今回はタイトル通り、サリアたちに拉致られた後のアンジュたちのお話です。
もうちょっと物語が進んでからオリジナル展開が入りますので、それまではいつも通り原作をなぞる感じになります。
では、どうぞ。
『起きてください、アンジュリーゼ様』
遠くからモモカの声がアンジュの耳に届いていた。意識が浮上し覚醒したアンジュが、ガバッと上半身を起こす。
「おはようございます!」
傍らのモモカに振り返る。
「ここは…?」
半ば呆然とした様子でアンジュが呟いていた。
「アンジュリーゼ様のお部屋です!」
当然のようにそう答えたモモカに、アンジュは戸惑いの表情を見せた。
「部屋ってどこ!? アルゼナル!?」
「違います。本当に本物の、アンジュリーゼ様のお部屋です! お掃除もお手入れもキチンとされていて、全部あの日のままです!」
そう言って手を広げて室内を紹介したモモカを尻目にアンジュは立ち上がると、窓辺に駆け寄った。そこからは確かに、正面にミスルギの城が見えた。
「じゃあここは…」
「はい、ミスルギ皇国です!」
心の底から喜んでいるモモカにチラッと目をやるとアンジュはすぐ側の山盛りの花束に埋もれたクローゼットの上に何やら手紙が置いてあるのを発見した。
何気なくそれを手に取って見てみる。と、そこに書いてある名前に目がいき、アンジュは怒りで顔を顰めた。
「エンブリヲ…」
そして思い出す。自分が気を失う前に何があったのかということを。
ジルとやりあい、シュバルツに見送られてアウローラを発進した直後、エルシャとクリスの攻撃を受けた。
彼女たちはアウローラに攻撃を仕掛け、それを阻止するためにヴィヴィアンやタスクと共に戦ったのだが、その中で不意に姿を現したサリアにコックピットを晒され、銃弾を胸に受けて死んだ…はずだった。
が、実際に胸に受けたのは実弾ではなく麻酔銃だったため目を覚まし、何故かこうしてここにいるという次第だった。
「お、おおおおおー…本物のシルク! スベスベー!」
「一人で履けるってば」
全裸になったアンジュがそう訴えた。このやり取りが示すように、アンジュは今着替えの途中なのである。
「いけません! 皇宮の中では、私のお世話を受けていただきます!」
「じゃあ早くして。スースーする」
「はい!」
無駄に気合の入った返事とともに、モモカがアンジュに服を着せていく。そうしながら、
「また、帰ってきたんだ…」
何とも表現しがたい気持ちでアンジュが呟いた。何と言っても、妹のシルヴィアに騙されて処刑されかけて以来の帰還なのだ。正直、全てが終わりでもしない限りはもう二度と足を踏み入れることはないと思っていた場所なのだから当然かもしれないが。
「でも、どうしてサリアが私たちをここに?」
「わかりません。私も、目が覚めるとこちらにいましたので」
別に答えは求めていなかったのだろうか、アンジュはそのまま視線を落とす。と、不意に先ほど銃弾を受けた胸元が目に入った。
(何がさよならよ。ただの麻酔銃じゃない)
内心で悪態をつくアンジュ。と、あることを思い出した。
「タスクとヴィヴィアンは無事かしら」
ようやくそれに思い至り、アンジュは心配そうに二人を慮った。意識を取り戻してから、何処にもその姿が見えないのだ。
「きっと無事です。あのお二人は、お強いですから」
「そうね…」
気休めではなく、心からそう信じているモモカの口調にアンジュもクスッと笑った。時を同じくして、アンジュの着替えが完了する。
「はい、宜しいですよ」
「よし」
姿見の前で自分の姿を確認したアンジュは不敵な笑みを浮かべると、先ほどのクローゼットへと駆け寄り、引き出しを開けた。そして、そこにある万年筆やペーパーナイフを手に取る。
「本当は、ライフルかグレネードが欲しいところだけど、ないよりはましね」
そう言いながら、それらを身体の各所に仕込む。
「アンジュリーゼ様、何を…」
主人の行動に、モモカの瞳が不安げに揺れた。
「襲撃よ、この手紙の送り主のところに」
当然のようにそう言うアンジュの背後から、
「それは許可できないわね」
そう言って室内に入ってきたのは、誰あろうサリアその人だった。左右にはターニャとイルマの姿もある。
「貴方はエンブリヲ様の捕虜よ。勝手な行動は許さないわ」
「エンブリヲ様…ねぇ」
少し呆れた口調でアンジュが呟く。
「何があったの、一体? あんなに司令が大好きだった貴方が」
「別に。目が覚めただけよ」
人間たちがアルゼナルを襲ったあの日、アンジュに負けて海に墜とされたサリアは薄れゆく意識の中で絶望から諦観に達していた。
(墜とされちゃった…。お似合いよ、ジルに捨てられ、アンジュに負けた私なんか…)
涙も出ないほど打ちひしがれ、コックピットは海水で満たされていく。脱出しなければ溺死するだけだが、それすらももうどうでもよくなっていた。そんな時だった。
『それは違うよ、サリア』
誰かの声が脳内に響く。それに導かれるように目を覚ましたサリアはミスルギの皇城にいた。そして目を覚ました彼女の目の前にいたのが、エンブリヲだったのだ。
『君は、自分の価値をわかっていない』
目を覚ましたサリアに、そう優しい言葉をかけたのだった。
「あの方は、私を救ってくれた」
「私を生まれ変わらせてくれた」
サリアの脳裏に、ここに来てからの数々の丁重な扱いが蘇る。
「アレクトラは、最初から私を必要なんてしていなかった」
「いくら頑張っても、決して報われることはなかった」
「でもあの方は…」
いつかの夜。皇城のテラスでのことを思い出す。
『君の美しさ、君の強さ、君の価値は、私が誰よりもわかっている』
『この世界を変えるために、力を貸してくれるかい? サリア』
その言葉と共にエンブリヲから指輪を送られ、サリアはこうして寝返ったのだった。
「私は見つけたの。本当に護るべき人を」
指輪をはめた手を目の前にかざすと、うっとりとした表情になる。
「エンブリヲ様の親衛隊。名付けてダイヤモンドローズ騎士団。私は騎士団長のサリアよ」
「ダイヤ…モンド…」
「長っ」
はぁ…と言った感じでモモカが呟き、アンジュは呆れた表情で一言で切って捨てた。
「要するに、路頭に迷っていたところを、新しい飼い主に拾われたってことね」
「…ッ!」
身も蓋もない言い方だが図星を突かれた自覚はあるからだろうか、サリアが言葉に詰まる。
「でも、貴方に司令を捨てる勇気があったなんてね」
薄ら笑いを浮かべてそう言ったアンジュにサリアが歩み寄ると、その頬に平手を見舞った。
「アンジュリーゼ様!」
当然、モモカが声を上げる。
「今度侮辱したら許さないわ!」
力強くそう宣言すると、サリアは先ほどと同じようにその手を目の前にかざした。ただ、先ほどとは違って指輪をアンジュに見せつけるように手の甲を外側に向けて。
「私はエンブリヲ様に愛されているの。誰にも愛されていない貴方と違ってね」
スッと目を細めてそう告げるサリアに、心底呆れたとばかりにアンジュがこれ見よがしに溜め息をついた。そして、
「その言葉、シュバルツの前でもう一度言ってみなさいよ」
と、サリアにとってはある意味爆弾と言える言葉を投げかけたのだった。
『!』
シュバルツの名前が出てきたことにサリアだけでなく、ターニャとイルマも表情を強張らせた。そして三人とも、迷いとも申し訳なさとも戸惑いともとれる複雑な表情をその顔に浮かべる。
「…何を言ってるのよ」
やがて、重い口を開いたのはサリアだった。
「あの人は死んだじゃない。私たちの目の前で…」
「帰ってきたわよ。私と一緒にね」
『えっ!?』
アンジュの言ったことに三人が驚きの表情と共に固まってしまった。と、
「隙あり!」
アンジュは瞬時にサリアとの距離を詰めると、万年筆で彼女の左胸の下の辺りを突いた。それに怯んだのを逃さず、腰のホルスターに収まっていた銃を奪う。
『騎士団長!』
イルマとターニャが慌てて銃を抜くが、アンジュは即座に発砲するとイルマの銃を弾き、そのままターニャとの距離を詰めると彼女の腹に蹴りを見舞った。
「アンジュ!」
サリアもアンジュに襲い掛かるが、アンジュは向かってきたサリアの勢いを利用してそのままベッドに投げ飛ばした。
「きゃあっ!」
ベッドの上に叩きつけられて思わず悲鳴を上げるサリア。アンジュはそんな彼女を睥睨しながら口を開く。
「弱っ。サラ子に比べたら弱過ぎよ」
「っ!」
「ネーミングセンスも壊滅的だし、大体何? その格好。…ま、いいけどね、好きで着てるんなら」
そこでアンジュはモモカに振り返る。
「行きましょ、モモカ」
「はい!」
そのままモモカを連れ立って部屋を出て行こうとするアンジュだったが、
「あ、そうそう」
何かを思い出してもう一度サリアに振り返った。
「さっきのことだけど、シュバルツの件はホントよ」
「!」
「嘘だと思うんなら、自分で確かめてみるのね。もっとも、会わせる顔があればの話だけど。それじゃあね」
そして、今度こそ本当にその場を立ち去ったのだった。
「ま、待ちなさい!」
シュバルツの件で思うところがあったのか少しフリーズしていた彼女だったが、それでも生来の生真面目な性格からかすぐに起き上がってアンジュたちを追うために廊下に出た。が、その時にはもうアンジュたちの姿はどこにも見当たらなかった。
「どこに消えたの! アンジュ!」
サリアが周囲を見渡す中、アンジュとモモカは廊下に設えられていた抜け道へとその身を潜らせていた。
「残念。ここ、私の家なのよね♪」
不敵にほほ笑むアンジュと苦笑いするモモカのコンビが実に対照的だった。
「ママー、かくれんぼ!」
「ダメ! お絵描きが良い!」
皇城からの脱出に成功したアンジュが物陰から様子を窺っている。が、そこにいるのは見たことのある顔ぶれだったが、それも当然のことだろう。何故ならそこにいたのはアルゼナルの幼年部の子供たちだからだ。
「こらこら、喧嘩しないの」
そんな中に、落ち着いた雰囲気の声色が一つ。子供たちの中に混じっているその声の主は当然、エルシャだった。と、
「あ、アンジュお姉さまだ!」
子供のうちの一人がアンジュに気付いた。それを皮切りに、他の子どもたちもアンジュを取り囲むように集まってくる。
「えー? あ、ホントだ!」
「アンジュお姉さま、いつ来たの?」
「お姉さまも騎士団なの?」
無邪気な子供たちに、アンジュも思わず顔が綻ぶ。が、
「あらあら、アンジュちゃんを追い詰めるなんて、みんなやるわね」
聞こえてきたその言葉に、アンジュは綻んだ表情を再び引き締めなおした。
「エルシャ…」
そこには、何一つ変わらないエルシャがいた。ただ一つ、立場が違うということを除けば何も変わらないエルシャが。
「エンブリヲ幼稚園?」
思い思いに子供たちが遊んでいるのを眺めながら、アンジュ、モモカ、エルシャの三人は円卓を囲んでお茶をしていた。
「そ。私、園長さんなの」
変わらぬ優しい笑顔で微笑むエルシャ。
「本当は、アルゼナルの子どもたちみんな連れてきたかったんだけどね…」
そこまで言ってエルシャの表情が曇った。その脳裏には、人間が侵攻してきたとき犠牲になり、救えなかった子供たちのことが浮かんでいるのだろう。その表情のまま、エルシャは子供たちへと顔を向ける。
「ねえ、信じられる? あの子たちね、一度死んだの」
『えっ!?』
流石にこれには驚きを隠せず、アンジュとモモカが同時に驚愕の声を上げた。
「それを、エンブリヲさんが生き返らせてくれたのよ」
「生き返…らせた?」
「そんなの、マナの光でも不可能です」
特にモモカはマナが使えるからだろうか、余計に信じられないといったような表情を浮かべていた。が、そんなことはエルシャにとってどうでもいいのだろう。彼女にとって大切なのは子供たちが生きているということなのだから。
「エンブリヲさんがね、あの子たちが安心して暮らせる世界を創るんだって。私は、それに協力するって決めたの」
「あの子たちを護るためだったら何だってやるわ。人間どもの抹殺だって、アンジュちゃんを殺すことだってね」
「! エルシャ…」
エルシャの目が少しだけスッと細くなった。その表情から、アンジュはエルシャが本気でそう言っていることを悟る。と、ボールを追いかけていた子供の一人が転んでしまった。
「あらあら、大変!」
エルシャは急いで立ち上がるとその子に駆け寄って抱き上げ、優しく抱きしめる。
「…行きましょう、モモカ。エンブリヲを探さなきゃ」
その姿に、色々と思うことはあっても足を止めるわけにはいかない。複雑な思いを胸に秘めながらも、アンジュは円卓から腰を浮かせた。と、
「一緒に来る?」
不意に、何処からか声が聞こえた。アンジュとモモカが振り返ると、そこには木の陰から出てきたクリスの姿があった。
「クリス…!」
こうなることはある程度は予想していたものの、やはり戸惑いは隠せなかった。
皇城のとある廊下。そこを、クリスに先導されながらアンジュとモモカが歩いている。
「ねえ、クリス」
聞きたいことがあるのだろうか、アンジュが話しかけた。が、
「無理に話しかけないでいいよ」
にべもなく、クリスはそう答えたのであった。
「え?」
「どうせあんた、私に興味ないでしょ?」
戸惑いの表情を浮かべるアンジュ。そう言われたのもそうだが、以前までのクリスとは明らかに違った雰囲気を感じたのも、戸惑いを感じた大きな原因だった。
「怒ってたわよ、ヒルダたち」
そう話し掛ける。が、
「怒ってるのはこっち」
クリスは苦虫を噛み潰したような表情になって、言葉通り怒りの感情をあらわにした。
「私のこと助けに来るなんて言って、見捨てたんだよあいつら」
「……」
そう返され、アンジュは何も答えられなくなってしまう。実情はどうか知らないが、結果的にそういう結果になってしまったのだろう。
「でも、エンブリヲ君は違う」
そのことは、クリスが続けたこの言葉でも明らかだった。
「命懸けで私を助けてくれた。私と仲良くなりたいって言ってくれた」
先ほどの怒りの表情から一転、クリスは嬉しそうに微笑みを浮かべていた。
「本物の、友達…」
「……」
その言葉、その雰囲気に、アンジュはますますクリスに何も言えなくなってしまった。
「あの、アンジュリーゼ様。そのエンブリヲ様と言うのは、どちら様なのですか?」
おずおずとモモカが、今更な質問をしてきた。
「あれ? 聞いてないの?」
「慈善事業家か、カウンセラーの方でしょうか?」
「神様…らしいわ」
「はぁ…」
返ってきたアンジュの返答にどう反応していいかわからず、モモカはそう答えることしかできなかった。
「そうそう。さっきエルシャには言いそびれちゃったんだけど…」
アンジュがあることを思い出し、クリスに話しかける。
「何?」
相変わらずクリスの態度は素っ気ないものだった。が、
「シュバルツが戻ったわ」
「! そう…」
その情報にクリスは少しだけ身体を震わせて立ち止まったが、反応らしい反応はそれだけで再び歩き出したのだった。
図書室。…いや、皇城内だから蔵書庫とでも言うべきだろうか。クリスに案内されてきたそこに足を踏み入れたアンジュとモモカ。と、室内に入った瞬間、場にそぐわない音が二人の耳朶を打った。
「この役立たず!」
その罵声と共に聞こえてきたその音は、鞭で人を鞭打つ音だった。その直後、くぐもったような悲鳴が二人の耳に入ってきたことからもそれは明白だった。
「これは四巻ではありませんか! 私が持ってこいと言ったのは、三巻です!」
そこにいたのは、全裸にされて猿轡を噛まされて手錠を嵌められたリィザと、そのリィザを鞭打つシルヴィアだった。
「この私に毒を盛るなんて、おじ様が助けてくれなければ、一生目が覚めないところだったのですよ!」
「うっ! ううーっ!」
猿轡を噛まされているために当然言葉は話せないのだが、リィザの目は光を失ってはいなかった。鞭打たれるたびに鋭くシルヴィアを睨み付ける。
「口答えをしない!」
それが余計に腹立たしいのだろう。シルヴィアは更にリィザを鞭打つ。
「おじ様のお情けで生かしてもらっていることを忘れたのですか!? このトカゲ女!」
シルヴィアからの苛烈な折檻に、引き続き声にならない悲鳴を上げるリィザ。
「り、リィザ!?」
思いもかけない二人の姿に、アンジュが戸惑いながら呼び掛けた。
「うぅっ!?」
アンジュの姿を見たリィザは声にならないながらも驚きに目を剥き、そして、
「きゃあああああああーっ!」
恐怖の表情に顔を歪ませたシルヴィアは一瞬でアンジュから距離を取ったのだった。
「シルヴィア…」
今までの経緯からこういう態度を取られるのはわかっていたことだが、それでもアンジュは悲しそうな表情になる。
「殺しに来たのですね、私を! お父様を、お母様を、お兄様を殺め、最後に私を殺しに来た! そうなのでしょう!? 来ないで、この殺人鬼!」
経緯が経緯とはいえ、まあ実の姉に浴びせるような言葉ではない文言のオンパレードである。あの兄貴はともかく、草葉の陰で両親が泣き崩れていてもおかしくはない。
「ちょっと、話を!」
「助けてください、おじ様! おじ様ーっ!」
「おじ様…?」
誰のことを指しているのかわからず、怪訝な表情になるアンジュ。と、
「見つけたわ、アンジュ!」
サリアたち三人がアンジュを拘束するためにここに入ってきた。アンジュが厳しい表情になって彼女たちに銃口を向ける。そんな緊迫した空気を、
「姦しいねえ」
誰かが破った。聞き覚えのあるその声の主にアンジュは視線を移す。
「読書中は、少し静かにしてくれるとありがたいのだが」
「エンブリヲ…」
睨み付けながらその人物…中二階にいたエンブリヲの名前をアンジュは呟いたのだった。
「やはり本は良い。この中には、宇宙の全てが詰まっている」
エンブリヲがゆっくりと階段を下りてくる。
「それに比べて、世界のなんとつまらないことか…」
睨み付けたまま、アンジュはエンブリヲが自分と同じところまで下りてくるのを待っていた。
「久しぶりだよ。本よりも楽しいものに出会えたのはね」
「エンブリヲ…っ」
「この方が…」
初めて見るエンブリヲの姿に、モモカが思わず呟いていた。
「手荒な真似をして済まなかった。君と話がしたくてね。サリアたちに頼んで連れてきてもらったんだ」
「来たまえ。君も、聞きたいことがあるのだろう?」
そう言うと、エンブリヲは歩き出した。後ろを振り向きもしないのは誘いを断らないという自信の表れだろう。
「アンジュリーゼ様…」
不安げな表情で呼びかけるモモカを一瞥すると、アンジュはエンブリヲの後を追った。
「すまないが、少しだけ二人にしてくれ」
サリアたちの横を通り過ぎようとしたところで足を止めると、エンブリヲはサリアたちにそう告げた。
「いけません! この女は危険です!」
即座にサリアが反対する。それは言葉通りの意味なのか、それとも別の感情に突き動かされてのものかはわからないが。だがエンブリヲは気にする様子も見せず、
「サリア」
窘めるようにサリアの名前を呼んだのだった。その一言で、サリアはこれ以上何も言えなくなってしまう。その横を、アンジュが無言で通り過ぎた。
「くっ…」
悔しそうにサリアが歯噛みをする。そんな彼女を気にもせず、エンブリヲとアンジュはそのまま出て行ったのであった。
「アンジュは捕まったか…」
他方、同時間帯アウローラにて。艦内の医務室でマギーから手当てを受けながらジルがそう呟いていた。離反者がどうなったのか、どうやらしっかりと把握していたようだ。
「ヴィヴィアンとタスクはロスト。大暴れして出て行った結果がこれとは、実に滑稽じゃないか」
ジルの口から出てくる憎まれ口には実感がこもっていた。実際、自分の思惑通りに動かなかった連中が散々な目に遭っているのだ。それ見たことかというところであろう。
「あの子たちが護ってくれたからこそ、この艦は沈まずに済んだんだよ」
「知ったことか」
ジャスミンが窘めるものの、今のジルは聞く耳もたない。吐き捨てるように冷たい言葉を投げかけた。
「ヴィルキスがなければ、リベルタスの完遂は不可能だ。だから、アンジュを行かせてはならなかったのに!」
イラつきを抑えられず、ジルが医務室内の内壁を義手でガンと叩く。
「まさか、あの坊やが裏切るとはな。…失敗したよ。アンジュはもっと従順になるように仕込んでおくべきだった」
『……』
その物言いに、医務室の入り口付近にいたヒルダとロザリーが表情を曇らせた。
「…まあ、あたしらの前でなら何言ってもいいけどさ」
先ほどのジャスミンと同じように、処置を終えたマギーが窘めるように口を開く。
「そのセリフ、間違ってもあの男の前で言うんじゃないよ」
「シュバルツか…」
忌々しそうに吐き捨てると、ジルはギリッと唇を噛んだ。
「奴さえ私の言う通りにしていれば…」
余程悔しいのだろう、左手で叩かれた頬を擦りながら再び義手の右手で内壁をガンと叩いた。
「奴は今、どうしている?」
誰に尋ねるでもなく、顔を上げてジルが問い掛けた。
「知らないけど、多分自室か食堂にでもいるんじゃない?」
自信なさげにそう答えたメイに、
「拘束しろ」
ジルがとんでもない命令を下した。
「む、無理! 無理だってば!」
慌ててメイが答えた。ジャスミンとマギーも言葉には出さないものの呆れた顔をしている。
「大体、罪状は!?」
「上官反逆罪だ」
「そりゃあちょっと無理筋ってもんだよ、ジル」
ジャスミンが口を挟んできた。
「あの男はあくまでも協力者の立場で、私らの指揮下に入ってたわけじゃない。隊員の誰かがしでかしたことならそれも通じるだろうけど、あの男にはそれは通じないよ」
「…大体、拘束ったってどうするのさ。実力行使に出たって、うちの隊員連中があいつに敵うわけないだろう?」
「以前にも一度拘束しただろうが」
「あれは、シュバルツがこっちに理があるから受け入れてくれただけだよ! でも今回は、状況がまるで違うじゃないか!」
「…チッ!」
ジャスミンだけでなく、マギーとメイにもそうやって否定され、ジルは忌々しく舌打ちをした。
「じゃあ何か? あんな真似しでかしておいて、お咎めなしで黙認しろとでもいうのか?」
「まあ、結果的にはそうなるね」
「ふざけるな!」
三度、ジルが医務室の内壁を義手で叩いた。
「そんなこと、納得できるわけがないだろう!」
「気持ちはわかるけどね…」
再びジャスミンが口を開く。
「けど実際問題、実力行使に出たって芳しい結果にならないのは目に見えてるだろう?」
「そーゆーこと。それでもどうしてもって言うなら、あんたが直接動くんだね。あの男絡みで今の隊員たちを動かすのは相当難しいだろうから」
「…ここに収容するときの一件のことか?」
「そ」
マギーが頷いた。
「隊員たちのあんたに対する態度が前までとは微妙に変わっているのは、流石にあんたもわかってるだろ?」
「…ああ」
「言っとくけど、あの時のあんたのハッタリは間違っていたとは私は思っちゃいない。ただ一つ誤算だったのは、あんたの予想以上に隊員たちの根っ子の部分まであの男が侵食していたことさ。あんたはそれを見誤った」
「……」
「だから、他のことならともかく、あの男絡みで今の隊員たちを動かすのはあんたには無理ってもんさ。諦めな。それでもどうしても納得できないんだったら、今私が言ったようにあんたが直接動くんだね」
「ッ!」
マギーの言ったことに、ジルが悔しそうに唇を噛んだ。わかっているからだ、自分とシュバルツとの実力差を考えれば、拘束などできないことを。そしてこんな形で、隊員たちを収容するためにシュバルツをダシに使ったことがここまで響いてくるとは思わなかったのだ。
あの時の自分の選択に、ジルは今更ながらあれで良かったのだろうかと思わずにはいられなかった。
「何考えてんだ、あのクソ痛姫。帰ってくるなりしっちゃかめっちゃかにしていきやがって…」
アウローラの自室にて、下着姿でベッドに寝転がったロザリーが不満タラタラと言った感じで吐き捨てた。傍らには、同じく下着姿だけのヒルダがドリンクを飲みながらベッドに腰を下ろしている。二人は先ほどの医務室でのジルたちの一連のやり取りを見届けた後、戻ってきたのだった。
「理由があったんだろ。この艦から逃げ出したくなるようなさ…」
そう、ヒルダが答えた。そして、
「危ないかもね、この艦」
先ほどの医務室のことを思い出し、ヒルダが思わず呟いていた。
「これからどうすんだろうな…。ヴィルキスがないと、リベルタスって続けられないんだろう?」
「だったら…取り返すしかないだろう? アンジュを」
不安気なロザリーに、ヒルダが実に彼女らしい、不敵な微笑みを浮かべて答えたのだった。