Plongez dans le "IS" monde. 作:まーながるむ
「アリサ・フワ……?」
「はい?」
テラスの手すりに腰かけて空を見ていたら不意に声がかけられました。
振り返ってみればクラリッサさんが立っていました。なにやら心配そうな顔をしていますけど……ラウラさんになにかあったのでしょうか?
「体調が優れないのでしょうか? それでしたら……」
「あ、いえ、考え事をしていただけなので……クラリッサさんこそなにか心配事があるように見えますけど、大丈夫ですか?」
「え?」
逆に聞き返したらさらに逆に聞き返されてしまいました。
いわゆるカウンター返しです。
もしかしたら自分がどんな顔をしているかも分かってないのかもしれませんね。
「あの、クラリッサさんはシュヴァルツェ・ハーゼの中で最年長なんですよね?」
「ええ、それがなにか?」
眉がピクリと動きましたよ!?
別に私はオバさんとか言うつもりじゃなくてですね……!
その、最年長だからこそ我慢していることもあるのではないかと思いまして……
「私でよければ……その、隊員さんには相談できないようなことがあるなら、私が相談に乗りますよ?」
「はい?」
「あの、えと、いつも、皆から言われるんですけど、自分のことが一番分かりにくいんだよって……そういうときは、他の人がいないと自分では悩んでいるつもりがなくても、いつまでも暗いままになっちゃうんです」
「はぁ……」
やっぱり、よく分からないって顔です。
私も、初めのうちは自分のことが分からないなんてことがあるわけないと思っていましたから、今のクラリッサさんの戸惑いも分かります。
「私には、クラリッサさんが悩んでいるように見えます。でも、自分では何に悩んでいるのか分からないでしょうから……私でよければ、最近あったことを聞かせてください。意識していなくても、不満なことがあれば自然と口から出てきてしまうものですよ?」
「なるほど……貴女は気を配ることができる人なのですね。リーダー向きの人格です」
「はい?」
えーと……あれ?
なんで私の話になっちゃったんですか?
ここはクラリッサさんが普段から感じている不満をぶちまける場面なはずですが……
「ですが自分に起きている問題を自覚するのが苦手ではいけません。そんな状態ではたとえ戦地でなくても怪我をしますよ?」
「はぁ……え?」
えと、私、もしかして叱られてます?
「鏡を見ますか?」
「へ?」
「先程、貴女が言った言葉の全てを貴女に返します」
「いったい、なんの話を……?」
「はぁ……」
えぇ!?
どうしてダメだこの子みたいな表情で溜め息つくんですか!?
私、なにか変なことしたでしょうか……?
「私ではどうしていいのか分かりませんが……そうですね。若い子たちの訓練を見に来ませんか? 同じくらいの年の子と話せば少しは気も晴れるでしょう」
「……? まぁ、分かりました」
なにがしたいんでしょうね?
ただ、最初のような顔はしていないのでいいとしましょうか。
「あぁ、そういえば、三日目のデートを勝ち取らせた方は負けた方のお願いをひとつだけ聞くことにしませんか?」
「ええ、私はそれでも問題ありませんが……貴女はそんなことをしていていいのですか? デュノア・シャルロットとの関係を最優先にする方が、」
「いいんです。私からはなにもできませんから」
シャルが、望まない限りは私から近付くなんてこと、許されませんからね。
私に許されているのは、心の中で願うだけ……誰かに言ってしまうことも、シャルに伝わってしまうかもしれないので不可です。
「まぁ、いいですが……では組手の特訓模様を存分に見ていってください」
◇
アリサ・フワ……不器用な子ですね。
自分が今にも泣きそうな顔をしていることにも気付かないで人のことを気にしてしまうなんて。
いったい、どういう環境で育てばあそこまで悲痛に対して鈍感になれるのでしょうか。
「踏み込みがっ……甘いです! そして隙は正確に突いてください!」
「きゃっ!」
「ちっ!」
彼女に突進した一人が三メートルほど放り投げられる。その隙を狙った攻撃にも彼女は慌てずに投げの動きと連動した蹴り足で潰す。
……シュヴァルツェ・ハーゼの隊員ともあろう者たちが完全に稽古をつけられてますね。
一発もダメージを貰わないまま多対一の戦闘を可能にするなんて……それも私たちは皆、眼球に補佐用のナノマシンを仕込んでいるのです。
それを事も無げに……
アリサ・フワ……彼女は私たちですら見えないものを見ているのでしょうか……?
「よっし、身体もあったまってきました……もちろん、まだ終わりじゃないですよね? 怪我はしていないはずですし」
……あれだけ派手に吹き飛ばしておいて怪我がないのも彼女の技量のお陰ですか。
もし、稽古を続行するために怪我をさせていないなら……鬼ですね。
最初の位置からほとんど動いていない彼女以外は全員肩で息をしているのですから。
あと数分も続ければチアノーゼを起こすものも出てくるでしょう。
「あれ、まだ十分も経っていないのに随分とお疲れですね? ラウラさんならあと三十分は立ってますよ?」
ここで隊長の名前を出しますか……それは暗に隊長ですら勝てないということを言っているのでしょうが……意思を挫くためなら逆効果ですよ?
「はぁぁっ!」
「わわっ、と……そうです。その調子ですよ。必死になってもらわないと私も愉しくないですから」
なんと……たちの悪い方ですね。
もしかして、あれがストレス解消法なのでしょうか?
彼女は客人なわけですし、部下たちの特訓にもなるので止める気はありませんが、
「まだです、もっと速く! ……そうですねー……五分後に誰も立っていなかったら、私は全力でラウラさんの恋路を邪魔します……おっと、当てる気あります?」
隊長の恋がかかっているとなると部下たちには意地でも立っていて貰わないと困りますね。
最後まで立っていたものには……そうですね、一週間分の夕飯を花丸ハンバーグにしてあげましょう。
「わわっ……っと、今のはちょっぴり驚きました。よーし、それなら私も張り切っちゃいます!」
五人がかりでもまだ余裕の表情ですか。
しかもこれから張り切り始めるだなんて……冗談ですよね?
「えいっ」
ぶぉん!
…………おかしいですね。
視覚補佐用のナノマシンが故障しているのでしょうか?
人間が、真横に吹き飛びましたよ……?
あれは流石にもう立てないでしょう……
「あれ、久しぶりだと力加減が難しいですね……強く押しすぎましたか」
「押しただけで人があんなに飛ぶわけないでしょう!」
もしそうなら、喧嘩で押し合いっこする幼稚園児が死んでしまいます!
「クラリッサさん……? まぁ、あれは押しただけとも違うんですけど……そうですねー。例えば体を急に引っ張られたら踏ん張りますよね?」
「まぁ、そうでしょう」
「そうやって相手が体を引こうとした瞬間に押すんです。ダメージを与えるというより敵を遠ざけるための技ですね」
なるほど……つまりある意味では押された方も自分から後方に跳んでいるようなものなのですね。
「ちなみにこの技術を極めると……」
「極めると……?」
「このように……踊らせることもできますし」
彼女に掴まれた部下の一人がなぜかフォークダンスのように動き始めました
本人も戸惑っているのが見てとれるので、おそらくは彼女が微妙な力加減で押し引きしながら操っているのでしょう。
「まぁ、こんなの隠し芸レベルですけどね。あとは、こんなことも」
今度は彼女が高速で部下の体を触りました。
右側頭部を押し、右肩を下に押し、右腕を引っ張り、最後に右足を撫でた瞬間、部下が空中で半回転して落ちました。
……今のは空気投げという奴でしょうか?
中国のアクション映画か日本の格闘漫画の中の創作だと思っていたのですが……実際に見てしまうとは。
「達人なら視線と腕の動きだけで相手を転ばせるそうですよ」
東洋の神秘、ですね。
いえ、彼女自身も既に達人の域にいるのではないでしょうか?
彼女の生身での格闘は初見ですが、その中にあらゆる国の格闘技が取り入れられているのが分かります。現在彼女が使っている精緻な防御の技術は詠春拳という中国拳法由来でしょう。
避けることはせず、ただ部下たちの攻撃をいなしてダメージだけをゼロにしています。そしてガラ空きとなった部下たちの腹や肩などに一撃、それだけで倒していきます。
拳打も特徴的で握りしめた拳ではなく、掌での衝打か折り曲げた第二関節による突打を主としているようです。
衝打で内臓に打ち込み動きを鈍くし、筋肉の隙間への突打で腱を麻痺させるのでしょう。
倒された部下たちは未だに闘志があるにもかかわらず立つことが出来ないようです。
「あぁ、クラリッサさん。部下さん達の心配はいりませんよ? 二時間もすれば痛みも引いているはずです……あぁ、お昼ご飯は食べない方がいいかもしれませんね」
「あまり苛めないでいただきたいのですが……」
「いえ、思ったより歯ごたえがあるのでついつい興が乗ってしまって」
照れたように笑いながらも彼女へと向かう隊員たちを次々と倒していきます。
「残り三人ですね……一人が十秒稼げば五分も達成ですね。十秒だけです」
……無理でしょうね。
逃げ回るのなら可能でしょうが、我がシュヴァルツェ・ハーゼには逃げ出すような腰抜けはいませんから。時間稼ぎをしようという意思もないでしょう。
「あぁ、ここまで残っている三人には敬意を持って戦わせて頂きましょうか」
「は……?」
「いえ、ですから、」
「なっ!?」
「私からも動きますよ、と」
間の抜けた声を出し、一瞬でも戦闘のことを忘れた一人が飛び込んできたアリサ・フワに掴まり、そのまま放り投げられました。
縮地法、でしょうか?
少なくとも私の目には一足飛びで七メートルほどの距離を消費したように見えます。
もはや人間であるかも怪しい……
「投げるだけで終わりじゃありませんよー?」
「ひぅっ」
ドスン
あろうことか彼女は自らが放り投げた部下に追い付き、その肩を掴んで背中から地面に叩きつけました。
いやいやいやいや……今のはきっと見間違いです。流石に。
彼女がしたことは言うなれば自分で投げたボールを自分で掴み取るようなものです。
筋力や体幹を鍛えてどうこうなるような話ではないはずですよ?
普段ならば訓練で怯えた声を出すなどシュヴァルツェ・ハーゼの一員としてあるまじきことなのですが……許しましょう。
残り二十三秒。
「うわぁぁぁっ!」
「この戦力差に竦まず向かってくる気概は称賛に値しますが……」
「はっ! ……?」
果敢にも彼女へと向かっていったのはシュヴァルツェ・ハーゼの中で最も体格的に恵まれているリーゼ。
体格で勝っているので捕まえてしまえば勝てると踏んだのでしょう。
しかしアリサさんを抱きしめるようにして振るった両腕は空を切りました。
思わず辺りを見回すリーゼですが……まったく、自分より速く強い相手と相対した時は止まってはいけないといつも言っているでしょう……左右を確認するより前にとにかく飛び退くべきです。
「上ですよ」
「! ぐっ……!」
リーゼと交錯する瞬間、リーゼの足を踏み台に、そして肩を押して飛び上がっていた彼女が落下と同時にリーゼの後頭部に左足の裏をあて、踏み潰すようにしてリーゼをうつ伏せに押し倒しました。
……ごりっという嫌な音がしましたけど、障害とか残りませんよね? というか生きていないと困ります。
「気絶しているだけですよ。夕飯の時間には目を覚ますでしょう」
「そうですか……まるで悪魔のような人ですね」
ついつい安堵の息と共にそんなことを言ってしまいましたが、言われた本人は、
「いえ、修羅ですよ」
と冗談めかして笑っていました。
残り十五秒。
秒殺という言葉がありますが……まさにその通りでした。
確かにこの動きをISに乗りながらもできるのであれば近接戦闘においては向かうところ敵なしでしょう。
隊長の話ではAICも破られたとのこと……なぜ、彼女ほどの人物がIS学園などという場にいるのでしょうか? 代表候補生としての立場もないのですから実地で利用した方がよほど有効だと思うのですが。
「やぁっ!」
「おっとっと……お姉さん、なかなかい蹴りしますねぇ。ですが、」
私の方が上手です、と彼女の口が動きました。
彼女の鋭い右からの上段蹴りが、
「!?」
途中で軌道を中段蹴りのそれへと変え腹部に突き刺さります。
そしてさらに体を横に倒してからの後ろ回し蹴りが肩に打ちつけられました。頭に当てられなかったのではなく当てなかったのでしょう……つまりは当てていたら死んでいたかもしれないと私に思わせるほどの威力でした。
残り六秒。
最後の最後で甘さが命取りになりましたね。
「まぁ、皆さんも頑張った方だと思いますけど、ほんの少し、六秒ほど時間が足りなかっ、」
「失礼します」
「わっ!?」
ならば後の五秒は私が引き受けましょう。
ズルいと言われるかもしれませんが誰も私が参加しないとは言っていませんからね。
隙だらけの右腕を掴んでそのまま一本背負いに持っていきます。
彼女に勝つには完全に気を抜くこの瞬間出ないと、
ふっ
「は……?」
彼女が微笑んだ気配とともに背中にかかっていた重みが消えました。
いえ、私はまだ腕を掴んでいるのですが……!?
「逆関節を極めていない一本背負いは競技用です。逃げられちゃうので抵抗したら肩か肘くらいは折れるように関節を固めてから投げた方がいいですよ?」
「っ!」
言葉とともに彼女の身体が私の下へと滑りこみました。
もし、誰かが見ていても私が投げたように見えたでしょう。
それくらい自然に、当たり前のように私の下で背中を付いていました……それも私の腹部にその足を添えるというオマケも付けて。
「まぁ、巴投も余り実用的ではないですけどね」
一本背負いをかけようとした勢いで流れた私の肩と腕を掴み、そのまま放り投げるようにして私の腹部に当てられた足で蹴り飛ばされてしまいました。
地面に叩きつけられず、受け身もとりやすいように投げられたのでダメージは無かったのですが……
どうしたものでしょうね。
掴んでも逃げられるなんて魚を相手にしているような気分になります。
「でも五分は堪えさせてもらいましたよ……?」
「え? あぁ……ほんとですねぇ」
試合に負けたとしても勝負に勝てばいいのです。
目的は達成したと言っても、
「どちらにせよ鈴ちゃんを勝たせないといけないのでラウラさんの妨害はしますけどね」
「えっ?」
「だって、勝負じゃないですか。私は嘘だって平気でつきますよ?」
……どうやら、完全に乗せられてしまったようです。
考えてみれば彼女が隊長のことを妨害するのは当然のことです。もっと早くに気が付くべきでした。
「まぁ、少しは優しめにしますよ。それじゃ、シャワー借りますねー」
ニコっと笑いながら顔の汗を拭い、そんな一言を残して訓練場を後にしてしまいました。
「あー……こほん。ISの操縦者であること以外は普通の少女と変わらない彼女に一撃も当て得ることが出来ないだなんて、誉れ高きシュヴァルツェア・ハーゼの一員ともあろうものが恥ずかしくないのですか!?」
びくぅっと私の一喝に気絶していなかった部下たちが身体を縮めました。
「……と言いたいところですが、今日のことは仕方ありません。各自、気絶しているものを救護室に運んだあとは自由にすること。まだお昼前ですが今日の訓練はここまでです…………あと、あまり気落ちしないように」
……明日から、少し訓練内容を厳しくするかもしれませんけどね。