今回から真なる地球編となります。
こちらの世界で色々な展開をブチ込むつもりなので、向こうに戻るのは結構後になるかもしれません。
ですので、そこのところご了承下さい。
今回は導入編です。では、どうぞ。
ヴィルキス、コックピット内。
アンジュが顔を突っ伏して操縦桿にもたれるように前のめりになって気絶していた。そんなアンジュに横から何かが這い寄ってくる。
細長くピンク色のそれは、蛇のようにうねりながらアンジュの顔に張り付いてさわさわとその顔を撫でた。
「ん…」
その、得体の知れない感触に異変を感じたアンジュがゆっくりと目を覚ます。そして、得体の知れない感触を感じた方向…横に顔を向けた。
「ウェ?」
そこにいたのは、こちらを覗き込んでいるスクーナー級のドラゴンの姿だった。心配そうな様子で、アンジュを見ている。
「! はああっ!」
起き抜けにドラゴンの姿を目の当たりにして思わずアンジュが驚いて仰け反った。が、ドラゴンはアンジュに襲い掛かろうとはしない。それどころか、高音で咽喉を鳴らしながら器用に自分自身をちょいちょいと指差した。と、
(あたし、あたし)
アンジュにはドラゴンがいなないているようにしか聞こえないだろうが、ドラゴンは必死に意思表示したのだ。
「…ヴィヴィアン?」
(そう!)
頷くと、理解してもらえたことを喜ぶかのようにウオオオオッ…と高音で長い咆哮を上げた。
「また、なっちゃったんだ」
呆れとも驚きともつかない様子でアンジュがそう呟くと、ドラゴン状態のヴィヴィアンがアンジュに顔を寄せる。アンジュはそんな彼女の顔を抱え込むと、慈しむように撫でた。と、
「どこも痛くないかい?」
不意に、違う方向から声をかけられる。
「タスク…」
そこにいたのは念のためだろうか、ライフルなどで武装してアンジュに歩み寄ってくるタスクの姿だった。その姿を見て先程の…気を失う前のことが頭に次々と思い出される。
「私たち、海の上にいたはず!?」
しかし…
「……」
バイザーを外しながら立ち上がると、周囲を見回す。そこにあったのは海ではなく、見渡す限りの廃墟だった。それも廃墟となってから随分経っているのだろう、建物の全面がビッシリと緑で覆われている。360°そういう光景だったのだ。
「ここ…どこ?」
呆然としながら、アンジュはそう呟くことしか出来なかった。
「こちらアンジュ。アルゼナル、応答せよ」
アンジュが通信機を使用し、アルゼナルへの通信を試みている。あの後、呆けていても仕方ないという結論に達したのだろう。とりあえず出来ることとして、アンジュは何度も通信を試みていた。しかし…
「アルゼナル、誰か生きているなら応答して!」
通信が返ってくる様子は全くみられない。その間、ヴィヴィアンは周囲に興味を惹かれたのだろうか、少し離れたところで何かを突いている。
(つんつん)
それは尋常でないぐらい年月を重ね、信じられないくらい劣化したドリンクの自販機だった。ヴィヴィアンは興味津々といった感じでそれのボタンやレバーをカチャカチャといじり始めた。
「モモカ! ヒルダ! 誰でも良いから返事しなさい!」
と、アンジュのその剣幕に驚いたのだろうか、ヴィヴィアンがビックリした様子で尻餅をついた。そしてその拍子に自販機にもたれかかってしまい、その衝撃で廃棄同然の自販機から数個の缶ジュースが吐き出されたのだった。無論、外側の自販機と同じく中身のジュースも缶が腐食し、もはや飲めるような状態ではないのだが。
「…もう! どうなってるの!?」
一向に通信の繋がらない現状に、いらいらした表情と口調でアンジュが吐き捨てた。
「俺の方もダメだ」
タスクも同調する。こちらもこちらで、通信を試みていたのだろう。が、結果は今の発言でわかるように、何の成果も得られなかった。
「全周波数に応答なし。半径5キロに動体反応なし。位置センサーも機能せず…」
どうしたものかといった感じでタスクが顔を上げて周囲を見上げる。そして、
「…こんな場所、俺の知る限り、アルゼナルの近くにはない」
自機を降りながら、そう続けた。
「大昔の廃墟なんじゃないの? 人類がまだ戦争していた頃の」
アンジュが思いついたことをそのまま口に出してみる。
「そんな場所が残っているなんて話、聞いたことがないよ」
しかし、タスクから返ってきたのはつれない返答だった。
「…じゃあ、私たちは誰も知らない未知の世界に飛ばされたってこと!?」
アンジュのその言葉を聞き、タスクが少しの間俯いて考え込む。だが、すぐに顔を上げると、
「ヴィルキスなら、可能性はある」
そう、発言したのだった。
「ええっ?」
タスクにそう言われ、アンジュは表情を強張らせた。
「あの時、奴が放った光。あの光から君を護るために、ヴィルキスが何かしたのかも…」
そう推論するタスクの脳裏には、ここに来る直前のエンブリヲの攻撃や、自分に向かってくるアンジュの姿が思い出されていた。
「ヴィルキスは特別な機体だ。何を起こしても不思議じゃない」
「! そうね…特別、よね…」
アンジュは視線を逸らすと息を呑んで呟いた。恐らくは、風呂場でジルから聞いたことを思い出していたのだろう。
「ん?」
目敏くそれに気づいたタスクが怪訝そうな表情を浮かべる。
「別に。直せる?」
「何とか。飛べるぐらいには」
「じゃあ、お願い」
そう告げると、アンジュはヴィルキスのシートから立ち上がった。
「君は?」
シートから腰を浮かせたアンジュにタスクが尋ねる。
「偵察。敵がまだいるかもしれない」
「わかった」
その返答を聞くと、タスクは肩から掛けてあったライフルを外すと、それをアンジュに手渡した。
「気を付けて」
「うん」
小さく頷くと、アンジュはそのライフルを手に取った。と、
(アンジュ、アンジュ♪ あたしに乗って)
いつの間にか側にやってきていたヴィヴィアンが背中を向けた。
「? 乗れ…ってこと?」
(そうそう♪)
肯定するかのようにヴィヴィアンがコクコクと首を上下させた。
「君が、ドラゴンだったとはね…」
(内緒だよ)
タスクに向かって口止めをするかのようにヴィヴィアンが口の前で指を一本立てた。元々がヴィヴィアンなので当然ではあるが、なんとも人間臭い仕種である。だがそれをドラゴンの姿で行っているため、違和感も半端じゃなかった。
そうこうしているうちに背に乗ったアンジュと共に、ヴィヴィアンは大空へと舞い上がったのだった。
「……」
二人が心配なのだろうか、それを見送るタスクの表情は決して明るいものではなかったが。
他方、ゲームでよく見かけるドラゴンナイト宜しく、飛竜であるヴィヴィアンに乗って大空を舞うアンジュは廃墟を抜ける。すると、その目の前に大きな山がそびえ立っていた。
「あ…」
思わずその雄大さに息を呑む。アンジュは知る由もないのだが、その山は富士山という名の山であった。そして富士山があるということは、ここが何処なのかわかる人には当たり前にわかる場所なのである。
「何処よ…ここ?」
とは言え、それを知らないアンジュは当然のように戸惑いを隠せない。そのままヴィヴィアンの飛ぶに任せて飛んでいると、不意にアンジュはあるものに目が行った。
「はっ…」
それを目にしたアンジュが思わず息を呑む。が、それも一瞬。
「ヴィヴィアン、あれ、あれに向かって!」
(合点!)
すぐに進路をそれに指定すると、ヴィヴィアンは了承するかのように一度いななき、己の首をその方向に向けた。アンジュの目指したそれは、人工的に製造されたものなのか自然に出来たのかはわからないが湖だった。が、その湖自体を目的としたのではない。
恐らくその湖底から伸びているのだろう、人工の建造物がアンジュの目的だった。その建造物…細長い塔は腐食か経年劣化か、あるいは他の理由かはわからないが途中で折れて先端部分が湖底に突き刺さっている。そしてそれに近づいたアンジュは間違いないと確信した。
(やっぱり…暁ノ御柱!)
そこにあったのは、経年劣化によって見る影もないが、間違いなく自分の国のシンボルの一つ、暁ノ御柱であった。
「ミスルギ皇国!? ここが!?」
アンジュから報告を受けたタスクが驚いた。何か情報の一つでも手に入ればいいと思っていたのだろうが、まさかこんな情報が入ってくるとは思わなかったのだろう。
「宮殿も街も、綺麗サッパリ無くなっていたけど、あれは、暁ノ御柱だった! 見間違えるはずが無いわ!」
水分補給を終えたアンジュが口元を拭う。乗っているだけとはいえやはり疲れたのだろうか、チェアーに腰を下ろしていた。ちなみに実際にアンジュを乗せて飛行していたヴィヴィアンはその数倍疲れたのだろう、日陰で身体を地面に投げ出して休んでいる。
「……」
「でも、おかしいの」
「えっ?」
「御柱も街も、ずっとずっと、大昔に壊れたって感じだった…」
そう呟くアンジュの表情は、状況に戸惑っていることがありありと見て取れた。
「…俺たちが気を失ってる間に、数百年の時間が経っていた…とか。まさか…」
場の雰囲気を和らげようとでも言うべきか、おどけた表情と口調でタスクがそう返した。が、どうやら今のアンジュのお気には召さなかったようだった。瞬時に表情と視線を厳しいものにし、
「冗談で言ってるんじゃないのよ!」
そう、タスクに食って掛かったのだ。
「ゴメン…」
意気消沈した様子でタスクが返す。アンジュもこれ以上言っても仕方ないと悟ったのか、視線を外すと俯いた。そんな二人の耳に、遠くから機械的なメロディーが入ってくる。
『!』
それに気付いた二人がすぐ近くのヴィルキスを遮蔽物としてライフルを手にした。そして、ジッと耳を澄ます。すると、
『こちらは、首都防衛機構です』
機械的なアナウンスが、そのメロディーと共に聞こえてきた。二人がジッと目を凝らして見てみると、ピンク色で小型の四足の機械がアナウンスを知らせながら近づいてきていた。脚部はローラーを使用しているため、スムーズ且つそれなりのスピードを保っている。その機械が、メロディー…知る人が聞けば『夕焼け小焼け』だとわかる…を引き続き流しながらアナウンスを流していたのだった。
『生存者の方はいらっしゃいますか? 生存者の方はいらっしゃいますか? 首都第三シェルターは現在も稼働中。避難民の皆様を収容しております。生存者の方は、中央公園までお越し下さい…』
「生存者…?」
そのアナウンスロボのアナウンスの内容に、思わずアンジュが呟いていた。
「行ってみよう」
タスクにそう促され、二人は肩を並べてとりあえずアナウンスロボの後を追ったのだった。
「あれか…?」
街看板や道路標識を参考に、アナウンスロボがアナウンスしていた施設…首都第三シェルターを目指したアンジュとタスク。道路状態や土地勘に悩まされながら、ようやくそれらしいドーム状の建物の前に辿り着き、タスクがそう呟いていた。そしてそのまま、二人は肩を並べてその建物に走り寄る。
「ここに、生存者が?」
アンジュが周囲の様子を窺った。と、不意に上空から人工的な光に照らされ、二人の身体が一瞬で包み込まれる。
『生体反応を確認。収容を開始します』
その光が消え去ると、先程のアナウンスロボと同じような機械的な合成音声が流れ、ゆっくりと建物の口が開いた。
『ようこそ、首都第三シェルターへ。首都防衛機構は、あなたたちを歓迎いたします』
アナウンスが流れ終わる前に二人は互いに顔を見合わせ頷きあう。そしてライフルを構えると、慎重に内部に入っていったのだった。
『ようこそ、首都第三シェルターへ。首都防衛機構は、あなたたちを歓迎いたします』
再び同じアナウンスが流れ、それが合図のようにまた隔壁が上がる。その向こうにある大きなウインドウモニターの中に、このアナウンスの主であろう、何かの制服に身を包んだ若い女性の姿があった。
『現在、当シェルターには1コンマ7%の余剰スペースがあります。お好きなエリアをお選び下さい』
そのアナウンスが終わるのとほぼ同時に、また左右の壁沿いに沿って無数にある隔壁が次々と開いた。
『どうぞ快適な生活を』
そのアナウンスに促されるように、アンジュとタスクはとりあえず一番手近な避難シェルターへと足を向ける。が、
「っ!」
アンジュが口元を押さえ、タスクも呆然と立ち尽くしていた。何故なら、その開いたシェルターの中には、白骨化した死体が無数に転がっていたからだ。
「何よ…これ…」
あまりの惨状にアンジュは絶句すると、踵を返して先程のところ…ウインドウモニターのところまで戻る。
「さっきの貴方! どこ!? 出てきて説明して!」
すると、それに呼応したかのように再びウインドウモニターが開いた。
『管理コンピューター、ひまわりです。ご質問をどうぞ』
「コンピューター…だったのか…」
タスクは驚きを禁じえなかった。
「これってどういうこと!? 誰か生きてる人はいないの!? 何が起きたの!? どうしちゃったのよ!?」
多少なりとも混乱しているのだろう。アンジュらしくなく要領を得ない様子で次から次へと矢継ぎ早に質問を浴びせた。が、相手がコンピューターである以上、取り乱すわけはない。
『質問を受け付けました。回答シークエンスに入ります』
当然のように淡々とそう答えると、直後、ホログラフであろうか上下左右360°がスクリーンのようなビジョンに変わる。そして、次々と二人の予想を超えた事実が伝えられたのであった。まずは戦闘機や戦車や戦艦が飛び交い走り回り航行し、砲撃やミサイルを発射する場面が流れる。
「何これ…映画?」
『実際の記録映像です』
思わず呟いたアンジュに答えるように、コンピューター…ひまわりが続けた。
『統合経済連合と反大陸同盟機構による大規模国家間戦争。第七次大戦、ラグナレク、Gウォーなどと呼ばれるこの戦争により、地球の人口は11%までに減少』
『膠着状態を打破すべく、連合側は絶対兵器ラグナメイルを投入』
「! これは!」
アンジュが目を見開く。新たにそこに映し出されたのは確かに先ほど見たパラメイル…エンブリヲが従えていたあの漆黒のパラメイルだった。そして、
「黒い…ヴィルキス!?」
自身の駆るヴィルキスであった。ただ違うのは口にした通り、そのカラーリングが自身の良く知っている純白ではなく漆黒であるということ。そして、ヴィルキスとエンブリヲが従えていたであろう機体以外にも、複数機の漆黒のパラメイルがあったことだった。その数、五体。
そして、そのまま映像は続いていく。
「何…するの?」
思わずアンジュが呟く。すると、その答えを見せるかのように漆黒のパラメイル…ラグナメイルがギミックを展開させ、ディスコード・フェイザーを次々と街や軍隊に向けて発射する映像に切り替わった。
『こうして戦争は終結。しかし、ラグナメイルの次元共鳴兵器により、地球上の全ドラグニウム反応炉が共鳴爆発』
そのアナウンスを裏付けるかのように、まるで核爆発でも起こったかのような映像が次々と映し出された。
『地球は全域に渡って生存困難な汚染環境となり、全ての文明は崩壊しました。以上です。他にご質問は?』
「世界が…滅んだ?」
その幕切れに、思わずタスクが呟く。
「何なのこれ…? 何の冗談よ…」
そしてまたアンジュも、呆然としながら呟いた。が、彼女は信じたくはないのだろう。
「バッカみたい! いつの話よ、それ!」
鼻で笑って吐き捨てた。しかし、それが強がりと紙一重なのは冷静に見れば誰にでもわかることだった。
『538年前』
そして、ひまわりは己の職務を忠実に実行して、いつの話かを回答する。
『えっ!?』
その回答にアンジュとタスクの戸惑いが重なったのも、当然と言えた。
『538年193日前です』
ひまわりがニッコリと微笑みながら続ける。
『世界各地、20976箇所のシェルターに熱・動体・生命反応無し。現在地球上に存在する人間は、貴方がた二人だけです』
そして、それが止めになった。そして収穫…といえば収穫を得ると、アンジュとタスクは元の場所へと戻ってきたのだった。
「ふふっ、500年…か」
夜。椅子に座って焚き火に当たりながら、タスクが思わず乾いた笑いを上げた。その手には、腐食した甘酒の缶が握られている。
「…500年も経てば、文字も変わるか」
印刷されたその“甘酒”の文字が読めないのだろう。その言葉に力はない。
「…あんな紙芝居、信じてるの?」
対面に同じように椅子に座っているアンジュは逆に、その言葉は力強かった。認めたくない現実を否定したいがためのものなのだろうが。
「あの白骨を見れば…ね」
タスクがその手に握った甘酒の缶を地面に置く。
「…全部造り物かもしれないでしょう?」
ライフルを手入れしながら、しかしアンジュの声はほんの僅かだが震えているように聞いて取れた。
「何のためにそんなことを?」
頭の後ろで手を組みながら、タスクが呆れたように呟く。これまでの状況から考えても、タスクの意見の方が正しい。が、アンジュはやはり認めたくないのだろう。
「知らないわよ、そんなこと!」
表情を険しくさせながら勢い良く立ち上がって、タスクに食って掛かった。
「私は、この目で見たものしか信じない!」
自身の不安を打ち消すためだろうかそう力強く宣言すると、すぐ側で休んでいるヴィヴィアンに近づいた。
「ヴィヴィアン、乗せて!」
(ほい来た!)
了承のいななきを上げると、ヴィヴィアンはアンジュを乗せる。そして、夜の闇へと空高く舞い上がっていった。
「……」
そんなアンジュを見送ったタスクは、なんとも形容しがたい複雑な表情を夜の闇に浮かべていたのであった。
(あるわけないわ…)
タスクと別れ、ヴィヴィアンの背に乗りながらアンジュは一人険しい表情で考え込んでいた。
(ここが500年後の、未来だなんて…)
そして、ギリッと唇を噛む。
(そんな、馬鹿げた話…!)
しかし、そのアンジュの思いを否定するかのように、どれだけ飛んでもアンジュを喜ばせるようなものは何一つ出てこなかった。
「ちょっと、ヴィヴィアン!」
ヴィルキスを修理していたタスクが振り返った。散々飛び回ったアンジュたちだったが、収穫はなく、戻ってきていたのだ。
「まだ北の方に行ってないじゃない。ほら、起きて。頑張って」
アンジュが促すが、ヴィヴィアンはか細い咆哮を上げるだけでアンジュに従う素振りは見せない。だが、それは仕方ないとも言えた。何せ、背中に乗ってるだけのアンジュと違い、ヴィヴィアンは自分の身体に人を一人乗せながら空を飛んでいるのだ。エネルギー消費の激しさはアンジュと比べるまでもないだろう。要するに、疲労困憊なのである。
「ヴィヴィアン、ほら、起きて」
が、アンジュは納得できないために再びヴィヴィアンをけしかける。その様子に、流石にタスクも黙っていられなくなった。
「アンジュ、無理させちゃダメだよ」
たしなめるものの、今のアンジュはその言葉に耳を傾けられるほど精神的な余裕はなかった。それは、その目の下にクマが出来ていることでも十分に窺い知ることが出来た。
「起きなさいよ! この役立たず!」
アンジュは一度タスクをキッと睨んだ後、ヴィヴィアンに向かって怒鳴る。その剣幕か、それとも言葉の内容にかはわからないが、ヴィヴィアンは怯えて逃げてしまった。
「! 何てことを言うんだ!」
その態度や物言いにタスクは思わずアンジュの腕を掴む。だがすぐに、
「放して!」
鋭く叫ぶと、アンジュは強引にその腕を振り解いた。タスクは困惑したものの、アンジュを諭すように努めて冷静に話しかける。
「少し休んだほうがいい」
「休んでどうなるの? こんなわけのわからないところに居ろって言うの?」
だが、アンジュは聞く耳持たない。そして、
「確かめたいのよ! アルゼナルがどうなったか! モモカや皆が無事なのか! …あいつが、本当に死んだのか……」
噛み付いた。が、強がっていてもやはり不安を感じているのだろう、最後には勢いなくなってしまったが。
「それに、シュバルツのことだって…」
「アンジュ…」
そんなアンジュにこれ以上何と言って声をかければ良いかわからず、タスクも戸惑ってしまう。
「…貴方だって、早く帰らないと困るんでしょう? あの女が待ってるんだし」
イライラした様子でタスクの脇をすり抜けると、アンジュはついタスクに当たってしまうのだった。
「ね、ヴィルキスの騎士さん?」
「そうだ」
振り返り、思わず皮肉めいた口調でアンジュがタスクに顔を向ける。対照的に、タスクはアンジュを揶揄することもなく表情を引き締めて答えを返した。
「俺は生命に代えても、君とヴィルキスを護る」
「リベルタスのために…ね。サリアと一緒」
アンジュの不機嫌は未だ収まらず、そう吐き捨てるとそのまま少し歩き、あらかじめおこしておいた焚き火の前で佇んだ。
「私を利用することしか考えてない、あの女の犬」
「違う! 俺は本当に君を…」
しかし、今のアンジュにそれ以上何と声をかけて良いかわからず、タスクは言葉に詰まってしまった。
「帰れないなら…それでも良いんじゃない?」
そのまま、アンジュはやってられないといった態度で焚き火の前に腰を下ろした。
「ええ…?」
まさかそんな言葉がアンジュの口から出てくるとは思わなかったのだろう、タスクが戸惑うのも無理はなかった。そんなタスクを置き去りにしたまま、アンジュが言葉を重ねる。
「だって、あんな最低最悪のゴミ作戦、どうせ上手くいかないし」
「…ゴミ?」
アンジュが言った不用意な一言に、タスクがそれまでとはまるで違う、底冷えのするような怜悧な呟きを呟いた。
「そうでしょう? 世界を壊してノーマを解放する。そのためなら、何人犠牲を出したって構わないなんて…。それで何が解放できるんだか。笑っちゃうわ」
「……」
怒りからか、タスクはぎゅっと拳を握り締めた。グローブが衣擦れの音を立てる。
「…じゃあ俺の両親も、ゴミに参加して無駄死にした…そういうことか?」
アンジュに背を向けたタスクが、底冷えする口調のまま淡々と呟く。
「! えっ…?」
アンジュが今までの傲慢な物言いからうって変わって不安げな表情になって振り返る。
「…俺たち古の民は、エンブリヲから世界を開放するためにずっと闘ってきた。父さんと母さんは、マナが使えない俺たちやノーマが生きていける世界を創ろうとして闘い、死んだ」
口調は抑えようとはしているが、どうしても激情に駆られてきつくなっていく。そして、
「死んでいった仲間も…両親の想いも…全部ゴミだというんだな、君は!」
やはり激情は抑えきれず、タスクはきつい眼差しを向けて振り返り、初めてアンジュに怒鳴ったのだった。
「それ…は…」
紅い瞳が不安げに揺れる。ここにきて初めて、アンジュは自分が言いすぎたと理解したのだった。が、覆水は盆に返らず。タスクはそのまま顔を背けてその場を立ち去った。アンジュも何も言うことは出来ず、ただ俯くことしかできなかった。
明けて翌日。二人の心模様を表すかのような曇天が空一面を覆っていた。そしてこれまた二人の心模様を表すかのように静かな雨も降りしきっている。そんな中、この日もタスクはヴィルキスの修理に勤しんでいた。
「……」
そんなタスクを、アンジュは随分と離れたところから所在なさ気に見つめていた。
(フン…だ。無視なんて幼稚なんだから。)
いたたまれなくなったのか、アンジュは荒廃した地下街へと降りてタスクに悪態をつく。
(あいつだって、いつも私を…)
不満げな表情で頬杖をつくと、アンジュはこれまでのタスクとの記憶を思い出していた。…といっても、タスクによる股間ダイブばかりが浮かんでくるのだが。
(あんなに怒らなくたっていいじゃない…)
そう悪態をついた直後、アンジュの脳裏には、
(困った奴だ…)
そう、苦笑しているシュバルツの姿が浮かび上がったのだった。
「…うるっさい」
足元に転がっていた小石を蹴ると、不満げな表情でそう呟くアンジュ。何とはなく自分が蹴った小石の転がった先を見ていると、何かに当たってその動きを止めた。そのまま、アンジュはそれに目をやる。
それは何処にでもありそうな、色々なアクセサリーを吊るしてある業務用のアクセサリースタンドだった。
「わあっ…」
嬉しそうな声を上げ、思わずアンジュはそこに近寄った。
「これ、可愛い…」
その中の一つを手に取るとしみじみと呟いた。可愛いものが好きなのはやはり女性だからか。そして又、アンジュの脳裏に一つの記憶が蘇ってきた。
それは、ヴィヴィアンがぺロリーナのマスコットを自分に渡そうとしてくれたときのことだった。
「……」
それを思い出したアンジュはアクセサリースタンドの一つを手に取ると歩き出す。その表情は、今までのものとは違って晴れやかなものであり、美しい自然な笑みが浮かんでいたのだった。
アンジュがそうしている頃、いつの間にか雲は過ぎ去り、顔を現した太陽は随分傾いてもうすぐ日の入りになろうかとしていた。そんな中、タスクが額に汗しながらヴィルキスの修理を懸命に続けている。と、不意にその耳に微かだが金属音が聞こえてきた。
「?」
空耳かと思って顔を上げてみると、修理用に組んだ足場のパイプに、日の光を反射させて輝くネックレスが引っ掛けてあった。
「アンジュ?」
タスクが、見つからないように音を立てないようにその場から立ち去ろうとしていたアンジュに声をかける。タスクから顔は見えないが、思わず立ち止まってしまったアンジュは何ともバツの悪い表情をしていたのだった。
「…に、似合うかなって。それだけ…」
思うところがあって態度を改めたものの、それでもやはりどんな顔をすればいいのかわからないのだろう、アンジュはタスクに背を向けたままぶっきらぼうにそう答えることしか出来なかった。
そんなアンジュにタスクは少し戸惑っていたが、すぐに笑顔になるとそれを手にしてアンジュに近づく。
「どう?」
そして、ネックレスをかけながらアンジュに尋ねる。アンジュが振り返ると、そこにはネックレスを首から提げたタスクの姿があった。
「いいん…じゃない?」
言葉こそ素っ気ないものの、日の光でわかりにくかったが確かにアンジュは頬を染めていた。そして視線を逸らす。
「ありがとう」
タスクは柔らかく微笑むとアンジュに礼を言った。
「疲れただろう? ご飯にしよう」
そして食事に誘う。が、
「あのっ!」
アンジュがそのタスクの足を止めた。
「ん?」
「あの…ごめん…なさい…」
「!? ええっ!?」
小さな声だが確かに謝ったアンジュに、タスクは驚きを隠せなかった。
「君って…謝れたんだ!?」
「なっ、何よそれ!」
思わずアンジュが不満げな口調になる。もっとも、こっちのほうが彼女らしいといえば彼女らしいのだが。
そんなアンジュへとタスクは歩み寄る。そして、ゆっくりと右手を差し出した。
「あ…」
「俺こそ、きつく当たってごめん」
「う、うん…」
顔を上げてタスクの顔に視線を合わせると、ぎこちないながらもしっかりとその手を握り返すアンジュ。そこにヴィヴィアンが帰ってきた。
「ヴィヴィアン!」
アンジュにふぉえ? っという感じで咽喉を鳴らして答えるヴィヴィアン。
「昨夜はゴメン。私、言い過ぎたわ」
そのまま、ヴィヴィアンの首を包むように優しくアンジュは腕を回した。
「ありがとう、ヴィヴィアン」
ヴィヴィアンはただ不思議そうに咽喉を鳴らすだけだった。
翌日、また雲が空を覆う中、タスクが昨日と同じようにヴィルキスの修理に勤しんでいる。と、
「ヘックシュッ!」
不意にくしゃみが出た。思わず顔を上げると、今度は雨ではなく雪が空から舞い降り始めていた。
「道理で寒いわけだ…」
身を震わせながら思わず呟く。そんなタスクの耳に、
「タスクーっ!」
聞きなれた声が届いた。
「凄いもの見つけたわ!」
ヴィヴィアンに乗って戻ってきたアンジュが興奮気味に話しかけたのだ。どうしたのだろうと呆気に取られたタスクだったが、誘導された先にあるものを見て成る程これはと納得した。
タスクのマシンのバッテリーからケーブルを繋げて電源として、エンジンを入れる。するとそれは生き返った。
ケバケバしいピンク色のネオンが屋上に設置された建物…いわゆるラブホテルがアンジュの見つけた凄いものだったのだ。
「屋根もある! ベッドもある! お風呂もある!」
「奇跡的な保存状態だね」
内部の一室に足を踏み入れたアンジュはその状況に興奮している。タスクもアンジュほどではないが、それでも喜んでいるのが窺えた。
「きっと名のある貴族のお城だったの違いないわ!」
…まあ、確かに城っぽい外観のそれもあるのだが、それでもここが本来何のための施設か知らないというのは幸せである。無邪気に喜ぶアンジュに横から水が注される可能性がないのは喜ぶべきことだろう、うん。
「見つけたヴィヴィアンに感謝しなきゃね」
アンジュが嬉しそうにそう言うと、ヴィヴィアンもまた嬉しそうに咽喉を鳴らしたのであった。
「お風呂入ってくる! タスク、掃除お願いね!」
「…はいはい、お姫様」
ウキウキしながらアンジュはヴィヴィアンを伴って浴場へ向かい、タスクは少々呆れながらもにこやかに答えた。
こうして、二人と一匹は久々にゆっくりと休める場所を確保したのであった。