どうしてこうなった?   作:とんぱ

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第五十二話

 魔法都市マサドラから北東の方角にある岩場にて12名のプレイヤーが対峙していた。その12名はそれぞれが1流の使い手で、念能力者のみが集うこのグリードアイランドでも上位に位置する強者達だ。

 プレイヤーのみで見ればこの12名が完全にトップであり、ゲームマスターを加えたとしてもそれと同等、あるいは上回る実力者も複数人いた。

 

 そんな彼らが集まりその身にオーラを纏わせ全力の戦闘態勢へと移行している。それはこの場に他のプレイヤーがいれば確実に腰を抜かすだろう程のプレッシャーを生み出していた。もっとも、プレッシャーの原因、もとい戦闘の切っ掛けはアイシャの性転換阻止という極めてどうでもいい物だったが。

 

 アイシャを取り囲む11名に緊張が走る。特に顕著なのがアイシャを良く知る者たちだ。その実力を誰よりも知っているアイシャの一番弟子リィーナ。師であるネテロとの戦いを見続けていたビスケ。仇である幻影旅団の殆どをたった1人で壊滅させたのをその目で見たクラピカ。クラピカと同じくゴンとキルアとレオリオもあの戦闘の一部を見ていた。

 化け物もかくやと言わんばかりのアイシャに自分たちが打ち勝てるのか? いや、勝たねばならんのだ! 己が為にも!

 

 だがそれはアイシャも同じだった。

 14年だ。14年も待ち望んだ悲願がようやく達成されようとしているのだ。例え弟子であろうと、弟子の親友であろうと、己の親友達であろうと、孫弟子であろうと容赦をするつもりはアイシャには毛頭なかった。

 なのでアイシャは、勝つ為に自身のオーラすら利用した。

 

「皆さん! 少しの間時間を――」

 

 リィーナがある作戦を完遂する為に必要な時間を稼いでもらおうと皆に声を掛けたその瞬間。全員の身体に怖気が走った。

 その身にまとわりつく不快なオーラ。何時の間にこんなオーラに包まれているのか? 精神を蝕むような禍々しいオーラの質と思わず身を竦めてしまうような圧倒的なオーラ量に、誰もがその身を硬直させてしまう。

 アイシャのオーラを良く知る者達はそのオーラの正体に気付きすぐに精神を立て直す。だがそれが僅かに遅い者たちがいた。アイシャはそれを見逃すほど優しくはなかった。

 

『――!?』

 

 縮地で一瞬の内に死角へと回り込み、流れるようにゲンスルー達の首筋を手刀で打ち抜くアイシャ。ゲンスルー・サブ・バラの3人は抵抗はおろか声を出す間もなくその場で崩れ落ちていった。彼らが稼げた時間はリィーナの発した言から僅か0.4秒程である。

 

「何という役立たず……!」

 

 かなり酷い言い草であった。尤も、リィーナの言葉はアイシャ以外のほぼ全員(ゴンを除く)の代弁でもあったが。

 だがゲンスルー達を責めるのは酷というものだろう。アイシャはゴン達の隙を作る為に【天使のヴェール】を使用した状態でオーラを高め、かつ全員を囲む円を展開し、その状態でいきなり【天使のヴェール】を解除したのだ。

 前置きなく突如として不快で強大なオーラに我が身が包まれているのだ。人間なら大抵ビビる。驚いて硬直しても仕方ないと言えよう。事実リィーナですら一瞬硬直した。

 リィーナやビスケ、ゴン達はアイシャに対する信頼や前情報のおかげで立ち直りが早かっただけなのだ。未だそこまでの信頼関係を結べていないゲンスルー達では、いきなりのこのオーラに戸惑うのは当然だった。

 

 倒れ伏すゲンスルー達。だがアイシャは気絶したはずの3人……正確にはゲンスルーにのみ追撃を加えようとする。それにいち早く気付けたのはキルアだけだった。この時キルアは既に己の念能力、【神速/カンムル】を発動していた。

 神経に直接電気による負荷を掛けることで、潜在能力の限界すら超越する動きを強制する荒技。伝説の暗殺一家ゾルディックの長き歴史に置いても最高の才能を持つキルアだからこそ出来うる能力。

 思考を飛び越え反射のみで動いたキルアは、未だ意識を保っていたゲンスルーに飛びつきアイシャの追撃から守ることに成功する。

 

 これにはアイシャも驚愕である。3人の意識を断つ為の手刀、だがゲンスルーだけ手刀の手応えが弱かった。凝による防御が間に合ったことを称賛しつつも無情なる追撃を加えたのだが、まさかあの距離から仲間の援護が間に合うとはアイシャすら思ってもいなかった。

 

「皆さん時間を稼いで下さい!」

 

 ゲンスルーが気絶をまぬがれたことと、キルアの神速の反応に驚きながらも再び時間稼ぎを願い出るリィーナ。その横にはビスケとカストロがオーラを漲らせながら並んでいた。

 反性転換連合の最大戦力である3人が前に出ようとしないのを疑問に思うも、残りの4人はアイシャの前に立ち塞がる。アイシャの追撃を逃れたゲンスルーとキルアもその中に加わろうと体勢を立て直そうとしていた。

 

「助かったぜキルア……!」

「礼はいいから早く立――」

 

 言葉を言い切ることは出来なかった。アイシャの狙いは完全にキルアへと向いていたからだ。キルアの新たな能力はこの場の誰よりも脅威に値するとアイシャは判断した。およそ反射速度という一点に置いてなら、今のキルアはアイシャすら上回るだろう。この上電撃による麻痺もあるとなれば真っ先に叩いておかねばならない存在だった。

 

 キルアが体勢を立て直す前に【神速/カンムル】もかくやと言わんばかりの速度でキルアに接近するアイシャ。だが神速の反射神経を持つキルアも負けてはいない。瞬時にゲンスルーを掴んだまま体勢を立て直し、即座にその場を離れアイシャの攻撃からかろうじて逃れる。

 

「……なるほど、とてつもない疾さです。成長しましたねキルア」

「まあな。オレだって何時までもお前に負けてらんねーからな」

「そうですか。ですが、逃げ回っていても私は倒せませんよ?」

「……アイシャ、止める気はないんだな?」

「言葉で止められるとは思わないことです!」

 

 キルアの時間稼ぎを兼ねた言葉をアイシャは一蹴する。もとより説得1つで諦めるくらいなら転生などしてはいないのだ。この程度の言葉ではアイシャの心に1つの波紋すら作ることは出来なかった。

 

「こんなの産んでくれたお母さんに申し訳ないと思うよ?」

「うぐっ!?」

 

 結構揺らいだ。どうやら大きな波紋が出来たようだ。

 

「そ、それでも……うう、ごめんなさい母さん! それでも私は止まれないのです!」

 

 持ち直した。

 だがゴンの純粋な瞳から来る一言はアイシャの心にかなり突き刺さっていた。

 

「悪いこと言っちゃったかな?」

「いやナイスだゴン!」

「ああ! 心なしかオーラも弱まっている気がするぜ!」

 

 オーラには精神が強く表れる。意志を強く持てばそのオーラも強まり、逆は当然弱まることになる。アイシャのオーラは若干だが弱まっていた。ゴン達からすれば100が95になったくらいだが。

 だが何よりもゴンの言葉がもたらした成果は僅かでも時間を稼げたことだろう。アイシャが動揺している隙にキルアとゲンスルーも既に臨戦態勢を整えていた。

 

「キル! サポートしろ!」

「今回は言うこと聞いてやんよ!」

 

 ミルキとキルアの兄弟タッグがここに完成する。ミルキがアイシャへと突撃していくのをキルアが神速の行動でサポートする。アイシャがミルキに攻撃を加えようとするとそれをキルアが僅かにアイシャの動きを逸らす。

 僅かだけでいい。そうすればミルキがアイシャの身体、正確には身に付けている衣服に触る隙が出来る。むしろそれ以上アイシャの動きに干渉してしまうと【神速/カンムル】発動中の自身ですら柔に巻き込まれるとキルアは判断したのだ。

 

 ミルキがアイシャの衣服に触れた瞬間にオーラを出来るだけ流し込み衣服の重量を操作する。徐々に重くなっていく衣服。だがその重さが1tを越えようともアイシャの動きが止まることはないだろう。

 しかし、例え動けたとしても重くなればなるほど負荷が掛かることに変わりはない。それが僅かでもアイシャの動きを鈍らせることに繋がればいいのだ。

 

 もちろんゴン達もそれを黙って見てはいない。戦力を各個撃破されるなどもっとも愚かな戦法なのだから。ミルキとキルアに続いてゴン達も攻撃を加えていく。

 ゴンとレオリオがアイシャへと全力の攻撃を振るう。どうせ自分の攻撃などアイシャにとって然したる問題にはならないと理解していた。だったら初めから遠慮無しで全力でぶつかるまでだった。

 アイシャは2人の決死の攻撃を捌きながらそのまま力の流れを変えて2人に戻す。複数人だろうが合気を仕掛けるのはアイシャにとって容易い行為だ。

 

「ぐっ!」

「おわっ!?」

 

 吹き飛ばされるゴンとレオリオ。だがアイシャへの攻撃は終わらない。すぐさま別の誰かがアイシャへと襲いかかる。

 次にアイシャへと攻撃を仕掛けたのはクラピカだ。既に【絶対時間/エンペラータイム】を発動させており、己に出来うる最大限の強化を施してアイシャへと【打倒する人差し指の鎖/ストライクチェーン】を振るう。

 

 クラピカの鎖を躱し、それだけでなくその鎖を掴むアイシャ。アイシャが鎖を引っ張るとそれに抵抗するクラピカ。その力の流れを操作し、鎖伝えに柔を仕掛けようとする。

 クラピカはそれを具現化した鎖を消して回避する。だが鎖を消す瞬間にアイシャは一気にクラピカとの距離を詰める。このタイミングでのその動きにクラピカも対処しきれないでいた。

 クラピカへと風間流の奥義・浸透掌を叩き込もうとするアイシャ。だがクラピカは浸透掌を受ける前にその場を離脱することが出来た。

 何故かクラピカに触れる直前にその動きが止まったアイシャ。それはアイシャの後方から放たれたキルアの【鳴神/ナルカミ】が原因だった。

 いくらアイシャといえど、電撃を受ければ身体は硬直するようだ。今まで攻撃が通じた覚えがないからキルアも若干不安だったのだが。

 

「お前ら! オレが動きを止めた瞬間を狙え!」

 

 そうと分かればラスボス攻略法も見えてきた。キルアの電撃で動きが硬直した瞬間を狙えばさしものアイシャも攻撃も防御も不可能だろう。

 そう思い、続けて【鳴神/ナルカミ】をアイシャへと放ったキルアはそこで信じられないモノを見た。

 

「んな!?」

 

 なんとアイシャが飛来して来る雷撃を避けたのだ。

 普通人は雷を避けられない。だがそれは放たれてから避けようとすればの話だ。落雷のタイミングは読めなくとも、これは念能力による雷。つまりそこには人の意思が介在する。ならば放たれる瞬間を読めない道理などアイシャにはなかった。

 当たらなければ身体が麻痺することもない。至極当然の結果である。だが電撃が当たったものと思って行動した者たちにとってそれは何とも残酷な結果だった。

 

 開幕の仕返しと言わんばかりに飛び掛っていたゲンスルーはその腕を掴まれ、アイシャへと迫っていたクラピカの鎖の盾として扱われる。

 鎖の直撃を受け、その痛みを感じる前にゲンスルーはアイシャによってクラピカのいる方向へと勢い良く投げ飛ばされた。

 

「ぐおおっ!?」

「くっ!?」

 

 高速で飛来してきたゲンスルーを迷わず避けるクラピカ。それを先読みし、避けた方向に移動しようとしていたアイシャ。

 そしてクラピカへの追撃をキルアが【鳴神/ナルカミ】で防ごうと――していたところでアイシャが縮地により急激に方向を転換しキルアへと迫った。

 

「いっ!?」

 

 まさかあの状況で自分を標的にされると思っていなかったキルアは、一瞬戸惑うも持ち前の神速の反応でアイシャの攻撃を躱す。カウンターで攻撃を加えることも出来たが、キルアは自身の勘を信じて回避に徹した。攻撃すればどうにも捕まえられる気がしたのだ。

 アイシャはそのままキルアを追いかける。キルアはアイシャの追撃を躱す。そこに第三者が入ることは出来ない。誰もその動きに追いつけないからだ。文字通り神速と化したキルアはともかく、アイシャの動きと速度もゴン達には目で追うことも出来ないでいた。

 

「は、疾すぎる!」

 

 ゴン達の目の前で目まぐるしい神速の攻防が繰り広げられる。追うアイシャに逃げるキルア。しかし両者の差は一向に縮まらず、キルアが捉えられることはなかった。

 だが両者には圧倒的な差があった。アイシャはこの動きを1日中だろうと続けることが出来るが、キルアはそうではない。

 キルアの動きはオーラを電気に変化させる能力を応用した物。そしてその能力は身体に充電している電気がなくなってしまえば使用することは出来なくなる。いや、例え充電が十分に保ったとしてもいずれはこの動きを維持出来なくなるだろう。両者のオーラ量には圧倒的な差があるのだから。

 このままではジリ貧だということはキルアが1番良く分かっていた。だから、キルアは次のアイシャの挑発に乗ることにした。

 

「どうしましたか? さっきも言いましたが、逃げるばかりでは私を倒せませんよ? いえ、このまま逃げ続けるのなら私はホルモンクッキーを食べるだけです」

 

 倒さなければ性転換を阻止出来ない。そう言われては攻撃に転じざるを得なかった。

 確かにそうだ。アイシャは別にキルア達を倒す必要はないのだ。あくまでアイシャの目的は性転換。その邪魔をするキルア達を倒そうとしているだけで、邪魔をせずに逃げるのならばそうする必要はない。このままアイシャも離れてホルモンクッキーを食べるだけだ。

 そうさせるわけには行かない。キルアもアイシャが男になるなんて認めることは出来ないのだ。

 

 アイシャと一定の距離を保ち動きを止めるキルア。それを見てアイシャも動きを止めキルアの行動を待つ。

 一瞬、だがこの場の誰もが数十倍の時間の流れを感じたその時、キルアの【神速/カンムル】の1つ、【電光石火】が発動した。

 

 キルアの新能力【神速/カンムル】は大別して2種類の能力に分けられる。

 1つは【疾風迅雷】。予めプログラムした行動を相手の動きに感応して自動的に働かせる能力だ。だが【疾風迅雷】ではアイシャに対して効果が薄いとキルアは判断した。前もって設定した動きではアイシャに対応される恐れがあり、また臨機応変の柔軟な対応が取れない為だ。アイシャの神がかった読みに対してそれは致命的だ。

 なので、自らの意志をダイレクトに肉体に伝え、思考と反応のタイムラグを失くすことで神速の動きを取れるもう1つの能力、【電光石火】にてキルアはアイシャに挑む。

 

 その動きはアイシャにも目で見てから反応しては対処出来ない程の疾さ。だが、アイシャの長年の経験がキルアの意志を、オーラの流れを見切り、動きを先読みした。

 キルアが動いた瞬間にはアイシャも既にキルアの攻撃予測地点に腕を運んでいた。キルアが神速ならばアイシャは神業である。キルアが能力で成した神速の領域にアイシャは修練にて達したのだ。

 だが、やはり速度という一点ではキルアがアイシャに勝る。攻撃に反応されたのなら、その動きにさらに反応すればいいのだ。キルアは瞬時に攻撃の軌道を変え、攻撃の狙いを変更した。いや、こちらがキルアの真の狙いだった。

 そう、狙った箇所はアイシャの……豊満な胸元だった。

 

 衣を裂く音が夜の岩場に響く。アイシャの露わになった胸元からはホルモンクッキーが飛び出していった。

 

 ――やった!――

 

 果たしてどういう意味で喜んだのか。とにかくキルアは目的を達成した。

 アイシャがホルモンクッキーを食べるのが勝利条件なように、キルア達もアイシャを倒す必要はない。ホルモンクッキーを奪い取ればいいのだ。

 宙に舞うホルモンクッキーを【電光石火】でキャッチし、そのまま視線をアイシャの胸元に持っていき、キルアは満足した。

 

 ……満足してしまった。

 

 ――勝利を前に油断。減点です――

 

 それは言葉を発する暇もない刹那の間。だがキルアは確かに聞いた。アイシャのその声を。

 奪われたなら、奪い返せばいいじゃない。アイシャはそれを実行したまでだった。キルアを叩きのめすというおまけ付きで、だが。

 

 宙に浮いているキルアはアイシャの動きに反応することが出来ない。

 いや、反応自体は出来るのだが、宙に浮いている故に移動することが出来ないのだ。

 逃げることが出来ないなら迎撃するしかない。だがキルアは片手にホルモンクッキーを持っている。その状態で高速で迫り来るアイシャを迎撃することは【神速/カンムル】発動中のキルアでも困難だった。

 

 キルアが一瞬で何撃もの攻撃を繰り出しても全てオーラで弾かれる。廻によるオーラの高速回転で攻撃がアイシャの身に届く前に弾かれてしまうのだ。如何に速度を増してもオーラ量が増えたわけではないので速度ほど攻撃力は上がっていないようだ。

 最終手段としてアイシャの身体を踏み台にしてその場から離れようとするが、それはアイシャに読まれていた行動だった。オーラの放出により空中で急激に速度を増したアイシャはそのままキルアに組み付く。離したらまたも神速の動きで逃げられるのだ。そうなったら面倒だとアイシャは力一杯キルアを抱きしめた。

 さらにオーラの放出角度を変え、地面に向かって急降下。そのままキルアは地面とアイシャにサンドイッチされたまま、大地の下へとアイシャと共に埋まっていった。

 

「……お、おい。どうなったんだ?」

 

 見ることすら困難な戦いにレオリオがそう口にする。だが誰もそれに答えられる者はいなかった。

 やがて土埃が舞う中、アイシャがゆっくりと現れた。その腕に気絶したキルアを抱きかかえて。キルアが受けたダメージは相当な物らしく、その鼻からは大量の血が流れていた。顔を強く強打したのだろう。決してアイシャの胸に顔を埋めたことが原因ではない。少年の名誉の為に繰り返す。決してアイシャの胸に顔を埋めたことが原因ではない。

 何処か幸せそうな笑みを浮かべたまま気絶しているキルアを優しく地面に降ろし、アイシャは改めて残ったゴン達5人と相対する。

 

『ぐぶっ!』

 

 訂正。3人に減った。

 

「レオリオ!? ミルキさん!?」

「くっ! 2人には刺激が強すぎたか!?」

「卑怯だぞアイシャ! そんな攻撃するなんざよ!」

「早く服を直すんだアイシャ! このままでは2人が出血死してしまうぞ!」

 

 先ほどまでの緊迫感など次元の彼方へと消え去っていた。

 卑怯も何も、こんな風にしたのは自分ではないのだが、と若干の理不尽を感じつつもアイシャは胸周りを布で覆う。その際に取り戻したホルモンクッキーをまた胸元に戻すことを忘れない。

 

「大丈夫かレオリオ! こんな死に方をしたら末代までの恥だぞ!?」

「あ、ああ。大丈夫だ。まだやれるぜ! あの胸もといホルモンクッキーを奪うまではな!」

「お、オレもだ……! くそっ! あの時キルアがオレのピアスを壊してなけりゃ……!」

「……結構大丈夫そうだね」

「お前ら馬鹿やってないで気を入れ直せ!」

 

 どうやらレオリオとミルキも無事復帰出来たようである。

 

 take2。アイシャは改めて残ったゴン達5人と相対する。

 

「分かってはいたが、圧倒的だな……」

「クラピカ、お前の能力なら……」

「いや無駄だ。私の能力の大半がアイシャには無意味だ。彼女の能力を忘れたのか?」

 

 クラピカの能力、相手を無力化する【束縛する中指の鎖/チェーンジェイル】と【封じる左手の鎖/シールチェーン】のコンボに期待を寄せるレオリオだが、返ってきたのは無情な答えだった。

 そう、アイシャの能力【ボス属性】の前ではクラピカの鎖の大半が無効化されてしまうのだ。有効なのは精々【打倒する人差し指の鎖/ストライクチェーン】くらいのものだ。

 アイシャに対してはクラピカはその戦闘力の大半を失ってしまうのだ。上手く使えば格上であろうとも無力化出来るのがクラピカの能力の真骨頂なのだが……。

 アイシャの【ボス属性】が初めて役に立った瞬間であった。……アイシャ本人にその自覚はなかったが。

 

「クソッ! 使う気はねぇけど、オレの【閃華烈光拳/マホイミ】も意味ないよな……」

「オレの【命の音/カウントダウン】もな。アイシャに勝つには実力で勝るしかないってわけだ」

「衣服なら重く出来るが、アイシャ本人は重くは出来ないな。衣服も重くしたところで脱いでしまえば意味は……いや、これしかないな!」

「ああ、それで行こうぜ!」

「真面目にやれ2人とも。馬鹿は放っておくぞ。とにかく、現状1番期待出来るのは純粋な攻撃力だ。つまり……」

 

 クラピカの言葉に全員が強化系であるゴンを見る。

 

「うう、プレッシャーが……」

「こうなったら全員で行くぞ。少しでも隙を作り出すんだ。その隙を突いてゴンの最大攻撃力を叩き込んでくれ」

「……隙が出来なかったら?」

「……共に死のう」

 

 死は怖くない。そう言っていた頃をふと思い出したクラピカだった。

 

「いえ、殺しませんからね?」

「行くぞ!」

『おう!』

 

 アイシャの言葉を無視し、5人が決死の覚悟で特攻を仕掛けようとしたその時、後方から制止の声が掛かる。

 

「お待ちなさい。無闇にアイシャさんに掛かっても無駄死にするだけです」

「だから殺しませんって」

「り、リィーナさん……!」

「間に合ったか……」

「ああ、これで死なずに済むかもしれねぇぜ」

「あなた達、実は私のこと嫌いでしょう?」

 

 一体自分を何だと思っているのだろうか? 憤慨するアイシャであったが、彼らの立場からすれば怪獣相手に生身で挑んでいるようなものなのだ。死の1つや2つ覚悟するくらい広い心で許して上げて欲しいところだ。

 

 戦場に現れたリィーナのその身からアイシャに匹敵する程の膨大なオーラが溢れ出る。本来のリィーナのオーラとは比べ物にならないそれは、後方でぐったりと息を荒げながら倒れているビスケと、ビスケよりはまだ余裕があるが同じくかなりのオーラを消耗しているだろうカストロの2人が原因であった。

 そう、リィーナは【貴婦人の手袋/ブラックローズ&ホワイトローズシャーリンググローブ】にてビスケのオーラを限界ギリギリまで吸収したのだ。カストロのオーラは若干残してあるが。

 【貴婦人の手袋/ブラックローズ&ホワイトローズシャーリンググローブ】にて吸収したオーラはリィーナが自由自在に引き出して使用することが出来る。それは本来の顕在オーラにさらにオーラを上乗せすることも可能だということだ。

 今のリィーナの顕在オーラはアイシャに比肩するほどまで高まっていた。

 

「あたしのオーラ殆ど渡したんだから……負けたら承知しないわよー……」

 

 大地に伏したビスケは息も絶え絶えにリィーナを叱咤激励する。

 そのままビスケはよっこらせっという掛け声を上げてさらに後方の岩陰へと入って休息を取り出した。

 

「ありがとうございますビスケ。ゆっくりとお休みなさい……」

 

 そんなビスケを優しく見守り、リィーナはアイシャと対峙する。

 

「……行きますよリィーナ」

「はいアイシャさん!」

 

 互いに同じ風間流の構えを取り相対する。こうして本気で師弟が戦うのは一体何時ぶりだろうか。弟子の成長を確かめる意味を込めて、アイシャから攻撃を仕掛ける。

 

 まずは小手調べと組手争いを仕掛けるアイシャ。それにリィーナも応える。互いに自身が有利になるように相手の衣服を掴もうと両手を高速で動かす。

 猛烈な組手争いを制したのはやはりアイシャであった。衣服への僅かな指の引っ掛かりを利用してリィーナの体を崩しに掛かる。

 だがリィーナも負けてはいない。力の流れを読み、逆にアイシャへと技を仕掛けようとする。それをさらにアイシャは利用しようとし、リィーナもそれを先読みして動きを変える。

 

 傍から見れば殆ど動いていない2人、だがそこにはゴン達では理解出来ない複雑な攻防があった。やがて互いに離れて距離を取る。アイシャは愛弟子の成長を確かに確認し、それを嬉しく思った。

 

「素晴らしい。よくぞここまで……」

「全ては師の指導のおかげ……私はそれを怠らなかっただけの話でございます」

 

 師のおかげと謙遜しているリィーナだが、内心は狂喜乱舞していた。

 師に褒められることは彼女にとって麻薬に等しい喜びなのだ。ちょっと、いやかなり危ない。まあ傍目には分からずともそんな風に狂喜乱舞していればアイシャからすれば隙だらけである。

 

 先ほどの攻防は何処に行ったのやら。一瞬にして間を詰められ気付けばリィーナの視界は反転していた。

 リィーナは浮かれていた自分を罵倒し、全身をオーラでガードする。そのまま浸透掌にも備えて体内オーラの操作を心がけておく。だが、アイシャの攻撃は浸透掌ではなかった。アイシャは腕をしならせてリィーナに叩きつけることでその体を空中で弾く。

 

 ――まずいこれは!――

 

 リィーナがそう思おうと後の祭りだ。

 空中で弾かれたリィーナは、吹き飛ぶ前にまたもアイシャの攻撃によって弾き飛ばされる。左右に、上下に、斜めにと何度も、何方向にも弾かれ続けるリィーナ。

 ビスケから吸収したオーラでダメージを防いでいても意味はない。これはアイシャが、いやリュウショウが非力な己でも敵を倒せる技の1つと重宝していた風間流の奥義なのだから。

 例え身体にダメージを負わなくとも、まるで濁流に飲まれた木の葉のように空中で弾かれ続けることでその平衡感覚は狂わされていく。このまま脳を揺さぶられ続ければ最終的には意識も失ってしまうだろう。

 

 この状況からの脱出は力の流れに逆らわずに敢えてその流れに身を任せることが唯一の方法だ。だがそれは常人の場合の話だ。今戦っているのは念能力者。ならば脱出方法は他にもあった。

 

 リィーナは膨大なオーラを放出することで空中から一気に距離を取る。アイシャも使っているオーラの放出による空中移動を利用したのだ。

 これには瞬間的にかなりのオーラを放出出来ることと、放出系の技量もそれなりに必要となってくるが、そのどちらも現在のリィーナは有していた。

 

 ――ビスケとカストロさんのオーラがなければここで終わっていたかもしれませんね――

 

 改めて2人に感謝するリィーナ。放出系の技量はまだともかく、瞬間的なオーラの放出量は具現化系であるリィーナでは己自身の力のみでは成し得なかったのだ。

 ともかく、危機を乗り越えられたのは確か。だがやはりオーラで互しようとも、戦闘能力ではアイシャが上なのはリィーナにも分かっていた。純粋な風間流の技量のみならばまだいいが、アイシャとリィーナにはオーラ技術に差があるのだ。

 さらに潜在オーラの差も大きい。リィーナがアイシャに匹敵するオーラを放っているのは、自身の顕在オーラに吸収したオーラを加算しているからだ。吸収したオーラは自由自在に使用出来るので、顕在オーラを大量に上げることは出来るが、そうすれば吸収したオーラが失くなるのも当然早くなる。

 長期戦になれば確実に負けてしまう。そう確信したリィーナは目的達成の為に師との1対1の拘りを捨てた。

 

 思わぬ方法で危機を脱したリィーナを、さあ次はどうするのかと若干目的からズレた思考で見守っていたアイシャ。だが、次の瞬間さらに思わぬ物を見てしまい驚愕に慄いた。

 

「カストロさん!」

 

 リィーナがそう叫んだ瞬間。後方で地に膝をついていたカストロが立ち上がり、最後の力を振り絞って全力の一撃を繰り出した。

 

「おおおぉぉ! 【邪王炎殺虎咬砲】!!」

 

 カストロから放たれたのは闇の炎で形作られた漆黒の虎。それは獰猛な唸りを上げるように、激しく炎を唸らせて大地を疾走した。

 …………リィーナに向かって。

 

「な!?」

 

 まさか味方であるリィーナに向かって技を放つとは思ってもいなかったアイシャ。なぜ? どうして? 疑問は様々に浮かんでは消えるが、それを遥かに上回る驚愕が待っていた。

 

「はああぁぁっ!」

 

 リィーナは自身へと飛びかかってきた漆黒の虎を両の手で殴りつける。

 両手に莫大な顕在オーラを籠めることでカストロの放ったオーラの塊を弾き返したのだ。

 

「!?」

 

 …………何が何だか分からない…………。

 アイシャの心境を言葉にするとこんな感じだろう。師に向かって攻撃したと思ったら、師はそれを弟子に弾き返す。新手のキャッチボールか? 疑問も謎も最大限に深まったところで更なる混乱がアイシャを襲う。

 

 弾き返された【邪王炎殺虎咬砲】を、カストロは避けもせずにまともに正面から受けたのだ。

 

「か、カストロさん!?」

「お、おい! 大丈夫なのかよ!」

 

 これにはアイシャだけでなく周りで見ていた者たちも混乱した。あれだけのオーラが籠められた攻撃をまともに受けて無事でいられるわけがない。まさかこんな馬鹿な戦いで人死が出るのかとアイシャ達は天を仰いだ。そうして皆がカストロの元へと駆けつけようとしたその時、彼らは信じられない物を見た。

 

「こ、これは!?」

「こおぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 そこにいたのは、暗黒のオーラに身を纏ったカストロだった。その身には傷1つなく、そればかりか疲労困憊だったその身は膨大なオーラを纏ってすらいた。

 

「これぞ【邪王炎殺拳】最大最強の奥義。炎殺虎咬砲はただの放出系ではない。術者のオーラを爆発的に高める栄養剤(エサ)なのだよ」

 

 一瞬遥か過去の何かを思い出し掛かったアイシャは、それを意志の力で封印する。思い出したら多分身悶えしてしまうと無意識に理解したのだ。

 

 アイシャの葛藤は横に置いておき、これこそがカストロの最大の切り札であった。【邪王炎殺虎咬砲】に隠された真の能力。それは暗黒の虎を吸収し術者の力を底上げするブースト能力だった。だが、その使用条件が激しく厳しい使い勝手の悪すぎる能力でもあった。

 

 【邪王炎殺虎咬砲】を放った後の潜在オーラが、【邪王炎殺虎咬砲】に使用した顕在オーラ以下であること。その【邪王炎殺虎咬砲】を受けた相手が無傷であること。

 この2つの条件を満たさなければ発動しない能力なのだ。しかも【邪王炎殺虎咬砲】自体が一度使用すると24時間使用出来ない切り札中の切り札なのだ。

 

 あまりの使い勝手の悪さ。そもそも【邪王炎殺虎咬砲】を無傷で防ぐ者などどれだけいるのか。だがその使用条件の悪さは能力の向上に繋がることになる。発動することさえ出来れば脅威的なパワーアップが出来るだろう。

 そしてリィーナとカストロは2人で特訓している時に、相手のオーラを吸収する【貴婦人の手袋/ブラックローズ&ホワイトローズシャーリンググローブ】を利用して条件を達成させることに成功していた。

 

 前述した通り、【邪王炎殺虎咬砲】は24時間に一度しか使用出来ない。その制約により【邪王炎殺虎咬砲】はかなりの攻撃力を有している。その攻撃力を見て、リィーナは自身の通常のオーラでは無傷で弾き返すことなど不可能と判断していた。だが他者のオーラを吸収して、顕在オーラを上昇させればあるいは……。

 2人での修行中の実験にてそれは証明された。これによりカストロは【邪王炎殺虎咬砲】のブースト効果を受けることが出来るようになったのだ。

 

 というか、あまりの攻撃力の高さにそれまで【邪王炎殺虎咬砲】のブースト効果を発揮したことがなかったのだ。あのヒソカでさえまともに受ければ死に関わるダメージを負ってしまうのだから、その攻撃力は推して知るべしだ。

 リィーナのおかげで定期的に【邪王炎殺虎咬砲】のブースト効果を修行に組み込むことが出来たカストロは、【邪王炎殺虎咬砲】も含めて練度を高めることが出来た。リィーナの協力があればカストロは最大の力を発揮することが出来るのだ!

 

「行くぞアイシャさん!」

「!?」

 

 アイシャの知るカストロとは比べ物にならないスピードで高速接近する。強化系の能力を十全に発揮し有らん限りのオーラで全身を強化しているのだ。流石は強化系というべきか。アイシャもこのパワーアップには思わず舌を巻いた。

 だが、強化系の戦法と風間流は相性がいい。如何に疾かろうと、如何に強かろうと、猛進してくるならそれを返すまで。

 

 カストロの力を合気にて返そうとする直前、アイシャは突如その行動を取り止めカストロの攻撃から身を躱す。だが僅かにその判断が遅かった。その鋭い一撃を完全には躱せず、服の一部が燃え尽きてしまった。

 そう、燃え尽きたのだ。何故か暗黒色になっていたオーラで一見分かりづらいが、カストロの両腕は【邪王炎殺拳】が発動したままだったのだ。これを通常の攻撃と判断して合気で返そうとすればかなりのダメージを負っていただろう。

 

「カストロさん! 狙いは!」

「承知!」

 

 言葉を言い切らずともリィーナの意図を読んだカストロ。そう、狙いはアイシャ本人ではなくその胸元にしまいこんだホルモンクッキーだ。それさえ奪い取り、食べることが不可能なレベルで粉砕してしまえばアイシャの性転換は防げるのだ。

 

「皆さん! 何を呆けているのですか! 総力戦です!」

『りょ、了解!』

 

 リィーナの戦闘やカストロの変化に驚き見学人と化していたゴン達も、リィーナのその激に動きを見せる。

 ゴン、クラピカ、レオリオ、ミルキ、ゲンスルー、そして吸収したオーラで強化されたリィーナと、【邪王炎殺虎咬砲】にて強化されたカストロ。総勢7人の猛攻がアイシャを襲う!

 

「くっ!」

 

 これにはさしものアイシャもたまったものではない。

 強化されたカストロの動きは、技の冴えはともかくそれ以外はネテロと比べても遜色がないレベルへと向上していた。技の冴えもネテロと比べれば見劣りするというだけで、十分に達人といってもおかしくないレベルに達している。いや、純粋な攻撃力――【百式観音】を除き――だけならネテロすら上回っていた。しかもその両手は高温の炎を纏っているのだ。1対1ならともかく、これだけの人数で襲いかかられては対処も至難だ。

 ゴン達も決して足手纏いではない。カストロをサポートするべくカストロの攻撃の合間合間を狙ってアイシャへと牽制を仕掛ける。さらに全体の動きをリィーナがサポートしていた。ゴン達がアイシャの攻撃を受けそうになると即座に割って入ってカバーをする。アイシャの動きを誰よりも知るリィーナだからこそのカバー。7人が一個の生命になったように動き続けアイシャを追い詰める!

 

 ゴンの【ジャンケングー】を逸らし、アイシャの腕を掴みかかってきたゲンスルーへ向けて力を受け流す。だがクラピカが【打倒する人差し指の鎖/ストライクチェーン】でゴンを引っ張ることでそれを防ぐ。

 ゲンスルーにそのまま腕を掴まれ【一握りの火薬/リトルフラワー】にて爆破されるが、高速の凝によりダメージを無効化する。しかしゲンスルーの狙いはダメージを与えることではなく爆発によりアイシャの視界を遮ることだった。その為に威力を減らし爆発量を大きくするよう調整していた。

 腕を掴んでいた為、そこからバランスを崩され大地に叩きつけられるゲンスルー。だが目的は達成していた。爆発の陰からカストロが猛獣の連撃を思わせるラッシュを繰り出してくる。そのどれもがまともに受ければアイシャのオーラすら超えてダメージを与える威力を誇る。

 アイシャはゲンスルーを蹴り上げることでカストロへとぶつけ、その隙に縮地にてその場を離れようとする。だが完全に離れる前にレオリオが組みかかってきた。一同でもっとも実力が劣ることを自覚していたレオリオは下手な攻撃をせずにアイシャの動きを少しでも止める為にタイミングを見計らっていたのだ。

 その隙を逃さずミルキがアイシャの衣服に触れさらにその重量を増す。これで僅かに、だが確実にアイシャの動きはさらに制限されるだろう。

 レオリオとミルキを呼吸法と体捌きにて大地へと叩きつけるも、止めとなる追撃はリィーナによって防がれる。

 

 全てが思い通りに行かない戦いはそう記憶にないアイシャ。まさに苦戦。ここまで苦戦したのはネテロとの戦いくらいのものだ。そう思い、アイシャはふと笑っている自分に気がついた。

 

 ――楽しいな――

 

 そう、アイシャはこの戦いを何時の間にか楽しんでいた。

 弟子が、友が、孫弟子たちが、これほどまでに成長し自分に食いついて来るこの戦いを心底楽しく感じていた。願わくばこの時間がもっと長く続いて欲しい。そうアイシャは思い始めた。

 

 だが、楽しい時間はそう長くはないようだ。アイシャはカストロの心情から焦りがあるのを読み取ったのだ。

 今この状況で焦りを感じる。つまりはカストロのブースト効果はそう長くは続かないということだろうとアイシャは推測した。しかも同じ焦りをリィーナも感じている。リィーナの吸収したオーラも底が見えてきたのだ。アイシャに対抗する為のオーラを顕在させ続けた為だ。

 

 それでいてアイシャはまだまだオーラ総量に余裕があった。いや、それどころか廻によるオーラの高速回転をキルアとの戦闘以外で使用していないのだ。それはアイシャは全力を温存しているということだった。

 押しているように見えるが、このままではジリ貧だろう。そう判断したリィーナとカストロは全てを込めて最後の攻撃に転じる。

 

「はっ!」

「おおっ!」

 

 全体のサポートに回っていたリィーナがカストロと同時にアイシャへと攻撃を仕掛ける。反性転換連合の最高戦力による同時攻撃。アイシャもそれに全力で応えようとする。

 天地上下の構えを取り、己の全ての技術を籠めて両者を迎撃しようとして――足首を掴まれ大地に足を飲み込まれ体勢を崩すこととなった。

 

「なっ!?」

 

 驚愕したアイシャが見たのは地面の下から生えた一本の腕だった。

 なぜ地面の下から腕が!? そう驚愕する間もなくリィーナとカストロがアイシャへと突撃してきた。

 片足を掴まれ、しかも地面に片足が足首まで埋まった状態で両者を迎撃するのはアイシャでも不可能だった。足を強く引っ張られ、バランスを保つのが精一杯。そこに最高レベルの実力者が2人も掛かってくるのだ。

 咄嗟に足首にて廻を発動し掴んでいる手首を弾こうとするも、その手に全力の硬をしているためか、攻撃を捌くのに注力せざるを得ず廻に集中しきれない為か、はたまたその両方か、とにかく簡単に弾くことは出来ないでいた。

 数手、数十手と攻撃を凌ぐも、最後にはリィーナによって胸元のホルモンクッキーを奪い取られ、カストロの暗黒の炎によって焼き払われてしまった。

 

『お、おおぉ……や、ったーーーーっ!!』

 

 ラスボス撃破である。

 困難を達成した反性転換連合は誰もが喜びの声を上げた。

 

「……やられましたね。ところでビスケ、もういいでしょう?」

「……ぷはっ! ふう、このあたしがモグラの真似事をするなんてねぇ。ま、流石のアイシャも予想してなかったみたいね」

 

 地面からビスケが這い出てくる。そう、アイシャの足を掴んでいたあの腕はビスケのものだったのだ。

 リィーナにオーラを吸収されつくしたはずのビスケ。だが、その実ビスケはまだオーラに余裕を残していたのだ。あの息も絶え絶えだった姿も演技だ。岩陰へと避難したのも、地面を掘り進んでいるのを見られないようにするためだ。

 地面を掘る道具はゴン達の修行道具としてのスペアをカードとしてバインダーに入れていたのを使用した。戦闘の真下までバレないように掘り進み、あとは機を見て奇襲を敢行したのだ。

 地上の状況は地面の下にも伝わってくるオーラの応酬と、リィーナの耳に仕込んであった小型の通信機から把握していた。ちなみにこの通信機はミルキ作である。アイシャの位置はそのオーラの質から判断していた。禍々しいオーラを撒き散らしているので簡単に位置を判別出来ていた。

 

「……初めからここまでの作戦を練っていたのですか」

 

 ビスケの話を聞いて肩を落とすアイシャ。完全に策に嵌められた結果である。だがそれでもここまで戦い抜いた皆にアイシャは賞賛を送る。

 

「皆さん、素晴らしかったです。それぞれが全力の力を発揮した結果と言えるでしょう。……私の負けです」

 

 そう、誰もが力を出し切ったのだ。カストロのブースト効果は残り僅かで切れる寸前であり、リィーナの吸収したオーラも僅かしか残っていない。

 ゴン達も圧倒的な実力とオーラを放つアイシャを相手に普段以上にオーラを消耗している。ダメージ自体は然程でもないが、誰もが疲弊していた。ちなみにゲンスルーは結構ボロボロである。特に最後のアイシャの蹴りが効いていた。

 ビスケも戦闘に殆ど参加こそしていないものの、リィーナへのオーラ譲渡、地面を掘り進む際に慎重に、かつ素早く移動する為に殆どのオーラを消耗している。アイシャの動きを止めるのには最後の力を振り絞っていた。しかもアイシャの足を掴んでいた手は廻の威力に耐えていた為に皮膚が破れ血が滲んでいた。

 誰もが残り僅かな力しか残っていない。まさにギリギリの勝利だったのだ。

 

「……アイシャ?」

 

 素直に負けを認めたアイシャは皆に笑顔で賞賛を送り、そのまま寂しそうにゆっくりと場所を移動する。アイシャのその行動は悲願を打ち砕かれたが故の哀愁から来るものだと誰もが思い、それを見守る。

 

「あ、アイシャさん……!」

「止めておきなさいリィーナ……」

 

 アイシャへと駆け寄ろうとしていたリィーナをビスケが止める。そう、今さら勝者が敗者に声を掛けて何になろうと言うのか。アイシャの悲願である性転換を阻止しておきながら、それを慰めようなどとおこがましいとリィーナは自身を恥じた。

 そもそも、ゴンの言う通り性転換の効果は1日だけだったのだ。それなら敬愛する師の願いを叶えても良かったのではないか? 愛くるしいアイシャの姿が失われるのかと思い少々暴走したのではとリィーナは後悔する。

 

 そうしてリィーナが後悔に苛まれている間に、アイシャは最初にホルモンクッキーをカードからアイテム化した場所まで歩いていき…………その場に落ちてあるホルモンクッキーを1箱取って胸元に隠しこんだ。

 

『……え?』

 

 あれ? どういうこと? あ、そう言えばあれって10箱入りだったな……。

 などと完全に呆けている反性転換連合を尻目に、アイシャは悠々と残り8箱のホルモンクッキーを全力で様々な方向へと投げ飛ばす。

 これで例え今持っているホルモンクッキーがまた奪われ破壊されたとしても、残りの内どれか1つでもアイシャがゲットしに行けばいい。幾ら何でもこれだけの数を同時に対処することなど出来ないだろう。

 

「私の負けです。……第1ラウンドは、ですが。さあ、第2ラウンドと行きましょう。今度は初めから全力で行かせてもらいますよ」

 

 アイシャのその宣言とほぼ同時にカストロのブースト効果が切れる。その反動でカストロは完全な絶となった。戦力大幅ダウンである。いや、まともな戦闘力の残っている者など誰もいなかった。だがラスボスは完全に本気である。

 敢えて全力の練を行い戦意を見せつけた上で【天使のヴェール】でオーラを隠す。さらに両手に纏うオーラをボーリング大の球形に変化させる。

 【天使のヴェール】で隠されたオーラは身体から離れない限り念能力者の目に映ることも感じることも出来ない。つまり見えない凶器の完成である。これで攻撃されれば目測を見誤り避けることはまず無理だろう。

 今まであまりに卑怯だろうと思い対ネテロ戦でも使用したことのない禁断の技をアイシャは解禁した。これも目的成就の為である。容赦などなかった。

 

『……』

「来ないならこちらから行きますよ?」

 

 ラスボス(第2形態)VS反性転換連合(満身創痍or疲労困憊)の第2ラウンド……否、蹂躙が始まった。

 

 




 このアイシャ容赦せん!
 グリードアイランドラスボスはレイザーではない。このアイシャだー!

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