機動武闘伝Gガンダムクロスアンジュ   作: ノーリ

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おはようございます。

今回はお姫様救出編、inミスルギです。

いやあ、書いてたら筆が乗っちゃって、これまでで一番長くなってしまいました。

ただ長いということにならず、今回も楽しんでいただけるといいのですが…。

では、どうぞ。

(※注記:自動投稿が機能しなかったために、いつもの時間より投稿が遅れてしまいました。申し訳ありません)


NO.24 ミスルギにて

一悶着はあったもののヒルダを無事にアルゼナルからの迎えに引き渡して後、シュバルツはシュピーゲルと共にミスルギ皇国へと向かっていた。勿論、もう一人のお姫様であるアンジュを保護しに…である。

 

(微笑ましい光景が見れればいいのだがな…)

 

そうは思うものの、そうはならないだろうなともシュバルツは思っていた。何せ、実の母親に手酷く裏切られたヒルダを保護した後なのだ。この世界でのノーマに対する偏見の酷さを、シュバルツは改めて思い知らされた気がした。

 

(まあ、だからこそあんな檻で、使い捨ての道具よろしく部品扱いされているのだろうがな…)

 

全く滅入る気分にさせてくれるものだった。そしてこれから先に向かうところでも、同じように滅入る気分にさせてくれる光景を見ることになるのだろう。

 

(目的が何なのかは知らんが、無事でいろよ、アンジュ)

 

逸る気持ちを抑えながら海底を進む。地上を進んでもいいのだが、擬態化しても絶対に機体の痕跡は残る。人気のない山奥などを進めばいいかもしれないが、それでも絶対に人がいないとは言い切れない。アルゼナルの面々ならともかく、外の世界の人間にわざわざこの機体のことを知られるかもしれないことは、心情的に避けたかった。

…とはいえ、ことと次第によっては派手にお披露目するかもしれないが、そうなるまでは人目につく可能性を少しでも下げたかったのだ。そのために、アルゼナルからここに来るまでと同じようにシュバルツは海底を進んでいた。目指すはミスルギ皇国、アンジュの故国である。

 

(内々で処理出来れば一番良いのだがな…)

 

だが、恐らくそうはいかんのだろうな…。確信めいた予感を感じながら、シュバルツはミスルギ皇国へと向けて海底を進んでいったのだった。

 

 

 

 

 

「さて…」

 

夜の帳が下りて暫く経った時間帯、シュバルツはミスルギ皇国のとある場所にいた。アルゼナルから連絡があり、出発前にジルが言っていた助っ人と合流してくれとの指示があったのだ。それを了承したシュバルツは、頃合いを見計らって合流地点であるこの場所にやってきたのだ。

今回は迅速な行動が取れるように、シュピーゲルはこの合流地点から少し離れた山中に擬態させて置いてあった。

辺りを見回すものの、それらしき人影はない。ヒルダを助けたときとは違い、シュバルツの装いはいつものコート姿に手袋と、通常時の形に戻っていた。

 

「ふむ…。少し早かったか?」

 

時間的にはそうでもないのだがなと思いながらも独り言を呟く。と、

 

「あれ…?」

 

不意に、背後から男の声が聞こえた。シュバルツが振り返る。

 

「貴方は…」

 

そこには、見たことのある青年がこちらに近づいてくるところが見えた。

 

「君は…」

 

思い出す。そしてすぐに思い当たった。目の前にいる青年は…

 

「いつぞや、無人島でアンジュを助けてくれた青年…だったな?」

「あ、はい」

 

青年が慌てて頭を下げた。

 

「そういえば、自己紹介がまだでしたね。俺、タスクっていいます」

「シュバルツだ。もっとも、アルゼナルから連絡は行ってるだろうから、既に知っているかもしれんがな」

 

青年…タスクは、はははと乾いた笑いを上げた。

 

「で、タスク」

 

シュバルツが早速タスクの名を呼んだ。

 

「あ、はい」

「うちのあの猪突猛進お姫様の居場所は? 何か掴んでいるのか?」

「それなんですが…」

 

詳細を伝えようとしたところで、不意に夜の帳に眠る街の一部分が騒がしくなった。と、ある一地点が証明で照らされ、サイレンの音がけたたましく鳴り響いたのだった。

 

「あれは…?」

 

思わず首を向けたシュバルツの傍らで、タスクが額に手を当ててやりきれないといった感じで溜め息をついた。

 

「あれが、アンジュです」

「何?」

 

シュバルツの目が細くなる。どう好意的に見てもそれは、状況的に良いものといえる様子には見えなかった。

 

「どういうことだ?」

「それは道すがら。とりあえずこっちへ!」

「わかった」

 

アンジュが行動を起こした。しかもあの様子を見るに、どう贔屓目に見ても穏便にことが済みそうな感じはない。恐らく時間勝負になりかねないのに気付いたシュバルツがタスクに追随してその後についていった。

すると、少し離れた場所にエアバイクのような漆黒の乗り物があった。

 

「後ろに乗ってください!」

 

乗り込んだタスクがそれを起動させようとあちこちを操作する。促されたシュバルツもそれこそバイクにタンデムするような感じでそれに跨った。やがて準備が整ったのか、タスクが振り返って告げた。

 

「出ます!」

「頼む」

 

シュバルツの了承に頷き、タスクは自身の愛機を発進させた。

 

 

 

「ハメられたんですよ、アンジュは」

 

愛機を操縦しながら、タスクが自身の握っている情報を伝え始めた。

 

「どういうことだ?」

 

後ろに乗っているシュバルツが尋ね返す。

 

「ことの始まりはこうです。ある日アンジュの元に外部から通信が入りました。それは彼女の妹からだったんですが、彼女に助けを求めるものだったんです」

(…もしや、あのとき様子が変だったのはそれが原因だったのか?)

 

思い出すのはシュピーゲルの変形騒動で独房に入れられたときのことだ。アンジュが面会に来たときの、普段とは違った雰囲気。そして、感じられた迷い。らしくないそれらは、妹の助けを求める声を聞いて逡巡していたからであるならば納得もいった。

 

「そうか。で?」

 

自身の考えを整理しながらシュバルツはタスクに続きを促した。

 

「でもそれは、彼女の兄…今のミスルギの皇帝が仕組んだ罠だったんです」

 

タスクがギリッと唇を噛んだ。

 

「ほぉ…」

「とっとと“処理”されるのを望んだのに、アンジュはまだ死なずに生き残っている。それに業を煮やした今の皇帝…アンジュの兄が自分たちの手で彼女を“処理”しようとおびき出したんですよ」

「成る程な。だが随分回りくどいことをするな。圧力でもかければアルゼナル内部でどうとでも出来ると思うが…」

 

それとも、そんなことをする余裕すらないのか? そう思ったシュバルツに、タスクが吐き捨てるように答えた。

 

「皇帝は、骨の髄までアンジュを利用するつもりなんです」

 

忌々しさを押し殺しながらタスクが続ける。

 

「アンジュがノーマだということがわかり、ミスルギは崩壊しました。でも、それは表向きです。そりゃそうですよね、無政府状態になったからといって革命を起こしたり、新たな国を立ち上げようなんて気概がある連中が外にいるわけないんですから」

「要するに、頭がすげ変わっただけのことか」

「ええ。ですがノーマを排出した以上、ミスルギの皇族の権威は地に堕ちました。それを取り戻すために、現皇帝はアンジュを捕らえ、見世物として民衆の前で処刑することにしたんです」

「…成る程な。それで得心がいった。だからこんな回りくどいことをしなければいけなかったわけか」

「ええ」

 

又もギリッと唇を噛むタスク。怒りに囚われていたからわからなかっただろうが、それは一人ではなかった。シュバルツもタスクの説明を聞き、静かな怒りに燃えていたのだ。

 

(下衆が…)

 

シュバルツの眼差しがまだ見ぬ皇帝…ジュリオを捉えて鋭くなる。

 

「…間に合うのか?」

 

シュバルツが問う。勿論、その言葉の意味は、アンジュが処刑される前に目的地に着くのかという意味である。

 

「間に合わせます!」

 

それを裏付けるかのように、タスクは愛機のスピードを上げたのだった。

 

 

 

 

 

「これは私を馬から落とした罪!」

「うあっ!」

 

ミスルギ皇国、皇宮の中庭。まだ年端も行かぬ少女が目標に向かって鞭を振り降ろした。ボロ雑巾のような衣装だけを纏い、処刑台から吊るされ悲鳴を上げているのは言うまでもなくアンジュだった。そして、彼女を鞭打っているのは実の妹であるシルヴィア。

だがその目は、実の姉を見るものではなかった。怒りと憎しみに燃え、親の敵でも睨んでいるようである。…まあ、非常に歪んだ解釈ではあるが、実際に親の敵であるのは間違いないのでこの形容もあながち外れではない。

 

「これは私を歩けなくした罪!」

「ああっ!」

 

又も鞭が振り下ろされる。悲鳴を上げるアンジュに対して、広場に集まりそれを見ていた観衆は喝采を上げた。どう贔屓目に見ても気分のいい光景ではないが、ノーマに対する断罪ということで酔い痴れているのだろう。…もっとも、非常にタチの悪い悪酔いには違いないが。

少し離れたところでは、アンジュの兄であるジュリオと、近衛長官であるリィザという妙齢の女性がそれを見ていた。ジュリオは楽しげな表情だったが、リィザは何の感慨も感じていないようだった。

 

「そしてこれは生まれてきた罪です!」

 

三度、シルヴィアが鞭を振り下ろしてアンジュの身体を鞭打った。その様に、見物に来た民衆のボルテージが一際上がる。

 

「シルヴィア様! どうか、どうかもうおやめ下さい!」

 

シルヴィアの後ろで錠をかけられ、拘束されているモモカが悲鳴に似た訴えを上げた。

 

「こんな酷いこと!」

「…酷い?」

 

車椅子に乗ったシルヴィアがゆっくり振り返る。その雰囲気に、思わずモモカは息を呑んでしまった。

 

「…このノーマが、汚らわしく暴力的で反社会的な化け物が、私のお姉さまだったのですよ! それ以上に酷いことが、この世にあって!?」

 

憎しみが宿った目で涙ぐみながら、シルヴィアは怨嗟の声を上げて吊るされているアンジュを見上げた。

 

「謝りなさい! 私がノーマだから悪いんです、ごめんなさいって!」

「シルヴィア様の言う通りよ!」

 

観衆の中から声が上がる。それはまだアンジュが皇女だった頃、彼女と共に学び、彼女を慕っていたはずの同級生たちだった。だが、今はそんな面影は何処にもない。

 

「返して! 私たちの人生を返して!」

 

それに呼応するかのように、観衆のあちこちからシュプレヒコールが上がった。

 

「感謝しているよ、モモカ」

 

今までそれらの光景を見るに留めておいたジュリオがモモカに視線を向けた。

 

「えっ?」

「私たちに断罪の機会を与えてくれたことを」

 

そして、語りだす。己の企みを。

 

「洗礼の儀でアンジュリーゼの正体を暴いたのは、私だ」

 

その言葉が聞こえていたのかいないのかはわからないが、吊るされているアンジュの瞳が揺れた。そんなことに気付くこともなく、ジュリオはふふふと陰湿に笑う。

 

「16年もの間皇室に巣食っていた害虫はようやく駆除された…。後は地獄に送られ、別の化け物に喰い殺されたという報告を待つだけ…」

 

取り上げたのだろう、指先でアンジュの指輪を弄びながら更に語りを続ける。

 

「だが…驚いたことに死ななかったんだよ! こいつは!」

 

吊るされたまま自分をキッと睨むアンジュに見下した視線をジュリオは送った。

 

「このままではのうのうと生き延びかねない。そこで…だ、モモカ、お前を送り込んでやったのさ。方々手を尽くしてね」

「えっ!?」

 

明かされた真実に、モモカは息を呑んだ。

 

「一介の侍女が、世界の果てに追放されたノーマに簡単に会えるわけがないだろう。踊らされているとも知らず、シルヴィアの為に戦うお前たちの必死な姿…実に滑稽だったよ」

「そんな…そんな…っ!」

 

絶望に染まるモモカを尻目に、ジュリオはおもむろに座っていた椅子から立ち上がった。

 

「ノーマを護ろうとしたバカな皇后は死に、国民を欺いた愚かな皇帝は処刑された!」

「処刑…!?」

 

聞かされた父の末路に、アンジュの顔に驚愕の彩が広がり唇を噛む。

 

「皇家の血を引く忌まわしきノーマ、アンジュリーゼ! お前の断罪をもって皇家の粛清は完了する! 今宵、この国は生まれ変わるのだ、神聖ミスルギ皇国として!」

 

大仰な仕草の演説だが流石は皇太子、良くも悪くも堂に入っていた。その証拠に、観衆もジュリオの演説に聞き惚れているようだった。

 

「初代神聖皇帝ジュリオⅠ世が命じる! このノーマを処刑せよ!」

 

その宣言と共に、観衆のボルテージは最高潮にまで上がった。その歓声に顔を上げたアンジュの表情は、先程以上の驚愕の彩りに彩られていたのだった。

そのまま拘束を解かれ(と言っても、手錠はしっかりとされているが)、近衛兵に後ろを固められ、アンジュは処刑台に向かって前進する。…と言うより、前進せざるを得ない状況にさせられているのだが。

 

「あっははは、惨め」

「私たちを騙していた罰よ!」

 

その後ろ姿に、侮蔑の言葉を投げかけるのはかつての友の姿。

 

「どうして…」

 

思わず立ち止まり、アンジュが呟いた。

 

「どうして私が処刑されなければいけないの!? 何の罪で…」

 

振り返り、己の想いを主張しようとしたアンジュだったが、そうしようとする前にそれは中断された。突然投げつけられた生卵が彼女の顔にぶつけられ、中身が割れたのである。

 

「黙れノーマ! 私に何をしたか忘れたの!?」

 

投げつけた人物…かつての友の一人、アキホが憎々しい目でアンジュを睨みつけた。

 

「ちょっと蹴飛ばして簀巻きにしただけでしょ。大げさなのよ」

「ちょっと!? …酷い、酷いわ!」

 

アンジュの返答にアキホは泣き出してその場にへたり込んでしまった。慌ててその周りに友が集う。

 

「死刑にされるほどの罪じゃない」

 

だが、アンジュはそんな光景を見ても最早何の痛痒も感じないのだろう。フン、とばかりにそっぽを向いた。

 

「それは人間の場合でしょう!?」

「あんたはノーマ! 人間じゃない!」

「たくさんの人たちを不快に、不幸にしたの! だから死刑なの!」

「それで黙って殺されろって言うの!? 家畜みたいに!?」

「悪いのはノーマよ! だから全部貴方が悪いの!」

「ジュリオ様が死刑って言ってるんだから、死刑でいいじゃない!」

 

両者の応酬は何処までも平行線だった。そして、そこかしこからアンジュの旧友…彼女は最早友とさえ呼びたくないだろうが…に賛同する歓声が上がる。

 

「悪くありません! アンジュリーゼ様は何も悪くありません!」

 

その状況にいたたまれなくなったのだろうか、モモカがアンジュをかばうように両者の間に入って声を張り上げる。

 

「私は、アンジュリーゼ様のおかげで幸せに…」

 

しかし、そこまでだった。何故なら観衆の間から自然発生的に悪意が押し寄せてきたからだ。

 

吊ーるーせ、と。

 

そしてそれは瞬く間に手拍子と共に観衆の間に広がっていった。

 

「どうして…? どうしてアンジュリーゼ様だけが、こんな酷い目に…」

 

目の前の光景が信じられないのだろうか、はたまた理解できないのだろうか、モモカはそれ以上二の句が告げなかった。

 

「モモカ…」

 

そんなモモカに、アンジュが慈しむような視線を向けた。

 

「貴方と…あそこの人たちだけね。差別や偏見、ノーマだとか人間だとか関係なく、私を受け入れてくれたのは」

 

脳裏に浮かぶのはアルゼナルの面々の姿。恐らくはもう二度と逢えないのだろう。共に過ごした期間は短くとも、その姿は強烈に、印象は鮮烈にアンジュの頭の中に残る。

 

(それに比べて…っ!)

 

アンジュは元は自分の臣民だったミスルギの観衆に目を向けた。吊るせコールと手拍子は止むことなく続いている。

 

さっさと殺せよ

早く帰りたいんだけど

 

そしてそんな揶揄が、尚もアンジュに浴びせられる。

 

(これが、平和と正義を愛する、ミスルギ皇国の民? …ブタよ! こいつらみんな、言葉の通じない、醜くて無能なブタどもよ!)

 

アンジュの視線は一層鋭くなり、ギリッと歯噛みする。

 

(こんな連中を生かすために、私たちノーマは…っ!)

 

悔しさからか、兄であるジュリオにそのまま視線を向けた。と、ジュリオが自分の指輪を弄んでいるのが視界に入ってきた。

その瞬間、アンジュは今は亡き母のことを思い出していた。

 

『アンジュリーゼ…貴方にこれを』

『どうか、光のご加護があらんことを』

 

洗礼の儀の前夜、母から譲り受けた指輪を見たアンジュは何かを思い出したのか、今までの険しい表情が嘘のように納まった。そして

 

始まりの光、キラリキラリ…

 

歌を口ずさみ始めたのだ。永久語りという、ミスルギ皇家に代々伝わるものだった。アンジュはその永久語りを口ずさみながら、処刑台へと自ら歩いていく。途中、リィザに命じられた近衛兵が止めさせようとするが、アンジュの気迫に圧されてか、手出し出来なかった。

永久語りを口ずさみながらゆっくりと歩くアンジュの脳裏には、二人の人物の顔が浮かんでいた。

 

(タスク…)

 

一人はかつて無人島に不時着したとき、その島で数日を共に過ごした青年、タスクだった。あのときの思い出が脳裏に幾つも蘇る。

決して楽しい思い出だけではなったけど、それでもあの数日間は今迄で一番生き生きとしていたときだったかもしれない。

 

(会いたいな、もう一度…)

 

無性にそう思った。そしてもう一人…

 

(シュバルツ…)

 

当然というべきか、もう一人浮かんできたのはシュバルツの姿だった。

 

(出逢いは最悪だったわね。自分を認めようとしない私と、それを真っ向から否定する貴方と…)

 

それはもう随分昔のことのように思えるがしかし、まだそんな昔ではないことにアンジュは自分でも少し驚いていた。

 

(それだけ印象が強烈だったものね、貴方。私が自分を認めてからも、暫くは貴方に対して反抗的な態度ばかりとっていたし)

 

それが無人島の一件で少しずつ変化し、気付けばいつの間にか、当たり前のように普通に接していた。

 

(本当に不思議な人。…でも、貴方は知らないでしょうね。私も他のアルゼナルの連中と同じように、どれほど貴方に頼っていたかなんて)

 

出撃したときも、後ろにシュバルツがいてくれる。それがどれだけ安心できることだったか。いつからか他のアルゼナルの面々と同じように、アンジュにとってもシュバルツは掛け替えのない大きな存在となっていた。

 

(シュバルツ…)

 

もう一度その顔を思い浮かべ、アンジュは吹っ切っていた。

 

(道を示す光。お母様が私に残してくれたもの)

 

未だ永久語りを口ずさみながら、アンジュは一歩一歩処刑台へと向かって歩く。

 

(私は死なない。諦めない。殺せるものなら、殺してみろ!)

 

いつからかそんなアンジュに呑まれたかのように、広場に集まった観衆は静まり返っていた。

 

 

 

「さて、突っ込みますよ!」

 

そんな展開を見せる処刑台から少し離れた森の中、頃合いを見計らっていたタスクが後ろのシュバルツに振り返った。

 

「ああ…」

 

が、シュバルツからはどうにも覇気のない返事が返ってきた。

 

「どうかしました?」

 

その様子に不審に思ったタスクが振り返って尋ねる。

 

「いや、あまりに醜悪な光景だったものでな。少々怒りが抑えられんのだ」

「そ、そうですか…」

 

そう言われてみるとシュバルツから確かに怒気を感じ、タスクは冷や汗を流して顔を戻した。

 

「と、とにかく出ます!」

「頼む」

 

タスクに答えるとシュバルツは懐からあるものを取り出し、それを装着して救出に臨んだのであった。

 

 

 

「っ! 早くしろ!」

 

先程までと一変した状況に苛立ったジュリオが近衛兵に命令した。弾かれたように近衛兵が、未だ永久語りを歌っているアンジュに近寄って絞首に顔を叩き込む。

 

「さらばだ、アンジュリーゼ」

 

ジュリオがそう呟いたのが合図のように、刑が執行される。足元の感覚がなくなり、アンジュは観衆が望んだ通り吊るされることとなった。

 

「アンジュリーゼ様ーっ!!!」

 

モモカの悲痛な悲鳴が響き渡る。そしてそれとほぼ同時に、近隣の森から一発の閃光弾が発射され、中庭を昼のように照らした。

突然の事態に悲鳴を上げて目を押さえる観衆たち。そんな彼らの隙を突くかのように漆黒の機影が一機夜の空に舞う。そしてその機影からさらに一つの影が飛び降りた。

機影は整列していた戦車の上を飛び石のように進みながらジュリオを掠めて彼が弄んでいた指輪を奪う。そしてその操縦者が手裏剣のようなものを投擲すると、アンジュを絞首していたロープを切断した。

影の方はと言うと、機影がジュリオに迫るよりも早く処刑台に舞い降りていた。そして、

 

「はあっ!」

「うっ!」

「がっ!」

 

こちらはモモカを拘束していた近衛兵たちを瞬く間に叩きのめしてしまった。

 

「大丈夫か?」

 

影が尋ねる。

 

「あ、は、はい…」

 

急展開に驚きながらもモモカは振り返って礼を言った。が、その瞬間動きが止まってしまった。

 

「ふんっ!」

 

影はそんなモモカを気にすることなく手刀を振り下ろすと、モモカを拘束している手錠を粉砕したのだ。

 

「ありがとうございます。あ、あの…」

「何だ?」

「シュb「しっ!」」

 

影…シュバルツが口に指を当てて黙るように指示する。

 

「わざわざここの連中に名前を教えてやる義理はない。わかってくれるな?」

 

無駄に余計な情報を与えてやる必要はない。モモカもそれを理解したのか、コクンと頷くとそれ以上は言おうとしなかった。

それはそれでいい。だがそれ以上に、モモカにはどうしても聞いておきたいことがあったのだ。

 

「あの…そのお姿は?」

「これか?」

 

シュバルツは自分の顔を指差した。そこには、縦に黄・赤・黒の三色で色分けされ、額の部分に黒と黄色で色分けされた角が付き、先端に丸いポンポンがある覆面が張り付いていたのだ。そう、向こうの世界で己の素顔を隠していたあの覆面を被っていたのである。いずれ何かで必要になるかもしれないと思い、ジャスミンに用立ててもらったものの一つがこの覆面だったのだ。

ちなみにジャスミンに用立ててもらいたいものがあるとリストを渡したときに、何なんだい、こりゃ? と言われ、オーダーメイドだから時間がかかるとも言われたのがこの覆面である。

 

「まあ、こんなときのためにな。それよりも…」

 

モモカを無事に保護したシュバルツがアンジュに目を向ける。そこには、救出には成功したのだろうが、何故だかアンジュの股間に顔を突っ込んでもがいているタスクの姿があった。

 

「…何をやってるんだあいつは」

 

その惨状にシュバルツは思わず目頭を押さえた。と、タスクがアンジュの全力の蹴りを食らって処刑台に吹っ飛ばされ気を失ってしまった。が、その表情はいいもの見たとばかりに非常に情けなく緩んでいたが。

 

「お姫様を救いに来たナイトがそのザマでどうする…」

 

タスクの続けざまの醜態に呆れるシュバルツ。不可抗力の側面はあるかもしれないが、それでもこれではなと、こんな状況ではあるが思わずにはいられなかった。が、状況は刻一刻と変化する。

 

「近衛兵、何をしている! 早く取り押さえろ!」

 

いち早く復活したリィザが近衛兵にそう命令した。その命令通り、アンジュに近衛兵が近づく。が、

 

「ふっ!」

「がっ!」

「ぐあっ!」

「ぎっ!」

 

シュバルツが懐から取り出した飛び苦無がその腕に刺さり、鮮血が滲む。流血沙汰に観衆から悲鳴が上がった。その隙にアンジュは立ち上がると、タスクの元へと走り出す。

 

「ノーマを助けるあの男たち、一体…」

「反乱分子だ。ノーマに与するテロリストどもめ!」

 

忌々しげにジュリオが吐き捨てる。その間に新たな近衛兵たちがアンジュ(と、タスク)を囲んでいた。新たな敵の出現に、アンジュの表情に緊張が走る。

 

「アンジュリーゼ様ーっ!」

 

そんな彼女の元に、拘束を解かれたモモカが駆け寄ってきた。

 

「モモカ!」

「開錠!」

 

マナの力でアンジュの手錠を解除するモモカ。そんな二人に、近衛兵たちは照準を定めて銃の引き鉄を弾こうとする。しかし、

 

「させん!」

「うっ!」

「がはっ!」

「げっ!」

 

いつものように瞬時に移動してきたシュバルツが彼らに当て身を当て、簡単に排除するとアンジュに視線を向けた。

 

「貴方、シュb「アンジュリーゼ様!」」

 

思わずシュバルツの名前を言いそうになったアンジュをモモカが抑える。

 

「な、何!?」

「その、今お名前を言うのは…」

 

その一言で何となくモモカが言いたいことを理解したアンジュが頷いた。

 

「っ! 殺しても構わん! 決してその者たちを逃がすな!」

 

ジュリオの命令と共に又新たな近衛兵たちがどこからともなくワラワラと出てくる。が、アンジュたちに迫る前に近距離の者は格闘、遠距離の者は懐から取り出す飛び苦無によって、その全てがシュバルツによって排除されていた。

 

「な、何なんだあの覆面は…」

 

信じられない光景に思わずジュリオが呟いた。

 

(あの男が、アルゼナルの異物…)

 

傍らのリィザも視線の厳しさを一層増してシュバルツを睨んでいる。

 

「パラメイルと同じだ…。乗ってモモカ! 逃げるわよ!」

「はい!」

 

その隙にタスクの乗ってきたマシンに跨ったアンジュが、その機構がパラメイルと同じことを理解して脱出の用意を整える。気絶してノビたタスクをマシンに積んだモモカが力強く頷いた。

 

「逃がすなーっ!」

 

ジュリオが半ば狂乱気味に命令するが時既に遅し。マシンには火が入り飛び上がった。

 

「モモカ、シールドを展開して!」

「は、はいっ!」

 

慌ててモモカが命令通りマナの力でマシンの前方にシールドを展開する。と、

 

「逃げるわよ! さ、早く!」

 

シュバルツに向かってアンジュが手を差し出した。が、

 

「構わん、先に行け」

 

周囲を警戒しながらシュバルツはその誘いを断った。

 

「そんな…そんなこと出来ません!」

「モモカ!」

 

まさか断られるとは思わなかったために反論するモモカをアンジュが制する。そして、

 

「信じて…いいのね?」

 

そう一言、念を押すかのように尋ねた。その間も、銃弾が打ち込まれているものの、マナのシールドのおかげで直接の被害を被ることはなかった。

 

「ああ」

「わかったわ」

「アンジュリーゼ様!?」

 

アンジュの言葉にモモカが目を丸くして驚いた。

 

「大丈夫よ」

 

そんなモモカを落ち着かせるようにだろうか、アンジュが柔らかな笑みを浮かべた。

 

「彼、嘘をついたことがないもの。今回も…ね?」

「ああ」

 

警戒を解かずにシュバルツが答える。

 

「わかったわ! 気をつけて!」

「そちらもな」

「ええ!」

 

話が終わり、アンジュがアクセルを噴かす。

 

「おのれ、アンジュリーゼ…!」

 

忌々しげに見上げるジュリオの前でアンジュが機体を止めた。

 

「感謝していますわ、お兄様。私の正体を暴いてくれて。ありがとう、シルヴィア。薄汚い人間の本性を見せてくれて」

 

そして微笑むアンジュに、シルヴィアはヒッと短い悲鳴を上げて顔を引きつらせた。

 

「さようなら! 腐った国の家畜ども!」

 

訣別の宣言をすると、アンジュは機体を空へと舞い上がらせる。

 

「追え! 追えーっ!」

 

狂ったように叫ぶジュリオ。そんなジュリオにアンジュは手裏剣のようなものを投擲した。音を立てて闇夜を切り裂いたそれは、ジュリオの左頬を掠めて後ろの玉座に突き刺さる。

 

「うわあああっ!」

 

頬を押さえ、傷口から鮮血が噴き出した。と言っても、薄皮一枚切れたぐらいのものなのだが。しかしジュリオは大仰に叫び、その光景を見たシルヴィアも悲鳴を上げた。

 

(掠り傷一つでわめくな! ちょっと血を見たぐらいで悲鳴を上げるな!)

 

ジュリオとシルヴィアのその無様な姿に、アンジュを見送ったシュバルツは怒りをとうに通り越して冷ややかな視線を送っていた。

 

「近衛兵! こうなればその男だけでも逃がすな!」

 

ジュリオに駆け寄り、未だに痛い痛いと繰り返す情けない皇帝を保護しながらリィザが新たに近衛兵たちに命令した。それに呼応するかのように観衆たちも追随のシュプレヒコールを張り上げる。

既に自分たちがここに突っ込んできてから十分な時間が経っているだろうからか、短時間で相当数が集まり、いつの間にか今まで以上の近衛兵たちがシュバルツを取り囲んでいた。

 

(有象無象どもが…)

 

だがシュバルツは当然取り乱すこともない。向かってきた近衛兵は容赦なく叩き伏せ、銃を使おうとする連中には的確に飛び苦無をお見舞いする。

こんな連中といえども殺生はしたくないために急所は外してあるが、戦闘不能にはしているために次々と近衛兵は離脱していった。が、それと入れ替わるように新たな近衛兵が加わり、結果として一向に数の減る様子を見せなかった。

 

(きりがないな)

 

向かってくる近衛兵を排除しながらシュバルツはそう考えていた。負ける気など微塵も感じないが、流石にいい加減鬱陶しくなってきたのだ。シュバルツがここに残ったのは二つ理由があり、一つはアンジュたちが脱出するための時間稼ぎだった。が、これだけ時間を稼げばアンジュたちが逃げるにはもう十分だろう。そしてもう一つは、

 

(このまま退いてもいいのだが…延々と胸糞悪いものを見せてくれた礼だ。この連中の度肝を抜いてやる)

 

このように、この連中に対する報復兼憂さ晴らしである。マスクの下で意地の悪い笑みを浮かべながら、何度目かになる近衛兵の攻撃をかわす。そして後退しながら大きくジャンプをすると、

 

「ガンダーーーーーム!!!」

 

夜空に叫び、指をパチンとスナップさせたのだった。するとそれに呼応するかのように、丁度ジュリオたちの直上に突然、不気味な音と共に二つの赤い光が点ったのだ。

 

「な、何だ!?」

 

いち早くそれに気付いた誰かが声を上げる。と、次の瞬間、漆黒の闇夜が生み出したかのような漆黒の人型の機体がいきなり現れたのだ。さっきの赤い光はその機体の目の部分だった。

 

「ヒッ!」

「な、何、あれ!」

「う、うわあああっ!」

 

距離にして、大体ジュリオたちから10メートルぐらい上の夜空を軽く上下にホバリングしているその機体の突然の出現に、広場はたちまちパニックになった。そしてそれはジュリオたちも同じこと。

 

「ヒッ、ひいいいいっ!」

「い、いやああああっ!」

 

ジュリオは腰を抜かしながら、シルヴィアは気絶しそうになるのを必死で堪えながらリィザの後ろに隠れた。盾にされた当のリィザはというと、ジュリオやシルヴィアのように無様な姿こそ晒してはいないが、それでも驚愕に目を見開いていた。

 

(これは…報告にあったあの機体か!)

 

近衛の長としての立場から、アルゼナルから送られてくるエマの報告書を閲覧していたリィザはすぐにその正体に思い当たった。少なくとも同じものを見れたはずのジュリオだったが、アンジュのことにしか目がいってなかったのか、なんとも情けない反応を示すことしか出来ていなかった。と、いつの間にかシュバルツがその機体…ガンダムシュピーゲルの左肩の部分に着地し、腕を組んで仁王立ちしていた。

 

「ふはははははははは…」

 

そしていつもの如く高笑いをする。特別声を張り上げたわけでもないのに何故かその笑い声は夜空に良く通り、ジュリオやシルヴィアを始め、パニックになっている観衆たちもそれに引き込まれるかのように動きが止まってしまった。

 

「確かにアンジュは返してもらった」

 

眼下の人間たちを睥睨するかのようにシュバルツは見下ろすとそう宣言する。観衆たちは金縛りにあったように誰も動けず、物音一つ立たない。

 

「私としては、この場で貴様たちを皆殺しにしてもいいのだが…」

 

突然の無慈悲な死刑宣告に観衆の顔色が一様に悪くなる。へたり込む者や震えだす者も現れた。

 

「私には無抵抗の人間を寄って集って嬲るような胸糞悪い趣味はないのでな。そんな真似はせん」

 

死刑宣告を取り消され、いくらか緊張感が緩まる。が、

 

「だが!」

 

そうはさせじとシュバルツが追い打ちをかけた。

 

「アンジュがどうするかまでは知らん。奴を裏切った者、嵌めた者、売った者…心当たりがある連中は楽しみに待っているのだな」

 

その言葉に、かつての学友連中が半狂乱になりながら取り乱し、そして兄妹であった二人は真っ青な顔になっていた。その他にも、観衆のそこかしこから絶えることのない悲鳴や怒号が上がった。

 

(苛めるのはこの辺りでよかろう)

 

観衆たちの反応に満足げな表情になると離脱しようとする。が、

 

「!」

 

不意にシュバルツは懐から飛び苦無を出すと、上空のある一点めがけてそれを投擲した。が、苦無は何も捉えることなく夜の闇に消えていった。

 

(気のせいか…。一瞬だが、確かに妙な気配を感じたと思ったのだが…)

 

が、現実問題として苦無は何も捉えなかった。引っかかるものはあったが、どうすることも出来ない以上、納得するしかなかった。そして再び愚者の祭典と化している眼下を見下ろす。

 

「ではさらばだ! 愚物の王に愚物の王妹! そして愚物の民たちよ! ふふふふふ…ははははは…ふははははははっ…ハーッハッハッハッハッハッ!」

 

先程と同じように高笑いを上げる。すると、それを合図にしたかのようにシュピーゲルはバーニアを吹かせると空高く舞い上がって闇夜に消えていった。

だが観衆の耳朶には、いつまでもシュバルツの笑い声が残っているような錯覚を思わせ、広場の混乱に尚一層の拍車をかけたのだった。

 

 

 

 

 

ミスルギ皇国近海の海上。先程広場を脱出したアンジュたちは自動操縦に切り替えて進路をアルゼナルに向けていた。途上、マシンの後部部分に装着させるコンテナを結合し、その中でアンジュたちは束の間の休息を取っていた。

 

「ごめんなさい…ごめんなさい、アンジュリーゼ様…」

 

毛布を身に纏いながら、泣きながらモモカが謝罪する。騙されていたとはいえ、敬愛する主人を窮地に追い込んでしまったのだ。実際、あのまま何もなければアンジュは間違いなく死んでいただろう。今こうして生命があるのは奇跡といってもいいのだ。筆頭侍女の身としては、どれだけ謝っても自分を許せるようなものではなかった。

 

「何言ってるの? おかげでスッキリしたわ」

 

が、当のアンジュは一向に意に介した様子はない。それは言葉だけでなく、その口調からも感じ取ることが出来た。

 

「え?」

「私には、家族も仲間も故郷も、何にもないってわかったから…」

「アンジュリーゼ様…」

 

寂しげな口調に、モモカはそれ以上声を掛けることが出来なかった。

 

「美しい主従の絆だな」

 

突然、第三者の声が聞こえて二人はハッとなる。が、アンジュの影から出現したその姿に二人はホッと胸を撫で下ろした。

 

「シュバルツ様!」

「もう、驚かせないでよ!」

「すまん、すまん」

 

謝罪の言葉を紡ぐとシュバルツは覆面を脱ぎ手袋を外し、それを己の懐にしまった。

 

「無事に逃げおおせたようで何よりだ」

「ええ、貴方のおかげでね」

「はい! ありがとうございます!」

 

二人の感謝の言葉に、シュバルツは気にするなとばかりにヒラヒラと手を左右に振った。

 

「私の力だけではないしな」

 

そう言って、シュバルツは傍らのタスクを見下ろす。その顔はまだ先程までと同じように情けなく緩んだままで気絶していたが。

 

「…そうね」

 

そのニヤけた面に少々ムカっ腹が立ったのか、アンジュは思い切り平手でタスクの横っ面を叩いた。

 

「痛ったーい!」

「どう? 目ぇ覚めた?」

「良かったアンジュ、無事だったんだね!」

 

アンジュの無事な姿に手放しで喜ぶタスクだったが、どうやら当のアンジュはそれだけではないようで、タスクの両方のこめかみを握りこぶしでグリグリと締め付けた。

 

「貴方、またやったわね!」

「何ぃ!? あっ、何が!?」

 

痛みに顔を歪ませるタスクだが、アンジュはお構いなしに両腕に力を込める。

 

「どうして股間に顔を埋める必要があるわけ!? 癖なの!? 意地なの!? 病気なのッ!?」

「ごめーん…痛ててててててっ…ごめん!」

 

謝罪の言葉を聞いてもタスクに容赦なくお仕置きを続けるアンジュ。その後ろではシュバルツがやれやれとばかりに溜め息をついていた。と、

 

「あのー…アンジュリーゼ様、こちらの方とはどういう関係で?」

 

タスクのことを知らないモモカが疑問に思ったことを尋ねた。

 

「えっ? えーと…」

 

どう説明したらいいものかとアンジュが言いよどむ。そんなアンジュが言葉を探している隙に、

 

「ただならぬ関係…」

 

と、ある意味正しいがある意味大いに間違っている答えをタスクが答えた。

 

「はぁっ!?」

 

予想もしなかった答えに心外だとばかりにアンジュがタスクを睨みつける。しかしモモカはそれを素直に受け止めてしまったようだった。

 

「やっぱり! そうでなければ、生命掛けで助けに来たりしませんよね! 男勝りのアンジュリーゼ様にも、ようやく春が…筆頭侍女としてこんなに嬉しいことはありません!」

「ちっがーう!」

 

手を叩いたり、口元を押さえたり、涙を浮かべたりと様々な手段で喜びの感情を表すモモカだったが、アンジュは犬歯を剥き出しにして否定の意を表し、モグラ叩き宜しくタスクの頭に拳を振り下ろした。

 

「痛っててててて…」

「どうしてあそこにいたの?」

 

拳を振り下ろされて痛む頭を押さえるタスクに向き直り、アンジュは疑問に思っていたことを尋ねた。

 

「えっ?」

 

一瞬素っ頓狂な声を上げたタスクだったが、すぐに真面目な表情になった。

 

「連絡が来たんだ、ジルから」

 

そして事の真相を伝える。

 

「ジル…司令官?」

「君を死なせるな…ってね。その助っ人として、そちらのシュバルツさんを送ってくれたってわけさ」

 

アンジュが振り返ると、シュバルツがその通りだとばかりに腕を組んだまま頷いた。

 

「それにこれ」

 

ごそごそと己の身体を漁ると、タスクはジュリオから奪還したアンジュの指輪を手渡した。

 

「大事なものだろ?」

 

それを受け取ったアンジュは本当に嬉しそうな表情をすると、早速指にはめて指輪をあるべきところに収めた。

 

「ありがと」

 

素直に感謝の言葉を口にする。が、すぐに険しい表情になった。

 

「貴方…一体何者なの?」

 

流石にそこに引っかかったのだろう、アンジュが尋ねる。タスクも表情を引き締め、そして、

 

「俺は…ヴィルキスの騎士」

 

そう、簡潔に答えた。

 

「騎士?」

 

タスクの回答を聞いたアンジュが怪訝そうな表情でその言葉を繰り返す。

 

「君を護る騎士だよ。詳しいことは、ジルに聞くといい」

「…そうするわ」

 

二の句を告げようと思ったが何故か言葉が出てこなかったアンジュは、タスクの言った通りジルにどういうことかを聞くことにしたのだった。

 

「僕も一つ、聞いていいかな?」

 

そこで一呼吸置くと、

 

「アンジュの髪…綺麗な金色だよね?」

 

真面目な面持ちになってタスクがそう言った。その表情に胸が高鳴ったのか、それとも髪を褒められて嬉しいのかはわからないが、アンジュは頬を赤く染めた。

 

「そ、それが、何よ…」

 

手持ち無沙汰といった感じで毛先をいじるアンジュ。次にどんな言葉が来るのか恐らく楽しみにしていたのだろう。が、

 

「下も金色何だ「死ね、この変態騎士!!!」」

 

下衆にも程があることを言われてアンジュは激昂し、タスクは負わなくてもいい余計な怪我を負う羽目になったのだった。

 

「……」

 

呆然と目の前の展開を見ていたモモカだったが、不意に横から笑い声が聞こえてきた。

 

「ふっ、ふふっ、ふははははははははっ…」

 

ビックリして視線を向けると、シュバルツが腹を抱えて楽しそうに笑っていた。これまでそんな姿を見たことなかったから、モモカは二度ビックリである。

 

「何よ! 何がおかしいのよ!」

 

しこたまタスクを痛めつけてたアンジュが振り返ってシュバルツを睨んだ。元皇女殿下とは思えないほど迫力のあるメンチ切りだったが、シュバルツは一向に意に介した様子もなかった。

 

「…いやいや、すまん」

 

形だけは謝るもののまだ笑いが収まらないのだろう、シュバルツはまだ咽喉の奥でクククと笑っている。ムッとしたアンジュが唇を尖らせているが、

 

「そう怒るな。別にお前を笑ったわけではない。笑ったのはタスクに対してだ」

 

と、ようやく笑いを収めて説明した。

 

「自分の生命を懸けてアンジュを救い、九死に一生といった感じで脱出して、さて何を聞くのかと思ったら先程の質問だろう? 何と言うか…デリカシーがないにも程がある。今のやり取りを見て笑うなと言うほうが無茶な話だ。アンジュ、お前にしこたまぶちのめされるのも当然の話だな」

「全くよ! この無神経!」

 

憤懣やるかたないといった感じで再び気絶したタスクをアンジュが睨みつけた。が、また気絶してしまっただけに当然何の反応も返ってこないのだが。そんなタスクを、アンジュは忌々しい表情で睨むと乱暴に床に投げ捨てた。

 

「ふう…さて…」

 

先程までの笑い顔から一転、シュバルツがいつもの真面目な表情に戻った。

 

「今度は私が一ついいか?」

「貴方が?」

 

胡乱な目でアンジュがシュバルツを見上げた。もちろんシュバルツが先程タスクがしてきたようなバカな質問をするなどとは微塵も思っていないが、何しろタイミングが悪すぎたのだ。

 

「そんな顔をしてくれるな。それに、私の場合は聞きたいことがあるのではなく、言いたいことがあるのだ」

「何よ?」

 

アンジュもいくらかは落ち着いたのだろう、いつもと変わらぬ様子になってシュバルツに尋ねた。と、シュバルツはアンジュの手前まで歩を進め、膝を着いてその目線を同じ高さまで下げた。

 

「な、何!?」

 

同じ高さの目線で見据えられ、思わずアンジュが目を逸らした。と、シュバルツはアンジュの頭にゆっくりと手を乗せて、慈しむようにその頭を撫でた。

 

「えっ…?」

 

予想外の行動にアンジュは思わず驚いて顔を戻す。そんなアンジュに、

 

「よく頑張ったな」

 

シュバルツがかけた言葉がこれだった。

 

「え?」

「あれだけの剥き出しの悪意の中、よく折れも狂いも諦めもしなかった。凄かったぞ。そして、立派だった」

 

大きく暖かい手に包まれ、アンジュはゆっくりとその言葉を噛み締めていた。そしてそれを理解した瞬間、その赤い瞳から涙が溢れてくるのを抑えることができなかった。

 

「っ!」

 

アンジュは慌ててシュバルツのコートを掴むとそれに自身の頭を付けて俯いた。涙を流している顔を見せたくないのだろう。

 

「どうした?」

 

図らずも昨日のヒルダと同じように胸を貸す形になったシュバルツが尋ねる。

 

「一つ…お願いがあるんだけど…聞いてくれる?」

 

シュバルツの胸に頭をつけ、俯いたままアンジュが答えた。

 

「何だ? 言ってみろ」

「その…しばらくこのままでいても…いいかしら…」

 

その一言で何となく察したシュバルツは、アンジュに胸を貸したままモモカへと視線を向けた。

 

「モモカ」

「はっ、はい!」

 

今まで蚊帳の外だったのが急に名前を呼ばれ、モモカがビックリした口調で答える。

 

「ここにそういったものがあるかは知らんが、あればアンジュに何か温かい飲み物でも淹れてやってくれ」

「あ、は、はい! わかりました!」

 

シュバルツにそう言われると、モモカは弾かれたようにそそくさとこの場を後にした。

 

「アンジュ…」

 

モモカを見送ったシュバルツが胸の中のアンジュに声をかけた。と、シュバルツのコートを握るアンジュの手の力が更に強くなる。そして、

 

「お母様もっ…! お父様もっ…! 何も悪くはなかった! なのにどうしてっ…!」

 

俯いたアンジュの身体は小刻みに震えていた。ヒルダと違って泣き声こそ上げることはしなかったものの、その姿からアンジュが泣いているのは容易に理解できた。

 

「……」

 

しかし、シュバルツは何も答えることが出来ない。何を言っても正解ではないような気がするし、慰めにもならないと思ったからだ。だから、ヒルダにやったのと同じように、胸を貸しながら幼子をあやすかのように背中を擦ることしかできなかった。

 

(…まさか、二日続けて女性に胸を貸すことになるとはな)

 

予想していなかった展開に、シュバルツも内心では流石に驚きを隠せない。

 

(まあ、これぐらいのことはお安い御用なのだが、しかし…)

 

眼下でコートを握り締め、俯いて泣いているアンジュを引き続き労わりながら、シュバルツは視線をタスクに向けた。

 

(昨日のヒルダは仕方ないとして、本来、今この役目をやるべきなのはお前だと思うのだがな…)

 

とは言え、今からわざわざ気絶しているタスクの目を覚まし、入れ替わるというのも間抜けな話。タスクが気絶した原因であるバカな質問を思い出し、シュバルツは呆れたように溜め息をつくと、引き続きアンジュの為に己の胸を貸してやったのだった。

 

 

 

 

 

アンジュたちがいる洋上とは様を一変する、とある場所。一つの影が洋上を疾走するそのマシンを見ていた。その手には、飛び苦無が握られている。そしてその頬には、それによって付けられたのだろう傷跡がスーッと尾を引いていた。

 

「まさか、あの一瞬でこちらを補足するとはね…」

 

ポン、ポンとその飛び苦無で手の平を叩きながら、影が楽しそうに呟いた。その手に握られている飛び苦無は、シュバルツが離脱する直前に空に向けて投擲したものである。

何も手ごたえが得られなかったのでシュバルツは自身の気のせいだと思ったようだが、そんなことはなくしっかりと得物を捉えていたのだ。

 

「流石…と言うべきかな?」

 

こちらに投擲してきたときの表情を思い出す。暇潰しにミスルギの一件を見ていたら一瞬だけ気配を出してしまった。その気配をシュバルツは逃がすことがなかったのだ。

あのとき、向こうからこちらが見えるわけはないのだが、その目は間違いなくこちらを捉えていた。…否、そう感じさせるほど鋭いものだったのだ。

 

「ふふふふふ、面白い」

 

パチンと指を鳴らすと、そこには洋上を疾走するマシンではなく、その内部の様子が映った。そしてアンジュに胸を貸しているシュバルツの姿が映し出される。

 

「君に更に興味が湧いてきたよ。いずれご挨拶に伺うが、それまで楽しみに待っていてくれたまえ、シュバルツ=ブルーダー」

 

視線の先のシュバルツにそう語りかけると、影はそのビジョンを消したのだった。




読了、ありがとうございます。作者のノーリです。

毎回、ちょっとした前書きは付けさせていただきますが、後書きは今回が初めてなのでちょっとご挨拶をさせていただきました。

さて今回、読者の皆様に少々ご意見を伺いたいことができたので末尾を書かせていただいた次第です。

内容は活動報告に記しておきますので、よろしければ御覧になってコメントを残していただければと思います。

では、今後とも御贔屓に。ノーリからのお知らせでした。

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