スーパーヒーロー作戦CS   作:ライフォギア

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第49話 陰りの日

 疑似亜空間とジャークムーンの城との決戦の翌日。

 5月も終わりに差し掛かり、6月が近いという事もあってか梅雨のように雨が降っている。

 厚い雲が日を遮って、外は何だか薄暗い。

 どんよりとした雰囲気にはお似合いなのかもしれない。部屋の窓から空を見つめながら未来はそんな風に思っていた。

 

 寮では響と未来の2人が同じ部屋。当然今だって、同じ部屋の中で暮らしている。

 それが今だけは、とてもとても辛い事のように思えた。

 響よりも早く起きた未来は響を起こす事も無く、制服に着替え始める。

 響と同じ時間に登校する気が、どうしても起きなかったから。

 

 響と未来は結局、話す事もできていない。

 響は未来と話そうと思った。けれど、どう切り出していいのか分からない。

 対して未来は自分の我が儘を隠そうと、響と距離を取っていた。

 朝昼晩、授業中も寝る時も、響と未来の距離はあまりにも近い。

 それでも話せないまま、2人の間には1日という長い沈黙が過ぎてしまったのだ。

 

 

「…………」

 

 

 降りしきる雨の中、傘をさしながら1人で登校する未来は、自分が言った『隠し事をしたくない』という言葉を思い返す。

 あの時の意地悪を謝りたいと思ったのに、もう謝る事もできないくらいになってしまった。

 この言葉をかけられた時、響はどれ程辛かっただろう。

 言いたくても言えない秘密を抱えていた響を知ってから、余計に未来はそう思う。

 今の関係に心を痛めているのは、きっかけを作ってしまった未来も同じだった。

 

 

「……?」

 

 

 顔を俯かせていた未来は、何の気もなく通学路にある横道に目を向ける。

 何てことは無いアーケードの外れ。

 雨という事もあってか人っ子1人通らない、暗い早朝の中。

 そこで小日向未来は、倒れている銀髪の少女を見つけた。

 

 

 

 

 

 市街地第6区域。

 響や未来が使うリディアンの通学路のすぐ近く。

 そこでノイズの反応が検知され、リュウジとヨーコ、翔太郎の3人は弦十郎と共に出動した。

 ノイズの反応は現着する頃には消えており、被害者も調べたところでは0である事が確認済みだ。

 ちなみにヒロムは未だ休養中。グレートゴーバスターのメインパイロットという事で疲労が抜けきっていない彼は復帰できない状態でいた。

 本来はリュウジやヨーコも休養をするはずだったのだが、戦闘の可能性が考えられたので駆り出されたのだ。

 戦闘の可能性。つまり、敵がいる事が考えられたのには理由がある。

 それはノイズの反応と同時に、『イチイバルの反応も検知された』という事だった。

 

 

「やっぱ、雪音クリスがノイズと戦った……って事になんのか」

 

「そうでしょうね。

 でなきゃ、こんな場所にノイズとイチイバルの反応が同時に確認されるわけないですから」

 

 

 翔太郎、リュウジが口々に言う。

 フィーネという存在がクリスを切り捨てたという事は彼等も分かっている。

 では、そのフィーネが不要となったクリスを消そうとしているならば?

 そう考えれば今回現れたノイズとイチイバルの反応にも納得ができる。

 

 

「クリスちゃん、私と歳変わらないんだよね……。大丈夫かな」

 

 

 雪音クリスという人間については以前に軽く説明を受けている。

 ヨーコも直接対面した事は無いが、普通に過ごしていれば学生くらいの年齢の少女。

 そんな子がたった1人で命を狙われていると聞かされて不安が募るばかり。

 

 一方、現場指揮をしている弦十郎は粗方の指揮を終えた後に響と士に連絡を取っていた。

 二課のメンバーという事、対ノイズの戦力である事がこの2人への連絡の理由だ。

 翼に言わないのは、彼女に言うと病院を抜け出しかねないからである。

 

 弦十郎は響と士にノイズのパターンが検知された事、未明という事もあって被害者はいない事、イチイバルの反応も同時に確認された事を伝えた。

 弦十郎と響、士の3人は今、同時に通信を行っている。

 通話というのは普通の電話なら1対1だが、そこは二課の通信機。3人同時の通信も簡単にこなせるのだ。

 報告を聞いた響は言葉の代わりに暗い沈黙を発していた。

 通信機越しにそれを感じ取った弦十郎が「どうした?」と聞くと、響は答えた。

 

 

『あの子、戻るところ無いんじゃないかって……』

 

 

 フィーネに捨てられたクリスの事を響は心配していた。

 クリスについては響も聞かされているが、彼女は天涯孤独の身であるらしい。

 ならば、フィーネという居場所を失ったクリスの帰る場所はあるのか。

 

 

「そう、かもな……」

 

 

 弦十郎の言葉はほんの少し上ずっている。そこに気付き、そこを心配している響への驚嘆の声だった。

 敵であるはずの子まで心配する響は底抜けのお人好しであると弦十郎も感じざるを得ない。

 それも、何処か歪んでいるほどの。

 優しい、と一言で片付けられるようなものではない。幾度か本気の潰し合いを演じているのだから。

 

 

『俺達はどうする? 立花も俺も、すぐには出られないぞ』

 

 

 沈黙を保っていた士が口を開く。

 その後に欠伸をする声が続く事から、昨日の今日で疲れが取れていないのだと弦十郎も響も察した。

 今日も響は生徒として、士は教師として学校がある。

 二課に従事している事を秘密にしながらの活動なので、急な呼び出しには応じられない可能性は十分にあった。

 大学生ならともかく高校生の響が授業を無断で抜けられるはずがないし、教師側の士は余計にそうだ。

 とはいえノイズと戦うには2人の力は必須レベルなのも事実なのだが。

 

 

「調査は引き続き我々が行う。響君と士君は指示があるまで待機。

 リディアンにも普通に通っていてくれればいい」

 

 

 響は「はい」と、士は特に返事もすることなく指示を聞いた後、3人の通信は終わった。

 通信機を切った後、響はリディアンの校舎の中へと入り、いつも通りに教室へと歩いていく。

 人助けなどで遅刻する事も多い響だが、それがなければ比較的普通に登校が済むくらいの時間で来るのが響だ。

 数人の生徒は既に教室に入っていたが、最初の予鈴まではまだ時間がある中、響は自分の教室に入った。

 そしてそこで、いきなりの違和感を発見する。

 

 

「……未来?」

 

 

 未来がいない。

 自分よりも早く寮を出たはずの未来が、席にも、教室の何処にもいない。

 それだけなら学校の外とか、他の教室とか、色々と考えられただろう。

 だが、彼女は学校にまだ来ていないと言い切れたのは、彼女の鞄が机に無かったからだ。

 いつも隣で授業を受ける未来の机には、未来の鞄が無い。

 それはつまり、彼女がまだ登校していない事を意味していた。

 戸惑う響にいつも仲良くしている3人娘が近づき、詩織が一番に口を開く。

 

 

「小日向さん、お休みなんですか?」

 

「私より早く出たはずなんだけど……」

 

 

 3人娘も響と未来が何らかの事情で喧嘩しているという事は流石に分かっている。

 以前の茶化しだって2人の間に何処か重い空気が漂っているから、それを何とかしたいという善意でやった事なのだ。

 けれどそれが裏目に出て、未来が怒って行ってしまった事、それきり2人が碌に会話もしていない事を同じクラスの3人はよく分かっている。

 だからその時、善意で茶化した張本人である創世は思わず響の手を握った。

 

 

「あの時はごめん、茶化しちゃって。

 悪気は無くて、2人が何か、喧嘩してるみたいだったから……。これでも責任、感じてるんだ」

 

 

 創世は響の目を見て精一杯謝った。

 言葉だけの薄っぺらい謝罪ではなく、友人に対しての本気の謝罪。

 自分が茶化してから2人が口も利かなくなってしまっていれば責任も感じるというもの。

 時折何とも思わない人もいるが、創世も、他の2人もそんな無神経な人物ではなかった。

 

 

「うん、大丈夫だよ」

 

 

 笑顔で答える響。勿論、創世のせいだなんて全く思っていない。

 許された事、それに昨日からずっと謝りたかった事もあって、創世はホッとした顔を見せる。

 

 自分が悪い事を自覚して謝らなければならないと思った時、すぐに謝れる人は稀有である。

 謝らないままずるずると引き摺ってしまう人もいるだろう。

 頭では分かっていても、どう謝って良いのかとか考えてしまって踏み切れないものだ。

 それが今の響と未来だった。

 どちらも友達でいたいと思っていても、言葉を伝えない為に何処か気持ちがすれ違っていて。

 そうして1日という時間が経過してしまっているのが、今の響と未来。

 

 未来がいる筈の席を見つめて、響は1人思い続けた。

 

 

(このままだなんて、私は嫌だよ。未来……)

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見ていた。

 

 

「あたしを騙して、一体ッ! カ・ディンギルってのは何なんだよッ!!」

 

 

 信じていた人に、裏切られて追われる夢。

 

 

「貴女が知る必要はない。だけど、貴女の望みは叶えてあげる。

 カ・ディンギルを用いれば世界を一つに纏め上げ、争いの種を無くすことができるのだから」

 

 

 そうしてソロモンの杖と共に、冷徹な笑みが向けられて──────。

 

 

「うわぁぁぁッ!!」

 

「きゃっ!?」

 

 

 突如目を見開いて飛び起きたクリスに驚いて、小日向未来は思わず小さな悲鳴と共に仰け反ってしまった。

 今の夢は自分が追われる最初の出来事。フィーネに本当の意味で切り捨てられた日の事。

 屋敷の外に追いやられたクリスが慟哭の叫びを発した、その直後のやり取りだった。

 あれから丸1日、ずっと逃げ続けて、絶え間なくノイズに襲われ続けて。

 最後にノイズと一戦交えたのは暗い路地裏だったか。

 そこで自分の記憶が途切れているから、その戦闘の後に自分は力尽きたのだとクリスは理解する。

 次にクリスが思考したのは、此処は何処だ、という状況確認。

 見慣れない部屋。畳張りの和室に敷かれた布団で眠っていたらしい。

 横を見れば、驚いた様子から立ち直った、自分と同じか少し下くらいの年齢の少女。

 服は何処かで見た事のあるような制服だった。

 

 

「よかった、目が覚めたのね。アーケードの外れで倒れていたから此処まで運んだの」

 

 

 飛び起きたせいで額から外れてしまったおしぼりを回収し、未来はクリスに笑顔を向ける。

 すぐに分かった。この子は自分が戦いに巻き込んでしまった子であると。

 ネフシュタンを纏って出撃したあの日、ガングニールのアイツを狙おうとした時に自分の不注意で巻き込んでしまった子だ。

 そうとは知らない未来は笑顔のまま口を開く。

 

 

「びしょ濡れだったから、着替えさせてもらったわ」

 

 

 そう言えば自分の服ではない事に気付く。

 よくよく見れば白い動きやすい服に、胸元には『小日向』と書かれている。

 今までの経歴のせいで学校という場所に縁がなかったクリスは着慣れないものだが、とどのつまりそれはリディアンの体操着だった。

 

 

「ッ、勝手な事をッ!!」

 

 

 クリスは布団から思い切り立ち上がった。

 知らぬ間にされていた気遣いに不器用ながらそんな対応しかできないクリス。

 そして急に立ち上がったクリスを見て、未来は頬を赤らめた。

 

 

「……?」

 

 

 何を恥ずかしそうにしているのか分からないクリスは未来の視線を追う。

 立ち上がった自分を見上げている。

 そしてそんなクリスは、上半身には体操着を着て、下半身には────。

 

 

「何でだッ!?」

 

 

 何も着ていなかった。体操着の下どころか、下着まで。

 さらに体操服というのは動きやすく、結構余裕のある服。

 そんなわけで体操服1枚だけのクリスは、肌の大部分を見上げてきている未来に見せてしまう形になってしまったのだ。

 普段から一緒に響と風呂に入っている未来からすれば、同姓の肌を見たところでどうと思うわけでもない。

 が、意図せず急に『そういうもの』を見せられたら少しは恥ずかしくもなるわけだ。

 

 

「さ、流石に下着の替えまでは持ってなかったから……」

 

 

 流石のクリスも気恥ずかしくなったのか、立ち上がった時の勢いと同じくらいの速さで屈み、布団で全身をくるんだ。

 例えるなら座敷童的なスタイル。

 そんな座敷童クリスと未来がいる和室。そこにまた1人、顔を出す人物がいた。

 

 

「あら、お友達、目が覚めたの?」

 

 

 洗濯籠を持って現れたのは、おばちゃん。

 それが誰なのかクリスに分かる筈もない、巻き込んでしまった未来とは違い完全に赤の他人だ。

 おばちゃんとは、お好み焼き屋のふらわーを営んでいるおばちゃんである。

 クリスを発見した場所から一番近く、尚且つ頼れる場所が此処だけだったので、未来はクリスを此処に運び込んだ。

 開店前なのにも拘らずやって来たお客に驚き、さらにその子がどうにかこうにかおぶってきたずぶ濡れの女の子を見てさらに驚きつつ。

 それでもおばちゃんはすぐに驚きを引っ込めて、未来の人助けを手伝った。

 おばちゃんはクリスに笑いかけながら、洗濯籠の中に入れてある服をちょいとつまんで見せる。

 

 

「お洋服、お洗濯しておいたからね」

 

 

 クリスの洋服は雨の中で倒れていたせいで泥も付着していたし、逃げ回ってきたせいで土の汚れもついて、尚且つずぶ濡れの状態だった。

 それがまあ、何事もなかったかのように綺麗に洗い流されて洗濯籠の中に収まっている。

 フィーネに命を狙われる逃走中の中での、唐突な人の優しさ。

 未来とおばちゃんの2人にクリスは唖然とする。

 そんなクリスにおばちゃんは微笑んだまま、物干し竿がある庭に出ていこうとし、それを少し急いで未来が追った。

 

 

「あ、私手伝います」

 

「ホント? ありがとうねぇ」

 

 

 そうして2人は物干し竿にクリスの洋服と、ついでに洗濯したおばちゃんの私物を干し始めた。

 至って普通の、だけどそう簡単にはできない善意。

 まあ人が倒れていればこうなるよね、と言えなくもない善意。

 けれどもクリスとは縁の無かったそんな善意に、クリスはただただ呆然とするばかりであった。

 朝方降っていた外の雨はいつの間にか止んでいて、クリスが佇む部屋の窓からは光が差し込んでいた。

 

 

 

 

 

 放課後になった。

 士は鞄を持ってリディアン校舎の階段を上りつつ、黙々と考え事をしていた。

 原因は、小日向未来の無断欠席。

 

 門矢士はディケイドとなってからの旅を通して仲間を得て、心も成長し、ある程度人の心情を察する事もできるようになっている。

 元々、尊大な態度で覆い隠されているが、彼は人を思いやる事のできる人間ではあった。

 例えば彼は仮面ライダーの世界を回っていく中で、その世界における敵に対して啖呵を切る事がある。

 悪を否定し、仲間を肯定する言葉。仲間の心情を察し、鼓舞し、背を押す言葉。

 それができるという事は即ち、仲間の事を思いやれている証拠でもあった。

 彼は確かに成長している。旅を続け、戦いや仲間が増えていく中で。

 

 この世界で新たに経験した『教師』という立場は、士にほんの少し影響を与えていた。

 さらにもう1つ、『二課職員』としての経験もまた。

 二課、延いては特命部やS.H.O.Tには『大人』が多い。

 20歳が過ぎたから、とか、もうそんな年齢じゃないから、とかではない。

 子供を支えてやる、頼りがいのある『大人』が多いのだ。

 

 例えば二課。

 弦十郎は時に優しさだけでなく厳しい面も見せる。それでいて、響達が活動しやすいように支えてもいる、大人らしい大人筆頭だ。

 了子は場の雰囲気を明るくしながらも的確に仕事をこなしてサポートをする。

 朔哉やあおいを中心とするオペレーター達もまた、自分にできる精一杯をもってして響達を支えている、手は一切抜かない頼りになる大人だ。

 

 黒木や天地などの司令官、各組織のオペレーター、特命部のバスターマシンの整備員などもそれに該当するだろう。

 マサトはタイプとしては了子に近く、おちゃらけつつも頼りになる面もちゃんとある。流石は黒木と弦十郎の同期と言ったところか。

 

 門矢士はリディアン生徒から見て『大人』だ。

 少なくとも、響や未来は士の事を『大人』として見ていた。

 年上だからというのもあるが、教師という立場がさらにそうさせている。

 それが彼に変化を促していた。

 少しくらい子供を支えてやれる大人になってやるか、という風に。

 本人も知らず知らずの、しかもほんの少し過ぎて気付きづらいくらいの変化。

 もっと言えば『支えてやるか』という士特有の上から目線の心情。

 けれども年下を支えてやろうというその思いは、士の中での確実な変化であった。

 

 故に士は、共に肩を並べて戦う仲間の親友である、小日向未来の動向を気にしている。

 いや、それだけではない。未来は士の教え子でもあるからだ。

 

 

(余程立花と顔を合わせたくなかったか)

 

 

 歩を進めながら士は未来の心情を考察する。

 が、何となくしっくり来なかった。

 響と未来は、それこそ朝から晩まで顔を突き合わせている。幾ら学校に行かなくても最終的には会わないわけにはいかない。

 単純に学校でくらいは顔を合わせたくないという急場しのぎか。

 まさか、そのまま帰らずに別の友人の家にでも泊めてもらうつもりなのか。

 そんな士の脳裏にふと、今日の朝に話した弦十郎と響との会話が浮かぶ。

 本日未明にノイズが現れたという話だが。

 

 

(……いや、違うか)

 

 

 巻き込まれて、という肝が冷えそうな考えが一瞬過るが、犠牲者は0の筈。

 それにノイズの反応と一緒にイチイバルの反応も検知しているというし、恐らく未来の事とは完全に別件だろうと士は切り捨てた。

 

 ────イチイバルの反応と未来の無断欠席は、少し関係がある事を士が知る由もない。

 

 そうこう考えているうちに、士は目的の場所についた。

 階段を昇って士が目指していた場所は最上階。つまりはリディアンの屋上。

 彼はゆっくりと、特に急ぐでもなく追っていた人物がいたのだ。

 追っていた人物というのは風鳴翼。

 長く青い髪を揺らし、松葉杖を使う姿は芸能人という事を差し引いても目立つ。

 そんな彼女が松葉杖ながらも階段を器用に昇っていく姿を発見し、気になった士は後を追ったのだ。特に急ぐような理由でもなかったので徒歩で。

 勿論、翼がただ歩いているだけだったら追う理由は無い。

 が、松葉杖を使ってわざわざ階段を上るような用が何なのかが気になった。

 何より、アイツ安静にしているんじゃなかったのか、という疑問もあった。

 そういうわけで士は今、翼が入っていた屋上、その扉の前にいる。

 

 さて、と言った具合に気軽な気持ちで屋上への扉を開け、足を踏み入れた。

 最初に目に入ったのは、隣り合ってベンチに腰を据えている響と翼の姿。

 扉が開く音に反応したのか、響と翼は士の方に目を向けている。

 2人の視線を一身に浴びつつも士は何の事も無く、平常通りに声をかけた。

 

 

「何してる? 風鳴。お前は病院の筈だろ」

 

「学校に行く事と、ある程度の外出については許可を得ています。

 仕事に関しては何1つ許されていませんが……」

 

 

 許可を得ているからか翼は目線を逸らす事も無く堂々と答える。

 彼女の言う『仕事』とは、『アーティスト』と『二課装者』の両方の事だ。

 戦闘に関しては司令である弦十郎に、アーティスト方面に関しては慎次からそれはもう強く止められている。

 戦闘は許可が下りる前に無断出撃したら厳罰だし、アーティスト方面に関してはマネージャーの慎次がスケジュールを全力で開けているので今更どうしようもない。

 そんなわけで、リハビリがてらに学校へ久々の登校を果たしたのが今の翼というわけである。

 翼の弁解に士は特に何を言うでもなく、2人に近づきながら最初の疑問について問い詰めた。

 

 

「それは納得してやる。で、結局お前らは放課後の屋上で何してるんだ」

 

 

 答えようとしたのは響。

 だが答える前に一瞬、ぐっと黙り込んだ響は、ちょっとだけ目を泳がせる。

 そうしている間に歩を進め、ベンチの前にまで来た士の方を、俯きつつ見上げるように目を向けた。

 

 

「翼さんには偶然会って。……その、相談したい事があって、一緒に」

 

「相談、ね。無断欠席した小日向と関係あるのか?」

 

 

 響は目を下に向けてしまう。上か正面を見ているイメージの強い響だが、普段の溌剌とした様子は鳴りを潜めていた。

 図星を突かれた響は足元に、迷うような声で自分の心情を吐き出していく。

 

 

「私、自分なりに覚悟を決めたつもりでした。

 守りたいものを守る為、『シンフォギアの戦士になるんだ』って……。

 でもダメですね……。小さな事に気持ちが乱されて、何も手に付きません。

 あの時、翼さんにも士先生にも励ましてもらったのに……」

 

 

 自嘲気味な語りは何の音にも遮られる事無く、口を開かずに聞いていた士と翼の耳に届いた。

 士も翼も、響の覚悟は知っている。それを見て、それを聞いたのだから。

 甘えた覚悟ではなく真の意味で覚悟を決めた姿を確かに見た。

 だが、未来とのすれ違いのせいで何もかもができなくなっている響もまた知っている。

 フィルムロイドとの戦いでは偽者に惑わされるなと鼓舞した。

 しかし、そこを乗り越えたからと言って未来との関係が戻るわけではない。

 それとこれとは話が別。

 未来との友情はまだ切れていないと信じている。だけど、何をどうして踏み出せばいいのか分からない。

 それどころか学校に登校し、隣に座るという機会すらも無断欠席という壁に阻まれてしまった。

 だからなのか、今日の響は授業の時に上の空。

 授業をした士はそれを見たし、そう感じていた。

 

 

「私、もっと強くならなきゃいけないのに……。変わりたいのに……」

 

 

 デュランダルを振るってしまった時の恐怖と後悔が未だに響には焼き付いている。

 人と人が戦う事を嫌う彼女が、人に対して制御もしていない『殺す一撃』をぶっ放した事。

 その時に、自分が一切の躊躇いが無かった事。

 だから思った。強くなりたいと、変わりたいと。

 

 

「その小さなものが立花の本当に守りたいものだとしたら、今のままでもいいんじゃないかな」

 

 

 けれど翼は今の響でいいのだと語る。

 それは士に、そして未来からも贈られた言葉と全く一緒の結論。

 支えられた、慰められた言葉を忘れる筈の無い響は感じた。「同じだ」、と。

 

 

「立花はきっと、立花のまま強くなれる」

 

 

 照れくさそうにしながらも翼は隣にいる響の方へ向きながら。

 だが、言い切った後にすぐさま顔を逸らして目線は足元へ移動してしまった。

 

 

「奏のように人を元気づけるのは、難しいな」

 

 

 かつては奏に支えられていて、それを今度は自分が響にと思ったのだが、やってみると存外難しい。

 そんな事を感じつつ翼ははにかんだ。

 風鳴翼という人間は、実は脆い。

 奏の死後に引き摺っていた自責と後悔、そしてそれを機に得てしまった自殺衝動にも近い使命感。

 

 私がやらなければならない。私が、私が、私が────。

 

 歪み、強まり、固まってしまった使命感の最たるものが、あの時の絶唱。

 絶唱を自爆同然に放つというシンフォギアシステムにおける危険行為を独断で行った事。

 大切な相棒の死を境に、風鳴翼は危うい方向へと変化してしまった。

 無理もない。誰よりも大切な人を自分の目の前で死なせれば、誰だって何かしらの変化はある。

 

 では、元々の風鳴翼という人物はどんな性格だったのか?

 翼の世間からのイメージに関して例を挙げると、『凛としていて』、『完璧に何でもこなす人』で、『迷いの無い人』と言ったところ。

 実は、翼の性格はそれと全くの逆と言っていいほどのものだ。

 恥ずかしがりで寂しがりで、部屋は片付けられなくて迷う事もある人間。それが風鳴翼だ。

 かつて奏に評された『泣き虫で弱虫』というのも間違いではなく、『鋭い剣』という言葉から対極にいたのがかつての翼。

 つまり翼は元来、悩み多き性格であり、故に『悩む』という行為に対して他の大勢よりも理解を示すタイプの人間だ。

 歪み、意固地になっていた使命感から解放された翼は、そういう本来の自分を少しだけ覗かせている。

 だからこそ、甘えた覚悟ではない響が抱えるそれを聞いて彼女は思った。

 例え当人がちっぽけと称していても聞き、先輩として言葉をかけるべきだと。

 何度も言うようだが、翼と響の間にわだかまりはもう存在しないのだから。

 

 翼は自分でも言うように人を元気づける事が得意な方ではない。

 だけど心は確かに伝わって、響は翼に「ありがとうございます」と明るい声で笑顔を見せた。

 と、そんなやり取りを見ていた士が。

 

 

「変わる変わらないで言えば、風鳴。お前は随分変わったな」

 

「そう、ですか?」

 

「ああ、前のお前なら立花の悩みなんざ聞くより先に斬ってただろ」

 

 

 士の中で翼は『そんな事で悩んでいるの?』とか『そんなものを苦とした悩みにしてどうするのッ!』とか言うイメージだった。酷い時には剣を飛ばす時もあるような。

 

 

「斬るって、そんな事……」

 

「弦十郎のオッサンが止めたアレ、忘れてないよな」

 

 

 響と翼が出会って1ヶ月程経った時の、アレ。

 天ノ逆鱗とかいう翼の技の中でも大分高火力な技を響にぶっ放した、アレ。

 弦十郎が阿保みたいな身体能力を見せつけた、アレの事。

 流石に3ヶ月も経っていないその記憶は翼の中にも鮮明に残っていた。

 どんどん顔を横に逸らしていく翼を士の目線が追う。

 翼は、士の所謂ジト目が痛くて耐え切れず顔を逸らして逸らして、最終的に正面でもなく響の方でもない、誰もいない方向に顔を向けた。

 そんな翼を嘲笑するように一笑した後、士はボソリと。

 

 

「随分と良い先輩だな」

 

 

 ガッツリ皮肉。

 そんな翼が本気でいたたまれなくなってきた響が、士に苦笑い気味の表情を見せた。

 

 

「あ、あのぅ、士先生。その辺で……。私、別に気にしてないですし……」

 

「フン」

 

 

 鼻息を鳴らして肩をすくめる士は腕を組み、それ以上の追及を止めた。

 追求というよりか、響に止められた事もあって翼をからかう気が失せただけなのだが。

 

 さて、落ち込んでいた響の相談に乗っていたはずが、過去の事を思い出して3人の中で一番落ち込み気味の翼。

 ちょっと負のオーラ的なものが見え隠れしている後頭部に、響は慌てて声をかけた。

 

 

「そ、そういえば翼さん。体はまだ痛むんですか?」

 

 

 ゆらりと、響へ申し訳なさそうな顔を見せつつ振り返る。

 この調子のままでは会話もできないと、翼は何とか普段の表情へ戻るよう、自分の気持ちを切り替えた。

 

 

「痛み自体は無いわ。完治も早いと思う」

 

「そっか。良かったです」

 

 

 嬉しそうに微笑む響。

 以前に翼といざこざはあったが、翼を尊敬する気持ちに変わりはない。

 敬愛する先輩が無事でいてくれている事は響にとって自分の事のように嬉しいのだろう。

 だが、翼の顔は暗かった。

 

 

「……絶唱による肉体への負荷は極大。

 正に他者も自分も、全てを破壊しつくす滅びの歌。

 その代償と思えばこのくらい、安いもの」

 

 

 翼が重傷を負った絶唱は、クリスやノイズを地面ごと纏めて薙ぎ払った一撃。

 その威力をモニターではなく、目で見ていたのは他でもない響と士だ。

 だが自嘲しているような表情からは、それ以上に自分の絶唱という歌を卑下するかのような感情が見て取れる。

 それに響は黙っていられなかった。翼のファンである、翼の歌が大好きな響は。

 

 

「でも、でもですね、翼さん! 2年前、私が辛いリハビリを乗り越えられたのは、翼さんの歌に励まされたからです!」

 

 

 2年前の事件。響は一命をとりとめたとはいえ、重傷を負ったのも事実。

 故に治ったら即退院、というわけにもいかず、リハビリという過程を踏むのは当然の事だった。

 単純に外傷が酷かった事もあり、とても辛かったと響も記憶している。

 それでも立ち上がれたのは、歌のお陰だった。滅びの歌だと口にする、翼の歌の。

 

 

「『全てを破壊する』。ディケイドの力もそういうものだと言われている」

 

 

 次に口火を切ったのは士。

 士は真剣な顔で翼に語り掛け、2人は士の方へ振り向く。

 

 

「だが、お前は違う。

 お前が破壊や滅びを起こす歌を歌えるにしても、それだけじゃない。

 人を支える歌も歌える筈だ。何より、その歌に励まされたと言う立花が此処にいる。

 ……少なくとも、俺の力よりはよっぽど上等だろ」

 

 

 破壊、という言葉に士は複雑な思いがある。

 ディケイドの力は破壊の力。世界の全てを破壊する事のできる強大にして凶悪な力。

 比喩表現ではなく世界を破壊できるその力のせいで、忌み嫌われてきた。

 それができてしまうという事実を知っているからこそ、士は『ディケイド』という力を皮肉る時がある。

 自分は『破壊者』でしかないと。時には『悪魔』と自分を卑下する事すら。

 自分の歌を破壊的だと語る翼に、士は自分を引き合いに出す事で、それよりはマシだと語る。

 だが、そこで割り込んできたのはまたしても響だった。

 

 

「いや、でも、士先生! 私、士先生にもいっぱい助けられてきました!」

 

 

 響の方へ翼と士の目線が集まり、響は自分の先生へと、自分が思う門矢士という人物に対してのイメージをぶつけていく。

 

 

「士先生は素っ気なかったり、からかったりもしてきます。

 けど、特訓に付き合ってくれたりとか、私と未来の事を気にかけてくれたりとか、優しいところも沢山あるんです!

 例えディケイドの力が本当に破壊の力だとしても、士先生が破壊したのは脅威とか敵とか、守る為の破壊でした!」

 

 

 響はその後、翼と士、両方を交互に見た。

 翼は自分の歌を、士は自分の力を破壊するものだと自嘲と皮肉で表現する。

 けれど、片方に励まされ、片方に守られた。

 どちらにも救われてきた立花響は、2人の歌と力は破壊だけではないと、心の底からの想いで語る。

 

 

「翼さんの歌が滅びの歌だけじゃないって事、聞く人に元気を与えてくれる事、私は知ってます。

 士先生の力が破壊するだけじゃないって事、守る為に使っている力だって事、私は知ってます」

 

 

 そして最後に、響は笑顔で締めた。

 

 

「私、翼さんの歌が大好きで、士先生の力を頼もしく思ってます。

 だから2人とも、自分の事をそんな風に言わないでください」

 

 

 その笑顔に翼も士も呆気に取られてしまった。

 響は笑顔で語りこそしたが、許せなかったのだ。

 自分を助けてくれた歌と力を持つ2人が、自分自身の事を悪く言っている事が。

 少なくとも此処に1人、それに助けられた人間がいるのだから、自分の事に自信を持って欲しい。

 そんな想いを込めた言葉の代わりに帰って来たのは、少々強めに頭に置かれた士の右手だった。

 突然置かれた右手に、響も素っ頓狂な声しか出ない。

 

 

「ふぇ?」

 

「お前、何でこっちを励ましてんだよ」

 

 

 士が呆れ、翼も「こちらが励まされてしまったな」と苦笑い気味。

 そこまで言われて響は漸く気付いた。相談をしていたはずの自分が、いつの間にか2人にエールを送っていた事に。

 何処から逆になってしまったかな、と、響は後頭部を掻きながら照れくさそうに笑うのだった。

 

 

 

 

 

 銀髪の少女を未来がふらわーに運び込んでから数時間。もう朝のホームルームから放課後に至るまでの時間が流れていた。

 そういうわけで、銀髪の少女ことクリスの洗濯された服はすっかり乾いており、服は取り込まれて畳んでおいてある。

 その服に着替える前に、未来は寝汗も出ているクリスの体を一度拭いてやっていた。

 自分で拭けない背中だけは任せたクリスであったが、他の部分まで拭いてもらうのは恥ずかしいのか、後は自分でやるとタオルを未来から受け取る。

 その際に小さく「ありがとう」という言葉が未来に贈られた。

 未来はまだクリスと親しく話したわけではない。

 けど、その言葉で思う。「きっといい子なんだろうな」、と。

 

 クリスは立ち上がって、体操着を脱いで元の持ち主である未来に渡した。

 未来はそれを受け取る代わりにクリスの服を手渡し、正座で座ったまま、自分の体操服を丁寧に畳む。

 

 

「……何にも聞かないんだな」

 

 

 自分の服に袖を通し始めたクリスが、ふと未来に言う。

 それが何の事を指しているのか未来にもすぐに分かった。

 クリスの背中を拭いた時に見えた数々の痣。

 同じくらいの年頃に見える少女の綺麗な肌についた、痛々しい傷。

 黒に近い青になっている痣。転んだとか、ぶつけたとかで説明できるような傷でもない。

 誰かに暴力を振るわれていると言われれば即座に信用が出来る程だった。

 

 傷は確かに見た。でも、未来は何も言わない。言いたくなかった。

 

 

「私、そういうの苦手みたい。

 今までの関係を壊したくなくて、なのに一番大切なものを壊してしまった……」

 

 

 響が隠し事をしているのは知っていた。だけど、それをお互いに秘めたままでいた結果が今。

 壊したくないと踏み込まなかったのに、壊れてしまった関係。

 

 

「……それって、誰かと喧嘩したって事なのか……?」

 

 

 その気持ちを、偶然だけれどクリスは理解できた。

 信じていたフィーネのやり方に疑問を抱きつつも、それを口に出さずにフィーネに踏み込まなかった。なのに、一方的に捨てられて。

 響と未来、フィーネとクリス。状況も思いも全てが違う。

 けれど、『大切な人との関係が壊れてしまった』というところだけは一致していた。

 だからだろうか、クリスがすぐに未来の言葉が何を意味しているのかをすぐに言い当てられたのは。

 

 

「喧嘩か。……あたしにはよく分からない事だな」

 

「友達と喧嘩した事ないの?」

 

「友達いないんだ」

 

 

 友達いないんだ。この言葉に秘められた意味は、学校で友達を作るのが苦手で、とかそういうニュアンスのものではない。

 クリスの傷を見て、何よりその雰囲気がそうでないという事を嫌というほど物語っている。

 小日向未来は聡い女の子。どちらかと言えば賢明な子だ。

 故にクリスの言葉が普通のそれではないという事にも気付けはしたが、日本の普遍的な日常の中で生きてきた未来は小さく声を漏らす事しかできない。

 クリスが思い出していたのは、過去の自分の人生だった。

 

 

「地球の裏側でパパとママを殺されたあたしは、ずっと1人で生きてきたからな。

 ……友達どころじゃなかった」

 

 

 語られた凄惨な過去に、未来も言葉を失う。

 思ったより酷かった、なんて言葉で片付けられるような人生ではない。

 平和な国で暮らしてきた未来にとってはテレビの中の話のような、尋常ではない過去に思わず目を伏せた。

 

 

「たった1人理解してくれると思った人も、あたしを道具のように利用するばかりだった。

 大人は、どいつもこいつもクズ揃いだ……ッ!」

 

 

 フィーネの顔が浮かんだあと、今度は大人の男性達の顔が浮かんだ。

 その男性達とは、戦時中の中で身寄りの無かった子供を売り買いしていた人買い達だ。

 両親を殺されたクリスも当然標的となり、その大人達に虐げられてきた。物のように扱われた。消耗品のように扱われた。

 とにかく、人間としての扱いを受けてこなかった。

 

 

「痛いと言っても聞いてくれなかった。やめてと言っても聞いてくれなかった。

 私の話なんて、これっぽっちも聞いてくれなかった……ッ!!」

 

 

 虐待。いや、虐待という言葉で済んでいるのかも分からない。

 よくも自分は死ななかったと思えるくらいには自分の命は明日をも知れなかった。

 大人達は子供の声に耳を貸さず、大人同士ですらその行動に疑問を持つ者もいなかったのだ。

 戦争の中では、命が数秒単位で消えていくような場所で正常なルールなど存在しない。

 クリスはその中で生きてきた。その中で消えていく命を見た。

 だから、誰よりも強く思う。戦争を無くしたいと。『力』を全てぶっ潰して、戦争の無い世界にしたいと。

 

 

「……なぁ、お前、その喧嘩の相手ぶっ飛ばしちまいな」

 

「え?」

 

「どっちが強ぇのかハッキリさせたらそこで終了。とっとと仲直り。そうだろ?」

 

 

 乱暴な言い方。だけどクリスにはそんな風に言うしかできない。

 彼女は『話し合い』と『手を繋ぐ事』に無縁だった。

 力ある者が全てを手に入れる、全てをどうにかできてしまう。そういう環境だった。

 子供の頃に周りにいた連中も話が通じるような人間ではなかったから、クリスの思考は必然、そういう方に流れてしまう。

 

 

「できないよ、そんな事……」

 

「……わっかんねぇな」

 

 

 ある意味、未来の人生はクリスの人生と対極だった。

 未来は普遍的な人生を送ってきた。普通に友達を作り、普通に進学して。

 でもだからこそ、未来は話し合う事と手を繋ぐ事を知っている。

 日常の中に身を置いていたからこそ、クリスの知らない事を知っている。

 ただ力で勝つだけじゃ意味がない。何より、どんな意味であったとしても響をぶっ飛ばすなんて未来にはできない。

 力関係的にできないのではなく、したくないという心情的に、だ。

 クリスの言っている事は乱暴だ。だが、未来の問題を自分なりに考えてアドバイスしたという事は変わらない。

 要は彼女なりに、未来の悩みを真剣に考えてくれたという事だ。

 戦争を心から憎んでいる彼女は、粗暴な言動とは裏腹に、誰よりも優しい少女だった。

 

 

「でも、ありがとう」

 

 

 それを感じた未来は気付いたらそんな言葉を口にしていた。

 未来は畳んだ自分の体操服を脇に置き、立ち上がってクリスと目線を合わせる。

 

 

「あァ? あたしは何もしてないぞ?」

 

「ううん。ホントにありがとう。気遣ってくれて。えっと……」

 

 

 名前を呼ぼうとした未来。だけど、銀髪の少女の名前が全く出てこない。

 当然だ。何せお互い名乗っていないのだから。

 そういえば、自己紹介もしていないのだと気付いた未来はちょっと困った表情でクリスを見つめる。

 言わんとしている事を察したクリスは未来から目を逸らした。

 

 

「クリス。雪音クリスだ」

 

 

 自分から他者に進んで名乗るのはいつぶりだろうか。

 響やフォーゼに名乗ったのは思わず、という感じだったし、こうやってキチンと名乗るのは本当に久しぶりだ。

 らしくない、と思ったからか、それとも単に少し気恥ずかしいのか、クリスは目を逸らしたまま目線を動かさない。

 クリスの行動にも嫌な顔1つせず、未来は笑顔で答えた。

 

 

「私は、小日向未来。……優しいんだね、クリスは」

 

「……そうかな」

 

 

 初めて言われた言葉に、クリスは思わず顔を背ける。

 ちょっとだけ赤く染まった頬が照れている事を示していた。

 そんなクリスに未来は笑顔で近づく。

 

 

「ねぇ、クリス。もしもクリスがいいのなら……」

 

 

 そうして未来は顔を背けるクリスの片手を両手で優しく包み込むように握った。

 突然の事に戸惑い、驚きの顔を向けてくるクリス。そんなクリスに未来は優しい声で語り掛けた。

 

 

「私は、クリスの友達になりたい」

 

 

 声と同じで、表情と同じで、とてもとても優しい響き。

 このまま手を握られたまま、友達になってしまいたいとすら一瞬思えてしまうほどに。

 傷だらけの心に未来の優しさと言葉が沁み、クリスだって何も考えずに首を縦に振りたかった。

 けれど、容易く答えられない葛藤が彼女の中にはある。

 クリスは未来の手を振り払って、再度背を向けた。そうして彼女は小声で、自分が頷けない理由を小声で口にする。

 

 

「あたしは、お前達に酷い事をしたんだぞ……!」

 

 

 ネフシュタンの力でこの少女を傷つけてしまった事を、クリスは鮮明に覚えていた。

 関係の無い人間を傷つけるヴァグラスやジャマンガのやり方に怒りを覚えていたというのに、それと同じ事をやらかした自分を。

 それだけじゃない。今となっては立花響を攻撃した事も正しかったのか。

 フィーネが自分を騙していたから、何て言い訳をするつもりは無い。

 何より、仮にそれで許されたとしてもクリスは自分が自分で許せない。

 嫌いな争いの火種をばら撒いていた事。戦いを苛烈にしていた原因を造り、何らかの野望の片棒を担いでいた事。

 そして小日向未来という、自分が傷つけてしまった少女がそうとも知らずに目の前にいる事が、クリスの心を強く締めあげた。

 

 未来からすればクリスの言葉は理解できない。

 この少女が自分に乱暴した覚えも、心無い言葉をかけてきた覚えもない。むしろ自分を励ますような言葉をかけてくれた。

 だから未来は首を傾げる。そして、何も知らぬ未来を見てクリスは罪悪感を増していく。

 

 そうして沈黙が流れる中で静寂を打ち破ったのは、ノイズ襲来を告げる警報だった。




────次回予告────
陰る少女の心に光が差して、道を照らす。

答えが出る者、答えが出ぬ者。手を繋ぐ者、手を振り払う者。

それでも進む以外に答えは無い。

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