クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 紫銀の月 作:MIDNIGHT
「あそこか」
エルシャとの決別の後、セラは本来の目的のために、皇居内を進み、やがて目標の部屋を見つけた。モモカから聞いた話が間違っていなければ、間違いない。
セラは無言でその部屋の扉の前に立つと、一瞬、戸惑う。だが、気を取り直してドアを開けた。扉は、しばらく動いていなかったのか、微かな軋みを響かせるも、開かれた部屋の中へと入り、セラはドアを閉めた。
振り返り、部屋を見渡す―――そこが、己の『母』だった人物の部屋だった。
セラは探していたのは、母親である『ソフィア・斑鳩・ミスルギ』の私室――半年前のアンジュの洗礼の儀で死亡したが、部屋はそのままにされているとモモカに聞いた。
部屋の中は、主がいなくなったためか、家具類には大きめのシーツが被せられており、薄っすらと埃が積もっている。
部屋の中を歩き、セラは周囲を見渡す。その視線が、壁面に埋め込まれた本棚に留まり、眼を見開いた。そのまま、引き寄せられるように近づき、本棚に立てられていた、一枚の写真立てを手に取る。
「―――あなたが、私の…」
写真立てに写る二人の男女――それが、セラの『両親』だと確信した。15年以上生きてきた中で、セラは初めて、己の両親の顔を知った。
佇む男性と傍の椅子に座る女性の胸元に、同じペンダントがある。
「どうして、『私』をアルゼナルに送ったの……?」
その疑問が無意識に口から零れた。
それは決して責めるのではなく、純粋な疑念からだった。どうして『自分』だけをアルゼナルへと送ったのか――不意に顔を上げると、写真立ての奥に何かが隠れているのを見つけた。
セラは手を伸ばし、隠れていた一冊の本を取り出す。微かに埃を被っていたが、それは『日記』だった。
あまり誉められた行為ではないが、セラは表紙を捲る。
――――今日、二人の赤ちゃんが私達の許へとやって来た。双子の女の子…『アンジュリーゼ』、『セラフィーナ』と名づけた
内容は、母親であるソフィアのものだった。記述は、セラとアンジュが生まれた日より始まっていた。読み進めるなか、セラは記された内容に手を止めた。
―――――『アウラ』様が、『セラフィーナ』をここより引き離してほしいと告げた。
その記述が、何を意味しているのか、セラは察した。だが、その理由は書かれていない。あるのは、ただ、懺悔の思いのみ。
―――――今日、アンジュリーゼが1歳になった。あの子もそうだろう…ごめんなさい。
―――――アンジュリーゼが言葉を話すようになった。嬉しそうにする顔…あの子は私達を恨んでいるのだろうか……ごめんなさい。
―――――シルヴィアが生まれた。アンジュリーゼが一番喜んでいる。あなたからあの子を奪ってしまった。ごめんなさい。
日記の中に綴られるのは、セラへと向けられた懺悔の思い。後に続くのは、それのみだ。
「――――私の言葉が事実だと理解してくれたかね?」
不意に掛けられた声に、セラは瞬時に振り返り、銃を抜く。
銃口を向ける先には、悠然と佇むエンブリヲの姿があった。
「母親の日記を盗み読むのは、あまり褒められるものではないな」
からかうように告げるエンブリヲに表情を変えず、銃口を向けたまま威嚇する。だが、発砲しないセラにエンブリヲは肩を竦める。
「『アウラ』が君を
あまりに要領を得ない内容に、セラは困惑する。
『セレナ』――サラマンディーネから聞かされたアウラの妹。『アイオーン』の産みの親。だが、何故それが自分に関係する?
「君は不思議に思わないかね? 何故、アイオーンが『君』を選んだのか?」
改めてその疑問を突きつけられ、眉を顰める。確かに、未だその明確な理由を知らない。だが、それがどう繋がるのか、分からない。
「アイオーンは、セレナが設計した『
「『鍵』?」
「そう、セレナとアウラ―――彼女らは、姉妹であり、かつての私と研究を共にした仲だ」
「っ!?」
思わぬ発言にセラは息を呑む。
「その顔――やはり、詳しくは知らないようだね。ドラゴン達もそこまでは知らないと見える」
ニヤリとするエンブリヲが癪に障るが、確かにサラマンディーネから聞かされた内容は僅かだった。アイオーンを創った存在であり、アウラの妹―――ラグナメイルの創造主。だが、それ以上に詳しいことはサラマンディーネも知らなかった。
「私達はかつての地球――まだ、『ドラゴン』の地球が滅ぶ前だ。私達は、ある目的のために集められた研究機関にいた」
もはや、エンブリヲにとっては、千年以上前の過去―――エンブリヲを含め、アウラやセレナは、各国から集められた研究機関に所属する研究員だった。
そこは、直面していたエネルギー問題を解決するために設立された研究機関だった。当時、地球は深刻なエネルギー問題を抱えていた。旧来からの化石燃料の枯渇、自然エネルギーの非効率さ、さらには人口増加による問題が大きな緊張を齎していた。
一つ亀裂が走れば、瞬く間に瓦解しかねないほどの世界情勢の中、まったく新しいエネルギー理論の確立を迫られていた。
「私とアウラは、あるエネルギー元素を研究していた。既存の物質に手を加えることで、新しいエネルギー素を生み出そうとした」
「―――ドラグニウム」
その言葉が指し示すものをセラは瞬時に察した。脳裏に、あの世界で見た化学式が過る。無論、専門家ではないセラには詳しい内容までは分からなかったが、あれは化学反応を示す公式だった。
エンブリヲは称賛するように笑う。
「その通りだ。そして彼女――『セレナ』はまったく別のアプローチを考えていた」
セレナが考えたのは、まったく別の空間―――三次元とは異なる別世界にアクセスし、そこから永久的にエネルギーを供給する『次元連結システム』。
「彼女にしてみれば、世界のことなどどうでもよかったのかもしれないね。ただ、自身の理論の完成のみを行った」
セレナは理論が確立された『ドラグニウム』を起点とし、別次元へとラインを繋ぐ方法を生み出し、そしてそれを『ある機体』へと搭載した。
「それが『アイオーン』―――次元航行機の最初の名だ」
セレナは試作した『次元連結システム』を自身が同じく設計した次元航行用の機体に組み込んだ。
「そして彼女は、『アイオーン』に一つの鍵をかけた」
「鍵?」
「『彼女』以外に使えないよう、起動キーに自身の
その言葉に、セラは眉を顰める。
エンブリヲの言葉が正しければ、アイオーンを使えるのは『セレナ』のみのはず。なのに、何故『セラ』が操縦できるのか。
「私はアイオーンを覚醒させるため、『セレナ』の遺伝子情報をある皇家の中に組み入れ、創造した」
「っ!?」
セラの疑問に答えるように話すエンブリヲの言葉の意味を理解し、眼を見開く。
「私は待った―――セレナの因子がアイオーンと同調する者が生まれるのを。数百年かけたが、それだけの融合係数を可能にする存在が現れるのを。そして、適合者が生まれた。それが誰なのかは――説明するまでもないね」
「まさか、アウラが私をアルゼナルに送ったのは――」
『ミスルギ』皇族は、エンブリヲのために創造された一族。『アイオーン』を目覚めさせるための鍵の因子を持つ者―――その理由を知ったことで、その可能性に至る。
「そう――アウラは『君』の中にセレナの強い因子を感じ取ったのだろうね。だからこそ、私の目から遠ざけるために、アルゼナルへと君達の両親に送らせた」
小賢しいことだと毒づく。
だが、ようやく納得がいった。どうしてセラが『アイオーン』に選ばれたのか――なら、その理由は?
「そうまでして『アイオーン』を必要とするのは何故?」
「世界を創造するためにだよ―――創造は破壊から生まれる。私は、次なる世界を創り出すためにアイオーンの持つ『次元連結システム』を必要としている。アレが持つ無限のエネルギーをね」
エンブリヲは両手を持ち上げ、その掌の上に二つの地球を投影する。
「一つが、『ドラゴンの地球』。そしてもう一つが、今私達がいる『この地球』だ。この二つの地球を融合させ、新しい世界を創造する。だが、そのためには莫大なエネルギーが必要となる。『永遠語り』と『ドラグニウム』だけでは、少々心許ないのでね」
ままならぬものだと、肩を竦めるも、それがいかにイカれているかは嫌というほど分かった。
「今の世界はどうなるのよ?」
「無論、すべて一度無に還すのさ。腐った土壌に残ったものなど、何の意味もないだろう?」
訊くまでもなかったが、セラは間髪入れず銃を抜き、エンブリヲに突きつける。
「意外だな? 君を貶めた世界のために戦うのかね?」
己の優位性を疑わないエンブリヲは肩を竦める。
「マナの世界に興味はないわ―――でもね、『私』が生きる世界を好き勝手されるのは御免ね」
セラは『人間』に興味はない。マナの世界がどうなろうが、関係ない。だが、この世界は『セラ』が生まれ、生きてきた世界だ。
『セラ』という存在を形作った世界だ。それを全て無に還されるなど、見過ごせるはずもない。
対峙するなか、エンブリヲは僅かばかりに顔を顰め、嘆息する。
「惜しいな――君には、野心がない。そして、アンジュやアレクトラのように世界に対する執着も憎悪もない。君にとって世界は無価値かね?」
アンジュもジルも、皇女として生きたが故に、ノーマに堕とされ、そして世界に対して怒りと憎悪を求めた。だが、セラは違う。
最初からノーマとして―――『セラフィーナ』ではなく、『セラ』として生きてきた自分には、世界に対する『生きる』以外の執着はない。自らが世界を手にしようというような欲もない。
「あくまで自分はちっぽけな存在だと、自身を狭小な中に押し込めている。それだけの才と力を持ちながら、君自身それを活かそうとはしていない―――実にもったいない」
「それを決めるのはあなたじゃない、私よ」
どう生きてどう死ぬか―――それは『人』に与えられたたった一つの『権利』だ。他人にどうこう言われる謂れなどない。
「君が望めば世界すら手に入る―――なのに、このつまらない世界のために戦うというのかね?」
「よく言うわ―――堕落させた張本人が」
吐き捨てるように侮蔑する。
この世界を成す根幹―――『マナ』という毒に侵された世界。だが、それを創ったのはこの男だ。この世界は飼われた檻と同じだ。『マナ』という餌だけを欲し続ける人間に堕落させたのはエンブリヲだ。
「自分の不始末もできないような男が世界を語るな」
『マナ』という餌を与え続けなければ生きていけないなら、それはペットと同じだ。だが、ある日突然、『マナ』が使えなくなったら、待っているのは破滅だけ。
今まで餌を与えられることに慣れ続けた人間はどうすることもできず、滅びに向かう。
「だからだよ、私はこの世界に見切りをつけた」
もはや、自身の創造した世界に興味すら失くしたように、エンブリヲは哂う。
「共に行かないかね、セラ? 君はこの世界、いや――君という存在はこんな世界の枠には収まらないほどの価値が有る。君は新世界を生きるに相応しい純粋な存在だ」
手を差し出すエンブリヲは、囁く。だが、セラはより怒りを抱く。反射的にトリガーを引き、銃声が室内に轟く。エンブリヲの頬を掠めた銃弾が壁に埋まり、微かな血が流れる。
「あんたとは天地がひっくり返ってもソリが合うことはなさそうね」
不快気味に顔を顰めるエンブリヲに、セラは拒絶の言葉をぶつける。
「『過去』があるから『
失うことで喪失を味わい、そして悲しみを得、怒りを憶える―――得ることで意味を見出し、喜びを得、希望を持つ――それはコインの裏表のようなものだ、決して離れることはできず、そして必ず共にある。
サラマンディーネ達の世界はそうだった。過去の人間達が犯した過ち―――それを受け入れ、生きるために足掻く姿。繁栄も過ちも、それによって積み重ねられてきたものだけは決して無価値ではない。それに意味を持たせるのは生きることだけだ。
だが、エンブリヲはそれを切って捨てた。気に入らないからとやり直すゲームのように―――創ったモノへの不満じみたガキの思考だ。
「はっきり言うわ――また同じことよ、アンタが気に入る世界なんてアンタの妄想よ」
リセットされた世界は過去の過ちも経験もない―――また同じことを繰り返すだけの行き止まりだ。
「世間じゃあんたみたいな奴、何て言うか知ってる? 『ガキ』っていうのよ」
神でもなければ悪魔でもない、ましてや管理者などと御大層なものでもない――自分の思い通りにならないことに癇癪を起こす『ガキ』そのものだ。
「人生は、上がるか下がるか。現状維持などない―――自分が成長しなくても時間だけは過ぎていく。良く覚えておきなさい。管理とは、『成長』させることよ。現状を維持することじゃない。ましてや、理想を押し付けるものでもない!」
揺るがない意思で対峙するセラに、エンブリヲは口元を薄く歪める。
「フフフ―――まったく、そこまで『彼女』に似るか?」
心底可笑しいとばかりに哂う姿に戸惑う。
「彼女も――『セレナ』もそう口にしたよ。『アレ』に触れたことでね」
「?」
エンブリヲの漏らした一言に眉を顰める。どういう意味だ――だが、そんな疑念を憶える間もなく、エンブリヲは空気に同化するように姿を消失させていく。
「君を手にするには、少々骨が折れそうだ―――なら、君の『姉』を使わせてもらおう」
唐突に告げた一言がセラの注意を引き上げる。
「アンジュ―――っ」
瞬時に浮かんだ懸念。それに対して『答』と言わんばかりに口元を薄めるエンブリヲに、効果はないと分かっていたが、反射的に銃を撃つも、エンブリヲの姿は完全に消え、弾丸は虚空を過ぎって壁に突き刺さった。
舌打ちし、セラはすぐさま部屋を飛び出す。
「アンジュ―――っ」
迂闊だったと己の浅慮を責め、姉の身を案じながら、皇居内を駆けていく。
海中を航行するアウローラ内の医務室では、脱走を図ろうとしたジルへの尋問が行われていた
「さて、聞かせてもらおうかい? いったい、どういうことだい?」
ベッドで座るジルに、横で腰掛けるジャスミンが問い掛ける。医務室も決して広いと言えず、室内には手当を行ったマギーとメイ、ゾーラとタスク、ヴィヴィアン。入口には、ヒルダとロザリー、リーファが塞ぐように佇んでいる。
医務室へと運び、手当を行ってからジルの気持ちが落ち着くまで一同は焦れるような思いでいた。
手当の際に脱がされ、下着だけの姿になったジルは、逃亡阻止のために左手首に手錠を繋がれ、ベッドで固定されている。
「私は、エンブリヲの人形だった――」
やがて、ポツポツとジルは語り始めた。今まで誰にも話したことのない己の恥部を―――かつてのリベルタス。ジルは『アレクトラ』としてヴィルキスを駆り、アルゼナルと古の民、二つの仲間と共にエンブリヲに挑んだ。
その最中だった―――エンブリヲの許へともう少しで届こうとしたが、ジルはヴィルキスを完全に使いこなせていなかった。そして、その僅かな隙をエンブリヲに付け込まれた。
「奴に心を支配され、全てを奪われたんだ。誇りも、使命も、純潔も―――」
憎いはずの敵がどうしようもなく愛しくなり、魅入られてしまったアレクトラは、リベルタスのことも己の存在意義もどうでもよくなった。
心も身体も――すべてをエンブリヲへと差し出した。差し出してしまった………過去の己の過ちに、ジルは唇を噛む。
「怖かったよ…リベルタスの大義、ノーマ解放の使命、仲間との絆―――それが全部、奴への愛情、理想、快楽に塗り替えられていった」
エンブリヲと過ごした堕落の日々を思い出し、自虐する。
「何で黙ってたんだ?」
傍らで腕組みをして聞いていたマギーが、厳しい口調でジルに問い質す。
「フッ、どう話せばよかった? エンブリヲを殺しに行ったが、逆に身も心も奪われました――って?」
自嘲しながら、ジルの表情に陰が差す。
「全部私のせいさ。リベルタスの失敗も、仲間の死も全部ね…こんな穢れた女を助けるために、皆死んでしまったんだ!」
エンブリヲに堕落させられたアレクトラを助け出すため、決死の救出作戦が行われた。アレクトラは、彼らにとって『希望』だった。その結果は―――古の民は全滅し、アルゼナルのメンバーもジャスミンやマギー、一部のメンバーを除いて戦死した。
それだけの代償を払って、ようやく『目覚め』たのだ。
「そんな…そんな……っ」
あまりに衝撃的な内容に、メイは茫然となる。リベルタスに参加したメイの姉はその戦いで死んだ。己の使命に殉じて――だからこそ、メイも幼いながらに姉と同じようにリベルタスのために身を粉にしてきた。その思いを裏切られたように感じても仕方ないだろう。
「アイビスさんは―――」
硬い表情で話を聞き入っていたタスクが重々しく口を開く。彼の父と母もあの戦いで死んだ。その光景は今も目に焼き付いている。
葛藤を押し殺しながら、タスクは話を続ける。
「アイビスさんがエンブリヲについたのも、それが原因なのか?」
「なんだって? どういうことだい?」
初めて聞く内容にジャスミンが動揺した面持ちで問い掛ける。タスクは先のアウローラからの脱出の際、アイビスと邂逅したこと。エンブリヲ側に組みしたこと、その理由をジルに聞けと。
「確証はないが、恐らくそうだろう―――」
アレクトラがヴィルキスを、アイビスがアーキバスを駆り、エンブリヲの許へと迫った時、アイビスはヴィルキスの攻撃の隙を作るために、エンブリヲのパラメイルに立ち向かい、破壊された。
それによってできた僅かな隙を攻めようとしたが、アレクトラはエンブリヲの甘言に惑わされた。アイビスはその一部始終を見ていた。
それにより、アレクトラに失望し、また己の戦いさえも否定されたのだろう。そして、今はエンブリヲの下へと降った。
アレクトラが語った過去―――誰もが驚きと戸惑い、そして怒りを隠せずにいた。
「私にできる弔いはただ一つ――エンブリヲを殺す! それだけだ……今頃奴は、新しいオモチャにご執心だろうよ」
エンブリヲの興味はアンジュとセラに向いていた。その二人を捕らえた今、警戒は緩んでいる。そう憶測を立てた。
「奴を殺すには今しかない」
「だから一人で行こうとしたのか?」
タスクが尋ねると、ジルは自嘲するように笑った。
「結果はこの様だ――また失敗したがな」
その様子にマギーはジルに迫り、頬目掛けて、力いっぱい振り払った。
頬を叩く音が医務室内に小さく木霊し、呻くジルにマギーが怒りと悲しみ、そして憐れみすら秘めた表情で対峙する。
「あたしは、あんただから一緒にきたんだ。あんたがダチだから、ずっとついてきたんだ。なのに、利用されてただけなんてさ…」
ジルに厳しい言葉をぶつけるも、マギーの声は徐々に勢いを失い、やるせない気持ちで顔を伏せる。糾弾されたジルも、何も答えることができず、俯くのみだ。
ジルが本音を話さなかったとしても、そんな心の傷を察してやることもできなかった己の不甲斐なさに、胸元を握る手が震えている。
「何とか言えよ! アレクトラ! あんたにとって私らは何なんだ!? なぁ!」
八つ当たりのように喚くマギーの手をジャスミンが掴み、首を振る。
「そのくらいにしときな、マギー」
その制止に幾分か勢いが削がれたのか、舌打ちして手を離す。そんなマギーを傷ましげに一瞥すると、ジャスミンは真剣な面持ちでジルに向き直る。
「知っちまった以上、あんたをボスにはしとけない。指揮権を剥奪する…いいね?」
「ああ」
異を唱えることもなく、ジルは弱々しく頷いた。そして、視線をゾーラとヒルダに向ける。
「ゾーラ、ヒルダ――お前達が、代わって指揮を取れ」
「えっ!?」
「あたしらが?」
突然の指名に、二人は驚きを隠せずに戸惑う。
「お前達なら、間違えたりしないだろう――」
それは己への痛烈な皮肉か――有無を言わせぬ言葉ではあったが、冷静に考えてゾーラやヒルダしか、指揮を執れる者がいない。
「「…イエス、マム!」」
少しだけ逡巡を見せたが、ジルの心情を汲んで了承したのだった。その返事に僅かに表情を柔らげ、小さく嘆息した。
「結局は、奴の言った通りだったか」
思わずポツリと漏れた言葉―――先のセラに看破されたジルの奥底の憎悪。今の事実をジャスミンがもし知っていたならば、あの話し合いはまた違った結果になったかもしれない。
「復讐に他人を巻き込むな、か―――まったく、『あいつ』らしいね。ジル、あんたは、あの子達を『道具』としてか見ていなかった。だけどね、人間は打算だけでは付いてこないよ」
ジャスミンに嗜められ、ジルは眉を顰める。
この世に打算で生きていない人間などいるのだろうか? 少なくともジルには思い当たらない。いるとしたらよっぽどの自己犠牲しかない人間だろうと思う。
誰だって物事の損得が岐路の選択になる。程度の差はあるだろうが、判断の基準にそれが含まれないなどということはない。
セラもそういった生き方を浅ましいとは思わないだろう。むしろ『生きる』ということでは当然だろう。だからこそジルの生き方を否定はしなかった。それに巻き込まれるのは御免だと切り捨てただけだ。それを『裏切り』と取るならジルの傲慢だろう。
(『奴』なら、もしかしたら―――)
エンブリヲの誘惑にも堕ちないかもしれない――無意識にそう考えてしまった。
この後、アウローラはミスルギ皇国へと針路を取ることに決まった。目的は――『セラとアンジュの奪還』。そのために、突入準備を整えるのだった。
深い闇の中をアンジュの意識は漂っていた。
誰もない―――何も知らずに生きてきた自分には結局、何もなかった―――――このまま独りで終わるのだろうか……
――――――奪エ
不意に聞こえる声――誰だと疑問を抱くよりも、アンジュの意識はその声に耳を傾ける。
――――――奪エ……――シテ奪エ
何を言っているのか分からない。だが、まるでアンジュの内側へと侵食してくるようにその声が響いてくる。
―――――奪エ……己ノ…モノニシタイナラ…………
アンジュの頭に響く声が、途切れることなく続く。脳に刻みつけられるような感覚に、意識が強制的に覚醒させられる。
「うっ、あ……ああ――っ」
ずっと呼吸を止められていたようなもどかしさが、喉を襲う。呻きながら、身をよじると、すぐ真上にサリアの顔があった。
「無様ね」
アンジュの弱々しい姿に、辛辣に毒づく。
「サリア……」
浴びせられる侮蔑に反論できるような余力もなく、気だるげに見やる様に、鼻を鳴らして呆れたように見下ろす。
「エンブリヲ様に刃向かうから、そうなるのよ、バカ」
憎まれ口にアンジュの思考が少しずつクリアになり、沸き上がる怒りに口を開いた。
「バカは…あなたでしょ。あんなナルシストでゲス男に…心酔しちゃって………」
「―――私にはもう、エンブリヲ様しかいないもの」
アンジュの嫌味にサリアの表情は曇る。
ジルの時と同じだ―――結局、サリアの想いを受け止めくれる相手は、ただ自分のことを便利な道具程度にしか思っていない。
身も心も、純潔さえも捧げてすべてを委ねた相手は、所詮サリアの偶像でしかない。だが、今更それを捨てることもできない。
今のサリアには、エンブリヲの下でしか生きる術がないのだから。
「でも、あんたは違う。ヴィルキスも、仲間も、自分の居場所も、何でも持ってる。これ以上、私から奪わないで」
それは、サリアにとって切実な願いであった。身を翻し、アンジュに背を向けて歩き出した。そして、数歩進んだところで足を止め、振り返る。
「今なら安全よ。出ていなさい、エンブリヲ様が戻ってくる前に」
疲労感が全身に錘のようになっている身体をなんとか起こしながら、アンジュが眉を不審そうに顰める。
アンジュは知らぬことであったが、エンブリヲは今、サリア以外のメンバーを連れて暁ノ御柱にいる。監視の目もない今がある意味でチャンスだった。
「抵抗を続ければ、そのうち心を壊されるわよ。それでもいいの?」
「!?」
アンジュの脳裏に先程見せられた光景が甦り、悪寒が全身を襲う。だが、それは幻でもなんでもなく現実だったものだ。忌避できるものではない。
「―――らしくないわね。そんな弱々しいあんた、らしくないわ」
逡巡して動かないアンジュにサリアが苛立たし気に吐き捨てた。
「えっ…?」
「そんな無様なあんた、見たくないわ。さっさとしなさいよ」
もうこれ以上話すことは無いとばかりに歩き出そうとした瞬間、油断したサリアの背後からアンジュが襲い掛かり、サリアにチョークスリーパーを仕掛けた。
「一応感謝するわ。ありがとう、サリア」
言葉とは裏腹に、アンジュが力を入れてサリアの首を締め上げる。突然のことに反応できず、戸惑うサリアにアンジュが不敵に笑う。
「あなたの言う通り。これは、そのお礼よ」
「ぐっ…かはっ……」
苦悶の表情を浮かべながら、アンジュの腕を引き剥がそうと必死に抵抗するサリア。だが、アンジュは目一杯に力を込める。
「逃がしたってバレるより、逃げられたことにしておいた方が、あなたの罪は軽くなるでしょう?」
アンジュの思惑を悟り、サリアはより悔し気になる。
「余計な…お世話よ…この…筋肉…ゴリ…ラ……」
悪態をつきながら、サリアは意識を手放した。力が抜け、アンジュに身を預けるサリアをその場に横たえ、その場に座り込む。
激しく動く動悸を抑えるように、肩で息をしながら呼吸を整える。だが、内にはまだセラへの葛藤が強く渦巻く。
セラが歩んだ過去―――独りで生きてきた現実を、アンジュは垣間見た。今まで何度も思い悩み、その度に呑み込んできたが、それでも不安は尽きるどころか、大きくなる。
頭の奥に響く痛みに悩みながらも、今はこの場を離れることが先決だとアンジュはヨロヨロと身を起こし、横たわるサリアから衣類をはぎ取る。
それを素早く身に着けると、転がっていたサリアのナイフが眼に入る。アンジュは無意識にそれを掴み、刃に瞳を映す。
刃の向こうで見る己自身をしばし見つめていたが、そこへ声が掛かった。
「アンジュリーゼ様!」
ハッと我に返り、顔を上げると、部屋の入口からモモカが飛び込んできた。
「モモカ!」
「よかった、お探ししました!」
心底安堵したように胸を撫で下ろすと、アンジュはナイフを懐にしまい、モモカに話し掛ける。
「取り合えず、今は逃げるわよ」
「はい!」
未だおぼつかない足取りのアンジュを支えながら、二人はその場を後にした。
その頃―――暁ノ御柱の最深部。
アウラを閉じ込める檻でもあるその場所に、高く突き抜けた中、アウラの円柱状の容器を取り囲むようにあるリング状の足場にラグナメイル6機が配置されていた。
それを見上げるエンブリヲは、感慨深くしている。
「では、始めよう」
エンブリヲの背後に付き従うように立っているサリアを除いたダイヤモンドローズ騎士団の面々は、緊張した面持ちで見守っている。
「サリアは?」
リーダーたるサリアの姿がなく、エンブリヲが訊ねると、一様に顔を顰める。皆、招集が掛かってこの場に居るが、サリアの所在までは確認していない。
「ふぅむ…まあいい」
サリア不在でもラグナメイルの制御には問題はない。前準備はラグナメイルがあれば問題はない。エンブリヲは徐にマナのウィンドウを多数開き、それを流れるように操作する。
そして、エンブリヲは『永遠語り』を歌い上げていく。空間に響くメロディに、ラグナメイルのセンサーが光り、共鳴するように機体が光り輝く。
「準備は整った」
満足気にこれから始まる偉業をに胸を躍らせながら、エルシャ達に号令を掛ける。
「総員ラグナメイルに騎乗! 計画完了まで暁ノ御柱を護れ!」
『イエス、マスター!』
間髪入れず敬礼を返し、エルシャやクリス達は己の乗機へと駆けていく中、ナオミは一人その場に佇む。
「どうした、ナオミ?」
「エンブリヲ――これで、本当に終わるんだよね? 本当に、もう戦いのない世界になるんだよね?」
不安気な眼差しのまま、それでも信じようとするナオミの問い掛けに、エンブリヲは笑みを浮かべ頷く。
「勿論だよ―――君の願いは叶う」
「分かった」
ナオミもその言葉に迷いを振り切ったように、傍にあるミネルヴァへと走っていく。去ったナオミを見送ると、エンブリヲは不意に一つのウィンドウを開く。
拡大したウインドウに映ったのは、下着姿で部屋に転がされているサリアの姿だった。
「逃げたか――狂気ニ狂ウガイイ」
無表情で一瞥したエンブリヲの瞳が僅かに暗くなり、ウィンドウが途切れた。
モモカに支えられながらなんとか皇居内を進んでいたアンジュだったが、身体が重い。
「モモカ、セラは?」
「申し訳ございません、あれからまだ会えておりません」
顔を顰めるモモカに、安堵したのは無意識だった。今はまだ顔を合わせたくない。心の奥がまだズキズキ痛む。あの置いて行かれるような孤独感と絶望感が、未だアンジュの内に渦巻いていた。
どうすればこれは収まるのか―――葛藤するなか、もうすぐ外への出口というタイミングで、向こう側から人影が駆け寄ってきた。
「アンジュ!」
「セラ様!」
セラの姿にアンジュは応えることができなかったが、モモカが嬉しそうに弾んだ声を上げる。
「よかった、無事だったのね」
アンジュの姿に安堵するが、アンジュの顔はますます曇る。だが、セラも時間がないのか、アンジュの不調に気付かず、背中を向ける。
「とにかく、今は逃げるわよ。なんとか、アイオーンを取り返して―――」
まだエンブリヲの秘密はハッキリ掴めていないが、あまり悠長にしている時間もない。背を向けて動こうとしたセラの姿が、あの瞬間に重なる。
フラッシュバックする光景にアンジュの動悸が激しく内に侵食する。
――――――嫌、嫌、いや…イヤ………イ…ヤ………
焦燥感が募り、アンジュの思考が止まる。代わりに沸き上がってくる『ナニカ』――――
――――――止メナキャ
アンジュは無意識に懐からナイフを取り出す。
「アンジュリーゼ様?」
アンジュの様子を不審に思ったモモカの声も聞こえない。アンジュはナイフを持ったままセラに近づき―――――
セラはゾクリとした冷たい感覚を憶え、思わず振り向いた瞬間―――アンジュの持ったナイフがセラの身体に突き刺さった。
「アンジュ―――」
腹に感じる痛みと溢れる鮮血――そして、アンジュの幼子のように涙を流す顔がセラの瞼に焼き付いた。
まず、1年近く空いて申し訳ございません。
いろいろ難産だったのはありますが、一番の理由はリアルが死ぬほど忙しかったことです。
今年初めに身内の不幸があり、春先には遂にコロナに感染し、仕事でも大きな変化がとあったりと、とにかく執筆する時間があまりとれませんでした。
次回も明確にいつとは言えませんが、気長にお付き合いいただければ幸いです。
次に書くのはどれがいいですか?
-
クロスアンジュだよ
-
BLOOD-Cによろしく
-
今更ながらのプリキュアの続き