モエルンバ出現から2日後の6月2日。
昨日、つまり6月1日に夢見町近辺でノイズが出現したらしい、という報告を士達は受けていた。
らしい、というのは、すぐにノイズの反応が途絶えた為である。
そしてそれと同時にイチイバルの反応も確認されていた。
実は一昨日だけではなく、ノイズとイチイバルの反応が同時に出ては消えるという事が此処最近、それなりの頻度で起こっている。
恐らくはフィーネの放つノイズにクリスが追われているのだろうというのが二課の見解だ。
結局、すぐにその場から離れてしまうからクリスの行方は未だに不明。
響やヨーコはクリスに対しての心配を募らせているが、今のところはクリス、あるいはノイズを操るフィーネを捜索する以外にできる事はない。
実はその裏で映司とクリスが出会っていたりするのだが、士達はそれを知る由もなかった。
そういうわけでクリスの事を心配しつつも、響は放課後に特命部を訪れていた。
無論、理由は特訓。しかし士は一緒ではない。本日の訓練相手は別にいた。
訓練スペースにて向かい合うは、ガングニールを纏った響とレッドバスター。
そう、本日の訓練相手は桜田ヒロム。ワクチンプログラムによる高速移動を得意とするプロフェッショナルだ。
彼を相手に指定したのは、他でもない響自身。それをヒロムが許諾した形である。
「すみません、ヒロムさんも訓練中なのに」
「いや、響のレベルアップは部隊の強化にも繋がるし」
レッドバスターの言葉に「ありがとうございます」と一礼する響。
極端な話だが、足手纏いレベルの人間がいたとする。その人が戦力になる程度までレベルが上がってくれれば、単純に戦力が1人増えたという事だ。
勿論チームワークは大切だ。だが、それを形作るのは個々人の能力である。
2人のコンビがいるとして、片方のレベルが高すぎてもう片方が低すぎれば、それは最早チームワークとはならない。片方が片方を守り続けるだけの状態になってしまう。
故に、この部隊の中で一番経験の浅い響の強化は喜ばしい事だ。
とはいえ弦十郎の指導の元、既に足手纏いから脱却しているのも事実ではあるが。
「それじゃあ、行きますッ!」
「ああ」
拳を構える響に、腰を落として臨戦態勢を整えるレッドバスター。
一瞬の静寂の後、距離を一気に縮めるように、真横に跳ぶように踏み込んだのは響だった。
1秒にも満たない接近の後、右拳がレッドバスターの腹に向かう。
が、レッドバスターはそんな一撃を貰ってはくれず、彼の左手が拳を弾いた。
間髪入れずに響は左拳を振るうが、今度は右手でそれを受け止められる。
さらに、今度は掴まれた左拳を響から見て内側へと振り払われた為に隙ができてしまい、そこにレッドバスターの右肘による突きが響の左頬に入った。
「ッ!」
痛む。が、それに構わず、左頬を肘で押された勢いのままに響は右に回転し、背面回し蹴りの要領で右足を放つ。
右肘を炸裂させるために踏み込んでいたせいで、響の右足はレッドバスターの背面を捉えようとしていた。
しかし、レッドバスターもまた右肘を繰り出した勢いのまま半回転、響に背を向けるようにして、左腕で回し蹴りをガードする。
そのまま空いた右手で響の右足首を掴み、受け止めていた左腕も使いながら、レッドバスターは後ろにいる響を前方に向かって全力で投げた。
投げられた響はすっ飛んでいくが、空中でくるりと回転して体勢を立て直し、立て膝の姿勢で滑りながら着地を行い、すぐさまレッドバスターへと向き合った。
一連の動きは言葉にすれば長いが、その実、当人達にとっては一瞬。
けれどそれはレッドバスターが響の今の実力を確認するのに十分な時間だった。
「驚いたな。此処まで強くなってるなんて」
「えへへ、良い師匠がいてくれるお陰ですよ」
確かに響が戦えるようになっているのはレッドバスターも知っていた。
が、実際に戦ってみて初めて分かった。自分が考えていたよりも、響はずっと成長している。
ほんの少し前までは敵から逃げ回っていたのに、今では戦士と呼ぶに差し支えない。
飲み込みが早いのか、才能があるのか、あるいは両方を持っているのか。
それは響と肩を並べて同じ戦場に立つ事になるであろうレッドバスターにとっては頼もしい事であった。
「ところでヒロムさん。高速移動って、得意ですよね?」
「得意というか、ワクチンプログラムのお陰だけど……。どうしてだ?」
「実は、ちょっと相談が……」
クエスチョンマークを浮かべるレッドバスターに対し、響は一旦構えて見せる。
それに相対し、レッドバスターも再び構えた。
「あの、1回試してみたい事があるので、お願いします!」
「あ、ああ。いいけど……」
何の事やら、と。レッドバスターは油断せずに構える。
一体何をするつもりなのか。何か、とんでもない技でも試そうとしているのか。
響のパンチの出力は尋常ではないと聞いている。そんなレベルを食らえば、いくら訓練とはいえど無事では済まない。
試す、という事はまだ完成していない技か動きなのだろう。事故にも気を付けなければと、レッドバスターは警戒を強くする。
そして、次の瞬間には。
(速……ッ!!)
一瞬だった。
響は、足のパワージャッキを展開し、真横に空気を蹴り上げる。
するとまるで、響は超高速のすり足を行っているかのように滑るように一直線に移動した。
日頃から高速の世界を駆けるレッドバスターはそれを見切り、回避した。
そしてレッドバスターの背後にある壁に、響が顔面から激突した。
以上である。
「いったぁ~い……」
顔を抑えながら振り返る響。対し、レッドバスターは大丈夫かと駆け寄る。
「凄い速度だったが、制御できないのか?」
「はい……足のコレって蹴りとかだけじゃなくて、移動にも凄く使えるんです。
だから、ヒロムさんみたいにシュパパッって動けないかなぁって思ったんですけど、いきなりは上手くいきませんね……」
「まあ、俺の加速とガングニールの加速の仕方は違うからな」
レッドバスターの加速は何かで勢いをつけるでもなく、いきなり高速移動に移れる。
言ってみればワクチンプログラムのそれは通常のスピードの延長線上でしかない。
ロケットとか、そういう推進力を使って加速しているわけではなく、レッドバスター自身のスピードが強化されているだけ。
もっとざっくり言ってしまうと、レッドバスターの加速は『足が速くなった』という事。
だからワクチンプログラムによる高速移動をしている時も、レッドバスターの感覚は『ただ走っている』だけ。
視認できない程のスピードとはいえ、そういう理由もあって制御は容易だ。
対して、響の加速は足のパワージャッキによる推進力を得た加速。
尋常じゃない加速が一気につくが、自分の体が速くなっているのではなく、自分が加速というものに押される形で移動しているに過ぎない。
だから自由には曲がれない。精々できるのは急ブレーキをかけるくらいだ。
これこそ、響が今日の特訓相手にヒロムを選んだ理由。
高速移動できるかもしれない方法を考え付いたからアドバイスが欲しかった、というわけだ。
「……響、今の、止まる事はできるのか?」
「え? うーん、試してみないと微妙ですけど、曲がるよりは……」
「だったら、こういうのはどうだ。加速して急停止。方向を変えてもう一度加速し、急停止。
これを繰り返すんだ。そうすれば、高速移動のような事ができるんじゃないか?」
「はっ、成程!」
そして期待通り、レッドバスターはアドバイスを提供してくれた。
響の利点はパワージャッキによる加速に時間がかからない点。
つまり、いきなり最高速でぶっ飛ばす事ができるのだ。
一度最高速で走り抜け、急停止して方向転換、再び最高速。
確かにこれを繰り返せば、疑似的にだが高速移動染みた動きをすることができるかもしれない。
スピードがあればあるほど、急ブレーキの負担は大きい。
だが、そこはシンフォギアを纏う者。ある程度のGになら耐える事ができるだろう。
「早速やってみます! ヒロムさん、もうちょっとお願いできますか?」
「ああ。その様子なら、俺も良い訓練になりそうだしな」
「ありがとうございますッ!!」
響の速度は一応視認できるレベルだ。勿論、常人なら絶対に見切れないスピードだが。
対してヒロムのスピードは瞬間移動のレベル。いつの間にか敵の背後を取る事もできるほどだ。
響のスピードがヒロムの速度を追い越せるかと言われれば、恐らくそれは否だ。
けれど、制御ができれば、シンフォギアそのものをもっと使いこなせれば、迫る事はできる。
ゴーバスターズが13年前から訓練を始めていたとして、響が訓練を始めたのは1ヶ月前。
この12年と11ヶ月の差は大きい。
同じシンフォギア装者である翼にせよ、響とは数年の経験値の差がある。
少しでもそこに追いつきたい。自分も、少しでも役に立ちたい。人助けがしたい。
この日、響はそんな思いを胸に訓練を続けたのだった。
翌日、6月3日。
いつも通りに、私立リディアン音楽院の生徒達は学校へと足を運んでいた。
さて、6月という事もあって梅雨入りしたらしく、今日も纏わりつくような湿気の中、雨が降っていた。
だが、台風でもない限り学校は平常運転。
傘をさしている士はいつも以上に気怠そうな欠伸をしながら校門をくぐり、周りの生徒達を横目で見やる。
「おっはよー!」
「おはよ。雨だっていうのに元気ねぇ」
「あたし、気圧で頭痛は起きないから!」
元気な生徒。
「おはよー! ……どしたの、そのマスク?」
「風邪よ風邪。喉痛いの」
「ちょ、早くも夏風邪じゃないでしょうね」
不調な生徒。
「大ピンチッ! 課題やってないッ!!」
「こっちを見ても見せてあげませんからね、板場さん。
安藤さんも、甘やかしちゃダメですよ」
「あー、うん。テラジもこう言ってるし、2対1でごめんね?」
「はう!? 此処はアニメだったらなんだかんだ言いつつ見せてくれるところでは!?」
別の意味で不調な生徒。
士は思う。
平和だな、とか。
これでも戦いが起きてからそんなに経ってないんだよな、とか。
板場の課題の件は担当の教員にチクってやろうか、とか。
疑似亜空間の発生、ジャマンガの城、最近でもノイズの出現があった。
その中でも生徒達が登校できている現状は、自分達が守った『一時の平和』を感じさせる。
彼女達がこんな状況でも通学する理由は、学校に行く事が習慣付いているという惰性的な部分もあるが、もう1つは世界を守る戦士達の存在がある。
例え人類守護の戦士達がいたとしても危険な事に変わりはないが、彼女達はその戦士達を信じていた。
何より、ヴァグラスの発生もノイズの出現も今に始まった事じゃない。
そういうわけでもリディアンの図太い学生達は登校を続けているのである。
立花響が守りたいと考えている『日常』とは、つまりそういうものなのだろう。
学校があって、授業があって、友達と話す。
そんな普通の、だからこそかけがえのない毎日。
ちなみにそんな響、昨日の訓練を張り切り過ぎたせいで授業を爆睡。
案の定、担任にどやされていた事は言うまでもない。
授業も終わって、全く見えやしない日が落ち、雲さえなければ夕日が拝めるような時間帯。
響は未来と共に二課の本部へとやって来ていた。
授業で寝たせいか響の目は大変パッチリとしている。担任が知ったらまた怒られそうだ。
数日前のノイズ発生、つまり響と未来の喧嘩の後、小日向未来は『民間協力者』という形で特異災害対策機動部二課へ加入する事が決定した。
隠し事をするには響と未来の距離はあまりにも近い。しかも響の戦いをばっちり見ている。
さらに言えば担当教員の1人に士ことディケイドがいるという始末。流石に未来を『無関係な一般人』としておくには無理があった。
そこで取られた手法が民間協力者という措置。晴れて未来は二課の一員という事になったのだ。
勿論、未来が戦うわけではない。未来にしてもらう事は避難誘導などを始めとした、彼女でもできる裏方仕事。それから前線のメンバー、特に響の精神を支える事だ。
二課へ自由に出入りできるようになった未来。だが、まだ二課がどういう場所なのかを理解したわけではない。
そういうわけで未来は響に連れられて、二課本部までやって来たというわけだ。これは弦十郎達二課のメンバーへの紹介も兼ねている。
通路を歩く2人。道中、未来は興味深そうに辺りを何度も見やっている。
「リディアンの地下に、こんな施設が……」
「フフーン、深さは東京スカイタワー3本分もあるんだよー」
「そんなに!?」
いつぞや了子から教えられた事を得意気にひけらかす響。
普段ならば勉強を教えられる立場の響は、未来に物を教えるのが楽しいのだろう。
まあ、響もまだよく分かってないところは多いのだが。
ともあれ優越感に浸る響と何を見るにも新鮮な未来が歩き続けた先には司令室。
響が先導する形で、未来は司令室へと足を踏み入れた。
司令室への客人に振り向いたのはオペレーターの2人、藤尭朔也と友里あおい。
さらに風鳴翼とマネージャーの緒川慎次、教師兼ライダーである門矢士。
ちなみに慎次はマネージャーモードではない為か、眼鏡をかけていなかった。
響は首を傾げた。はて、誰か足りない気が、と。
弦太朗や翔太郎は宿舎にでもいるのだろうと考えられる。それとは別の欠けた感じ。
違和感の正体はすぐに分かった。
「あれ? 師匠は?」
響の師匠こと、司令官であるはずの弦十郎がいないのだ。
了子がいないのは自分の研究室に籠ってるとか、幾らか理由も考え付くが、弦十郎がこの場にいないのは珍しい。
響の疑問の言葉に対し、士はくいっと親指でメインモニターを指差した。
なんだろうと、メインモニターを見てみれば、そこには大きくデジタルな書体でこう書かれていた。
『外出中 風鳴弦十郎 TATSUYAに緊急返却』
TATSUYAとはレンタルビデオ店の事で、要するに『返却期限来そうなんでDVD返しに行ってます』という事だ。
さも急を要している風に見えるが、実のところ完璧なプライベートである。
おいおい、と誰しもが言いたくなるが、緊急時でない限り此処はそういう場所。
堅苦しさや不条理なまでの厳しさとは無縁な事は、いつぞや行った歓迎会のムードが証明している。
ちなみに士はまだ通信でしか話していなかった夏海とユウスケの事を正式に報告しようと思って来たのだが、当の弦十郎が不在で手持ち無沙汰であった。
「あー……うーん、折角未来を連れてきたんだけどなぁ」
同じく未来を紹介しようと思っていた響も、同じ状態になってしまった。
一方、未来はメインモニターを見てキョトンとした表情を浮かべていた。
彼女は『政府組織』としてしか特異災害対策機動部の事を知らない。故にもっと厳格なイメージがあったのだが、完全に虚を突かれてしまったのだろう。
未来を連れてきた、という言葉に翼が反応する。
民間協力者が来るという話は聞いていたが、彼女がそうなのかと。
「では、彼女が民間協力者の?」
「はい、小日向未来です。よろしくお願いします」
「うぇっへん! 私の一番の友達ですッ!」
礼儀正しくお辞儀する未来の横で胸を張る響。
何を威張っているのやら、と士は呆れ、翼も困ったような顔を見せていた。
「立花はこういう性格故、苦労を掛けると思うが、支えてやってほしい」
「いえ、響は残念な子ですから。ご迷惑をおかけしますが、お世話になります」
「えぇ? ちょっと、どういう事?」
朗らかにやり取りをする翼と未来だが、内容は響としては聞き捨てならない。
何だか迷惑かける事が前提な会話には抗議せざるを得ない。
翼と未来を見る響の目からは不服そうな感情が見て取れる。
「響さんを通じて、お2人が意気投合しているという事ですよ」
割って入った慎次がかなりオブラートにフォローした。
誤魔化す、と言った方が適切なくらいにはオブラートに包んでいるが。
流石の響も隣で馬鹿にされれば分かるわけで、腕を組んで頬を膨らませ、拗ねたような顔で「はぐらかされた気がする……」と呟く。
そこでからかいのネタを目敏く聞きつける男が1人。
「要するに、お前の馬鹿さ加減に誰も彼もが手を焼いているって事だろ」
「はっきり言わないでくださいよッ!?」
「何だ? はぐらかされたくないんだろ?」
「ぬぬ……」
折角包んだオブラートを全力で引き剥がして嘲笑する士。
対して響ははっきり言われるのも何だか嫌だと、より一層に拗ねた。
クスクスと笑う翼と未来。響も拗ねつつながら、そんな光景が楽しいのかちょっと笑みを見せている。
その様子を、屈託のない笑みを浮かべて笑顔の輪に入る翼を見た慎次は思う。
(変わったのか、それとも変えられたのか……)
相棒であった奏の死後、ずっと己を追い詰めてきた彼女が友人と笑いあう光景を見れた事。
それがどれ程に久しぶりであるかを、翼を見てきた慎次にはよく分かる。
だからこそ思うのだ。いずれにせよ、翼は変わった。それも良い方向に。
少なくとも今の彼女は戦い『だけ』ではないのだと。
と、朗らかな雰囲気漂う司令室の扉が開き、笑みを絶やさぬ明るい女性が入場する。
「あーら、いいわねぇ。ガールズトーク!」
語尾に音符のマークでもつきそうなくらいに明朗快活な声で足取り軽く入って来たのは、櫻井了子だった。
「何処から突っ込むべきか迷いますが……とりあえず僕達を無視しないでください」
「そもそも男も女も人数変わらないだろ」
呆れる慎次と士を余所に了子は響達女子高生に近づく。
ガールズトークと言える程にキャピキャピとした会話をしていた覚えはないが、そういう話に食いついてきた了子本人の話にも興味はあるわけで。
「了子さんもそういう話に興味あるんですか!?」
「モッチのロン! 私の恋バナ百物語聞いたら、夜眠れなくなるわよぉ?」
ずずいと響に顔を近づけてニヤリと怪しく微笑む了子。
怪談か何かかよ、とぼやく士とは対照的に、女子高生な響と未来は恋バナという餌に食いついたようで。
「了子さんの恋バナ!? きっとアダルトでオシャレな物語に違いないですよぉ!」
恋バナ、というのは女子高生が食いつく話題だと士と話したのはつい最近の話。
実際その通りで、見ての通りに響は了子のしてきた恋という奴に興味津々だ。
隣にいる未来も響ほどではないにせよ気になっている、期待の眼差しで了子を見ている。
「フフッ、そうね。遠い昔の話……こう見えて呆れちゃうくらい一途なのよぉ?」
懐かしむような、妖艶な雰囲気を醸し出しながら謎の色気を演出する了子。
興味なさげな士や苦笑いな慎次はさておき、響と未来、それに翼までもその言葉に食いつく。
「意外です。桜井女史は恋というよりも、研究一筋なイメージが」
「命短し恋せよ乙女よ! それに女の子の恋するパワーってすっごいんだから」
「女の子、ですか……」
恋のレクチャーを始める了子の言葉を聞きつつ、慎次は微量な笑いと共に小さな声で呟く。
ところが一定年齢を過ぎた女性の耳はどういうわけだか年齢関係の話題に関しては地獄耳となるらしく、次の瞬間には慎次の顔面に裏拳が炸裂していた。
聞いてから慎次の隣に移動するまでに相当なスピードだったのだが、それほどに年齢関係の話は禁句なのだろうか。
とりあえず顔を抑えてうずくまる慎次を、士は憐みの目線で見つめる事にした。写真を撮らないのはせめてもの情けか。
気を取り直して、了子は話を再開させた。
「私が聖遺物の研究を始めたのも、そもそも……」
ところが了子はそこで口籠ってしまう。
目の前で目を輝かせて、グイッと近づいてきた響と未来の様子を見て急に恥ずかしくなったのだろう。頬を赤らめて、ちょっとその場から下がって。
「ま、まあ! 私も忙しいから? 弦十郎君を探しに来たんだけど、いないみたいだし。
だったら此処で油も売ってられないから。そろそろドロンさせてもらうわね?」
「自分から割り込んできたのに……」
退散しようとする了子に、慎次はツッコミの性でもあるのか懲りずに指摘。
痛む顔面に、今度は了子のキックが入るのであった。余計な事を言わんでよろしい、という具合に。
「とにもかくにも! できる女の条件は、どれだけいい恋してるかに尽きるわけなのよ!
ガールズ達も、いつか何処かでいい恋、なさいね?」
響と未来に明るく、どことなく誤魔化す様な雰囲気で語る了子。
翼はというと、見事に決まった蹴りを前に身体を痙攣させている慎次を、今まで見た事の無い頼れるマネージャーの情けない姿に憐みの目をくれている。
「じゃ、ばっははーい!」
そして了子は話題を綺麗に纏めたところで、古めかしい言い回しと共に背中越しに手を振りながら司令室の扉から去っていった。
「聞きそびれちゃったね」
「ガードは固いねぇ。でも、いつか了子さんのロマンスを聞きだして見せるッ!」
残された響と未来は聞きそびれた事を残念がりながらも、割とどうでもいい決意を新たにした。
リディアンは女学校故に出会いも少なく、翼に至ってはアイドルという下手したら彼氏厳禁な職業である。
はたして彼女達が恋を経験するのは何時になるのか。少なくとも響は彼氏いない歴を暴露したばかりだが。
で、嵐のように了子が去った後、未だに翼から可哀想なものを見る目を向けられている慎次は。
「緒川、良い事を教えてやる。ああいう奴は無闇に刺激しない事だ。手痛い反撃が来るぞ」
「……肝に銘じます」
経験則から来る士の言葉を、もう少し早めに言って欲しかったかな、と思いつつ、身に沁み込ませているのだった。
よろりと起き上がりつつ慎次は腕時計を見やる。
そして時間を確認した慎次は、まだじんじんする痛みを押し殺しつつ、眼鏡を取り出して着用しながら翼に顔を向けた。
「翼さん、次のスケジュールが迫ってきましたね。もう少ししたら移動の準備を」
「もうですか? ……困りましたね、司令にメディカルチェックの結果を報告しなければならないのに」
先日、市街地第6区域での戦いが終わった翌々日頃に翼はメディカルチェックを受けた。
結果は、凄く砕けた言い方をすると『そこそこよし』。
今までの仕事は全て休みにする、という状況に比べればいくらか改善されていた。
尚、同じ病院で入院していた剣二も同じような結果で既にあけぼの署に復帰している。
今頃先輩警官に復帰祝いを称して弄られている事だろう。
そんなわけで、翼は慎次と相談の上でアーティストとしての仕事を入れているのだ。
驚いたのは響だ。復帰から間もないというのに既に仕事が入っているという事に。
「もうお仕事、入れてるんですか!?」
「少しずつね。今はまだ慣らし運転のつもりよ」
「怪我自体は完治していても、いきなり無理をさせるわけにはいきませんから」
怪我の後にはリハビリが付いて回るように、いきなり健常だった頃に戻すのは負担が大きい。
そこを考慮し、仕事のスケジュールは入れてこそいるが以前ほどに忙しくは無かった。
翼の予定を管理している慎次の手帳の書き込みも数ページ前からは考えられないくらいに少ない。それだけ予定を詰めていないという事を示していた。
「じゃあ、以前のような過密スケジュールではないんですね!」
「え? ええ」
今の会話を聞いた響はならば、と以前からずっと考えていた提案を口にする。
それは友達とか、先輩後輩とか、そういう人同士なら当たり前な提案を。
「だったら翼さん、デートしましょ!」
それは要するに、『一緒に遊びませんか』という至極普通な誘い。
けれども年頃の遊びを経験してこなかった翼にとっては、とてもとても新鮮な誘いだった。
結局、弦十郎が帰ってくる前に響達は家に帰ってしまい、翼とデートの約束をしただけで終わった。
それはいい。士にとってはどうでもいい事でしかない。
ただ、そこに自分が巻き込まれなければ、の話である。
冴島邸に戻ってきた士は、自室からリビングまでの道のりの間に、二課本部で起こったやり取りを想起する。
あれは、翼と響と未来がデート、つまりは遊ぶ約束をした直後の事。
「あっ、そうだ! どうせなら士先生もどうですか!?」
「……おい待て、何で俺が」
「だってぇ、折角ならリディアンのみんながいいかなぁって。
士先生と、翼さんと、未来と私! ほら、チームリディアンって感じしません?」
「板場やら寺島やら安藤辺りを連れてけばいいだろ。風鳴と行けるなら泣いて喜ぶぞ」
「いやぁ、事情が説明できないので……というわけで、行きましょう! 士先生ッ!」
以上である。
何が「というわけ」なのか一切分からないが、響の勢いのままに巻き込まれてしまった。
翼も未来も止めようとはしないし、慎次や朔也、あおいに至っては少し笑っている始末。
ちなみに約束は次の日曜日。写真館に行ったのも日曜だったので、2週続けて日曜が潰される事になる。
ハァ、と溜息をつきながらリビングに到着した士は、夕食を食べる為に席に着く。
直線上にていつも通りに無言無表情を貫く鋼牙を見て、士はふと思った。
(こいつの無愛想を少しくらい立花にも分けてやるべきだな……)
学校では明るすぎる奴が、家では静かすぎる奴が。
何とも両極端な性格の2人に、士は何度目か分からない溜息をつくのであった。
既に響達は帰って、静まり返った夜の事。了子は二課にある自室へと戻って来ていた。
所謂ラボとも言える場所で、了子の城と言っても差し支えない場所だろう。
大きな透明のガラスに覆われた円柱状の中、そして外には、様々な配線が様々な機械と繋がっている。
これら全てを把握しているのが了子であるのだが、円柱状の中は、実質了子のプライベート空間と化しているのが現状だった。
(らしくない事、言っちゃったかしらね……)
了子は蝶のデザインが施されたカップにコーヒーを注ぎながら、先程の響達との会話を回想する。
恋に関しての想い。周りにはふざけた言い方をしたように見えただろうが、あの言葉に嘘偽りはなかった。
(変わったのか、それとも変えられたのか……)
果たして自分は、あんな事を本心から語る柄だっただろうか。
長く居すぎて弦十郎達に毒されてしまったのだろうか。そんな思考が過る。
恋という言葉に因縁にも似た思いのある彼女だが、それをあんな形とはいえ吐露してしまった。最後まで話そうとしてしまった。
しかし、そんな考えこそらしくないとして、了子は思考を切り替える。
コーヒーの苦みで自分の物思いを飛ばし、今考えるべき事を考え始めた。
己が提唱した櫻井理論。そこにはシンフォギアのあらゆる知識が詰まっている。
はっきり言うと、二課の聖遺物に関しての情報、知識は、その殆どが了子由来だ。
自分をできる女と称する了子だが、その殆どが謎であった聖遺物をシンフォギアとして扱えるレベルにまで引き上げた彼女は間違いなく天才だろう。
世界で一番シンフォギアの事を理解していると言っても過言ではない。
だが、だからこそ彼女はシンフォギアの限界を知っていた。
天羽奏はLiNKERを断っていた影響とはいえ、絶唱の負荷により死亡。
適合率の高い翼ですら、自爆紛いの放ち方をしたとはいえ絶唱の負荷で命の危機に晒された。
シンフォギアから解放されるエネルギーの負荷、特に絶唱によるものは軽減できないと櫻井理論も結論付けていた。
たった1つ、最近になって現れた例外を除いて。
(……立花響)
眼前に広がるのは、響の写真。
了子の目の前の殆どが、壁に貼り付けられた写真で埋まっている。
その全てに共通しているのは、立花響が写っている事だった。
監視カメラなど、幾つかの手段を使えばどんな場所のどんな写真でもを入手する事は容易い。
まして、それが二課のメンバーであるならば尚更だ。
(人と聖遺物の融合体第一号……。
2年前におけるツヴァイウイングのライブ形式を模した起動実験にて、オーディエンスから引き出され、引き上げられたフォニックゲインによりネフシュタンの鎧は起動した。
が、立花響はたった1人で聖遺物を起動させた。それも、ネフシュタンと同等の完全聖遺物であるデュランダルを……)
立花響が見せた結果は凄まじいの一言であった。
何せ、ツヴァイウイングとツヴァイウイングのライブに集まった数万人の観客達が生み出した相当量のフォニックゲインを、たった1人で賄って見せたのだから。
数値で置き換えるならば、その値は異常と言ってもいい。
(人と聖遺物の融合は不可逆だった負荷というシンフォギアの欠点を覆す。
人と聖遺物が1つになる事で、さらなるパラダイムシフトが引き起こされようとしているのは、疑うべくもないだろう)
了子はコーヒーを置いて、モニターに映し出された響のレントゲン写真に近づく。
バストアップが映されたそれは、まともな人間のそれではない。
心臓を中心に、黒い茨のようなものが全身に行き渡っている写真だった。
了子はそれが何であるかを知っている。
立花響の心臓だけでなく、体中にガングニールが浸透している事を知っている。
了子は何処か、蠱惑的な笑みを浮かべた。
(もし人がその身に負荷なく絶唱を口にし、聖遺物に秘められた力を自在に扱えるのであれば、それは遥けき過去に施されし『カストディアン』の呪縛より解き放たれた証。
真なる言の葉で語り合い、『ルル・アメル』が自らの手で未来を築く時代の到来)
了子は笑う。今、この場に誰かがいるとして、今の言葉を聞いて、果たして真意を見通せるものがいるだろうか。
(真なる言の葉が失われた時から、世界には相互理解の欠落が溢れた。
誤解が不和を呼び、不和が闘いを呼び、闘いが悲しみを呼ぶ。憎しみを呼ぶ。
人間の負の感情は、陰我となって積もる。
だが、真なる言の葉で語り合える世界ならば、そのような陰我は発生しない。
人の負の念が呼ぶ怪物達は全て、この世界には現れなくなる事だろう)
己の理想を改めて反芻して、愉悦の表情を浮かべる了子。
だがすぐにその表情は切り替わり、次なる思考へと進んだ。
(……だが、同時にもう1人、異端となる存在が現れた……)
写真を1枚手に取る。
それは他の写真同様、立花響が写っている写真であった。
しかしそこには響と一緒にもう1人、青年が写っていた。了子の視線はそちらを向いている。
「門矢、士……」
ポツリとだが、思わず声に出してしまった。
彼は了子の想定外であった融合症例である立花響以上に、想定外の存在であった。
(別の世界からの来訪者。この世界の理を聖遺物すら使わずに破壊する者。
世界に施された呪縛に囚われていない存在……)
その表情は何処か険しい。
門矢士、ディケイドという異端に対し、彼女は想いを巡らせる。
(呪縛に囚われていない門矢士はこの世界においてどうなるのだ?
カストディアンにとって、呪縛の外から来た人間はどう映るのか。
この世界の理を破壊しかねない彼は……)
ディケイドは世界の破壊者である、とは士本人の弁だ。
単純な戦闘能力こそ他の仮面ライダー達と大きく変わる事はないが、唯一違うのはノイズを単独で倒せる点。
それが次元を超えられる彼だからこそ、それを応用して位相差障壁を突破しているのか。
それとも、不死者をも殺せるという話が本当で、世界のルールを無視しているのか。
どちらにせよ、世界で確認されてきた仮面ライダーの中でもディケイドは一際異質だ。
(……門矢士は)
了子は天を見上げる。
地下施設である二課が上を見上げようとも、そこに映るのは人工的な天井だけ。
だが、了子の目はもっと遠くを見据えていた。
雲よりも遠く、空よりも遠く、夜に浮かび上がる月を。
(脅威となるか……あるいは、呪縛を覆すもう1つの可能性か……)
その真意を知る者は、いない。
エンターは1人、とあるビルの屋上からエネトロンタンクを見上げていた。
次は此処を標的にしようとしているわけだが、闇雲ではなく策を考えなくては、ゴーバスターズ達に速攻で止められるのがオチ。
ジャマンガやフィーネ、大ショッカーにも協力を求めるべきかとエンターは思考を巡らせていた。
その一方で、策を考える傍ら、エンターは別の事を考えている。
数日前の、市街地第6区域に放たれたノイズの事だ。
ノイズの出現に関し、何故そんな何でもない場所にノイズを放ったのかをフィーネに聞きに行ったエンターは、フィーネが雪音クリスを切り捨てたという事実を聞かされた。
エンター自身、クリスに限らず人間の事などどうでもいいので、それを気にするような事は無い。
ただ気になったとすれば、何故切り捨てたか、であった。
(此処にきて手駒を減らすとは……いや、意味もなくそうするほど、フィーネは馬鹿ではないでしょう……)
今まで何度かの対話をして分かったが、フィーネは決して馬鹿ではなく、むしろ逆に位置する人間だ。
掴みどころのない彼女の正体をエンターも図りかねてこそいるものの、実はある真実には気付いていた。
(監視カメラの映像、まさかとは思いましたが……)
その真実にエンターが気付いたのは、つい最近の事だった。
デュランダル奪取を果たそうとした際に、何を目撃されたくないのか監視カメラのジャックを頼んできた事。
ディケイドとの会話から察するに、敵の内情に詳しいであろう事。
この2点がエンターの知るフィーネの正体に関係しそうな情報だ。
内情に詳しい事から、フィーネに情報を流している『誰か』がいるというのは想像がつく。
ただ、そうすると監視カメラのジャックは何を見られたくなかったのか。
情報を流しているスパイが写ってしまう事を危惧する必要はない。何故なら、そのスパイは既に敵の組織からは味方として認識されているはずだからだ。
協力関係にある大ショッカーやジャマンガ、自分達ヴァグラスに悟られたくなかったのか? と考えても、監視カメラのジャックを自分に頼んできたという時点で矛盾が生じる。
そこでエンターは、デュランダルを巡る戦いの際にジャックした時の監視カメラの映像をもう一度再生したのだ。
何かフィーネの正体を探れるヒントがあるかもしれない、と。
広範囲にわたって監視カメラをジャックしていたため、それだけ映像の数も膨大だった。
その中には土煙しか映っていないような映像もあったが、その土煙の映像の中に、エンターは1つの真実を見つけたのだ。
映像は『手の平から障壁を出して、女性がノイズから立花響を守っている』というものだった。
監視カメラの位置的にとても小さく映っていただけだったが、そこはヴァグラス。拡大した映像の解像度を鮮明にする事で、見事にそれを見つけたのだ。
手の平から障壁を出していた女性は茶髪で白衣の女性。
それを見たエンターは驚愕した。「まさか、そこまで大胆な策だったとは」と。
(……ま、結局彼女の目的や正体については何もわかっていないんですがね)
目的に関しては一切情報が無いし、そもそもフィーネという女性が本来は何処の誰かも一切合切分かっていない。
雪音クリスという手駒を切り捨てた事から計画が大詰めに近いという事だけは分かる。だから不要になったクリスを捨てたのだろうと。
ただその目的が一体何なのか。そして、その目的を行おうとしている理由は何なのか。
(私には関係ないですが。彼女の目的……こちらの不利益にならなければいいですがね)
フィーネに関しての真実が1つ分かっただけでも進歩かもしれないが、一番知りたい重要な事は知れていない。
まあ、害さえなければ何をしてくれても構わない。自分は自分の目的を果たすだけだ。
余計な思考を棄てて策を練る事に集中しようとしたエンター、だったのだが。
「ッ!?」
距離こそあるものの背後に誰かがいるという気配に気づいた矢先、銃撃がエンターを襲った。
何とか避けたエンターは背後の人影に向けて、袖から機械的な触手を繰り出す。
ところがそれを掻い潜り、銃撃の主は身軽に跳び上がってエンターに接近し、着地。
間髪入れずに銃の先端についている刃、つまりは銃剣をエンターに向けるも、同じタイミングでエンターも袖から出した刃を銃撃の主に向けていた。
そこで初めて、エンターは人影がどんな人物なのかを認識した。
見た目は若い女性。自分に向けている銃は黒く、もう片手に持っている銃は白い。どうやら二丁拳銃使いだったようだ。
着ている服は黒と銀。サングラスもつけている。色合いだけで言えばエンターの着ている服に近く、サングラスもエンターが額に付けている物にそっくり。
そしてエンターにそういう感情は無い為何も感じないが、目の前の女性は男ならば誰もが振り向くであろう色香を醸し出す、所謂セクシーな美女であった。
「……
フランス語で質問を向ける。
見覚えのない、それでいて一般人とは思えない女性。
女性は何がおかしいのか突然笑うと、銃を下ろした。
「へぇ、アンタ強いのね? じゃあアンタは『いいモノ』だわ」
「……誰か、と聞いたのですが?」
女性は問いに対してニヤリと笑い、サングラスをエンターに倣うかのように額に移動させた後、両手の銃を挙げた。
よくよく見れば、2つの銃のグリップには狼の頭を模したような飾りが付けられている。
「こっちが『ゴク』で……」
右手の黒い銃の狼に口づけを。
「こっちが『マゴク』……」
左手の白い銃の狼に口づけを。
「そして私は『エスケイプ』。すっごく、いいモノよ」
最後に銃を下ろし、自分自身を示して妖艶な笑みを浮かべた。
エンターはその紹介で目の前の女性が何者なのかを悟る。
「成程、マジェスティが新たにアバターを造ったのですか……。しかし何のために?」
女性が自分と同じ出自を持つ、いわば同胞である事は分かった。
だが、今までメサイアはエンター以外のアバターを造りだした事は無い。
だからエネトロンを奪う作戦も全てエンターが仕切っていたというのに、此処に来て新たなアバターの投入。
「アンタがパパ、メサイアを満足させないからよ」
回答を聞いてエンターはつくづく溜息が漏れそうになる。
要は、エンターがやっている事が自分の快楽に繋がりそうもないから新たなアバター、エスケイプを生み出したというのだ。
メサイアにとっての快楽とは即ち人間の苦しみ。あるいは、通常空間への復帰だ。
通常空間への復帰はエネトロンが足りない現状、容易に叶う願いではない。
そこに前回の疑似亜空間の一件。一時的とはいえ通常空間へ姿を現し、人間の苦しむさまを見る事ができる。
その忘れ得ぬ快楽を再び得るために、彼女を生み出したという事であろう。
問題はそれをするにもエネトロンが消費されるという事だ。
疑似亜空間の発生だってタダじゃない。本来ならばメサイア復活の為のエネトロンを消費しなくてはならないのだ。
つまりメサイアは自分の復活を待つ事もできず、目の前の快楽に安易に手を伸ばしたという事になる。それが自分の復活を遠ざける原因にもなるというのに。
まるで玩具を前に『待った』ができない聞き分けの無い子供のようだと、エンターは感じた。
(快楽を教えたのは、早すぎましたかね……)
いい加減に頭首ながら呆れ果ててしまう。
エンターが行ってきた作戦はいつでもエネトロン第一。
エネトロンを使ってメガゾード4体を出現させるという事もあったが、それも後々のエネトロン回収の効率を上げる為、ゴーバスターズ達を早期に倒しておこうと考えての事だ。
エスケイプの言う通り、エンターはメサイアを満足させるような事は無かっただろう。
だが、確実にメサイア復活の為に動いているのもエンターだ。
メサイアを相手にする時にはいつも、駄々をこねる子供を相手にしているかのように感じるエンターだが、今も正にそんな気分だった。
顔見せが目的だったのか、エンターが強いか弱いかを確認しに来ただけだったのか、甲高い高笑いと共にエスケイプはその場を去っていく。
その後ろ姿を見つめるエンターはもう一度エネトロンタンクを見上げ、鼻から息を吐いた。
「……やれやれ」
その言葉には、様々な意味での呆れが込められていた。
一方でジャマンガ本拠地。
ウォームは1人、魔物を生み出す炉を前にして1人考え込んでいた。
マイナスエネルギーを集める事はヴァグラスや大ショッカーと協力すれば何て事はない。
例え負けても苦しみや悲しみ等を与えてやればいいのだから簡単な話である。
しかしリュウケンドー達が邪魔である事は依然変わらず、実質最強の魔物であったジャークムーンですら、リュウケンドーに敗れた。
謀反に近い事を起こしたとはいえ、ジャマンガのメンバーであり凄まじい強さを誇っていた存在。それが失われた事はそれなりに痛手だ。
嫌味な奴ではあったが、いなくなればそれはそれで寂しいものだと、やけに広く感じる周りを見てウォームは思う。
そんなわけでジャークムーンが城と共に落ち、この空間内には胎動するグレンゴーストとDr.ウォームだけとなっていた。
────今、この瞬間までは。
「ハァーイ。Dr.ウォーム」
突如、声とともに炉に腰掛ける形で現れた女性。
その姿を、その存在を、ウォームは知っていた。
何せ、仲はあまり良くないが旧知の間柄なのだから。
見た目は通常のそれではなく、口元以外は全て仮面で隠されており、服装はスカートなどから見ても分かる通り女性らしくも、ある程度分厚く鎧のようである。
仮面からは碧いイヤリングが垂れて、彼女が動く度に揺れている。
さらに手には武器なのか、金色のステッキが握られていた。
ついでにステッキと同じく、衣装は金色を基調としている。
金色が多く使われているその姿通り、彼女の二つ名は『黄金女王』。
ジャマンガの幹部の1人、『レディゴールド』だ。
彼女は右手で持ったステッキを左の掌に軽くポンポンと打ち付けながら、ウォームを見た。
「大魔王様はまだ復活しないのかしら?」
「そこに乗るでない!」
「お黙り!」
とりあえず、魔物を生み出す為の大事な場所、言ってみればウォームの仕事場である炉に腰掛けるレディゴールドを叱るウォーム。
しかし高飛車なレディゴールドはそれを聞き入れず、ステッキでウォームの方を差すだけだ。
溜息をつきつつ、レディゴールドの半分嫌味な言葉に答えるウォーム。
「足りんのだ、マイナスエネルギーが。
それに、リュウケンドー達は新たな仲間と共に行動しておる。
生半可な事では太刀打ちできん!」
「ふぅーん。でも、こっちも手を組んでる相手がいるんでしょう?」
「勿論、奴等のお陰で溜まったマイナスエネルギーもある。
しかし、その時に使った手も既に攻略されてしまっておるからの」
ウォームが言っているのは疑似亜空間のことだ。
1日近くあけぼの町に発生していたそれは、確かに凄まじい量のマイナスエネルギーを集めた。
しかし流石は大魔王というべきか、復活にはそれでも足りない。
まあ、あの一度で集めきれる程度であれば苦労はないだろうが。
その言葉を聞き、レディゴールドはヒョイと炉から降り、ニヤリと口角を挙げた。
「はるばるヨーロッパから来て良かったわ。此処は一番苦戦しているようだし?」
「そうじゃ、そもそもお前はヨーロッパで指揮を執っていたはず。何故此処に?」
ジャマンガは各地に支部を持っている。
ウォームは日本支部、もっと言えばあけぼの町支部で、レディゴールドはヨーロッパ支部担当の幹部。
その支部は、全てパワースポットが存在している場所だ。
パワースポットは強力な力を秘めている。危険はあるが、押さえておいて損はない力だ。
そこでジャマンガの幹部達は各支部に散り、パワースポット周辺で活動しているのだが。
「私の支部のパワースポットが魔力爆発を起こしたのよ」
「なんじゃと!?」
パワースポットの爆発。それは程度によるが、最低でも街1つ、下手すると国1つ吹き飛ばす威力を出す事がある。
それはジャマンガにとってもあまり喜ばしくない事だ。
マイナスエネルギーの収集には人間が必須。そして、仮にあけぼの町のパワースポットが爆発しようものなら、あけぼの町は間違いなく壊滅するだろう。
そうなればマイナスエネルギーが収集できなくなってしまう。それはグレンゴーストの復活ができないことを意味していた。
「先に言っておくけれど、私がやったわけじゃないわよ?
私を追ってきてる奴がパワースポットを暴走させたのよ。お陰でこっちは活動できなくなったわ」
「お前を追う? まさか、人間側の奴がパワースポットを爆発させたのか!?」
「ええ、どうなるかも知っていたでしょうにね。全く、忌々しい」
レディゴールドはその時の事を思い出し、不機嫌そうに口を歪める。
一方のウォームは、その事実に恐れを感じていた。
レディゴールドの発言が正確なものだとすれば、彼女を追っている『何者か』は、パワースポットの危険性を理解し、暴走した時の被害も知った上でそれを行った事になる。
まるで、ジャマンガを潰す為なら手段を選ばないとでも言っているかのような。
先にも述べたが、あけぼの町のパワースポットが暴走して町が壊滅すれば困るのはジャマンガだ。
(ぬぬ……一体全体、どこのどいつだ、そんな事をやらかす愚か者は……!)
パワースポットを暴走させた『何者か』の存在に焦りと怒りと疑問をミックスしたような感情を募らせるウォーム。
しかしながら、ジャークムーンを失った今、レディゴールドの増員はありがたい。
ウォームは『ある1人』を除き、他の幹部とはあまり仲が良くない。レディゴールドもそうだ。
しかし、大魔王復活の為にはそんな事に構っている暇はない。
ウォームは心の内で、大魔王復活への決意をさらに強固なものへと変えるのだった。
そしてまた一方。舞台はオーストラリア。
オーストラリアの最東端に位置するバイロンベイ。その近辺に存在する名所、クリスタルキャッスル。
有名な観光地であると共に、此処は不思議な力の宿る場所として名が知れている。
つまりS.H.O.Tやジャマンガが使っている意味とは違う、一般人が使う意味としてのパワースポットとして有名だ。
ただし、それと同時に魔法的な意味でのパワースポットでもある。
つまりこの場所は2つの意味でパワースポットなのだ。
そのクリスタルキャッスルからは少し離れた場所。木々に囲まれた草原の中で、2人の異形が睨み合っていた。
「お前と会うのも、今日が最後になるかもしれないな」
「へぇ、そいつは大した事だ。俺を今日中に倒せる自信があるって事かい」
片や、人型でありながら、岩石のような体表と屈強な体を持つ怪物。
片や、同じく人型で、緑に近い黒の仮面と腰に巻いた風車のようなベルト、首から下げた赤いマフラー、そして真っ赤な両腕両足。
岩石の怪物の言葉を挑発だと考えたのか、仮面の男は挑発し返す様に言った。
しかし岩石の怪物はその言葉を、首を横に振る事で否定する。
「そうではない。俺は此処を去る」
「何? 何処に行く気だ!」
「日本だ」
それだけ言うと岩石の怪物は、その身を文字通り、丸い岩石へと変えた。
そして仮面の男がいる方とは逆に転がっていき、本当に岩なのかと疑問に思うような、まるでスーパーボールのようなバウンドでその場から迅速に消え去ってしまう。
待て、といいながら手を伸ばす仮面の男だが、岩石の怪物の動きは速かった。
「クソッ、逃がしちまった……」
悔しがる仮面の男だが、冷静に岩石の怪物が残した言葉を頭の中で反芻した。
「しかし、やっぱりアイツはおつむが足りてないな。わざわざ行き先を言っていきやがった」
何度か岩石の怪物とやりあってきた仮面の男は、奴の事を幾つか知っている。
1つ、固い。1つ、パワーが高い。そしてもう1つ、賢くない事。
平たく言えば、仮面の男から見た岩石の怪物は『実力は高いが馬鹿な奴』なのである。
しかしながら岩石の怪物が口走った国の名前は仮面の男にとっても馴染み深い。
一体そこで奴が何をしようとしているのか、何の目的があるのか。
いずれにせよ、碌でもない事であるのは確かだ。
ならば、仮面の男がしなければならない事は1つだった。
「さってと。久々に、里帰りと行くか!」
そうして仮面の男は風のようにその場を去っていく。
岩石の怪物を追う為に、彼もまた日本を目指すのだ。
こうして、ヴァグラスとジャマンガに新たな脅威が出現した。
新たな幹部の存在。まだ見ぬ、ジャマンガと敵対する『何者か』。
オーストラリアより日本に向かう、岩石の怪物と仮面の男。
状況は変化する。例えそれが、戦士達のあずかり知らぬところであったとしても。
────次回予告────
戦場にあった剣は、平穏に慣れないでいた。
けれど確かにその平穏は、剣が知って、暮らしている世界。
今日に生きるその世界は、戦いの向こう側だった。