今、教室は熱い熱気に包まれていた。これは別段何か今日イベントが起きているというわけではない。今ここに歴史的な一戦が始まろうとしていたからに他ならない。
舞台に上がる主役たちは二人。男と女。年上と年下。先生と生徒。互いの属性が尽く反転しているかのような二人の対局が始まろうとしているのだ。
曰く、数日前から始まった勝負。最初は誰も気にしていなかった。その勝負の特異性を知るまでは。もったいぶるのをやめよう。
やっている勝負は有体に言えば将棋だ。
――将棋。
それは誰もが知っている二人で行う盤上遊戯だ。ルールは知らなくとも、互いの駒を動かしてそれを取り合い、王を取った方が勝ち。
まあ、その程度のルールくらいはご存じだと思う。これを先生と生徒がやっていたところで特に気にするまでもないだろう。
とりあわけ、話題になるようなことではない。先生の方は新任の為あまり話題性にないうえに、多少嫌われ気味だ。
ゆえに、彼のおかげでこの場が盛り上がっているというわけではない。
では、女の方が原因だろうかと言うと否と言わざるを得ないだろう。確かに今まで車いすであったのがいきなり立ち上がったのだから多少は話題になるがそれくらいこの讃州中学ではありふれている。
生身で月に行った禿だとか、禁止されているのにいつの間にか水着コンテストを引き起こすクラスメート、飼育小屋の兎――フォーモリアが二足歩行しただとかがあるのだから車いすのやつがいきなり立つくらいなどあまり話題にもならない。
そういうわけで、この場においての原因は別にある。そうそれは例えば将棋盤だ。本来は縦横9マスずつに区切られた将棋盤を使うが、ここにおかれた将棋盤は縦横15マスずつに区切られており巨大。
そして、駒の数が異常だ。駒数130枚。普通には見たことも知らないような駒もある。ルールは将棋と同じはずが別のゲームにしか見えない。
だからこそ、興味を引かれた。定期的に行われるこの勝負があると知った。だからこそ、応援して見たくなった。
つまりはそういうことだ。この異常な将棋をしている奴らを見てみたい。そう思った結果、この状況が顕象した。
ああ、答えをさらそう。つまりはこうだ。大将棋。そう呼ばれるものの勝負を皆が見に来ていると言う事。壇狩摩と東郷美森の勝負を見に来ているというわけだ。
「さあて、よいよたいぎぃことになっちょるが、今日もやるんかデカイ嬢ちゃん」
「セクハラですよ狩摩先生」
「ギャハハ、すまんのぅ。じゃあ、嬢ちゃんがデカイことは誰もが認めちょる。それを褒めて何が悪いんなら」
「それ褒めてないですよ。訴えましょうか」
「おう、やってみい。俺の裏ァ誰もとれんからのう。PTAじゃろうが教育委員会じゃろうが、この壇狩摩の裏は誰もとれん」
大仰に大手を振って。教師らしからぬ羽織りに和装を翻して。まあ、言葉を弄するのはもうエエじゃろう。そう言外に言う。
さっさ始めようや。
パチン、と音を立ててまずは歩を動かす。
「ハッ、んじゃあ俺もこれで行こうかのう」
そう言って彼もまた同じように駒を動かす。そのうち筋は定石通りと言った感じだ。なぜ、ただの中学生が大将棋の定石を知っているかはともかくとして、今変則的なうち回しをしているのは東郷の方。
定石を崩すには定石が有効なのは知っているが、壇狩摩相手に少々足りないことはここ数日の対局で身に染みている。
どうして始まったのかわからないし、どうして続いているのかもわからない勝負であるが、まあ勝負は勝負。何事も本気でかかる。
それが甘粕正彦の教えだ。だからこそ、東郷は本気で狩摩に勝ちに行く。のらりくらい躱されて引き分けに終わらせるのはこれで最後だ。
しかしだ、同時に思うのはここ数日狩摩と接してきて、この男がこんな型にはまったことをするのかということだ。
(いいえ、考えるのは後)
まずは集中しなければ。ここを乗り切る。最初の難関。一手さき、二手先。あるいは十手先の未来すら読んで東郷は駒を動かしていく。
その動きは狙いを付けたスナイパーのように正確に狩摩を抉って行く。戦況を見る限りは東郷が有利か。しかし、東郷は油断できないと油断を斬り伏せる。
むしろここからが正念場だ。
「ひひ、しかしまあデカイ嬢ちゃんもうまぁなったのう。最初なんぞ生娘のようにおたおたしておったのが昨日のようじゃわい」
「それセクハラですよ。狩摩先生」
「おうおう、それはお前がセクハラしたくなるくらい魅力的っちゅうこっちゃ」
「それは当然です」
何せ磨いている。甘粕理論。気合いと根性。そして、見られることを意識して磨き続けている。それは他の女子にも言える。
「そうかい。ならぁ大将がここに来た意味があるっちゅうこっちゃ。まあ、今日はここまでよ」
そのようだ。
「そいじゃあ、次はまた今度っちゅうこっちゃ。楽しかったでじゃあのうデカイ嬢ちゃん。今度はその胸もませてもらうからのうがはははは」
最後までセクハラして狩摩は帰って行った。
「まったく」
「お疲れ東郷さん」
「ありがとう友奈ちゃん」
集中していたせいで汗をかいた。そんな彼女に友奈がタオルを渡してくれる。
「でも、なんで狩摩先生将棋の勝負なんて言ってきたんだろうね」
「さあ? でも楽しいし」
「え、楽しいのあれ」
はた目には全然そうは見えないのだが。また、ルールが複雑すぎて友奈には一切理解できないのだが。
「面白い。ゲームは何でも。友奈ちゃんも今度やってみる? 意外に嵌っちゃうかも」
「ええ! そ、それはちょっと」
いつもなら快諾するがそれはどちらかと言えば身体を動かす系に限る。そう彼女はどちらかと言えば甘粕と同じ側の人間だ。
つまり馬鹿である。だからこそ、東郷は自分が必要な人間だと理解している。どちらかと言えば勇者部自体がその色が強い。
脳筋、とまではいかないが大抵やる気と根性でどうにかなるが横行しているのが現状だ。まあ、一番やる気と根性で不可能を可能にしてしまった女が何を言うんだという話だが。
自分の役割は理解している。八犬士で言えば知の犬士だ。いわば参謀。考えるのが仕事だ。だからこそその手の技能は持ち合わせているし、それも得意だ。
今の関心はこの現状について。みんなはバーテックスを倒せばいいと思っているが、どうにもそれについては知られていない何かがある。
甘粕ですら語っていない何か。まずはそこを知るべきだろう。この戦いを終わらせるにはそれが一番だ。そして、勇者システムについて。
甘粕が使わなくてもいいといったそれ。しかし、大赦と呼ばれる組織には伝わっているシステム。それについても調べを進めているが状況は芳しくない。
そろそろ独学では限界がある。ならば、少しばかり聞きに行くのも良いだろう。世界の真実。これは知らなければいけない。
どういうわけか、自分の中の何かが、そう叫んでいるのだ。
だからこそ、東郷は部室に行く友奈に謝って狩摩を追った。
「狩摩先生」
「ん? なんじゃデッカイの。その胸、揉ませる気にでもなったか」
「状況によっては」
「そうかい。で? なんじゃい、何が聞きたいんなら」
東郷の言葉に狩摩はそう返した。お前が何かを聞きたいことくらいわかっている。そうでないと追ってこないだろうと。
見透かされているが、ここで引くわけにもいかない。そもそも悪いことなどないのだから、さっさと聞いてしまおう。
「先生、あの壁の向こうはどうなっているんですか」
「…………」
一瞬、狩摩は黙り、そして笑い出した。
「ハッ! おうおうおう! こりゃあ、傑作じゃのう! やっぱりつながっちょる。こりゃあ、あいつが気に掛けるのもわかるでのう。
よいでよ。教えちゃる。たいぎぃがまぁお前の頼みじゃ、あれを止めんかったのは俺も同罪じゃけえのう。まあ、悪いとはこっぽっちもおもっちょらんが」
そう言いながら、ついてきぃや。そう狩摩は言う。知りたければ。しかし、知って後悔しても良いのならば。
「はい」
行こう。全てを知っても乗り越えて見せる。それが甘粕正彦の教えで東郷美森の真だ。簡単な術法がなる。一瞬にして東郷と狩摩は移動していた。
そこは四国を囲む壁の上。
「さて、戻るんならここが分水嶺よ。ここから先に踏み出せば最後、お前は戻れん。知ったことをなかったことにはできんからのう。それでも真実が知りたいんか?」
「ええ、知りたいです」
「知ってどないするんなら。世の中ァなあ知らんでいいこともたくさんある。まあ、これでも教師やっちょる身やし。生徒いじめる気はさらさらないんよ。だから、あまり見ることはおすすめせん」
普段から生徒いじめまくっている先生が何を言っているのかと思う。
「行きます」
「そうかい、ならまあ、覚悟して行けや。なぁに骨は拾っちゃる」
そう言って前へと足を踏み出した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
そして、東郷の意識はそこで一瞬だが途切れる。それは別段壁を越えただからとか一線を越えただからとかそういうことではない。
そこにあるものを直視してまったからだ。それを直視して正気でいられぬ者などいない。ゆえに、東郷も例外ではなく、しかし、彼女であったからこそ踏みとどまった。
そして、その心眼は全てを理解する。解法などなくともわかる夢の波動。それを正確に東郷は見抜く。なぜならば己は知の犬士だから。
無限の中核で冒瀆の言辞を吐きちらして沸きかえる。最下の混沌の最後の無定形の暗影。
すなわち時を超越した想像もおよばぬ無明の房室で、下劣な太鼓のくぐもった狂おしき連打と、呪われたフルートのかぼそき単調な音色の只中、餓えて齧りつづける。
ああ、それは盲目白痴の夢の王。かつて第四が奏でた夢でなく、それは第五の夢――真なる盲目にして白痴の阿頼耶。
ここは混沌。ありとあらゆるものを内包する混沌。四象に広がる万仙の陣があるわけでもない。いいや、あるいはあるのかもしれない。
ここには全てがあり、全てがない。もしくは、一なのかもしれないし、全なのかもしれない。だがいえることは全てはこいつが始めたことである。
それら全てを見て、
「うぐっ」
東郷は吐いた。
「大丈夫かァ、デッカイ嬢ちゃん。馬鹿正直に、全部見る阿呆がいるかい。こういうんは、あれじゃエロ本の袋とじを隙間からこっそりみるんと同じ感じで見なあかんのよ」
「あ、あれ、は」
「なんじゃい。ツッコミ返す気力もなしかいな。まあ、見たならわかるじゃろうが赤子よあれは。じゃけぇ厄介なんじゃ」
赤子ゆえに理屈は通じない。赤子ゆえに道理は通じない。赤子ゆえに因果なんて関係ない。なぜならば赤子はもっとも単純な生き物ゆえに。
そして、だからこそ最初から外れていたからこそ面倒に過ぎるのだ。善悪が意味をなさず意味をなすのは欲。そう、食べたい、寝たいなどの欲求だ。
ただそれだけで協力は成る。誰も逃れることはできない。悟った盧生とて人。ないと騙る欲求もなくしたわけではないゆえに逃れられない。だからこそ嵌まる。
食事をすれば幸せだ。欲求が満たされることは幸せだろう? そして、満たされたならば寝る。赤子は満たされたら寝る。ならばお前ら眠れ満たされているだろう。
つまり睡眠とは満たされたことの証明。だから眠れ。下劣な太鼓と精神をかきむしるフルートの音を聞きながら。
ゆえに嵌まれば眠り続ける永遠に。寝た子を起こすなよ。お前ら無粋だぞ。満たされているのだから、眠らせておけよ。
そうして、眷属として泡沫の夢を見て産み出されるはバーテックス。そういうことだ。それを彼女の心眼は理解した。しかし、理解したとして、それに耐えられるかどうかは別問題。
現に処理が追いつかず吐いている。
「やれやれ、戻るぞ」
そう言って東郷を抱えて壁の中へと戻る。もちろん、胸を揉むとかそういうことは忘れない狩摩だが、それに抵抗するだけの力が東郷には残されていない。
あれは抵抗するだとかそういうものではないのだ。あれはそういうものではない。ゆえに、甘粕だろうとも嵌る。
むしろ、盧生であり正道、王道を希求するがゆえに嵌るのだ。盧生であっても嵌る混沌。ゆえに、この状況は生まれているのだと理解した。
「まあ、前向きに考えぇ。なにせ俺らの大将がぎりぎりで繋いだ状況よ。甘粕ならば、あるいはお前らならぁ。どうにかなる、そう思うとるんじゃ」
しかし、東郷は聞いてはいなかった。世界の秘密。全ては混沌の中。神樹とは、つまるところ防波堤であり勇者とは供物である。
熱に浮かされたように燃える脳内の中で、一つの真実がその首をもたげた――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「フン、それに気が付いたところでどうしようというのだ?」
それに気が付いたところで、真実を知ったところで。
お前らそれに意味なんてないんだよ。
「だから邪魔をするな。俺は負けん。勝負に負けて勝った? 阿呆か。ああ、盧生を目指したところで意味はない。ああ、それには同意だ。だが、逆十字として負けたら意味がないどころの話ではなく終わっているだろうが」
お前の自負はそこにあったのだろうが。救われたから万事よし? 痴れ者が、己の矜持を捨てて生きて何が楽しいと言うのだ。
お前ら、阿呆か。己が己でなければ意味がないだろうが。冠? ああ、いらんし興味もない。
だが、己は逆十字である。いらんし興味もない冠ではあるが、そこだけは生まれながらの真実であり真の己だ。
そこに在るのは確かな誇りだ。そうお前らの大好きな柊四四八に言わせれば継いできたという誇りがある。
「だからこそ、俺は負けん。同じ轍は踏まんぞ三代目。四代目逆十字が、今度こそ完全なる勝利を刻んでやる」
ああ、生きたお前は素晴らしい。だが、それだけだ。負けている。致命的に。道具に救われるなどあってはならんことだ。
だが、目的を遂げたという意味においてはお前は俺などよりも数段格上なのだろうよ。
だからこそ、お前を逆十字とは認めんよ。病魔? 良いではないか。それこそが、俺らが俺らである証だろうよ。
易きに逃げるなよ。ここで戦っていればいいだろうが。病魔があってもお前ら、俺に勝てないのだ。
それがわかるだろうが。それをぐちぐち情けない。生きたい? だからどうしたよ。生きているだろうが。
生きれるだろうが。それをお前ら、盧生でなければだとか、眷属になればいいだとか。
ああ、馬鹿か貴様ら。
「空気が旨い? いまもうまいだろうが。身体が軽い? 身体なんぞ最初から軽いわ。お前らがお前ら自身に枷を嵌めていただけだろうが。お前ら愚図共が出来なかった勝利を飾ってやるよ」
見ているがいい老人共。俺が逆十字。そこに偽りはない。それこそが真。ゆえに、お前ら全員俺の役に立て。
暗い暗い深淵で、男は哄笑をあげるのだ。そして、それを見つめる対の目が一つ。ああ、お前は何を言っているのだ。
意味が分からんぞ。だが、面白そうだ。見せてくれよ。
何もわからん何も知らん。だが、なんか面白そうだ。だから見せろよその夢を。泡沫の果てでお前の音色を奏でてくれよ。
混沌が回る、回る。ああ、何もない混沌ゆえに全てはここにあるのだ。
万仙陣クリアの熱が引かない為、更新できました。いつまで続くかは不明。
前回から勇者部の掘り下げ作業を行っております。東郷さん、世界の真実を狩摩に見せられるの巻。
狩摩さん、それ終盤にやることでしょ、お前なに序盤に見せちゃってるのよ。
東郷さんは知の犬士なので、役割的には狩摩がらみが多かったりするんですよね。
夏凜ちゃんは役割的には野枝、石神だとかとかそのあたりなんですが、相方になるキャラがいないのでさてどうするか検討中。まあ神祇省にいるので大概苦労人ポジ。
風の相方はまだ出てない万仙キャラ。クリアした人は風が水希ポジだというわけでわかる人にはわかるはず。
本当は別の話をやりたかったのですが、そいつを出すにはもう少し時間をかけた方がいいかなと思ったのでこちらの話を先にやりました。
万仙クリアしてない人にはかなりネタバレな人が登場しますし。
なので、次は友奈になるのかなあ。久々の甘粕登場になるのか。まあ、未定です。
ではまた次回。