Plongez dans le "IS" monde. 作:まーながるむ
――シャル、やっぱりただのお友達に戻りましょうか――
一縷の望みをかけて……どうしてと、せめて聞き返すくらいはしてほしくて、私はそう言いました。
本当は恋人でいたい。友達になんか戻りたくない。
そう、心の底から……いえ、もはやこれは魂に刻みつけられた感情なのかもしれません。
昨日、私は確かにシャルの心に触れられたのに……
――うん、そうだね。そうしようか――
シャルは、刹那の間も開けずに……悲しそうな顔さえ見せないまま、そう……私に応えました。
私に理由すら問い質さないシャルは……やっぱり、たったの一日で私に見切りをつけてしまったのでしょうか?
これっぽっちも悲しいと思わないくらい、私に幻滅し、辟易としてしまったのでしょうか?
恋人であり続けようという努力でさえしたくなくなってしまうくらいに?
あれだけ必死に私に思いを伝えてくれたシャルは夢だったのでしょうか……そんなに……そんなに早く、人のことを見限ることって出来るのでしょうか?
……やっぱり、こうなるなら何も言わなければよかったです……そうすれば、例えシャルが私を好きでなくなったとしても一日、二日と恋人でいられる時間は延びたはずなのに……
シャルが別れたがってるなら私からなんて……そんな風にかっこつけないで、泣いて、抱きついて、私のどこがダメだったのかを聞いて直せば……あるいは……
でも、私はそういう泣き方は出来ないんですよ。
そうやって、人から同情を受けるような真似は出来ないんです。
だって……迷惑がかかるじゃないですか。
それに、シャルに泣きついたら余計にウザがられるかもしれません。昨日もしつこくキスをねだったり抱きついたりしたのに……恋人でなくなった今も図々しくなることなんてできません。
余計に嫌われるかもしれないじゃないですか。
「お姉様!」
「エリーさん……」
とにかくスッキリしようとシャワールームに歩いていたら、後ろからエリーさんが飛び付いてきました。
「お姉様、酷いです! もう、お二人とも部屋から出られるのであれば起こしてくださってもよろしいのではないですか?」
ああ……どうやら部屋に一人残してきたことがエリーさんは不満だったようです。顔は普段通り冷静そうなのですが、少しだけ眉が釣り上がり頬は膨らんでいます。
……私も、せめてこれくらいは感情を表にだしていたら……
「……エリーさん。あの、シャワールームに行きたいので離してくだ、」
「お断りさせていただきます」
「……え? 今、なんて?」
「お、お断りさせていただきます!」
……へぇ。そうですか。
なら、強引に引き剥がすだけです。
手の骨程度、握り潰すくらいわけないんですから……
「痛っ……」
「エリーさん、離してください……手遅れになりますよ?」
まだ、骨は砕いてはいませんがこのままでは粉砕骨折……それも砕けた骨が周囲の筋肉をズタズタにしてしまうほどの。
運がよくても手が使い物にならなくなりますよ?
「お姉様……落ち着いてください……」
「落ち着いていますよ?」
「お願いします。どうか、落ち着いてください……私の右手を砕いても構いませんから……私を抱き締めてくれたお姉様に戻ってください……」
「っ!? ……私は、なにを……?」
私を慕ってくれているエリーさんになにをしようとしましたか……?
エリーさんは、何も関係無いのに……そもそも悪いのは全て私で、誰かに八つ当たりすることさえ私には許されていないのに……!
なのに……エリーさんに取り返しのつかない大怪我をさせてしまうところでした。
私は……人を殺せるのも忘れて…………
「ああ、そっか……そうだったんですね……」
「……お姉様?」
叫び声をあげてもおかしくないくらい痛かったはずなのにエリーさんはそんな様子をおくびにも出さずに私に心配そうな目を向けてくれます。
痛がる素振りをしたら私が気にすると考えて……早くも痣ができているだろう右手は背中に隠されています。
私にはもったいないくらい優しい子です。
そう、私にはもったいない……
「お姉様? あの、お姉様が思われているほど力はこもっていなかったので平気ですよ……?」
「なら、手を前に出してください」
「ほ、本当に何も問題ありません」
「右手を見せてください」
「それは……」
……数十秒見つめあって、結局エリーさんが折れてくれました。
差し出された右手は、本来ならば真っ白であったはずの肌に青々とした痣が浮き上がり始めていました。
この調子だと一時間もすれば右手全体が紫色に染まるでしょう……私が握り潰そうとしたんですから、当然と言えば当然ですね。
「……お姉様の精神状態は端から見ていても異常でした。この怪我のことは気にしないで下さい」
「……精神状態なんて言われている時点でダメなんです」
「え?」
「やっぱり、私の本性はこれなんですよ。根っからの暗殺者……傷つけることしか能がない殺しの道具。拳銃やナイフと同じ私がなにかを感じるなんておかしいじゃないですか」
口からは自然と乾いた笑い声が漏れます。
喜怒哀楽関係なしに相手を殺すのが暗殺者。それは道具と同じで……それなら感情なんてものを持つこと自体が不自然なんです。
誰かに恋をするなんて……その最たるものじゃないですか。
「人を殺していない暗殺者なんてナンセンスです。お姉様は誰も殺していないじゃないですか」
「いえ……殺しました。それも何人もの人を……」
「では…………やはり昨日話していた千人以上を殺してしまった人と言うのは……」
……覚えてましたか。
この世界ではない世界での出来事ですが、だからといって無かったことになるわけではありません。むしろ、だからこそ、私はそのことを忘れてはいけなかったのに……
シャルも、道具の私に恋するなんてことがおかしいと気付いたのかもしれません。道具を大切にするのと、人に恋をするのは違いますから……
「だから……シャルロット・デュノアに別れを告げたのですか?」
「へ?」
私、言ってないのに……
「ごめんなさい。私はあの時点で目を覚ましていました」
「そっか……でも、今までのは全部後付け……本当はシャルに嫌われたくなかったから……ううん、嫌われるのが怖くなったから嫌われても仕方ない理由を作っていただけなんです」
付き合い始めて、キスをして……気持ちが最高潮になったときに別れれば、私を知ってガッカリさせることもなく、私への気持ちがずっとシャルの中に残りますから……
ズルいなんていうのは知っています……でも、ズルいのは女の子の特権ですから許してほしいですね……
「では、どうして今にも泣き出しそうな顔をしているのですか?」
「それは……」
シャルが、別れを告げても動揺してくれなかったから……そう、シャルにとって、私がどうでもいい存在になってしまっていたからです。
「どうして、何も聞いてくれなかったんですか? どうして、悲しそうにしてくれなかったんですか? ……もしかしたら、シャルはやっぱり道具の私に見切りをつけていたのかも、」
「っ!」
ぱしんっ……
エリーさんに頬を叩かれました。
バカらしいなんてことは分かっています。
「そうです。シャルは、そんな酷いことを!」
「そうじゃありません! ……ご自分を道具だなんて言わないで下さい」
「でも……」
私は拳銃と同じ人を殺せるものなんですよ……?
「それでも……それでもご自分が“人間”に愛されるのが怖いと……そんな資格がないと思うなら……」
「思う、なら?」
私は、どうすればいいんですか?
「……私が……人間の形をして産まれてきただけ私がお姉様を愛します……その、女性同士の愛し合い方と言うのは分かりませんが、努力は惜しみません。お姉様も、私になら愛されても怖くありませんよね……?」
「ぁ……」
違う……違うんです!
私は、エリーさんにこんなことを言わせようなんて思っていなかったんです!
エリーさん……なんで、笑っていられるんですか……?
「私は優れた軍人となるべく作り出されたので……お姉様以上に人殺しの道具です。私も……人間でありたいと願っていましたが……」
お願い……それ以上、言わないで……!
違う、違う、違う!
私は仲間になってほしかったんじゃないんです!
エリーさんを傷つけようなんて……私にとって、エリーさんは間違いなく人間だったから……
「お姉様を支えられるなら、喜んで自分は道具だと認めましょう」
私は、なんて罪深いことをしてしまったのでしょうか……自分のことで頭が一杯になっていたからとはいえ……これは、エリーさんに対してあまりにも酷すぎます。
エリーさんを抱き締めて、貴女は人間だと言ったのは他ならない私なのに!
……どうして、私はこうなのでしょうか。自分のことも他人のことも傷つけることしかできないなんて……
「お姉様……私の敬愛が恋愛感情に変わるのには時間がかかるかもしれませんが、私に女性の愛し方を教えてください」
そのうえ、私のためを思って……いつかの私以上に捨て身で私を助けてくれようとしてくれているエリーさんを、
「ごめんなさい……私のシャルへの気持ちは感情なんてものに収まらなくて……最早、呪縛なんです。だから、エリーさんを大事にすることはできないんです」
「お姉様……私は!」
平気で切り捨てるなんて……
「私は、本気でお姉様のために人生をかけてもいいとんっ!?」
「んっ……」
ぐいっとエリーさんを引き付け強引に唇を奪いました。
唇を触れさせるだけで私からは何もしません。
……それでも、エリーさんは私を突き飛ばし、腰を抜かしてしまいました。
「気持ち悪いですよね……? 私もエリーさんは好きですよ。それでも、これを……これ以上のことを無理矢理に押し付けたくはないです」
「ち、違っ……今のは驚いてっ!」
弁解しようとしてくれるエリーさんを手で遮ります。あんまり年下の子に甘えるというのも恥ずかしいですから。
「その反応は普通のことですから我慢しなくていいです……普通の人には受け入れがたいものだということは知っていますから……」
「あの、でも……私はお姉様を……」
確かに私を気持ち悪いと思っているはずなのに、それでも私を悲しませまいとしてくれるエリーさんを見て少しだけ笑えました。
こんな自分にも味方になってくれようとしている人がいると……少しだけ元気が出たような気がします。
「エリーさん、もう十分です。これからのことは私が自分でどうにかしないといけないことですから」
「私はお姉様の力になりたいのです……」
「ありがとうございます……それなら、私とシャルがちゃんと友達に戻れるように祈ってください」
頑張るのは私だけであるべきだと思うんです。
あわよくば恋人に……とも期待していますがシャルがなんの未練も感じさせずに離れてしまったことを考えると……泣いちゃいそうです。
それに……元に戻るだけです。
幸せすぎる夢を見てしまったと考えて、昨日のことはなかったことにしてしまいましょう。
「友達に戻って……どうするんですか!? そんなの、気持ちを燻らせているだけ辛でいだけなのに……!」
「……私は、シャルに我慢させる方が辛いんですよ。エリーさんも恋をすれば分かるかもしれませんよ?」
「……私が恋をするとしたら……お姉様のような人がいいですね」
「私みたいな男の人なんて頼りなくてダメですよ」
「確かに奥手すぎてヤキモキしそうですね」
ここで大人っぽく流し目を寄越すエリーさんは将来、多くの男性を泣かせる気がします。
というか言われちゃいましたねぇ……
「お姉様はもっと前向きになるべきだと思います。心配してばかりだと何も達成できませんよ?」
前向きに……ですか。
うーん……昨日のことはなかったことにしたんですから、まだ私は諦めません……という感じでしょうか?
そうですね……今度は私から想いを伝えましょう。
夢で付き合って別れたくらいのことじゃ今さらですよ。だって最初はすごく嫌われてたんですから。
ねぇシャル……また、私のことを好きになってくれますか……?
◇
「というわけで皆さんの協力が必要です」
シャルロット・デュノアを除く面々を作戦会議室に集めての密談です。
「電撃破局とはこのことね……」
「外から見ればありえないのですが……勘違いに勘違いを重ねて更に思い遣りをプラスするアリサさんのことですから……」
「まぁ、あの子も無駄に考えすぎなのよ」
比較的、お姉様に対して気安いお二人は驚くというより呆れの感情が強いようです。
その表情にも焦りなどはなく、ただ苦笑があるだけです。
これだけのことがあっても、またかと言われてしまうなんて……普段のお姉様の暮らしが気になりますね。
「アリサは鈴とセシリアに任せるとして……私はシャルロットだな」
「隊長、お伴いたします」
隊長の言葉に間髪入れずに副隊長が言いました。
「……副隊長はあまり関係無いかと」
「エリー、アリサさんは隊長の学友です。ならば私にとっても身内のようなものではありませんか」
「と言いながら賭けが不成立になるのをむぐぅ!?」
「な、なな、なんのことでしょう? エリーはたまにおかしなことを言いますね」
私の暴露を食い止めようと副隊長が飛びかかってきましたが……慌てすぎなのであまり意味がありませんよ?
(な、なんで賭けのことを知っているのですか!?)
(基地内部のことで私が知らないことなんてありませんよ?)
基地内に私がいる限り
重要度が高いと判断された情報しかリアルタイムには受け取れませんが探せば全ての出来事は私の手の内です。
……だいたい、内緒話とか言い争いとかは裏切りの可能性に繋がるのですぐにわかりますよ。
「クラリッサ、賭けとはなんのことだ? 軍則で賭け事は禁止されているはずだぞ?」
「うっ……し、しかし軍とは無関係の民間人との賭け事は、」
「ほぉ、それでアリサと何を賭けたんだ……?」
怒られてやんの……なんてことは考えてませんよ?
そもそも副隊長に意地悪するためではなく必要なことだから暴露したわけですから。
「賭けの内容は三日目、つまり明日、凰鈴音と隊長のどちらが織斑一夏とデートできるか、という内容のものです」
「な、エリー!?」
ドイツの
それに口の動きから文脈を判断して内容を予測する疑似読唇システムもありますから基地内での隠し事はまず不可能ですよ。
……それを知っているから、私は基地の外に出られないのですけどね。
「へー……そんな賭けしてたんだ? どうせ私が勝つにきまってるのに」
「クラリッサへの処罰は後で決めるとして……負けるわけにはいかないな」
ばちばちばちと視線で火花を飛ばす凰鈴音と隊長……あの、織斑一夏もこの場にいることを忘れてはいませんか?
……もちろん私が言えることではないのですが。
「箒!? なんで耳を塞ぐんだよ!」
なるほど……篠ノ乃箒が織斑一夏の耳を塞いでいたのですね。
今はいわゆる空気が読める篠ノ乃箒ということでしょうか……まぁ、二人の気持ちが織斑一夏に知られたら自分が不利になるからかもしれませんが。
「それにしても……意外だな」
「隊長、なにか?」
「お前が軍外部のことに興味を持つのを見るのは初めてだからな」
そう、ですね……私は基地という繭に閉じ込められた蚕の幼虫。成長して繭を食い破る前に殺される運命だと思っていましたから。
だから今までは外の世界に興味など示さずに生きてきたのですが……お姉様に逢って、変わってしまったのかもしれません。許されるとは思えませんが、それでも基地の外に出た時のことを夢想してしまいます。
……自分が外に出たいと思っているかは、また別問題なのですけどね。
私は皆が思うより臆病なので。
「エリー、どうした?」
「いえ、何でもありません。とにかくお姉様とシャルロット・デュノアのことをどうするか考えないといけません」
話が脱線してしまう前になんとか元に戻せたように思います。
「お互いに誤解をしてしまっているのでドイツ滞在中に、というのは難しいかもしれませんが……」
それはドイツはおろか基地からもあまり出られない身としては歯がゆいですね……
せっかくのドイツ旅行がお姉様にとって嫌な記憶になるのは辛いです。ですからこうして大勢を動員して無理矢理にでも解決させてもらいたいのです。
「なに、簡単よ。要するにアリサとシャルロットが素直になればいいんでしょ?」
「ええ、ですがお互いが誤解していることを伝えようにもさすがに誤解の内容はわからなかったので説得力があるかというと……」
お二人が誤解しているのは明確なのですが根拠がなければお二人を納得させることも出来ないでしょうし……
「まぁ、アリサの方は特に準備はいらないからシャルロットの方考えましょ。アリサなんて二秒で攻略できるわ」
「鈴さん……もしかして、」
「多分それよ。効果的でしょ?」
凰鈴音とセシリア・オルコットが無言で頷き合います……何をするつもりかは分かりませんが任せて良さそうです。
さて、そうなるとシャルロット・デュノアの方が問題となるのですが……
「彼女と一番親しいのは誰ですか?」
「アリサさんを除けば……やっぱりラウラさんですわ」
「わ、私か!?」
「だって私とセシリアは最初はシャルロットが好きじゃなかったし、一夏は男だから仲がいいって言っても別でしょ? それならラウラでしょ」
「ちょっと待て! 異論はないがどうして私の名前は出さないんだ!?」
「え、論外でしょ?」
「論外ですわね」
「まぁ、そうだな」
「な、なんだと……私はそこまでシャルロットに嫌われていたのか……?」
……いくらなんでも篠ノ之箒が憐れだと思うのですが、これでいいのでしょうか?
その、私から見れば彼女が特別嫌われているようにも思えません。
と、そこで織斑一夏が動きました。
「箒、そうじゃない」
「一夏……そうだな。ただの冗談に反応してしまったか。これだから私は空気読めないと言われてしまうんだ」
「そう、箒がKYだから論外なんだ。大人しくしててくれ」
……うわ、彼もなかなか容赦ない人だったんですね。
慰めてから突き落とすとか思い付いても実行する人は少ないでしょう……
「ということで、俺は箒が余計な手を出さないように監視するからシャルロットの方は任せた……ほら、箒行くぞ」
「ああ……」
織斑一夏が篠ノ之箒の手を引いて退場しました。
手を引かれて連れていかれるというのは少なくとも凰鈴音と隊長にとっては羨ましいはずですが……二人とも妙にほっとしていますね。
それほどまでに篠ノ之箒は要注意なのでしょうか?
「こほん……それで、隊長はシャルロット・デュノアについてのプランはありますか?」
「ん? ああ、そうだな……シャルロットはああ見えて執着心は強い。だから上手く嫉妬させることができればいいんだが……」
「このメンツじゃアリサと仲良くしてもいつものことだし、そもそも女同士だしね。アリサに近い男ってのも少ないし……さすがに二人のためとはいえ一夏をぶつけるのも嫌だし……」
嫉妬させることは難しいと……
「あら? わたくしには煽り役としての人材に心当たりがあるのですが……」
セシリア・オルコットが他の二人を意外そうな顔で見ています。彼女にとってはそれ以外は有り得ない、ということでしょうか?
しかし、まさかとは思いますがこの場にいない人間ではないですよね?
そうなると、さすがに呼び寄せるのは難しいので……
「いるじゃありませんか。このドイツでアリサさんとの距離が急速に縮まった人が……」
どこから取り出したのか真っ青な羽扇子を広げて口許を隠しながらニコリと一言。
「ねぇ、エリーさん?」