今回は幕間回みたいなものです。
本編復帰は次回からになりますので、気楽に読んでやってください。
では、どうぞ。
紆余曲折の末アンジュとシュバルツが再会し、再び物語りは動き出すこととなった。しかしシュバルツは、先程のサラやナオミたちを交えた話し合いでアンジュに対してここ数日のことは必要ないと思って話してはいなかった。
ここでは、アンジュとシュバルツが再会するまでの数日の間、この世界でシュバルツに何が起こっていたかを記すことにしよう。
『おお…』
御簾の向こうから大巫女が感嘆の声を上げていた。その他にも何人か同じような反応を見せている者がいる。話し合いを終えたシュバルツは再びサラたちに連れられて大巫女たちの元へと足を運んだのだ。
「というわけで、双方実りある結果となりました」
『うむ』
話し合いの結果を聞き、御簾の向こうで大巫女が満足そうに頷いたのがシュバルツにもわかった。だがそんなことより今、シュバルツはどうにも違和感を感じていた。
(? 何だ?)
ハッキリとこうだとは言い難いのだが、どことなく全体的な雰囲気がそわそわしているというか、上の空のように軽いものになっているように感じたのだ。無論、話し合いの結果が良い形で終わったことに対する安堵や嬉しさもあるのだろうが、どうもそれだけではないような気がする。
(一体何が…)
内心で首を捻ったものの、どうしても思い当たる節はない。と、
『シュバルツ…だったな?』
大巫女が不意にシュバルツに話しかけてきたのだった。
「ん? ああ」
シュバルツが頷いて返事をする。
『お主、あのマスクを外したのだな』
「ん? ああ」
先程と全く同じ言葉でシュバルツは返事を返した。
「友好の第一歩と言われてな。覆面をしている理由もなくなったし外したのだが、何処にでもある顔だろう?」
『バカを申すな』
「何?」
大巫女の言葉の意味がわからず、シュバルツが訝しげな表情をした。
『話し合いをしたと言うのならわかっておるだろう。我々の世界の男は皆ドラゴンなのだ。それを考えれば、久方ぶりの人間の男の顔なのだぞ。何処にでもあるものか』
「そうか…確かにそうなるな」
大巫女が何を言いたいのかわかったシュバルツが軽く微笑んだ。その表情に、御簾の向こうの面々のうち何人かがまた落ち着きのない様子になる。
『それに、それを差し引いたとしても中々の男らしい面構えよ。ここにいる面々の、決して少なくない数が取り乱すのも仕方のないこと』
「そうか? 自分では良くわからんな」
シュバルツが自分の顔を擦りながら答えた。キョウジ=カッシュとしては研究畑一筋だったし、シュバルツ=ブルーダーとしては弟を支えながらデビルガンダム抹殺に全てを捧げていたため、こういったことを言われることなどなかったのだ。そのため、褒められているのはわかっているが、今一つシュバルツにはピンときていなかった。
『ふむ、今一つ自覚していないようだが、すぐにわかるであろう。とりあえずシュバルツよ、我らに協力してくれる件、私からも礼を言うぞ』
「まあ、お前たちの期待を裏切らないようには頑張らせてもらうさ。こちらこそ、宜しく頼む」
『うむ』
深々と頭を下げたシュバルツに満足そうに大巫女は返事をした。そしてこの、結果報告の形の会見はつつがなく終了することになった。
そして終了した後、シュバルツが覆面を外して素顔になったという事実が一瞬にして神殿内に広がることになったのだった。
「只今戻りましたわ」
「あ、お帰りなさい♪」
「ああ」
返事を返してきたナオミに軽く手を上げて答えると、サラたち一行は先程まで話し合いを行っていた部屋に戻ってきていた。当然そこには、元からこの部屋にいた人物…ナオミの姿もあったのだった。
「どうだった?」
ナオミが首尾を聞く。
「問題ありませんわ」
「そっか。ま、当然だよね」
サラの返答にナオミがうんうんと頷いた。
「ドラゴン側に不利益になる話はないもんね。受け入れられて当然か」
「ええ。ですが、やはり正式な了承を頂くまでは余り良い気分はしませんわね」
「そっか。ま、そうだよね」
「まあ、シュバルツのおかげで色よい返事がもらえたという側面も多聞にもありましたけど」
「私が?」
サラの発言に、シュバルツが首を捻った。
「ええ」
サラが頷く。
「私は何もしていないが…」
不思議そうにシュバルツが呟いた。サラの後ろについて大広間まで行きはしたが、報告をしたのはもっぱらサラである。自身としてはサラの後ろに立っていただけであり、最後に大巫女と少々言葉を交わしただけだ。とてもではないが何かやったような覚えはなかった。
「何もやってなくても十分仕事をしたのですよ、貴方は」
「? ますますわからん」
「ふふふ。まあ、いずれわかりますよ」
サラが口元に手を当ててクスクスと笑う。ナオミはやれやれといった感じでふっと息を吐き、ナーガとカナメはジッとシュバルツの顔を見ていた。
「さて、ナオミ」
「何?」
笑みを収めるとサラがナオミに視線を向けた。
「貴方に一つ任せたいことがあるのですが…」
「任せたいこと?」
サラの言葉を聞き、ナオミが軽く首を傾げる。
「ええ」
「何?」
すると、サラはスッとシュバルツへと手を伸ばした。
「こちらのシュバルツのお世話を貴方に頼みたいのです」
「え?」
「何?」
その一言にナオミだけでなく、シュバルツも訝しげな表情になった。
「どういうことだ?」
先に口を開いたのはシュバルツである。そして少し遅れて、
「そ、そうだよ。どういうこと?」
ナオミも追随したのであった。
「どういうこともこういうことも、今言った通りですわ。貴方にシュバルツのお世話をしてほしいのです」
「いや、お世話って…」
どう返事をしたらいいのかわからずナオミが戸惑った。そこを狙って…というわけでもないのだろうが、
「せっかくの計らいだが…」
シュバルツが口を挟んだのだった。
「遠慮させてもらえないか?」
「あら、どうしてです?」
サラが尋ねた。
「どうしても何も…私も右も左もわからない子供ではないからな。そこまでされなくても何とかなると思っている」
「ふふふ…でも、ここは貴方にとって初めての地なのですよ?」
「む…」
珍しく、シュバルツが口ごもった。
「『郷に入っては郷に従え』ではありませんが、アルゼナルのやり方がここでも通じるとは限りませんわ。細かいことですけど、例えばこの神殿の中がどうなってるか、ここから外に出てどういった地理になっているかご存知?」
「それは…知らんな」
シュバルツが素直に答えた。
「今のは単なる一例で氷山の一角に過ぎません。余計なことをしでかして大事になるのはシュバルツ、貴方も望まないでしょう? だからこその世話人です」
「む…」
そこまで言われてシュバルツが黙ってしまった。その隙をついて、サラが今度はナオミに矛先を向ける。
「ナオミ、貴方もシュバルツに色々と聞きたいことがあるのではないですか? 何せ、久方ぶりの珍客の上に、どういった運命の悪戯かはわかりませんが、その珍客は貴方の古巣に所属していた人物です。こちらに来てしまった以上、アルゼナルとの関係は物理的には断たれてしまいましたが、精神的な繫がりまで捨てられるものではないでしょう?」
「う…」
ナオミも口ごもる。確かにサラの言う通り、こちらの世界に来てからも古巣であるアルゼナルのことは気にかけていた。真実を知ってしまった以上、アルゼナルに戻る気はなくなってしまったが、それでも幼いころから育った故郷が気にならないわけはないのだ。そして計らずも、それを知る人物と巡り合うことが出来たのだ。気にならないわけはなかった。
「と、言うことで、お互いにメリットのある話なのですが、それでも嫌ですか? どうしても嫌だというなら、こちらとしてもこれ以上無理強いはしませんが…」
「ふむ…」
「うーん…」
サラの提案にシュバルツとナオミがお互いに腕を組んで考える。だが、
「こっちとしてはありがたい話…かな?」
先に結論に至ったのはナオミだった。
「ではナオミ、貴方には異存はないのですね?」
「うん。確かにアルゼナルのことは気になるし、世話人っていっても今までのシュバルツの言動からしたら実際に手の焼けることはなさそうだしね。それに、向こうから飛ばされてきたっていう境遇も同じだから、正直なところ放っておけないっていうところもあるから」
「はい、結構。…さてシュバルツ、後は貴方の返事次第なのですが」
そこでサラがシュバルツに視線を向けた。が、それは彼女だけではなかった。ナーガもカナメも、そして何よりナオミがジッとこちらを見ていたのだ。
(そんな顔で見られてはな…)
答えは一つしかないではないか…そう、シュバルツは内心で苦笑していた。無論、強硬に断ればこの話は流れるだろうが、そこまでして断る理由もない。何より、折角共闘の話が纏まったのだ。自分の気づかないうちに問題行動を起こして纏まった話を流すのは避けたかった。
(まあ、困る話でもないしな)
そう結論付けると、
「わかった」
シュバルツも了承の返事を返した。その言葉を聞き、ナオミがホッとしたような表情になったのだった。
「決まりですわね♪」
パンと手を打つと、サラが嬉しそうに破顔する。
「ではナオミ、シュバルツのお世話、任せましたわ。シュバルツもあまりナオミの手を焼かせないでくださいね」
「はーい♪」
「わかったわかった」
ナオミは元気に片手をあげ、シュバルツはまるで母親のようだなと思いながら、二人でサラの意見に賛同したのだった。
「! 行きます!」
「ああ。好きなタイミングでかかってくるがいい」
「はああああっ!」
気合を入れながらサラがシュバルツに向かって走り出す。そして得物を…本身の刀を抜いて襲い掛かったのだった。
ここは神殿内にある道場の中。そこで今まさに、サラとシュバルツの一騎打ちが始まろうとしていた。
『こちらですわ』
一騎打ちの始まる少し前、サラの先導に従って一行がこの道場内に訪れていた。
『無理を言ってしまってごめんなさいね、シュバルツ』
サラがシュバルツに対してペコリと頭を下げた。
『まあ…今更だからな、気にするな。それに、共闘しようとする相手の実力を実際に確かめたいと思うのは当然のことだろう』
『ふふふ、貴方が物わかりのいい人で本当に助かりましたわ』
シュバルツが静かに微笑む。この会話でわかるように、サラたち…厳密にいえばサラとシュバルツは手合わせのためにここにやってきたのだ。
それは、ナオミがシュバルツの世話人になることが決定した直後のことだった。
『ところで、話は変わりますが…』
ナオミがシュバルツの世話人になることが決まった直後、サラが口元に握り拳を持ってきて、コホンと一つ咳払いをした。
『?』
『? 姫様?』
『どうしたの、サラ?』
カナメ、ナーガ、ナオミの三人が訝しげな表情で首を少し傾げた。当のサラはというと、そのままシュバルツに視線を合わせ、
『シュバルツ、貴方に一つお願いがあるのですが』
『お願い?』
サラの言葉を聞き、シュバルツも三人と同じように首を少し傾げた。
『はい♪』
シュバルツの返答を聞いて楽しそうにサラが頷いた。
『何だ?』
その内容を聞いてみる。と、
『私と、手合わせをしてくれませんか?』
という、なんとも意外な言葉が返ってきたのだった。
『え!?』
『姫様!?』
『サラマンディーネ様!?』
その言葉を聞き、ナオミたち三人が驚いていた。彼女たちからしてみれば予想もしなかった申し出なのだから当然だろう。が、サラはそんな三人に構わず、ずいっと身を乗り出す。
『如何ですか? シュバルツ』
『……』
言葉を重ねられたシュバルツは少し考えるかのように無言だった。だがすぐに、
『こちらとしては別に構わん。が、何故だ?』
と、申し込まれた方としては至極当然なこと…理由を尋ねた。
『簡単なことですわ』
楽しそうな様子のままサラが返答する。
『貴方の情報はリザーディアによって前々から得ていました。その度に、実際はどれほどの使い手なのかとワクワクしていたのです。そして先程の、龍神器の起動実験を兼ねた侵攻で、私の機体…焔龍號の放った収斂時空砲を防いだその実力に、今迄以上に興味が湧いたのです。更に言えば、その後の防衛戦でも一騎当千の働きぶり。その時点で共闘する戦力としては申し分ないのは十分わかったのですが、それ故に手合わせしてみたくなりましたの。…どうです? これでも理由は足りませんか?』
『いや』
サラの明かした理由を聞き、シュバルツが首を左右に振った。
『暇つぶしや手慰みで挑まれても困るのでな。ちゃんとした理由を聞きたかっただけだ』
『では』
『ああ』
シュバルツがサラに視線を合わせる。
『いいだろう』
そして、頷いたのだった。
『本当ですか!?』
シュバルツの返事を聞いたサラが表情をぱあっと輝かせた。
『お前の気持ちもわからんでもないしな』
『ありがとう、シュバルツ。さあ、そうと決まれば!』
その勢いのまま、サラがガシッとシュバルツの腕を掴んだ。
『すぐに行きましょう!』
『わかったわかった』
もしかしたら今までで一番張り切っているサラに少々圧倒され、そして苦笑しながら、シュバルツはサラに引っ張られて部屋を後にしたのだった。
『ちょ、ちょっと待ってよー!』
『姫様! お待ちください、姫様!』
『ああ、もう!』
置いてきぼりにされたナオミたち三人だったがすぐに再起動すると、慌ててサラとシュバルツの後を追ったのだった。
と、このようなことがあって場所を道場に移し、手合わせが始まろうとしているのである。道場の中心部まで進んだサラとシュバルツが少し距離を置いて相対する。その様子を、少し遅れて道場にやってきたナオミたち三人が、二人の邪魔にならないように壁際に移動して見守っていた。
「シュバルツ、貴方、得物は?」
腰に佩いている刀を抜くと、サラがその切っ先をシュバルツに向けながら尋ねた。
「伝えてくれれば、すぐに用意しますよ」
「いや、このままで構わん」
『!?』
だが返ってきた返答に、シュバルツ以外の四人の表情が固まる。
「…どういう…ことですか?」
一番最初に再起動したのは、やはりというか当然というかサラであった。
「私を…バカにしているのですか?」
その切れ長の瞳が、スッと細められて鋭さを増す。
「勘違いするな。そういうことではない」
先程より張り詰めた空気の中、それでもシュバルツは意に介した様子もなくヒラヒラと手を振って答えた。
「ではどういう「我らガンダムファイターはな」」
重ねて理由を聞こうとするサラを遮り、シュバルツが口を開いた。
「ファイターの名の通り、基本は徒手空拳の戦士なのだ。故に、今の状態が基本的な戦闘スタイルであり、無手だからと言って決して相手を侮っているわけではない」
「……」
そう説明されてもやはり納得のいかない部分もあるのだろうか、サラは不満げな表情をしている。
「それでもどうしても得物を使わせたいというなら、お前の実力で私に使わせてみるがいい。最も、それが出来ればの話だがな」
「! そうですか…」
その挑発気味の言葉に侮辱されたとでも思ったのか、サラの纏う空気が今までのものとは一変する。
「あ」
「姫様、キレちゃった…」
そんなサラの様子にナーガとカナメが絶句気味に口を開いた。続けて、
「あの男…シュバルツのやつ、何を考えているのだ?」
「知らないよ。でも、すぐに身の程を知るんじゃない?」
「それまで生命があればの話だがな」
「その流れになりそうになったら流石に止めないと。せっかくの協力者なのに、死なれたら困るよ」
「ふん、その程度の実力なら居ても足手纏いになるだけだろう。いざという時に足を引っ張られるよりは、ここで死んでもらった方がいいのではないか?」
「そうもいかないでしょ。…でも、姫様もあのマスクを外してからの反応を見る限り、シュバルツに好印象を持っていたように見えたんだけどな」
「それとこれとは話が別ということではないか? あるいは、可愛さ余って憎さ百倍というわけでもないだろうが、好印象を持っていたからこそ余計に侮られたことに関して癇に障ったのかもしれないしな」
「そういうこともあるかぁ…」
と、半ば呆れながら好き勝手なことを言っていた。そしてこの場にいるもう一人、
(ど、どうしよう、止めた方がいいのかな? でもシュバルツって強そうに見えるし、考えが浅そうにも見えないから勝機があっての発言だろうし…。でもでも、シュバルツの予想以上にサラが強いってこともあるだろうし…)
ナオミはこんなことを頭で考えながら逡巡していた。だがそうこうしているうちに、
「! 行きます!」
「ああ。好きなタイミングでかかってくるがいい」
「はああああっ!」
二人の手合わせは始まってしまったのだった。まずは挨拶代わりとばかりにサラが正面から斬りつけた。速さ、威力的に申し分のない斬撃であり、シュバルツの身体を捉えるには十分な一撃だった。が、
「!」
確かに捉えたと思ったのに手ごたえがなかった。それもそのはず、そこにはシュバルツの姿がなかったのだからだ。
(どこに!?)
サラは瞬時に視線を辺りに走らせる。が、
「ここだ」
聞こえてきた声は自分の真後ろからだった。その声が耳に入った瞬間、心臓を鷲掴みにされたような驚きと共に瞬時に振り返る。そこには、先程と変わらぬ様子のシュバルツがそこに立っていた。
「あ、貴方、一体いつの間に…」
見えなかった、それも全く見えなかったことにサラが驚愕のセリフを思わず口にする。しかし、それは横から見ていた外野陣も同じことだった。
「…み、見えた?」
「い、いや、全く」
「ふわぁ…」
ナオミたち三人もいつの間にシュバルツがサラの後ろに回ったのか全く見えなかったのだろう、三人とも呆然としながら立っていた。
「どうした、もう終わりか?」
その中で一人、変わらぬ雰囲気のまま佇んでいるシュバルツがサラに尋ねる。
「! まだまだ!」
しかし一度のことでサラが折れるわけもなく、再び勇敢にシュバルツに切りかかっていった。そして…
「はあっ…はあっ…はあっ…」
道場内。サラが肩で息を繰り返している。その全身にはかなりの汗が滲んでいた。
「……」
対照的に、シュバルツはそのサラの様子を冷静に見ているだけだった。そしてこちらも対照的に、呼吸を乱すどころか汗の一つもかいていない。この双方の様子だけで、今まで何があったかのかは明白だった。
「凄い…」
思わず呟いたのはカナメだった。
「…夢でも見ているのか? 姫様が、一撃も与えられんなど…」
同じように、ナーガも呆然とした様子で呟く。
「夢じゃないよ、ナーガ」
「わかってはいる。わかってはいるのだがそれでも、こんな一方的な展開予想できたか?」
「まさか」
カナメがフルフルと首を左右に振った。
「予想できるわけないじゃない」
「全くだ。しかし…」
そこでナーガの視線はサラからシュバルツへと移った。
「あの男…どれだけとんでもない実力の持ち主なんだ」
「ホントだね」
反論など微塵も頭に浮かばないのだろう、カナメも素直に頷く。
「…つくづく、味方になってくれてよかったよ」
「全くだ。姫様であれだからな。我々では…」
「とっくの昔に気持ちよく寝てるんじゃないかな?」
「…反論したいところだが、その余地もないな」
「うんうん」
そこで、ナーガとカナメが複雑な表情で溜め息をついた。その一方でナオミは
(強い…物凄く)
当然のようにカナメやナーガと同じ感想を抱いていた。が、それと同時に、
(でも、何だろう…。的確な表現かわからないけど、どことなく影のある強さっていうか、たまに危うさや悲しさを感じるような気がする…)
未来世紀でのシュバルツの境遇を思い出したからだろうか、ナオミはシュバルツの強さをそう感じ取っていた。
「どうした? もう終わりにするか?」
外野がそれぞれそういった感想を抱いているなどとは思うこともなく、当事者の一人であるシュバルツが、もう一方の当事者であるサラにそう声をかける。
「ご冗談を」
呼吸が整ってきて額に滲んだ汗を拭うと、サラはシュバルツを鋭い眼差しで射抜く。
「挑んでおいて赤子のようにあしらわれたというだけならばまだしも、一太刀も浴びせられないでは貴方に失礼でしょう? せめて大なり小なり爪痕ぐらいは…」
「そう…か」
サラの返答に頑固者めと思ったシュバルツだったが、その気持ちもわからないでもなかった。
(もっともらしい理由をつけていたが、正直なところは悔しいの一言なのだろうな)
それがわかってしまったからだ。表情が、雰囲気が、何より未だ闘争心を失わないその目が雄弁に物語っている。サラも、まさかここまで実力差があるとは思っていなかったのだろう。
だが、現実とは往々にして残酷なものである。そしてサラは今、その残酷な現実に直面させられていたのだった。
(ならば、そろそろ終わりにしてやるか)
これ以上長引かせたところで、結末は変わらない。であれば、早々に幕を引いてやるのも又慈悲というものである。
「ふっ!」
サラが短く息を吐くと瞬時に距離を詰め、ノーモーションから抜刀する。しかし、
「なっ!」
サラが…いや、サラだけでなくその光景を見たナオミたち三人も驚愕に目を剥いた。何故ならシュバルツは片手の人差し指と中指でその刃を挟んでいたからである。変則の真剣白羽鳥というものであろうか。そして、
「はあっ!」
シュバルツが初めて攻めに転じた。瞬時に指を開いて刃を解放すると更に距離を詰め、サラの手首に手刀を落としたのである。
「うっ!」
痛みに耐えかね、思わず顔を顰めてサラは刀を落としてしまった。その直後、その身体は宙を舞い、そして道場の床にしこたま叩きつけられた。
『姫様!』
「サラ!」
遠くからこちらに向かってくるナーガとカナメ、そしてナオミの姿を見ながら、そのままサラは気を失ったのだった。
「う…」
うめき声を上げたサラがゆっくりと目を開ける。
「気がついたか」
「シュバルツ…?」
声の聞こえた方に視線を向けると、そこには変わらぬ様子で自分を見ているシュバルツの姿があった。そして、
「姫様!」
「サラマンディーネ様!」
「大丈夫?」
心配そうに覗き込んでくるナオミたち三人の姿。そして視線のその先には道場の天井。
(ああ…そうか…)
そしてここにきてやっと、サラは自分がどういう状況なのか理解できてきたのであった。
「負けた…のですね」
その呟きに誰も返すものはいないが、今のこの状況が言葉より余程雄弁に物語っていた。
「ふふっ…」
「姫様?」
思わず含み笑いを浮かべたサラをカナメが覗き込んだ。
「手も足も…出ませんでしたわね」
「サラマンディーネ様…」
ナーガがサラを気遣うように声をかけた。
「いいのです、ナーガ、カナメ。確かに負けましたが、あそこまで見事にあしらわれてはぐうの音も出ませんもの」
そして、その視線をそのままシュバルツへと向けた。
「私の完敗ですわ」
「そうか」
「でも、その力が味方になってくれることはとても心強いですわ。これからの戦い、期待しても良いのでしょう?」
「…まあ、期待を裏切らないように努めるさ」
「ふふふ…」
シュバルツの控えめな返答に、サラが又笑みを浮かべた。
「ありがとうございましたシュバルツ、私のわがままに付き合ってくれて。ナーガ、カナメ、お客人を丁重に元の部屋にご案内なさい」
「あれ、サラは?」
ナオミが首を傾げて尋ねた。
「私はもう少しこのままで。まだ少し身体が痛みますの」
「もう! もうちょっと労わってあげられなかったの、シュバルツ!」
「すまん」
無茶を言ってくれると思ったシュバルツだったが、ナオミが口をへの字にして不満そうにしているので素直に謝った。
「さて、それでは私は先に戻らせてもらうぞ」
「ええ」
踵を返し、さっさと道場を後にするシュバルツ。
「あ、シュバルツ!」
「お、おい、ちょっと待て!」
「あ、待ってよー!」
スタスタと道場を後にしたシュバルツを、ナオミたち三人が慌てて追いかけていった。
「ねえシュバルツ」
ようやく追いついたシュバルツにナオミが話しかけた。
「何だ?」
「『何だ?』じゃないよ。ちょっと薄情すぎない?」
「サラのことか?」
「そ」
うんうんとナオミが頷いた。
「床に思いっきり叩きつけておいて、碌に労わりもせずにさっさと背中を向けるのはどうかと思うな」
ナーガとカナメも同意見なのか、ムッとした様子で同じようにうんうんと頷いていた。
「いや、あれでいいのだ」
だがシュバルツから返ってきたのは、到底三人が納得できない答えだった。
「…何で?」
ナオミの視線が厳しいものになる。ナーガとカナメのそれも同じように厳しくなった。
「…わからないのならばそれでいい。わざわざ口に出すようなことでもないしな」
「何それ!?」
シュバルツの言いように納得できないのかナオミが感情を爆発させる。ナーガとカナメも詰め寄ったが、シュバルツは頑としてそれ以上この件に関して口を開こうとはしなかった。こうしてシュバルツの風当たりが強くなる中、一向は元来た部屋へと戻ったのだった。一方その頃道場では、
「負けましたわね…」
サラが天井を見上げながら呆然とした様子で呟いていた。
「何も出来ず…」
そのまま右腕を目の前にかざして視界を塞ぐ。そして、
「っ…くっ…」
声を押し殺して泣き始めたのだった。
「くや…しい…」
泣き声こそ上げなかったものの涙は後から後から止まらず、サラは暫くの間涙を流し続けたのだった。
この世界に連れてこられた次の日。その日、シュバルツはナオミに連れられて神殿を案内されていた。
道場の一件でシュバルツとの間に少なからずわだかまりが出来たナオミたち三人だったが、暫く後に戻ってきたサラが手合わせをする前と同じ様子に戻っていたのを見て、本人が気にしていないならと納得することにしたのだった。そのため、今の二人の間に流れる空気は以前のものと同じになっていた。
「…で、ここを真っ直ぐ行くと中庭ね」
「成る程な」
案内を受けたシュバルツが頷いている。
「これで、大体の場所の案内は終わったかな」
「そうか、手間を取らせたな。礼を言うぞ」
「いいよ、お礼なんて。世話人としては当然のことだもん」
そこでナオミが得意げにえっへんと胸を張った。その様子に微笑ましくなり、シュバルツが文字通り微笑む。が、
(……)
随分前からあることに気づいていたシュバルツが少し疲れたような表情になった。
「? どうかした?」
その表情の変化に気づいたナオミが首を傾げて尋ねる。
「いや…」
ナオミの問いかけに、シュバルツはらしくなく言葉を濁した。が、すぐに、
「すまんが、先に戻っててくれるか?」
と、ナオミに伝えたのだった。
「え…でも、大丈夫?」
ナオミが心配そうな表情になる。一通り案内したとはいえ、文字通り大丈夫かどうなのか不安なのだろう。
「ああ、問題ない。少しトイレに寄りたいだけだ」
「何だ、わかったよ。じゃあ、先に戻ってるね」
「ああ、すまんな」
笑顔で手を振るナオミを見送ると、シュバルツは近くにある通路の角を曲がった。それを離れたところから遠巻きに見ていた集団がわさわさと後をつける。が、
「あれ?」
その中の一人が思わず声を上げた。そしてその声は、他の全員の心中を代弁しているものだった。何故ならその場にシュバルツは居なかったからだ。だが、
「覗きとは、あまり感心せんな」
『ひゃっ!』
背後から自分たちの探している人物の声が聞こえ、集団の大半が驚きの声を上げた。慌てて振り返ってみるとそこには、何時どうやって移動したのかシュバルツの姿があった。
「何のつもりだ、お前たち」
『あはは…』
半数近くが愛想笑いを浮かべているその集団は、当然というべきかこの世界の女性たちであった。昨日、シュバルツという男がここに現れたことはもうとっくに知れ渡っており、そして男だけに彼女たちの興味を集めるのは当然だった。そのため、早々に注目を集めることになってしまい、こうやって一挙手一投足を遠巻きに見られるという状況になっているのだった。
勿論、そんな気配をシュバルツが気づかないわけがない。正直に言って鬱陶しかったのだが、敵意や害意があるものではなかったので放っておいたのだ。
が、いつまで経っても収まらない状況にとうとうシュバルツから踏み込んだのだった。
「……」
『……』
無言の空間が広がる。彼女たちの半分近くが顔を赤らめながらチラチラとシュバルツに視線を送り、それ以外は気まずそうに照れ笑いを浮かべたり指先をイジイジとしたりしている。
(どうしたものかな…)
進展の見えないこの状況に、シュバルツも内心で頭を抱えていた。アルゼナルと同じように女の中に男が一人だからこういうことになるのも予想するのは容易かった。だが、流石にこの状況がずっと続くとなると辟易としてしまう。なので踏み込んでみたのだが、残念ながらそうしても進展は見られなかった。
対処に困ってると、集団の中から一人、エルシャが可愛がっているような子供たちと同じぐらいの子がトテトテとシュバルツの元に駆け寄ってきたのだった。
「ん?」
『あ…』
それに気がついたシュバルツ、そして女性陣から声が上がる。と、その子はシュバルツの足元まで来ると見上げて両手を伸ばし、
「抱っこー」
と、せがんできたのであった。
「は?」
思わず、シュバルツらしくない間抜けな声が漏れる。女性陣も声すら上げないものの、唖然としているのが大半だった。
「抱っこー」
しかし、その子は相変わらず同じように両手を挙げて抱っこをせがんでいる。どうするのかと見守っていた女性陣だったが、
「仕方ないな…」
諦めたようにシュバルツが呟くと、女の子を抱っこしたのである。
「えへへ…」
シュバルツに抱っこされた女の子は嬉しそうな笑顔を浮かべた。その顔を、羨望半分、微笑ましさ半分で周囲の女性陣が見ている。だが、シュバルツは気にせずに軽くぎゅっと抱きしめてから、二回ほど軽く真上に放った。俗に言う高い高いである。そしてそれが終わると女の子をおろし、軽く頭を撫でたのであった。
「満足したか?」
そう質問したが女の子は答えなかった。代わりに本当に嬉しそうな笑顔を見せ、
「しゅきー!」
と、シュバルツの足にしがみついたのだった。
「…参ったな」
突然足にしがみつかれたといって小さな女の子を邪険にすることも出来ず、シュバルツは困ったように苦笑した。そんなシュバルツを、周囲の女性陣は先ほどよりも熱い眼差しで見つめていた。
そしてこの一件も同じように瞬く間に広がり、シュバルツはますます深みに嵌っていくことになったのであった。
「う…?」
その翌日、シュバルツはぼんやりと意識を覚醒させた。
(なんだ? この感覚は? 昼食を食べたところまでは覚えているのだが、そこから先の記憶がまるでない)
と、
「あら、お目覚めかしら」
不意に、何処からか声が聞こえてきた。その声を聞いて一気に意識を覚醒させていく。
「…ドクター?」
そこにいたのは、先日紹介されたゲッコーと言う名のドクターだった。
「ええ」
あでやかに微笑むと彼女は軽く会釈する。
「一体何を…」
額に手を当てて考えを整理しようとしたところで、シュバルツはそれが不可能になっていることに気づいた。何故なら、両手足と首と胴体が拘束されているからである。
「な!」
考えもしなかった状況に思わずシュバルツが驚きの声を上げた。何とか目だけを周囲に巡らせて現状を確認しようとするが、ここが何処かの部屋で自分は診察台のようなものに寝かされて拘束され、周囲には数多くの少女たちが取り巻くように自分を見ていて、何故か上半身裸の状態でいるということしかわからなかった。
「何の真似だ!」
思わず叫ぶ。その語気にビックリしたのか、少女たちはビクッと肩をすくめ、泣きそうな表情になってしまった。
「あまり怖がらせないで下さるかしら」
だが、流石に肝が据わっているのかゲッコーはさほど気にした様子もなかった。
「理由次第だ。さあ、どういうことなのか説明してもらおうか」
「そんな大事ではないのですけどね」
軽く微笑んだ後、
「性教育の教材になっていただこうと思って」
と、あっさりと事情を説明した。
「…何?」
まさかそんな理由だとは思わなかったのか、シュバルツがらしくない間の抜けた声を上げた。
「既にご説明は受けたでしょうけど、この世界の男は遺伝子操作で人としての姿を捨てましたの。とはいえ、女はこうして人としての姿を維持していますので、いずれくる男女の営みのためにもそう言った方面の教育は必要不可欠なのですわ。勿論、座学はしてありますが、そこに貴方が現れた。実地を行うには非常に良い機会だと思ってご協力頂こうと思いましたの。とはいえ、正直に話しても首を縦に振ってくれるとは思わなかったので、こうして些か強引な手段をとらせて頂いたのですけど」
「そうか…」
そこでシュバルツはこの身体の状態と、昼食後の記憶がぷっつり途切れていることが繋がった。
「昼食に薬を盛ったな?」
ゲッコーは何も答えなかったが、満足そうに微笑みながら頷いていることがシュバルツの言葉を裏付けることを何よりも雄弁に物語っていた。
「成る程な…」
ようやく自分の置かれている状況に納得がいってシュバルツがもう一度グルリと周囲に視線を向けた。
自分を取り囲んでいる少女たちは例外なくこれから始まる授業に興味津々なのか、顔を赤らめたりニコニコしながらもその視線をシュバルツの身体に向けていた。特に現在、裸体を晒している格好になっている上半身への視線の集中が凄まじい。
「せめてもの情けに、教育時間の間は目が覚めない強力な薬を使ったのですけど…」
どうしてこんなに効き目が浅かったのかしら?…と、ゲッコーは不思議そうに呟いていた。
(恐らくはガンダムファイターとしての鍛錬の賜物と、元々はアンドロイドであること、そのときにこの身体を構成していたのがDG細胞であることなどの複合的な理由だろうな)
その結果、人としての尊厳を失う前に意識を取り戻すことが出来たので、シュバルツはその事実に心から感謝していた。
「事情はわかった」
言葉通り事情を理解したシュバルツがそう言って頷いた。
「では…」
その言葉を、理解が得られたとものだと思ったのか、ゲッコーが微笑む。少女たちも一層目を輝かせた。しかし、
「だが、モルモットは御免蒙る」
そう告げると、シュバルツは瞬時にその場から姿を消してしまったのだ。
『!?!?!?』
拘束されて置きながら一瞬で、その場から影も形もなくなったことにゲッコーを始め少女たちも驚愕に目を剥く。と、
「露出の趣味はないのでな」
不意に、あらぬ方向から聞こえてきた声に驚いて全員がそちらに目を向ける。そこには自分の衣服を抱えて彼女たちを見ているシュバルツの姿があった。
「あ、貴方、一体どうやって!?」
全員を代表してゲッコーが呟く。だがシュバルツはそれに答えることなく手早く衣服を着込んだ。
「まあ、今回は運が悪かったと思って諦めてくれ。どうしてもというのなら、他の男がこの世界にやってきてくれることを願うのだな」
そしてそれだけ言い残すと、シュバルツは先程と同じように瞬時にその姿をその場から消したのだった。そのため残された彼女たちは、暫くの間呆然とその場に立ち尽くすことになったのであった。
そして後日。
「いいですか、とりあえず区切りのいいところまでは大人しくしていてくださいね」
「わかっている」
サラの注意に、隣に立っているシュバルツが頷いていた。先程、どこからか発信されていた救難信号を傍受して見に行ったナーガたちから連絡があり、人間を保護したこと。そしてそれがアンジュとタスクだということがこちらに伝えられてきたのだ。
そして、それを知ったシュバルツが会見の席に立ち合わせてほしいと申し出て、こうやってサラの隣に立っているという形になっているのであった。
(さて…)
間近に迫ったあの金髪紅眼の元皇女殿下の顔を思い浮かべる。
(少しは成長しているか?)
そんなことを考えながらシュバルツはその時を待った。こうして、止まっていた物語は再び動き出すことになるのである。
この二人の再会をきっかけとして。