久しぶりに個人に焦点を当てた幕間回。
今回の主役はこの二人です。
では、どうぞ。
その日、日課の鍛錬を終えたシュバルツは一人、アルゼナル内を散歩していた。自分が元いた世界では随分と貴重になってしまっていた天然の自然を楽しみながら、ゆっくりと散策を続けている。
と、不意に目の前にあるものが見えてきた。
「ほぉ…」
桜だった。それも満開の。思わず言葉を失ってその姿に見入る。やはりネオジャパン出身だからか、桜には特別な風情を感じるのだろう。
少しの間その景色を楽しんでいたシュバルツだったが、やがて何かを思いついたのか、パチンと指を鳴らすとその場を後にした。
「おや、シュバルツ」
珍しい客に驚いたのはジャスミンだった。
「ジャスミン、邪魔をするぞ」
そんなジャスミンに挨拶してモールに入ってくる。踵を返してシュバルツが訪れたのは、ジャスミン・モールだった。
「構わないよ。ただ、あんたの注文した品のことだったら、もう少ししないと入ってこないけどねぇ」
「いや、今日はそれとは別口だ」
「そうかい。なら、好きなだけ見ていっておくれ」
「ああ」
答えるとしかし目的のものは決まっているのだろうか、一直線にあるコーナーに向かう。そしてそこでお目当てのものをピックアップするとジャスミンの元へと戻ってきていた。
「頼む」
「おやおや」
シュバルツの購入物を見たジャスミンが少し驚いたような声になった。
「あんたにしちゃ珍しいもんをご入用みたいだね」
「ま、たまにはな」
「まあ、いいさね。出すものさえ出してくれれば、こちらは何も文句言わないよ」
そう言うとジャスミンは必要なキャッシュを計算してシュバルツに伝える。そしてシュバルツはその額のキャッシュをジャスミンに支払った。
「毎度あり」
「ではな」
購入物を受け取ると、シュバルツはそそくさとその場を後にしたのだった。
「はあ、今週もこれっぽっち…」
同じ頃、キャッシュの支払い窓口。第一中隊の面々が今週分のキャッシュを受け取っているところだった。戦果の少なさにぼやいているのはロザリーである。
「クリス、あんたはぁ?」
振り返って相棒のクリスに顔を向ける。そんなロザリーに、クリスは黙って自分のキャッシュを見せた。そして、
『はぁ…』
お互いに溜め息をつく。
「今週もひもじいなぁ…」
「ホントだよね…」
二人、互いに頭をつき合わせてガックリとうなだれる。そんな二人とは対照的に、隊長のゾーラ以下他の隊員たちは満足できる額だったのか不満の声も出ず、その表情からも不満の色は見られなかった。
「ちぇっ、みんないいよなぁ」
「全くだよね。少しぐらい私たちに回してくれてもいいのにさ」
「だよなぁ。それでもお姉さまはまだあたしらに回してくれるけど、他の連中は皆食っちまうんだもんなぁ」
「でも、変な真似したらお姉さまに撃ち堕とされるし…。お姉さま、そういうのは厳しいから…」
「だよなぁ、はあぁ…」
「かと言って前線に回っても…」
「あたしらじゃ墜とされるのが目に見えるからなぁ…」
「そうなんだよね…」
宜しくないことばかり頭に浮かび、二人ともますます肩を落とす。そんな間に他の連中はさっさとシャワーを浴びに行ったのか、そこにはもういなかった。
「仕方ない、とりあえず汗流すか。行こうぜ、クリス」
「うん」
ロザリーに促され歩みだそうとしたところで不意にクリスは目の端にあるものを捉えた。
「? どした?」
急に足を止めたクリスにロザリーが尋ねる。が、クリスは聞こえていないのか反応せず、ジッとある一点を見つめていた。
「クリス?」
もう一度呼びかける。と、
「ねえロザリー、ちょっと付き合って」
視線を合わせ、クリスはロザリーにそう頼んだ。
「へ? 付き合うって、何処に?」
「行けばわかるから。だから、お願い」
「あ、わ、わかったよ」
クリスにしては珍しく強い口調に、ロザリーも思わず頷いた。
「ありがとう。じゃあ、行こう?」
そう言うと、クリスはトコトコと歩き出した。
「あ、おい、待てよ! クリス!」
その後ろを、ロザリーが慌てて付いていった。
ジャスミン・モールを辞した後、先程目にしたあの桜の木の下にシュバルツは戻ってきていた。そしてその場に腰を下ろすと、幹に背を預けて少しの間その光景を堪能する。
(やはり、いいものだな)
咲き誇り、そよ風にたなびく桜を目にして穏やかな表情になる。そして、先程購入してきた購入物の袋を開けると、その中身を取り出す。
出てきたのは酒とおつまみだった。そう、ここで何をするのかといえば花見酒である。この立派な桜を見て不意に先程思いつき、そのための物資を購入して戻ってきたのだ。
一人酒というのも寂しいものはあるが、普段何処かに引っ張られているシュバルツとしては、落ち着いて一人酒というのは逆に実に心休まる時間であった。
「……」
缶ビールのプルタブを開けてそれに口をつけ、軽くおつまみを嗜む。ビールもおつまみも既製品で、ここで加工された品ではないからか味もまあ悪くはなかった。穏やかな時間を過ごしながら、一人、花見酒を満喫している。
そうしながら、どれだけの時間が流れたであろうか。
(ん?)
不意に、シュバルツは違和感を感じた。いや、ハッキリ言えば人の気配である。
(一人…二人か)
そちらに意識を向けてみる。どうやらこちらの邪魔をするつもりはないようだが、かと言ってこちらに姿を現すわけでもない。戸惑っているのか躊躇っているのか、そういう気配が感じ取れた。
無視しても良かったのだが、それではずっとこの状態のままである。とてもではないが気が散って楽しめるものではない。だから、
「そこの」
声を掛けた。
「いつまでそうしているつもりだ? 用があるなら出て来い」
(お、おい、あいつ、あの男じゃねえか!)
シュバルツが気配を感じて声を掛ける少し前、少し離れた岩場の陰からその姿を確認して声量を抑えながらもロザリーが叫んだ。
(そうだよ)
隣のクリスが同じように声量を抑えながら答える。二人は今、シュバルツから少し離れた岩陰のところにいた。
(そ、そうだよって、何考えてんだよ、クリス!)
声量を抑えたまま、ロザリーが顔を寄せる。
(あたしらがあいつにどんな目に合わされたか、忘れたわけじゃないだろ!?)
(勿論)
(だったら!)
とっとと戻ろうとでも言おうとしたロザリーの唇に、クリスが自身の人差し指を軽く当てて黙らせる。
(それでも、聞きたいことがあるの)
(で、でもよぉ…)
ロザリーはまだ渋っている。一度シュバルツから殺気を当てられたため、その時の恐ろしい記憶が拭いきれていないのだろう。
(大丈夫だよ)
そう言ってロザリーを安心させるためだろうか、クリスが軽く微笑む。シュバルツに対する想いはクリスも同じだろうが、こういった場面では彼女の方がまだ肝が据わっているのか、幾分落ち着いていた。
(あの時は、あの女を後ろから墜とそうとしたから怒ったんだろうけど、普通に接するんならあんな真似しないってば)
(そ、そうかもしれねえけどよぉ…)
ロザリーはまだ踏ん切りがつかないのか、頭をガシガシとかきながら逡巡した様子である。そんな時、
『そこの』
突然声を掛けられ、大げさではなく飛び上がってロザリーは固まってしまった。悲鳴を上げなかったのはある意味奇跡である。ロザリーほどではないがクリスも驚いた様子で、二人して岩陰からソロソロと頭を出して様子を見る。
シュバルツは先程と同じように、桜の木の幹に背を預けたまま花見酒を嗜んでいる様子だった。が、
『いつまでそうしているつもりだ? 用があるなら出て来い』
続けて声を掛けられて自分達の存在がバレていることを知り、二人は顔を見合わせた。
(ど、どど、どうしよう!?)
パニクるクリス。シュバルツに用事があるのは彼女であり、そのため今回はロザリーよりは肝が据わっていたのだが、予期せぬ出来事にあっという間にオロオロしだした。
(ど、どうするって、そりゃあ…)
ロザリーもどもりながら答える。彼女も内心ではクリスに負けず劣らずパニクっているのだが、クリスのオロオロ具合を見て逆に落ち着いたのか、クリスより幾分冷静になっていた。
(…大人しく出て行くしかねえんじゃねえの?)
そしてその結論に達する。
(気付かれた以上、あたしらがあいつから逃げることは出来ねえだろうしさ。まあ、どうでもいいと思ってるなら追ってもこないと思うけどよ)
(そ、そうか。そうだよね)
その意見にクリスもコクコクと頷いた。
(じゃ、じゃあ行こう?)
それだけ言い残すと、クリスは覚悟を決めたのかぎこちないながらも岩陰からシュバルツの元に歩き出していった。
(お、おい、待てよ、クリス!)
不承不承ながら、ロザリーが慌ててその後を追った。
「ほぉ」
姿を現した二つの気配の正体を見て、シュバルツは思わず声を上げた。ロザリーとクリス。まさかこの二人が自分のところにわざわざ出向いてくるとは思わなかったからだ。随分前にアンジュを後ろから撃ったことに対してちょっとお灸を据えてやってから、明らかにこの二人は自分を避けていたからだ。
「お前たち二人だけか?」
「あ…」
「う、うん」
歯切れ悪く答える。どうやらまだ自分が怖いのか、居心地悪そうな、身の置き場がないようなそんな感情がその表情から見て取れた。
(やれやれ、あのとき少し脅かしすぎたか)
内心で苦笑すると言葉を続ける。
「珍しいな。ゾーラやヒルダはどうした?」
「あー、その…」
「わ、私たちもいつもお姉さまたちと一緒にいるわけじゃないから…」
「そうか。座ったらどうだ?」
促す。少し逡巡していた二人だったが、やがておずおずとその場に腰を下ろした。
「飲るか?」
そんな二人に缶ビールを渡す。二人は顔を見合わせ、そしてゆっくりと手を伸ばすと受け取った。
『あ、ありがと』
ほぼ同時に礼を言うとプルタブを開けて口を付ける。酒の力を借りてこの場の緊張感から逃れたいのか、ぐいっとビールをあおった。
そんな二人の様子に先程と同じように内心で苦笑すると、新たに幾つかのおつまみを開けて勧める。
三人で酒を飲み、おつまみを食しながら、先程までとは全く違う何ともぎこちない雰囲気の花見酒になった。
「あ、あの…」
三人でのぎこちない花見酒を始めて少し経ってからクリスが口を開いた。少しは緊張が解けたのだろう。
「ん?」
缶から口を離して脇に置くと、シュバルツが答える。
「えっと、聞きたいことがあって…」
「私にか?」
クリスがコクコクと頷いた。こちらはクリスよりも緊張が解れたのか、少し離れた場所でおつまみを食べながらビールを飲んでいるロザリーが何を聞くんだろうといった感じでクリスを見ている。
「何だ?」
尋ねる。するとクリスは彼女にしては珍しく意を決したように真っ直ぐシュバルツの目を見た。そして、
「どうしたら、その…貴方みたいに強く、なれますか?」
「ブッ! ゲホゲホゲホッ…」
そう、シュバルツに尋ねた。そんなことを聞くとは思ってなかったのか、思わずロザリーがむせる。
「やだ、ロザリー、汚い…」
クリスがちょっとロザリーから身を引いた。
「しょ、しょうがねえだろ。いきなり何聞いてんだよ、クリス」
「だ、だって…」
手元にある缶をコンコンつつきながら、クリスは上目使いでシュバルツを見た。目が合うと慌てて視線を引っ込めてしまうのは相変わらずだったが。
「ロザリーは強くなりたくないの?」
間を置くためだろうか、逆にクリスがロザリーに尋ねた。
「へ? あたし?」
「うん」
「そ、そりゃあ、出来るもんなら強くなりたいさ」
「だったら」
「け、けど、うちらとこいつ…あ、いやいや」
チラッとシュバルツを見たロザリーがコホンと一つ咳払いをする。
「えっと…シュ、シュバルツじゃあそもそも戦闘のタイプが違うだろ? あたしらは後ろからの支援がメインの砲兵だけど、シュバルツは近接戦闘がメインの、うちらで言うところの突撃兵だからさ。参考になるか?」
「そうだけど…。でも今は、後方支援に徹してるじゃない。それでその実力も、私たちは何度も見てきたわけだし。実際、生命を救われたことは何度もあったし」
「そりゃそうだけどよぉ…」
ロザリーはまだ納得いかないのか、それともあまりシュバルツとは深く係わり合いになりたくないのか、乗り気ではなさそうである。
(さて、どうしたものかな)
そんな二人を見ながらシュバルツは実は頭を悩ませていた。というのも、自分の今のこの強さは言ってしまえば借り物であるというのをよく自覚しているからである。
自分が今これだけの戦闘力を発揮できているのは、素体である本物のシュバルツ=ブルーダーの実力や技量にDG細胞の力が加わった(不思議なことに、今のこの身体にはDG細胞は一片も残っていないが、その影響が残っているのは今まで普通に戦闘をこなせていることから簡単に推測できた)ものである。
では、大元の存在であるネオジャパンの科学者であり、ドモンの兄であるキョウジ=カッシュとしての素の戦闘力はどうだろうと考える。
無論、弱くはないだろうがそれは一般レベルのことだと今でも思っている。確かにアルティメットガンダムを奪って地球に逃れるとき、拘束したネオジャパンの兵士を力技でのしたことはあったが、それはあくまでも不意を突いたところが大きい。実際弟ならともかく、素の自分には銃火器を持った正規の兵士を徒手空拳で倒すことなど出来ないだろう。男女の身体的な差異を考えても、素の自分だったらここの戦闘人員の何人かには負けるとも思っている。
そんな自分が、偉そうにしたり顔で強さとは…とか、強くなるには…などと語ってもいいのだろうか。別に構わないかもしれないが、どうもシュバルツ…いやこの場合、キョウジはその気にはなれなかった。
幸いなことに目の前のクリスとロザリーはまだ何か意見を交換し合っているようでこちらに意識を向けてはいないが、それも時間の問題だろう。
(さて…)
何を言うべきか、それとも言わずにいるべきか。思考を巡らそうとしたところだった。
「あの、教えてくれませんか?」
クリスが重ねて尋ねてきた。タイミングの悪いことに、丁度二人の意見交換が終わったところのようだった。
「そうだな…」
シュバルツとしてはもう少し考えを纏める時間が欲しかったのは事実だが、こればかりはどうしようもない。気弱ではあるが真剣な眼差しのクリスと、クリスほどではないが興味津々といった感じで酒を飲み、おつまみを摘まんでいるロザリーにシュバルツもいい加減な受け答えは出来なかった。
「まあ基本的で、お前たちも耳にタコが出来ているかもしれないが、日々の鍛錬がまずは一番かな」
とりあえず無難な答えを返してみる。しかし自分でも言った通りそのことはうんざりするほど聞いているのか、二人の反応は芳しくなかった。
「やっぱりそうだよな…」
「うん…」
目に見えてしょぼくれる二人。しかし、これはどうしようもない。そもそも何かの薬を飲むとか、ある本を読むとか、とある道具を買うとか、そんなことで一気に強くなったら世話はない。地道が一番の近道なのである。しかしこの反応を見るに、出来ることならば楽して…あるいは裏技的に強くなりたいという思惑が手に取るようにわかった。
(どこかの世界の猫型ロボットでもあるまいし、そんな簡単で旨い話はないのだがな)
少し申し訳ないと思わないでもないが、それでも二人のそんな思惑にシュバルツは苦笑せざるを得なかった。とはいえ、ここで突き放すのも芸がない。
それにこの二人が強くなれば、彼女たちだけでなく他の第一中隊の面々が死ぬ確立も下がるわけで、それを考えれば意欲があるうちに道を示しておくのは上策といえた。
しかし先程も考えたように、あくまでもシュバルツ=ブルーダーの強さは借り物だと思っている以上、偉そうにあーだこーだ講釈を垂れるのも筋違いな気がする。なので、少し違う方面からアプローチしてみることにした。
「お前たち」
缶ビールを小脇に置いて今度はシュバルツから二人に声を掛けた。ロザリーとクリスが顔を上げる。
「強くなりたいと言うが、そもそも負けというのはどういう状態になったときのことかわかるか?」
「は?」
「え?」
いきなりの、それも抽象的過ぎる質問にロザリーもクリスも戸惑う。が、シュバルツはそんな二人にお構いなく続けた。
「何でもいい。思いついたのを言ってみろ」
「え…え…?」
質問の意図がつかめず、ロザリーはまだ戸惑っているようだった。
「えと…敵に撃墜されたときとか?」
対照的にクリスはおずおずとだが答える。シュバルツは知らないことだが彼女が主導権を握ってここにやってきたこともあり、今回に関しては珍しくクリスの方が積極的なようだった。と言っても、五十歩百歩には違いないが。
「そうだな。他には?」
シュバルツが促す。
「やられたとき」
「潰されたとき」
「のされたとき」
「背後取られたとき」
「吹っ飛ばされたとき」
「あと、えっと、えっと…」
「わかった、もういい」
シュバルツが二人を止める。さすがに強くなりたいと言うだけあって敗北経験にはことかかないのか、似たような回答もあるがポンポンと口をついて負けの状態が出てきた。これにはシュバルツも内心でまた苦笑せざるをえなかった。
二人もそのときのことを思い出しているのか、言っててどんどん表情が沈んできている。
(強くなりたいというのもわかるが、これでは自信も持てぬわけだ)
周りとの差もあり、それがますます拍車をかけているのだろう。ただ酷ではあるが、乗り越えるのは自分でしてもらうしかなかった。
(いつ仲間が死んでもおかしくないのが戦場だからな)
なので、彼女たちの求めているものではないが、参考になればと思い一つ忠告することにした。
「確かにそれも負けだ。だが、もっと重要なものがある」
「え?」
「そんなのあるのか? 何だよそれ?」
覗き込む二人に人差し指を立てると、シュバルツはトントンと己の胸を叩いた。
「ここだ」
『???』
何のことかわからずに首を捻るロザリーとクリス。
「本当の敗北と言うのはな、負けを認めたとき…即ち己のハートが折れたときのことだ」
そんな二人にシュバルツはそう諭した。
「死んでさえいなければ負けても挑む機会は何度となくある。だが、心が折れてしまえばそんな気もなくなる。そしてそれの意味するところは完全な敗北だ」
シュバルツは肉体的なことではなく、精神的な面からのアプローチを試みた。言っていることは一般論だし、目新しいことでもないのだが、言われてはじめて気付くこともある。二人もそうなのだろうか、黙ってシュバルツの言葉に聞き入っていた。
「泥に塗れ、踏みつけられ、何度叩き潰されても最後に勝てばそれでいい。大事なのはそれを実行できるだけの精神力…心の強さがあるかどうかだ」
説きながら思い出すのは今はもう会うことも出来ない弟の姿だった。自分が導きもしたが、ドモン自身が壁にぶつかっても決して諦めずに泥臭くもがき、その都度成長していったからこそ、この身を犠牲にさせてしまったがデビルガンダムを倒すことが出来た。
デビルガンダムの一件の最終的な顛末は残念ながら自分にはもう知ることは出来ない。あのまま破壊されたのかもしれないし、もう一波乱何かあったのかもしれない。だがどっちに転んでいたとしても、あいつなら決して負けはしないはずだとシュバルツは思っていた。
「お前たちにそれが出来るか?」
だからこそ、それを彼女たちに伝えた。思えば随分近くでドモンが成長する過程…その軌跡を見てきたのだ。それがわかるからこそ、折れない…諦めないことがどれだけ大事かを良く知っていた。
確かにこの二人の戦闘能力はお世辞にも高いとはいえない。だがそれはあくまでも現時点のことに過ぎない。きっかけ一つで大化けする可能性は誰にでもある。惜しむらくは大化けして開花する能力が、この年頃の女性にとっては一番不釣合いなものである戦闘能力…殺し合いのものだということだった。
だがそれでも、ドラゴンの餌となって死ぬ未来よりはよっぽどマシであることには違いない。それにシュバルツ自身も目の前で人に死なれるのは見たくなかった。
「……」
小脇に置いてあった缶を再び持つと口をつける。先程までより少し温くなっていたのは否めないが、まだ十分冷えていた。ビールの咽喉越しを楽しみながら二人の反応を待つ。
「あ、あのよぉ…」
おずおずと口を開いてきたのはロザリーだった。どちらかといえば今回に関してはクリスの方が積極的だったため意外だったが、シュバルツは口を差し挟むことなく続きを待つ。
「あたしはバカだから難しいことはわかんねえけど、それでもその…あんたの、シュバルツの言ってることは何となくわかるような気がするよ」
「そうか」
ロザリーの言葉に、シュバルツは満足そうに頷いた。
「最初はそれでいい。人間、一日で劇的に変わることなど出来ん。何か感じ入ってくれたことがあるなら、今はそれで十分だ」
「そ、そうか…」
まさか肯定されるとは思わなかったのか、ロザリーは照れくさそうに鼻の頭を掻くと、照れ隠しのためだろうか再び缶をあおった。
「…本当に?」
呟いたのはクリスだった。シュバルツ、そしてロザリーが共にクリスに視線を移す。
「本当に、報われるの? 心が折れなかったら、本当に?」
「断言は出来ん」
クリスが望んだ答えではなかったのだろう、シュバルツの返答に再び落胆するクリス。その表情には、やっぱりという諦観の色が濃く現れていた。
「だが、心が折れてしまえばそこまでというのは紛れもない事実だ。そのときになってから後悔しても遅いというのもな」
「……」
シュバルツの言葉に聞き入るクリス。
「そうだな…まずは手近な目標を立ててみればどうだ?」
『???』
言ってることの意味がわからず、ロザリーとクリスが首を傾げた。
「いきなりトップエースを目指すのではなく、出来そうなところに目標を置くということだ。例えば、『ゾーラのお荷物にならないようにする』とかな」
「あ…」
「そういうことか」
合点がいったのか、二人が頷いた。
「お前たちがどれだけゾーラを慕っているかは普段を見ていればわかる。私にこんなことを聞きに来たのは、勿論強くなりたいというのが第一義だろうが、ゾーラの足を引っ張りたくないとかもっとしっかりした援護をしたいという思いもあったのではないか?」
『……』
「図星か」
二人は何も答えなかったものの、その表情から自分の言ってることは間違っていないことをシュバルツは確信した。
「一足飛びで強くなることなど誰にも出来んからな。そういう場合、手近な目標をクリアしていくというのを繰り返すのが有効な手段だったりする。お前たちならばそうするのがいいと思うが?」
缶に口をつけ、二人の反応を見る。言われたことを考えているのか、自分たちが握っている缶に視線を落として思考を巡らせているようだった。
桜吹雪の舞い散る中、そうしてどれほどのときが経ったであろうか。先に反応してきたのはやはりというべきかクリスの方だった。
「正直…」
「ん?」
シュバルツが耳を傾ける。
「正直、私たちが…ううん、私が期待した答えじゃなかった。早く、楽に、簡単に強くなれる方法を知りたかった」
「そうか」
相槌を打ったがそれ以上は何も言わずに先を促す。
「でも、それが一番の近道だっていうなら、やるしかないよね」
「お、おいクリス…」
「ロザリー、私はやるよ」
ロザリーに顔を向けると、クリスはハッキリと言い切った。
「自分が望んでいる強さになるのにどれぐらいかかるかわからない。もしかしたらその前に死んじゃうかもしれない。でも、これ以上お荷物でいたくない。ロザリーはどうなの?」
「う…」
参ったなという表情でロザリーはガシガシと頭を掻いた。
「痛いところを突くよな」
酒の力を借りたいのか、グイッとあおる。そしてプハーッと吐き出すと口元を拭った。
「正直、あたしは楽が出来ればそれでいいと今でも思っている。今までみたいになるべく安全なところから獲物を掠め取れればそれでいいってね」
「ロザリー…」
「でも」
クリスは悲しそうな顔をしたが、何かを言われる前にロザリーが遮った。
「クリス、あんたにまで置いてきぼりにされたら、あたしは本当のミソッカスになっちまう。それに、お姉さまの役に立ちたい、足を引っ張りたくないってのも確かなところさ。だから付き合ってやるよ、あんたに」
そう言って恥ずかしそうにそっぽを向くとまたビールをあおる。その横顔が赤かったのは決して酒が入っているからだけではないだろう。
(不器用な奴だな)
気持ちや感情を素直に曝け出すのが苦手なのだろう。だからこういう言い回ししか出来ないのだ。それがわかり、シュバルツは内心で苦笑した。
どちらにせよ、二人は第一歩を踏み出す決意をしたようだった。後は本当に踏み出すか、そしてそれを続けられるかだが、それは二人の自主性に任せるしかなかった。無理やり強制しても何の結果も出ないのは良くわかっているからである。自分に出来るのは彼女たちを導き、そして少し手助けしてやることだけだとシュバルツは思っていた。
「結論は出たみたいだな」
シュバルツの言葉に、ロザリーとクリスの視線がシュバルツに向いた。
「もし、稽古をつけてほしければいつでも来るといい。相手になってやる」
「い!?」
「えっと…それは…」
ロザリーとクリスの額に冷や汗が滲んだ。
「別に冗談で言ってるわけではないぞ。確かに私が手ほどきしてやれるのは近接戦闘だけだ。部隊単位で戦闘を行い、しかも後方支援がメインの砲兵のお前たちにとってはまるで正反対の立ち位置だろうが、それでも全くの無駄にはならんと思うがな」
「あ~…いや~…」
「そ、そうかもしれないけど…」
二人の表情や声色から乗り気ではないのは手に取るようにわかった。
「まあ、無理強いはせんさ。あくまでその気があればの話だ」
咽喉の奥でクククと笑いながらそう付け加えると、ロザリーとクリスはあからさまにホッとした様子だった。
(決意はしても根っ子はそう簡単には変わらんか。まあ、仕方あるまい)
内心で苦笑しながらこの話はここまでにしようと判断し、シュバルツは残りの酒やおつまみを袋から全て出した。
「せっかくだ、もう少し飲っていけ」
「え? いいのかよ」
「構わんさ。特に花見酒など、花が咲いているうちしか出来んからな。無論、お前たちが良ければ…の話だがな」
「あ、ありがと」
おずおずと口を開いて礼を言うクリスに軽く微笑みながらシュバルツはまた新しい缶を開けた。それに倣うかのようにロザリーとクリスも新しい缶を開けてクイッと飲る。
咲き誇り、僅かに散り行く桜吹雪を堪能しつつ、三人は軽くお喋りしながら花見酒を堪能した。そしてそれは、酒とおつまみが全てなくなるまで続いたのだった。