機動武闘伝Gガンダムクロスアンジュ   作: ノーリ

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おはようございます。

タイトル通り、今回は幕間回になります。

今回の主役は隊長。原作では早々に退場させられたキャラだったので、難しかったですが、逆に好きにやれたというのもありました。

こんな感じに完成しましたがどうでしょうかね? では、どうぞ。


NO.47 幕間 Zola

(イライラする)

 

いつからだろうか、こんな感情が心を支配するようになったのは。

 

(イライラする)

 

いくら平静を装っても、どうしても心がささくれ立つ。

 

(イライラする)

 

あいつは何もしていないのに。ただ、普通に隊員たちと向き合っているだけなのに。それでも…

 

(何で、シュバルツが他の隊員たちの相手をしているところを見ると、こんなにもイライラするんだ…)

 

解けない答えを胸に秘めたまま、ゾーラが遠目に帰還してきたシュバルツを見ていたのだった。

 

 

 

 

 

格納庫。

タスクに奥の手を使われ、まだ全身にしっかりとした力は入らないが、それでも早めに意識を取り戻したゾーラは壁にもたれかかりながらも何とかここまでやってきた。そして、よろめきながら格納庫の中に入る。

 

(ここにいたのか…)

 

視線の先にはシュバルツの姿があった。その姿を見てホッと一安心したゾーラだったが、ヴィルキスに跨ってシュバルツに話しかけているアンジュを見た途端、一瞬で不機嫌になる。

アンジュの楽しそうな、嬉しそうな表情がなぜかゾーラを苛立たせた。

 

「チッ」

 

舌打ちしたのと前後して、アンジュはタスクとヴィヴィアンを引き連れて大空へと飛びあがった。邪魔者がいなくなったから…と言うわけでもないが、ゾーラはシュバルツへと近づく。とはいえ、まだガスの影響があるためにヨロヨロとした足取りではあったが。

 

「シュバルツ」

 

いつもより大分時間をかけてようやくシュバルツの近くまでやってきたゾーラが、シュバルツに声をかけた。

 

「ゾーラか」

 

振り向くと、シュバルツがゾーラの名を呼んだ。表面にこそ出さないが、それだけでゾーラは随分と満ち足りた気分になるのだった。

それは、そう…

 

(LOSTした辺りからかね)

 

シュバルツを失った(と思った)あの時、ゾーラは自分でも信じられないぐらい落ち込んだ。だから、シュバルツから連絡が入ったときは心から喜んだし、それがジルのブラフ…ハッタリだと気付いた時は激怒して殴り掛かったのだ。

少し前の自分なら決して行わなかっただろう暴挙に、自分でも信じられなかった。けど、後悔しているかと言われるとそんなこともなかった。そして紆余曲折を経て、シュバルツは帰ってきたのだ。

それが信じられないくらい嬉しかったので、再会したとき柄にもなく首筋に抱き着いて涙ぐむなんて真似をしてしまったのだったのだが。

 

(~っ!)

 

あの時のことを思い出すと顔が赤くなるのを止められない。が、何とか表に出さないように耐えると、

 

「何をしてたんだい?」

 

と、いつも以上に平静を装って尋ねた。

 

「アンジュを見送っていた。…いや、正確に言えば、アンジュたちを…か」

 

そう言うと、シュバルツが軽く微笑んだ。その微笑みに、ゾーラはらしくなく胸が高鳴った。

 

「あいつ…いや、あいつら、行っちまったんだね」

「ああ」

 

頷いたシュバルツが重ねてゾーラに尋ねる。

 

「仔細は聞いていないが、何があったのか大体は見当がつく。大方、ジルがどうしようもない作戦を立てたのだろう?」

「わかるかい?」

「ああ」

 

シュバルツが頷いた。

 

「でなければ、アンジュがあんなに怒った様子でジルとやりあうわけはないだろう」

 

流石と言うべきか、シュバルツの口に出したことはまるで見ていたかのように正確だった。

 

「流石だね、その通りだよ。当事者としてその場にいなかったのに、よくわかるね」

「…まあ、お前たちとの付き合いもそれなりに長くなってきたしな。行動を読まれるのはあまり嬉しくないだろうが…」

「まあね。でもまあ、あんたの洞察力ならそれもやむ無しって感じかね」

「そう言ってもらえると助かる」

 

そう言って、シュバルツは再び軽く微笑んだ。

 

(ああ、まただ…)

 

シュバルツの微笑む顔を見ると、ゾーラは胸の奥がきゅーっと締め付けられるような感覚に陥る。が、それと同時にその笑顔が自分以外の他人に向けられるとどうしようもなくイラついてしまうのだった。

それは例えば、シュバルツがここに戻ってきてから今までの間のごく短い時間でも何度も感じていたものだった。

食堂でエマ監察官に誘われたのを見たとき、同じく食堂で隊員たちが嬉しそうに食事を受け取っているとき、それ以外の時間でも、シュバルツの傍にはほぼ誰かしらがいた。そしてそれを知るたびに、イライラが内心を支配する。

 

(どうしちまったんだろうね、あたしは…)

 

右目の周辺をゆっくりと、慈しむように触りながら理解のできない己の感情にやり場のない思いを抱いていた。と、不意にマギーが肩を貸してジルを立たせようとしているのが目に入ってきた。

 

「行くか」

 

それに気づいたシュバルツが、振り返ってゾーラに尋ねる。

 

「え?」

 

何のことかと思ってゾーラがシュバルツに尋ねた。

 

「ジルに捕まったら面倒だ。いい加減、ここから離れようと思うのだが」

「あ、ああ、そういうことかい…」

 

ようやくシュバルツが何を言いたいのか理解したゾーラが軽く頷いた。

 

「そうだね。あたしはともかく、あんたは今、司令と関わり合いたくないだろうから」

「そういうことだ」

 

苦笑すると、シュバルツが歩き出した。ゾーラは慌ててシュバルツに肩を並べると、歩調を合わせて嬉しそうに歩き出す。

そうして二人は連れ立って、格納庫を出て行ったのだった。

 

 

 

 

 

その日の夜。

ゾーラは珍しく一人で通路を歩いていた。いつもならお楽しみの時間だが、脇にはヒルダもロザリーもいない。というのも、少し溜まっていた仕事を片付けていたため、そんな時間もなかったのである。

ロザリーはヒルダと一緒にいる。と言うより、正確に言えばヒルダがロザリーたちの部屋に行っているという状況だ。

クリスがいなくなった…離反したため、部屋は空いているのだからヒルダがお邪魔しても何も不都合はない。

 

「あ…」

 

と、少し先に手に荷物を下げ、通路を横切るシュバルツの姿を見つけた。

 

「シュ」

 

バルツと続けようとしたのだが、横切る途中だったためにすぐにその姿は見えなくなってしまった。ゾーラは慌ててその後を追う。

 

(この先は…)

 

その通路の突き当りにあるドアの前に立つと、ドアはいつものように開いた。

 

「わぁ!」

「美味しそう…」

「ありがとう、シュバルツ!」

 

その先にいたのは、パメラ、オリビエ、ヒカルの三人である。そう、そこはブリッジだった。

 

「艦内の見回りついでにな」

 

荷物の中身を取り出している三人にそう告げた。シュバルツはまだここに詰めている三人のために、軽い夜食を作ってきたのである。そして三人はと言うと、これまた当然のようにホクホク顔だった。

 

「……」

 

ゾーラはその様子を、黙ったまま見ている。扉の開閉音はしたのだが、ちょうど三人が盛り上がっているところだったからか、四人とも気づいていないようだった。

…いや、シュバルツだけは気づいているかもしれないが、それでもここには(約一名を除いて)敵はいないため、放っておいているだけかもしれない。何か用があればそちらから話しかけてくると思っているのだろう。

 

「そういえばお前たち、体調はどうだ?」

 

シュバルツが三人の身体を気遣った。何せ彼女たちもタスクの仕込んだガスの被害者なのだ。人体に影響のあるものではなくただの催眠ガスなのだろうが、それでもガスを吸わされた以上は心配になるのも頷ける話だった。

 

「ん、大丈夫」

 

ヒカルが差し入れをパクつきながら答える。

 

「まだちょっとだけ身体が怠い気がするけど、一晩寝れば治るでしょ」

「そうか」

「うん。ホントにほんのちょっとだけ身体が重い気がするけど、それぐらいだから、オリビエが言ったように一晩寝れば治ると思うよ」

「そうそう。有毒ガスじゃないんだしね」

「怖いことを言うな」

 

四人が軽く声を上げて笑った。その、傍から見れば微笑ましい姿に、

 

(イライラする…)

 

ゾーラは最近シュバルツ絡みで感じるイライラを隠せなかった。そして、彼女たちの次のセリフがさらにゾーラをイラつかせることになる。

 

「まあ、もし調子の悪いのがとれなかったら、またシュバルツにマッサージしてもらおうかな?」

「あ、それいい!」

「賛成!」

(マッサージ?)

 

パメラたち三人の発言に、ゾーラの眉と耳がピクリと動いた。

 

「気持ち良かったもんねー、あれ!」

「うんうん♪」

「はふぅ…」

 

オリビエが溜め息をついた。マッサージされた時のことを思い出しているのか、ポーっとした表情になって顔を少し赤らめている。

 

「私としては、あれはもう御免被りたいのだがな」

 

苦笑したシュバルツに、

 

「ダメダメ♪」

「今すぐにではなくても、いずれは頼むよ」

「うん。あれを知っちゃったら…ね」

「困った奴らだ」

 

シュバルツが苦笑した。が、決して本気で嫌がっているわけでもないその表情に、ゾーラのイラつきがまた増した。と、パメラの目がいいことを思いついたとばかりに悪戯っぽく光った。

 

「じゃあさ、そのお礼ってわけじゃないけど、マッサージしてくれたら今度お風呂で背中流してあげようか?」

「何?」

 

まさかそういう方向に話が転がるとは思わなかったシュバルツが、驚いて固まってしまった。そして、オリビエとヒカルもそれに悪ノリする。

 

「いいね、それ♪」

「うん。だからシュバルツ、私たちと一緒にお風呂入ろ?」

「お前たち…」

 

シュバルツが今度は本当に困った顔になって額を抑えた。

 

「いくら何でも悪ふざけが過ぎるぞ」

「えー、本気なのにぃ…」

「私も。シュバルツならいいのになぁ…」

「それとも、シュバルツは私たちのこと嫌い?」

「いや、そんなことはないが…」

 

戦場では百戦錬磨の凄腕ファイターも、こういうやり取りは流石に女性には敵わないようだ。どうしたらいいのかといった感じで持て余し気味になっている。

 

「じゃあ、いいよね♪」

 

言質を取ったとばかりにパメラが楽しそうに微笑んだ。

 

「お風呂で私たちとくんずほぐれつ」

「あんなことやこんなことになっちゃうかもよ?」

「お前たち…」

 

シュバルツはふぅと一息入れると、右拳を握り締めてコンコンコンと三人の頭を軽く小突いた。

 

「きゃ!」

「やん!」

「痛ーい!」

 

そうは言うものの、三人とも甘えた声色では何の説得力もない。

 

「流石に少し調子に乗り過ぎだな」

「えへへ♪」

「ゴメーン」

「むぅ…本気なのに…」

 

ヒカルだけ、少し納得いかないといった表情だったが、それでも場の雰囲気を壊すようなことにはならなかった。が、四人から少し離れたところでは、

 

(ッ!)

 

もう限界だった。イライラがMAXまで溜まったゾーラが右足の爪先を軽く上げると、ブリッジ内に聞こえるようにそれを床に叩きつける。

 

「あ、ゾーラ隊長」

 

その、打ち鳴らす音に気付いた四人が振り返り、オリビエがゾーラに声をかけた。

 

「お疲れ様です」

「見回りですか?」

「…ああ」

 

パメラとヒカルにそう答えると、表面的にはいつもの態度を崩さずにゾーラは四人に歩み寄った。

 

「へぇ、差し入れかい?」

「ん? ああ」

 

シュバルツが答える。

 

「不義理をしていたからな。まあ、そのあたりの詫びも兼ねてな」

(あたしには?)

 

自分にはまだそんなことしてもらっていないことに、ゾーラはまたムカムカしていた。

 

「美味しいですよ。ゾーラ隊長もお一つどうです?」

 

パメラが差し入れを差し出す。悪意がないのはわかっているのだが、それだけにこの心中の理解できない感情を叩きつける場がなく、ゾーラは我慢できなかった。故に、

 

「いや、いい」

 

そのまま踵を返すと、ドアに向かって歩き出した。

 

「せっかくシュバルツがお前たちのために作ってきたんだ。ありがたくいただきな」

「あ、はい」

「それじゃあ、あたしは部屋に戻るから。しっかり頼んだよ」

「わかりました」

「お疲れ様です」

 

頷くと、ゾーラは振り返らずにそのままブリッジを出て行った。

 

「……」

 

三人が姦しく差し入れに舌鼓を打っている中、シュバルツはそんなゾーラの後ろ姿を思案気な表情でジッと見つめていたのだった。

 

 

 

 

 

「あー! クソっ!」

 

部屋に戻ってきたゾーラは着替えていつものガウンを羽織るとそのままベッドに勢いよくダイブした。そして、手元にあった枕を苛立ち紛れに自室のドアに投げつける。

 

「クソっ! クソっ! クソっ!」

 

八つ当たりしても苛立ちは収まらず、その鬱憤を晴らすかのようにベッドを殴りつけた。が、ボフボフボフといった音が鳴るだけで、当たり前だが一向に気分が晴れる兆候はない。

 

「どうしちまったっていうんだよ、あたしは!」

 

普段はあまり出さないような大声を張り上げたからか少しスッキリしたが、本当にほんの少しである。この原因のわからないイライラモヤモヤはどこにも飛んで行ってくれない。

 

(イライラする)

 

脳裏にはすぐにシュバルツの顔が浮かんだ。だが、もちろんシュバルツ自身に対してイライラするのではない。

イライラするのは、シュバルツが他の隊員たちと一緒にいるところを見ることに対してだった。

 

(イライラする)

 

何をしていたというわけではない。少し立ち話をしていたり、仕事を手伝っていたり、仕事上の会話をしていたりと普通のことしかしていないのだ。寧ろ、そういったことをせずに日々を送る方が難しいのだ。それはゾーラにも十分にわかっている。わかっているのだがそれでも、

 

(イライラする)

 

心に感じるイラつきはどうにも晴れなかった。

 

(…少し、マギーに話でも聞いてもらうかね)

 

今まで避けていた選択肢がとうとう視界の中に入ってきた。マギーに話したら色々ヤバそうだからあえて今まで除外していたのだ。何せ、患者が痛がっているのを見て喜ぶSなのだから。

 

「ふぅ…」

 

そんな感じで取り敢えず自分の気持ちに一区切りつけたところで、不意にドアをノックする音が聞こえた。

 

「…誰だい?」

 

ゾーラが気だるげに答える。正直、今は誰とも会いたくなかった。このまま酒をかっくらって思いっきり眠りたい気分だったのだ。だが、

 

『私だ』

 

ドアの外から聞こえてきた声に、瞬く間にそんな思いは吹っ飛んでしまったのだ。

 

「しゅ、シュバルツ!?」

『ああ』

 

ドア越しから聞こえてきたシュバルツの声にゾーラは思わず飛び跳ねるように起き上がった。

 

「ど、どうしたんだよ!?」

 

しどろもどろになりながらドアの向こうにいるシュバルツにゾーラが尋ねた。

 

『少し話がしたくてな。今、いいか?』

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 

慌ててゾーラはベッドから飛び起きると、ドアのところに転がっている枕を拾ってベッドのところまで戻ってくる。そして、乱れていたベッドをメーキングすると、ベッドメークのために着崩れてしまったガウンを直し、軽く髪を整えてから呼吸を落ち着けると、

 

「ど、どうぞ」

 

そう、返事をしてシュバルツを自室に招き入れたのだった。

 

「失礼する」

 

いつものようにそう言うと、シュバルツはゾーラ(とヒルダ)の部屋に入ってきた。

 

「ど、どうかしたのかい?」

 

部屋を片付けて少し落ち着いたのだろうか、大分いつもの調子に戻ってきたゾーラが、シュバルツに問いかけた。

 

「ん? ああ…」

 

思い出したように呟くと、シュバルツは軽く右手を上げた。そこには、ワインのボトルが二本、捕まれている。

 

「それは?」

 

自然、ゾーラが指をさして尋ねることになった。

 

「少し、付き合ってくれ」

「え!?」

 

突然のお誘いに、思わずゾーラは絶句していた。が、驚いたのはシュバルツも同じ。

 

「? そんなに驚くことはないだろう?」

「だ、だって、あんた、自分から酒に誘うことなんてなかったじゃないか」

 

そう、今までも何度かシュバルツと飲んだことはあるが、それはすべてこちらからアプローチをかけてのものだったのだ。シュバルツから誘ってきたのは今回が初めてだったのである。

 

「…理由はあるさ」

「? それって?」

「何、すぐにわかる。…で」

「え?」

「付き合ってくれるのか? それともダメか?」

「あ、ああ。もちろん構わないさ」

「では」

 

さあ、入って入ってと促され、シュバルツはゆっくりと室内に足を踏み入れた。そしてドアが閉まると、ゾーラはシュバルツに気付かれないようにこっそりとドアをロックする。

 

「そこでいいのか?」

 

シュバルツが部屋にあるテーブルに視線を向けた。

 

「ああ。その辺の椅子に適当にかけてくれ」

「わかった」

 

テーブルの近くにある 椅子に腰を下ろすと、持っていたワインのボトルをゆっくりとそのテーブルの上に置く。その間、ゾーラはいそいそとグラスの用意をしていた。と、

 

「ヒルダは?」

 

シュバルツが、この部屋のもう一人の住人の名前を上げた。

 

「…いないよ」

 

ピタッと動きを止め、少しだけ顔を俯かせながらゾーラが答える。

 

(あたし一人じゃ不満なのかい?)

 

内心でそう思いながらも、

 

「何なら、呼んでこようか?」

 

と、そんな思いを億尾にも出さずに背を向けたままゾーラが尋ねた。

 

「いや、逆だ」

「逆?」

「ああ。いるなら席を外してほしかったのだ。が、いないのならば好都合。…もっとも、あいつには悪いがな」

(! それって…!)

 

シュバルツが言ったことを聞き、ゾーラは胸が高鳴った。が、やはりそんな気配は億尾にも出さずにグラスの用意を続けている。

 

「それと…」

 

またシュバルツがゾーラに話しかけてきた。

 

「な、何だい?」

「グラスは四つ用意してくれんか」

「四つ?」

 

その言葉に、ゾーラが訝しがる。

 

「ああ」

「…わかったよ。あんたがそう言うんなら」

「すまないな」

 

背を向けたまま手をヒラヒラさせ、ゾーラは気にするなと意思表示した。が、シュバルツから見えない位置では不機嫌そうに顔をむすーっとさせていた。

 

(…何だい、今さっきはヒルダがいないことが好都合って言ったくせに、結局他に誰か呼ぶのかい。面白くないねぇ…)

 

その不満のため、ゾーラは心なしか仏頂面のまま四つのグラスを抱えてシュバルツのところへやってきた。

 

「…お待たせ」

 

そのまま、無造作に四つのグラスをテーブルに置いた。

 

「ああ、すまんな」

 

だが、シュバルツは特にそんなことを気にした様子もなく、二本のうちの一本の栓を開けると、四つのグラスに均等にワインを注いでいく。その様子を少しの間ジッと見ていたゾーラだったが、やがて思い出したようにシュバルツの隣に腰を下ろした。

シュバルツは四つのグラスにワインを注ぎ終わると、一つを自身の前に、もう一つをゾーラの前に、残りの二つをそれぞれゾーラとシュバルツの対角線上の離れた場所に置く。

 

「さて」

 

全てのグラスを置き終わると、シュバルツは自分のグラスを手に取ってゾーラに近づけた。

 

「え?」

 

ゾーラが不思議そうな表情になってシュバルツを見た。

 

「? 何を驚いている?」

「だって、あれは?」

 

ゾーラが主を待っている二つのグラスを指さした。

 

「いや、あれはあれでいいんだ。何故なら…」

 

そこで一度言葉を区切ると、シュバルツは少しだけやるせない表情になった。そして、

 

「あれは、エレノアとベティのぶんだからな」

「あ…」

 

そこでようやく、ゾーラは目の前の二つのグラスの意味を知った。

 

「弔い酒だ。あいつらへの…な。そしてこれが、私がお前に付き合ってくれと言った理由だ。ヒルダがいなくて好都合だと言ったのも、専らお前たち三人と飲んでいたから、言い方は悪いが部外者のヒルダはどうも…な」

「そう…かい。そういうことだったのかい」

 

ようやく、ゾーラは疑問に思っていたことに納得がいった。シュバルツが酒に付き合ってくれと言ったのも、グラスを四つ用意してくれと言ったのも。全てはこのためだったのだ。

 

(…何だよ)

 

自分の浅ましさに少し自嘲しながら、ゾーラはグラスを持つ。そして、シュバルツのグラスと合わせてチンと音を鳴らせたのだった。

 

「……」

「……」

 

そして二人とも、グラスの中のワインを仰って飲み干すと、ほぼ同じタイミングでグラスをテーブルの上に置いた。

 

「ふぅ…」

 

ゾーラが酸素を求めて大きく息を吸う。その傍らで、

 

「ふふっ…」

 

シュバルツが微笑んでいた。

 

「どうしたんだい?」

 

シュバルツの微笑みに胸を高鳴らせながら、それを表面に出さないように努めてゾーラがシュバルツに尋ねた。

 

「いや、弔い酒なのにグラスは鳴らすわ、飲み干してしまうわで、マナーも何もあったもんじゃないと思ってな」

「何だ、そんなことかい」

 

ゾーラが同じようにふふっと微笑んだ。

 

「いいんだよ。形だけの送り方なんざ、何の意味もない。形式に縛られるよりは適当でもあいつらに思いを馳せながら飲んでやるのが一番の弔いさ」

「ふ、成る程。お前らしいな」

「ああ。だからさ」

 

ゾーラはワインのボトルを手に取ると、再びシュバルツと自分のグラスにそれを注いだ。

 

「好きなように飲ろうじゃないか。あいつらだって、湿っぽいのは望んじゃいないはずさ」

「そうだな。そうかもしれんな」

 

促されてシュバルツは再びワイングラスを手に取ると、またゾーラのグラスと合わせて音を鳴らしたのだった。

 

 

 

 

 

ゆっくりとした時間が流れてどれぐらい経っただろうか。既にシュバルツが持参したワインの一本目は空になり、二本目も半分以上空いていた。

 

「ふーっ…」

 

グラスをテーブルに置き、シュバルツが大きく息を吐く。顔は若干赤くなったようだが、意識はしっかりしているのだろう、悪酔いしている様子はない。と、

 

「何だい」

 

不意に、ゾーラが口を開いた。

 

「ん?」

「あんた、結構いける口だったんじゃないか。これまでの飲みじゃ、そんな感じなかったのに」

「あれは…お前たちが無茶苦茶な飲ませ方をさせるからだ。酒量とペースを守れば、気分が悪くなることも潰れることもないのだがな」

「あたしらのせいだって言いたいのかい?」

「違うか?」

「いいや、その通りだよ」

 

二人は顔を見合わせるとそこでお互いに笑った。この、静かで穏やかな時間をゾーラは心から楽しんでいた。と、

 

「少しは気が紛れたか?」

 

不意にシュバルツがゾーラにそんなことを聞いてきた。

 

「何のことだい?」

 

言葉の意味が分からないゾーラが不思議そうにシュバルツに尋ねる。

 

「いや、私の読み違えならいいのだが、先ほどブリッジから出ていくときのお前の様子がいつもと違うような気がしてな。無論、エレノアとベティの弔い酒というのは嘘ではないが、そこのところも気になったからこうして訪ねてきたという側面もある」

「そ、そうかい」

 

ゾーラはシュバルツに表情を見られないように顔を外した。何故なら、彼女の顔は真っ赤になっていたからだ。

あの時の様子を気づかれていたことを恥ずかしく思いながら、それ以上にその心遣いが嬉しく、ゾーラはらしくなく顔を真っ赤にしていた。とはいえ、酒でそれなりに赤くなっていたので、気づかなかったかもしれないが。

 

「…本当は、こんな席などなかった方が良いのだがな」

 

そんな中、再びシュバルツが口を開いた。

 

「え?」

 

何とか平静を装ったゾーラがシュバルツに尋ねる。

 

「不可抗力とはいえ、私がいない間に多くの連中が死んでいった。無論、私一人いたところで結果は大きく変わらなかったかかも知れないが、それでもどうしてもそこに考えがいってしまうのだ」

 

我ながら傲慢で度し難いがな、とシュバルツは続けた。シュバルツの話に、ゾーラはジッと耳を傾けている。

 

「エレノア、ベティ、それに、もう会えない連中にどう詫びれば許してもらえるのかと、今でも思うのさ」

 

本当に、我ながら傲慢で度し難いがな、と、シュバルツは続けて再びグラスを手に取る。そんなシュバルツを見ながら、ゾーラは内心をチリチリと焦がしていた。

 

(イライラする)

 

それは、いつからか感じていた正体不明の不快感。シュバルツがそう言ってくれたのは嬉しい。死んだ連中もその言葉だけで十分な餞だと思っていると思う。だがそれでも、その言葉、その想いが自分以外に向けられていると思うと、湧きたってくるこの不快感を抑えられなかった。

 

(他の連中なんてどうでもいい! お前は、あたしを!)

 

それに気付いた時、ゾーラはわかってしまったのだ。己を支配するこの不快感が何故湧きたつのかを。

 

ああ

そうか

あたしは

いつの間にか

こんなにも

 

(この男に惚れ込んじまっていたのか…)

 

それがわかり、そして認めてしまったゾーラは、

 

「シュバルツ…」

 

一言、シュバルツの名を呼んだ。

 

「どうした?」

 

いつものようにシュバルツが振り返る。

 

「…悪い、少し酔ったみたいだ。横になりたいんで、ベッドまで肩を貸してくれ」

「ほう、珍しいな。酒豪のお前が」

「人を蟒蛇みたいに言うんじゃないよ」

「すまんな」

 

苦笑しながら立ち上がると、ふらつきながら立ち上がったゾーラに肩を貸してシュバルツはベッドの側まで連れて行った。

 

「大丈夫か?」

「…ああ」

 

そう返事したゾーラは、不意にシュバルツの首に両手を回すと、仰向けの体勢で自分からベッドに倒れこんだ。

 

「なっ!」

 

不意を突かれ、加えて酔っていると思い込んでいたゾーラの思いがけない行動に、シュバルツはそのままゾーラに覆いかぶさる形でベッドに倒れこんだ。事情を知らない人間が見れば、シュバルツがゾーラを押し倒しているようにしか見えない格好である。

 

「…何の…つもりだ?」

 

ゾーラの意図が分からないシュバルツが困惑しながら尋ねる。と、ゾーラはそのまま早業でシュバルツに顔を寄せると、その唇に己の唇を重ねた。

 

「!!!」

 

矢継ぎ早な思いがけない行動の連続に、シュバルツが固まる。時間にして少しの間だったが、ゾーラはその唇を放すと、

 

「好き…」

 

と、いつもの彼女の様子からは信じられない程小さな声で呟いた。

 

「……」

 

ゾーラが何を言うか予想出来ていたのだろうか、シュバルツは特に反応を見せずに自分の視線の下にいるゾーラをジッと見ている。と、

 

「抱いて…」

 

恐らく、そう続くのではないかとシュバルツが予想していた言葉が予想通りにゾーラの口から紡ぎだされた。

 

「いや…」

 

この世界にやってきて、数多くの人間に何度もアプローチをかけられたことはあるが、ここまで直接的に迫られたことは初めてだった。そのため、どう返答したらいいかわからずにシュバルツは言葉を濁してしまう。最低限の礼儀として、視線だけは合わせたままで外しはしなかったが。

 

「…女がここまでしてるんだよ? 恥をかかせるのかい?」

「……」

 

シュバルツは少しの間何も答えず、行動も起こさずジッとしていた、と、自分の首に回されているゾーラの手が小刻みに震えていることに気付く。

彼女自身気づいているかいないかわからないが、怖いのだろう。恐らくは拒絶されることに。何となくそれがわかったシュバルツは、右手をベッドから放す。そしてゾーラの顎を軽く掴むと、クイッと持ち上げて今度は自分から口づけをした。

 

「! ん…」

 

そのシュバルツの行動にいささか驚いたゾーラだったが、すぐに首に回した腕に力を込めてシュバルツを抱き寄せる。どれくらい経ってからだろう、シュバルツが唇を外すと、ゾーラに覆いかぶさったのだった。

 

「ああ…」

 

それだけで、痺れるような甘い刺激がゾーラの全身を駆け巡る。シュバルツはそのままゾーラを抱きしめるように首の後ろに左手を回すと、不意に首の後ろのある一点をトンと押した。

すると不意にゾーラは逆らい難い力に支配されそのまま目を閉じた。そして…

 

 

 

 

 

「ん…」

 

どれくらい経ってからだろうか、ゾーラは目を覚ました。上半身を起こして辺りを見回したが、そこにはシュバルツの姿はもうなかった。そして、気づいたことがもう一つ。

 

「…あいつ」

 

己の現状を見て自身の身に起きたことを理解する。

 

ガウンがはだけていない

ベッドが乱れていない

そして何より、行為の後に身体を満たす気だるい余韻がない

 

そこから導き出される結論はただ一つ。自分の身に何か起こったということではない。寧ろ、何も起きなかったのだ。

 

「……」

 

悔しいとも、拒絶されて怖いとも説明のつかぬ気持ちの中、不意にゾーラは昨日弔い酒を行ったテーブルの上に、昨日休むまではなかった二つ折りのメモがあるのを見つけた。ゾーラはゆっくりとベッドから降りると、そのメモを手に取って開いた。

 

「あいつ…」

 

その中に書いてあったことに、どう形容していいかわからない感情になる。そこには、

 

“お前の気持ちはありがたい。

だが、酒の力を借りた女は抱けん。

それに、まだ我々は成すべきことがある。

全てが終わったとき、お前の気持ちに向き合おうと思う。

だからその時までにお前も、素面で告白できるようにもう一度気持ちを整理していてくれ。”

 

そう、書いてあったのだ。

 

「……」

 

右目の周辺を慈しむように触りながらゾーラが気持ちを整理する。据え膳を食わなかったことに対して思うことはあるが、それ以上に、少なくとも拒絶されたわけではないことがわかってホッとしていた。それと同時に、

 

「そうか…そうだったね…」

 

思わず呟いていた。

 

「あんたは、そういう奴だったね…」

 

それは、決して悪い意味での言葉ではなかった。思い出したのだ、シュバルツは誰に対しても真摯に向き合う性格の持ち主だということを。それを考えれば、ああやって迫ってもこういう結果になるのもある意味当然と言えた。そして、それ故にゾーラの心に前向きな感情が沸々と湧き上がってくる。

 

「逃がさないよ…」

 

敵は、多い。数だけでなく、質の高さも折り紙付きの連中ばかりだ。今後、さらに増えることも有り得る。だがそれでも、

 

「負けないさ。最後に勝つのは、あたしだ」

 

シュバルツの残したメモを片手に、ゾーラは改めてそう決心したのだった。


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