多分…。
明けて翌日。
無事に独房から出てきたシュバルツは、自身に宛がわれた部屋に一度立ち寄ってから格納庫へ向かっていた。目指すはガンダムシュピーゲル…何故かここにある自身の愛機である。
その途上で、シュバルツは釈放されたときにジルから受けたいくつかの説明を思い出していた。
『お前のことは、昨日の私とのやり取りを映像で総員に見せた。無論、それなりの編集はしたがな』
『だから、お前のことは皆知っているが、会話の中でそれなりの齟齬が生じることもあるだろう。その時は口裏を合わせてもらいたい。お前とて、余計な波風は立てたくないだろう?』
『とりあえずは機体を見てくるといい。格納庫のある場所は…』
『その後は別命があるまで好きにするといい。何かあればこちらまで連絡しろ。私はこれから手のかかるじゃじゃ馬の世話に行かなければならんので、これで失礼する』
それだけ言うと、ジルはすぐさま立ち去った。昨日のことと言い随分一方的だとは思ったが、司令という立場上仕方がないことなのかと思ったシュバルツは、特に気にもせずに格納庫へと向かっていた。
「…と、ここか?」
ジルからの説明どおりに歩いて行った先にあった、それらしき場所。そこに辿り着いたシュバルツは自動ドアの前に立った。
そして開いた自動ドアの先には、自分に視線を向けた何人もの少女の姿があった。
話は少し遡る。
「後は任せたよ、ゾーラ」
「イエス、マム!」
第一中隊の隊長であるゾーラの返答を背中で聞きながら、『届け物』を届けたジルはその場を去っていった。
やがて敬礼を外すと、ゾーラはジルの『届け物』…ミスルギ皇国第一皇女、アンジュリーゼ=斑鳩=ミスルギ…ノーマとなった今ではただのアンジュに近寄った。
「死の第一中隊へようこそ。隊長のゾーラだ。副長、紹介してやりな」
そう言って、ゾーラはアンジュの尻を撫でるように触って押し出した。アンジュが短く悲鳴を上げたが、それを気にするような者はいなかった。いつものことと慣れきっているということもあるだろうが…。
「イエス、マム。副長のサリアよ」
それが証拠に、副長であるサリアの態度は淡々としたものだった。そしてその態度そのままに中隊のメンバーの紹介を始める。
「こちらから、突撃兵のヴィヴィアンと」
「やっほ」
「ヒルダ」
皮肉気な微笑を浮かべ、ヒルダは返事の代わりとした。
「軽歩兵のロザリーと「これ…」」
そのまま紹介を続けようとしたサリアの言葉を遮り、アンジュが口を開く。そして、
「これ、全部ノーマなのですか…」
と、ある意味最も言ってはいけない類の言葉を呟いた。
「これ…?」
「ハッ、あたしらノーマは物扱いかよ」
唖然としたサリアとは対照的に、ヒルダは侮蔑の表情を浮かべて挑発するようにアンジュに視線を向けた。
「っ! こいつっ!」
「そーだよ!」
怒気を発して掴みかかろうかというロザリーを抑えたのは、いつも明るく元気で素直なヴィヴィアンだった。アンジュの失礼な発言は気にした様子もなく、そのままヴィヴィアンは手を差し出す。
「皆アンジュと同じノーマ! 仲良くしようね!」
他意はない。しかし、ヴィヴィアンのその言葉をアンジュは認めることが出来なかった。
「違いますっ! 私はミスルギ皇国の皇女、アンジュリーゼ=斑鳩=ミスルギ! 断じてノーマなどではありません!」
「でも、使えないんでしょ? マナ」
「こっ、ここでは、マナの光が届かないだけです!」
痛いところを突かれ、アンジュは言葉を詰まらせた。そしてそれを認めてたまるかとばかりに、理由にもならない理由、反論にもならない反論を述べていく。
「皇国に帰れば、必ず…」
「ハッハッハッ…」
彼女にしてみればアンジュのその言い訳が滑稽だったのだろう、ゾーラが高らかに笑った。
「ったく司令め、とんでもないのを回してきたぞ。状況認識も出来てない不良品じゃないか」
「不良品が上から目線で偉そうにほざいてるんすか?」
「うわー…痛い、痛すぎ…」
ロザリーとクリスが嵩にかかってアンジュを揶揄する。それに怒ったアンジュが、不良品はあなたたちと食って掛かろうとした瞬間、ヒルダが思いっきりアンジュの足の甲を踏んだ。
「痛っ!」
「身の程を弁えな。痛姫様…」
「まあまあ、その辺で…」
鋭い視線をアンジュに向けるヒルダを、エルシャが制した。が、ヒルダは納得しない。
「あぁ!? こういう勘違いブスは、最初にキッチリ締めといたほうがいいんだよ!」
「そーそー」
「まあ、それはそうなんだけど…」
その後、わいわいがやがやと始まったところでゾーラがサリアに、
「サリア、こいつを預ける。色々と教えてやれ」
と、命令した。
「イエス、マム」
サリアの返事に頷いたゾーラがアンジュの頭に手を乗せる。そして、
「皆、期待の新人と仲良くなぁ。同じノーマ同士」
と、挑発するように宣言した。その言葉を聞き、屈辱で顔を歪めたアンジュだったがそんなのを意に介するゾーラではない。軽く流した。
そしてちょうどこの時だったのだ。自動ドアが開き、シュバルツが彼女たちの目の前に現れたのは。
(む…)
自動ドアが開いた先にいた少女たちの視線が自分に集まっているのを感じ取ったシュバルツが、どうしたらいいものかといった感じで戸惑った。
シュバルツは知らないが、彼女たちは自分を保護してくれた面々である。だから男に対して全く免疫がないわけではないが、それでも好奇の視線が無いわけはなかった。
驚いている者、隣の人間とヒソヒソと話しをしている者、ニッコリと笑顔を向けている者、興味深そうにこちらを見ている者など様々な反応があった。
(どうしたものかな…)
そういった彼女たちにどういった反応を取ればいいかわからず、シュバルツは彼にしては珍しく戸惑っていた。と、その均衡を破ってくれたのはゾーラだった。
「これはこれは…イレギュラー殿じゃないか」
元来物怖じしない性格なのだろう、ゾーラがゆっくりとシュバルツの元へと歩み寄る。
「イレギュラー?」
何故そのような呼称で呼ばれるのかわからず、シュバルツが怪訝そうに復唱した。
「映像を見たよ。異世界からきたノーマの男だろ、あんた。だからイレギュラー殿って呼ばせてもらった」
「そうか」
「自己紹介が遅れたね。あたしはパラメイル第一中隊の隊長のゾーラだ」
そしてゾーラは右手を差し出した。
「…シュバルツ。シュバルツ=ブルーダーだ。宜しく頼む」
短く返答すると、シュバルツはその手を握り締めた。その握手に、驚きの声が上がったりもしたが、シュバルツはさして気にも留めなかった。
(女しかいない中に男が一人ではな。一挙手一投足に反応があるのもある意味当然だろう)
昨日のジルとの話し合いで、ノーマは女しかいないこと、そのため必然的にこのアルゼナルにいるのは自分以外は皆女であることを聞かされていたが、やはり実際目の当たりにするとその事実を認めざるを得なかった。
「で、ここに何の用だい? シュバルツ」
ゾーラがもっともな質問をした。
「私の機体を見に来た。ここにあると聞いてきたのだが…」
「ああ、あの黒いパラメイルか。…いや、モビルファイターって言うんだったっけ?」
「そうだ」
「それなら隣だよ。ここの奥だ。真っ直ぐ行ったドアの先にある」
「そうか」
そこでシュバルツはゾーラから視線を外すと、奥にいる第一中隊の面々に顔を向けた。いきなり男に視線を向けられ、誰かの背中に隠れたり、慌てて視線を外したり、こっちに向かってぶんぶんと両手を振ったり、怪訝そうな表情でシュバルツを見たりと、その反応は個々人によって実に様々だった。
「…もしや、取り込み中だったか?」
「まあね」
「そうか。貴重な時間を無駄に使わせたな。申し訳ない」
シュバルツから出た謝罪の言葉に第一中隊の面々は一人を除いて一様に驚いた表情をする。頭では彼が自分たちと同じノーマだとわかっていても、男のノーマはいないと教えられ、また実際にそうであった以上、驚いてしまうのは当然といえば当然だったが。
そんな彼女たちの困惑など知る由もなく、シュバルツは、
「では」
と、話を切り上げて奥に行こうとする。しかし、歩き出そうとしたところでシュバルツの足が止まった。
「? どうかしたかい?」
急に足を止めたシュバルツに、ゾーラが怪訝そうな表情で訊ねる。
「いや…」
それだけ答えて再び歩を進めようとしたがやはり足を止め、上を仰ぎ見てふーっと大きく息を吐くと、
「そこの」
と、第一中隊の面々に顔を向けた。
え? え? え? と、第一中隊の面々が混乱する中、シュバルツは構わずに言葉を続ける。
「真ん中にいる金髪ロングのお嬢ちゃん。私に何か言いたいことでもあるのか?」
その言葉で、そこにいる面々の視線が当人…アンジュに集まった。
「貴方…貴方もノーマなのですか?」
アンジュはシュバルツへと歩み寄る。
「…人間とノーマの線引きで言うならば、まあそういうことになるな」
シュバルツも同じようにアンジュへと歩み寄った。やがて、二人は互いの手の届く距離まで近づいた。
ゾーラを含めた第一中隊の人間は視線だけを二人に向けたが、止めようとしたり中に割って入ろうとはしなかった。先程のアンジュの彼女たちに対するファーストインプレッションがあれだっただけに仕方のないことだが、とにかく全員が傍観者に徹することにしたのである。
周りのそんな状況など気にすることもなく、アンジュは続ける。
「男性のノーマはいないはずです。貴方、一体何者?」
「…まあ、その辺りは色々と込み入った事情があってな」
そう答えながらも、シュバルツは怪訝に思っていた。独房から出るときジルが言っていたが、自分たちのやり取りは映像として流しているはずである。現にゾーラはそのことを知っていた。
なのに何故目の前の少女は知らないのか…。
「そいつは今日入ったばかりの新入りでね。やんごとなき身分の御方なのさ」
疑問が顔に出ていたのか、ゾーラが答えてくれた。
(そう言えば、ジルが先程そんなことを言っていたな)
手のかかるじゃじゃ馬が入ってきたと。では目の前のこの少女がそうなのか。そういう結論に達した。
「詳しくは、後ろにいるお仲間たちに後で教えてもらうのだな」
そう言って切り上げようとしたシュバルツだったが、
「違いますっ!」
と、アンジュはすぐさまシュバルツの言葉を否定した。そして続けて、
「私はミスルギ皇国の皇女、アンジュリーゼ=斑鳩=ミスルギ! 断じてノーマなどではありませんし、後ろの者たちは仲間などではありません!」
と、先程と同じことを言って自身がノーマであることと第一中隊の面々を否定した。その言葉を聞いて何人かが不快そうに眉を顰めたり、苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、背中を向けているアンジュにそれがわかるわけはなかった。
「…随分とおかしなことを言うな。では何故ここにいる」
基本的な疑問をぶつける。
「お前がやんごとなき身分の者だということはわかった。が、とてもじゃないがお偉方の視察や慰問のようには見えないがな…」
「こ、ここではマナの光が届かないだけですっ! だから…きっと…」
「話にならんな。では何故監察官殿がマナを使える?」
まだ実際に逢ってはいなかったが、マナを使えるいわゆる『人間』がこのアルゼナルにも例外的にいることを、そしてその立場をシュバルツはジルから聞いて知っていた。
「皇族だから使えなくて、一般人だから使えるなどという寝言は言うなよ」
「っ! だから、それは…」
明確な答えが返答できず言い淀むアンジュ。それだけで趨勢は決まった。そんなアンジュを見てシュバルツは疲れたように一息つくと、
「皇女殿下」
と、アンジュに語りかけた。
「な、何ですか…」
不安そうな面持ちでとりあえず答えるアンジュ。そんなアンジュに、シュバルツが言ったのは、
「物知らずのこの私に教えてくださいませんか、ノーマとはどういうものなのかを」
というものだった。
「え?」
「ノーマの定義とは何なのですか?」
とつぜんのこの質問の意図がわからないアンジュが固まってしまう。無論、第一中隊の面々もシュバルツの意図がわかるわけは無かったが、これまでと同じように口を挟まずに傍観に徹することにした。
「さあ、早く」
「ノ、ノーマとは…」
シュバルツに有無を言わされぬ感じで促され、アンジュはこの世界一般におけるノーマに対しての共通認識を述べ始めた。
「人類が進化の果てに手にした『マナ』の光。それを否定して本能のままに生きる、暴力的で反社会的な化け物…それがノーマです」
「成る程」
ノーマに対する定義の説明を終えたアンジュを、シュバルツは冷え切った視線で見ていた。その視線にいたたまれなくなったアンジュが何かを言おうとした直前、
「で…」
シュバルツがその機先を制して口を開いた。
「お前の後ろにいる彼女たちが、お前には化け物に見えるのか?」
「え?」
「私には、彼女たちもお前も何一つ変わらんように見えるがな」
「なっ…!」
「目が三つあるわけでも、腕が四本あるわけでも、意思の疎通が出来ないわけでもあるまい」
「貴方、今私の言ったことを聞いてなかったのですか! 私をノーマと一緒にするなど…!」
「だから、お前もそのノーマなのだろう? だからここにいるのだろう?」
「ちっ、違います! 絶対にそんなことはありえません!」
頑なに現実を認めようとしないアンジュ。そんなアンジュに対し、シュバルツはどんどんと感情が醒めていくのを感じた。
(愚かな…いや、この場合は哀れというべきか)
どちらにしろ、これ以上話していても何ら実のある会話は出来ないだろうと判断したシュバルツは強引に切り上げることにした。
「どうやらこれ以上は話しても無駄のようだ」
踵を返すと、シュバルツはアンジュに背を向けて歩き出そうとする。
「待ちなさい!」
が、アンジュは気持ちが治まらないのだろう。その肩を掴もうと手を掛けた。…と思った瞬間に、シュバルツの姿は消えていた。
「え?」
何が起こったのかわからなかったが、次の瞬間、足元に衝撃を受けてアンジュは尻餅をついていた。
「きゃっ!」
軽く悲鳴を上げたアンジュ。何が起こったのかわからないが痛みに顔を顰めながら視線を上げると、いつの間にかそこにはシュバルツの姿があった。
当事者であるアンジュには何が起こったのかわからなかっただろうが、傍観に徹していた第一中隊の面々には何が起こったのか良くわかっていた。アンジュがシュバルツの肩を掴もうとした瞬間、シュバルツがいつ移動したのかという速さでアンジュの横に並ぶと身を屈めて勢い良く足元に回し蹴りを放った…つまり足払いを掛けたのである。そしてアンジュが尻餅をついている間に、再びアンジュの真正面に戻ってきたのであった。
シュバルツの一連の体捌きを見て、
(へぇ…)
ゾーラは不敵な笑みを浮かべ、
(! 早い!)
(うわぁー、すっげー!)
サリアとヴィヴィアンは驚愕に目を剥き、
(お、おい、今の見えたか?)
(う、ううん、全然…)
(ハッ、やるじゃないか)
ロザリー、クリス、ヒルダはそれぞれの感想を小声で言い合い、
(わあ、まるで魔法みたい)
(ココ…突っ込むところ、それ…?)
目をキラキラさせているココに対してミランダは呆れたような突っ込みを入れ、
(あらあら…)
エルシャはいつものように困った表情で苦笑いを浮かべていた。
そんな周囲の評価など知る由もなく、シュバルツは驚くほど醒めた表情でアンジュを見下ろしながら拳を握って振りかぶると、正拳突きをアンジュの顔面に叩き込むべくその拳を振り下ろした。
「ヒッ!」
「ちょ!」
誰の声かはわからないが、恐らく制止を求める文言が言い終わる前に、アンジュは恐怖から悲鳴を上げて目を瞑ってしまった。
…しかし、いくら待っても来るべき衝撃がいつまで経っても来ない。恐る恐る目を開けると、己の目の前で寸止めされていたシュバルツの拳があった。
シュバルツはアンジュが目を開いたのを確認すると、拳を少しだけ上に移動させて、アンジュの額に正拳突きではなくデコピンの一撃を与えた。無論、十二分に手加減してのものだったが。
「痛ッ!」
それでも温室育ちの皇女殿下には十分な激痛だったらしく、額を押さえて涙目になる。が、シュバルツはそんなことなど構わず淡々と口を開いた。
「今の操り人形の貴様とはこれ以上話しても意味は無い。その目で見て、その耳で聞いて、そしてその頭で考え、『人間』になったらその時はまた相手をしてやる」
それだけ言うとシュバルツはゾーラに向き直った。
「度々時間を取らせてすまんな」
「いやいや、皇女殿下には丁度良い薬さ。気にすることは無いよ」
「そうか。では今度こそ本当に失礼する」
「ああ」
未だ額を押さえているアンジュの脇をすり抜け、シュバルツは奥へと歩き始めた。その途上、自分に対して色々な感情の篭もった第一中隊の視線を感じ彼女たちとすれ違いざま、
「なあなあ兄ちゃん、凄いなー」
と、いきなり誰かに声を掛けられた。
「ん?」
足を止めて声のした方に顔を向けると、そこにいる女性たちの面々で一際小さい…まだ少女といっても過言ではない、飴玉を咥えた女の子…ヴィヴィアンがいた。
(こんな年端の行かぬ子まで、殺し合いをさせられているというのか…)
「お前は?」
表情には出さずにそう思いながら、シュバルツは訊ねた。
「私はヴィヴィアン。宜しくね!」
「シュバルツだ」
どちらとも無く差し出した手を互いに握って握手をする。そのことに、他の第一中隊の面々はまだいくらか驚きがあるようだ。いくらシュバルツが自分たちと同じノーマだからといっても、男のノーマはいないと教えられ、また実際に今まで見たことなかったのだから仕方ないのかもしれないが。…ただ実際、シュバルツはこの世界の人間ではないのでこちらの世界の枠組みに当てはめているだけで、ノーマと言えるのかは微妙なのではあるが。
そんな周囲の思惑などわかるはずも無く、当人である二人は握手を解いていた。
「それで…凄いとは何のことだ?」
「さっきアンジュを転ばせてたじゃんか。あのときの動きだよ! どやったらあんなに早く動けるの?」
「…修練の賜物としか言えんな」
言葉を濁す。確かに間違ったことは言ってないが、ガンダムファイターであり、生身の身体に戻ってるとはいえ恐らくDG細胞の力も何らかの形で影響しているであろうことを考えると、同じ身のこなしを他人が再現しようとしてもまず無理だと思っていた。そういう意味では自分の発言は嘘になってしまうだろうなともシュバルツは考えていた。
しかし、そんなことなど知らないヴィヴィアンは、ほえーと驚きに目を丸くしている。
「じゃあ私も頑張れば、あんなこと出来るようになる?」
「止めておけ。身体を鍛えるのは良いことだが、ゼロから始めると何年かかるかわからんぞ」
「そっか。じゃ、止めとく」
あっさりとしたヴィヴィアンの返事に毒気を抜かれた感じの表情になったシュバルツと、あちゃーとかあらあらとかおいおいといった雰囲気を醸し出す第一中隊の面々。
が、シュバルツはすぐにフッと微笑んだ。
「そうだな。その方が良い」
「うん。…後、ありがとね!」
「うん? 何のことだ?」
「さっきアンジュに言ってくれたことだよ。私たちが化け物なんかじゃないって。嬉しかった!」
ヴィヴィアンにとっては何気ない一言だったのだろう。しかし、他の第一中隊の面々には静かに、しかし確実に心の奥底に沁みこんでいった一言だった。
マナが使えない…ノーマとして認定されてからはここで死と隣り合わせの日々を過ごす毎日。自分たちはいわゆる『人間』を護るための盾…それも潰しや代えの利く使い捨ての道具。
そんな現実を毎日嫌というほど突き付けられ、それでもそれに従うしか術はなかった日々。そんな状況下で言ってくれたシュバルツのさっきの一言が、彼女たちにとってどれほど嬉しいことだったか…。
程度の差こそあれ、その思いはアンジュを除く第一中隊全員に共通するものだった。特に、幼少期は普通に少女として暮らしていたヒルダにとっては、気を抜いたら思わず涙が零れ落ちてしまいそうなほど心に沁みた一言だった。
彼女たちがそんな思いを抱いているなどとは知る由もないシュバルツは優しく微笑むと、ヴィヴィアンの頭に手を乗せた。
「気にすることは無い」
そして、彼女の頭をゆっくりと優しく撫でる。くすぐったいのか嬉しいのか気持ち良いのかはわからないが、ヴィヴィアンは目を閉じてシュバルツのなすがままにされていた。
「私は自分が思ったことを言ったまでのことだ」
「それでも、ありがと」
「フッ」
最後に軽くポンポンと頭を二回叩くとシュバルツはその手を離した。名残惜しそうな表情をするヴィヴィアンだったが、さすがにもうこれ以上時間を無駄にさせるわけにもいかない。
「何の因果か私もここで戦う運びになった。いずれ戦場で共に戦う時も来るだろう。その時は宜しく頼むぞ」
「うん! こっちこそ宜しくね」
「ああ」
そしてシュバルツはヴィヴィアンの向こう側…サリアたち残りの第一中隊の面々にも視線を向けた。
「お前たちも、宜しく頼む」
そう言うと、シュバルツは礼儀として彼女たちに頭を下げた。先程ヴィヴィアンの一言で思い出させてくれたあの発言だけでも十分だったのに、今また頭を下げられて彼女たちはどう反応していいか当惑していた。が、シュバルツは何も反応のない彼女たちを気にすることも無く頭を上げる。
元々、何か見返りを期待して頭を下げたわけではない。戦士として『人』としての最低限の礼儀を示しただけに過ぎなかった。
「ではな」
「うん!」
笑顔で手を振るヴィヴィアンに軽く手を上げて答えると、今度こそ本当にシュバルツは目的地へ向かって歩き出した。
『よし、訓練を始める!』
隊長として指示を始めたゾーラの言葉を背中で聞きながら。