前回と今回は珍しく、シュバルツがほとんど出てきません(前回は始め、今回は終わりの部分のみ)。
まあ、たまにはこんなのもいいですよね?
では、どうぞ。
明くる日。
『ミッションクリア。訓練終了だよ』
復帰したゾーラの号令で本日の訓練が終了する。シャワーで汗を流したアンジュが更衣室に戻ってくると、
「お帰りなさいませ、アンジュリーゼ様♪」
当然の如くモモカが出迎えた。しかし、
「何、これ!?」
アンジュが目の前の光景に驚きの声を上げる。しかし、それも無理はなかった。なぜなら普段そこに置いてあったロッカーは乱雑に横転され、代わりに豪華なクローゼットが置かれていたからである。
「アンジュリーゼ様といえば、ミスルギ皇国のファッションリーダー。あの頃のお気持ちを思い出して頂こうと…」
モモカがクローゼットに手をかけてそれを開くと、ハンガーにかかったいくつもの豪華な衣装が現れた。傍らでは、バスタオルを巻いたサリアがどうしていいのかわからないといった感じに佇んでいる。
「アンジュリーゼ様が大好きだったアイテムを揃えてみました」
モモカは実に楽しげだが、対照的にアンジュは目つきが鋭くなった。そして一言、
「戻して」
冷たくそれだけ告げた。
「はいっ♪ …え?」
そんな反応されるとは思っていなかったのだろう。条件反射的にモモカが楽しそうに返事をしたが、その内容を理解して言葉に詰まる。
「元に戻しなさい。今すぐ」
不快気な表情のままアンジュはそう吐き捨てると、ドアを鳴らして再びシャワー室へと入っていった。
「アンジュリーゼ様…」
自分が想定していなかった主人の言葉に呆然と呟くモモカ。しかし、
「まだまだ、これから!」
すぐに前向きになる。その傍らで、
「私の…ロッカー…」
サリアが寂しそうに呟きながら横転したロッカーを撫でていたのは余談である。
「おかえりなさいませ、アンジュリーゼ様」
着替えが終わり、自室に戻ってきたアンジュを出迎えるモモカ。しかしアンジュは目の前の光景にすぐには反応できなかった。
何故ならそこは、ミスルギ皇国時代の自室のインテリアと遜色ない内装になっていたからである。
「インテリアを、アンジュリーゼ様が大好きだった感じに変えてみました。これで日々の快適な「戻しなさい!」」
「え?」
しかし結果は先程の更衣室と同じ。アンジュを喜ばせるどころか、その逆鱗に触れただけだった。
「元に戻しなさい! 今すぐ!」
そう吐き捨て、乱暴にドアを閉じてアンジュは何処かへと行ってしまった。残されたモモカはやはり呆然とすることしか出来なかった。
「いらっしゃいませ、アンジュリーゼ様」
今度は食堂だった。テラスに天蓋つきの特別席が設えられており、そこには明らかにいつもとは違う食事が用意されていた。
「今日は、アンジュリーゼ様が大好きだった山ウズラのグリル。夏野菜のソース添えになります」
しかしアンジュの表情はやはり険を帯びている。
「これを食べれば、明日から元気百倍「いい加減にして!」」
それに気付かないモモカはなんとも能天気にアンジュをもてなそうとするが、当然のように逆効果だった。いい加減、腹に据えかねたアンジュがツカツカとテーブルに近寄るとクロスごと料理をひっくり返したのである。
背後からはヴィヴィアンのうわ~、もったいなし! という悲鳴にも似た声が聞こえるが、アンジュは意にも介さずに呼吸を荒げながらモモカを睨みつける。
「あ、アンジュリーゼさ「私は、アンジュリーゼじゃない!」」
モモカは表情を曇らせているが、アンジュはお構いなしに続ける。
「何度言えばわかるの! これ以上私に関わるな!」
拳を料理のなくなったテーブルに叩きつける。その剣幕にモモカも身を竦ませた。そしてそのまま身を翻して食堂を後にした。その後姿をモモカは寂しそうに見つめる。と、
「頭が悪いねぇ」
不意に横から誰かにそう言われた。
「あ、貴方は…」
モモカが首を動かしてその人物を確認すると、そこにはいつものようにふてぶてしい態度のゾーラが、これまたいつものようにシニカルな笑みを浮かべていた。モモカが警戒して距離を置く。
「ど、どういう意味ですか?」
警戒しながらもモモカが尋ねた。と、ゾーラがにやりと笑う。
「自分のやってることが、あいつにとっては迷惑でしかないことに気付いてないってことさ」
そう言うと、ゾーラは持っていたボトルに口を付けてその中身を仰いだ。そして口元を拭うとモモカを睥睨する。
「この前言ったはずだよね。現状認識がちゃんとできないのは、無様以外の何者でもないって。あんたはあいつを昔のあいつに戻したいんだろうけど、それをあいつが頼んだのかい?」
「それはっ…でもアンジュリーゼ様は皇女なのですよ」
「その前にノーマだろうが」
「っ!」
ゾーラの指摘にモモカが唇を噛む。
「良かれと思って行動しても、本人が望んでいなけりゃただのありがた迷惑…いや、迷惑でしかないだろうさ」
「そんな…じゃあアンジュリーゼ様は、こんなところでの暮らしを望んでいるというのですか!?」
「望んじゃいないだろうさ」
「ほら「でも」」
モモカが反論しようとしたところでゾーラが言葉をかぶせてそれを遮った。
「皇女時代に戻ろうってのはもっと望んでないだろうよ」
「そんなこと…」
「無いってかい? ことごとく否定されておいてか?」
「……」
ゾーラの指摘に、モモカが何も言えなくなった。
「もう一度言うが、ちゃんと現状を理解して、認識して、行動するんだね。何しろ筆頭侍女様だ。頭は悪くないはずだろ?」
そしてゾーラはモモカの頭をつんつんとつついた。
「や、止めてください!」
慌てて距離を取ると、モモカはアンジュの後を追うためだろうか走っていった。言いたいことを言うだけ言って気が済んだのか、ゾーラは再びボトルに口をつける。と、
「あ、あの…」
不意に、モモカの声が聞こえた。ゾーラが振り返ると、モモカはきちんと姿勢を正し、そして、
「ありがとうございました」
軽くお辞儀をしてその場を立ち去っていった。
「……」
それに答えるでもなく、ゾーラは先程までと同じようにボトルの中身をあおっていた。
昼食後は、第一中隊は射撃訓練の時間だった。サリアとエルシャが片膝を着いて横に並び、現れた標的に向かって銃を撃つ。
「あら」
エルシャの放った銃弾は的を撃ち抜くことなく脇に外れた。その際、反動でその胸は大きく揺れていた。
対照的にサリアの放った弾丸は見事に的を撃ち抜く。そしてその際、同じように反動があるにもかかわらず、彼女の胸は全く揺れなかった。
「ど真ん中! お見事~♪」
どうやってしまってあったのかわからないがとにかく、胸元からハンカチを取り出すと、エルシャはそれをヒラヒラとサリアに向かって振った。
「いつまで経ってもサリアちゃんみたいに上手く撃てないわね~。何が違うのかしら?」
不思議がるエルシャとは対照的にサリアは忌々しげな視線でエルシャのある一点を射抜く。
(チッ、四次元バストがっ!)
サリアが忌々しげな視線で射抜いていたのは、自分の胸とは対照的な豊満すぎるエルシャのバストだった。
そんな彼女たちから少し離れたところで、アンジュが同じように射撃訓練をしていた。と、
「え~っ、マジで!?」
アンジュからこれまた少し離れた場所で、いつものようにヒルダやクリスとつるんでいるロザリーが驚きの声を上げた。
「ちょっと、声が大きいよ」
「だって、あの侍女が殺されるって?」
ロザリーのその言葉に、アンジュがほんの一瞬だけ動揺したかのように構えを解いた。
「ど、どういうこと?」
クリスがいつものようにおどおどした様子でヒルダに問う。
「アルゼナルやドラゴンの存在は、一部の人間しか知らない極秘機密だって知ってる?」
「えっ、そうなの?」
「聞いたことある」
「こんなところにやってきて、秘密を知っちゃった人間を…」
「素直に帰すわけない」
「そういうこと」
「成る程ぉ」
そしてヒルダは揶揄するような表情になると、アンジュに視線を向けた。
「可愛そうにねぇ~。あんな冷血女を追ってこんなところまで来たばっかりに」
「だな」
「あいつに関わったやつは皆死ぬ。ココもミランダも、そしてあの子も。慕ってくる奴を、皆地獄に叩き落すのさ。酷い女だよ、ホント」
アンジュは唇を真一文字に結び直すと、再び標的を狙った。と、
「きゃっ!」
「痛て!」
「あいた!」
ゴンゴンゴンという小気味良い音と共に、ヒルダたち三人の悲鳴が上がった。
「サボってんじゃないよ、お前たち。下らないこと言ってないで、とっとと訓練に戻りな」
ゾーラだった。さすがに彼女には逆らえないのか、三人とも不承不承ながら訓練に戻る。それを確認して満足げな表情になった後、ゾーラもアンジュの横について訓練を再開した。
「いい子じゃないか」
まずは軽く一発標的を撃ち抜いたゾーラが呟いた。
「え?」
「あの筆頭侍女だよ。あんな忠誠心が厚くて一生懸命な子は、中々いないよ」
「……」
アンジュは何も答えずに黙々と訓練を続ける。ゾーラもそんなアンジュと同じように訓練を続けながら独り言のように滔々と話しかけた。
「アンジュ、お前があの子にどんなわだかまりを持ってるかはあたしは知らない」
「……」
「でも、少なくともあたしにはあの子の行動に裏があるとは思えないけどね」
「……」
「このままなら、さっきヒルダたちが噂した通りの結末になるだろうさ。あんたはそれでもいいのかい?」
「……」
「…まあ、最終的に決めるのはあんただ、好きにすりゃあいいさ」
そこまで言うと一息つくためだろうか、ゾーラは構えを解いて立ち上がった。
「あ、そうそう」
そしてアンジュに背を向けたまま、置き土産のように呟く。
「もう十分に知ってるだろうが、ここでは金さえ積めば何でも手に入るんだよ。生命も絆も、身柄もね」
「……」
「そして手に入れる金が足りなければ、人に頭を下げて借りればいいのさ。それがどうしても欲しければね」
「……」
「まあ、金欲しさに他人の獲物横取りするようなバカは、戦線に復帰した以上、あたしが容赦なく撃ち落とすけどね」
話は終わったとばかりにそれだけ告げると、ゾーラはその場を後にした。残されたアンジュは先程までと変わらずに黙々と訓練を続ける。その様子からは、何を考えているのかは想像できなかった。
時間は流れて夜。食堂でアンジュはいつものように一人で食事を摂っていた。と、
「よっこいしょ」
何ともその若さに似合わぬ掛け声ではあるが、そう言いながら当然のようにどこからか出てきたモモカがその傍らに腰を下ろした。
「何それ」
アンジュはモモカのトレイを見て思わず尋ねてしまった。というのも、そのトレイには各メニューが山盛りに盛られていたからである。
「えっと…あの…多分、ここでの最後のお食事になると思いますので、きちんと頂こうかと思いまして。…あ、お金もちゃんと払いましたよ。…では、頂きま~す」
スプーンでライスをすくい、そのまま口に入れる。と、モモカの反応が止まった。
「…こ、これは中々……」
どれぐらい経ってからだろうか、口を開いたモモカの第一声がそれだった。吹き出しがあれば、間違いなく汗をかいている表現が示されていそうな声色である。
「お、美味しい、ですね…」
無理やりに引きつった笑みを浮かべながら、モモカはアンジュに振り返った。
「…ハッキリ言っていいのよ、不味いって。ここの料理、極少数の例外はあるけど、ほとんどそんなもんなんだから」
「あ、あは、あはは…」
乾いた笑いをあげるモモカにチラッと視線をやると、アンジュはすっくと立ち上がった。
「あ、アンジュリーゼ、様…?」
モモカが怪訝そうな表情になってアンジュの名を呼ぶ。と、
「お風呂」
アンジュは一言素っ気なくそう告げた。
「あ、あの、お背中をお流ししても…」
モモカはそう言ってみるが、トレイを持って立ち去るアンジュは答えない。やはりダメかと思った瞬間、
「好きにすれば?」
先程と同じく素っ気ない、だがモモカの言葉を肯定する一言がその口から紡がれた。
「はいっ!」
了承を得たモモカは満面の笑みを浮かべると、本当に嬉しそうにそう答えたのだった。
「いつぶりでしょうね。こうして、お背中を流させていただくのは…」
大浴場にてアンジュの背中を流しながらモモカが呟く。あれから二人は場所を移し、アンジュの言葉通り入浴をしていた。
モモカに背中を流されているアンジュは、何かを考えるような表情になりながら、それを黙って受け入れていた。と、
「その傷…」
不意にモモカの腕に入っている傷に目が行く。
「え、これですか?」
自身の腕に刻まれた傷を見ながらモモカが呟いた。
「マナを使えば元通りになると言われたのですが、思い出の傷なので」
そして思い出す。あれはまだ自身もアンジュも幼い頃、モモカは自身の不注意でアンジュの人形を一体壊してしまったことがあった。
どうしたらいいのかわからずに泣きながらその人形を抱えて途方に暮れていると、
『何事!?』
音を聞きつけたのか、アンジュがやってきた。
『申し訳ありません、アンジュリーゼ様! 大切な人形を…』
壊れた人形を抱きしめながらモモカが謝る。その腕からは人形の破片で引っ掛けたのか、血が流れて肘からポタポタと滴が垂れ落ちていた。
『貴方、怪我!』
それを目にしたアンジュが距離を詰める。しかし、
『何でもありません!』
申し訳なさからか、モモカは否定にもならない否定の言葉を紡いだ。
『大丈夫なわけない!』
アンジュはそんなモモカを無視して自身のドレスを破ると、包帯のようにしてモモカの腕に巻き始めた。
『アンジュリーゼ様、そのドレスは!』
『バカっ!』
その行為を慌てて止めようとしたモモカをアンジュは叱責する。そして、
『人形やドレスは、また作ればいい。でも、貴方はたった一人の貴方なのよ』
ドレスで出来た即席の包帯を巻きながらそう言ってモモカを諭した。
『アンジュリーゼ様…』
まだ子供の身であっても…いや、子供の身だからか余計にその言葉はモモカの心に染み渡った。そしてアンジュの厚意を黙って受け入れる。
『これで大丈夫』
やがて応急の手当てが終わり、アンジュがその手を離す。
『割れ物は、裏の木の下に埋めるといいわ』
その言葉を聞いたモモカがちょっと驚いた顔になる。そして、
『内緒よ?』
軽く口に人差し指を当てた後、アンジュが微笑む。
『はい!』
モモカは今度は嬉しさのあまりに泣き出しそうなのをグッと我慢すると、自分の腕…アンジュによって応急の手当てがなされたそれを見つめたのだった。
「そんな昔のこと…」
アンジュ自身も忘れかけていたのだろうか、思わず呟く。
「私は、決して忘れません」
短くも、決して揺るがない信念のこもった声だった。
「今の私は、アンジュリーゼ様で出来ていますから。これからも…」
アンジュの背中にもたれかかるモモカ。
「ずっと、ずっと…お慕いしております、アンジュリーゼ様」
モモカの告白に息を呑み、アンジュは神妙な面持ちになった。そんな二人を見守るかのように、流れ星が一条、降り注ぐ。
「…出て行け」
少し間を置いてからのアンジュのその一言に、モモカはハッと息を呑んだ。
「出て行くのよ、今すぐ」
モモカは答えなかったが、アンジュは構わず同じ言葉を重ねた。
「はい、明日には。だから今は「違う!」」
モモカの返答にアンジュが振り返り、その両肩を抑えた。
「今すぐよ! マナを使えば、海を渡ったり潜ったりぐらいできるんでしょう!? 逃げなさい、モモカ!」
そう説得する。しかし、
「やっと呼んでくれました。モモカって…」
モモカは嬉しそうにそう言うだけだった。
「ですが、時間のある限りアンジュリーゼ様のお側にいさせてください」
そしてこう続ける。
「どうして!?」
もっともな質問だった。
「モモカ=荻野目は、アンジュリーゼ様の筆頭侍女ですから」
それに対する返答も、モモカらしいといえば実にモモカらしいものだった。
「バカっ…」
咽喉の奥から搾り出すようにそれだけ告げる…いや、それだけしか告げられないアンジュ。苦虫を噛み潰したような表情はしかし次の瞬間、緊張に彩られることとなった。
『第一種遭遇警報発令! パラメイル第一中隊出撃準備! 繰り返す…』
赤色灯と共にサイレンが鳴り響き敵襲の来訪を告げる。アンジュは己の使命を果たすために大浴場を後にしようとした。と、
「アンジュリーゼ様」
モモカの呼び止める声に足が止まった。
「どうか、ご無事で…」
しかしアンジュは答えることはせず、そのまま大浴場を後にした。
格納庫にて、集合した第一中隊は自分たちの機体の準備が整うのを整列して待っていた。と、
「頑張って稼ぎなよ、あの子の墓石の分まで」
「うわー、悪趣味ー」
左右からロザリーとクリスの揶揄する声が聞こえる。しかしアンジュはそれに反応することも無く、ジッと出撃のときを待っていた。
「総員、機乗!」
やがて姿を現した自分達の愛機が勢揃いしたところでゾーラが号令をかける。それと共に、いつものように各隊員たちは自分の搭乗機へと走っていった。アンジュもいつものように自分の愛機…ヴィルキスに乗る。
「アンジュ」
そこでジルに呼び止められた。
「夜明けに輸送機が到着する。元侍女の世話は、現時刻をもって終了とする。御苦労だった」
簡潔に要件だけを告げると、ジルはその場を後にした。
『進路クリア。発進どうぞ』
司令部からの通信を受け、次々と第一中隊の面々が空へと舞っていく。今回、アンジュは最後尾での発進となった。
(何が筆頭侍女よ…)
機乗しながら、アンジュは内心で毒づいていた。
(ずっと騙してきたくせに)
そうは思うものの、脳裏に浮かんでくるのはここアルゼナルでも変わらない、献身的なモモカの姿だった。ありがた迷惑や余計なことばかりだったが、それでもその姿はミスルギ皇国にいたときとなんら変わることは無かった。
『お慕いしております、アンジュリーゼ様』
その一言が頭にチラついた。
(バカ…。ホント救いようのないバカ!」
最後の一言は思わず口に出してしまったアンジュが秘匿回線を開いた。
「ヴィヴィアン、エルシャ、聞こえる?」
『はいな』
『どうしたの、アンジュちゃん?』
通信先はヴィヴィアンとエルシャの二人だった。
「二人に頼みがあるの」
そして程なく、第一中隊は戦闘宙域へと突入していったのであった。
戦い済んで朝日が昇り、アルゼナルにまた新しい一日が訪れる。
「あんの、クソアマーっ!」
憤懣やるかたない様子で己の機体を見ているのはロザリーである。というのも、機体には人為的にへこんだ傷跡があったからだ。
「戦闘中にあたしの機体を蹴っ飛ばしやがって!」
「邪魔って…私のこと、邪魔って!」
隣ではクリスが頭を抱えて悲鳴を上げていた。
「いや~今日のアンジュ、超キレッキレだったにゃ~」
「まあね。チームワーク乱さない程度になら歓迎よ」
「まあ、張り切ってた理由は何となくわかるんだけどね」
その横を、サリアとヴィヴィアンとエルシャがそんな会話を交わしながら過ぎていった。そして甲板上では、向かえに来た輸送機の前でモモカがジルとエマに挨拶をしているところだった。
「では、お世話になりました」
深々と下げていた頭を上げる。
「僅かな時間でしたが、とても幸せでした。そう、アンジュリーゼ様にお伝え頂けますでしょうか」
「…わかったわ」
エマが搾り出すようにやっとそれだけ答えた。
「では、こちらに」
輸送機の隊員が促す。
「あ、はい。宜しくお願いします」
そう答えるモモカだが、エマは隊員が持っている銃剣に表情を曇らせ、顔を背けることしか出来なかった。
そんなエマの様子に気付くこともなく、モモカは再び一礼すると隊員の後について歩き出す。その表情はどこからどう見ても沈んでいるものだった。と、
「待ちなさい!」
不意に後ろから呼び止める声が聞こえた。自身が良く知っているその声に振り返ると、そこには幾つかの紙袋にキャッシュをギッシリ詰め込んでこちらに向かって走ってくるアンジュの姿があった。
「アンジュリーゼ様!?」
思わず驚きの声を上げるモモカ。と、
「その子、私が買います!」
そう言ってその紙袋を甲板上に置いた。その一言に、周囲からちらほらと驚きの声が上がる。
「は? はあーっ!?」
アンジュのその言葉の内容にエマが素っ頓狂な声を上げるが、それも仕方のないことだろう。
「ノーマが人間を買う!? こんなボロボロの紙クズで!? そんなことが許されるわけ「いいだろう」」
続けざまに否定しようとするエマを遮ったのは、これまで静観していたジルだった。そしてその一言に、モモカの表情がまた驚きに彩られる。
「は? は、は? はいぃ?」
「移送は中止する。その娘は、こいつのものだ」
その一言に輸送機の隊員たちは一瞬お互いの顔を見合わせるが、それだけでそのまま輸送機へと戻っていった。
「し、司令」
話は終わりだとばかりに去ろうとするジルをエマが呼び止めた。
「金さえ積めば何でも手に入る。それがここのルールですから」
楽しげにニヤリと笑うとジルはそう告げて、今度こそこの場を後にした。
「いや…その…」
確かにその通りなのだが、しかし返答に詰まる。
「ちょ、ちょっと待って!」
故にエマに出来たのは、マナの力でその紙袋を回収しながらジルの後を追うことだけだった。二人を見送った後、アンジュは振り返るとモモカに視線を向ける。モモカはゆっくりと自分の方に近づいてきていた。
「ここに…いてもいいのですか? アンジュリーゼ様のお側に、いてもいいのですか?」
輸送機が飛び立つ中、モモカがアンジュに問いかける。
「アンジュ」
モモカの問いに答えることなく、アンジュは振り返って背を向けた。そして、
「私はアンジュよ」
一度だけモモカに振り返ってそれだけ言うと、そのままアンジュはその場を後にした。
「はいっ! アンジュリーゼ様~♪」
モモカは嬉しそうに頷くとしかし、アンジュが告げたことを無視して皇女時代の名を呼んでその後を追いかけたのだった。
そして、そんな主従を物陰から見ている人影が一つ。第一中隊隊長であるゾーラだった。いつものように楽しげな笑みを浮かべている。と、
「ゾーラ」
どこからか、そんな彼女の名前を呼ぶ声が聞こえた。ゾーラが振り返ると、そこには見慣れた姿があった。
「シュバルツ」
軽く手を上げて応えると、シュバルツも同じように手を上げる。更にシュバルツには珍しく、上げた手と逆の手には酒のボトルが握られていた。
「こんなところで何をしている?」
「まあ、隊員のアフターケアーってやつかね」
「…成る程な。やはり、お前の差し金か」
ゾーラの返答に、得心がいったようにシュバルツが頷いた。
「何のことだい?」
「戦闘終わり、アンジュのやつが物凄い勢いで私のところにやってきてな」
「へぇ?」
その言葉を聞き、ゾーラがニヤリと口元を歪めた。
「金を貸してくれと凄まじい勢いで頭を下げられた。どういうことかと聞いてみれば、あの侍女を買うために用意できるだけキャッシュを用意したいと言うではないか。ヴィヴィアンとエルシャにも頼んだが、生憎ヴィヴィアンには貸せるだけの金がなく、エルシャからしか用立ててもらえなかったので、私にも頼みに来たとのことだった」
「貸してやったのかい?」
ゾーラが尋ねる。
「ああ。現時点で特に使い道があるわけではないし、理由も理由だから断る必要性も感じなかったのでな。だが、あのアンジュがこんなことを自力で思いつくとは思えなかったので助言した人物がいると思ったのだが、やはりお前のようだな」
「どうしてそう思うんだい?」
重ねて尋ねた。
「現時点でアンジュと特別な接点があるのは司令のジルか整備班のメイたちか、同じ中隊の隊員であるお前たちだ。だが、ジルやメイたちがアンジュにそんなアドバイスをしてやれるほどに親しいとはまだ思えん。となると同じ中隊の人間だが、ヒルダ・ロザリー・クリスは今のところ反目しあってるので消える。ヴィヴィアンには失礼だが、あいつにそんな的確なアドバイスが送れるとは思えん。サリアもアンジュに対して腹に一物持っているような感じだ。となると、お前かエルシャ。しかしエルシャだとしたら、アドバイスしておいて当の本人に借金を申し込まれるというのも間抜けな話。となるとお前しかいないと思ったのだが、どうかな?」
シュバルツの推論を聞いたゾーラが感心したようにパチパチパチと手を叩いた。
「流石、大した洞察力だよ」
「当たりか?」
「ああ。確かにあたしが忠告してやった。でも、それを実際に実行に移したのはアンジュだ。あたしはただこんな手もあるって教えてやっただけさ」
「…お前はやはりいい隊長だよ」
「ふっ、よしとくれよ」
照れ臭いのか、ゾーラにしては珍しく戸惑った感じの表情でポリポリと鼻の頭を掻いた。
「ところで、それは何だい?」
さっきから気になっていたボトルを指差して尋ねる。
「これか?」
チラッと手に持っているボトルに目をやると、シュバルツはそれをゾーラに向かって軽く投げた。思わずゾーラがキャッチする。
「お前の復帰祝いだ」
そして、そうシュバルツが簡潔に告げた。
「おや、嬉しいねぇ」
まさかのプレゼントにゾーラの顔が綻ぶ。
「あらかたのキャッシュはアンジュに貸してやったのでな。それだけになってしまったが、そういう事情なら納得してくれるだろう?」
「…やれやれ、余計な忠告するんじゃなかったかね」
「今更遅いな」
「全くだね」
シュバルツとゾーラは二人してクスクスと笑いあった。
「ではな」
用件は終わったのだろう。シュバルツが背を向けると軽く手を上げた。
「おや、つれないじゃないか」
そんなシュバルツの態度に、ゾーラが少し不満げな様子になった。
「ん?」
意味がわからずシュバルツは振り返る。と、
「復帰祝いなら付き合ってくれてもいいんじゃないかい?」
そう言って、ゾーラがシュバルツからもらったボトルを軽く左右に揺らした。
「私が?」
「ああ」
「お前に?」
「そうだよ」
ゾーラの誘いに少し考えるも、シュバルツの口から出てきたのは、
「止めておこう」
の一言だった。
「なんだい、付き合いが悪いねぇ」
つまらなそうにゾーラがむくれる。
「お前と飲むのが嫌なわけじゃない。が、お前のことだ、気が付いたらお前に手篭めにされていた…なんてことになりかねんからな」
そんなゾーラに返したシュバルツの返答がこれであった。
「…いやいや、考えすぎだよ。あたしがあんたにそんなことするわけないじゃないか」
口ではそう言うものの、ゾーラは実に楽しそうにニヤニヤと笑っていた。
「その表情でそう言われてもな。誘うのなら、お前の可愛い部下たちにするのだな」
それだけ言うと再び背を向け、先程と同じように軽く手を上げるとシュバルツは瞬時にその場から姿を消した。
「チッ」
不満そうに口を尖らせるもすぐにいつもの様子に戻る。そして、
「ありがとうよ、シュバルツ」
小さく一言呟くと、ゾーラもその場を後にしたのだった。