視線を向けながらエンブリヲが呟いた。とはいえ、その声色には残念そうな素振りは見えない。それは、こうなることがある程度予想出来ていたからだろうか。と、

 

「宜しいのですか? エンブリヲ様」

 

不意に、後ろからサリアがエンブリヲに声をかけてきた。

 

「ん?」

 

いつものように薄く笑いながらエンブリヲが振り返る。

 

「彼を…このまま返してしまって…」

 

言葉を選びながらサリアが続けた。

 

「構わないさ」

 

そんなサリアに、エンブリヲがそう答える。

 

「ある程度予想はしていたことだしね。ダメで元々でもあったし。それに…」

「? それに?」

「これで、彼は間違いなく敵でしかないと確認もできた。つまり、遠慮なく排除できるというわけさ」

 

そう言って浮かべた酷薄な笑みに、サリアだけでなく他のダイヤモンドローズ騎士団の面々も背筋が寒くなった。

 

「フフフフフ…」

 

エンブリヲが楽しそうに笑うとワイングラスを手に取る。そして、まだ中に残っている赤ワインを撹拌するかのようにゆっくりと回した。

音を立てて揺れるその赤ワインは、まるで血のように色鮮やかだった。

 

 

 

 

 

(危なかった…)

 

エンブリヲたちがそんな会話をしているのとほぼ同時刻。皇城内の廊下を歩きながら、シュバルツは内心で冷や汗をかいていた。

 

(思わず口走りそうになった。『人間が攻めてきたときに殺されたアルゼナルの人員を全て生き返らせることができたら、お前についてやる』と)

 

普通に考えればできるわけがないのでそんな心配はない。だが、相手は神である。わかったよと言って、平気で生き返らせても不思議はない。

シュバルツは知らないことだが、実際、エルシャの子どもたちを生き返らせているだけに杞憂では済まなかった。シュバルツの性格として、吐いた唾は吞めないからだ。

そうならなかったことにホッとしつつ、廊下を歩く。出口を探しているのだが、何分ここに連れられてきたときはエンブリヲによって会食会場の扉の前に移動させられてきたので内部構造がわからず、出口がどこにあるのかわからないのだ。そのため、シュバルツは廊下を当て所なく歩いていた。と、

 

(ん?)

 

不意に、シュバルツが足を止めた。その鋭敏な耳が捉えたのだ。この静謐な皇城にはそぐわない、妙な音を。

 

(これは…)

 

その音に、不快気な表情になると、シュバルツはその音がする方へと足を進めたのだった。

 

 

 

「……」

 

皇城内のとある場所。音の発生源を突き止めたシュバルツは、呆れた様子で目の前の光景を見ていた。

 

「この、役立たず!」

「ーっ!」

 

そこには、罵声を浴びせながらリィザに鞭を振るうシルヴィアの姿があった。リィザは全裸に剥かれ、鎖で吊るされて身動きもできない。その口には猿轡まで噛まされているため、悲鳴も声らしい声にはならず、唸るようなものしかあげられていなかった。

 

「奴隷の分際で反抗的な態度ばかり!」

「ーっ! ーっ!」

 

続けて罵声を浴びせながらシルヴィアが鞭を何度も振るう。その度に、リィザは声にならない悲鳴を上げていた。シュバルツはその様子を、牢越しにシルヴィアの背後から見ている。シルヴィアは背後を取られているため、そしてリィザは顔を上げる力もないために二人ともシュバルツに気付いていなかった。

 

(どういう事情でこうなったのかは知らんが…)

 

目の前で鞭打たれているのは、向こうの世界で協力を約束した勢力の手の者。そして、その彼女を鞭打っているのは、ノーマだったとはいえ実の姉を殺そうと企んだ外道。ならば、取る手は一つだった。シルヴィアが鞭打とうと振りかぶったその鞭をシュバルツは掴むと、不意にグッと引いた。

 

「あっ!」

 

鞭が後方に引っ張られて自分の手から離れていったことに気付いたシルヴィアが当然振り返る。そこには、醒めた目で自分を見ているシュバルツの姿があった。

 

「な、何ですか、貴方は!」

 

突然の見知らぬ闖入者にシルヴィアが驚きつつも怒鳴った。リィザは先ほどの責めで気を失ってしまったらしく、ピクリとも動かない。

 

「それを返しなさい!」

 

牢越しにすぐ側まで近づいてくると、シルヴィアはシュバルツに向かって怒鳴る。だが、小娘の恫喝にシュバルツが従うわけはない。

 

「もうよかろう」

 

そしてあまり期待はしていないが、とりあえずシュバルツは説得を試みることにした。

 

「事情は知らんが、彼女は気絶してしまったではないか。これ以上叩いても意味はあるまい」

「余計なお世話ですわ!」

 

だが、予想通りというか何と言うか、シルヴィアが従うわけはなかった。

 

「私に偉そうにお説教するなんて…! 下賤の分際で身の程を知りなさい!」

 

一向に変わらないシルヴィアの態度。そのことに一つ引っかかったシュバルツがシルヴィアに尋ねる。

 

「私が誰かわからんのか?」

「知りませんわよ、貴方なんか!」

 

返ってきたのは、予想もしない返答だった。

 

(一度ここで顔を合わせているのだがな…)

 

だが、目の前のシルヴィアには嘘をついているような素振りは見受けられなかった。

 

「警備の者たちは何をしているのです! こんな不審者に侵入を許すなんて!」

 

シルヴィアの癇癪は続いている。その様子に、偽りはない。

 

(ああ…)

 

その姿に、シュバルツの方が思い当たる節を思い出した。

 

「では、これならどうだ?」

 

そう言ってシュバルツは懐から覆面を取り出すと、それを瞬時に被った。その瞬間、

 

「! き、きゃああああああっ!」

 

シルヴィアがアンジュを目の当たりにしたかのような悲鳴を上げて一瞬で距離を取った。あまりに慌てていたため、思わず車椅子から落ちてしまったほどだ。

 

(やはりか)

 

それでシュバルツもようやく得心がいった。あの時は覆面をしていたために、素顔を晒している今のシュバルツがわからなかったのだ。

…もっとも、服装は同じなのだからそこでわかってもよさそうなものだが。

 

「あ、あ、あ、貴方、あの時の!」

 

だが、シルヴィアには効果覿面だったらしく、牢の石壁に背中を付けながら手を震わせてシュバルツを指さした。そんなシルヴィアの様子に疲れたように溜め息をつくと、シュバルツは覆面を脱いで懐にしまい、ゆっくりと牢の中に入ってくる。

 

「思い出していただけたようで何よりだ」

「ヒッ!」

 

シルヴィアは恐怖でガタガタと全身を震わせている。そんなシルヴィアを一瞥したシュバルツは、視線をリィザに移した。

 

「……」

 

全身みみず腫れで意識もなく酷い状態だが、それでも生命に別条はなさそうに見えた。

 

(とりあえず一安心といったところか。さて…)

 

視線をリィザからシルヴィアへと移す。シルヴィアは泣きそうな顔になって未だガタガタと震えていた。

 

(こういう趣味はないのだがな…)

 

内心ではゲンナリとしながらも、シュバルツは持っていた鞭を垂らす。そして振りかぶった。

 

「ヒッ! や、止めて!」

 

その行動でシュバルツが自分に何をするか瞬時に理解したシルヴィアは恐怖にサーッと顔色を青くすると恥も外聞もなく懇願する。が、シュバルツはそんなシルヴィアを冷淡に見下ろしながら、その身体に鞭を打った。

 

「ぎゃああああああっ!」

 

その、愛らしい容姿からは想像もつかないようなドスの利いた悲鳴がその口から紡ぎだされる。

 

「い、痛い! 痛い! 痛いーっ!」

 

そして、シルヴィアは牢の石畳を左右に転げ回った。身を裂くような激痛が全身を絶え間なく襲う。が、シルヴィアは知らぬことだがシュバルツはハッキリ言って相当手加減していたのである。何故ならば、ガンダムファイターであるシュバルツが全力で普通の一般人を鞭打ったら、恐らく真っ二つになってしまうからだ。成人男性でもそうなるのに、子供で女性のシルヴィアだったらどうなるかはもう火を見るより明らかである。

だから、シュバルツは最大限手加減して、それこそ撫でるような感覚で鞭を振り下ろしたのだが、それでもこの痛がりようであった。とはいえ、憐憫の情が浮かぶかと思ったがそうでもなく、

 

(私も随分と冷たい人間なのだな)

 

自分の薄情さに思わず驚いたほどであった。

 

「痛いか?」

 

そしてそのまま、シュバルツは眼下でのたうち回っているシルヴィアに話しかける。まだ声も出せないのか、シルヴィアは泣きながらコクコクと頷くだけであった。

 

「そうか。…では聞くが、何故自分がやられて痛みにのたうち回るような仕打ちを他人にする? 自分がやられて嫌なことは他人にするなということを、親から習わなかったのか?」

「だ、だってそいつは、私を毒殺しようと…」

 

息も絶え絶えになりながらシルヴィアは何とかそう言った。普通ならばそう聞けば少しは考えるものだが、何しろ目の前の相手は子供とはいえ実の姉をハメて殺そうとした前科がある。故に、シュバルツはどこまでも冷淡だった。

 

「だからと言って、これはやり過ぎだろう。お前といいあの兄といい、アンジュのことを化け物だ何だと罵っていたが、私からしてみればお前たちの方が余程醜い化け物に見えるがな」

「! な、なんて侮辱を!」

 

未だに痛みが全身を襲っていたがその言葉を看過できなかったのか、息も絶え絶えながらシルヴィアが憎々しげにシュバルツを睨み付ける。が、

 

「そうか…」

 

シュバルツが冷淡な表情になる。そして、再び鞭を振り上げた。

 

「まだ喰らいたいようだな」

「! や、止めて! 止めて!」

 

シルヴィアの反抗心も鞭を振り上げたシュバルツの姿に一瞬で折れてしまった。ガタガタ震えながら必死に手を自分の前で交差して防ごうとする。

勿論、シュバルツも本気で言っているわけではない。こんな弱者を嬲るような真似、気分が悪いだけである。

 

「…早く行け」

 

だから、鞭を降ろしてそれ以上は何もせずにシルヴィアにそう言った。シルヴィアは恐怖に震えながらもコクコクと頷き、車椅子へ戻ろうとする。が、

 

「フン!」

 

シュバルツは鞭で主のいないその車椅子を搦めとる。そして、そのまま勢い良く石壁に叩きつけた。

 

「あ…あ…あ…」

 

シルヴィアは呆然とその光景を見つめていた。砂煙、土埃が晴れた後に現れたのは、残骸となってガラクタに成り果てた己の車椅子だった。

 

「あ、貴方、一体何を…」

 

呆然としながらシルヴィアがシュバルツを見上げる。だが、そんなシュバルツがシルヴィアを見下ろしながら言ったのは、

 

「早く行け」

 

という、先ほどと何ら変わらない一言だった。

 

「な、何を…あれがないと私は…」

「這えばいいだろう」

 

困惑しながら非難しようとするシルヴィアに、シュバルツはどこまでも冷淡にそう吐き捨てたのだった。

 

「な!」

 

当然、シルヴィアは愕然とする。対照的にシュバルツの様子は全く変わらず、淡々と言葉を続けた。

 

「下半身が動かなくとも、上半身は動くのだろう? ならば、匍匐前進の要領で這えばいいだけのことだ」

「こ、この私に、地べたに這えと言うのですか!?」

 

驚愕するシルヴィア。皇族に地に這えというのだから、確かに正気の沙汰ではない。が、シュバルツには微塵も躊躇する素振りは見えなかった。

 

「そうだが?」

「な…な…な…」

 

いっそ清々しいぐらいにそう言い切ったシュバルツに口をパクパクさせるシルヴィア。

 

「出来んか? ならば、出来るようにさせてやろう」

 

そう言って、シュバルツは鞭で石畳をピシャーンと叩いた。

 

「ヒイッ!」

 

その瞬間、さっき鞭打たれたこととその痛みが悪夢のように蘇る。特に痛みは、大分和らいだとはいえ未だシルヴィアの身体を苛んでいるのだ。もう二度と、あんな痛みは味わいたくはなかった。だから、

 

「ひっ、ひっ、ひいいっ!」

 

皇族とも子供とも思えない悲鳴を上げながらシルヴィアは出て行った。無論、車椅子がないので、シュバルツの指示した通り地べたに這いながら。まるで、ナメクジのように。

 

「ふん…」

 

シルヴィアが背後で這っているのを尻目に、シュバルツは鞭を傍らに設置してあった簡易ベッドの上に投げ捨てた。そして、視線をリィザに合わせる。

 

「酷い真似を…」

 

改めてリィザの状態を確認したシュバルツは思わず呟いていた。そして、懐から飛び苦無を出すと、彼女を天井から吊るしている鎖に投げつけてそれを破壊する。そして、重力に従って落ちてきた彼女をシュバルツは受け止めた。

 

「う…う…う…」

「……」

 

呻き声を上げながら眉を小刻みに痙攣させているリィザに、シュバルツは自分のコートを脱いでその全身を隠すように被せた。そして、俗に言うお姫様抱っこの状態でリィザを抱きかかえると、シュバルツも牢を出て行ったのであった。

 

 

 

 

 

「う…?」

 

シルヴィアの拷問で意識を失っていたリィザが意識を取り戻しゆっくりと目を開ける。その目に飛び込んできたのは、先ほどまでの暗いジメジメとした牢獄ではなく、日の光で満ちた温かな部屋だった。そして自分はその部屋の、これまた牢獄に設えられている粗末なベッドではなく、豪華なベッドの上に横たわっていた。

 

「こ、ここは…?」

 

頭を抑えながらリィザが上半身を起こす。と、

 

「気が付いたか」

 

不意に、横から声を掛けられた。

 

「!」

 

驚いて声のした方を振り返ると、そこには椅子に座ってこちらを見ているシュバルツの姿があった。

 

「あ、貴方は…」

 

予想もしなかった人物が目の前にいることにリィザは驚きを隠せない。

 

「こうしてちゃんと会うのは初めてだな」

 

シュバルツが立ち上がると、座っていた椅子を持ってリィザに近寄った。そして、ベッドの傍らにその椅子を置く。

 

「具合はどうだ?」

 

シュバルツが尋ねた。

 

「え、ええ。節々がまだ痛むけど…っ!」

 

自分の身体に視線を落としたリィザはこの時初めて自分が全裸であることに気付いた。そして、慌てて掛け布団で己の身体を隠す。

 

「今更だな」

 

シュバルツが軽くフッと微笑んだ。

 

「え?」

「悪いとは思ったが、あのままにしておけなかったのでな。お前が意識を失っている間に手当てをさせてもらった。その時に十分お前の身体は見てしまったのでな」

「あ…う…」

 

シュバルツの告白にリィザはらしくなく真っ赤になってしまう。そして、恥ずかしいからか俯いてしまった。その様子に可笑しくなり軽く微笑むと、シュバルツは持ってきた椅子に腰を下ろした。

 

「こ…ここは?」

 

伏し目がちのまま、リィザがシュバルツに尋ねる。

 

「ミスルギの皇城の一室だ」

 

シュバルツが答えた。

 

「手当てをするにもあんな場所では薬も包帯もないし、それより何よりあんな場所では気が滅入るだけだしな。ここは皇城というだけあって部屋は腐るほどあるので、そのうちの一つを使わせてもらった」

 

無論、無断でなと締めたシュバルツに、リィザもようやく微笑みを見せた。

 

「どうして私を助けてくれたの?」

 

そして、不思議に思っていたことを聞いてみる。

 

「お前が聞いていたかどうかは知らんが、私は一時期、ごく短い期間だが向こうの世界に世話になっていたことがあってな。その時サラマンディーネ…サラからお前のことは聞いていたのだ。こっちの世界で、ミスルギに入り込んでいる“草”がいるとな」

「そう…そうだったの」

「もっとも、その背中の羽と尻尾を見れば、わかる奴には一目瞭然だがな」

 

さて…そう続けて、シュバルツは立ち上がった。

 

「もう大丈夫だな?」

「ええ」

 

小さいが、それでも力強くリィザが頷いた。

 

「結構。私もアウローラを留守にしてここにきているのでな、あまり長く空けたくはない」

「そう言えば、貴方はなぜここに?」

 

シュバルツの言った一言で新たに湧いた疑問をリィザが尋ねた。

 

「エンブリヲに招待された」

 

シュバルツが簡潔に答える。

 

「? どういうこと?」

「簡単に言えば、手を組まないかと誘われたのだ」

「! そ、それで、答えは?」

 

リィザが小刻みに震えながら尋ねる。返答次第では、とんでもない敵が新たに誕生することになるのだから仕方がない。

 

「無論、断った」

 

が、それも杞憂に終わった。

 

「アウローラの連中や、お前たちを裏切れはせんよ」

「そ、そう。よかった…」

 

リィザが心から安堵したようにほぉっと一息ついた。

 

「それに、あの男はどうにも信用ができん。言葉では表現しづらいが、気配が尋常ではない。現実に対峙してそれがわかった」

「……」

「一筋縄ではいかん相手だな」

「ええ」

 

シュバルツの言葉にリィザも頷いた。早くからここで諜報活動に勤しんでいたからだろうか、エンブリヲの危険さはサラたち以上によくわかっているのだろう。

 

「ではな。あまり無理はするなよ」

 

思考しているリィザを残し、安静にしてもらうためにシュバルツは部屋を出ようとする。シュバルツとしても残してきたアウローラが気がかりなのだ。少しでも早く帰りたかった。

 

「あ、ま、待って!」

 

だがその足を、リィザが止めた。

 

「ん?」

 

シュバルツが足を止めて振り返る。

 

「助けてもらって何も返さずでは私の気が納まらないわ。何かお礼をさせて」

「そうは言ってもな…」

 

シュバルツが困った顔になった。別に見返りを求めて助けたわけではないので、いきなりそんなことを言われても返答に困るのだ。反面、リィザはリィザで自分にできることなら何でもするつもりだった。それこそ、たとえこの場で身体を求められても喜んで応じる気でいたのだ。

 

「私にできることなら、何でもするわ」

「ふむ…」

 

リィザの、懇願ともとれる言葉にやはりシュバルツは困った顔のままである。

 

(そう気にすることはないのだがな…)

 

シュバルツとしては味方勢力の手の者だから助けるのは当然なので、そこまで恩に感じてもらう必要はないと思っていた。が、目の前の女性の様子を見るに、そう言ったところで納得しないだろう。

 

(さて、どうするか…)

 

シュバルツが少しの間考える。そして、

 

(! そうか、あのことを頼むか)

 

あることに思い至ったシュバルツがリィザに視線を向けた。

 

「何でもすると言ったな?」

 

念を押すようにシュバルツがリィザに尋ねる。

 

「え? え、ええ。私にできることであれば」

「では、一つ頼まれてほしいことがある」

「何かしら?」

「うむ…」

 

シュバルツは少しリィザに顔を寄せると、己の頭に浮かんだ頼みごとをリィザに伝えたのだった。


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