どうしてこうなった?   作:とんぱ

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第三十四話

 先生が来られて既に1週間。本日の鍛錬も終わり、皆が寝静まった夜深くに1人月を見ながら酒を飲む。

 

「ふぅ」

 

 酒を杯に注ぎ、一息に煽る。喉をジャポン酒が通りすぎ、爽やかな旨味と甘味が口内に拡がる。

 そうして独りで酒を飲んでいますと、ふとビスケが隣に座っていました。やれやれ、気配に気付かないとは。そこまで飲んだつもりはないのですが。

 

「なによ。独り寂しく手酌で飲むなんて色気ないわねー。あたしにも注ぎなさいよ」

「グラスですか。風情がないですね。ジャポン酒にはお猪口か杯と決まっています」

 

 そう言って空になった杯をビスケに手渡し、酒を注ぐ。

 

「何よそれ。飲めりゃいいのよ飲めりゃ。ふーん、ジャポンの大吟醸ね。……うん、ちょっと甘口だけどイケルじゃない。……それで、どうしたのよ?」

「何がですか?」

「何で独り寂しく飲んでいるのよ」

 

 別に理由がある訳ではないのですが。ただ何となく飲みたくなったから飲んでいるだけです。

 

「ただ何となく、じゃないわよね。あんたなんかあるとこうして独り酒するじゃない。……もしかして気づいてなかったの?」

 

 ……初耳ですね。そう言われればそうなんでしょうか?

 今まで独り酒を飲んでいた時を思い浮かべると……ああ、確かにそうかもしれません。

 

「そうですね。少し思うところがある時はそうなのかもしれません」

「でしょ? それで、当ててあげましょうか? あんたが思うところってやつ」

 

「……言ってごらんなさい」

「クラピカのことでしょ? 違う?」

 

 ……。

 

「先生を奪ったクラピカを認めたくない。先生の前で化けの皮を剥がしてやる。そう思っていたけど、目の当たりにしてみるとその才覚に気づかないわけがない。感情はそれを認めたくない。でも武人としての理性は認めてしまう。その葛藤ってところ?」

 

 はぁ、流石はビスケと言いましょうか。こうも私の心情を読みますか。

 

「貴方、実は特質系でしょう? 私の心を読んだのですね?」

「あれま。ドンピシャだったわさ」

 

 適当に言った、という訳でもないでしょうね。お互い色々と知り尽くしていますから。

 

「貴方の言う通りですよ。あんな覗き魔が先生の弟子などと認められるわけがありません。ですので、今回のこの道場での修行で奴に身の程を思い知らせてあげましょうと思っていました。……ですが、正直感服いたしました。長き時を武に注いで生きてきました。数多の弟子を見てきました。ですが、あれ程の才を持った者を見たのは初めてです。……それも3人も同時に見る事になるとは」

「でしょうね。あたしだって驚愕したわよ~。アイシャが弟子を取ったって言うから才能あるとは思っていたけど、あそこまでとはね」

 

 ビスケが空になった私に杯を返し、酒を注ぐ。それをクッと飲み干し、また返杯をする。

 

「この1週間で彼らは有り得ない速度で成長しました。目に見える成長というものをここまで実感出来たのは初めてです。……怒りや憎しみよりも、武人として羨望の意が湧きましたよ」

 

 既にあの男は風間流でも相手になる者を探す方が難しくなっています。オーラ量はプロハンター中堅どころに匹敵、それ以上とも言えるでしょう。

 先生と組手をしていたせいか合気に対する返しの反応の速さは並の門下生では太刀打ち出来ぬ程。後はより多くの経験を積むだけ。

 ゴンさんとキルアさんも非凡な才を持ち、その成長には目を見張ります。まさに乾いた砂に水を与えるが如くですね。

 

「あたしもそうよ。正直羨ましいと思ったことは何度もあるわ。あたしがあの域に到達出来たのは20代の後半に入ってからよ。どこまで成長するのか見てみたいわ。

 多分、アイシャもそう。クラピカを弟子にしたのには理由があるけど、クラピカがどこまで強くなるのか見てみたいって言うのもきっとあると思うわ」

「弟子にした理由? そう言えば聞いていませんでしたね。先生が才能をお気にめされただけではないのですか?」

「ん。……口が滑ったわね。まあお酒のせいにしときましょう。あたしが喋ったってばらさないでよ」

 

 そうしてビスケの口からこぼれ落ちたのはあの男の凄惨な過去。

 仲間を、友を、家族を失い、復讐に囚われてしまった……いや、復讐に囚われるしかなかった男の話。

 

「そういうことよ。あ~! 酒が不味くなるわね」

「話しだしたのはアナタですよ。……なるほど。そういうことでしたか」

 

 これで合点がいきました。いくら先生の修行が厳しいとはいえ、あの男が受けた修行の内容を話に聞いた時は頭を抱えたものです。

 この道場で地獄を見せてあげましょうとか思っていましたが、あの男は厳しい修行を乗り越えた門弟たちが根を上げるような修行を課せられても余裕を持ってこなしていましたからね。

 いえ、キツそうではあったのですが、何というか、その顔に「なんだこの程度か」みたいな表情を浮かべてましたから。

 先生が与えた修行に比べれば確かに地獄とは言えないでしょう。

 

 そしてそんな過密なスケジュールで修行を立てたのも単にあの男に死んでほしくないからでしょう。

 幻影旅団の悪名は私も聞き及んだ事があります。そして未だブラックリストハンターが捕らえる事が出来ずにいる事からその実力の高さも予測は出来ます。恐らく風間流の門下生に置いても決闘としてまともに戦うのならともかく、一切のルール無用の殺し合いで戦って勝てる者はひと握りでしょう。

 殺し合いともなれば1対多数など当たり前ですからね。私とて幻影旅団全てと相対すれば逃げの一手を取るでしょう。

 

 先生なら余裕でしょうけどね!

 

「ほら、もう一献」

「ん……ふう。月が綺麗ですね」

 

「そうね。……もう吹っ切れた?」

「別に。吹っ切れるも何も気にしてませんよ」

 

「ふふ、嘘ばっかり」

「まあ、クラピカさんのことは多少は認めてあげますよ。……勘違いしないでくださいよ。才能に関しては認めるだけです。別にさっきの話で絆された訳ではありませんからね」

「ツンデレ乙」

 

 つんでれ? また訳の分からないことを。この子はたまに私には分からない単語を使う時がありますね。

 

「夜空を眺めながら飲む酒もいいわね」

「ええ。たまにはこういうのも悪くはないでしょう」

 

 そうして2人で月を眺めながら酒を酌み交わす。

 ふと気付くと心の中の痼りのようなモノは消えていました。

 ……こうしてビスケに救われるのは二度目ですね。

 

「ビスケ」

「ん~?」

 

「ありがとうございます」

「……どういたしまして」

 

「ふふ、照れてますね。可愛い子です」

「ちょっ!? やめなさいよー! あんたのそういうの苦手なんだから!」

 

「そう言って。本当は嫌いじゃないんでしょう? あなた嘘吐く時は平然としていますが、照れている時は鼻の頭に血管が浮き出るから分かりますよ」

「え! うそっ!?」

 

「ええ嘘です。ですが、どうやら照れ屋さんは見つかったようですね」

「! あ、あんたね~!」

 

 ふふふ、ムキになって。本当に照れ屋ですね。素直じゃない、と言いますか。

 こうして2人楽しく会話しながら夜は更けていった。

 ああ、今宵の月は……本当に綺麗ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ。そういや私が作ったアイシャの写真集がある――」

「――10億で買いましょう。さらには独占契約を結びます。決して私以外に流さないと約束するならその3倍!」

「契約成立ね。はいこれ」

 

 ビスケから奪い取るように受け取った写真集をゆっくりと開いていく。

 そこには、私の知らない数多の衣装を着込んだ先生の美しい艶姿が幾百も写っていました!

 

「ああ! ヴァルハラがここに!」

「ちなみにVer.2も8月中に出来る予定よ」

 

「ビスケ」

「ん~?」

 

「ありがとうございます!」

「どういたしまして」

 

 

 

 

 

 

「クラピカさん」

「ぜぇっ! はぁっ! な、なんでしょう?」

 

 組手が一通り終わるとリィーナ殿から声を掛けられた。

 こうしてリィーナ殿に声を掛けられるのは何度目だろう? その度に罵詈雑言が飛んでくるのだが……。アイシャが見ていればそうでもないのだが、残念ながらアイシャは私用があるらしく今はこの道場から離れている。はあ、次は何を言われるんだ?

 

「先ほどの返しですがお見事でした。流石アイシャさんと共に組手を繰り返していただけはあります。ですが、返した後の攻撃は少し勇み足でしたね。相手のバランスが崩れ好機と思い仕掛けたのでしょうが、そこを逆に狙われ反撃を受けてしまっていました。

 焦らず、敵の動きを注視しなさい。眼を見れば相手の意思が伝わります。オーラを見れば相手の戦意を計れます。好機と危機は隣り合わせと知りなさい」

 

 そう言ってリィーナ殿は私から離れ、次にゴンの元へと移動していった。

 ……ん? もしかして私は今アドバイスを貰ったのか?

 

「おいクラピカどうしたんだよ? あの人がお前にアドバイスするなんて尋常じゃないことだぜ?」

「ああ、私にも分からん……。今までまともに話したことはなかったんだぞ? せいぜい嫌味や皮肉を言われるのが関の山だったんだ」

 

 私よりもキルアの方がまだリィーナ殿と話をしているだろう。それほどに私は彼女に毛嫌いされているのだ。それが……いきなりどういう心境の変化だ?

 

「うーん。分からねーな。まあいいや、そんなことより次はオレと組手しようぜ」

「いいだろう。手加減はせんぞ」

「当たり前だろ。したらぶっ飛ばす」

 

 そう言ってお互い開始線へと移動しようとして――お互いが攻撃を繰り出す!

 

「ちぃっ!」

「くっ! 流石キルア! そうそう不意はつけんか!」

「ったりめーだ! こちとら試合よりこっちの方が得意なんだよ!」

 

 お互いに不意を打とうとしていたが、周りにいる風間流の門下生たちは何も言わず各々稽古に励んでいる。

 常在戦場。それこそが武神リュウショウ=カザマが道場の最奥に記した一言。これを薫陶に皆が鍛錬を積んでいる。実戦に卑怯という言葉はない。勝てば官軍、死人に口無し。

 

 礼を重んじ、また作法すら学ぶ門派である。不意打ちを推奨するはずもない。だが、だからと言って不意打ちをされるのを良しとする等あるはずもなかった。武人が不意を打たれればそれは相手が卑怯なのではない。それはその武人が未熟なだけのことなのだ。

 だからこの道場では時折不意打ちを行う時もあるらしい。実際私も何度か不意打ちを受けたものだ。

 

「はぁぁっ!」

「クソッ! オーラ量じゃまだ勝てないか!」

 

 全身を強化しながらお互い打撃を繰り出す。その打撃戦の差は僅かに私に軍杯が上がる程度のモノだった。キルアの言う通り確かにオーラ量は私がまだ圧倒している。だがキルアは変化系だ。私よりも肉体の強化率が高い。そして経験に置いてもキルアの方が私よりも高い。ゾルディックで培ったその技術・反応・見切りの高さは目を見張るものがある。それが私とキルアのオーラ量の差を縮めているのだろう。

 

 ……この歳でこの経験。地獄のような日々だったんだろう。キルアはアイシャの修行を受けている時でさえどこか楽しそうであった。あの修行が楽しいと思える程辛い拷問のような修行を受けていたのだと思う。

 まあ。辛いのはゾルディックかもしれないが、キツいのはアイシャだと私は信じている。

 

「そこっ!」

「おわ!?」

 

 攻防の隙間にあった一瞬の間を狙い鎖で足首を絡め取る。打撃戦をしていたが別に武器の使用は禁じていない。卑怯とは言うまいな?

 

 そしてバランスを崩した瞬間を狙い一気に――近づかず、さらに鎖で全身を縛り上げた。

 

「ちくしょー! あ~! また負けた!」

「ふ、惜しかったなキルア。私もそうそう追いつかれるわけにはいかないのでな」

 

 悔しそうに歯噛みしているキルア。……ふと気になったことがあったので率直に聞いてみるとしよう。幸い周りの者達は組手に集中している。小声で話せば問題ないだろう。

 

「(キルアよ。お前は全力を出していないのではないか?)」

「(……まあな。でも良くわかったな?)」

「(悔しそうにしてはいたが、どこか本気で悔しがっていなさそうな気がしてな)」

「(ん……まあ、な。……ここじゃ全力を出すにしてもなあ。人目が有りすぎて出す気にならねーよ)」

 

 やはりそうか。恐らくキルアは発、己に見合った念能力を身に付けているのだろう。そしてそれを大勢の人の前で見せようとしていない。それはある意味正しい。能力を知られれば対策を練られるのは当然の事だ。

 私とて鎖を具現化したモノとしてではなく、本物の鎖に見せかけるように肌身離さず持ち歩いているし、また鎖に込められた能力を一度も見せたことはない。

 

 だが、能力を秘することはメリットもあるが、またデメリットも存在していた。

 

「(だがキルアよ。それでは何時まで経っても能力の実践をすることは出来ないぞ)」

「(……分かってるさ。でもどうしようもねーだろ?)」

「(いや……。ならば私たちだけで実践すればいい)」

「(オレとゴンとクラピカだけでか?)」

「(それにアイシャもだな。彼女に見てもらえば色々と参考になる話を聞かせてくれるだろう?)」

「(……そうだな。アイシャになら見られても大丈夫だろ)」

「(うむ。今度相談してみよう)」

 

 私も能力を作り出したはいいが、実際に他者に試したことはない。ゴンやキルア相手なら申し分ないし、また信用も信頼も置ける相手だ。アイシャから様々な指摘を受けることも出来るだろう。

 

「ねークラピカ! 今度はオレと勝負だよ!」

「ああ分かった。ただし、一戦だけだぞ。次は別の者と戦うからな」

「うん!」

「こんなこと言ってるけどどうせ負けたらもう一度って言い出すな」

「そんなこと言わないよ!」

 

 すまないゴン。私もお前がそう言うと思っているんだ……。私が言えた話ではないかもしれないが、ゴンは負けず嫌いだからな。

 

 結局私たちの予想通り、ゴンは私に負けた後に何度ももう一戦と言っていた。まったくもって分かり易い奴だ。

 ゴンと一戦した後、タイミングも良かったのでゴンに能力の実践訓練についての話を持ち掛ける。当然ゴンも了承してくれた。ゴンは未だ自身の能力について悩んでいるらしく、私たちと特訓しながら色々と考えてみたいとのことらしい。

 

 後はアイシャが帰って来た時に話をするだけだ。遅くても夕食までには帰ってくると言ってたから、その時にでも話をしてみよう。

 

 

 

 だが、夕食の時間が過ぎてもアイシャが帰って来ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 本部道場より外へ出て街を歩きゆく。周りを見渡すと14年前には少なかった高層ビルが幾つも立ち並び、時の流れを私に感じさせた。この街の発展を幾十年と見守ってきた者としては、知らぬ間に成長しているのを見るとやっぱり寂しいものだ。

 周りを見渡すと知っている道なのに記憶にある風景とは大きく違う。色鮮やかで以前には見られなかった奇抜な形の店々が幾つも増えている。今風の建物なんだろうか? 私には良くわからないが、若い女性が大勢集まって楽しそうに食事やショッピングをしている。きっと流行というやつなんだろう。

 感覚的に付いていけそうにない。知っている街なのに知らない街にいるようで、独り時代に取り残されたかのようだ。

 

 ……感傷的になっているな。これからのことを思うと緊張もしているんだろう。

 今から私はコーザファミリーのアジト、すなわち母が眠る地であり、『彼』がいるであろう場所へと赴いているのだから。

 

 『彼』、つまりは私の父にあたるドミニク=コーザ。

 十老頭直系組頭のファミリーに属するコーザファミリーの組長。マフィアでも有数の穏健派らしく、一般の人には手を出すことはないらしい。もっとも、マフィアである限り何らかの形で堅気の人たちから搾取はしているのだろうが。

 

 少なくとも暴力を手段として街の人々を脅かすような真似はしていないのは確かだ。そうであったらとうに私(リュウショウ)がコーザファミリーを潰しているだろう。

 名前だけは知っていたが、会ったことも顔を見たことさえないマフィアのボス。そのボスの娘として転生するなんてどういう因果だろうか?

 思えば私が本部道場の間近にあるメンフィル総合病院で生まれたのも意味があるのだと思う。この世には数多の命が今にも生まれているというのに、こんな近くの病院で都合良く人間に転生するなんて有り得ない確率だ。

 

 今さら分かりきったことだけど、私が転生さえしなかったら彼は妻と私以外の子に囲まれて幸せな家庭で暮らせていただろう。……今も彼は独身を貫いているそうだ。マフィアの一ボスなのだから、後妻など望めばいくらでも取れるというのに……。

 彼は本当に母さんを愛していたんだ。それは母さんの話を聞いても良く分かったことだった。そんな彼に黙ったまま母さんのお墓を参るわけにはいかない。

 

 母さん、ミシャ=コーザが死ぬ原因であり、あなたの血を継ぐ娘であると告げるつもりだ。その結果彼は私を殺そうとするかもしれない。だがそれは仕方ないことだ。私だって母さんを深く愛している。その母さんが死ぬ原因になった者が現れたら怒りに身を任せないと言い切ることは出来ない。

 母さんの願いもある、だから死ぬわけにはいかないからそうなったら逃げ出すしかない。でも母さんにだけは、せめて感謝の一言くらいは言っておきたい……。

 

 

 

 罵倒されるのも非難されるのも殺されるかもしれないのも覚悟していたはずだけど……心なしか足取りが重い。

 本来なら昼過ぎには到着してもいいのに、既に午後の3時を過ぎている。無意識に彼に会う事を拒否しているのか? 覚悟していたはずなのになぁ……。

 

 だが、どれだけゆっくり移動しようとも、立ち止まらず、道順を間違えなければいずれ到着するのは道理。

 私の目の前には白い大きな館が建っていた。離れていても明らかに一般の家とは思えない。高い塀で囲まれ、門は固く閉ざされながらそびえ立っている。

 塀の各所には監視カメラやセンサーらしきものも設置されていた。庭には円で確認するまでもなく幾つもの気配が確認出来た。人ではない、動物、恐らくは犬か。

 

 全てに見つからないよう忍び込むことは可能だけどそれでは意味がない。意を決して正面の門まで歩き、壁に備え付けてあったインターホンを押す。

 数秒待つとインターホンから声が聞こえてきた。

 

『当家に何用でしょうか?』

 

 意外にも聞こえてきた声は丁寧で紳士然としていた。こういう家だから柄の悪い対応でもされると思っていただけに少し驚いた。

 

「あの……」

『はい。何でしょう?』

「えっと……」

 

 あれ? おかしいな。まともに喋れないぞ?

 ドミニクさんはいらっしゃいますか? 出来ればお会いしたいのですが? って簡単に言えばいいじゃないか。どうしてそれくらいのことが言えないんだ?

 

『……申し訳ありませんが、冷やかしならお帰りを。当家も暇ではありませんので』

 

 まずい! インターホンを切ろうとしている気配が分かる! このままでは新手のピンポンダッシュになってしまう!

 

「あの! ど、ドミニクさんは、い、いらっしゃいますか!?」

『……ボスに何の用だ? ボスに愛人はいねぇ。荷物も持ってないから宅配でもねぇ。お前のような女が来るなんて予定も聞いてねぇ。ウチがどんな商売をしているか分かってんだろうな? 妙な答えをするとタダじゃすまねぇぞ?』

 

 ドミニクの名を出した瞬間に声も態度もガラッと変わった。如何に穏健派と言ってもマフィアに変わりはないということだろう。でもマフィアがどれだけ恫喝しようとも怖くはなかった。怖いのは……ドミニク=コーザが私を知ってどういう反応をするのか、それだけだった。

 

「ドミニクさんに会いに来ました。会う約束はしていません。……会わせてもらえませんか?」

『……話になんねーな。帰んなお嬢ちゃん。ここはお前のようなお嬢ちゃんが来る場所じゃねぇ。世界が違うんだよ、痛い目にあわないうちに帰った方が身のためだ』

 

 ああ、この人はこの人なりに私を気遣ってくれているんだろう。ここのマフィアは地域の人とも密着している古き良きマフィアだと言うのは本当なのかもしれない。

 でもここで引き下がるわけには行かないんだ。ただ会わせてくれと言って会えないのは百も承知だ。

 

「ミシャ=コーザの娘が会いに来た、こう伝えてもらえませんか?」

『っ!? お前!? ……いや、確かに姐さんに面影が。……いや! だがそんなはずは……!』

 

 今度は母さんの名を出すと狼狽しだした。私に母さんの面影を見たようだけど、そんなに似ているだろうか?

 母さんは私よりも綺麗だし、優しいし、もっと包み込むような包容力があった。私が似ているのは髪の色くらいだろう。

 

『……お前が奥様の子どもであるという証拠は?』

「……ありません」

 

 証拠はない。母さんから貰ったものは沢山あるけれど、形として残っているモノはこの身体くらいだ。そしてそんなモノは証拠になるわけがない。DNAで証明することは出来るかもしれないけど、それには時間が掛かりすぎる。

 

『同じことを二度も言わせんな。話になんねーよ。よりにもよって奥様の子どもを騙るとはな。どこで聞いたか知らんがフザけた奴だ! ぶっ殺して――』

『待て!』

『ザザさん!? どうしたんですか?』

『お前は少し黙っていろ。……おい女。念は使えるか?』

「……はい、使えます」

『そうか。……今のお前のオーラは本当のオーラか? それとも擬態でもしてんのか?』

「!!」

 

 そうか! このザザという人は私を見た事があるんだ! 恐らくあの時病院にいた念能力者の1人! つまり私のオーラの質を知っているというわけだ。だから私の今のオーラに懐疑的になっている。今の私は【天使のヴェール】で普通のオーラを垂れ流しているように見えるから。

 

『答えろ。どっちなんだ?』

「……隠しています」

『なら本当のオーラを見せてみろ』

「分かりました」

 

 仕方ない。ここでオーラを隠したままだと私の話を信じてはもらえないだろう。円で確認しても周りには一般人はいない。【天使のヴェール】を解除する。

 

 瞬間、私の身体から漏れ出るオーラの質が大きく変わった。

 ヒソカにも匹敵せんばかりの凶々しいオーラ。並の人が感じればオーラが見えずとも走って逃げ出そうとするだろう。垂れ流しでさえこれだ。纏をすればなおさら、練をすれば弱い念能力者ならそれだけで心が折れるんじゃないだろうか?

 

『なっ! てめぇやっぱりボスを狙った――』

『黙ってろと言っただろう!!』

『ざ、ザザさん!?』

『……なるほどな。お前の話もまんざら嘘じゃなさそうだ。……少し待ってろ。ボスにお伺いしてくる』

 

 私の話に信憑性はなかった。だけどあの時の私のオーラを知っている人が見ればあの時のオーラと瓜二つのオーラだと分かったようだ。取り敢えず何も伝えられず門前払いされる事態は避けられたかな。

 

 待つこと5分。玄関口から10人程の黒服が現れた。どうやら全員が念能力者のようだ。私を警戒しているのか? それも当然か。私の言ったことが本当なら彼らからすれば14年近く前のあの化け物が帰ってきたという事だろうから。

 ……赤ん坊であんなオーラ出してたら警戒されない訳が無い。

 

「……ボスがお会いになるそうだ。付いてこい。……妙なことをしたらどうなるかわかってるな?」

「はい」

 

 そうして周りを念能力者に囲まれて家の中へと連れられていく。声からしてこの人がザザさんだろうか?

 毅然とした態度を取り私に脅しを掛けていたが、その内面は僅かに怯えているのが分かる。オーラを見るまでもない、その表情に現れていた。

 私が本当にあの時の赤子かどうか半信半疑なんだろう。だがオーラは酷似していた。もし本当だとしたら? そう考えるとあの時の恐怖を思い出すという事か。

 

 屋敷の内部は特に気になる点はない普通の構造だった。探せば隠し扉とかあるかもしれないけど、私にはよく分からない。強いて気になる点をあげるなら監視の視線が痛いくらいに突き刺さっていることだろうか。私の一挙手一投足を見て警戒している。妙なことをすればその瞬間に銃弾が飛んできそうだ……。

 

「ボス。件の娘を連れてきました」

『……入れ。お前たちも一緒にだ』

 

 周りの者も一緒に。その言葉に私がどれだけ警戒されているかよく分かる……。

 部屋に入る。かなりの広さを持つ部屋のようで、私を囲んでいる能力者達が全員入ってもまだ余裕があった。中には大きなソファに座る初老に入りかけたと思われる男性、そしてその後ろに控えるように念能力者が2人いた。後ろにいるのは護衛の者だろう。私の周りにいる10人を凌ぐ実力者のようだ。

 私から見れば然したる差はないが。それでも能力によっては侮ることが出来ないのが念能力者の怖いところだ。見て分かる実力だけで相手を判断するのは2流もいいところだろう。

 

 初老の男性はマフィアだと知っていなければ特別変わったところのない普通の人だった。ハンターサイトに載っていた写真と同じ顔。この人が、私の……。

 念能力や整形で同じ顔にした替え玉という可能性は考えなかった。深い哀しみと憎しみを綯交ぜにした瞳。この人が私の父だろうと確信した。

 

「……座れ」

 

 言葉に従い、この人の前にあるソファに座る。

 ジッと睨みつけるように凝視される。顔を、身体を、そして髪の毛を。全身を隈なく見られるが、不快感はわかなかった。

 

「……なるほどな。確かにミシャと似ている。いや、そっくりだ。……名は何という?」

「アイシャです」

「っ! ……ミシャの子どもがアイシャか、安直な事だ。……ミシャが女の子に付けようと決めていた名前と一緒だな」

 

 その言葉に周りの護衛たちが騒めく。私は母さんからそう聞いていたから驚くことはなかったけど、周りの人たちはそうではないだろう。

 

「だが、ミシャは死んだ。俺はミシャが産んだ子どもを捨てた。だから例えその子どもが生きていたとしても、その名が付けられることはない。……どこでその名を知った? 偶然とは言わせんぞ」

 

 その言葉とともに目の前から迫る圧力が強まる。同時に周りにいる念能力者たちもオーラを強めていった。下手なことを言うとこの場で攻撃されるだろう。元より下らない嘘を吐くつもりはないけど。

 

「母さんが付けてくれました。私の大切な名前です」

「母さんだ? どこのどいつだ?」

「あなたの妻、ミシャ=コーザ以外に私の母さんはいません」

「ふざけてんのか? そのミシャは死んだ! 俺の目の前で息を引き取ってな!」

 

 強い恫喝を受ける。そこには怒りよりも哀しみが強く篭っていた。未だに彼は母さんを愛している、その事実にこんな状況なのに嬉しさがこみ上げてくる。

 だがここでその感情を顕にするわけには行かない。私は強い意志を籠めて彼の眼を見抜く。ふざけてなんかいない、今の私の母さんはミシャ母さん以外いない。

 

「……お前の知っていることを話せ」

「……私は、生まれた時から記憶があります」

 

 ゆっくりと話し出す。生まれた時から記憶がある。これについてはさして驚かれていなかった。私はあの時、病院から飛行船に運ばれている最中に車の中でオーラを自在に操っていた。そのことを部下から聞いていたんだろう。意識や知恵がないと出来ない行動だからな。

 

「飛行船から落とされた私は何とか流星街に着地しました」

「あれで生きてたのかよ……!」

 

 周りから驚愕の声が上がったけど彼の一睨みで直ぐに収まった。

 

「流星街に無事降りられたことは良かったのですが、私のオーラが難を呼びました。……誰も私を拾ってくれなかったのです。そこで死ぬかと思っていた私を救ってくれたのが……私を産んで念に目覚めた母さんが作った、母さん自身を模した念獣でした」

 

 そこまで話すと驚きのあまりに彼がソファから立ち上がっていた。顔も先程までと違い険しいモノとなっている。

 

「ミシャの、念獣だと……!? ふざけ――」

「ふざけてなどいません! 母さんは、母さんは! 私を助ける為に自分を顧みず自らを具現化してくれたんです! 母さんのこの想いをふざけて話すなど私には有り得ない!!」

 

 思わず語気を荒げて返してしまった。だがこれだけは譲れない。この話をふざけた話だと受け取られるのは母さんを馬鹿にされたのと同じような気がしてならない。それは私にはとても我慢できないことだった。

 

「……っ! 続きを、話せ」

 

 彼は息を飲み、また深くソファへと腰掛け私に続きを促した。

 そして話した。念獣の母さんは死んだ母さんの記憶を全て持っていたことを、母さんに育てられたことを、教えられたことを、彼との馴れ初めを、2人しか知らないだろうことを教えてもらった限り話した。

 

「――プロポーズはあなたから。その言葉は――」

「待て! それ以上は言うな!! …………は、は。プロポーズの言葉まで知ってんのか。……おい、心を読む念能力の可能性はあるか?」

「…………否定しきれません。ただ、無条件でそれは有り得ません。特質、それも何らかの制約があってしかるべき能力です。少なくとも現状この娘がそれだけの制約を満たしているとは思えません。特質系能力者の数は少なく、また能力も多岐に渡ってとても括られたモノじゃありませんので詳しくは言えませんが、可能性としてはあるかもしれないくらいのものですね」

 

 この人が心を読む能力者の可能性を疑ったのも分かる。それほどまでに私はこの人と母さんだけが知っているはずの情報をここで話したのだから。

 

「……そうか、分かった。……おいお前ら、俺が呼ぶまで外で待機してろ」

「しかしそれは!」

「つべこべ言うな! 俺の言う事が聞けんのか! いいか、聞き耳を立てていたらぶっ殺すぞ!」

『はっ!!』

 

 そうして私と彼以外の人は全員この部屋から出て行った。

 ……いいんだろうか? 私が彼を害さないなんて決まっているわけでもないのに。いや、私に彼を害する気持ちはこれっぽっちもないけど。

 

「……おい、続きはどうした」

「え?」

「プロポーズの言葉だ!」

「は、はい! えっと、『愛している、結婚してくれないと俺は死ぬ』だと聞きましたが……」

「く、くっく、はぁっはっはっ!! ……マフィアの一ファミリーのボスがなんてプロポーズだ。……なるほど。確かにミシャがお前を育てたようだな。ミシャのやつ、男の決意を簡単に話すとはけしからん」

 

 これは……私の話を信じてくれたんだろうか?

 彼から伝わる感情には様々なモノが複雑に混ざり合っていて読み取れない。所詮は長く武に生きた経験からオーラの変化や表情で感情を読むだけだ。それこそ心を読めない限り真に相手の気持ちを理解するのは無理だ。

 

「くっくっく……。それで、あの時のガキが何しに来た? 復讐でもしに来たのか?」

「復讐なんて……する気はありません。私は捨てられて当然のことをあなたにしました」

「ああ、記憶があるんだったな。……じゃあなんでここに来た? 今さら子どもだと認めてくださいとでも言いたいのか?」

「……いえ、それが無理なのは、分かっています。……ただ、母さんのお墓を一目でも――」

「見てどうする? 謝るのか? 感謝でもすんのか? 今さら? ……ふざけるなよ! あれからどれだけ経ったと思っていやがる! いや、幼い頃は仕方ないだろう。流星街なんて閉ざされた場所にいりゃ外の情報も満足に手に入らないからな。だが、ミシャの念獣が消えたのはお前が10歳くらいだと言ったな? それから3年以上経っている。それまでお前は何をしていた? ずっと流星街に引きこもっていたのか? ここに来ることは出来なかったってのか!?」

 

 ……なにも、なにも言い返せない。私は母さんが消えて、天空闘技場でお金を稼いでから2年程世界を放浪していた。その間にここに来る機会は幾らでもあっただろう。母さんの墓を調べる方法がないなんて言い訳にもなりはしない。

 少なくともこの場所のことは知っていたんだ。ここにお墓があるかは分からなかったけど、ここに来て話をすることも出来ただろう、情報を集めることも出来ただろう。

 ただ……ただ、会いに行く勇気がなかった、先延ばしにしていただけなんだ……。

 

「何の反論もしねぇか。どうやら来ようと思えば来れたらしいな。…………そんな奴が、ミシャを殺した奴が! 今さら何を!」

「お願いします!!」

 

 その場で彼に向かって土下座をする。こんな行為で彼が許してくれるとは思わない。でも藁にもすがる想いで乞い願う。そうするしか私には出来ない。

 

「お願いします! 母さんに会わせてください! それが許されたなら二度とここには近寄りません! あなたと会うこともしません!」

「……やめろ」

「お願いします! 一度だけでいいですから……本当の母さんに会わせてください……」

「やめろ! ミシャの……ミシャと似た顔でそんなことをするな! 俺を惑わすな!」

 

 彼が銃を構えたのが分かる。撃鉄を起こし、後は引き金を軽く引くだけで銃弾が飛んでくるだろう。

 今の私は纏すらしていない。だが銃弾が触れる瞬間にオーラでガードする自信がある。確実に私は無傷ですむだろう。今の私に死ぬ勇気はない。まだやらなくてはならないことがある。だから彼の怒りと憎しみを受け止めるわけにはいかない……ただ、ひたすらに懇願するしか出来ない……。

 

「お願い……します」

 

 銃声が鳴り響いた。

 

 

 

「ボス! ボス! 何があったんですか!? 入りますよ!?」

「入ってくるなと言っただろう! そこで待機してろ!!」

 

 ……痛みはない。当たった感覚もない。銃弾は私の頭の横を通り過ぎ、床に穴を空けていた。狙って外したのか……。興奮して腕が震えたのか……。私には分からなかった。

 

「……消えろ。二度と俺の前に現れるな」

「私は――」

「館の裏だ」

「……え?」

「館の裏にアイリスの花が植えられた花畑がある。ミシャが作った花畑だ。最後にそれを見てから帰るんだな、それぐらいは許してやる。……二度は言わねぇ、分かったらとっとと消え失せろ!」

 

 館の裏、アイリスの花畑。そこに、そこに母さんの……。

 

 ゆっくりと立ち上がり、彼を見上げる。視界が少しぼやけている、気づかない内に泣いていたのか。気のせいか、彼もその瞳に涙を溜めているような気がした。……視界が歪んでいるから、本当に気のせいかもしれないけど。

 

「ありがとう……ございます」

「礼を言われる筋合いはない。俺はただミシャが好きだった花を教えただけだ」

 

 不器用な彼の私に見せてくれた恐らくは最後の優しさ。それを汲み取り、無言で頭を下げて部屋を出た。……きっと、あの不器用なところを母さんは好きだったのかもしれない。何となく、そう思った。

 

 部屋の外に出ると護衛の人たちが私を睨みつけた。

 だけど今はそれに構っている余裕がない。そっと頭を下げてそこから立ち去る。何人か私を止めようとしたが、部屋の中からあの人が護衛の人たちを呼んだのでそのまま邪魔されることなく立ち去れた。

 

 

 

 そのまま館の裏へと回る。そうすると目の前には多くのアイリスが植えられていた。花が咲いているのもあったが、残念ながら今は開花時期が過ぎているのだろう。花の数は極僅かに残っているくらいだった。このアイリスが一斉に咲き乱れたらどれだけ美しい光景になるんだろうか? 

 

 整えられた花畑を傷つけないように慎重に歩く。周りを見渡すととても丁寧に育てられているのがわかる。母さんが死んでからもうずいぶん経つのに少しも荒れていない。母さんが遺した花畑を壊さずにずっと面倒を見てきたんだ……。あの人が母さんをどれだけ愛していたのか痛いほどに分かってしまう。

 

 そして目の前に綺麗な墓石が建っていた。アイリスの花を形どった美しい彫刻が彫られた白い墓石だった。

 墓石の中央には文字が掘られていた。『ドミニク=コーザが愛した妻、ミシャ=コーザここに眠る』と。

 

 自然と涙が溢れていた。

 

「ご、ごめんなさい……母さんの、幸せを奪ってしまって、ごめんなさい……。私がいなければ、あの人と……『父さん』とずっと幸せに暮らせていたのに!」

 

「ありがとう。命を、懸けてまで、産んでくれて。あなたがいなければ、私は消えていなくなっていました。ほ、本当に、あ、ありがとうございます!」

 

「ごめんなさい母さん。ご、ごめんなさい父さん!」

 

 

 

 そこから先はよく覚えていない。ただ大声で泣き喚いていたのは確かだと思う。

 気付いた時にはもう夕暮れになっていた。もっとここに居たいけど、そういう訳にもいかない。

 

「母さん、これで本当にお別れだよ。母さんに教わったことは絶対に忘れないから。ここに居る母さんに言っても分からないかもしれないけど……」

 

 ここに眠る母さんは私を産んでくれたけど、育ててくれた母さんとは違う。でもどちらも同じ母さんで、私にとっては大事な人なんだ。

 

「友達も出来たし、私は幸せよ。これからも幸せになれるように頑張るから。……あと、花嫁姿だけは見せられないかも。それだけは本当にごめんなさい」

 

 母さんが私の花嫁姿を見られないのが残念だって言ってたけど……それは流石に叶えられないかもしれない。男の人と恋愛するなんてよく分からないことだし。

 でもせめてウエディングドレスを着た姿を見せに来ることくらいはした方がいいだろうか? だけどもうここに来ることは許されないし……。

 

「父さん……あの人が聞いたら怒ると思うけど、今だけはそう呼ばせてもらうね。父さんは今でも母さんのことを愛しているよ。それがすごく嬉しかった。父さんには許されなかったけど、それは当然だと思っているから怒らないであげてね。それだけ父さんは母さんのことを愛しているんだから」

 

 ああ。もっと話していたい。ここから離れたくない……。

 

「ごめんね。もっと色々と話したい事あったけど、言葉にならないよ。……もし、もしまたここに来ることが出来たなら……その時にいっぱい話すから。……それまで、さようなら母さん」

 

 墓石に向かって頭を下げる。そのまま背を向けて門に向かって歩き出した。

 

 門に辿り着くと自動で門が開いていった。庭に放たれていた犬も私を襲わなかったし、あの人がそう仕向けてくれたんだろう。

 僅かに視線を感じたので振り返って館を見ると、窓から私を見つめる彼の姿があった。

 今、あの人は何を思っているのだろうか? 私のことをどう思っているのだろうか? 知りたい気持ちは激しく溢れているけど、知りたくないと願う私がいるのも確かだった。

 

 もう一度あの人に向かって礼をして、そのまま館を去った。

 

 

 

 風間流道場に帰り着いた頃には既に夜が更けていた。とうの昔に夕食の時間は終わっている。でも構わない。どうせ今は食欲がわかない。

 道場の門をくぐり、私に貸し与えられた寝室へと移動しようとする。すると幾つもの気配を感じたので思わず立ち止まった。

 

「あ! お帰りアイシャ!」

「おっせーんだよ。何してたんだよ、飯が冷めちまったじゃねーか」

「お帰りアイシャ。まだ食事は摂っていないんだろう? さ、早く食べよう」

 

 戻って早々に言われた事は一緒に夕飯を食べよう、だった。

 何を言って……とっくに食事は終わっているはずだろう?

 

「皆さん……。あ、あなた達はまだ食べてないんですか?」

 

 もう日付が変わってしまっているんだぞ? それなのにこんな時間まで待っていたのか?

 

「うん。だって皆で一緒に食べた方がご飯は美味しいしね」

「だってよ。コイツが待とうってしつこいからな」

「ふ、そういうキルアも文句も言わずに待っていただろう」

「な、なに言いやがる!?」

 

 ずっと修行をしていたはずだ。動き疲れて倒れることも珍しくない日々を送っているんだ。食事と就寝はここに居る者たちにとって何よりも大事なことのはずだ。それなのに……。

 

「どうして……。どうして待っていたんですか……?」

「え? どうしてって、さっき言ったじゃん。ご飯は皆で食べた方が美味しいって」

「それに夕食までには帰ると言っていたからな。だったら待とうとキルアがな」

「言い出したのはクラピカだろうが! さりげにオレが言ったようにすんじゃねー!」

 

 キルアとクラピカが言い争っているのをゴンがまあまあと宥めているのをぼんやりと眺めていた。

 不意に涙が零れてきた。おかしいな? 悲しいことはないのに? 今日はよくよく泣く日だな。

 

「2人ともやめなよ。……! アイシャどうしたの? 何かあったの?」

「い、いえ、何でもないですよ!」

「おい、目が腫れてんぞ」

「顔も赤いな。熱があるかもしれん!」

「ほ、本当に何でもないですから!」

 

 慌てて目を擦って涙を拭う。でも何度擦ってもその度にポロポロとこぼれ落ちてしまう。恥ずかしい! この歳になって泣いているところを見られるなんて!

 

「……何があったか知らないが、あまり気を張り詰めるな。お前は私たちよりも強いが、それでもお前はまだ子どもなんだ」

「そうだよ! オレ達じゃ頼りにならないかもしれないけど、それでも一緒にいることくらいは出来るよ。だから、何かあったら相談くらいしてよ」

「まあなんだ。そういうこと。今は話聞くくらいしか出来ないかもしれないけど、その内お前より強くなってやるから楽しみにしてろよ?」

 

 ……ああ、母さん。私はやっぱり幸せ者だよ。

 だって、こんなにも素敵な友達が出来たんだから。

 

「ふふ、ありがとうございます。……それじゃ、少しだけお願いを聞いてもらってもいいですか?」

「うん! 何でも言ってよ!」

「アイシャのお願いなんて珍しいな。今回くらいは聞いてやるよ」

「君には返しきれない程の恩がある。少しなんて言わなくても多少の無茶は聞くさ」

 

 良かった。今日は昔を思い出したせいか無性に寂しいんだ。

 母さんが私にしてくれたようにちょっと彼らに甘えたくなってしまった。

 100年以上生きているのにこれだから困る。成長していないなぁ……。まあ、今回は年齢に精神が引っ張られたと自分で言い訳をしておこう。

 

「それじゃあ……今夜は一緒に寝てもらってもいいですか?」

「勿論だよ」

『どうしてこうなった?』

 

 

 

 

 

 

 月明かりだけが辺りを照らす暗闇の中。1人の男が白い墓石の前で立ちすくんでいた。

 

「……お前の娘は、お前に似て美人に育っていたぞ。……死んでまで産まれてすらいなかった子どもに尽くすとは大した女だよお前は。流石は俺の愛した女だ」

 

 男の周りには誰もおらず、その言葉に応えるのは風とともに揺れるアイリスの草花だけだった。

 

「なあミシャ。俺は勝手な男だな。マフィアとして何人もの敵対者を殺してきた。中には一般人だっていた。こんな商売してりゃ手を汚さずにいられるわけがねぇ。そんな俺が……あいつに対してお前を殺しておいて、等とほざくんだ。どの口がそれを言うんだよな」

 

 自らを嘲り笑うかのように自虐的な笑みを浮かべる男。その顔はとてもファミリーを統べるボスのモノではなく、ただの打ちひしがれた初老の男性のモノだった。

 男は今でこそ穏健派で通っているが、かつては武闘派としてそれなりに名を通していた。当たり前のように人を殺したことはあるし、命じて殺した数は指の本数だけでは数えられない。

 裏の稼業を持つ相手だけじゃない。目的の為なら何も知らない罪のない命を奪ったこともあった。幸せな家庭を持つ者もいただろう。それを容赦なく一方的に奪っておいて、自らが同じ事をされると怒り狂う。

 何のことはない、ただ自らの行いが返ってきただけじゃないか。男はそう、自嘲する。

 

 

 

 男が穏健派に変わったのはある女性に出会ってからだった。

 彼女に嫌われたくない、好かれたい。その一心のみで男はむやみに暴力を行使するのを抑えた。それは彼女が死んだ今でも変わることはなかった。

 だからこそ彼女の死に心を大きく痛め、その原因となった赤子を激しく憎んだ。だからこそ原因となった赤子を流星街に捨てたのだ。愛する妻を殺したのが自らの子どもだと認めたくなかったから。

 

 人は忘れる生き物だ。時が経つと感情の波は良くも悪くも収まってしまう。激昂した当時はともかく、数年も過ぎるとどうしてあんなことをしてしまったのかと自問自答するようになった。

 もちろん当時に戻れば男は同じことを繰り返しただろう。妻が死に、生まれた子どもから悍ましい何かを感じるのだ。捨てようと思わないのはそれこそ博愛主義の塊だろう。

 だが、子どもを悍ましいと感じた感情すら時の流れは薄れさせてしまう。故に思う。何故? どうして? 感情のままに行動してしまったのか、と。

 

 男はそう思った次の瞬間から部下に流星街を調べさせた。幸いマフィアと流星街には密接な関係があった。マフィアは流星街にゴミと称して大量の武器や貴金属を援助し、流星街はその見返りとして人材をマフィアへと流していた。

 知り合いのマフィアに渡りをつけ、そこから流星街の内部を調べることは可能だった。

 

 だが、目当ての情報が手に入ることはなかった。男は知らなかったがそれは仕方のないことだった。件の少女は流星街に置いてもタブーとして扱われており、その存在を口に出すことは流星街の議会により禁止されていたのだ。横の繋がりが何よりも深い流星街に置いてそのタブーを破るような者はいなかった。少なくとも男の部下が接した人物たちの中には。

 故に男は子どもは死んだものだと考えていた。大きな喪失感を覚えたが、元より見つかったところでどうしようと言うのだと自分に言い聞かせることで自らを慰めた。

 

 妻を失って早14年が経とうとしていた。マフィアの仕事を傍らに、妻が遺した花畑の手入れをするのが男の唯一の趣味となっていた。

 開花の時期も過ぎ、来年の為にまた新たに手入れをしなければと思っていた矢先の事、部下が不可思議なことを宣った。いや、言葉の意味はわかる。だが男はそれを理解しきれなかった。ミシャの娘と名乗る人物が現れた等と男の脳では処理仕切るのに数秒以上の時間を要した。

 

 騙りか? それとも殺し屋か? それともまさか……。男は困惑しつつもその人物に会うと決めた。嘘だったら蜂の巣にするだけじゃすまさない。生きているのを後悔するような思いを与えてやろうと決意して。最愛の妻は怒るだろうが、妻を侮辱されたかもしれないと思うと男は暗い感情を制御し切る自信がなかった。

 

 そしてその思いはその人物に出会った瞬間に吹き飛んでいた。

 ――ミシャ。思わず男はそう叫びそうになった。それほどその娘は男の愛する妻の面影を残していた。整形。念能力。妻の写真を入手する方法など幾らでもあるだろうことを考えると、顔を似せることなど容易いだろう。

 だが男はそう思わなかった。この娘はミシャの子どもだと何故か直感していた。

 

 そこから娘の話を聞いて男の直感は確信へと変わった。

 産まれて直ぐに捨ててしまった子どもが帰ってきた。それも妻と同じように美しく成長して、だ。捨てたことを後悔していた男にとってまさに僥倖とも言える出来事だっただろう。

 

 娘から捨てられたことに対する復讐の意が感じられない今、男が娘を認めれば失った幸せな家庭が一部でも戻ってきたかもしれない。

 だがそうはならなかった。確かに後悔はあっただろう。だが、男自身同じことがあれば同じことを繰り返すだろうと思っていた。

 そして何をどう言おうが自身が子を捨てたことに変わりはなく、この娘が原因で妻が死んだことにも変わりはなかった。

 

 男は自らの感情を制御出来ないでいた。人間は自分で思っているほど自身のことを知ってはいないものだ。感情というのはその最たるもので、同時に複数の感情に支配されることすらある。歓喜、絶望、憤怒、後悔、恐怖、親愛、嫉妬。様々な感情が綯交ぜとなって男の心を駆け巡っていた。

 

 気付けば男は感情のままに娘に吠え立てていた。

 

 気付いた時にはもう遅い。いや、恐らく娘が生まれた時から間違えていたんだろうと男は思う。自分と娘が幸せに暮らすという選択肢はとっくの昔になくなっていたのだ。そう気付いた男は娘を追い出した。これ以上一緒にいたら心が揺れてしまうと感じて。

 

 寂しそうに離れていく娘を見ながら目頭が熱くなるのを感じる男。

 その時を思いだし、男は白い墓石に向かって呟く。

 

「ふん。お前以外に俺に涙を出させる奴がいるとはな。……あの子は立派に育っていた。俺は何もしていない、お前があの子を立派に育て上げたんだ。誇ってくれミシャよ。お前は……最高の妻だ」

 

 男の呟きに応えるのは風に揺れるアイリスだけだった。

 

 




ちょっとシリアス。シリアスまじ苦手です。
アイリスの花言葉は『愛、あなたを愛す、優しい心、恋のメッセージ』など。
アイシャの名前の由来は言わずもがなです。

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