5年程前の話になるだろうか。
天羽奏という少女は長野県皆神山で保護された。
彼女の両親は聖遺物発掘チームに所属しており、発掘の際に突如現れたノイズに父も、母も、そして同伴していた妹も殺されてしまった。
ただ一人、幸か不幸か奏だけはノイズの災厄から免れ、特異災害対策機動部に保護された。
当時、弦十郎とまだ幼い翼が数名のエージェントと共に奏との面会に赴いた時、彼女は椅子に縛りつけられていた。
かなり大きめの部屋に、上から監視するような窓、囚人のような服に縛りつけられた姿はまるで獣のようだった。
「離せッ! あたしを自由にしろォッ!!」
実際、その姿は猛獣のようだった。
およそ14歳の少女とは思えぬ鬼気迫るもの。
血走り、瞳孔まで開ききっていそうな目は大人だってできる表情ではない。
弦十郎が周りのエージェントから現状報告を聞くと、奏は弦十郎にその目を向けた。
「アンタらノイズと戦ってんだろ? だったらあたしに武器を寄越せッ!!
あたしにノイズをぶち殺させろォッ!!」
縛られたその身を椅子ごとガタガタと動かして今にも縛りを引きちぎって暴れんとする少女。
鬼気迫るという文字通りか、鬼のようなその姿。
家族を殺された恨みによるその言葉は鬼は鬼でも復讐鬼。
彼女の頭の中には雑音をこの手で葬る事しかない。
これがツヴァイウイングの最初の出会いだった。
幼き日の翼は奏が怖かった。
何かに取りつかれたように力を求め、ノイズを殺す事しか考えていないほんの少し年上の少女がまるで化物のようにすら思えたからだ。
事情は知っているが、家族を目の前で惨殺されるなんて気持ち、翼には理解できなかった。
尤も、仮に同情をしようものなら、この復讐鬼という名の猛獣を刺激してしまうだけだ。
しばらくしてから奏の意思を汲んだ弦十郎達が奏を被験者としてある実験を始めた。
『LiNKER』の投与実験だ。
当時、既にシンフォギアのシステムは存在しており、櫻井理論も確立されていた。
天羽々斬に至っては幼い翼の歌で既に起動している。
武器を求めた奏に託されたのは、第3号聖遺物ガングニール。
しかし奏の適合係数ではシンフォギアを纏うには至らない。
それを無理矢理に上昇させるのがLiNKERだ。
ただし、強力な薬に副作用は付き物でありLiNKERも例外ではない。
適合係数を上げれば上げるほどLiNKERの副作用も大きくなっていく。
適合者を増やすどころか、死体の山ができる方が早いほどの。
それを奏は理解した上で被験者となった。
まず肉体の耐久度を上げてLiNKERの副作用に負けないために厳しい訓練を積んだ。
これは適合後の戦いの方法を知っておくためにも必要であった。
しかし、LiNKERは一度投与して耐えきればおしまい、ではない。
そもそもこの時点でのLiNKERは調整が完全ではなく、奏を使う事で調整していったのだ。
これが意味するのは、LiNKERの複数回の投与。
厳しい訓練の傍らの薬物投与は奏に深刻なダメージをもたらす事が予想されていた。
いや、当時のLiNKER実験に立ち会っていた櫻井了子は計算するまでもなくそんな事は分かっていた。
技術系統に関して詳しいわけではない弦十郎にだって分かる。
そして、何度目かのLiNKER投与の日。
医療室のような場所に横たわり目をつぶる奏。
その顔は険しく、何が何でも力を手に入れるという決意に満ちていた。
ガラス越しに了子と弦十郎、そして翼が様子を見守るなか、LiNKERの投与が始まった。
拳銃のような装置に試験管の中のLiNKERをセットし、両腕に注射。
異変はすぐに起こった。
「う、ああぁあぁぁあぁぁぁぁッ!!?」
呻き苦しむ奏。
体中に回る言いようの無い痛み、引き裂かれるような、焼かれるような。
厳しい訓練にも音を上げる事のない奏が引き裂く様な声は翼を震え上がらせる。
弦十郎も平静を装ってはいるが、内心穏やかではない。
少女に過酷な事をさせてしまっている、家族を失わせてしまったばかりに。
そしてノイズ殲滅の為にはシンフォギア装者が必要な以上、この実験は必要な事。
歯痒く、無力を呪った。
悔しさを握りつぶすように握られた弦十郎の左手から血が流れた。
弦十郎はちらりとモニターを操作する了子を見やる。
了子は弦十郎の視線に含まれた意味を汲み取り、モニターを操作した。
すると、奏からLiNKERの効果を消失させる処置が繋がれたチューブなどの機械によって行われる。
これは適合係数を引き上げる効力すらも失わせるが、痛みを失くす事に必要だ。
「……やはり簡単にはいかないものね」
了子の冷静な呟きには分かっていた節が見られる。
全員が全てを承認の上で行っているとはいえ、LiNKERそのものは未完成の代物。
この結果は想像できたことだ。
「一度実験を止めて……」
弦十郎の言葉、実験を中止するという考えは全員の頭に浮かんでいた。
「つれねぇ事言うなよ……」
ただ1人、天羽奏を除いて。
奏は診察台や辺りの機器を荒らし、スタッフの混乱に乗じてLiNKERを手にした。
目元には隈ができ、顔からは生気の殆どが失われているようにすら見えた。
先程までの苦しみが想像を絶する事を物語っている。
しかし、尚も奏は怪しい、凄絶な笑みを浮かべていた。
「ぎィッ……!?」
さらに奏はあろう事かLiNKERを首筋に打ち込んだ。
液体が流れ込む一瞬の違和感。
しかしこれから起こるであろう苦しみに比べれば、全く大した事のない違和感。
奏はそれを知りながらも笑みを浮かべる。
力を前にした渇望の笑みとでもいうのか、その顔は一様に笑顔と称されるような笑みではない。
「パーティー再開といこうや……了子さん」
無理無茶無謀を押し通し、自分の命すらも顧みていないその姿は冷静を保っていた了子をして動揺させた。
恨み、憎しみ、怒り、仇を取る為にノイズを皆殺したいという欲求。
その感情は苛烈にして鮮烈にして強烈。
誰1人、復讐という名の猪突猛進を止められるものはいなかった。
その凄まじい思いに答えたかのように、突如アラームが鳴り響いた。
了子はすぐさまモニターに目を向けた。
「適合係数が飛躍的に上昇……!? 第1段階、第2段階突破、続いて第3段階も……!?」
適合する為の壁を次々と打ち抜いている。
しかし、効果が表れているという事はその負荷も尋常ではない。
喉元を抑え苦しむ奏、ついにはその口から血を吐き出した。
医療に関しての素人が見ても危険な状態だと判別できるほどの、文字通り血だまりができている。
致死量に到達しかねない勢いの血にスタッフの誰もが動揺し、動けずにいた。
そんな中、弦十郎が焦りの中で指示を出す。
「何をしている! 体内洗浄で無理にでも掻き出すんだッ!!」
弦十郎の一声にスタッフ全員が我に返って慌てて辺り一帯の機材を整えだした。
奏の命を救う準備、一分一秒をコンマ単位で争う状況だ。
しかし──────。
「うわぁッ!!?」
スタッフ達は突如として発生した衝撃波に全員吹き飛ばされてしまった。
無事なのはガラス越しの了子、弦十郎、翼だけ。
衝撃は蹲り、血を吐き続ける奏から発せられていた。
血だまりの中で奏は感じた。
力の前触れとでもいうべき何かを。
血に塗れた右手が翼の目の前に叩きつけられた。
ガラスに血の手形が付き、あまりにも壮絶な光景は翼を怯えさせる。
一方の奏は苦しみの中で笑みを浮かべ、胸の中で何かが湧き上がるのを感じた。
それは、胸に湧き上がる歌。
それは、知らずとも知っている歌。
それは、その身を鎧う為の歌。
人と死しても、戦士と生きる。
────聖詠────
歌った瞬間、赤いペンダントが反応を示した。
奏が身に纏っていた着衣の代わりにオレンジと黒、白を基調とするスーツ。
続く苦しみの中で心に嬉々とした感情が湧き上がる。
それをエンジンとして奏は立ち上がって見せた。
口元と手、足元に未だに存在する多量の血。
血反吐に塗れた中で、奏はおぞましいほどの喜びを見せた。
「奴らを皆殺すための……あたしの、シンフォギアだ……ッ!!」
幼い翼に大量の血液という衝撃と奏の壮絶なまでの思いは心に深く刻み込まれた。
これが後にツヴァイウイングとなる、ガングニールの少女の始まり。
ガングニールと天羽々斬がある時、ノイズの殲滅をしたときの話だ。
復讐鬼となりノイズを修羅の如く倒す奏。
及ばないながらも翼もその後を追い、2人はノイズを完全に掃討した。
その中で救われた自衛官の放った言葉は、復讐しか知らない奏に一筋の光を与えた。
「ありがとう。瓦礫の中でもずっと歌が聴こえていた……。
だから俺は、諦めずに済んだ」
何気ないお礼の言葉だった。
しかし、ノイズを倒す事だけを考えていた奏にとってその言葉は衝撃的だった。
以降、奏は人に歌を聴いてもらえる事、人の命を救う事が嬉しくなった。
ノイズへの復讐の念が薄れたわけではない、むしろ力を手にしてからノイズへの憎悪はますます強まった。
自分と同じような犠牲者を出すノイズに対しての怒りや憎しみに際限は無い。
だが、それだけだった奏がそれだけでなくなった。
ツヴァイウイングとして活動している中で、相棒である翼は確かにそれを感じていた。
それから3年後。
現在からみると2年前の話になる。
ツヴァイウイングのライブは毎回満員御礼、今や国民の誰もが知っているアーティストだ。
彼女達のファンは非常に多い。
「翔太郎、またツヴァイウイングの曲を聴いているのかい?」
「ああ。いい歌を歌うんだぜ?」
「依頼の報酬でお金が入ったからって、君はすぐにCDに……」
「いいじゃねぇかよ。生活に困らない程度には残してあるんだから」
風都の探偵もその1人だったりする。
さて、本日のライブも2人の歌を楽しみに多くの人間が会場に足を運んでいる。
その中に立花響の姿もあった。
実は彼女、元々ファンだったのではなく小日向未来がツヴァイウイングのファンだったのでライブに誘われたのだ。
だがその未来に急用が入ってしまって響は1人でツヴァイウイングのライブを見る事になった。
それこそが、翼を尊敬し敬愛する事になった始まりでもあった。
ツヴァイウイングのライブの際、裏ではある実験が行われていた。
『Project:N』と呼ばれている。
N、即ちネフシュタンの鎧の起動実験だ。
完全聖遺物ともなると通常の聖遺物以上のフォニックゲインが必要となる。
それをツヴァイウイングの歌と、それに連動するオーディエンスから放たれるフォニックゲインにて起動させようという目論見だ。
実のところを言うと、この日、翼は既に嫌な予感がしていた。
これはその予感を感じた最初の一幕。
「奏? そろそろ準備を……」
衣装を隠すコートは既に脱ぎ、会場には客の殆どが収容済み。
後はツヴァイウイングの登場を待つだけとなっている。
開演時間が迫る中で奏は未だに控室から出てこない。
そんな奏を呼ぼうと翼が控室のドアを開けた。
目に飛び込んできたのは、いつかのように血反吐に塗れて倒れる奏の姿。
「ッ!? 奏ッ!!」
今や半身とも言うべき大切な相棒に駆け寄る。
衣装やメイクは幸いにも無事、しかしそれを幸いと言っているような状態ではなかった。
「……ああ、翼か。もう出番か?」
「「もう出番か」じゃない! どうしてこんな……!!」
血を吐いたせいか、体力を消耗した奏はボーッとした頭で手の平を見やる。
真っ赤に染まった手の平に自分が吐血した事実を確認し、自嘲するような表情を浮かべた。
「今回のライブに不確定要素を入れたくなくてLiNKERを止めてたんだよ。
そしたらこのザマさ……。あたしは翼と違ってインチキ適合者だからな……」
歌を聴いてもらうというだけならLiNKERを切る必要はない。
しかし、聖遺物の起動に関係するとなると問題発生の原因となる要素は極力排除しておきたかった。
その為にLiNKERの投与が一時的に止められたのだが、結果はこの有様。
一度適合してからは体自体が馴染んだのか、はたまたデータが取れて調整が上手く行ったのか、LiNKERで過剰な副作用が出る事は無かった。
ガングニールの適合を保ち続けるにはLiNKERの定期的な投与は必須だが、血反吐に塗れた事はもう無かった。
だが、そのLiNKERをしばらく断ち切った結果がこれだ。
「さて、本番だ。気合入れろよ翼?」
「何言ってるの!? 叔父さまに報告しないと……!」
叔父、つまり弦十郎に連絡を入れようとする翼の手を奏は止めた。
「今日はあたしのワガママに付き合えよ」
奏の体調を懸念する翼ではあったが、ライブは順調に進んだ。
1曲目を歌った後のオーディエンスの高まりとツヴァイウイングの歌唱も相まってネフシュタンの鎧は起動に成功した。
しかし、無事に、とはいかなかった。
ネフシュタンの鎧の余りあるエネルギーに安全弁が耐え切れず暴走。
それにより、実験室の崩落。
さらにタイミングの良すぎるライブ会場のノイズ出現。
これらの混乱の中でネフシュタンの鎧は行方不明となってしまう。
ノイズ出現に逃げ惑う会場の人達。
我先にと逃げる観客達の中には、他の人間を押しのけていく者も見受けられる。
「行くぞ翼! この場に槍と剣を携えているのは、あたし達だけだッ!!」
奏の一声に抗議の声を上げようとする翼だが、それを予想していたかのように奏はフッと笑った。
「今日はあたしのワガママに、付き合えよ」
先程と全く同じ言葉を残して奏は舞台の上から跳び立ち、歌を歌った。
LiNKERの投与の停止、即ち適合係数の低下。
それは装者にバックファイアとなって後々襲い掛かる。
そんなリスクを冒してでも戦いに臨む姿はノイズへの憎悪、そして人を守る防人として。
奏に続き翼も歌を歌い、その身に天羽々斬を身に纏った。
相棒は既に槍を携えて辺りのノイズを薙ぎ倒している。
ある時は槍を無数に分裂させ、槍の雨を降らせる。
────STARDUST∞FOTON────
ある時は槍の穂先を高速で回転させ発生させた竜巻を辺り一面の敵に叩きつける。
────LAST∞METEOR────
数年間戦ってきた奏と翼にとって、小型ノイズは最早雑魚。
だが、LiNKERの投与をしていないというハンデは大きい。
一際大きな芋虫のようなノイズに目を向ける奏。
数体存在しているそのノイズは口から液体を吐き、その液体が徐々に形を作り始めて小型ノイズとなる。
どうやらノイズがいつまでたっても減らないのはその大型ノイズの仕業らしい。
「翼ァッ!!」
少し遠くで戦っていた翼が奏の声に反応し、奏の向く方向にいる大型ノイズを視認する。
さすがはツヴァイウイングというべきか、翼はただそれだけで、奏が次に何をしようとしているのかを感じ取った。
奏と翼が小型ノイズを倒しながら大型ノイズに接近していく。
ガングニールの槍に、天羽々斬の剣にエネルギーをそれぞれ籠める。
そして、同時に振り下ろされた2つのアームドギアから放たれたエネルギーが大型ノイズごと辺り一帯のノイズを吹き飛ばした。
────双星ノ鉄槌──DIASTER BLAST────
双翼が放つシンフォギアの合体攻撃。
上手くいった共鳴が美しく、力強くなるのと同じで2つの力を完全に合わせたその一撃は2人が個々に技を繰り出すよりもずっと強力だ。
勿論、合わせるのにはお互いの息を合わせる必要がある。
お互いに信頼しているからこその一撃だ。
大型ノイズを消し飛ばしてもノイズは減る様子を見せない。
それもその筈、大型ノイズは広い会場のあちらこちらにいるのだ。
今吹き飛ばしたのは群れの1つに過ぎない。
「ッ!?」
さらに、此処で更なる不測の事態が起きた。
奏の槍が、鎧が少し重くなった。
出力も全開まで上がる気配がない
「時限式は此処までかよ……ッ!?」
投与をしていなかったLiNKERのツケが回ってきた。
奏が時限式と表現するそれはLiNKERの事、それが遂に切れた。
このままではシンフォギアを纏っていられるかも怪しい。
早期決着、あるいは一時撤退も考えなくては────。
「ツヴァイウイング……?」
1人、客席に立ち尽くす響はその光景に呆気にとられていた。
逃げようとした矢先にノイズへ向かって行く奏と、その身を鎧う瞬間を目にしたからだ。
槍と剣がノイズを斬り伏せ、薙ぎ倒し、次々と炭へと還っている。
ノイズを倒せる存在────?
ツヴァイウイングが戦う────?
非常識とでもいうのか、少なくとも響は自分の知る日常からはかけ離れた何かを目の当たりにしている。
しかし、ツヴァイウイングが戦っているとはいえ辺りが安全とは言えない。
呆けている中で響の足元が崩落を始めた。
ノイズが人間を狙った流れ弾や、何処かの機械にぶつかった時の爆発が重なった結果、あちこち脆くなっていた足場がついに限界を迎えたのだ。
「きゃああああああああ!!?」
悲鳴。
気付いたのは奏。
振り向いた先には瓦礫の中で傷ついた足を抑える少女の姿と、少女に迫るノイズの群れ。
「ひっ……!」
逃げられない、此処で死ぬのか。
絶望的な考えが脳内を過るが、ノイズは目の前で炭へと還った。
奏のガングニールが近づきかけていたノイズを全て倒したのだ。
「駆け出せェッ!!」
鬼気迫る表情の奏は歌っている時の彼女からは想像もできない。
響は言葉に従って足を引き摺りながら必死に出口に向かう。
しかし、足の痛みは思いのほか酷く、走る事もままならない。
そしてノイズは無情にも高速移動によって響に接近しその命に直進した。
「ッ!!」
その道に奏が立ち塞がり、槍を風車のように全力で回転させて壁を作った。
高速移動中のノイズが槍に当たる度に槍が崩れ落ちていく。
槍だけではない、その身の鎧も次々と崩れていっていた。
破片はノイズ衝突の衝撃によるものか、後ろの観客席に轟音と共に突っ込んでいく。
長時間の戦いもそうだが、LiNKERの時間切れが迫っているせいだ。
しかし背後の少女を守る為に奏は諦めず、そこを退かない。
だが──────。
「……えっ?」
響は自分に何が起こったのかを理解できなかった。
感じたのは胸に感じた強い衝撃と、目の前を舞う鮮血。
そして、宙に舞う自分の体。
響の胸に直撃したのは、ノイズの攻撃により破砕したガングニールの破片。
砕けた際に飛んでいった破片の1つ。
他の破片は頑丈にできているはずの観客席を凹ませるほどの威力だ。
当然、そんなものを普通の少女が食らえば一溜りもない。
「おい死ぬなぁッ! 目を開けてくれッ!!」
奏は槍も捨てて響を抱きかかえ、必死に呼びかける。
応答はない、目は閉じられ、胸からは血が溢れている。
目の前で失われる命に奏は心の底から叫ぶ。
「生きるのを諦めるなッ!!」
言葉が響の意識を引っ張り上げたのか、響はゆっくりと、虚ろながらも目を開けた。
視界はぼやけ、意識も朦朧としている。
しかし響の命はそこにあった、そこにいてくれた。
響の命に奏は笑みを零す。
だが、響の命は見ての通りの風前の灯火。
早く医者に見せなくては助からないかもしれない。
その為には早期決着を狙う必要がある。
そして、その方法はたった1つ。
「いつか、心と体、全部空っぽにして、思いっきり歌いたかったんだよな……」
響を壁に寄りかからせ、槍を拾い上げると奏はノイズ達の前にゆっくりと歩いていく。
何かを決意したような笑みと共に。
「今日はこんなに沢山の連中が聴いてくれるんだ。だからあたしも、出し惜しみなしで行く」
そして槍を掲げ、目の前の憎き観客達に向けて曲名を宣言した。
「────絶唱────」
奏の歌いだしたそれは、聖詠ではなく、シンフォギアを纏って歌う普段の曲ではない。
絶唱。
絶なる唱の名の通り、それは最後の歌。
命を燃やし尽くす歌。
終わりを告げる歌。
絶唱はシンフォギア最大の一撃。
増幅したエネルギーを一気に放出する強烈無比な攻撃。
ただし、反動も生半可なものではなく適合係数が高い人間が使ったとしてもそのバックファイアを完全に抑える事は出来ない。
辺りのノイズが一気に吹き飛ぶ。
エネルギーはドーム状に広がってライブ会場一帯のノイズを全て葬り去った。
「奏ぇぇぇぇッ!!」
戦いは終わった。
しかし天羽々斬の解除も忘れ、剣も捨てて翼は奏の名を呼んだ。
絶唱を歌った奏はその場に倒れ伏せている。
響が消えゆく意識の中で最後に見たのは、翼と奏が何か話をしている事。
翼が奏を必死に抱きしめようとした瞬間に、奏のその身が散った事。
LiNKERが切れた事で適合係数の低下が招いた絶唱の強烈な負荷。
その反動は翼の目の前で奏の命を散らせてしまった。
そこで響の意識もブラックアウトした。
次に響が目を覚ましたのは白い天井と緑の服に身を包んだ人間。
病院の中、医療中の事であった。
────生きるのを諦めるな。
この言葉はこの時この瞬間から今に至るまで、響の胸の中で未だ生き続けている。
奏の存在が大切だからこそ、亀裂は起こった。
血反吐に塗れて、勝ち取った力。
それを簡単に扱う彼女が許せない。
誰よりも奏を近くで見て、その変化を感じ取って来た。
だからこそ、奏という要素の見つからぬ彼女が許せない。
そんな奏の代わりなどという言葉。
軽率に言い放った彼女が許せない。
だからこそ、風鳴翼は立花響を受け入れられない。
目の前に現れるは過去に残した禍根の1つ。
ネフシュタンの鎧。
翼が口にした名を聞いて、目の前の少女は不思議な形状の杖を手で弄りながら「へぇ」と声を上げた。
「アンタ、この鎧の出自を知ってんだ?」
知っているどころではない。
忘れられるわけがない。
2年前というキーワードの中に存在する因縁の1つなのだから。
「私の不始末で失われたものを忘れるものか、なにより……」
目の前で散った奏が脳裏を過る。
その表情は自然と険しくなった。
「私の不手際で奪われた命を忘れるものかッ!!」
ネフシュタンとガングニール。
そして、ライブ会場にいたという立花響。
2年前という言葉に属する存在が3つ、再びこの場に集まったのは何の因果か。
全てのキーワードと直結するのは奏の死。
実に残酷な巡り合わせ。
だが、翼は心の何処かでこの残酷を心地よく感じていた。
全くおかしな話ではある。
しかし、翼という人間はそれを歪にもそう受け止めた。
「やめてください翼さん!」
剣を構える翼を止めるように抱き付き叫ぶ響。
「相手は人です! 同じ人間です!!」
響という人間は人同士の争いを嫌う。
しかしそれは翼にとっては甘っちょろい言葉。
いや、ネフシュタンの少女にとっても甘っちょろい言葉。
「「戦場で何を馬鹿な事をッ!!」」
翼とネフシュタンの少女の声がハモる。
敵であるはずのお互いの声が合わさった事に一瞬驚きつつも、すぐに翼は笑った。
「むしろ、貴女と気が合いそうね?」
「だったら仲良くじゃれ合うとするかぁ!!?」
ネフシュタンの少女は鎧に取り付けられた薄紫色の棘が連なってできた茨のような鎖を振るう。
鞭のように振るわれたそれを避ける翼、避けた後の大地には叩きつけられた鞭が轟音と共に突き刺さる。
土煙といい、地面を抉るその威力は見るだけでもわかった。
「阿保か……ッ!」
1人で戦おうとする翼、突き放される響、両者の光景を見たディケイドが吐き捨てながらライドブッカーをガンモードに変形させた。
ネフシュタンの少女が何者であれ、敵対するなら倒すしかない。
勿論、殺さずに捕獲するつもりだ。
下手に翼とネフシュタンの少女の間に割って入らずに援護しようとするディケイド。
だが、その動きは察知されていた。
「お呼びじゃないんだよ、お前らはこれでも相手にしてな!」
ネフシュタンの少女は先程から手に持っていた杖から光を放った。
光が着弾した個所から何かが出現する。
その何かとは、ノイズ。
「ノイズだとッ!?」
ノイズは自然発生するものだと思っていたディケイドは驚きの声を上げた。
そしてその後すぐに、先日のミーティングで言われた『作為的な何かが働いている』という言葉を思い出した。
「ここ最近のノイズ騒動はアレのせいってわけか……!」
ネフシュタンの少女が持つ杖を見やる。
人為的に発生させたところを見るに、そう考えるのが妥当だ。
辺りのノイズを蹴散らすディケイド。
だが、「お前ら」という言葉通り、響の方にもノイズは現れていた。
響の方に現れたのは細長い形状、形容するなら駝鳥型とでもいうべき姿。
4体ほどの駝鳥型ノイズは粘つく液体を響に向かって口から発射、その動きを封じ込めた。
「立花ッ!!」
急ぎ救出に向かおうとするディケイドだが、目の前には無尽蔵にノイズが湧き出てくる。
ディケイドに対して細心の注意を払っているのか、ネフシュタンの少女は翼を相手取りながらも間髪入れずにディケイドに向けてノイズを放ってくる。
粘つく液体で動けない響、ノイズに絡め取られているディケイドをみて、してやったりと笑うネフシュタンの少女。
一瞬の油断、それを見逃す翼ではない。
「2人にかまけて私を忘れたかッ!!」
やや肥大化した、蒼ノ一閃を放つよりは小さい中型の剣で斬りかかる。
しかしネフシュタンの少女は難なくその一撃を茨で受け止めた。
助走を籠めて振るった一撃を防がれた事に動揺が走り、その動揺は隙となる。
ネフシュタンの少女は右足で大きく蹴りを翼の鳩尾目掛けて放った。
確実に捉えた一撃は翼を大きく吹き飛ばし、ダメージを与える。
あまりの威力に一瞬思考が飛んだ。
戻ってきた思考で翼はネフシュタンの鎧、完全聖遺物の力に戦慄した。
しかし翼が内で考える事を読んでいたかのようにネフシュタンの少女は笑う。
「鎧の力だなんて思わないでくれよ? あたしのてっぺんは、まだまだこんなもんじゃねぇぞォ?」
ネフシュタンの少女は加速、吹き飛んで地面に寝転ぶ翼の頭を踏みつけた。
「あとさぁ、お高く止まるなよ人気者ッ! 誰も彼もが構ってくれるなどと思うんじゃねぇ!!」
さらに、ネフシュタンの少女は響を親指でクイッと指差す。
「この場の主役と勘違いしているなら教えてやる、狙いは端っからこいつをかっさらう事だッ!!」
ノイズを未だに殲滅し続けるディケイドもその言葉を聞いていた。
当然、その目的には疑問を持たざるを得ない。
シンフォギア装者を狙うなら翼を狙ってもいいはずだ。
何故ならシンフォギア装者として全ての観点から見て優秀なのは響ではなく翼。
さらに言えばネフシュタンの鎧を持ち、ノイズを使役する杖があるという事は欲しいのはシンフォギアの『力』ではない事だけは推察できる。
(何だと? 何で立花を狙う……)
だからと言って、何故響が狙われたのかなど分かる筈もない。
頭を踏みつけられる翼の援護に向かいたいところだが、無数のノイズがディケイドの行く手を阻む。
舌打ちをしても状況が変わる筈もなかった。
「鎧も仲間も、あんたには過ぎてんじゃないのかァ?」
翼の頭に置いた足をグリグリと動かしながら挑発するような言葉。
地面から翼はネフシュタンの少女を睨む。
「繰り返すものかと、私は誓った……ッ!」
横たえた身ながら剣を掲げ、天空より剣の雨を降らせた。
────千ノ落涙────
数多の剣は翼とネフシュタンの少女の元に降り注ぐ。
戦闘経験が長いだけあり、翼の技は的確に翼だけを外し、ネフシュタンの少女に退く事を余儀なくさせる。
一旦後ろに下がるも、その余裕の笑みは崩れない。
ネフシュタンの少女と翼の激戦は続く。
蒼ノ一閃を放てば、それを薙ぎ払う。
ネフシュタンの鎧による茨の一撃は地面を抉る。
戦いは苛烈さを増し、2人が激突する度に小規模ながら爆発が起こっていた。
響はそれを見る事しかできない。
人同士が傷つけ合う姿を、ただ見つめる事しか。
唯一身動きが取れる顔を動かして横を見やれば、無数のノイズ相手に奮闘するディケイド。
ノイズを相手にできるシンフォギアを纏う響はノイズにすら手も足も出ない状況。
そんな自分が歯痒く、焦った。
「そうだ、私にもアームドギアがあれば……ッ!!」
響の右手がもがく。
アームドギアとは、シンフォギアの武装の事。
奏のガングニールは槍を持ち、翼の天羽々斬は剣を携える。
奏と同じガングニールを持つ響は当然、槍が使える筈なのだ。
しかし今までそれは叶わなかった。
そして、本気で力を望む今の響にすら、それは叶わなかった。
「奏さんの代わりになるには、私にもアームドギアが必要なんだッ!」
必死にもがく響の腕からは何の力も感じられない。
翼曰く、常在戦場の意思の体現である武器は響の手に現れる事は無かった。
何を想い、何を望めばアームドギアが現れるというのか。
何1つ分からない響は歯痒い思いの中で苦しみ、焦る事しかできない。
翼の前にノイズが多数出現した。
ネフシュタンの少女が持つ杖によって出現するノイズに際限は無い。
とはいえ、シンフォギアの前では一瞬で炭へと還るノイズに今更後れを取る翼ではない。
しかしノイズを使役するはネフシュタンの少女。
千ノ落涙や蒼ノ一閃でノイズを殲滅し、ネフシュタンの少女に攻撃を放つもそれはことごとく防御される。
とはいえ、翼も歴戦。
ネフシュタンの少女の攻撃を全て躱している。
拮抗する実力、これでは勝負がつかないのは当然の理。
「ハッ!」
翼は数本の短剣をクナイのように投げつける。
大振りの剣と体術からの小技は意表をついたものになるだろう。
「ちょっせえ!!」
しかしネフシュタンの少女は茨を巧みに扱っていともたやすくそれを弾いた。
弾かれた短剣が宙を舞う中、ネフシュタンの少女は跳び上がった。
茨の先端に急速にエネルギーが集まり、白と黒でできたエネルギーの球体が出現する。
茨を振るい、高質量のエネルギーを全力で翼に向けて投げつけた。
────NIRVANA GEDON────
翼の小技に対してのネフシュタンの少女の大技。
躱す時間はなく、手に携えていた中型の剣を目の前で壁にする事によってそれを受け止めた。
見るからに威力の高そうな攻撃、勿論本当に威力も高い。
余りの力に圧される翼も苦悶の表情で重圧な攻撃に耐えようとする。
が、そんな無理な状態が長く続くはずもなく、エネルギーの球体は大きく爆発を起こした。
発生する爆炎に思わず響も翼の名を叫び、ディケイドも残り少ないノイズを叩きながら爆発による煙に目を向けた。
煙の上方部より翼が吹き飛ぶ形で飛び出る。
直撃は免れたが、大技の爆発はほぼダイレクトに入ったためかダメージは大きい。
倒れたと言っても先程のネフシュタンの少女の蹴りによる倒れとは比較にならない。
立ち上がる余力も残っているか怪しい。
「ハンッ、まるで出来損ない」
罵られる事に悔しさは募らない。
自分が出来損ないである事は翼自身が理解していた。
勿論仲間の誰もが翼の事を出来損ないなどと思ってはいない。
しかし、風鳴翼は自分自身を許すことができない。
「この身を一振りの剣と鍛えてきたはずなのに、あの日、無様に生き残ってしまった……ッ! 出来損ないの剣として恥をさらしてきた……」
余力を使い切るかのように伏せった状態から四つん這いの姿勢にまで持っていき、剣を地面に突き立てて自分の体を支える杖とした。
「だが、それも今日までの事。ネフシュタンを取り戻す事で、この身の汚名をそそがせてもらうッ!」
地面に刺さる剣が無くては立つ事も厳しい事を物語るその光景は素人の響が見ても、戦闘に慣れているディケイドが見ても限界の様相。
だが、翼は笑う。
「月が覗いているうちに、終わらせましょうか」
何を馬鹿な、とネフシュタンの少女は翼に止めを刺そうと動き出そうとした。
しかしその足も、腕も動かない。
ネフシュタンの少女自身が動く事をためらっているわけでも、誰かが邪魔をしているわけでもない。
原因は何かと模索するうちに、ネフシュタンの少女は自分の影を縫い付けるかのように刺さっている短剣を見つけた。
先程弾いた短剣の一本である事はすぐに分かった。
(剣、だとッ!? なんのオカルトだッ!!)
原因は他に見当たらない。
何とネフシュタンの少女は影を剣で縫い付けられたことによりその身が動かなくなっていたのだ。
────影縫い────
瞬間的にネフシュタンの少女にはこの技の弱点が分かった。
月が覗いているうちに、つまりは明かりがあるうちに。
相手に影が無ければこの技は成立しないのだ。
さらに言えば動きを止めたところで相手が一発でも攻撃を加えてくればこちらは動けるようになる。
ネフシュタンの鎧でそれを受け切ることができれば勝つことは容易。
一撃で全てを決める攻撃でなければ。
その思考に辿り着いた瞬間、戦慄。
一撃で全てを決める攻撃、シンフォギア、此処から導き出される答えはたった1つ。
「────まさか、歌うのか……ッ!?」
ディケイドは自分に群がるノイズを全て蹴散らした後、響を捉える駝鳥型ノイズを粉砕した。
解放された響は既に立つのも苦しそうな翼を見て叫ぶ。
「翼さんッ!!」
心配、というよりも嫌な予感がするというべきか。
響はこれから翼が歌うであろう歌を知っている。
だが、それを歌うかどうかを、その事なのかどうかを判別できるほど知識も経験もない。
しかし人並みの直感はある。
だからこそ思うのだ、嫌な予感がする、と。
「防人の生き様、覚悟を見せてあげるッ!」
地面に突き立てていた太刀を響とディケイドの方に向ける。
その剣が向く先にいるのは響ただ1人。
「貴女の胸に、焼き付けなさい……ッ!」
杖より発せられた無数のノイズは未だに周りに存在している。
それらの殲滅をする事も忘れ、ディケイドもまた翼を見つめていた。
何かを覚悟したようなその言葉に、何処か覚えがあったからか。
もがけどもがけど縫われた影と繋がる体は一向に動かない。
ネフシュタンの少女はこれから起こる事を知っている。
ならば逃げるか、さっさと目の前の出来損ないを潰さなくてはいけない。
しかし、翼は剣を上空に掲げていた。
いつかの奏のように。
歌が始まった。
その歌は普段流れている絶刀の一曲ではない。
響はこの歌を聞いた事がある。
2年前に、翼の片翼がそれを歌って散った事をぼやける思考の中でもはっきりと覚えていた。
命を削って歌う歌。
シンフォギアを纏いし戦姫による『絶唱』。
ネフシュタンの少女も無抵抗ではなく、動きにくい体で何とか杖を操作してノイズを再び出現させる。
歌われてもまだ間に合う、この流れる歌を潰しさえすれば。
だが、翼はアームドギアを鎧の中にしまい込み、天羽々斬の速度を生かして既にネフシュタンの少女の目と鼻の先にいた。
杖より発せられたノイズは見当違いの方向に出現したのではなく、その速度に出現が追いついていないというべきだろう。
そっと、優しく抱くように肩を持って、最後の一節を読み上げる。
笑う翼の口元からは血が流れた。
「ガアアアアァァァァァァ!!?」
襲いくる衝撃、ドーム状に広がった絶唱のエネルギーは辺り一帯に発生したノイズを全て炭へと打ち消していく。
完全聖遺物を纏うネフシュタンの少女ですらも、その威力に後方数十mは彼方へと吹き飛ばされた。
響もディケイドもダメージこそあまりないが、発生した絶大な衝撃に耐えるのに必死だった。
吹き飛び、抉れた地面の中に倒れるネフシュタンの少女の意識ははっきりしている。
しかし鎧の所々は破損し、少女自身もダメージを負っていた。
さらに悪い事が1つ。
「グッ、ア……ッ!!」
破損した個所が何かに蝕まれるような、異物の痛みが走る。
ネフシュタンの鎧は鎧という名前ながらも防御能力は然程でもない。
ネフシュタンが一番得意とするのは再生能力。
破損しようともその再生はすぐに始まり、翌日には完全に元通りになる。
だが再生能力は鎧を身に纏う者に構わず始まる。
結果的に鎧が肉体を蝕んでいくという形になり、それが今、少女に痛みを与えている原因だ。
このままでは鎧に『食われて』しまう。
「チッ……!」
命あっての物種、あるいはこの状態で敵がまだ現存している事を鑑みてか、ネフシュタンの少女は空へと舞いあがって何処かへと消えていった。
それを見つめる影が1つ。
「さて、メタロイドの方とあの
木の陰で全てを見ていたエンターは考え込んでいた。
空を移動しているとはいえネフシュタンの少女を追えば彼女の正体は掴める。
ソウジキロイドが仕事をしているかどうかの確認もしなくてはいけない。
「……ま、この機を逃したらいつになるかわかりませんしね」
メタロイドなど幾らでも代わりは作れる。
一方でノイズを操る少女との出会いは何時になるかわからない。
ならば、選択は簡単な話である言わんばかりに、エンターはネフシュタンの少女を追う事に決めた。
そんなエンターの動向を知る由もなく、響とディケイドは草の根1つ無い地面に立ち尽くしていた。
絶唱の衝撃で辺り一面の草が刈り取られ、茶色というよりかは黒に近い土が露わになっていた。
焼け野原と形容してもいいかもしれない。
(こいつがシンフォギアの……)
想像していたよりもはるかに強力な力にさしものディケイドも驚きを隠せなかった。
此処までの力が発揮できるシンフォギアは仮面ライダーに匹敵、もしかしたら超える事すらあるかもしれないという考えすら過る。
歌に頼るという不完全さがあったとしても、その歌でこの光景を作り出す事ができるのだから恐ろしい。
一方で爆心地、焼け野原の中心点で翼もまた立ち尽くしていた。
シンフォギアの解除も忘れて駆け寄る響と、辺りを見てノイズがいない事を確認しながら変身を解き、ゆっくり近づく士。
と、此処で1台の車が乱入してきた。
ハンドルには弦十郎、助手席には了子が乗っている。
ネフシュタンの出現に際して飛んできたのだろう。
弦十郎は開口一番、絶唱を奏でた姪を見た。
「無事か、翼!」
返答までに間があったが、翼は答えた。
「私とて、人類守護の務めを果たす防人……」
振り向く翼。
焼け野原の一面に気を取られていて誰も気づいていなかった。
天羽々斬は鎧が破損し、その足元には血だまりができている。
その血はネフシュタンの少女の物ではなく、翼自身の一部。
口と目から血を流し続けながらもその顔は歪にも笑っていた。
「こんなところで、折れる剣じゃありません……」
翼は泣いていた。
血涙を流し、血反吐に塗れて。
尊敬の念を抱いている風鳴翼の変わり果てた姿は響の目に焼き付いた。
士ですらも目を背けたくなるような凄絶なまでの光景。
防人の覚悟。
折れぬと口にした剣は、その場に倒れた。
月明かりに照らされる中、響は翼の名を叫び、弦十郎と了子が倒れた翼に駆け寄る。
1人、士は今の翼の姿にかつての自分を想起した。
死ぬつもりであった、かつての自分を。
────次回予告────
いるはずのない者、戻ってくるはずのない者。
謎めいた行動の中で疑念は強まり、戸惑いは新たな始まりとなる。
全ては、13年前────。