少々触発された作品があったので、亀の歩みですが投稿を再開しようと思います。
今後も不安定な投稿が暫く続くかと思いますが、温かい目で見ていただけると幸いです。
では、久しぶりの最新話です。どうぞ。
数日後、アルゼナル内部、ジャスミンモール―――
アルゼナルに住まう全ノーマの息抜きの場の一つである。
ノーマである彼女達は日々の任務をこなし、そこで得られる対価…ここではキャッシュと呼ばれている…を交換することでこのモール内にあるものを自由に手に入れることが出来る。
その品揃えは店主のジャスミンがブラジャーから列車砲まで何でも揃うと豪語しているだけのことはあり、とにかく豊富である。隣にはちょっとした娯楽施設も併設してあり、アルゼナル内の数少ない憩いの場であった。
そして今日も今日とて、数多くのノーマたちがここで必要物資を調達したり、嗜好品や装飾品などを手に取ったり、あるいは遊技場で遊んでいたりと楽しそうに寛いでいた。
「おぉー! 新しいの入ってるぅ!」
そんなジャスミンモールに又一人客がやってきた。第一中隊の…いや、あるいは全中隊の中でも一番の元気印かもしれないヴィヴィアンである。その肩には自身の身の丈より少し短めなだけの大きなナップザックを担いでいた。
「おばちゃーん、これいくら?」
振り返ると、ヴィヴィアンは店主のジャスミンに尋ねた。
「お姉さんだろ! 全く…」
おばちゃんと呼ばれたことにジャスミンは不満を隠さずに座っていた椅子から立ち上がると、ゆっくりとヴィヴィアンに向かって歩いてきた。
「超鋼クロム製ブーメランブレードか。1800万キャッシュだね」
そしてヴィヴィアンのお目当て…パラメイルの新規装備品の値段を告げた。その名の通りブーメラン状のブレードである。
値段を耳にした回りの少女達は驚きの声や高ーいといった素直な感想を漏らしていたが、ヴィヴィアンは気にすることもなく、
「喜んでー!」
と、ナップザックを地面に下ろした。言うまでもないことだが、その中にはぎっしりとキャッシュが詰まっている。
「毎度あり」
ジャスミンが札束を数え終わって形だけの礼を言うと、彼女の飼い犬であるバルカンが唸りながら後ろを向いた。それに気付いたヴィヴィアンとジャスミンが視線を向ける。と、そこにはアンジュがこっちへと向かってきている姿が見えた。
その姿はロザリーたちの嫌がらせによって、意味を成してないような状態の制服を纏っているだけのものだった。
「うわー、セクスィー」
「随分涼しそうだねぇ」
その姿を見たヴィヴィアンとジャスミンが素直な感想を漏らす。それは別に気にも留めた様子もないアンジュだった。が、
「確かにな」
背後から聞こえてきた声色に、アンジュは厳しい表情になって即座に振り返った。少し離れた場所にはいつの間にかシュバルツが立っていた。
「あ、シュバルツだ。やっほ」
「おや、珍しい客人だね」
「ああ」
そう、短く返事をする。二人だけではなく、シュバルツが姿を現したことによってそれに気付いた全てのノーマたちが嬉しそうな声を上げたり喜色に満ちた表情をする。例外はただ一人、アンジュだけだった。シュバルツに敵意をありありと向けて隠そうともしない。
「随分と扇情的な格好だな」
「! 見るんじゃないわよ、厭らしい!」
ジャスミンとヴィヴィアンや他のノーマ達に対しては自分の今の格好を気にも留めていない様子のアンジュだったが、さすがにこんな姿を男に見られるのは恥ずかしいのか、頬を赤く染めて手で身体を隠すようにすると犬歯をむき出しにして睨む。
が、シュバルツは当然そんな敵意を意にも介さない。どうでもいいとばかりにアンジュから視線を外すと、彼女達の方へと向かって歩いてきた。
「何しに来たのよ!」
それが気に食わないのかアンジュが早速噛み付く。が、
「ここがどこなのか忘れたのか? 買い物以外に何がある」
と、シュバルツはにべもない。
「先日は世話になったな、ジャスミン」
そして、アンジュを無視してジャスミンに水を向けた。
「何のことかね?」
「花束と医務室のベッドのことだ。無理を言ってすまなかったな」
「ああ、あれかい。大したことじゃないさね。何でも揃うのがここの売りだからね」
「全く…たいしたやり手だよ、お前は」
「褒め言葉として受け取っておくよ。…で、何か新しく御入用かい?」
「うむ、実は「無視してんじゃないわよ!」」
和気藹々とした雰囲気の中で会話をしていたシュバルツとジャスミンだったが、自分を無視されたことに腹が立ったのだろうか、アンジュが割って入ってくる。
「ふぅ…」
疲れたように一つ溜め息を吐くと、シュバルツはアンジュに冷たい視線を向けた。
「な、何よ…」
シュバルツの視線を受けてアンジュは戸惑ったように声を上げる。会話に割り込んでおいてそれはないだろうと思ったシュバルツだったが、アンジュとしても何か深い考えがあって割り込んできたのではないのかもしれないなと思い直していた。ただただ自分が気に入らないだけなのだろう。
(それにしても、つい先日まではビービー泣いていたくせに、今はギャーギャーと煩いことだ)
冷めた視線を向けたまま、シュバルツはアンジュに対してそんなことを思っていた。と、
「なっ、何よ! 言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ!」
視線…目力に耐えられなくなったのか、アンジュがそう叫んだ。なので遠慮なく、
「つい先日まではビービー泣いていたくせに、今はギャーギャーと煩いことだ」
と、心中で思っていたことを一言一句違わずに口に出した。
「なっ…!」
怒りからか、アンジュの頬の紅潮がその色を増す。が、シュバルツはそれすら意に介した様子はない。
「何故怒る。貴様が言ったのだろう、言いたいことがあるならハッキリ言えと。だから思ったことを言ったまでだ」
「ッ、こいつっ!」
シュバルツの回答がお気に召さなかったのか、アンジュは振りかぶるとシュバルツの顔面に向けて拳打を叩き込もうとした。アンジュが何をやろうとしているのかわかったギャラリー達のあちこちから悲鳴が上がる。
(愚かな)
が、当事者であるシュバルツは冷ややかな視線のままで苦も無くそれを受け止めると、そのままアンジュの拳をしっかり握って前へと引っ張った。
「えっ、きゃっ!」
前に引っ張られてバランスを崩し、アンジュは悲鳴を上げながら前へと倒れこむ。持ち前の運動神経で顔面から着地することは何とか避けたものの、尻餅をつく結果になった。
「痛った…」
涙目になりながら尻を擦るアンジュ。その視線の先にはシュバルツがいた。まるで彼女を挑発するかのように薄く笑いながら。
「! バカにしてっ!」
すぐさま立ち上がるとアンジュは再びその顔面に拳を入れようとすぐさま立ち上がって走り出す。つい先程まで尻餅をついていたとは思えないほどの物凄いスピードで距離を詰めると、再び振りかぶってシュバルツの顔面に拳を叩き込んだ。が、入ったと思った瞬間、シュバルツの姿がその場から掻き消えた。
「えっ!?」
予想もしない展開にアンジュは虚を突かれたようになって急いで周囲に視線を走らせる。だが、360度見回してもそこには対象者の姿は無い。
(どこにいったのよ、あの男!)
いらいらしながらシュバルツの姿を探すアンジュ。と、
「ほえー…」
気の抜けた声が彼女の耳に入ってきた。何かと思って目を向けると、そこにはヴィヴィアンがポカーンと口を開けたまま、アンジュではなく彼女の少し上…頭上に視線を向けていた。
(何バカ面晒してんのよ!)
イライラからかヴィヴィアンに内心で毒づくアンジュ。と、妙なことに気がついた。ヴィヴィアンやジャスミンだけでなく全員の視線がある一点に集中しているのだ。それも、おやまぁとかえーとか嘘ぉとかの驚愕とも感嘆ともつかない声色と共に。
そして彼女達のその視線が集中しているある一点。それは己の頭上だった。が、アンジュ自身は頭上…というか頭に何の違和感も感じない。
(まさか)
しかしそこは勘の良さだろうか、慌てて探るかのように頭上でパンと拍手を打つ。当然のように何も捉えることは出来なかったが、それと同時に姿の見えなかったシュバルツが少し離れたところにその姿を現した。それも、どこからか飛び降りてきたかの挙動で。
「な、何、何をしたのよ!」
半ば答えはわかっているが、それはありえないことであるために虚勢を張るかのように叫ぶ。それに対してシュバルツは、
「さてな」
と、不敵な笑みを浮かべながら一言答えるだけだった。
「っ! いいわ。だったら力ずくで聞き出してやるわよ!」
己を奮い立てるためだろうか、アンジュはまたシュバルツに挑みかかる。だが仏の顔も三度までということだろうか、今度はシュバルツも大人しくはしていなかった。先程までと同じようにアンジュの攻撃を難なくかわす。そして、
「はっ!」
左手の五指の指を伸ばすと手刀を作り、それをアンジュの延髄に叩き落したのだ。
「がっ!」
延髄から全身に走る衝撃に思わずアンジュは短い悲鳴を上げる。そしてそのまま糸の切れた操り人形のように床に突っ伏した。
(あ、あれ…)
すぐさま起きようと試みるアンジュだったが、どうしたことか身体に力が入らない。どころか、指の一本すら動かせなかった。ならばと声を出そうとするもののそれすら出来ない。
「やれやれ…」
そんなアンジュを一瞥しながらシュバルツは疲れたように溜め息を吐いた。
「アンジュ? お~い、どったの、アンジュ?」
ヴィヴィアンがアンジュの元に駆け寄って顔を覗き込みながら尋ねるも、当然アンジュは何ら反応出来ない。
「…何をしたんだい?」
シュバルツの元へと歩み寄ってきたジャスミンが尋ねた。
「大したことはしていない。身体の自由を奪っただけだ」
「ほえ? それじゃあアンジュ、ずっとこのまま?」
(縁起でもないこと言わないでよ!)
内心で毒づくアンジュだったが、そのことを想像してしまったのだろうか、急激に青ざめた。が、
「いや、十分もすれば普通に動けるようになる」
そう言われて安堵する。
「だがそれまでは、その格好で少し頭を冷やすのだな」
そしてシュバルツが冷たくそう宣告すると懐から一枚のメモ書きを取り出し、それを開いてジャスミンに渡した。
「これは?」
「都合をつけてもらいたい。何とかなるか?」
「ふむ…こっちのやつらはまあそう難しくは無いけど、こっちのほうはオーダーメイドで発注しないといけないから、少し時間がかかると思うよ」
「構わん」
「そうかい。なら承っておくよ。…しかし、こっちのこれは何なんだい、こりゃ?」
「まあ、もしものための用心だ。あまり詮索しないでもらえると助かる」
「わかったよ。金さえ払ってもらえればブラジャーから列車砲まで何でも用意するのがこのジャスミンモールだ。なるべく早めに都合つけるよう手配しようかね」
「感謝する」
「いいさね」
「ねーねー、シュバルツぅ」
アンジュを覗き込んでいたヴィヴィアンが顔を上げた。
「ん?」
「アンジュ、どうしたらいい?」
「どうもこうも…放っておけ」
「へ? いいの?」
シュバルツの答えにヴィヴィアンが素っ頓狂な声を上げた。
「さっきも言っただろう、十分もすれば普通に動けるようになる。そのぐらい放っておいても実害はあるまいよ」
「そっか。そうだね」
納得したのか、ヴィヴィアンはその場を離れていった。まだ欲しいものがあるのだろうか、モールを眺め始める。
「それじゃあ、これは確かに受け取ったよ」
「ああ」
ジャスミンも用件は済んだとばかりにその場を離れた。後に残ったのはシュバルツと、無様な格好で床に横たわるアンジュのみ。
「己の未熟さを恥じるがいい」
そしてシュバルツもそれだけ言い残すとこの場を去っていった。最後に残った動けないアンジュは悔しさや恥ずかしさなどがないまぜになった気持ちになりながら、身体が自由を取り戻すまでその場で他のノーマたちから侮蔑や嘲笑の対象となっていた。
「いーやーだっ!!!」
同時間軸、ヒルダの私室にて、ヒルダに話があると呼ばれたロザリーとクリスはここに脚を踏み入れ、そして彼女からの話を聞いたロザリーの開口一番の返事がこれだった。
「はぁ? ロザリー、あんた悔しくないのかよ」
あまりにも強いロザリーの拒絶に初めはビックリしたヒルダだったが、すぐに不快そうに表情を変えた。
「そりゃ悔しいさ、お姉さまをあんな目に合わせた奴をこのままにしとくなんて。何とかできるもんなら何とかしたいさ。でも、あのクソアマからはあたしはもう手を引く!」
それでもハッキリキッパリとロザリーは意思表示をした。いつも強い者にくっついてコバンザメのように処世してきた彼女にしては本当に珍しい態度である。
「うん。私も賛成」
そしてクリスもロザリーの言葉に賛同した。いつもと同じような陰気とも弱気とも取れる雰囲気は変わってないが、それでもこちらも彼女には珍しくハッキリと意思表示をした。
「あいつは気に入らないよ。でも、もう手は出したくない」
「ハッ、情けないねぇ。あんな脅しにビビッちまってさ」
「ヒルダはあの男に敵意を向けられたことが無いからわかんねーんだよ!」
「そうだよ。本当に怖かったんだから…」
思い出したのだろうか、クリスが小刻みに身体を震わせる。ロザリーの表情も青ざめていた。
(チッ、使えねー)
そんな二人の様子に内心でヒルダは毒づいた、ヒルダが二人に持ちかけたこと。それは、今後もアンジュをイビって追い詰めてやろうというものだった。ヒルダにはある大きな目的があり、それを達成するために自分に有利になるようなことに対して彼女は貪欲だった。その中で、着実に力をつけてきているアンジュのことが目障りになってきたのだ。ゾーラに釘は刺されているものの、やっちまえばこっちのもんだと思っていたし、いざとなったらスケープゴートを仕立てればいい…そういうドス黒い思惑もあってスケープゴートの候補役であるロザリーとクリスに話を持ちかけたのだが、結果はご覧の通りという有様だった。
「ふぅ、わかったよ」
ガシガシと頭を掻きながら、ヒルダは苦虫を噛み潰したような表情でそう呟いた。
「え?」
「そこまで言われちゃあ、あたしも無理強いは出来ないしね。取り敢えず収めることにするよ」
「ホントに…?」
「おいおい、あたしを疑うのか? 『友達』だろ、あたしらは」
ぬけぬけとその単語を使う。例え腹の中でどう思っていても、表に出さなければその言葉は実に効果的だった。
「そ、そうだよな」
「ああ。悪いようにはしねえよ。信用しろ」
「よかった…」
クリスが心から安堵したように胸に手を当ててホッと息を吐いた。ロザリーもふうと一息つくと、いつの間にか額に滲んだ汗を袖口で拭った。
「それじゃ、ゾーラの見舞いにでも行くか」
「お、いいね、行こう行こう!」
「うん、そうだね」
ロザリーとクリスが連れ立ってヒルダの部屋を後にした。その少し後ろをヒルダがついていく。
ゾーラの見舞いに行くということが嬉しいのだろうか、楽しそうに話しながら進んでいく二人を見ながらヒルダは不敵な笑みを浮かべていた。
(あんたらが頼りにならないんじゃ、仕方ないよねぇ…)
その笑みは、まるで猛禽か蛇を想像させるような凄みのある、そして悪意に満ちたものだった。
同日夜、サリアとヴィヴィアンの共同自室にて。
ヴィヴィアンは自分の寝床であるハンモックに横になって足をバタバタさせながら、自筆の欲しいものリストを見ている。対してサリアは椅子に腰掛けて、机に向かって読書をしていた。その顔には普段は無い眼鏡がかかっている。
「あたしなんてー、欲しいものばっかなのにさー。寂しいよねー、欲しいものがないってのもさー」
そういうと、ヴィヴィアンが身体を起こしてハンモック上で胡坐をかいた。彼女が話の俎上に出したのはアンジュのことである。
あの後、身体が動くようになったアンジュにパラメイルの武装を一つお勧めしてみたのだが、シュバルツに赤子の手を捻るようにあしらわれたアンジュは制服だけ新たに購入するとプリプリと怒気を撒き散らしながら帰っていったのだ。
そのことを言っているのだが、水を向けられたサリアは特に反応を示さないで読書を続けている。そんなサリアに、
「ここでクイズっす。サリアは何を読んでるんでしょうか!」
と、お得意のクイズを出した。とはいえ、出題したのはサリアに向けてなので、答えられないわけが無い。
「指導教本。…難しいわね、部下を掌握し、部隊を安定的に運用するのって」
長時間読書していて肩が凝ったのだろうか、サリアは自分の手で己の肩や首筋を揉んだ。あくまでもゾーラが復帰するまでの暫定措置なのだが、それでも生真面目に職務に取り組むのがサリアの良いところでもあり悪いところでもある。
「それで? 出来そう?」
ヴィヴィアンが尋ねる。が、
「そう簡単にいけば苦労しないわ」
サリアから返ってきた返答は芳しいものではなかった。
「なーんだぁ」
サリアの返答につまんなそうに呟くと、ヴィヴィアンは再びハンモックの上に横になった。そんな彼女から視線を外すと、サリアは再び本に目を戻す。が、目は本に向けながらも思考は全く別のことを考えていた。
(ジル…。約束したじゃない、あの機体はあたしにって)
脳裏に浮かぶのは敬愛して止まない司令官。そして自分のものになるはずだったあの機体…ヴィルキスのことだった。そんな思いにとらわれていたからか、ヴィヴィアンがハンモックから降り、こっそに近づいてきているのにもサリアは気付かなかった。
「サリア、又怖い顔してる」
言うが早いか、ヴィヴィアンはサリアの顔から眼鏡を取った。
「あ、ちょっと」
眉根を寄せ、眼鏡を取り返そうとするサリア。
「サリアは、いつものアレ読んでる時の方がいい顔してるぞ!」
しかしそんなサリアを気にすることも無く、ヴィヴィアンは言葉を続けた。
「アレ?」
ヴィヴィアンのいったアレというのが何を意味しているのかわからず、サリアが怪訝な表情をする。と、
「ほれ、引き出しの二段目に入ってる、男と女がチュッチュするる本」
「!!!」
アレの正体を知り、サリアが息を呑んだ。だが、そんなサリアを気にもせずにヴィヴィアンが小走りで自身の寝床まで戻ると一人芝居を始める。
「さあ、見せてごらん! 君の全てを!」
「ああん、そんなことぉ…」
ご丁寧にしなまで作って身体をくねくねさせる念の入れようである。しかし、それを笑って見過ごすほどサリアは大らかではない。
「っ!」
いつも携帯しているナイフを抜くと、それをヴィヴィアンに向かって投げる。それに気付いたヴィヴィアンが慌てて頭を抑えると、ナイフは勢い良くヴィヴィアンの顔の真横の壁に刺さった。
「今度勝手に漁ったら…ホント刺すわよ…」
恐らく今まで見てきた中で一番凄みのある表情と目つきでサリアが釘を刺す。その迫力に、さすがのヴィヴィアンもごめんちゃいと謝るしかなかった。
「全く…」
サリアが呆れたように呟くと視線を本に戻した。が、
「でもあの本の男の方、なんかシュバルツに似てたような気がするなー」
何気なく呟いたヴィヴィアンの一言に、サリアの顔が一瞬で真っ赤になった。
「き、気のせいだから!」
そして即座に顔を本で隠して否定する。
「そっかなー?」
「そうよ!」
「んー…?」
「も、もういいから! 食事にでも行ってきたらどう!?」
そして、まるでタイミングを見計らったかのようにヴィヴィアンの腹が鳴った。
「おお、ホントだ。メシターイム! サリアも行こうよ!」
「わ、私は、もうちょっと勉強してからでいいわ!」
相変わらず本に顔を埋めたままサリアがそう言った。
「そっか、了解」
もう興味は食事に移ったのだろうか、ヴィヴィアンはそんなサリアを追及することもなくスタスタと部屋を出て行った。そしてヴィヴィアンが出て行った後も、サリアの顔は暫く真っ赤なままだった。
「部隊を安定して運用? ムズイムズイ」
部屋を出て食堂へ向かいながらヴィヴィアンはサリアの言ったことを反芻しながらぼやいていた。指揮官の悩みなど、彼女にとっては一生縁のないものであろう。と、
「あ、そうだ!」
いいこと閃いたとばかりにポンと手を打つ。そして食堂へと走っていった。
食堂では食事を食べに来たノーマ達が思い思いの場所に陣取り、集団や単独で食事を取っていた。
そんな中、アンジュはいつものように一人で黙々と食事を取る。ここの、決して美味いとは言えない食事にも慣れてきてしまったのか、とにもかくにも少し口を付けて匙を投げ出すようなことはしなくなっていた。と、
「どうだ、美味いだろー!」
いつの間にか近くに来ていたヴィヴィアンが勝手に真向かいに陣取る。
「今日のご飯当番は、エルシャだからね。ラッキーさん!」
そして厨房にいるエルシャへとグッと親指を立てる。それに気付いたエルシャがあら~と、コックの姿でアンジュ達に手を振ってきた。
「エルシャのカレーはちょー美味カレー! いただきまーす!」
いつものように元気一杯でいただきますをするとすぐにカレーを掬って口に含む。
「美味ーい!」
本当に、見ているほうが気持ちいいぐらいの食べっぷりである。これだけ喜んでくれれば作ったほうも冥利に尽きるというものであろう。しかし真向かいに陣取られたアンジュの表情は優れないものだった。
「あ、そうだ」
そんなアンジュの様子を気にする素振りもないヴィヴィアンは何かを思い出したのだろうか、ポケットをゴソゴソと漁ると何かを取り出す。取り出したそれは、決して可愛いとはいえない継ぎ接ぎの熊のマスコットがついたキーホルダーだった。ぺロリーナという名前のマスコットである。
「さあ、ここでクイズだ。これは一体何でしょう?」
いきなりのことに困惑顔で言葉を詰まらせるアンジュ。と、時間切れなのだろうかヴィヴィアンが口でブーッと不正解の音を鳴らした。
「正解は、お揃ーい!」
「はぁ…?」
ヴィヴィアンが何を言いたいのかわからず、アンジュはますます困惑顔になる。それとは対照的に、ヴィヴィアンは変わらぬ様子で話を続けた。
「あたしと、ヒルダとアンジュでフォワード組んだら、今よりもっと凄い連携できると思うんだよねぇ。だから、その証」
そう言って、嬉しそうにぺロリーナのキーホルダーを手渡そうとするヴィヴィアン。だが対照的にアンジュはそれを聞いて険しい表情になると、パンとそれを払いのけた。
そんな態度を取られるとは思ってもいなかったヴィヴィアンは思わず手を滑らせ、三つのぺロリーナのキーホルダーは哀れカレーの海に落ちることとなった。
その惨状にヴィヴィアンの表情が凍りつき、瞳が揺れる。
「言ったでしょう」
そんな彼女を侮蔑するような表情で見下ろすアンジュ。そして、
「一人で大丈夫って」
それだけ言い残すと、トレーを持ってその場を立ち去った。
「アンジュぅ…」
悲しそうな表情でアンジュの後姿を見送るヴィヴィアン。その行動に、食堂内にいた他のノーマ達は厳しい視線を向ける。
「アンジュちゃん…」
エルシャも寂しそうに呟く。そしてもう一人。
(少しはマシになったかと思ったが…)
物陰からその様子を窺っていたのは、誰あろうシュバルツだった。シュバルツもアンジュやヴィヴィアンと同じように食事に来たのだが、アンジュとヴィヴィアンが同じテーブルに着いているのを見て姿を消して様子を見ていたのだが、今までと変わらぬアンジュの様子に溜め息を吐かざるを得なかった。
(現時点では本当にどうしようもないな、あの皇女殿下は)
厳しい視線をアンジュの後姿に向けるシュバルツ。アンジュは彼女の望むとおり、着実にこのアルゼナル内で孤立しつつあった。
その夜、整備班の仕事が終わって照明の落ちた格納庫に、一つの影が走っていたことは誰も知らない。
影はヴィルキスの前で立ち止まり、そして不敵な笑みを浮かべるとヴィルキスに向けてゆっくりと近づいていった。
一夜明けて翌日。まだ朝も早い時間帯、アンジュは自室でゆっくりと眠りに就いていた。朝の穏やかな時間だが、その穏やかな時間は似つかわしくない慌しい警報の音で破られることになった。
ヴィーンヴィーンというけたたましい警報の音と共にアンジュが跳ね起きる。いや、アンジュだけではない。どこもかしこも同じだった。
『第一種遭遇警報発令。パラメイル第一中隊、出撃準備。繰り返す、第一種遭遇警報発令。パラメイル第一中隊、出撃準備』
金髪のオペレーター、パメラの管内放送が響き渡る。
「よし、デッキに回せ」
格納庫ではメイの指示が響き渡る。その間も続々と敵の数や出現予想位置、気象状況などの各種情報が管内に伝わっていた。同じように第一中隊も各員パイロットスーツに着替え、次々とデッキに集合する。
「総員、機乗!」
サリアの号令と共に第一中隊の面々が自機に搭乗する。当然アンジュもシートに腰掛けようとするが、その瞬間、臀部に刺すような痛みが走った。
「っ! 痛った!」
何なのかと思って確認すると、それはどこにでもある画鋲だった。
「っ! 低脳なゴミ虫がっ」
ハッキリ誰の仕業かはわからないが、当たりはつく連中の顔を思い出して忌々しそうな表情をする。が、そんなことに構っていられるような状況ではない。
「アンジュー!」
呼ばれて視線を向けると、そこにいたのはメイだった。
「出撃前最終確認を! PMA外装系異常なし。内装系は?」
「ああっ、もうっ…問題ありません!」
先程と同じように忌々しそうに発進の準備をする。その間にも発進に向けてシークエンスは着々と進んでいく。
『各機、セーフティー解除。フォースゲートオープン』
「全機、発進準備完了!」
『進路クリア、発進どうぞ』
「サリア隊、発進します!」
サリアの号令と共に彼女の水色の機体がまず空へと旅立つ。それを追うように第一中隊の他の面々の機体も空へと旅立っていった。
『ジル』
そのタイミングで司令部のジルへと通信が入ってきた。
「シュバルツか、何だい?」
通信の送り主、シュバルツにジルが答える。
『今回、私はどうすればいい?』
「接敵宙域が遠いからね。待機していてくれ」
『それでよいのだな?』
「ああ」
『了解した。必要となったら呼んでくれ』
「わかった」
そこで通信は終わる。ジルは意識を再び戦闘へと向けるのだった。
『シンギュラーまで12000』
「了解。全機セーフティー解除」
シンギュラーへと向かって編隊を組んで飛ぶ第一中隊。
「ドアが開くぞ!」
サリアが指摘したとおり、雷雲もない青空に稲妻が走ると空間が歪んで口を開けたようにドア…シンギュラーが開いた。そしてそこから、いつもと同じように自分達の敵…ドラゴンが姿を現す。
「ファイア!」
号令一下、各パラメイルの砲塔・機銃が火を吹く。だがそれで怯むようなドラゴン達でもなく、被弾しなかった者、あるいは大したダメージを受けてない者は悠々と第一中隊に向かってきていた。
各自が応戦する中、ある意味いつもどおりにアンジュが隊列を乱して突貫する。
「アンジュ、勝手に突っ込むな!」
サリアが窘めるものの、素直にそれを聞き入れるような痛姫様ではない。いつものように勝手に戦線を引っ掻き回していく。そして、
「はああああっ!」
スクーナー級の一匹と対峙しようとしたときにそれは起こった。突如、ヴィルキスのエンジンから黒煙が吹き上がり、制御か利かずに高度が下がっていく。
「うぉう、アンジュが!」
『何をしている! 早く機体を立て直せ!』
サリアからの通信が入るが言われなくてもそんなことはやっている。が、いくら立て直そうとしても状況は好転しない。
それでも何とかしようともがいているアンジュの隣に、いつの間にかヒルダがやってきて併走していた。
「助けてやろうかぁ?」
バカにしたような薄ら笑いを浮かべるヒルダ。そしてそんな言葉に素直に頷くほどアンジュは素直ではなかった。あるいはその笑顔の裏を読み取ったのかもしれない。
「失せろ、ゴキブリ!」
何とも辛辣な拒絶の言葉を浴びせ、必死に体勢を整える。その甲斐あってか何とかアサルトモードへの変形は成功するものの、コントロールは復帰せずにスクーナー級の一匹の突撃をその身に受け、揉み合いながら海面へと叩きつけられた。
「ヴィルキス!」
サリアがアンジュではなく機体の名を呼んで助けようと機首を反転させる。が、
『どこへ行くのサリアちゃん! おっきいのが出てくるわ!』
エルシャの通信と共にブリック級がシンギュラーから現れる。
『今は殲滅が最優先よ!』
それを視認し、またエルシャの通信に理があると判断したサリアは断腸の思いで反転した機首を戻し、己の任務…ドラゴンの掃討へと戻っていった。
「目標、前方のブリック級。総員突撃!」
その間にも海に落ちたヴィルキスはスクーナー級との揉み合いを続ける。だがコントロールの利かない機体ではいかんともすることが出来ず徐々に劣勢に追い込まれていく。そしてとうとう、海水がコックピットに浸水してきた。パラメイルのコックピットには機密性というものが皆無で、こういう状態になってしまうと対処の仕様がない。
(くそっ!)
無念の思いと共に、アンジュは海水に飲み込まれて意識を手放していったのだった。