どうしてこうなった?   作:とんぱ

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第十八話

 最終試験会場より北に約80㎞程の位置にある鉱山。今は鉱脈も尽き、廃れてしまった為に人気はなく、ただ静寂だけが拡がっていた。

 そんな、本来なら誰もいないはずのその鉱山の採掘広場に、4つの人影があった。

 

「ここが決闘場所ですか」

「ああ。ここは既に廃棄された鉱山だ。ここなら誰にも迷惑をかける事もねぇ」

 

 そう。ここはアイシャとネテロ、2人の決闘の地として選ばれたのだ。選ばれた理由は極単純。試験会場から程よく近く、かつ周囲に人気がない。ここが最も条件に適していただけのことである。

 

 極端な話、誰にも迷惑をかけないのであれば最終試験会場のホテルで戦っても良かったのだ。

 だがこの2人――人類最高峰の念能力者が全力で戦うとなるとそれは無理というものだ。余波だけで周囲の建築物は損壊し、直撃した物は塵芥と化すやもしれない。ホテル全壊の可能性も大いにある。

 物的被害だけで済めば御の字だろう。周囲に人がいれば念能力者でない限り……いや例え念能力者であっても生半可な実力では多大な被害を被るだろう。

 故に見物人などおらず、ここにいるのは決闘の当事者である2人を除き、巻き込まれても対処する事が出来、決闘の立会人となったリィーナとビスケくらいであった。

 

「では、此度の決闘。風間流合気柔術本部長リィーナ=ロックベルトと――」

「心源流拳法師範ビスケット=クルーガーが見届けます」

 

 その声が響くと同時に、相対していた2人の空気が一変する。

 徐々に高まりつつある闘気に緊張感を顕わにするリィーナとビスケ。今まで幾度となく2人の決闘を見届けていたが、ここまでのプレッシャーを感じるのは初めてのことだった。

 

「思えば……長らく待たせましたね」

 

 高まるプレッシャーの中。ふと、アイシャが呟く。

 

「あん? ……ああ、14年だ。お前が一度死んでから14年近く経った。全く、待たせやが――」

「違いますよ。待たせたのは……お前が全力を出す機会、だ」

「……なに?」

 

 疑問に思うのはネテロ。当然だ。今までアイシャ……リュウショウとの闘いで手を抜いた事など一度たりともなかった。決闘で手を抜くなど武人にあるまじき事をするはずもなし、そもそも手を抜いて勝てる相手なら初めから好敵手などと認めてはいない。

 

 だがアイシャはそうは思っていなかった。

 勿論アイシャもネテロが手加減していたと思っている訳ではない。そうであるなら、ネテロが負けた時にあんなに悔しがってはいないだろう。

 だが全力の全力を出したのかと言うと、そうではないだろう。何せネテロは己が能力の真骨頂である【百式観音】を使用すれば確実にリュウショウに勝利していたのだから。

 

 それも余力を残して、だ。

 

 【百式観音】を使っての対戦でもネテロは一度たりとも油断した事はない。一度でも発動を遅らせたら必殺の一撃を喰らっていたからだ。だが、【百式観音】を使用して勝った決闘ではネテロに余力があったのも事実だった。

 それがアイシャは気に食わなかった。

 

 余力を残していたネテロが、ではない。

 

 最高の好敵手に余力を残す程度の実力しかない自身が、だ。

 

 だが今は違う。確かに身体が変わり、技との整合性を取るのに苦労した。精神性に至ってはあの領域にたどり着けるかは分からない。今は以前とほぼ変わらぬ技術を取り戻したが、純粋な風間流のみの優劣ならアイシャとリュウショウではやはりリュウショウに僅かだが分があるだろう。他ならぬ己自身だ。それはよく分かっている。

 

 だが、戦って勝つのは今の自分だ。

 自信を持って言える。さらなるオーラの増加、転生してから得た新たな技術、身体能力の向上による最大の弱点であった耐久力の克服。

 総合的な戦闘力に置いて、今の自分はリュウショウよりも上だと!

 

「来いネテロ。お前の渇きを癒してやる」

「く、くくく! ああ、期待しているぜアイシャ!!」

 

 ここに、人類最高峰の念能力者による決闘が開始された。

 

 

 

 お互いが無言のまま対峙して既に5分。未だに2人に動きはない。この状況に既視感を覚えたのはリィーナだった。そう、2人が初めて戦ったあの日。あの日の決闘の始まりと何ら変わらぬ光景が目の前にあった。

 ただ違う点は、周りの風景とアイシャの姿、そして何よりそのオーラだった。

 

 膨大な、まるで針で突き刺すかのように研磨されたオーラを発するネテロと対象的に、アイシャは一切のオーラを発していなかった。正確に言うならば纏すら行わず、ただオーラを垂れ流しているだけ。

 元より圧倒的な速度の流をこなすアイシャだ。オーラの動きを読まれない様にするためだろうか? だが昨日の鍛錬においても一度も念を使用しなかったことにリィーナは疑問を抱く。

 

 そんな疑問を余所に闘いは加速しだす。

 初めに動いたのはネテロ。まさに初戦の再現と言わんばかりに神速の踏込みからの正拳突き。リィーナもビスケもそのあまりの速度に一瞬ネテロの姿を見失う。

 離れた位置にいる、世界でも上位に存在する達人たる2人が見失うほどの速度! 相対しているアイシャにはどれほどの速度で映っているのか。いや、映っているかどうかも疑わしい。

 

 だが次に2人が見たのは宙に舞うネテロだった。あの一撃を瞬時に見切り柔を仕掛ける。それがどれほどの神業か。リィーナは感動しビスケは畏怖を覚える。

 10数年以上見る事のなかった頂上決戦に、2人はこれ以上一瞬たりとも見逃してなるものかと全力の凝を行っていた。

 

 柔を仕掛けられたネテロの次の行動は素早かった。手首、肘の関節を砕かれぬよう流れに逆らわず飛ぶ。その勢いを利用して宙にて逆さのまま蹴りを放つ。その一連の動作は手馴れたもので流れる様な動きだった。

 

 対するアイシャは蹴りを僅かな動きで躱し、高速で通り過ぎようとしている足首に指を1本添える。それだけでネテロの身体が高速で回転する――前にアイシャの足首を掴み動きを止める。残った手で地面を掴み、身体を固定して蹴りの連撃。

 だが蹴りを放つ前にネテロがアイシャの足首から手を放す。脚で柔を仕掛けられそうになったのに気付いた為だった。脚で柔などと非常識な、とは思わないネテロ。そんな神業を平然と成すからこその好敵手なのだから。

 

 上手く柔から逃れたネテロに感嘆するも、アイシャはそのまま手を緩めずに追撃を行う。攻撃の途中に行動を切り替えた為にわずかに出来た隙を突き、さらに一歩踏み込み体重を乗せた肘打ちを繰り出す。その一撃を足首から離した腕でガードしようとした瞬間、ネテロに悪寒が走った。

 

 今まで幾千幾万もの戦いを潜り抜け、百戦錬磨という言葉ですらおこがましい程の経験を積んだネテロだからこそ感じた悪寒。その経験に基づく直感に身を委ね、ガードしようとした手を勢い良く地に打ち付け、その反動によりアイシャから距離を取る。

 

 その行動に違和感を感じたのは立会人の2人だ。

 あの肘打ち。確かに喰らえばダメージを負うが、その後に反撃をすればアイシャにより大きなダメージを与える事が出来たであろう。もとより打撃はネテロに劣るアイシャだ。いかに身体能力が上がったとはいえ、いまだネテロには及ばない。打撃が当たる瞬間に凝をしようにも、同じように凝をしたネテロの防御力を上回る事は有りえない。

 前世に置いて2人のオーラ量はほぼ互角。顕在オーラも差は殆どなかった。念の系統では強化系に属するネテロが純粋な打撃戦では有利になるのは明白。

 此度の決闘も以前と同じようにネテロの剛拳をいかにアイシャが受け流せるかが勝負の分かれ目になるだろう、というのが2人の見解だった。

 

 故に今の肘打ちはアイシャの悪手。リィーナも何故あの様な一撃を放ったのか疑問に思ったほどだ。だがあのネテロがアイシャの攻撃を避けたのは事実。一体なぜ?

 その疑問に応えるかのようにアイシャが言葉を発する。

 

「さすがはネテロ。今の攻撃の危険性を感じるとは」

 

 この言葉の意味を察するならば今の攻撃は傍目には分かりにくいが、かなり危険性の高い一撃だったのだろう。

 新たに開発した奥義であろうか? ならば早く教わりたいですね、などとどこぞの先生マニアが考えている間にもアイシャは言葉を紡ぐ。

 

「……何時かは知られる事でもある、か。それにお前相手に“この状態”でオーラが保つとは思えないしな」

「……? 何言ってやがる?」

 

 まさか奥義のネタばらしでもする気か? だとしたら興醒めだ。止めてくれ。そう言おうとしたネテロは、目の前の光景に絶句する。

 いや、ネテロだけではない。リィーナも、ビスケも、まるで有りえない物を見たかの様に息を飲んだ。

 

 そこに居たのは……リュウショウとはかけ離れた異質で禍々しく、莫大なオーラを放つアイシャだった。

 

「な、なんだ、それは……?」

「せ、先生?」

「じょ、冗談でしょ?」

 

 あまりの光景に驚愕する3人。今、アイシャがネテロに仕掛ければ恐らく一瞬で決着が着いただろう。

 だがそれも仕方ないと言える。

 ネテロもただ敵がこの様なオーラを発していたならば驚きこそすれど、攻撃を受ける程の隙は与えないだろう。問題は“あのリュウショウ”がその様なオーラを発している事だった。

 清廉潔白、質実剛健、生涯修行を謳い文句にしているような男がこの様な禍々しいオーラを発するとどうして思える。

 

 未だ驚愕に身を委ねる3人。それも当然か、と思いつつもアイシャは独白する。

 

「恐らく転生の副次効果でしょう。……この世に再び生を受けた瞬間よりこのようなオーラの質に変わっていました。転生と言えば聞こえはいいが、やはり私は死人という事でしょう」

 

 オーラを隠さなければ日常生活もままなりません。苦笑しながらそう呟くアイシャ。

 

「……っ! 今までお前のオーラに変化がなかったのは!」

「お察しの通り。私の新たな念能力【天使のヴェール】の効果によるもの。この能力が発動している間、私のオーラは如何なる方法を以てしても感知する事は出来なくなる」

「は、反則すぎだわさ」

 

 ビスケの言葉ももっともだろう。念能力者の戦いにおいて最も重要な要素の1つ、それがオーラの動きだ。

 相手がどの様にオーラを動かしているか、それが分かれば実戦においてどれほど有利に働くか。攻撃の虚実を見抜き、攻防にどれほどのオーラを籠めているかを見抜き、闘いの流れを支配する。それこそがオーラの動きだ。

 それを一切感知できないとなるとどれほど不利となるか。言うまでもないだろう。

 

「本来ならこのオーラを隠すために作った能力ですがね」

 

 そんな目的だけでそんな反則能力作るな。リィーナも含めた3人の気持ちが一致した瞬間である。

 

「……成程な。さっきの肘打ちには大量のオーラが乗っていたってわけだ」

「まさしくその通りです」

 

 それならば頷ける。今のアイシャを覆うオーラは明らかにリュウショウの時よりも遥かに上。これならばネテロの防御力を上回る可能性もあるだろう。

 

「へへ、おもしれぇじゃねえか」

「……軽蔑、しないのですか?」

「あん? 何言ってんだ?」

 

 馬鹿なこと言ってないでさっさと続きをするぞ、と軽く流すネテロに戸惑うアイシャ。このオーラについてどう説明しようか、受け入れてくれるだろうかと悩んでいたアイシャにとってネテロの軽い一言は予想外だった。

 

「どうして軽蔑するんだよ? 確かに姿は変わった。性別も変わった。オーラの質も変わった。だが――お前はお前だろう」

 

 その言葉を聞き、意味を十全に理解した時、アイシャの心は歓喜に満ち溢れた。自分の最大の友が、好敵手が、今の自身を受け入れてくれた。それだけで十分だ。

 もはや己の中に僅かなわだかまりもない。正真正銘全力を尽くすのみ!

 

「ところでその【天使のヴェール】とやらはもう使わないのか? オーラが見えないなんて相当有利だぜ?」

「何を分かり切ったことを。どうせ私の攻撃全てを硬として扱うつもりだろう?」

「当然だ。元々圧倒的な速さの流を使いこなすお前と幾度となくやり合ってきたんだ。他の奴ならいざ知らず、オレにはさほど脅威には感じねぇよ。やりにくい事に変わりはないがな」

「だろうな。それにこの能力にも弱点はある。お前との勝負では使わない方がいい」

 

 なにせオーラの消耗が10倍になるのである。いかに圧倒的なオーラ量を誇るアイシャといえど、ネテロ相手にオーラが保つとは思えなかった。

 

「いくぞネテロ。……他人に全力の練を見せるのは初めてだ」

 

 その言葉とともに、アイシャの身体からさらなるオーラが迸る。

 最早言葉も出ないリィーナとビスケ。恐らく人類最大と言える程のオーラ量。それがさらに増大した。ネテロの知り合いのハンターにオーラを数値化する能力者がいるが、今のアイシャは一体どれほどの数値に達しているのか。皆目見当もつかない。

 

 だが、その莫大なオーラを見て笑みを浮かべる者がいた。

 

「受け止めきれるか? オレの全てを!」

 

 アイシャに呼応する様にオーラを全開にするネテロ。

 ここから先の戦いは前世の再現にはなりえない。

 もう、リュウショウ対ネテロの構図は消え、アイシャ対ネテロとなったのだから。

 

 

 

 またも相対した2人。だが、前回とは違い先に仕掛けたのはアイシャ。

 風間流の構えを維持したままネテロへと接近する。

 

「!?」

 

 またも驚愕。アイシャが行ったのは前世よりの得意技・柳葉揺らし……ではなかった。

 独特の歩法により体捌きや重心を錯覚させる事で敵の読みを外し死角を取る荒業。それこそが柳葉揺らし。

 だがこれは違う。柳葉揺らしに及ばず、人が何かしら行動する時には必ず身体の一部が動く。それは生き物である限り当然の理だ。

 アイシャはその理を無視するかのごとく微動だにせぬまま、まるで地面が縮んだかのように高速で近づいてきたのだ。

 

 この動き――と言っても身体は動かしていないのだが――の秘密はもちろん念能力であった。もっとも、一般的に発と呼ばれる類のモノではない。オーラ技術の応用である。

 足の裏にオーラを集め、高速で回転する事で身体は一切動かさずに移動する。言葉で説明するのは簡単だが、それを実行するとなると相応の技量が必要となる。

 逆に言えば相応の技術とオーラさえあれば誰にでも出来る技である。極端な話、念の応用技の一種と言える。

 

 元よりリュウショウにはそのような技術しかなかった。柳葉揺らし然り、浸透掌然り、リュウショウが使える技術は全て誰にでも使える技術の極み。戦闘で有利になる能力を覚えていないので、技術で勝るしかなかったのだ。

 それはアイシャとなった今も変わらぬ道理。故に転生後も新たな技の研鑽は行っていた。その成果の1つがこれ――縮地――である。

 

 当然その様な動きは初めて経験するネテロ。だが、初体験は初めてではない。念能力者の戦いに何が起こるか分からないのは当然の事。接近戦は望むところ。このまま迎撃するのみ! 裂帛の気合を籠め、迫り来るアイシャに向けて拳を放つ。アイシャも合わせる様に拳を放つ。お互いの拳がぶつかり合った結果、ネテロの拳は一瞬の均衡も許さずに弾かれた。

 

 特質系のアイシャの拳が、強化系のネテロに打ち勝つ。

 このレベルの念能力者でそのような理不尽が起こるなど本来なら有りえない。だがこの圧倒的なオーラ量の差。さらにインパクトの瞬間に硬に切り替えるアイシャの超高速の流がそれを可能とした。

 

 拳を弾かれバランスを崩したネテロに更なる追撃。ありったけのオーラで全身を強化しつつ打撃の弾幕を生み出す。

 だが相手はネテロ。いかに強化しようとも打撃戦ならば一日の長があるのは当然。まともに打ち合って負けるのならばまともに打ち合わなければ良いだけのこと。全ての攻撃を最小限の動きで躱し隙を探る。

 

 攻撃が当たらないことを悟ったアイシャの次の行動は縮地による移動だった。ネテロの周囲を高速で移動する。

 並の、いや達人と言われる者でも眼で追うのは困難な速度。その速度で移動しながら身体は一切動かしていない。その有りえない現象は確実に対象の眼を撹乱する。

 故にネテロは待った。攻撃の瞬間を。いかにアイシャとはいえ攻撃する為には身体を動かさなくてはならない。動きを読めないのならば攻撃の瞬間を捉えればいいのだ。

 

 だが、眼前にて急に動きを変えるアイシャ。縮地による高速接近から柳葉揺らしへと繋げる。瞬時にネテロはアイシャの姿を見失う。ネテロが己が攻撃を止めるのに掛かった時間は僅かコンマ数秒。だがそれは致命の隙となった。

 

 虚をつき、必殺の一撃を撃つ絶好の好機! 全霊を籠め、がら空きの背に自分が最も信頼する技の一つ、浸透掌を撃つ。

 

 通った! そう確信するアイシャ。回避も防御も出来ない完璧な一撃。これを喰らえば例えネテロといえど倒れるだろう。

 しかしそこでアイシャに疑問が浮かぶ――何故【百式観音】による迎撃を行わなかった?――

 間に合わなかった? そんなはずはない事はアイシャ自身が百も承知。後方への攻撃を行う型もあったはず。

 

 ――まさか!?――

 

 次はアイシャが驚愕する番だった。

 そう。ネテロは浸透掌を防いだのだ。対象の体内に掌底とともに直接オーラを流し込む浸透掌を防ぐには、体内オーラを操作しそのオーラを打ち消す他ない。

 完璧に虚を突かれたネテロは次の攻撃を躱すことは不可能と悟り、浸透掌を防ぐ準備をしていたのだ。

 あの必殺のタイミングでアイシャが必ず浸透掌を放ってくると確信して。

 

 ネテロが【百式観音】による迎撃を行わなかった理由はたった1つ。ただの意地である。

 何度この浸透掌にやられたことか。ネテロの敗因のおよそ五割以上が浸透掌によるものだった。その浸透掌を破る。これはネテロが決戦前に己に課していた試練だった。

 

「くっ!」

 

 即座に後方に下がるアイシャ。だが僅かに遅い。アイシャの顔にネテロの反撃の裏拳が命中する。アイシャはとっさに凝によるガードを行う。オーラ量の差もあり殆どダメージはないようだ。

 だがアイシャの精神には確実にダメージが通っていた。

 

「……浸透掌を破ったか」

 

 自身が修行の末に身に付けた珠玉の奥義。非力な己にとって如何なる敵をも倒しうる最も信頼する技。

 それが破られた。

 アイシャの身に衝撃が走っていた。

 

「あれには何度も苦汁を飲ませられたからな。破る為の修行は欠かさなかったぜ。……お前がいなくなってからもな」

 

 その言葉にネテロの意地と執念を感じるアイシャ。それほどまでに想っていてくれていたことにある種の感動すら感じる。

 

 だが――

 

「苦汁? それは私のセリフだ。……【百式観音】を使えネテロ。お前の最強の技を私が破る……!」

 

 そう。辛酸を舐めてきたのはアイシャとて同じ。【百式観音】を使われたら必ず負ける。それがどれほど悔しかったことか。

 己の研鑽を打ち破られたならば、今ここで同じようにネテロの研鑽を打ち破るのみ。

 

「……へ、いいだろう。挑発に乗ってやるぜ!」

 

 この時点でビスケはネテロの勝利を、そしてリィーナはアイシャの敗北を強くイメージした。

 それも当然。かつてのリュウショウにも破る事は出来なかった【百式観音】。それは不可避の速攻。相手の如何なる攻撃にも勝る速度で放たれるそれは、つまるところ如何なる攻撃にもカウンターを行えるという事。

 敵の攻撃は受けずに自らの攻撃を当てる。まさに攻防一体の能力。

 いかにアイシャがリュウショウよりもオーラが増し、肉体の強度も増したとはいえ、いつまでも防ぎきれるモノではない。何時かは力尽き、倒れ伏すだろう。それがオーラが尽きるのが先か肉体が保たなくなるのが先かは分からないが。

 

 だがネテロは己の勝利を確信しない。あのアイシャが、リュウショウが、勝算もなくあの様な大言を吐くわけがない。

 

 故に、全力の一撃を放った。

 

――【百式観音 壱乃掌】!――

 

 瞬時に現れた観音像よりアイシャに向かって手刀が振り下ろされる。その一撃は確実にアイシャに直撃し大地をも砕いた。

 

「先生!!?」

「まず!? あれはやり過ぎよ!!」

 

 2人が狼狽したのは、今の攻撃がリュウショウに放っていた攻撃とは種類が違ったからだ。

 リュウショウが【百式観音】に僅かだが耐えられたのは、それが横からの打撃だったからだ。横からの攻撃ならば身体の脱力による衝撃吸収によって威力を分散する事が出来た。その上で堅によるガード。柔と剛、2種類の防御法を組み合わせる事で何とか耐える事が出来ていたのだ。

 だが今の攻撃は打ち下ろし。衝撃を逃がそうにも下は地面。威力は分散されるどころか地面に挟まれた事によりさらに増大したであろう。

 

 決着は着いた。一刻も早くアイシャを救出せねば。

 そう慌ててアイシャの下に向かう2人の心配を余所に、クレーターの中からゆっくりとアイシャが姿を現した。

 服はぼろぼろ。全身にも細かい傷は多々あれどその足取りは確かなもので、瞳に宿る闘志に僅かな揺らぎもなかった。

 

「どんだけ頑丈なのよ……」

 

 今日1日でいったいどれだけ驚愕すればいいのか。もう一生分は驚いたと思うビスケであった。

 

「成程、堅ぇな。だが、それだけで【百式観音】を破れると思うなよ?」

「そう急かすな。瞬時に破れる類のモノなら今まで苦労はしていない、さ!」

 

 その言葉を言い終わると同時にネテロに接近するアイシャに対し、ネテロは即座にその攻撃に対する最適な型による【百式観音】で迎撃をする。

 壱乃掌は使えない。正確には使えない位置にアイシャがいた。いかに頑丈とはいえ衝撃を分散出来ないあの一撃を何度も喰らう訳にはいかない。

 ならば壱乃掌が使用できない角度で攻撃をする。そうアイシャが判断したのは当然だった。

 

 そうして何度も【百式観音】による反撃を喰らいつつ、型を把握していく。全てを把握する必要はアイシャにはない。全ての型を把握しきれないと言った方が正確だが。衝撃を受け流せない型のみを覚え、それが放てない角度を模索しまた攻撃。

 そうして幾度となく愚直とも言える特攻を仕掛け続ける。

 

 

 

 初めに違和感を感じたのはネテロだった。

 百を超える【百式観音】を放った事により、アイシャにとって最も注意すべき型は全て知られてしまった。だがそれはいい。型は有限なれど組み合わせの数は甚大。全てを潜り抜けて己に到達するなど不可能に等しい。その前にアイシャが力尽きるだろう。

 

 今もまた【百式観音】によって弾き飛ばされたアイシャ。だがそこでネテロはまたも違和感を感じる。アイシャが弾き飛ぶ方向が不自然だったのだ。

 物理法則に則るならば、衝撃を加えられた物体はその衝撃を加えた方向に動くのが必然。右から衝撃を与えられたなら左へ、逆ならば右へ。

 だがアイシャは違った。【百式観音】を受けた後、あらぬ方向へと弾き飛ぶ。まるで物理法則を無視しているかの如く。それも攻撃を受ける度に違う方向へとだ。

 

 そしてネテロは気付いた。攻撃を受ける瞬間のアイシャの身体を包むオーラが、独楽のように高速で回転している事に。

 信じがたいことにどうやらアイシャは【百式観音】の攻撃を堅でガードしているだけではなく、オーラを高速回転する事で衝撃をさらに分散していたのだ。

 一部分ならまだしもそれを全身のオーラで、しかも堅を行いながらやってのける。正しく世界最高のオーラ技術と言えるだろう。

 確かにこれならば【百式観音】にも耐えうるかもしれない。いや、現に耐えきっている。一撃で大地を割り岩を砕く攻撃を幾度となくその身に受けてもアイシャの動きに陰りは見えないのだから。

 

「……おもしれぇ」

 

 ここまで自身の攻撃が効かない敵は初めてのネテロ。アイシャがこの攻撃を潜り抜け己に辿り着いた時、敗北の二字は己が身に降り注ぐだろう。

 だが、敗色濃い難敵にこそ全霊を以て臨む! それこそが己の求めた武の極み! そう。今のこの状況は、ネテロが最も期待していた状況だった。

 さあ、どうやって【百式観音】を破る? 期待を胸にネテロは迎撃を続ける。

 

 愚直なまでの特攻を続けるアイシャの攻撃に変化が訪れる。

 空中に跳んだのだ。対空の型がないと判断したのだろうか? だがそれで破れる程【百式観音】は甘くない。ネテロが即座に新たな型を行う直前。空中にてアイシャが急速に移動した。

 

 アイシャがした事は至って単純。ただオーラを放出し、その勢いで宙を移動しただけである。尤も、それをするためには莫大なオーラと熟練した放出系の技量が必要だが。

 それを繰り返す事で宙にて高速機動を行うアイシャ。最早ここまでくれば発の領域だろうと感心するも呆れるネテロ。恐らくアイシャに聞けばこれも誰にでも出来る技ですよ? とかほざくであろう。

 

 だがそれすらも【百式観音】の隙を突く事は出来なかった。【百式観音】の型は360度全方位に対応していたのだ。頭上という本来なら攻撃を受けることのない角度すら対応出来るからこそ【百式観音】を使用したネテロは無敗なのだ。

 

 様々な角度から幾度となく攻撃しようとも弾き飛ばされるアイシャ。だがその度に高速でネテロに接近する。さすがのアイシャもその身にダメージを蓄積し、潜在オーラも半分近く消費していた。この移動法、そして回転による防御法は著しくオーラを消耗する。

 オーラの消耗を最小限に抑えていても、幾百もの攻撃を防いだらオーラもそれに応じて減少するのは必然だった。

 自分の作戦は上手くいっている。もう少しで感覚が掴める。これさえ上手くいけばネテロに一撃与える事も可能なはず。そう確信するアイシャに対し、そうはさせじと言わんばかりにネテロが迎撃ではなく、攻撃の為の型を取った。

 

――【百式観音 九十九の掌】!!――

 

 アイシャのさらに上空へと跳びあがり、型を取る。初めて見るその型にアイシャの全身に悪寒が走る。

 

 まずい! そう思っても回避出来ないのが【百式観音】である。

 観音像が繰り出す掌底の嵐。一撃目をオーラの高速回転――廻(かい)とアイシャは名付けている――で防ぎあらぬ方向へ弾き飛ぶことで残りの掌底を回避しようとするも間に合わず。嵐に巻き込まれた木の葉の如く宙にて弾かれ続けるアイシャ。

 十数発目にしてようやくその攻撃範囲から離脱するも、連続して受け続けたことによりかなりのダメージを負う。

 もしあのまま掌底の嵐に飲み込まれ、地に叩きつけられたならば勝負はそこで決していたやもしれぬ。地を砕き続ける【百式観音】を見てそう思わずにはいられないアイシャ――砕き続けている?

 

 そう。【百式観音】は未だ地に掌底を放っていた。既に対象であるアイシャはその場にいないというのに。

 一瞬にして好機と悟る。【百式観音】はあらかじめ設定された型を取る事でその操作を行っている。つまり型通りの動きしか出来ないのだが、幾つもある型を無数の組み合わせで行う事で隙を無くしているのだ。

 だが、一度発動した型を途中で変える事は出来ない。それこそが【百式観音】の唯一の弱点!

 

 即座に宙に居るネテロに高速接近。ネテロが次の型を取る前に攻撃を加えられれば――!

 だが、アイシャの攻撃が当たる直前にネテロが新たな【百式観音】を繰り出した。

 

 

 

 さすがに肝を冷やしたネテロ。

 まさか九十九の掌から抜け出されるとは思わなかった。ほとほと厄介な技を身に付けたものだ。ここから先は1手たりとも間違う訳にはいかない。

 そう思うも、アイシャが攻撃する前に次なる型が間に合ったネテロは油断していた。最適な型にて【百式観音】が繰り出されればアイシャは弾き飛ばされる。確かに与えるダメージは少ないが、これまでの戦いにおいてそれは変わらぬ摂理。

 

 そう、この攻撃でもそれは変わらない。違ったのは……飛ばされる方向だった。

 

 【百式観音】による攻撃を受けたアイシャがネテロの眼の前にいる。

 何故? 何故今アイシャが己の眼前にいるのだ? 【百式観音】は命中したはず!?

 驚愕に身を包まれながらもネテロはその解に辿り着いた。

 

――まさか、まさか回転を利用してこちらに弾き飛ばされる様に角度を調整したというのか!?――

 

 ネテロは気付いていなかったが、アイシャは【百式観音】の攻撃に対して廻による回転の流れを一撃ごとに変えていたのだ。

 どの角度でどの様な回転で受ければどこに弾かれるか。それを何度も攻撃を受ける度に調整していたのである。地道に続けていたその行為は、今ここで実を結んだ。

 アイシャが把握した型でしか反撃出来ない角度から攻撃し、発動した型に対してネテロのいる方向に弾かれるようにオーラの回転を調節する。

 

 結果は成功。今、アイシャの眼前にネテロがいる!

 

 【百式観音】は発動したばかり。新たな型を繰り出すのには僅かなクールタイムが必要。その刹那の瞬間をアイシャの執念が穿った。

 渾身の一撃がネテロの腹部に突き刺さる。

 

「ぐぶぁっ!?」

 

 大量の吐血をしながら地へと叩き落されるネテロ。

 硬による一撃を同じく硬による防御で防いだ。前述したように打撃においてネテロはアイシャの遥か上。故に予測は容易く、オーラの防御も間に合った。

 それでもこのダメージだ。肋骨がいくつか砕け、内臓も強く痛めたことをネテロは悟る。

 

 地に降り立ち態勢を整えようとするネテロにさらなる追撃。今まで空中移動のみに費やしていたオーラの放出を初めて攻撃に使用、人1人を悠々と飲み込むほどのオーラ砲がネテロを襲う。

 とっさに【百式観音】で弾くネテロ。オーラ砲と掌底が宙にて衝突し、激しい音を立てながら拮抗しながら、徐々にオーラ砲が消滅していった。

 

 だが、オーラ砲が消滅する前にアイシャは次の手を打っていた。

 僅かでも時間を掛けたら【百式観音】で反撃を喰らってしまう。そうなっては元の木阿弥だ。次も同じ手が通用するかは分からないのだから。

 ネテロはアイシャがダメージを負っているのか疑問だったが、実のところアイシャの身体はかなり損傷しているのだ。いかに技を駆使し攻撃を防いでも、衝撃を全てなかったことにする事は出来ない。

 表面上は擦過傷程度しか確認できないが、蓄積された衝撃はいくつかの内臓を痛めており、口内では鉄の味が広がり、骨にも微細な皹が何か所も入っていた。

 ここで決めなくては恐らくもう勝機はない。己が放ったオーラ砲に並行するように地面に向かって高速機動。ネテロにばれない様に隠を使用し、オーラ砲で己の姿を隠して。

 

 アイシャの予想通り【百式観音】でオーラ砲は防がれた。だが、アイシャはすでに地に降り立っていた。

 空にアイシャがいない事に気づき周囲を索敵するネテロだが、時既に遅く、アイシャはネテロの懐に踏み込んでいた。【百式観音】は間に合わない。反撃も無理。【百式観音】が間に合わぬ攻撃に通常の反撃など出来る訳がなかった。

 

 だがネテロはアイシャの動きを見て光明を得た。

 見覚えのある動きからアイシャが浸透掌を放とうとしている事を看破。即座に体内オーラを集中し浸透掌に対応する。一度は破った奥義だ。二度破れぬ道理はなかった。

 

 それが通常の浸透掌だったなら、だが。

 アイシャは右の掌にて浸透掌を放つ。そして、その浸透掌による衝撃が防がれる前に、右の掌に重ねる様に左の掌で浸透掌を放った。

 

――浸透双掌――

 

 これこそアイシャが、いや、リュウショウがいずれネテロに浸透掌が破られる事を予期して編み出していた奥義である。

 2つの浸透掌により増幅された衝撃。いかにネテロが体内オーラを操作したところで防ぎきることは出来なかった。

 

「通った……!」

「……ごふっ」

 

 大量の血を吐きながらゆっくりと崩れ落ちるネテロ。

 そんなネテロを見てビスケは慌ててネテロに駆け寄った。浸透掌の威力はビスケも知っている。自分自身もリィーナにやられた事があるからだ。だから今のが致命傷になるのも良く分かった。浸透掌の重ね打ち。それはどれほどの威力になるのか。下手すれば死ぬ可能性もあった。

 

「まだ、やるか?」

 

 そう確認するアイシャだが、ネテロの闘志が折れていないことはオーラを見るまでもなく分かっていた。

 

「と、当然だ。オレは、まだ全てを、見せちゃ、いねぇ!」

 

 続行の意思を見せるネテロ。それに応える様にオーラを高めるアイシャ。

 

「ちょっと待つわさ! ジジイ! あんたもう限界だわさ! それ以上戦ったら命にかかわるわよ!!」

「ええ。決着は着きました。この決闘。先生の――」

『黙れ!』

 

 ネテロを止めようとしたビスケを、アイシャの勝利宣言をしようとしたリィーナを一喝するアイシャとネテロ。

 

「限界かどうかは、オレが決める! いま、最高に楽しいんだ。邪魔、するんじゃ、ねえ!」

「ネテロの全てを受けきって初めて私は勝利したと言えるのだ。ここで決闘を止めたなら例えお前であっても許さん!」

 

 2人の気迫に飲まれ言葉を失うリィーナとビスケ。もうこの闘いを止める事が出来るのは当事者である2人だけだった。

 

「行くぞアイシャ。オレの全て、百式の零を見せてやる!」

「来いネテロ。お前の全てを受け止めてやる」

 

 すでに2人とも満身創痍。だがお互いの表情はとても楽しげなものだった。

 

 ネテロが放つであろう最大の一撃を耐える為にアイシャは全力の練を行う。これを凌ぎ切れば勝利すると確信する。

 ダメージで弱ったネテロに猛攻を仕掛ければもっと楽に勝てるだろう。だがアイシャはそれを選択しなかった。ネテロの全てを受けきる。ネテロが全てを出し切ってなお勝利する。そうしてこそ初めて胸を張ってネテロの好敵手だと言えるのだ。

 

 決意を胸にしたアイシャに対し、ネテロはただ感謝していた。

 ここまで出し尽くしたのは人生で初。歳を取り、肉体の衰えを感じる日々。もう己が全力を出す機会などないのかと落胆する事も珍しくはなかった。

 それがここに来て最大の好敵手の復活だ。気分は高揚し、オーラに張りが出てくるのを実感する。まるで若返っているようだった。

 自分の全盛期はもはや過ぎ去ったと思っていた。だが違う。

 実力が伯仲する者との戦いの最中に確信した。肉体は衰えた。オーラ量も減少した。だが、今の自分はかつての自分よりも強い、と。

 己をここまで引き上げてくれた相手に感謝し、渾身の一撃を放つ!

 

――【百式観音 零の掌】!!!――

 

 ネテロの攻撃を待つアイシャの身を、背後から現れし観音が有無を言わさぬ慈愛の掌衣でもって優しく包み込んだ。身動きが取れなくなったアイシャはそれに驚愕する前に、己の背後で急速に高まりつつあるオーラに驚愕する。

 回避は不可。このまま受ければ防御したところで恐らく――!

 

 ネテロがこの決闘の地に到着したのが2日前。その間行っていた精神統一の業を経て蓄積した渾身の全オーラ。それを目も眩む恒星の如き光弾に変え撃ち放つ!

 無慈悲の咆哮が、アイシャの全身に降り注いだ。

 

 

 

「あ、ああ……」

「……これは、むりよ」

 

 濛々と土煙が舞い上がる中、2人が見たのは円状に抉れたクレーターであった。

 オーラの高まりに反して、クレーターの跡は小さいと言えるだろう。

 だがそれは威力が弱かったからではない。ごく限られた空間に威力を圧縮して放ったからこその結果であった。現にクレーターの表面は、まるでアイスをスプーンでくり抜いたかの様に綺麗なモノだった。

 

 それを見て、いや、それを見る前から二人はアイシャの生を絶望した。あれを受けて生きていられるとは到底思えなかった。

 

 だが――

 

「はぁ、は、ぐ、はあっ」

 

 土煙を割って人影が見える。

 まるで幽霊でも見てるかの様にそれを見続けるリィーナとビスケ。

 無論、それは幽霊ではなかった。

 身体の至る箇所に傷を作り、全身から血が滴り、もはや身を包んでいた道着も微塵と化していた。だが、確かに2本の足で立っているアイシャがそこにいた。

 

「す、素晴らしい、ぐ、一撃、だった……」

 

 覚束ない足取りで、ゆっくりとネテロに近づいていくアイシャ。生きているのも不思議なほどの傷。だがその意思は未だ折れず。アイシャを心配して近づいてきた2人を気迫で押しのけてゆく。

 

「へ、へへ、ぜ、零でさえ、ぜぇー、た、耐えきり、やがったか」

 

 その声に反応してネテロを見やるリィーナとビスケ。

 絶句。ネテロを見た2人の心象はその一言に尽きた。

 そこには枯れ木の如く痩せ細ったネテロの姿があった。

 

「さ、さすがに、死ぬかと思った、よ」

 

 アイシャが零の掌に包まれた時に行ったのは3つだ。

 

 オーラの高まりを感じ、回避不能と悟った瞬間。出し得る限りのオーラを背後の観音像に向かって放った。

 直後に放たれる無慈悲の咆哮。それとアイシャのオーラがぶつかり合う。元より操作系だったアイシャは隣り合わせの放出系は得意としていた。離れた敵と戦うための一手段として練り上げておくのはリュウショウとして至極当然である。

 実のところアイシャ(リュウショウ)の場合、身体を強化して攻撃するよりもオーラを放出した方が威力は高いのだ。

 だがその自慢のオーラ砲は、光弾に触れると僅かな拮抗も許されずに貫かれた。

 

 アイシャはオーラ砲を放ってすぐに次の行動に移った。あれが時間稼ぎにもならないのは予測出来る。僅かなりとも自身に降りかかるオーラを減らしてくれればいい。

 オーラを円錐状に変化させ、自身の後方に配置。威力を分散する為である。苦手な変化系ではあったが、だからと言って修行していない訳がない。これ位の形状変化は瞬時に行えた。

 だがそれも一瞬で打ち砕かれる。大滝から流れ落ちる水を一本の傘で受け止める様なものだった。

 

 最後に行ったのは単純明快。

 最早小細工は無駄。後は全霊のオーラを籠めてその身を守るだけだった。

 

 そして……現在に至る。

 

 

 

「ふふ、ふ」

「ひゅー、そんなに、ひゅー、嬉しいか?」

 

 急に笑い出したアイシャに問いかけるネテロ。

 そんなに零の掌を耐えた事が嬉しかったのか?

 アイシャの答えはそうであり、そうでなかった。

 

「ああ、う、嬉しいさ。……ようやく、ようやくお前の全てを、受け止められたのだから」

 

 そう。アイシャが笑ったのは零の掌を耐えたから、だけではない。

 ネテロの全てを受け止めきれたからであった。

 

「ネテロ」

「……なんだ」

 

「出し尽くしたか?」

「この姿見りゃ、わかんだろ?」

 

「渇きは、癒えたか?」

「ああ、感謝しか、ねぇよ」

 

「そうか……待たせて、悪かった」

「間に合ったんだ、文句は、ねえ、よ」

 

 最早お互い意識も朦朧とし、相手の姿すら認識できていなかった。その中で、2人は同時に言葉を紡いだ。

 

『だが覚えてろ』

 

『次は私(オレ)が勝つ!』

 

 そうして2人は同時に意識を手放した。


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