こういうのもちょくちょく挟んでいこうと思います。
アルゼナルに落ちてきてから数日後。その日、シュバルツはアルゼナルの地形を見て回っていた。
ここがどういうところなのかは話では聞いていたが、実際に目で見てみないことにはわからないからである。事実、実際に見た光景と頭の中の想像ではかなりズレている場所が数箇所あった。
(ふむ…)
アルゼナル各所の地理を確認しながら歩いていると、不意に珍しい光景が目に入ってきた。
(ほぉ、家庭菜園か…)
そこには面積はそう大きなものではないものの、立派な家庭菜園があった。まさかこのような場所があるとは思わず、思わず近づいて生っている野菜に手を触れる。
「随分としっかりとした実だな。誰の手によるものかは知らんが、見事な生育だ」
「あら、嬉しい♪」
不意に背後から声が聞こえた。が、シュバルツは驚くこともなく振り返る。そこにはいつものように柔らかな笑みを浮かべているエルシャの姿があった。
「お前は…確か先日格納庫で見かけたな」
「覚えていてくれたんですか?」
エルシャが少し驚いたような顔になる。
「皇女殿下のインパクトが強くてな。その流れでお前たちの顔も覚えた」
「あらあら…」
その言葉を聞き、今度は苦笑した表情に変わった。
「では改めまして。私、パラメイル第一中隊所属のエルシャと申します」
「シュバルツだ」
「存じてます。宜しくお願いしますね、ミスター」
エルシャはそう言うと、花のような笑顔でニッコリと笑った。
「土いじりか。いい趣味をしているな」
「ありがとうございます」
エルシャの隣まで来ると、シュバルツは再び菜園へと振り返る。
「それなりの広さだが、お前が全部管理しているのか? エルシャ」
「え、ええ」
名前を教えたので当然かもしれないが、普通に名前で呼ばれてエルシャは思わず頬を赤くしてしまい、それを悟られないように俯いた。物心ついた頃からここで女だけの環境下で生活をしていたため、男…それも同年代に近い成熟した男性と話す経験など皆無だったのだから当然のことかもしれない。
が、シュバルツはそれに気づいていないのか、それともそんなことはどうでもいいと思っているのか、気にせずに話を続けた。
「そうか。手入れに来たのか?」
「え、ええ、まあ」
「まあ、そんな格好をしているのだからな」
シュバルツが言った通り、エルシャの今の格好はいつも着ているアルゼナルの制服ではなく、作業用のラフな格好だった。それを指摘されて自分の格好が恥ずかしいのか視線が居心地悪いのか、エルシャは彼女には珍しくモジモジしていた。まさかここでシュバルツと鉢合わせるとは思っていたわけがないので、仕方の無いことともいえるが。
「少し、手伝うか?」
そんなエルシャに追い打ちを掛けるかのように、シュバルツが彼女の予想していないことを提案してきた。
「え、で、でも…」
ここでシュバルツと鉢合わせするのも予想外なのに、まさかそんなことまで言われるとは思わず、エルシャが動揺した。
「無論、迷惑だというのならば無理強いはせんが…」
「め、迷惑だなんてそんな! でもミスターも色々忙しいでしょうし…」
「その気も無いのに無責任な発言はせんよ、私は。確かにこの後予定はあるが、その時間になったら失礼させてもらうだけだ。今は取り敢えず手すきになったのでな。…で、どうする?」
「えっと…それじゃお願いしてもいいですか?」
「ああ」
「じゃあ、草むしりをやろうと思っていたので、一緒にお願いします」
「わかった」
頷くとシュバルツはいつも身に付けているコートを脱ぎ、上半身は上着だけを身に付けた状態になって菜園へと足を運んだ。
「あ、ま、待って、ミスター!」
その後を、エルシャが慌てて追いかけた。
「ありがとうございます、ミスター」
「礼はいらんさ。私が勝手に買って出ただけのことだ」
「ふふっ」
エルシャが楽しそうに笑う。二人は程よい距離感を保ちながら草むしりをしていた。最初は離れたところから近づいていくつもりでシュバルツは隅っこに向かったのだが、せっかくだからお話しながらしましょとエルシャが訴えたので、こういった形になっていた。
今日は今のところ雲の多い日和であるために、直射日光に当たる時間も短く屋外作業には適しているといってもいい陽気であった。それに加えて人手も二人分あるためにかなりのスピードで作業は進んでいた。
「……」
作業を進めつつ、時には軽い話題も振りながらエルシャはしょっちゅうチラチラとシュバルツに視線を向けていた。気づいているのかいないのか、シュバルツは額の汗を拭ったり、伸びをしたりしながら黙々と作業を進めていく。自分の思い違いかもしれないが、その様子はこの作業を楽しんでいるように見えた。
(変わった方…)
思わずエルシャがクスッと笑みを浮かべた。最初に逢ったのは回収したとき。もっともその時は向こうが気絶していたので別に言葉を交わしたわけではない。
二度目は先日の格納庫で。思えばそれが正式な顔合わせになるのだろうか。そしてそのときのことは今でもハッキリと覚えている。
期待や興味なども入り混じって、どういうタイプのノーマなのかと思っていた。それに対して示してくれた答えは、いい意味で予想を大きく裏切るものだった。
私たちを化け物じゃないと、普通の人間と何一つ変わらないように見えるといってくれたあの言葉。
本人もマナの使えない、いわゆるノーマの立場故の発言というのもあるかもしれないが、それを差し引いても私…私たちには十分に嬉しい言葉だった。その後はろくに顔を合わせることもなかったが今日こうやって顔を合わせ、今度はこうして私を手伝ってくれている。
発言と行動で気持ちを示してくれた。それだけでエルシャには十分に嬉しいことだった。
「♪~♪♪~」
いつの間にかエルシャは自分でも気づかないうちに鼻歌を歌いながら作業をしていた。
(随分とご機嫌なことだな)
エルシャが鼻歌を歌いながら作業しているのを横目で見ながらシュバルツも黙々と作業を進める。
(何が原因のことかは知らんが、まあ機嫌が良いのはよいことだ)
時々身体を解しながら雑草を抜いていく。日頃の手入れが行き届いているからだろうか、雑草もそう数が多いわけでもなく、面積がそう広くないこともあいまって順調すぎるぐらい順調に作業は進んでいた。
「……」
目の前によく熟したトマトの実がある。シュバルツはそれに手を添えて軽く持ち上げた。実のずっしりとした重さがその手に伝わってくる。
(素晴らしい)
内心、そのことに感動していた。シュバルツが元々いた世界の地球…そこは度重なる戦争で荒廃し、人が普通に住めるような環境下ではなくなっていた。そのために多くの人は地球を捨て宇宙に上がり、その国家軍の主導権を得るために始まったのがガンダムファイトであり、そして地球環境を再生するために助手として父を手伝って開発したのがアルティメットガンダムである。
そのため、こうやって普通に大地の実りが成ってそれを実感出来るのはシュバルツにとっては大きな感慨であった。
無論、コロニーでも食物を育てることは出来るが、やはりこの大地で生命を実らせた果実にはどうしても敵わないように思えてしまう。贔屓目と言われれば返す言葉もないが、それでもどうしてもその思いは拭えなかった。
だからこそ、こうやって間接的にではあっても大地の実りに手を貸すことには喜びを感じ、これだけ整った自然環境のある場所にいられることに嬉しさも感じていた。
互いが互いの胸の内を知っているわけはないが、お互いこうして満ち足りた心中で作業は進んでいった。
「♪~♪♪~」
草むしりが終わってもエルシャはご機嫌のまま、今は畑に水をやっている。シュバルツは彼女に渡されたスポーツドリンクを飲みながら、そんなエルシャを見ていた。
草むしりが終わって水やりをするといったエルシャを当然のようにシュバルツは手伝おうとしたが、大したことじゃないからとそれは止められた。そして、お疲れでしょうから休んでいてくださいという彼女の言葉に従い、今シュバルツはゆっくり休みながらエルシャを見ているというわけである。
初めに無理強いはしないと言った以上、そう言うなら従うかということでシュバルツはのんびりしていた。と、
『あー』
と、どこからか複数人の子供の声が聞こえてきた。
(ん?)
シュバルツが声のした方向に顔を向ける。そこにはまだ幼い少女たちの姿があった。
「あら~♪」
余程近しい間柄なのだろうか、彼女たちを見た途端、エルシャの相好が崩れてとても嬉しそうな表情になった。
『エルシャママ!』
幼い女の子たちが次々とエルシャに抱きつく。
「ミスター、水を止めて頂けませんか?」
彼女たちを抱き止めながら、エルシャはシュバルツにそう頼んだ。ホースの先は女の子たちに水がかからないように、彼女たちとは180℃反対方向に向いていた。
「わかった」
「すみません」
軽く頭を下げるエルシャに気にするなとばかりにヒラヒラと手を振ると、シュバルツは蛇口を閉める。やがて水の勢いは弱くなり、完全に止まったところでエルシャはそれを小脇に投げ捨てた。
「もう、汚れちゃうでしょ」
膝を曲げて目線を合わせると、エルシャは窘めるように女の子たちに言い聞かせた。
「だって~」
「エルシャママが見えたんだも~ん」
「そーだよー」
他の女の子たちも口々に同じようなことを言い、エルシャはしょうがないわねぇといった感じで困ったような表情になった。その微笑ましい光景を見て和んでいたシュバルツだったが、そのうちの一人がシュバルツを視界に入れたのだろう、
「あー!」
と、先程エルシャを見つけたのと同じような声を上げた。それにつられ、他の子たちも何々といった感じで視線を移す。
「男だー!」
「ホントだー!」
女の子たちも映像を見ていたのか、それとも年長者たちに説明されていたのかは知らないが、シュバルツのことを知っていた。そして男ということで興味の対象が移ったのだろう、先程までエルシャに群がっていた女の子たちは一斉にシュバルツへと走っていった。そのことに少しだけ残念そうな表情になったエルシャだったがすぐに気を取り直すとシュバルツの方へと向かう。
「わー!」
「本物の男だー!」
「すごーい!」
一方のシュバルツは女の子たちから純粋なキラキラした目で見上げられて最初こそ対応に苦慮していたが、すぐに頭を撫でたり抱き上げて高い高いをしたために女の子たちから思いの他懐かれていた。エルシャがやってきたときには私も私もとせっつかれてまた別の意味で大変になっていたが。
「大人気ですね、ミスター」
「おいおい、からかわんでくれ」
「あら、からかってなんて。寧ろ羨ましいです」
「それならそれでいいから、何とかしてくれんか」
「はいはい。…はーいみんな、そのあたりにしましょうね」
苦笑しながら、エルシャがパンパンと手を叩く。
『えー…』
盛大に不満そうな顔をする女の子たちだったが、エルシャとは長い付き合いなのだろう、渋々シュバルツを解放する。
子供たちに解放されてふぅと一息つくと、シュバルツは脱いだままになっていた自分のコートを再び着直した。
「ねえねえ、お兄さん」
一息ついたシュバルツに一人の女の子が話しかけた。
「ん? 何だ?」
「お兄さんって、エルシャママの恋人なんですか?」
「なっ!」
まさかそんなことを言われるとは思わなかったのだろう、エルシャの顔が真っ赤になる。対照的にシュバルツは優しく微笑むと、
「何故そう思う?」
と、その女の子に訊ねた。
「だって、二人で一緒にいたから」
その言葉に他の女の子たちも口々に同意する。
「そうか。…残念だが、違うぞ」
シュバルツはその子の頭を軽くポンポンと叩くとそう告げた。
「そうなの?」
「ああ。少しエルシャを…お前たちのママを手伝っていただけだ。恋人ではない」
「何だー…」
残念そうな、つまらなそうな口調になる女の子たち。
「お前たちのママほどの女なら、私なんかより望めばもっといい男がみつかるさ」
「そうなの?」
「ああ。お前たちのママは本当に素晴らしい女性だからな」
「そっかー」
自分たちのママを褒められ、女の子たちは嬉しそうな照れくさそうな表情をした。そんな彼女たちに、
「はいはい皆、そろそろ行きなさい」
エルシャはまたパンパンと手を叩いて促した。よく見るとあけすけに褒められたのが気恥ずかしかったのか、女の子たちよりも顔が赤かったが。
「はーい!」
「それじゃーね、ママー!」
「ばいばーい!」
「お兄さんも、ばいばーい!」
「ああ」
「気をつけるのよ」
『はーい!』
手を振る女の子たち。怒涛の嵐はこうして二人の元を去っていった。
「やれやれ…」
女の子たちがいなくなったのを確認すると、シュバルツが疲れたようにふうっと一息ついた。
「ご苦労様、ミスター」
そんなシュバルツを見て、エルシャはクスクスと笑った。
「幾つになっても難しいものだな、子供の相手は」
「あら、そうですか? その割には手馴れていたように見えましたけど?」
「歳の離れた弟がいたのでな。その影響かもしれん」
「まあ」
シュバルツに弟がいたことに驚き、それと同時に思わず聞けたシュバルツの個人情報を忘れないようにエルシャは記憶した。
「でもミスター、さっきのは言いすぎですよ」
「ん? 何のことだ?」
「その…私のこと…あんな風に言うなんて…」
自分で言うのがとてつもなく恥ずかしいのだろう。エルシャはまた顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「ああ」
それで何のことかわかったのか、シュバルツはパンと手を叩いた。
「だが仕方あるまい。そう思ったのだからな」
「だ、だからそれが言い過ぎなんですっ!」
「そう怒るな。貶めたのならともかく、褒めたのに責められては、私の立つ瀬が無い」
「そんなもの、知りませんっ!」
そう言って、エルシャはぷいっと横を向いてしまう。そんなエルシャに、シュバルツは困ったなといった感じで苦笑すると、ポリポリと頭を掻いた。
「…それに、無責任すぎます」
顔を背けたまま、エルシャが今度は吐き出すように呟いた。
「今度は何のことだ?」
「…望めばもっといい男が見つかるなんて、そんなわけないじゃないですか。私たちはノーマなんだから…」
確かにエルシャの言う通りだった。ノーマと認定された以上、死ぬまでここで女だけで生活するのだ。今でこそシュバルツというイレギュラーがいるが、イレギュラーは所詮イレギュラー。他の男と接触できるわけも無く、また接触したとしてもノーマである以上、いわゆる『人間』の女として扱ってくれるわけはなかった。
「あの子たちに無責任な希望を与えるのは、止めてください」
睨む。その表情には先程までのように気恥ずかしさや照れというものは一切見受けられない。そこから読み取れるのは静かな怒りだけだった。
「…すまなかったな」
エルシャの静かな怒気を感じ取り、シュバルツが素直に謝罪を口にした。しかし、
「だがな」
と、すぐに反論の言葉を紡ぐ。
「世の中何がどうひっくり返るかわからんぞ」
「え?」
「そう遠くないうちに、今の価値観がひっくり返るかもしれん。そうなれば、さっきのあの子たちもここから自由になる時が来るかもしれん。無論、その時にはお前も「止めてください」」
シュバルツに全てを言わせず、エルシャが遮った。
「そんなこと、あるわけないじゃないですか」
「そうだな、普通に考えればな。だが、普通ではないのが世の中だ。…違うか?」
「……」
真っ直ぐに見つめられてそう言われ、エルシャは反論出来なくなってしまった。そのために顔を背けてしまい、苦し紛れに口から出てきたのは、
「…貴方に、何がわかるんですか」
という、答えになってない一言だけだった。が、
「わかるさ」
シュバルツは躊躇うこともなくそう答えた。
「え?」
「私もひっくり返され、多くのものを失ったからな…」
「え?」
「時間だ。ではな」
その意味深な一言に何を訊いたらいいのか、どんな言葉をかけたらいいのかわからないエルシャをその場に残し、シュバルツは歩き出す。数歩歩いたところで立ち止まると振り返った。
「いずれお前にもその時が来るかもしれん。そのために、生命だけは無駄にするなよ」
それだけ言い残すと、今度こそシュバルツはその場を去っていった。
(どういう…こと?)
一瞬だけ吹いた突風がエルシャの髪を撫でる。が、少し乱れた髪のことなど気にすることもなく、エルシャはシュバルツの去っていった方を見つめていた。
『私もひっくり返され、多くのものを失ったからな…』
考えるのはその一言についてである。いくら考えたところで答えに辿り着くわけはないのはわかっているが、それでもエルシャは考えずにはいられなかった。
無論、推測は出来る。といっても大まかなことしか推測出来ないが。価値観なり日常なりを引っくり返される出来事があって、そのために多くのものを失った…言葉通りならそういうことだろう。
確かに、無責任なことを言ったからそれをリカバーするために口から出任せを言った可能性もある。が…
(あの目は…)
一瞬だけしか見れなかったが、あの一言を言った時にしていたあの目は、とても嘘をついている者の目には見えなかった。悲しみと苦しみがないまぜになったような感情をエルシャはあの時のシュバルツの目から感じていた。
「いえ、考えちゃダメ。私たちに普通に生きられる明日なんてないのよ」
エルシャは首を左右に振ってシュバルツのあの表情と言葉を追い払うように努めると、後片付けをするために再び菜園に足を踏み入れた。
しかし、どれだけ後片付けに集中しようとしても不意にシュバルツの顔が浮かび、それを振り払うと先程の言葉が浮かんでくる。
それらを振り払いながら後片付けを続けたため、後片付けはいつもより時間がかかってしまった。
「ふぅ…」
いつもより時間がかかりながらもやがて後片付けは終わり、エルシャは溜め息をついて髪を掻き上げる。
「早くシャワー浴びましょ」
そのために自室に戻ろうと歩き出したところでエルシャの足が止まってしまった。遠くだが視界の隅にあの男が…シュバルツの姿が目に止まったからである。
シュバルツは何かの書類を覗き込みながら、整備班のメイと何やら話し合っている。あの黒い機体の格納庫として塹壕を掘っているからその打ち合わせなのだろう。
「……」
エルシャは少しだけ立ち止まってその光景を見ていたが、やがて歩き出した。自室に戻るために。