どうしてこうなった?   作:とんぱ

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第七十一話

「……終わったか」

 

 頭部が半ば砕け倒れ伏しているモントゥトゥユピーを油断なく見下ろしながらカイトはそう呟く。

 もはやモントゥトゥユピーから生気は感じられなかった。如何に生命力が高いキメラアントとはいえ、脳を破壊されては生きてはいられない。

 モントゥトゥユピーのあまりのタフネスさにもしやとも思ったが、どうやら完全に死んでいるようだ。

 

「勝った……のか?」

 

 誰よりも傷つきボロボロになっているレオリオが信じられないというように首を振る。自らの能力が切っ掛けとなって倒せたのだが、あの圧倒的な破壊の権化を相手に勝てたことが不思議でならなかったのだ。

 

「ああ、勝ったんだ」

「や……ったーー!」

 

 クラピカの言葉を皮切りにゴンが両手を上げて勝利の雄叫びを上げた。

 そしてそのまま体の力が抜けるように両手膝を大地につけることになる。それほど消耗しているということだろう。

 

「落ち着けよ、まあこいつ相手に勝てたのが嬉しいのは分かるけどな」

「何度死ぬかと思ったか……」

「誰1人欠けていても勝利はなかった。まさに薄氷の勝利だな」

 

 カイトの言う通り、この場の誰か1人でも欠けていれば勝利はなかっただろう。

 それぞれが出来ることを最大限に発揮したからこその勝利と言える。

 

「レオリオ、大丈夫?」

「ばーか……オレの心配よりも自分の心配しろよ、ヘトヘトじゃねーか……」

「一番重傷なのはお前だよレオリオ。傷は本当に大丈夫なのか?」

 

 レオリオの右腕はひしゃげたままであり、肋骨も幾本か折れている。吐血したことから内臓も痛めているのが分かる。オーラも少なく回復することもままならぬ現状、戦闘続行は不可能に近かった。

 

「ああ……命に関わることはねーよ」

 

 念能力者は常人よりも生命力が強い。常人ならば死に至る傷でも長らえることも多いだろう。そしてレオリオは並の念能力者よりも強い力を持っているのだ、しばらく休めば命に別状はないレベルに回復はするだろう。

 

「だがこれ以上は無理だな。お前はここで休んでいるんだ」

「馬鹿言うなよ! まだアイシャが、ぐ、ごほっ!」

「無理すんなレオリオ! 今のお前がアイシャの助けになると思っているのか!?」

 

 ミルキの言葉はレオリオにも分かっていたことだ。今のままアイシャの救援に行ったとしても何もすることは出来ないだろう。

 いや、例え万全の状態でもあの王を相手にどうにかすることが出来るとは思えなかったが。

 

「ゴンとカイトもだぜ。お前らもレオリオ程じゃないけど傷ついてるし、オーラもほとんど残ってないだろ?」

「……うん」

「すまん……」

 

 ゴンとカイトもこれ以上の戦闘は難しかった。

 ゴンは両腕に罅が、カイトは左腕がへし折れていた。そしてなによりオーラの消耗が激しすぎた。多少の傷でも動くことは出来るが、2人のオーラは空に近い。これではまともに動くことも至難だ。

 

「まあオレ達も大分消耗してるけどな……」

 

 残りの3人、キルアとクラピカとミルキは殆ど無傷ではある。だがその戦闘力は通常時のそれと比べて遥かに落ちていた。

 オーラの消耗は当然として、キルアは電気の充電を殆ど消費していた。これ以上オーラを電気に変化させることは難しいだろう。

 クラピカは既に緋の眼の状態から通常の瞳へと戻っていた。これだけの戦闘で緋の眼になっていたのだ。普段よりも消耗は激しかったようだ。緋の眼になれなくなったクラピカは大半の切り札を失うことになる。

 唯一ミルキのみオーラの消耗以外のデメリットはない、というくらいのものだった。

 

 このような状況でアイシャの助けになるのだろうか?

 そう誰もが思っていた時、不意に草場から物音がしたので全員がそちらに振り返った。

 

「敵か!?」

 

 咄嗟に構えを取り警戒するも、それは意味のない行為となる。

 

「はいはい落ち着きなさいな」

「ビスケ!」

「どうやら貴方達もご無事のようですね」

「リィーナさん!」

 

 そう、現れたのはビスケとリィーナだった。

 これには心底ホッとした表情を見せるゴン達。流石にこの状況で新手が現れたら対処するのはかなり困難だっただろう。

 それこそモントゥトゥユピーと同格の護衛軍でも現れていたら全滅は必至だと言えたのだ。ホッとするのも仕方ないことだった。

 

「そちらの敵は?」

「倒しました。貴方達も無事倒されたようですね。お手伝いをとも思いましたが、必要なかったようで何よりです」

 

 リィーナはあの強敵をゴン達だけで排除出来たことを確認し、誰1人欠けずに勝利したことに安堵する。

 

 ――これで先生が悲しむということはございませんね――

 

 ……ちょっとずれた安堵の仕方だったが。

 

 ゴン達もリィーナ達が護衛軍の一角を倒したという朗報に喜びの声を上げた。

 これで王の周りにいた厄介な存在はいなくなった。後はアイシャが王を倒せさえすれば……。

 

「リィーナさん、その……カストロさんは?」

 

 この場にいないカストロが気になりゴンが心配そうに質問するが、リィーナはそれに対して優しく答えた。

 

「ご心配なく。カストロさんは切り札を切った為に消耗激しく休息を取っております。なので命に別状はございませんよ」

「そっか。良かった」

 

 あの強敵相手に本当に誰1人死なずに勝利したことは信じがたいことだ。

 もしあの時、レオリオ達が増援に来てくれていなかったら……確実に誰1人生き残ってはいなかっただろう。

 

「さて、それでは貴方達はここでゆっくりとお休みください」

「はぁ? 何言ってんだ、オレ達もアイシャの助けに――」

「死ぬわよ」

 

 リィーナに反論しようとしたキルアの言葉をビスケが遮る。

 

「今の、いいえ、例え万全の状態のあんた達が助けに行った所でどうにかなる相手だと思ってんの?」

 

 それはゴン達にとって重たすぎる正論だった。

 誰もが内心で理解していた。レベルが違いすぎるのだと。

 この場にいる誰もが万全の、それも絶好調の状態だとしても、アイシャと王の戦いに割って入ることなど出来はしないのだと。

 

「それでも!」

「命を張ってでもアイシャさんを助ける……とでも?」

「う……」

 

 ミルキの言わんとした台詞を先んじるリィーナ。

 そう、ミルキはリィーナの言う通り例え力及ばずとも命懸けでアイシャの盾になるつもりだった。それで僅かでも時間が稼げれば、それで僅かでもアイシャの勝率が上がるならば本望だったのだ。

 だが、現実は非情だった。

 

「はっきり言いましょう。貴方達がどれほど命を張ろうとも意味はありません。砂上の楼閣を崩すが如くに蹴散らされ命を失うだけ。そればかりか、アイシャさんの集中を乱すやもしれません。そうなっても貴方達は良いのですか?」

『……』

 

 誰もが二の句を告げなくなっていた。

 自分達ではどう足掻こうともアイシャの助けには成りえない。

 そんな残酷な現実を冷静に告げられたのだ。そしてそれを理解出来ないような者はこの場にはいなかった。

 

「……あんた達ならアイシャを助けられるのか?」

 

 キルアは一縷の望みに懸けてリィーナ達に問いただす。

 自分達とは一線を画す実力の持ち主であるリィーナとビスケ。この2人ならば、アイシャと王の戦いに割って入ることも可能なのでは、と。

 その問いに答えたのはビスケだった。

 

「正直に言うわね。……無理よ」

 

 ……どこまでも現実とは非情だった。

 確かにリィーナとビスケは強い。その実力は世界でもトップクラスと言えよう。

 だが、相手は世界最強と言っても過言ではない存在なのだ。

 世界最高の武を身に付け、人間としては破格のオーラを持つアイシャ。

 キメラアントの集大成として産まれ、更にはネフェルピトーのオーラすらその糧とした王。

 

 人間とキメラアント。2つの種の規格外とも言える存在の戦いに割って入れる者など果たしてどれだけいるというのか。

 リィーナとビスケの知る限りでは、アイシャと同等の戦闘力を誇るネテロくらいのものだった。

 

「じゃああんた達はどうするんだよ!?」

 

 キルアの叫びが木霊する。

 アイシャは今も絶望的な敵を相手に戦っているのである。

 今こうしている間にも遠くから爆音が響いてくる。まだ生きているのだ。まだ戦っているのだ。だが、それも何時まで持つか分かったものではない。もう限界かもしれない、あと少しで殺られるのかもしれない。

 そう思うと冷静でいられるわけもなかった。

 

 それはキルアだけではない。アイシャと共にここまで来たゴン達全員が同じ気持ちだ。誰もが何か手はないのかと必死に思考し、そして何も思い浮かばないことに絶望していた。

 そんなゴン達に対し、リィーナはいとも簡単に答えを口にした。

 

「決まっております。アイシャさんが勝利する様を見届けに行くのです」

「え……?」

 

 リィーナの言葉が聞こえなかったのか? それとも理解出来なかったのか?

 疑問の表情を浮かべるゴン達にリィーナがもう一度答えた。

 

「何か悲壮感漂っておりますが、アイシャさんが負けるとでもお思いですか? アイシャさんは勝ちます。私はそう信じております。ですから手助けなどいたしません、その必要がございませんから。遠くからアイシャさんの勝利を見届けに行くだけです」

 

 そう言い切った。

 アイシャの勝利を微塵も疑わないと。

 必ず勝利すると。

 

 いや、リィーナも本当は分かっている。アイシャと言えども勝率は限りなく低いものだと。ゴン達よりも秀でた実力を持っているからこそ、王を一目見た瞬間にその絶望の深さをより理解した。

 それでも、それでもアイシャなら。世界最強の武神ならば奇跡を見せてくれる。そう誰よりも信じたかったのだ。武神の一番弟子として。

 

「話は終わりですか? それでは時間が惜しいので私達はこれにて失礼いたします」

「待って!」

 

 踵を返しアイシャと王の戦場地へと移動しようとしたリィーナをゴンが呼び止める。

 その瞳には先程までの悲壮感はなくなっていた。代わりにあったのは迷いを失くした真っ直ぐな瞳だった。

 

「オレも……ううん、オレ達も行くよ。行ってアイシャの勝利を見届ける!」

「そうだな。アイシャがあの化け物相手にどうやって勝つのか見させてもらうぜ」

「ふ、確かに。今後の参考になるな」

「おいおい……そんな今後なんてあってたまるかよ」

「違いないぜ。こんなの二度とこりごりだ」

 

 何時の間にか、誰もが先程までの悲壮感を捨て去り何時もの調子を取り戻していた。

 そこにあったのはアイシャへの信頼だ。アイシャならば。あのアイシャならばキメラアントの王であろうとも必ず勝利を得てくれると。

 

 そんなゴン達の変化を見てカイトは溜息を吐きながらやれやれと首を振る。

 

「全く……ここで逃げ延びてもアイシャが王に負ければ未来は然して変わりないか。オレも見届けよう。お前たちが信じるアイシャの勝利をな」

 

 そうして全員が立ち上がりリィーナを見つめる。

 もう今さらここで退くという考えを持つ者は誰もいないようだ。

 

「……了解いたしました。貴方達の意思です、私が止めるような野暮な真似はいたしません。ですが、アイシャさんの邪魔をしないためにも巻き込まれない程の距離で見届けますよ?」

『おう!』

 

 そうしてゴン達は傷ついた体を動かしてアイシャの戦いを見届けに行った。

 アイシャと王の戦闘が見られる見晴らしの良さと、戦闘の邪魔にならない程度の距離を合わせ持った高台に到着し、そこでゴン達は見た。

 

 アイシャが、王の頭部に浸透掌を放った瞬間を。

 

 

 

 

 

 

 どれだけの攻防が繰り広げられただろうか。

 王は、どれほど攻撃しようとも未だまともに命中することなく、全ての攻撃を返されている現状に困惑していた。

 

 ――何故余の攻撃は尽く通じぬ――

 

 王は暴虐で激昂しやすい性格である。

 それ故に王たる自身の尊顔を大地に付けるという度し難い行為を成した愚か者に対し、怒りのあまり冷静さを失い攻撃を繰り返した。

 たかだか人間風情に尊顔を大地に叩きつけられ見下ろされたのだ。冷静でいろというのは産まれたての王には無理な話だった。

 

 だが、王は暴君ではあるが愚王ではない。

 むしろその才は人間を遥かに凌駕していると言ってもいいだろう。それは力だけに限った話ではない。知略と、そして学習能力に置いてもだ。

 

 産まれて間もない故学習する暇もなかったが、王がその気になって学べば様々な知略を用いる勝負でその道の人間の大半を下せるだろう。それも僅かひと月に満たぬ短い時間で、だ。

 

 だがそれは王に取って児戯にも等しい才能だ。

 やはり王の真骨頂はその戦闘力に尽きるだろう。どのような才を持ち、どのような研鑚を積んだ者であろうと、その才も努力も無に帰すことが出来るこの世のありとあらゆる分野の才能を凌駕する才能、それこそが圧倒的な暴力だ。盤上遊戯に優れる者も、スポーツに秀でた者も、難解な数式を解ける者も、最高の料理を作れる者も、無数の言語を操れる者も、王の暴力の前では無力だ。

 だが、そんな圧倒的な暴力を誇る王がどれほど攻撃を繰り出そうとも、アイシャに攻撃を当てることが出来ないのだ。

 

 激昂して10の打撃を放った後、並の打撃では通じないと悟った。どれだけ力を込めて全力で殴ろうとも視界を閉ざしたはずのアイシャに返されてしまう。

 

 王は愚王ではない。キメラアントの集大成と言えるだけに、その学習能力も秀でている。

 

 王は攻撃を威力ではなく速度重視で放つようになった。

 人間如きに工夫を凝らすというのも屈辱だったが、このままやられ放題でいるという現状はそれよりも遥かに屈辱だった。屈辱が王を成長させようとしていた。

 

 20の打撃を放つが、未だに攻撃はアイシャに届かない。速度に重きを置いても全てに対応されてしまった。

 そこで王は気付く。アイシャの動きが完全なる理に適った動きだと。一切の無駄な流れのない、理合の動き。流れに逆らうことも出来ずに全ての力が己に返ってくる。

 逆上していた頭が冷静さを取り戻した時、その流れの美しさに王は気付いた。

 

 この流れを打ち砕くには速度だけでは事足りなかった。

 ならば流れを壊すように動かねばならない。冷静さが王を成長させようとしていた。

 

 それから王はアイシャの動きを学習した。

 あらゆる角度からあらゆる打撃を放ち、その全てを返される中でアイシャの理合を吸収していったのだ。

 

 100の打撃を返された頃。王はアイシャの理合を理解した。

 流石に自らの攻撃を返され続けた為にその身に積もるダメージも馬鹿にはならないが、それもここまでだ。理合を学習した王にはここから先の未来が容易に想像が出来ていた。

 

 だが、その通りにはならなかった。

 アイシャの理合を、合気を、柔をその身を持って理解したはずだった。

 王のその常識を越えた学習速度によって合気の理を把握したはずだった。

 

 実際、今の王は風間流の門下生と比べても並ぶ者が少ない程に合気を学習していた。ほんの僅かな時間で、だ。風間流の技そのものは殆ど知らずも、受けた攻撃をそのまま相手に返すという合気の奥義ならば再現することも可能だろう。それが可能な者はアイシャとリィーナを除き、風間流でもごく僅かだ。

 

 それでもなお、アイシャの身に攻撃は届かなかった。

 理を学んだが故、その理を崩すように攻撃を放った。

 だがアイシャは王の更に上を歩んでいたのだ。

 

 どれほど技術を学ぼうとも。どれほど理合を学ぼうとも。どれほど理合を崩すように攻撃しようとも。アイシャはその一歩先を読んでいた。

 

 王がアイシャの理を崩す攻撃をしても、それを読んでいたアイシャは王の理を崩すように攻撃を捌く。それに王が対応しようとしても、それを更に読んでアイシャは一歩先んじる。

 

 どれだけ攻撃しようとも、どれだけ学習しようとも、打撃にてアイシャを打倒することは王をして叶わなかったのだ。

 ここに来て王は理解した。アイシャ以外の人間を殆ど知りはしない。だが、目の前の人間こそ人類最高の実力者なのだと確信したのだ。

 

 

 

 王がアイシャを認めているところで、アイシャはアイシャで王の成長速度に舌を巻いていた。

 

 ――あまりにも学習が早すぎる――

 

 アイシャと王が戦ってまだ数分程度しか経ってはいない。だというのに、王は既に合気の真髄に触れる領域にまで辿り着いていた。

 アイシャが、いや、リュウショウが数十年の年月を掛けて辿り着いた領域に、王は物の数分で到達してしまったのだ。

 

 絶望的な才能の差。圧倒的な学習速度。

 もしアイシャが王に指導したならば、1日足らずで風間流を学び、1週間足らずで合気の深奥にまで到達するやも知れなかった。

 

 今はまだアイシャが優っている。王が如何に学習しようとも、『読み』に関してアイシャを上回ることは出来ない。学習だけではない、圧倒的な経験こそが物を言うのが『読み』の深さなのだ。

 相手の意を読み動きを先読みすることに関してアイシャの上を行く者がいたとしたら、それはアイシャ以上の経験の持ち主くらいだろう。

 王がどれほど才に溢れていようとも、産まれて1日も経っていない身でそこまでの領域に立てるわけもなかった。

 

 アイシャの先読みは極限まで達した集中力のせいもあってか、既に未来予知に等しい領域にまで高まっていた。僅か数瞬先の未来だが、その数瞬という限られた時間の中ならば念能力に匹敵する精度を誇るだろう。

 

 だが、それも何時までも保ちはしない。

 当たり前の話である。念能力ならばまだしも、集中力と経験のみで成り立っている先読みを延々と続けられるわけがない。

 集中力が途切れ、先読みが遅れた瞬間。その瞬間こそアイシャの敗北の瞬間となるだろう。

 

 そしてそれがそう遠い未来ではないとアイシャは予測していた。

 これだけの圧力の中、圧倒的な攻撃を捌き返し続けているのだ。

 どれほど強靭な精神をしていようと消耗しないわけがない。

 

 王とて生物だ。どれほど頑強だろうと自身が放った力がその身に返ればダメージも負う。それでも未だ王は動きを鈍らすことなく攻撃し続けている。

 王が耐え切れなくなるまで攻撃を返し続ける気概はアイシャにあれど、それが出来るかどうかは話が別なのだ。

 

 冷静に戦況を把握し未来を見通しているアイシャにはこのままでは敗北することは目に見えていた。ここまで王の成長速度が早いとは思ってもいなかったのだ。

 王が相対した時のままならば、もしかしたらこのまま勝てていたかもしれない。

 だが一撃一撃ごとに成長する王を相手にして、アイシャの集中力は想像以上に削られてしまっていた。

 

 このままでは敗北必至。ならばどうする?

 決まっている。そうならないように勝負を仕掛けるしかない!

 

 アイシャはこれまで攻撃してきた王が自身から離れるように合気にて攻撃を返していた。それは次に攻撃するまでの時間を稼ぐという意味もあったが、実はもう2つだけ意味があった。

 

 1つは王に単調な流れを覚え込ませるためだ。

 何度も何度も、100を超える攻撃を同じように返し続けることで、王にその流れを覚え込ませたのだ。学習という行為は成長に繋がるが、時にそれは固定観念という弊害を生み出すこともある。

 こうすれば、こうなるはずだ。そう覚え込んだが故に、そうならなかった時に次の行動に僅かな間が出来てしまうのだ。

 それは王とて例外ではなかった。

 

 そしてもう1つは――

 

 

 

 王がアイシャに攻撃を仕掛ける。幾度返されようと、それで怯むような王ではない。

 確かに目の前の人間は驚嘆に値する存在だ。傲慢な王がそう認める程の実力者だ。

 だがそれでも勝つのは自身だと王は確信していた。

 

 どれほどこの敵が攻撃を返そうとも、それも何時までも保つわけがない。何時かは耐え切れずに攻撃を浴びることだろう。そうすれば、脆い人間などゴミクズのように壊れる定めだ。

 

 その時を楽しみにしながら王は嗤う。

 そしてアイシャの理合の流れを壊すように攻撃をして、またも返され――

 

 大地へと叩きつけられた。

 

 ――なっ!?――

 

 驚愕。それしか王には浮かばなかった。

 今まで通りならば、どれほど王がアイシャの理合を崩すように攻撃しようとも、その上を行かれて攻撃を返されていた。

 だがそれは自らを遠くへ弾き返すようにだ。このように大地に叩き付けることは開幕以外にはなかった。それは単純に攻撃されてから次の攻撃の間を開けるという意味があったためだろう。

 

 だが実はそれだけではないということを王は理解していた。

 理合を学習した今の王ならば理解出来る、それが最善の返し方であったからだと。

 一切の無駄を排し、攻撃を返す為に生まれる理合の流れ。その最善の中にあるのが互いの距離を開けるという行為に繋がるのだ。

 それをしなくてはアイシャは王の次なる攻撃を返し切れなくなってしまう。互いの距離が近すぎると、王の攻撃に対してアイシャが反応しきれなくなるのだ。それが王には理解出来ていた。だからこそ解せなかった。何故この期に及んで完全なる理合を切り捨ててしまったのかと。

 

 それが、その悩みが、王の隙を作ることとなった。これこそアイシャの狙い。王が理合を学習した故に、それを逆手に取ったのだ。

 

 王を大地に叩き付けたアイシャは動きを止めることなく流れるように行動する。

 王自身の攻撃力のせいもあって、王を叩き付けた大地は砕け衝撃波が余波となって大地の破片と共に襲ってくる。だがそんなものは今更意にも介さずにアイシャは王に詰め寄った。

 

 そして驚愕し僅かに硬直している王の頭部に掌底を叩き込み……オーラを流し込んだ。

 

 ――浸透掌!――

 

 浸透掌。頼りない攻撃力を補うためにリュウショウの時代に編み出した奥義。掌底によって振動を体内へと叩き込み、その振動にオーラを乗せて対象の体内を破壊するという荒業。心臓や脳に決まれば確実に対象を死に至らしめるという危険極まりない技だ。

 

 これを防ぐには体内オーラを操作し振動に乗せられたオーラを相殺しなければならない。初見ではまず不可能。それが出来るのは浸透掌を身に付けているアイシャとリィーナ、そしてアイシャのライバルであるネテロくらいのものか。

 つまり王にそれを防ぐことは不可能ということだ。

 

 不可能なはず……だった。

 

 

 

 最初に感じたのは違和感だった。

 決まれば一撃必殺のはずの浸透掌は確かに打ち込んだ。

 だがその一撃には何時もと違う違和感があった。

 

 これはかつて感じたことのある違和感だ。

 そう、あれは、ネテロに浸透掌を防がれた時と――

 

「ッ!!」

「遅いわ」

 

 脳を破壊されたはずの王がニタリと嗤い、倒れ伏したままその拳をその場から離れようとしたアイシャの腹部に叩き付けた。

 硬による防御と脱力による防御。2種の防御により咄嗟にダメージを最小限に抑えたアイシャだが、それでも肋骨が折れた音が辺りに響いた。

 

「ぐぅ!」

 

 アイシャはそのまま勢いのままに吹き飛ばされる。柔の防御である脱力法を使ったのだ、攻撃の威力に押され吹き飛ばされるのは当然だ。

 突き上げるように攻撃をされたため上空に浮かび上がるアイシャ。追撃されないようオーラの放出により飛翔しようとするが、王の様子を見てそれを取りやめる。

 

「ぬ……?」

 

 好機とばかりにアイシャに追撃しようとした王がたたらを踏んでいるのだ。

 それを見てアイシャは浸透掌が全くの効果を及ぼしてなかったわけではないと悟る。そう、王は脳に確かなダメージを負った為に脳震盪を起こしていたのだ。

 

 だがそれでも浸透掌を頭部に食らったにしてはダメージが少なすぎるだろう。

 何故、王は浸透掌を防ぐことが出来たのか? 体内オーラを操作した? いや、王とて初見の攻撃に合わせてそのようなことは出来ないだろう。

 ならば何故か?

 

 ……答えはあまりにも単純なものだった。

 王の体内オーラが強大すぎて、ただ在るだけのオーラでアイシャが振動に乗せたオーラの大半をかき消してしまったのだ。

 まさに理不尽。信じがたいほどの膨大なオーラ。産まれ持った才のみでアイシャの必殺の一撃を防いだのだ。

 

 だが流石に全てを防ぎ切ることは出来なかったようだ。それが先の脳震盪になるのだろう。不幸中の幸いと言っていいか、おかげでアイシャは王の追撃から逃れることが出来た。

 

「今、余に何をしたのかは知らんが……おぬしの反応からして余程自信のある技だったようだ……。くくく、残念だったな、余には通じぬわ」

「……」

 

 王が自らの体調を確認し、脳のダメージが早くも回復したのを確認して穴から上がってくる。

 アイシャも大地に降り立ち、王の動きを見ながらも内心でネテロに感謝していた。

 

 ――あの時の勝負がなければここで勝敗は決していたな――

 

 そう、ハンター試験の最中のネテロとの真剣勝負。

 あの時に浸透掌を防がれた経験があったからこそ、王に浸透掌が完全に決まっていなかったことに気付けたのだ。そうであるからこそ回避は出来ずとも咄嗟に防御することが出来たのだ。

 

「切り札を破った今、おぬしを殺すのはもはや時間の問題よ。だが、余とここまで戦えるおぬしをこの場で殺すのはちと惜しい」

 

 突如としてそのようなことを言い放つ王。

 今までは人間如きと侮り激昂し、殺意高らかに攻撃していたのだ。

 それが急に何の話だとアイシャは怪訝に思う。

 

「どうやらプフとユピーも殺られおったようだ。余達以外の存在など塵芥に過ぎぬと思っておったが、おぬしを含め多少の例外はおるようだな」

 

 アイシャも他の戦闘が既に終わっていることは感知していた。

 良く知る気配が今も離れた場所からここを見守っているのだ。

 全員無事に生き残ったことを心底嬉しく思うも、今はそれを隅に追いやり王に集中する。

 

「余の配下となれ」

「なに?」

 

 王の口から出たのはまさかと疑うような台詞だった。自分以外の存在の価値など毛ほども感じていない王からの言葉だ。到底信じられるわけがなかった。

 

「余は世界を支配する王として生まれた。1人でもそれは叶うが、より効率良く世界を支配する為には余の手足となって働く者が必要不可欠。護衛軍の2人はそれに見合う力を持っておったが、死んでしまえば何の役にも立たぬ。それに比べておぬしは別よ。人間でありながら余に抗える力を持つ者は稀であろう」

 

 王の為に戦った者に対しても、死んでしまえば役に立たぬと言い放つ傲慢。

 戦いの中で成長しようとも、戦いのみの成長故に王は暴君から脱することは叶わなかった。

 

「もう一度言う。余に仕えよ。さすれば世界を統一する余の隣に立つ権利を与えよう。おぬしにはその資格と力がある」

 

 そう言って王はアイシャに手を差し伸べる。

 王はアイシャに言った言葉がアイシャにとって最上の幸福になると信じて疑っていなかった。至上の存在たる自身と共に歩む資格と権利を与えられるのだ。それが歓びでなくて何だというのか。

 

 それをアイシャも理解した。

 王が嘘偽りない思いを述べていると。

 アイシャが王の手を取りその身を委ねることがアイシャにとっての最善の行動だと信じているのだと。

 

 確かにこの手を取ればこの場は確実に生き延びることが出来るだろう。

 頼み込めば恐らくゴン達の命も見逃してくれるだろう。全員が生き延びるという点では最も確率の高い手段が目の前にぶら下がっていた。

 

 だが、それでどうなる?

 生き延びた所でどうなると言うのだ?

 

 人間と敵対しキメラアントの王国を作る為に協力する?

 有り得ない未来だ。そんなことをしても多くの守りたい命が失われるだけだ。その中にはゴン達の命も入っているだろう。この場で見逃され生き延びたとしても、ゴン達ならば必ず王を止める為に動くだろう。

 

 この場だけ恭順する振りをして後の機会を待つ?

 これもない。次の機会などあるわけがないのだ。王は時間を与えれば与えるほどに成長していく。1年も過ぎれば誰であろうと、何人が集まろうと抗うことは不可能な存在へと進化するだろう。

 

 そして何よりもだ。どちらの方法もアイシャの矜恃に反していた。

 

「断る」

「……愚かな決断だぞ?」

「1つ教えておこう蟻の王よ」

「む?」

 

 言葉と共にアイシャは再び風間流の構えを取る。

 そして裂帛の気合を込めて言い放った。

 

「勝ってからほざけ」

 

 そう。勝負は終わってはいないのだ。

 傷つこうともアイシャは健在。未だ闘志は萎えておらず、勝負を捨てるつもりは微塵もなかった。だというのに勝ったつもりで物事を進めて会話する王はアイシャにとっては滑稽でしかない。

 

 武人が劣勢に追いやられたからといって勝負を捨てるわけがない。

 それがアイシャと王の最大の違いだ。王は生まれながらにして王。故に武人という存在を理解出来なかったのだ。

 

「ふ、ふははははははははははははは!! ならば……そうさせてもらおう!!」

 

 そこから先は言葉は不要だった。

 

 王は今までと変わらずに攻撃を繰り返す。

 アイシャはそれを返し続ける。

 

 戦闘当初の焼きまわしの如くに繰り返される攻防。

 だが、そこには目には見えぬ程の小さな変化が存在していた。

 そしてそれは……激しい攻防を繰り広げている2人にとっては果てしなく大きな変化であった。

 

 幾度となく攻撃を返されながら王は確信する。

 

 幾度となく攻撃を返しながらアイシャは確信する。

 

 ――僅かにズレがある!――

 

 それは本当に極僅かなズレだ。

 合気の理を目に見える形に出来たとして、それでも顕微鏡で確認しなければ気付かないような小さな歪み。

 完璧な理合をその手にしていたアイシャの合気に、ほんの僅かな誤差が生じていたのだ。

 

 それはアイシャが負ってしまったダメージが原因となっていた。

 肋骨が多少折れた程度ではアイシャの戦闘力に大した影響はないだろう。

 だが、今のアイシャは極限の集中力を持って完全なる合気を用いてようやく王の攻撃を返しているのだ。

 そこまでしてようやく王の域に届いていた。ならばその完全なる合気が崩れてしまえば? 当然そのような半端な合気で王の攻撃を捌き切れるわけもないだろう。

 

 今はまだいい。誤差と言っても本当に極僅か、0,01%にも満たない誤差だ。だが、一度出来てしまった誤差は修正することは出来なかった。

 並の敵ならば話は別だが、王を相手にこの崩れた流れを修正する余裕など有りはしなかったのだ。

 

 一撃一撃を返す度に誤差は徐々に徐々に広がっていく。

 0,01%から0,02%へ。0,02%から0,03%へ。0,03%から0,04%へ。1%にすら満たぬその誤差は、徐々に、だが確実に広がっていった。

 

 そしてそれは……アイシャの死へのカウントダウンに等しかった。

 

 王はアイシャに及ばずとも合気の真髄に触れている。

 ならばここに来て攻撃の選択を間違えるようなことはなかった。1手1手を隙なく、アイシャに取って最も返し辛い攻撃を繰り出す。そうすることでアイシャに流れを修正する暇を欠片たりとも与えなかった。

 

 もしこの戦闘を盤上で、例えば将棋で表したらこう言われるだろう。詰将棋と。

 そして盤上で戦っているのは並の打ち手ではなくどちらも超一流の打ち手だ。既に互いに終局までの流れを読み切っており、その読みは互いに完全に一致していた。

 

 ――あと10手で――

 

 ――余の勝利だ――

 ――私の敗北か――

 

 もはやここに至って読みを外すようなことは互いにない。

 

 現状出来うる最適な動きを取り続けねばアイシャは王の攻撃に対応出来ない。

 だがその最適な動きは1手ごとに最適から遠ざかっているのだ。

 

 もはやアイシャに敗北を覆す1手など打てはしない。そう王は確信している。

 先の浸透掌を放つ隙を作った時とは既に前提が違っているのだ。

 最善の合気を取らなかった瞬間に……王の一撃はアイシャの肉体を抉るだろう。

 アイシャもそれを理解しているからこそ、死へと繋がる攻防を続ける他なかった。

 

 ――あと9手――

 

 一撃ごとにアイシャの動きが精彩を欠いていく。

 

 ――あと8手――

 

 それでもなお攻撃に合わせて返せるアイシャを王は心底評価する。

 

 ――あと7手――

 

 だが、だからと言って攻撃に手心を加えるような真似など王はしない。

 

 ――あと6手――

 

 何故なら、一度差し伸べた手をアイシャは払い除けたのだから。

 

 ――あと5手――

 

 ならばもはや慈悲はない。

 

 ――あと4手――

 

 そして。

 

 ――あと3手――

 

 王の拳が。

 

 ――あと2手――

 

 アイシャの体に。

 

 ――あと1手――

 

 ……突き刺さった。

 

 

 

 

 

 鮮血が、舞った。

 

 


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