「――こちらは問題ない。そちらは――そうか、分かった。――ああ、先にホテルで待っているとしよう」
その言葉とともに通話を切り携帯電話を懐に収めたクラピカは、その様子を窺っていたゴン達に振り返り彼らが最も聞きたいだろう事柄を伝える。
「アイシャからだ。戦いは終わったようだ」
「じゃあ!」
「ああ、アイシャの勝ちだ」
クラピカのその一言でゴンがわっと歓声を上げ、病院内であることを思いだしばつの悪そうな顔をしながら口を噤む。
「やっぱりアイシャの勝ちじゃん。心配するだけ損って言っただろ?」
「うるせーなー。アイシャが強いのは分かってるけどよ、あのヒソカが相手となったら心配にもなるんだよ」
レオリオの言い分にキルアもそれもそうか、と納得の表情を見せる。
キルアはアイシャの勝利を疑ってはいなかった。あの幻影旅団すら一蹴してみせたアイシャが今さらヒソカ相手に負けるとは思わなかったのだ。レオリオもキルアと同意見なのだが、ハンター試験の時にヒソカから味わわされたあの形容し難い恐怖を思い出すと何処か安心出来なかったのだ。
あの邂逅でヒソカがただ強いだけの存在じゃないと肌で感じたのだから、レオリオの才能もゴン達に負けず劣らず輝いているのだろう。
「アイシャは今からホテルへと帰ってくるそうだ。心配していた父親へのヒソカの強襲もなかったことだし、私たちも先にホテルへ帰って待っててほしいとのことだ」
「これで本当に一件落着か」
「うん。あとはグリードアイランドに行くだけだね」
「まあ、その前にゲームが出来るかどうかだけどな」
「グリードアイランドのプレイヤー選考会だね」
グリードアイランドのプレイヤー選考会。それは世界有数の大富豪バッテラがサザンピースオークションが終了したその日、その時間、オークション会場をそのままの会場として開くゲーム参加者を決める選考会だ。
その選考会の参加資格は第一に選考会自体の存在を知ることだ。無駄な人間が寄って来ないようにする為に、選考会の告知はある一定以上の実力を有する者にしか知りえないようになっていた。
最も分かりやすい例がハンターサイトだろうか。あれを見ることが出来る者ならその告知を知ることが出来る。バッテラが自らの伝手を使いハンターサイトに告知を載せているからだ。ハンターサイトを利用出来る者はプロのハンター以外にそうは――中には極少数だが違法で覗く者もいる――いない。プロのハンターとなればその実力はそこらの有象無象とは比べるまでもないだろう。
そうして選考会の存在を知った者が全員参加出来るかと言われればそうでもない。第二の参加資格は1200万ジェニーという一般人から見ればかなりの大金が必要となってくるからだ。別にバッテラが1200万ジェニーを徴収している訳ではない。ただ選考会の実地会場がサザンピースオークション会場で、開始時刻がサザンピースオークション終了後すぐというだけのことだ。
つまりはサザンピースオークションに参加していないと選考会に参加することは出来ないのだ。そしてそのオークションに参加する為には、オークションのカタログを1200万ジェニーで購入しなくてはならない。もちろんこれも選考会前の選別だ。この程度の金額さえ用意出来ない者には用はないということだろう。
これらの条件をクリアした者のみが選考会の参加資格を有することが出来るわけだ。もちろんゴン達も条件を満たしている。サザンピースオークションに参加するためのカタログは既に購入していた。天空闘技場での稼ぎは無駄ではなかったのだ。カタログに付いている入場券は1枚で5名まで入場可能となっているのでカタログは1つで事足りた。
「選考会って何をするんだろうね?」
「グリードアイランドを攻略出来る実力があるかを調べるんだろ? まさか人前で発とか使えってんじゃねーだろうな?」
念能力者の実力を測るには幾つかの目安があるが、最も分かりやすいのが練によるオーラ量を見ることと能力者の能力、つまりは発を見ることだろう。
オーラ量が多ければそれだけで戦闘には有利に働くだろうし、例えオーラ量がさほどでもないとしても有用な能力を持っていればそれだけで優秀な人材だ。
だが前者はともかく、後者の方法は避けたいとキルアは思っていた。赤の他人、それも念能力者相手に自身の手札を無駄に見せるのは好ましいとは言えないからだ。
下手すれば選考会の参加者全員に見られる可能性がある。そうなればキルアは強化系と偽ってでもただの練を見せるだけで終わらせるつもりだった。
「流石にそれは選考会が始まらないと分からないが、ある程度は考慮してくれているだろう」
「それならいいけどな。まあ、オレ達が落ちることはないだろうし、気楽に構えていようぜ」
「うーん、でもオレ達よりすごい人って一杯いるんだし……。残りの時間も出来るだけ修行してよっかなー」
「……そうだな。なんか修行してないと調子狂っちまうぜ。大体アイシャのせいだ」
「確かにな。幻影旅団のせいでここ数日まともに修行が出来ていない為かどうにも落ち着かない」
「お前ら……」
レオリオは3人のあまりの不憫さに思わず目頭が熱くなった。なお、ゴンの言う自分たちよりすごい人とは、風間流の念能力者や幻影旅団を指している。彼らが基準になっていたら、並の念能力者は怒ってもいいだろう。
そうこう話をしている内に4人はホテルへと戻ってきた。後はアイシャを待つだけなので、堅の持続時間を伸ばしたり、発に磨きをかけたり、アイシャ流鍛錬の一部を指導したりされたりと、各々自由に時間を潰していた。
そんな時だ、ベランダの扉からアイシャが戻って来たのは。
「ただいま戻りました」
「お前そこが出入り口と勘違いしてねーか?」
地上数十mの高さにあるベランダから出入りを繰り返すアイシャを見てキルアがそう突っ込むのも当然だろう。まあ、アイシャが好んでベランダから戻って来ているわけではないのだが。
「予想はしていたが、今回の土産はヒソカか……」
そう、アイシャは傷つき気絶したヒソカを背負ってここまで来ていたのだ。
流石にこんな重傷人を背負ってホテル真正面から帰って来るわけにもいかず、仕方なしにベランダから出入りをする羽目になっていた。
アイシャは気絶したヒソカをベッドの上に寝かせて一息つく。
「ふう。皆さんお待たせしました。ドミニクさんの警護もありがとうございます」
「まあそれはいいけどよ……うわ、よくもまああのヒソカをここまでボコボコに……」
「その割に恍惚の表情を浮かべているのがヒソカらしいなおい」
「うん。オレとの戦いでもすごく嫌な感じがしたし」
「アイシャとの戦いで感極まったか……」
全身を血や腫れで真っ赤にした重傷人が恍惚の表情で気絶している。
軽くホラーである。でなければ極度のマゾだ。ある意味どちらもヒソカらしいが。皆がヒソカの惨状に引いていた所でレオリオがふとアイシャの左頬の傷に気がついた。
「おいアイシャ。お前左頬が少し腫れてるぞ!」
「本当だ! ヒソカの攻撃を受けたの!?」
「嘘だろ!? アイシャがダメージを受けた!?」
「馬鹿な! ヒソカ、恐ろしい奴……!」
アイシャが敵の攻撃をまともに受ける。
それはゴン達にとって晴天の霹靂、驚天動地とも言える程の出来事であった。
アイシャはアイシャでゴン達の中での自分がどういう存在なのかを心底知りたかったが。
「いや、まあ私の傷はいいとして……。レオリオさん。ヒソカの左手を治せますか?」
「左手って……うおっ!? ち、ちぎれてんのかよ!」
「ええ。出来ますか?」
「……切断面は結構綺麗だから繋げた状態で【掌仙術/ホイミ】をすりゃ多分。切断してから相当時間が経ってたら駄目だろうけどよ」
「無理なら構いません。出来るだけお願いします」
どうしてヒソカの左手を治してほしいのか? それはレオリオには分からないことだ。レオリオはこれまでにも瀕死の重傷を負ったフランクリンを治療したが、あれは文字通り瀕死だったからだ。あの時レオリオが治療しなければもって数日でフランクリンは死んでいただろう。
だがヒソカは違う。左手はなくなってもそれが即座に死に繋がるわけではない。出血多量はあるかもしれないが、それは傷口を塞げばいいだけの話だ。わざわざ手を繋げるまでしてやる必要はない。
しかしレオリオにはアイシャのその懇願を拒む理由も特になかった。
「分かったよ。左手だけでいいんだな?」
「はい。他の傷は放っておいて結構です」
「おっしゃ任せとけ! 【掌仙術/ホイミ】!!」
手首を正しい位置で繋げ、そこにオーラを流し込む。暖かな光がヒソカの左手首を覆い、ゆっくりと傷口が塞がっていく。
「おいアイシャ。どうしてヒソカを治してやるんだよ?」
「私も疑問だ。勝負を挑んだのはヒソカだ。ならばその勝負でどんな怪我を負おうともそれはヒソカの自業自得。そこにアイシャの責はないだろう?」
「そうですね。それは分かっています。別に私も責任を感じているわけではありません。ですがヒソカには出来るなら五体満足でいてほしいのです」
「何か理由でもあるの?」
皆が疑問に思う中、最後に質問したゴンに視線を向けるアイシャ。ジッとゴンを見つめ続けるアイシャに、ゴンもよく分からない表情で応える。
「まあ、そうですね。ゴン。あなたはヒソカに勝ちたいですか?」
「もちろん! ヒソカにはやられっぱなしだから、もっと強くなって絶対に勝つんだ!」
アイシャの問いに間髪入れず返答したゴンにアイシャも優しげな笑みを浮かべる。期待通りの答えが聞けそれが嬉しかったのだ。
「そうですか。では、その時にヒソカが万全でなく、それで勝てたとしたら?」
「え? ……うーん、それは嫌だな~。ヒソカが全力じゃないのに勝てても嬉しくないや」
これもまた期待通りの言葉にまたも嬉しくなり、アイシャは微笑を浮かべながらゴンに話しかける。
「でしょう? ですからヒソカには万全の状態に戻ってもらいます」
「え? じゃあこれってオレのために?」
アイシャの答えにゴンも驚き目を丸くする。まさかそんな理由だとは思いもよらなかったのだ。だが、ゴン1人が理由というわけでもなかったが。
「ふふ、ゴンだけではないですよ。カストロさんもきっと万全のヒソカとの勝負を望み打ち勝ちたいと願っているでしょう」
そう、打倒ヒソカに燃える武術家カストロ。
彼は万人に勝る才を持ち、それでいてアイシャも認める程に努力を惜しまない正真正銘の武人だ。ヒソカやアイシャとの戦いを経て武人として更なる心構えを手にしたカストロのことをアイシャは快く思っていた。
そんな彼には出来るだけ満足してヒソカと戦ってほしかったのだ。
「待てアイシャ。それはつまりヒソカは旅団と同じように捕らえないということか?」
「いえ、クラピカの鎖である程度は縛ってもらいます。幻影旅団ではなかったというだけで、ヒソカが凶悪な殺人者である事実に変わりはありませんから。ですが――」
「旅団と同じように法では裁かないってわけか」
キルアの問いにコクりと頷くアイシャ。
それはただのエゴだった。別段ヒソカを特別に想ってのエゴではない。友を、孫弟子を想ってのエゴ。同じような凶悪犯は法で裁く一方でのこの贔屓。エゴ以外の何でもないだろう。それはアイシャも理解していることだ。
「法で裁かないだけで、ある程度の不自由は覚悟してもらいますが。今さら文句はありませんねヒソカ?」
「え? ってうお!?」
アイシャのその物言いに治療していたレオリオが思わずヒソカの顔に目を向けると、既に気絶から目覚めていたヒソカとバッチリ目があってしまった。
「……やっぱりバレてたか♥」
「一瞬呼吸が変わりましたから。それで、何か文句でもありますか?」
「うーん、内容によるかな?」
「贅沢言ってられる状況かよ……」
「戦闘力を奪うようなことはしません。ただ、無駄な殺生は止めてもらいましょうか。クラピカ」
「ああ」
そうしてクラピカの【律する小指の鎖/ジャッジメントチェーン】によりヒソカに掟の鎖が埋め込まれる。その守るべき内容はこうだ。
1:挑まれない限り他者への攻撃を禁ずる。ただし、人助けの為の戦闘行為はこの条件に当て嵌らないものとする。
2:1の条件はアイシャのみ除くものとする。ただしアイシャへ一度挑むと次に挑むのは1ヶ月以上時間を開けること。
3:直接・間接問わず強制的に他者が自身に挑むように仕向けることを禁ずる。
4:ゴン・カストロの両名と戦い敗北した時、その半年以内に自首をして過去の罪を償うこと。
5:除念師との接触を禁ずる。なお、除念師と知らずに接触した場合対象が除念師と理解して10秒以内に離れること。その後その除念師と接触すると掟を破ったことになる。
これがヒソカに課せられた死の掟となった。
1の掟によりヒソカの殺人は限りなく抑えられるだろう。例外として人を助ける為ならば戦闘行為を許すことにしていた。
2の掟はヒソカにとっての救いだろう。あまりに何も出来ないとヒソカが暴走してしまうだろうとアイシャが若干の仏心を出したのだ。
3の掟によりヒソカから敵を作って自分に挑ませることは出来なくなった。意図的に危機状態の人を作り出し、それを助ける為に戦闘するという行為も出来ない。
4の掟は酷な言い方になるがアイシャにとってヒソカの役目が終わった時のことだ。もっとも、ハンターライセンスの効力によって大した罪は問われないかもしれないが。
5の掟は自由に動けるヒソカが除念師と出会って掟の鎖を解除するのを防ぐために加えられた。
「あらら♠ いいのかい? アイシャに戦いを挑んでってお願いするのは♣」
「いいですよ。あなたもただ敵が来るのを待つのは嫌でしょう。それに……」
「それに?」
「私も楽しかったですから。あなたとの戦いは」
そう言ってアイシャは満面の笑みを浮かべてヒソカへと向ける。
そう、アイシャも楽しかったのだ。あの駆け引きが、緊張感溢れる戦闘が、知略の限りを尽くして全力で向かってくるヒソカとの死闘が。
結果で言えば圧勝したアイシャだったが、あの戦闘は万金に値する価値があると思っていた。
そのアイシャの偽らざる想いを聞いて、ヒソカも鮮明に残っている死闘の記憶を思い描いて愉悦に浸り言葉を返す。
「ああ、そうだね♦ 楽しかったなぁ本当に♥ 次に戦う時が楽しみだよ♣」
「あ、言っておきますけど、挑んできたところで絶対にそれを受けるとは限りませんよ」
「ええ~、それはないよアイシャ♥」
「私にもやることがあるんです。あなたに構ってばかりはいられませんよ」
そうして笑い合うアイシャとヒソカ。
そんな2人を見てどことなく不機嫌になっていく者が2名程いたが、まあそれはどうでもいいことだろう。
「それはそうとさ! 今度こそひと段落したことだしこれからどうするよ」
幾分声を荒げながらキルアが話を持っていく。
アイシャは何故か不機嫌なキルアを怪訝に思いながらも、まあ思春期的な何かだろうと当たってはいるが理解は出来ていない予想を立てていた。
哀れキルア。
「そうだなー。やっぱり選考会に向けて修行する?」
「いや、せっかくのヨークシンドリームオークションなんだから何か適当なオークションに参加でもしようぜ」
「でも別に欲しいもんなんてないしなー」
「私は出来るだけ緋の眼の情報を集めていよう。どこかのオークションで売られているかもしれない。競り落とすのが無理でも購入者を把握出来ていればその後の追跡が容易になるからな」
「私は空いた時間で適当にヨークシンを回って見ますか」
「それならオレと一緒に値札市に行こうぜアイシャ。ゴンとキルアは選考会の修行をするみたいだしよ」
自分以外の全員が今後のヨークシンでの予定を述べたところでレオリオがタイミングを測ったかの如く提案を切り出してきた。それに対してアイシャは嬉々として答え、キルアはやられた! と言わんばかりの表情になって歯噛みしていた。
「ええ、一緒に回りましょうかレオリオさん」
「ああ、それならオレも一緒に行こうかな。値札市って興味あったし」
「……選考会まで修行した方がいいんじゃねーかキルア?」
「修行はするさ。でも息抜きも必要だろ?」
何故かキルアとレオリオの間に火花が散っているように見えるが、男の戦いの渦中にあるとは露とも思わないアイシャにはその理由は分からなかった。
哀れキルアとレオリオ。
「それじゃあ3人で行きましょう、ね?」
「……ああ」
「……そうだな」
いと哀れ。
◆
ホテルの一室で今後のことを話していた矢先、アイシャの元にエル病院から連絡が届いた。その内容はドミニクの意識が目覚めたというものだった。ドミニクは瀕死の重傷から回復はしていたが、意識は目覚めることなく眠り続けていたのだ。
それが今日ようやく意識を取り戻したと病院から連絡が入り、アイシャは急ぎエル病院へと駆けつけた。
病院に辿り着いたアイシャは受付で話をしたあと、そのままドミニクの担当医の所まで行く。最も気になっていたドミニクの容態、特に入院時にはっきりとしなかった感染症の疑いを確認したかったのだ。
だが懸念していた事態にはならなかったようだ。腹腔内に傷や出血は確認されず、感染症も問題ないと判断された。
連絡にあった通り意識も戻っており、失血の影響としばらく寝たきりだったため立ち上がる程の体力は戻ってないが、容態は安定しているとのことだった。
アイシャはようやく一安心してドミニクの病室へと歩を進める。
ドミニクの病室に辿り着いたアイシャはノックをして返事を待つ。
中からは1人の人間の気配を感じる。寝ている者のそれではない。意識が戻っているというのは本当のようだ。
「……入れ」
ノックをしてから数秒し返事が返ってくる。
アイシャはゴクリと生唾を飲み込んでから、ゆっくりとドアを開けて入室した。
「失礼します」
「っ! ……お前か」
入室したアイシャを確認したドミニクは思わず息を飲んだ。
病院の関係者が入ってくるものだと思っていたのだろう。まさかの人物の登場に驚きを隠せないようだ。
「何の用だ。二度とオレの前に現れるなと言ったはずだが?」
「……申し訳ありません。ですが……」
ドミニクのいきなりの拒絶にアイシャは言葉を詰まらせる。
色々と分からないことがあるだろうから説明を、と思いここまで来たが、いざ対面すると何からどうやって話したらいいのか分からなくなってしまったのだ。
ドミニクもまた普段と違い戸惑っていた。
急な再会にどうしたら良いのか分からず、思わず拒絶の言葉を吐いてしまった。娘を許したつもりはない、だがこうして再会したのだから話をするくらい良かったのではないか? だが男が一度言ったことを曲げるなどと……そんな考えが頭を巡りドミニクも軽く混乱していた。
「今日は!」
「は、はい!」
「天気がいい…………あ、雨が降ってるな!」
「え? あ、そうですね!」
「……」
「……」
静寂が場を支配する。心なしかドミニクの頬は赤く染まっていた。
アイシャはそれを見て血色が良くなったとズレた勘違いをしていたが。
「ゴホン!」
ドミニクは咳払いをして自分の中で先ほどの恥辱をなかったことにし、改めてアイシャに問いかける。
「オレを助けたのはお前か?」
「……はい」
「やはりそうか……」
あの襲撃でドミニクが最後に見た記憶はアイシャの悲しげな表情だった。なぜあの場にアイシャがいたのかは分からなかったが、己が今も無事なのはこの娘が助けたからとしか思えなかった。
だが、あの地獄からどうやって己を助けたのか? あの瀕死の重傷はどうしたのか? 目覚めてからの疑問を目の前の娘にぶつける。
「何があったのか、詳しく話せ」
ドミニクにそう言われようやくアイシャも思考をただし滑らかに話し出す。
「分かりました。……マフィアンコミュニティー主催の地下競売を襲撃したのは幻影旅団です」
「何だと!」
アイシャの突然の言葉にさしものドミニクも眼を見開き驚愕する。
幻影旅団の名は裏社会に置いてあまりにも有名だ。これまでも幾つものマフィアや裏社会の大物が餌食となっているのはドミニクも知っている話だ。
だが、だからと言って全てのマフィアを敵に回すような愚かな真似をするとは思ってもいなかった。
しかし一方で納得もする。幻影旅団ともなればあれだけの破壊を撒き散らす強力な念能力者を有していても当然だと。
「それで! 幻影旅団はどうなった? コミュニティーはどう対処した!?」
「お、落ち着いてください。マフィアンコミュニティーがどう対処したかは私には分かりません。私はマフィアではないですから。ただ、私の仲間から聞くには幻影旅団の一員と戦闘して大部分のマフィアが痛手を受けたそうです」
「……そうか」
激昂しアイシャに詰め寄ったドミニクだったが、アイシャの言葉で多少の冷静さを取り戻す。マフィアンコミュニティーの詳しい現状など完全な部外者であるアイシャが知りようはずもないのだから。
「それで、幻影旅団はどうなった?」
大勢のマフィアを相手に圧倒するような化け物集団だ。マフィア子飼いの念能力者では相手にもならないだろう。まんまと競売品を盗まれ逃げられたのか。そう思うと怒りではらわたが煮えくり返るようだ。
だが、その後に続くアイシャの言葉でそんな思いも空の彼方へと消えさった。
「全員捕らえました」
「…………ん? ああ、すまないがもう一度言ってくれ」
アイシャの言葉を聞き逃したのか、同じ言葉をもう一度催促するドミニク。
アイシャはまだ意識がはっきりとしていないのかと心配しながらも先ほどと同じ言葉を連ねる。
「全員捕らえました」
「……」
どうやら聞き間違いではなかったようだ。
捕らえた? あの幻影旅団を? 全員? 誰が? どうやって?
いきなりの有り得ないような情報にまたも混乱に陥るドミニク。
「……もしかして陰獣か?」
そこでドミニクは陰獣という答えに行き着く。
あの十老頭自慢のマフィア最強の念能力者集団ならあるいは――
「いえ、私とその仲間達でですが」
「……」
だがそんな納得のいく答えは続くアイシャの言葉によってあっさりと否定された。
「ど、どうやって?」
「倒して無力化しました」
もう、何を言ってるのか分からない。
自分の娘はどれだけ強いのだ? あれを倒した? ミシャはどういう教育をしたんだ?
いや、今考えるべきはそこではないと頭を振りかぶってドミニクはアイシャに質問を続ける。
「今、幻影旅団はどこにいる?」
「……それは言えません」
「何故だ!?」
マフィアンコミュニティーに戦争をふっかけたばかりか、長年己に仕え続け護衛をこなしてきたダールとザザを殺されたのだ。ここまでコケにされて見逃してやるほどドミニクも穏健にはなっていなかった。
無力化され捕らえられているとなれば好都合だ。死という名の報復を与えてやるつもりだった。
だが肝心の居場所を娘は話さないという。激昂し、つい口調が荒くなってしまう。
「幻影旅団はしかるべき場所で法の下に裁いてもらいます。ハンター協会に連絡しすでにその様に取り計らってもらっています。今マフィアであるあなたに居場所を教える訳にはいきません」
もし居場所を教えればドミニクは必ずマフィアと連絡を取って幻影旅団の身柄を取り押さえるだろう。
そうなればクラピカの能力で無力化されている幻影旅団はまともな抵抗も出来ずに捕らえられるばかりか、あの部屋から無理矢理連れ出されそのまま鎖の掟を破ったとして死んでしまうだろう。
そればかりかあのホテルにいるゴン達にもマフィアの手が伸びるかもしれない。そうなる可能性がある限り例えドミニクと言えどもこの件について話すつもりはなかった。
「……」
その強い拒絶の意思を見てドミニクもアイシャがこれ以上話すことはないと理解する。話を聞く限りアイシャの戦闘力は相当なものだ。無理矢理聞き出すというのも不可能だろう。いや、妻の面影を残すアイシャに無理矢理というのがそもそも抵抗があった。
「分かった。その件はもういい。次に聞きたいことだが、オレを助けたのはお前だが、オレの傷を治したのもお前か?」
「いえ、ある人が治療を施してくれました」
「……そうか。そいつに礼を言いたい。今度連れてきてくれ」
ドミニクはマフィアではあるが、仁義は心得ているつもりだった。
命を救ってくれた者に礼の1つも言わずにいるのはドミニクの矜持が許さなかった。
アイシャの言葉が若干曖昧なのは気になったが。
「……分かりました。今度会ったらそう伝えておきます。ですが、その人が来るかどうかは分かりませんのでそれは先に断っておきます」
アイシャとしてはレオリオが治癒能力者であることを無駄に示唆するような会話は避けたかったのだ。
念能力者は希少であり、その中で治癒能力者はさらに希少だ。レオリオの存在を知れば彼を手元に置きたがる者は星の数ほどいるだろう。
ドミニクがそうだとは言わないし、彼が秘密をばらすとは思いたくないが、長年の習性とも言えるものからつい能力の秘匿に努めてしまうアイシャだった。
「……分かった。その場合は俺が大いに感謝していることを伝えろ。良ければオレの家に来てほしいと。相応の謝礼をするつもりだとな」
「はい、必ず」
ドミニクにしても念能力者が己の能力を秘匿する重要性をある程度は承知している。部下の能力は全て把握しており、その中には能力が知られたら対応が容易な能力も幾つかあった。ドミニクの傷を癒した者も似たような理由で姿を現すのを控えているのだろうと予測する。
「あの、私からも1つ聞きたいことが……」
「……言ってみろ」
「あなたは今……念に目覚めていますか?」
「……」
それはアイシャの当然の懸念だった。
ドミニクはフランクリンの念弾を受け瀕死の重傷を負ったのだ。その際に浴びた強力なオーラによって強制的に精孔が開いたとしてもおかしくはない。というより、これで念に目覚めなかったらゴン達とは相反する1000万人に1人の才能の無さだろう。
ドミニクは己を見つめるアイシャの視線から顔をずらし、1つ溜め息をついてから質問に応えた。
「ああ、目覚めた。身体から流れ出るオーラとやらがくっきりと見えるぞ」
「やはりそうでしたか……」
念に目覚めたことは別段アイシャとしても問題に思っていない。
強制的に精孔を開かれると身体から溢れるオーラによって体力を消耗してしまうが、あの状態のドミニクには溢れるほどのオーラ(生命力)もなかった。
気を失った状態がある意味自然体となってオーラを留めることも出来たのだろう。
ドミニクもいい大人であり、マフィアの1ボスとして念能力者の扱いも知っているので無闇矢鱈と無謀な行いはしないだろう。
そう思いつつも、長年の経験から来る老婆心から一言注意を促す。
「念に目覚めたとはいえ、その力に過信し過ぎないで下さい。もしその力を使うならば、きちんとした鍛錬を積まないと大きなしっぺ返しがあるかもしれませんから」
「そんなことお前に言われなくても分かっている。そもそも俺はこんな力を使うつもりなんてない。もう俺は一線を退いているんだ」
それはドミニクの本心だ。
武闘派から穏健派に変わった際にマフィアの抗争とも遠く離れている。
多少は身体を鍛えてはいたが、それも一般人と比べて強い程度だ。今さら魍魎跋扈する世界に飛び込むつもりは毛頭なかった。
そもそもマフィアの1トップに戦闘能力など然して求められてはいないのだから。
「それなら構いません」
「ああ」
「……」
「……」
2人とも聞きたいこと、言いたいことは出尽くした。
いや、実際にはまだあるのだが、それが中々口に出せないでいる。
かと言って場を繋ぐような気の利いた言葉を出せる雰囲気や間柄でもない。
そんな訳でまたも静寂が場を支配してしまった。
どれほどの時が経ったのか。1時間か、10分か、それとも1分すら経っていないのか。いずれにせよアイシャにとってこの静寂の時間は無限にも思える長さに感じられていた。
だが何時までもこうしているわけにはいかないと、アイシャはこの場を立ち去ろうと別れの挨拶を切り出した。
「……あの、ドミニクさんの体調にも障りますし、私はそろそろ――」
「――オレは!」
だがそんなアイシャの言葉を急にドミニクが遮った。
突然のその大声に驚き扉へと向いていたアイシャはドミニクへと振り返る。
「あの、何か……?」
「オレは、恩人には報いる男だ! 命を救ってもらった恩は返す! だからお前がミシャの墓参りに来ることだけは許してやる! それだけだ! それ以外は何も許さん! お前を娘とも認めないし、オレの家で自由に過ごしていいとも言わん! 許すのは墓参りだけだ!」
それはドミニクの精一杯の譲歩。アイシャへの痼りをなくすことが出来ない男の不器用な歩み寄り。
だがその不器用な想いは確かにアイシャに届いた。
アイシャはその言葉の意味を十全に理解し、瞳に涙を浮かべながら感謝の言葉を述べる。
「あ、あり、がとう、ございます……!」
「勘違いするな! お前の為ではない、オレの矜持の為だ!」
「はい、本当にありがとうございます!」
「もういい! とっとと出て行け!」
「は、はい! それでは、お元気で」
銃を持っていたら今にも発砲してきそうな程興奮しているドミニクを尻目に、アイシャは今度こそ別れの言葉を出して退出しようとする。
そこに、もう一度ドミニクが声を掛けてきた。アイシャの少し短くなった髪を悲しげに眺めながら。
「……ミシャの髪はもっと長かった」
「――! はい! また、伸ばします!」
そうしてアイシャはドミニクの病室を後にした。
アイシャがいなくなり、病室で1人となったドミニクは感傷に浸る。
アイシャを見てミシャを想い、ミシャを想い出すことでアイシャを思い浮かべる。
どれほど憎んでも、その全てを憎みきれない妻の忘れ形見。そんなアイシャへどう接していいのかドミニクには未だに分からない。
自分が娘を許す日は来ないのかもしれない。親子として共に生きるという未来が訪れることはきっとないだろうと思っている。
だがそれでも、ほんの僅かだが前へ進めたような気がした。失意のままに無意味に生き続けてきたあの日々よりは、前へ。
どこかすっきりとした表情でドミニクは呟いた。
「……ミシャ。オレももう少し前を見て生きてみるとするよ」
無性にアイリスの花畑と妻の墓を見たくなったドミニクは、早期に退院出来るよう手続きをする為にナースコールを押した。