クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 紫銀の月   作:MIDNIGHT

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罪という名の追憶の罰

「ここは……?」

 

気づいたときには、そこは先程までとは違う場所にセラは立っていた。

 

いや、正確には『見覚え』のある部屋だが―――

 

「セラ様!」

 

不意に掛けられた声に振り返ると、不安そうに寄ってくるモモカの姿。

 

「アンジュリーゼ様!」

 

セラの肩にもたれているアンジュにモモカが不安気になるも、セラは諭すように話す。

 

「大丈夫。気絶してるだけだから」

 

セラとアンジュが居るのは、『アンジュの部屋』だった。どうやら、先程までいた庭園のような場所からここへ転移したらしい。

 

死を宣戦布告した相手に対して、随分律儀だと苦笑を浮かべ、肩に担いでいたアンジュをモモカへと手渡すと、モモカはいそいそとベッドへと運び、身を横たえる。

 

それを一瞥すると、セラは窓へと歩み寄る。既に陽は落ち、ミスルギ皇国は夜の帳に包まれていた。窓から見える街並みはマナの光による灯りが犇めいている。あの光景を維持するために、アウラにはドラグニウムが打ち込まれ続けているのだろうと思うと、反吐が出る。

 

(だけど…っ)

 

感じていた不快感は不甲斐なさに変わり、己へと向かう。

 

現状、セラには打つ手がない―――なにより、エンブリヲの不死身の秘密を突き止めなければ、勝機はない。

 

(奴の秘密を探る―――そして、その目的も)

 

先程の会話では掴めなかったが、エンブリヲの最終的な目的はまだハッキリ掴めていない。『新しい世界を創る』―――なら、その理由は? それに、そのために何をしようとしているのか。

 

決意を胸に秘め、セラは無意識に胸元のペンスタンドを握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜が明け、皇居の一室―――陽が差し込む先の豪奢なベッドの上で二つの人影があった。

 

「アンジュとセラをダイヤモンドローズ騎士団に!?」

 

シーツを纏い、裸体を隠しながらサリアは驚愕の声を上げた。同じベッドの横に腰掛けるエンブリヲは、服の襟元を整え、一息ついている。

 

昨夜、サリアは戻ったエンブリヲに部屋に来てほしいと告げ、エンブリヲもそれを了承し、昨夜はサリアの部屋での情事に至った。

 

それは、サリアの怖れからくるものではあったが、求められることに微睡んだのも束の間――夢が覚めるようにエンブリヲが先の言葉を告げたのだ。

 

「彼女らはラグナメイルを使える。世界を変えるためには必要な人材だ」

 

だが、そんなサリアの戸惑いを無視し、淡々と告げる。一人だけ先に身なりを整える様子に、まるで自分との情事など、単なる事務仕事だと言わんばかりの態度に、サリアの中に焦燥と嫉妬が擡げる。

 

「ダメです!」

 

反射的に反対の声を荒げた。あまりの切羽詰まった声色に、エンブリヲは振り返る。

 

「あの二人はエンブリヲ様の言うことなど聞きません! それどころか、きっと…」

 

畳みかけるように話すも、声が萎んでいき、無意識にシーツを握る手が震え、強く掴む。エンブリヲの身を案じる気持ちと、アンジュやセラに対するコンプレックスが再び刺激され、気持ちが弱る。

 

「フッ、焼きもちを焼いているのかい?」

 

そんなサリアの機敏を面白げに観察し、からかいながらも、会話を切るようにベッドから立ち上がる。

 

「エンブリヲ様っ……!」

 

思わず縋るように見上げるも、エンブリヲは振り返らない。 

 

「彼女らは道具として必要なだけだ」

 

淡々と返されるも、その声色がよりサリアの葛藤を招く。納得できかねるように、顔を顰めて俯くサリアに、エンブリヲは困ったように笑うと、身を屈め、サリアの顎に手を伸ばす。

 

「一番大切なのは君だよ、サリア――君は、納得してくれるね?」

 

上げさせられた視線がぶつかり、穏やかに笑うエンブリヲは、まるで『彼女』(ジル)のように見え、サリアの瞳から不安が消えることはなかった。

 

だが、そんなサリアを一瞥し、エンブリヲは部屋を後にしていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「セラ様、どちらへ?」

 

同じく朝を迎えたアンジュの部屋で、朝の挨拶にと訪れたモモカは、セラが既に起き上がり、部屋を出る準備をしている場面に出くわした。ちなみに、アンジュはまだベッドで夢の中だ。

 

最も、セラも昨夜は浅くしか眠っていないが、ここは敵地だ。迂闊に隙は見せれない。

 

「散歩」

 

身体を鳴らしながら、モモカに答えると、セラは腰に雛菊を差し、銃を懐にしまう。武器まで取り上げられなかったのは、自身が絶対に殺されないという自信故か――――

 

(なら、その秘密を暴いてやるわ)

 

そのためにも、まずは情報を集める。奴が拠点しているこの皇居にも、なにかしらに手がかりがあることを信じるしかない。

 

(それに―――)

 

気になるのはもう一つ―――準備を終え、部屋を出ていこうとするセラにモモカがおずおずと声を掛ける。

 

「あの…こちらを預かっているのですが?」

 

モモカが差し出したのは、一通の手紙――――それが何を意味するのか、察したが、セラは無視した。

 

「パス――――アンジュのこと、頼んだわよ」

 

「あ、はい」

 

素っ気なく断り、部屋を出るセラにモモカは呆気に取られながら応じ、頭を下げた。廊下に出たセラは、周囲に気配がないことを確認すると、警戒をしながら皇居を進んでいった。

 

閉まるドアを見送ると、モモカは背後でアンジュの声を聞き、瞬時に振り返った。

 

「おはようございます、アンジュリーゼ様!」

 

「モモカ……?」

 

笑顔で挨拶するモモカに、アンジュは寝ぼけ眼で応じ、頭を振って記憶を呼び起こす。

 

「そうだ、私あの男に―――!」

 

エンブリヲに妙な言葉を掛けられて意識が混濁したところまでは覚えているが、その先が完全に記憶に無い。戸惑うアンジュにモモカが昨夜、セラが意識を失ったアンジュを連れて部屋に戻り、そのまま寝かされたことを伝えられると、表情を和らげた。

 

「そう。セラは?」

 

「それが、散歩に出ると言って出て行かれてしまって……」

 

「へ?」

 

予想外の言葉にアンジュは困惑する。思わず呑気なとも思ったが、セラが何の意味もなく動くとは考えにくい。

 

「せめて私も連れて行きなさいよ――」

 

相変わらず、頼りにされていない状況に肩を落とすも、そこへモモカが遠慮がちに声を掛ける。

 

「あの、アンジュリーゼ様。これを……」

 

差し出された手紙にアンジュの眉が吊り上がる。それは、昨日も見た物と同じものであり、誰からのものか、すぐに察した。

 

「面白いじゃないっ」

 

アンジュはこの誘いに乗ることに決めた。セラばかりに頼るのではなく、自分の手であの男の秘密に迫ってやると、意気込んで手紙を取り、意気揚揚と部屋を出た。

 

 

 

 

「エンブリヲ様……どうしてっ」

 

エンブリヲが部屋を出た後、サリアは制服に着替え、昨夜の逢瀬の余韻などなく、むしろ恐怖にも似た不安が内に渦巻いていた。

 

部屋に居ると心が滅入りそうだったので、部屋を出たものの、気分は晴れない。皇居の廊下で立ち止まり、苛立ち混じりに唇を噛む。

 

その時、眼前より足音が聞こえ、顔を上げると、この不快感の原因が歩いてきた。

 

「通してもらえる?」

 

思わず、立ちはだかるように通路の真ん中に立ったサリアに、アンジュは煩わしげに言い捨てる。その背後ではモモカがややハラハラした面持ちで見守っている。

 

「あんたの御主人様から呼ばれてるのよ」

 

これみよがしに挙げられた手には、一通の手紙が握られている。それが、ますますサリアの神経を逆撫でする。

 

「帰って――」

 

そんなアンジュの態度が癇に触ったのか、サリアは怒りのままに、ナイフを引き抜き、構えた。その姿にモモカが緊張した面持ちを浮かべるも、すぐさまアンジュの前に出ようとする。

 

庇おうとするモモカをアンジュは手で制し、さして動揺も見せずにサリアに対峙する。それがますますサリアの感情を煽る。

 

「帰るのよ、今すぐ! ここから出て行って!!」

 

最後の方はもはやただの癇癪に近い叫びだった。また奪われることへの恐怖と不安が、今のサリアの胸中を占めていた。

 

「勝手なことをしたら、ご主人様に叱られるわよ?」

 

そんなサリアを冷ややかに見やり、揶揄するように告げる。そもそも、サリアの言葉に従う理由もないが。

 

「だったら断って! エンブリヲ様に何を言われても――っ」

 

妥協案とばかりに言い変えるも、サリアは自分がますます惨めになっていくのを抑えられなかった。

 

「―――あなた、随分変わったわね」

 

いっそ、傷ましく思える―――憐れむような視線に、サリアは睨み返すだけだ。もはや、握っているナイフなど、何の脅威にも見えない。

 

「心配しないで。間違ってもダイコン騎士団になんて入らないから」

 

肩を竦めると、アンジュはサリアの横を何の注意も払わずに通り抜けていき、モモカもサリアに注意しながらもその後に付いていった。

 

離れていく足音に、サリアのナイフを握っていた腕が力なく垂れ下がる。

 

「ダイヤモンドローズ騎士団よ…!」

 

アルゼナルの時と同じく、自身の命令に従わない様に、サリアはせめてもと、不満気に吐き捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃、セラは一人皇居内の廊下を警戒しながら進んでいた。

 

だが、それは半ば肩透かしに近い。まず第一に、人の気配がまったくといっていいほどない。ここが皇族の住まいだというのなら、それなりに人が居るものとばかり思っていたが、警備の兵士どころかモモカのように給仕する者の姿もない。

 

必要ないのか、それとも抱え込みたくないのか――どっちにしろ、余計な手間が省けると、セラはモモカから聞き出した皇居内の見取り図を頭の中で思い描く。

 

行動するに当たって、モモカから皇居内の間取りを聞き出した。アンジュが気にせず喋ったのか、隠し通路のことも全て把握していたので、助かったが。

 

それでも警戒は怠らずに進んでいると、不意に気配を感じた。そして聞こえる小さな複数の声――進行上に聞こえてくるそれは、少しずつ大きくなる。

 

やがて、通路の角を曲がると、そのタイミングを狙ったように足元に小さなボールが転がって来た。足にぶつかったそれを徐に拾い上げると、間髪入れず足音が響いてきた。

 

「あー、セラお姉さまだ!」

 

顔を上げると、進路上の開かれた部屋から一人の女の子が駆け寄ってくる。確か、エルシャに連れられてきた子供の一人だ。

 

少女はセラの傍まで駆け寄ると、セラの腕を引っ張った。

 

「セラお姉さまも一緒に遊ぼ!」

 

「え、あ……」

 

答える間もなく、腕を引かれ、セラはそのまま少女に連れられて部屋へと入る。

 

「あら、セラちゃん?」

 

その部屋の中には、子供達と予想通り、エルシャの姿があった。セラは僅かに表情を強張らせるが、エルシャは温和な笑みを崩さず、セラを引っ張ってきた少女を見やる。

 

「どうしたの?」

 

「うん、セラお姉さまがボールを拾ってくれたから連れて来たの!」

 

嬉しそうに話す少女にエルシャは微笑む。子供に向けるその顔は、慈愛に満ちているが、セラの表情は硬いままだ。そんなセラに、エルシャは視線を向ける。

 

「お願いできるかしら、セラちゃん?」

 

笑顔のまま問い掛けられると、同じくこちらを期待した眼差しを向ける視線に負け、セラは少しだけならと了承した。

 

それから十分程―――セラは小さく一息つく。せがまれての遊びは、子供達はまだ遊び足りないのか、部屋の中を走り回っている。

 

「フフ、お疲れ様。よかったら、休んでいく?」

 

そんなセラに声を掛け、テーブルに促すエルシャに、セラは無言のまま席に着いた。エルシャは徐に準備していたティーセットで紅茶を注ぐと、セラの前に差し出した。

 

「お礼よ」

 

ウインクするエルシャに毒気を抜かれながら、セラは紅茶に手を伸ばす。湯気とほのかな香りが口から染み渡る。ほどよい熱が身体に回り、疲労と微かな焦りが緩和される。

 

やはり、ここに連れて来られてから、セラも無意識に気を張り詰めていたのかもしれない。

 

(だけど――)

 

ぬるま湯に浸かりそうになる思考を引き締め、眼前に座り、同じく紅茶を飲むエルシャを見据える。どれほど経ったのか――カップを置いたエルシャが顔を上げ、セラと視線を合わせる。

 

「ねえセラちゃん――私達の仲間にならない?」

 

発せられた言葉に、セラは眉を顰める。

 

「ナオミちゃんも言ったかもしれないけど――エンブリヲさんを手伝って欲しいの。サリアちゃんやクリスちゃんはいい顔しないかもしれないけど」

 

苦笑気味に伝えるエルシャだが、それは、『かつて』の仲間に対しての気遣いのように思えた。

 

だが――――――セラは瞑目し、首を振った。

 

「悪いけど――私はあの男を信用できない」

 

「どうして?」

 

エルシャは不思議そうに首を傾げる。

 

「―――命を何とも思っていないからよ」

 

一拍置いてセラが告げると、エルシャは意味が掴めないのか、困惑している。

 

「エルシャ……私、前に一度訊いたわよね? 自分が『何』をしているのか、理解(わか)っているのか―――」

 

真剣な面持ちを浮かべ、視線を背後で遊んでいる子供達へと向ける。

 

「あの子達は一度死んだ―――それをあの男が生き返らせた。ええ、そうね…確かに奇蹟だわ。でもね、そんな事は赦されることじゃないっ」

 

抑えたつもりだが、それでも口調に感情がこもる。エルシャは、虚を衝かれたように眼を見開く。

 

「なにを――なにを言ってるの? エンブリヲさんはあの子達を救ってくれたのよ?」

 

「死者を生き返らせる――他人に命をいいようにされるなんて真似、冗談じゃないわ!」

 

セラは見た―――ドラゴンの世界でエンブリヲの起こした時空融合によって一瞬の内に失われた命を。アルゼナルで人間達によって理不尽に散ったノーマの姿を。セラにとって『死』は現実だ。失われたものは決して戻らないからこそ、『生きる』意味がある。

 

死者を蘇らせる――それは理不尽に奪われた者が当然持つ感情だ。アルゼナルで、ドラゴンの戦いで何人ものライダーが死んだ。それを願わずにはいられないノーマを幾人も見てきた。だが、それは決して叶えられない願いだ。

 

どんなに悲しくても、どんなに辛くても、どんなに理不尽でも――それを受け入れなければならない。

 

だが、エンブリヲはそれを可能にした。裏を返せば、命の重さなど関係ないということだ。生かすも奪うも奴の気分次第―――そんなものは生きているとは言えない。

 

「エルシャ、『現実』を見なさい! あの子達は一度死んだ――なのにまた生き返らせて、またあの子達に『死』を味あわせるつもりなの!?」

 

アルゼナルもそうだった。戦いに身を置く以上、安全な場所などない――ましてや、ドラゴンはここを狙っているのだ。あの子達が巻き込まれない保証などない。そうなれば、また『死』という運命に巻き込まれかねない。

 

「そんな事、私がさせない! いえ、もし死んでしまったとしても、またエンブリヲさんに―――!」

 

エルシャが反射的に言おうとした言葉に戦慄する。

 

「生き返らせてもらう―――正気? エルシャ! 命はあなたのおもちゃじゃないっ―――っっ」

 

腰を浮かせ、激昂するエルシャにセラが反論しようとした瞬間、痛みと熱が頬を打った。小さな音が響き、セラは僅かに首を揺らす。

 

エルシャが思わず手を出し、セラの左頬に平手を放ったのだ。叩かれた頬を押さえ、エルシャを見やると、怒りを浮かべて肩で息をしている。

 

「見損なったわ、セラちゃん――あなたは分かってくれると思ったのに!」

 

軽蔑するように見るエルシャだったが、それはお互い様だった。

 

「―――それはこっちの台詞よ。見損なったわ…エルシャ」

 

今のエルシャにはもう、言葉は届かない。それをハッキリと確信した。二人の間に張り詰めた緊張が漂い、それを察したのか、子供達は静まり返り、それに気づいたエルシャは、動揺する。

 

不安そうに見る子供達にどう声を掛けるのか、逡巡するエルシャを横に、セラは席を立ち、呆然となる子供達の前に立ち、一人の少女の頭を撫でる。

 

唐突なことに眼をシロクロさせる子供に微笑み、踵を返す。

 

「エルシャ――最後に一つだけ言っておくわ」

 

背中越しに発した声に、エルシャはビクッと身構える。

 

「最期まで、責任を持ちなさいよ」

 

その言葉の意味が分からず、エルシャは戸惑う。だが、セラは答えなど期待せず、そのまま部屋を後にした。出て行くセラの背中を、怒りと葛藤、不安など感情が混ざった複雑な面持ちでエルシャは見送った。

 

部屋を出たセラはそのまま、目的の先へ歩みを進める。不意に、叩かれた頬に触れ、顔を顰める。刹那、噛み殺すような声が聞こえてきた。

 

ハッと顔を上げると、少し進んだ先の通路上に、二人の人影があった。その姿を視認した瞬間、セラは表情が強張り、警戒を露にする。

 

「いい面してんな」

 

そんな態度に揶揄するワインレッドの赤髪を靡かせる女――アイビスが不敵に笑う。彼女の前には無言で腕を組み、眼を閉じながら佇むサラマンディーネの兄――トウマがいた。

 

揃って壁に背を預け、アイビスは窓に向かって吸っていた煙草を口から離し、煙を噴く。セラは警戒しながら腰の雛菊に手を伸ばす。

 

「俺が教えたこと、ちゃんと憶えてるじゃねえか。結構、結構」

 

その仕草に満足気に笑う。

 

「そうね―――おかげでこうして生きていられるわ」

 

眼前の女はセラに『戦い方』を仕込んだ――俗に言う『師』などとは違う。

 

「言うじゃねえか――あのスました可愛げのないガキが随分変わったもんだ」

 

アイビスがセラと会ったのは、もう十年以上も昔―――幼年部の座学をサボっていたセラを見つけたのが始まりだった。

 

セラは『兵器』として、『道具』としてのノーマの生き方が気に入らないとアイビスに告げた。それを生意気とも思ったが、同時に『リベルタス』の準備を進めていたアイビスにとって、興味を抱いた。

 

ただの気まぐれ―――今思えばそうだったのだろう。アイビスはセラに自分の技術を仕込んだ。銃の撃ち方から始まり、相手を対人で効率的に仕留める方法、さらにはパラメイルの操作方法等、メイルライダーとして必要な素養を全て教え込んだ。

 

それをセラは淡々としながらも、必死に習得していった。泣き言一つ言わず、傷つきながら、むしろ貪欲に――――他人に対して無関心のように思えた子供が、今はかつての仲間に説教をするとは、と口元が緩む。

 

「まあいい――俺達はあくまで契約関係だ、今のお前にどうこうするつもりはねえよ」

 

そう言って、噴かしていた煙草を再び咥え、喫煙に耽る。その態度に眉を顰めながらも、セラは僅かに構えを解く。

 

トウマを見ると、こちらも同意見なのか、特に注意を払うでもなく、黙々と煙草を噴かしている。どうやら、本気で邪魔をするつもりはないらしい。

 

半信半疑ながら、セラはそれでも警戒を緩めず、二人の間を抜け、目的の場所に向かって進んでいった。去っていく背中を見送ると、アイビスは小さく鼻を鳴らす。

 

「お前は、アレクトラのようになるか―――まあ、どっちでもいいがな」

 

徐に噴いていた煙草の先から灰が微かな熱を伴って落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃―――海中を航行するアウローラの艦内において、ヒルダとロザリーが共同で使用している個室で、ヒルダは真剣な面持ちで銃を手入れしていた。

 

「ヒルダ?」

 

そんな様子が気にかかったのか、ロザリーが声を掛けると、ヒルダは無言のまま銃を腰に差した。その様子に、ロザリーは不意に数ヶ月前のことを思い出す。

 

「また出て行くの?」

 

その問い掛けにビクッと身を強ばらせる。数ヶ月前、アンジュと共にアルゼナルを脱走した。母親と再会するために――その結果は散々ではあったが。

 

「セラやアンジュを助けに行く――!」

 

だが、おかげで『今』、こうしていられる。だからこそ、自分を助けてくれた彼女を救いたい。

 

「司令がやらないってんなら、あたしがっ」

 

思わずロザリーに振り向き、決意を伝える。ジルは恐らく、動かない―――ヒルダの個人的な気持ちもあるが、リベルタスのためにもセラやアンジュは必要だ。

 

決意を告げるヒルダの様子に何かを察したのか、ロザリーの表情が曇る。

 

「好きなんだ――セラのこと」

 

「なっ…!!?」

 

唐突な言葉にヒルダが眼に見えて動揺し、ロザリーは苦く笑う。

 

「分かるよ、長い付き合いだし―――私も、そうだから」

 

「ロザリー?」

 

泣きそうな、やるせない表情で吐露するロザリーにヒルダが眉を顰める。

 

「私も、クリスがいないと、ダメみたい――あいつ、いつもビクビクしてて、あたしが守ってやんなきゃって思ってたのに」

 

二人とクリスを含めた三人の付き合いは長い――それ以上に、ロザリーとクリスはずっと二人で幼年の頃から行動していたような気がする。一緒に居て当たり前―――そんな風にさえ思っていた。

 

いつもどこかオドオドしていたクリスを自分が引っ張らなければと思っていた。

 

「だけど…あたしなんていなくても、全然強くて、全然平気で――なのに、あたしは相変わらずヘタれでさ、クリスがいないとダメなのは、私の方だったんだよな」

 

死んだと思っていたクリスが生きていてくれて、ロザリーは心の底から嬉しかった。だが、そんな希望を打ち砕くようにラグナメイルを駆って、殺そうと襲い掛かってきた。一切の迷いも躊躇いも無く、それがロザリーの心を傷つけた。

 

そして初めて気づいた―――クリスに依存していたのは自分だったと。彼女が居てくれたから、自分はこれまでやって来れたのだと。

 

落ち込むロザリーにヒルダは、そっと肩に手を置く。見上げるロザリーに不敵に笑う。

 

「なら取り戻しにいこうぜ――クリスも、セラやアンジュ達といっしょに。あたし達の手でさ!」

 

「ヒルダ……」

 

発破をかけられ、ロザリーも僅かに表情を和らげる。そして、ヒルダはロザリーを連れて、ある目的のためにゾーラとの合流に向かった。

 

 

 

 

「う~ん……むにゃ」

 

独房で、眠りこけるタスクの上に、人影が掛かる。

 

「おい、起きろ」

 

声を掛けて、軽く身体を揺するが、本人はまだ夢の中。いい加減イラつき、舌打ちする。そして、やや強めに頬を平手打ちする。

 

「起きやがれっ」

 

「ったぁ、っっっ…うえっ!?」

 

頬に走った痛みに意識を覚醒させられたタスクが眼を開くと、眼前に覗き込むヒルダの顔があり、上擦った声を上げる。

 

「ちょっちょっと待って! 俺、まだそういう経験ないから―――っ」

 

「はあ? 何寝ぼけたこと言ってんだ、このタコ!」

 

「あだっ」

 

思いがけない言葉にヒルダの眉が吊り上がり、悪態をついて、タスクの頭に拳骨を落とした。

 

「ったく、よくこんな状況でグースカ寝てられるな」

 

頭を押さえて悶絶するタスクの神経の図太さに呆れる。反逆者扱いで収監されている身の上で、こうも緊張感のない顔を見せられるとはさすがに予想外だった。

 

「いや、ちょっと仮眠をしようとしたら思わず――それに、いきなり女の子の顔が眼の前にあったから……」

 

最後は尻すぼみな様子で口を噤むタスクに、独房の入口から咳払いが聞こえてきた。顔を上げると、入口にはやや呆れた面持ちで佇むリーファと軽く笑みを零すゾーラの姿があった。

 

「ヒルダ、あまり童貞坊やを虐めてやるな」

 

嗜めながら、ゾーラは隣の独房からリーファをはじめ、ヴィヴィアン達を出していた。出られたことにココやミランダは安堵し、ミスティも胸を撫で下ろしている。

 

ゾーラはリーファの手枷を解除し、解放された腕を確かめながら、リーファは困惑する。

 

「どうして私達を?」

 

当然の疑問だろう。ここの司令が行った暴挙や閉じ込めた経緯を知らぬはずがない。こんな真似をして、どういうことなのだと勘ぐっても仕方ないだろ。

 

「ま、そいつについては否定しないさ」

 

ゾーラも同意なのか、肩を竦める。

 

「ただ、あたしらだけじゃ手に負えなさそうなんでな」

 

バツが悪そうにしていたゾーラの顔が緊張に強張る。その様子にタスクが眉を顰める。

 

「何かあったのか?」

 

「このまま司令に従っているのが、なんかヤバくてな――手を貸してほしい」

 

ヒルダの返答にますます困惑する。

 

「アレクトラが?」

 

「ああ、少し気になることがあってな―――このままじゃ、セラやアンジュも助けにいけねえし」

 

ジルの様子がおかしかったのは察していたが――不意に、脳裏を先の戦いで再開したアイビスの顔が過ぎり、タスクも顔を顰める。

 

その時、アウローラ内に警報が鳴り響き、一同はハッと顔を上げた。

 

「ちっ、遅かったか! ヒルダ、あたしはココ達とブリッジに向かう。お前は残りの連中を連れて格納庫に向かいな!」

 

ゾーラが矢継ぎ早に指示を出し、ココとミランダ、そしてミスティを伴ってブリッジに向かう。ヒルダ達も急ぎ、格納庫に向かって駆け出した。

 

突然の警報にアウローラ内は混乱に陥っていた。乗組員達は突如隔壁が下り、居住区から動けなくなってしまった。マギーやメイも訳が分からずに困惑するも、これは外からの攻撃ではなく、明らかに内部から隔離されている。

 

ほとんどの乗員が居住区から動けなくなるなか、格納庫に人影がフラフラと入ってくる。格納庫内に明かりが灯り、人影の輪郭を浮かび上がらせる。

 

ライダースーツに着替えたジルが、まだ回復しきっていない右脚を引き摺りながら、フラフラと夢遊病者のように歩く。彼女は格納庫に来るまでに、ブリッジにいたパメラ達を気絶させると、艦内のシステムを操作した。

 

居住区を含めた全区画の隔壁を下ろし、格納庫に続く道を完全にシャットアウトした。そしてそのまま、アウローラを浮上させるシーケンスに自動操縦でセットした。

 

そうまでして彼女を駆り立てるのは―――ライダー不在のエルシャのハウザーに近寄る。

 

「あら、こんな時間に司令官がお一人でどちらへ行かれるのですか?」

 

不意に掛かった声にビクッと身を強ばらせ、振り返ると、格納庫内に潜んでいたのか、パラメイルの陰から薙刀を持ったリーファが現われ、不敵に笑う。

 

「貴様、何故ここに?」

 

リーファの姿にジルは戸惑う。彼女は独房に閉じ込めていたはずだ。その疑問に答えるように、他の影が姿を見せた。

 

「それはあたしらが訊きたいけどね、司令?」

 

挑発するように問い掛けるヒルダ、そしてロザリー、ヴィヴィアン、タスクがジルを包囲するように現れる。

 

 

「ヒルダ―――」

 

お前の仕業かと睨みつけるも、その覇気は弱々しく、いつもの気圧されるような感覚がない。

 

「こんな時間にお忍びでお出かけ? しかも、気合入れてめかしこんじゃって」

 

皮肉るように揶揄する。顔を顰めるジルに、ヒルダはさらに追求するべく、先程聞き留めた内容を口にする。

 

「エンブリヲ様のところへしけこむつもり?」

 

その言葉に、今度こそジルの表情が眼に見えて動揺し、内心ビンゴと当たりをつけた。

 

「どういうことですか?」

 

リーファも予想外する内容に思わず問い返すと、ヒルダは注意を払いながら話を続ける。

 

「聞いちゃったんだよね。司令が魘されながら、寝言で呼んでいたのを―――エンブリヲ様、ってね」

 

芝居掛かった媚びるような口調で告げた瞬間、ジルは銃を引き抜いて発泡した。ヒルダは反射的に身を屈め、銃弾をかわす。

 

ジルはそのまま、周囲に向かって狙いもつけず乱射し、一同は身を低くしながら構える。

 

「おいおい、どういうことだよ?」

 

ロザリーは事態の推移についていけず混乱するが、ヒルダは銃を抜きながら、舌打ちする。

 

「ビンゴってことさ! やるよ、みんな!」

 

嫌な予感だけはよく当たると悪態をつくも、こうなっては尚更行かせるわけにはいかない。ジルは素早くハウザーのコックピットに着くと、機体を起動させる。

 

「行かせっかよ!」

 

制止させるべく回り込んで銃を構えるヒルダに瞬時に撃ち、ヒルダは咄嗟に転んで銃弾を回避する。跳弾の音が響く中、ロザリーが反対側に回る。

 

「このおっ」

 

トリガーを引くも、相手がジルだからか狙いがつかず、コックピット回りに跳弾し、ジルが撃ち返す。慌てて飛んでよけるロザリーに注意を取られたのか、ヴィヴィアンが小さな体躯を活かして、機体に飛びつき、そのまま覆い被さるようにジルに体当りする。

 

「そりゃあ!」

 

「ぐっ」

 

縺れながら、機体から落ちた二人は床を転がっていき、ジルの手から銃が転がり落ちる。ジルは舌打ちして、義手でヴィィアンを突き飛ばす。

 

「うにゃあ!」

 

呻くヴィヴィアンを尻目に、銃を拾おうとするが、タスクが先端にアタッチメントを装着させたワイヤーを銃で発射する。

 

真っ直ぐに伸びるワイヤーがジルの義手に絡みつき、動きを抑える。

 

「タスク、貴様!」

 

睨みつけながら、ワイヤーを引っ張り寄せようとするが、タスクの傍にリーファがいないことに注意が逸れた瞬間―――ジルの眼前にリーファが跳び込んできた。

 

「お覚悟!」

 

眼を見開くジルにリーファはほぼ密着した状態で拳を突き出し、ジルの鳩尾に重い一撃を叩き込んだ。

 

「がはっ!!」

 

生身とはいえ、ドラゴンであるリーファの一撃は華奢な外見からは想像もできないほど重く、まるでハンマーで殴られたような衝撃がジルの全身を襲う。

 

よろけるジルの左腕を掴み、リーファは己の腕に絡めるように固め、動きを拘束する。

 

「うっ、ぐっ……」

 

苦悶に呻くジル。今の激しい動きで止血していた右腿の刺し傷が開いたのか、包帯に血が滲んでいる。

 

「そこまでだよ、司令」

 

リーファが抑え込むジルに銃口をヒルダとロザリーが突きつける。もう抵抗もできないだろうが、念のためだった。

 

その様子を複雑な表情でタスクが見つめるなか、隔壁のロックを解除したメイ達整備班が格納庫になだれ込んで来た。

 

整備班に混じってジャスミンとマギーの姿もあり、一同は格納庫内で広がる光景に戸惑う。

 

「どういうことだい、こいつは?」

 

そんな一同の気持ちを代弁するように、ジャスミンが拘束されるジルを困惑しながら見やり、タスクに説明を求めた。

 

「後で話します。取り敢えず今はアレクトラの手当を」

 

傷が開いているため、まずは止血と気持ちを落ち着かせる必要がある。だが、訊きたいことが山ほどあるのは、タスクも同じ気持ちだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エンブリヲの招待を受けたアンジュは、昨日と同じ蔵書架の部屋へと足を踏み入れた。

 

部屋の中央には、昨日まではなかった丸テーブルが置かれ、三つの椅子が用意されていた。エンブリヲは一人、優雅に佇んでいる。

 

「おや、一人かね?」

 

「セラは忙しいんだって」

 

エンブリヲの問いに、投げやりに返す。

 

「それは残念だ―――まあ、君だけでもいい。座りたまえ」

 

不服そうに顔を一瞬顰めるも、すぐに温和な笑みを浮かべ、アンジュを促す。アンジュは睨みつけたまま、ふてぶてしく椅子に腰掛ける。そして、エンブリヲがカップに紅茶を注ぐとそれをアンジュに差し出す。

 

アンジュはそれを手に取ると、ゆっくりと口へと運ぶ。

 

「ダージリンのセカンドフラッシュね」

 

カップから漂う香りと、一口飲んでアンジュがその銘柄を口にした。エンブリヲはご名答とばかりに口元を緩める。

 

「美味しい――とでも言うと思った?」

 

眼前に座るエンブリヲに対して、鼻を鳴らす。怪訝そうになるエンブリヲに対して、嘲笑を浮かべる。

 

「モモカが淹れてくれた紅茶の方が、何百倍も美味しいわ」

 

引き合いに出されて褒められたモモカが嬉しそうに微笑んだ。

 

「それは残念だ。それなりには、自信があったのだがね」

 

さして落胆もせず、エンブリヲもまた己が淹れた紅茶を飲み、気持ちを落ち着けている。逆にアンジュの方が苛立ち、睨みながら口を開く。

 

「それで? 下らない紅茶の自慢のために呼び出したわけじゃないんでしょう?」

 

ここへ呼び出した真意を問い質そうと詰問する。

 

「そうだね。では率直に言わせてもらおう……君らを、私のパートナーに迎えたい」

 

「はぁぁっ!!?」

 

予想外の答えにアンジュが、何馬鹿なこと言ってんだとでも言いたげな表情になり、その会話を部屋の外の庭から窺っていたサリアは対照的に驚き、息を呑んでいた。

 

「君と君の妹――君達は、私がこれより出会ってきた誰よりも強く賢く美しい。新世界の女神だ…我がパートナーにふさわしい存在だ」

 

口説くようにアンジュと、この場にはいないセラを称賛し、欲するエンブリヲの言葉を外で聞いていたサリアが悔しさと怒り、そして絶望に慄き、俯いて打ち震える。

 

そんなサリアの様子をまるで観察するように、エンブリヲは言葉を続ける。

 

「受け入れてくれるなら、君の望みを叶えてあげよう」

 

「望み?」

 

意図が掴めず、アンジュは戸惑う。そんなアンジュの心情を見透かしたように、薄く微笑みかける。

 

「―――この世界を壊してあげよう。(アンジュ)が失望し、彼女(セラ)を縛るこの『世界』をね」

 

淡々と、そして何でもないよう告げた内容に、アンジュは息を呑む。

 

「私はかつて、別の世界にいた。旧世界の人間は野蛮で好戦的でね…足りなければ奪い合い、満たされなければ怒る。まるで獣だった――彼らを滅亡から救うには、人間を作り替えるしかない……そしてこの世界を創った」

 

その言葉に、アンジュは以前、サラマンディーネ達の世界で観た映像が過ぎる。

 

飛び交う砲火、轟く爆発、穿たれる大地、争い、そして最期には―――思い出したのか、アンジュの顔が苦くなる。

 

「高度情報ネットワークで結ばれた賢い人類と、光に満たされ、物にあふれた世界――だが、今度は堕落した。与えられることに慣れ、自ら考えることを放棄したんだ。君も見ただろう? 誰かに命じられれば、いとも簡単に差別し虐殺する、彼らの腐った本性を」

 

過去――エンブリヲにとっては旧世界の人類は満たされないために争うと仮定した。そして、新しくこの世界で人類を創造した。

 

今度こそ、争わず、誰もが飢えず、満たされた世界を―――そのための『マナ』だった。

 

だが、人間の欲に限界はなく、与えれば与えるだけ。施せば施すだけ幸福の絶対値は上がり続けた。与えられるのが当たり前。救ってもらえるのが当たり前。今の幸福が当たり前すぎて、それを幸せな事であると認識しなくなってしまった。

 

『慣れ』は『当たり前』となり、さらに『以上』を欲する――幸福など感じる事なくそれを享受し続け、そして少しでも思い通りにいかなければ不平不満を覚える。

 

エンブリヲは疲れたとばかりに一息入れた。

 

「人間は何も変わっていない。本質的には、邪悪で愚かなままだ――だからこそ、君達を迎え入れたい。私達が生み出す人類ならば、きっと正しく善きものとなるはずだ」

 

「…どうやって? 世界を壊すって、どうやるの?」

 

無言で聞き入っていたアンジュが疑問を口にする。世界を壊す――言葉にすれば簡単だが、現実に起こすとなると予想ができない。その問いに、エンブリヲは自信に満ちた笑みを浮かべる。

 

「幾億数多の~生命の炎~」

 

徐に口ずさむ歌に、アンジュは眼を見開く。

 

「! 永遠語り!?」

 

エンブリヲが歌ったのは、間違いなく『永遠語り』だった。戸惑うアンジュに、エンブリヲが口を開く。

 

「統一理論――ミスルギ皇室に伝わるこの歌は、単なる伝承歌ではない」

 

両手を翳すと、その手の上にホログラフの地球が二つ、現れる。

 

「これは、滅びと再生――宇宙を支配し、そして根源たる法則を、メロディに変換したものだよ。この旋律をラグナメイルで増幅し、アウラをエネルギーに使って二つの世界を融合し――」

 

エンブリヲの手の上で、二つの地球のホログラフが、引き寄せ合い、やがて『一つ』へと同化した。

 

「一つの地球に創り直す。ドラゴンの地球で君が見たものは、そのテストだよ」

 

ホログラフが消え、エンブリヲは悠然とアンジュに歩み寄る。

 

「そのためには、君達の力が必要だ。アンジュ、君はヴィルキス――ラグナメイルを操ることができる。そして君の妹は、『アイオーン』に選ばれた。だからこそ、協力してくれるかね?」

 

そっと手を差し出す。それは、断られることを疑わないように見えた。

 

「新世界ね―――お断り、よ!」

 

次の瞬間、アンジュはエンブリヲの手を取ると、そのままテーブルに押し付ける。そして瞬時に太ももに忍ばせておいたナイフを抜くと、その手の平に突き刺してテーブルに釘付けにした。

 

「ぐわぁっ!」

 

咄嗟のことに反応できず、手から感じる痛みにエンブリヲが慄き、テーブルクロスには赤い染みが広がっていく。

 

「これで、あの変な手品も使えないでしょう!?」

 

「アンジュリーゼ様!?」

 

凄みを利かせるアンジュの凶行に驚きの声を上げるモモカ。

 

だが、それを無視してアンジュはテーブルの上に乗り上げると、そのナイフを踏んでさらに深々と突き刺した。その度に、エンブリヲが呻き声とも悲鳴ともとれる唸り声を上げる。

 

「この世界に未練はないわ。でも、あなたのパートナーなんて、まして、大事な妹をあげるなんてできるもんですか!」

 

思わず本音が漏れたが、アンジュはトドメを刺そうと、別のナイフを取り出す。

 

「だから、あなたが死になさい!」

 

「ま、待て!」

 

制止させようとするが、アンジュは躊躇うことなく。エンブリヲの首筋に突き刺し、大きく切り裂いた。首の脈が切られ、夥しい血が噴き出す。エンブリヲは白目を剥き、身体を痙攣させながらそのまま事切れた。

 

「ア、アンジュリーゼ様……」

 

血の海を作り出した凶行に、モモカは呆然とすることしかできなかったが―――モモカが眼を瞬いた一瞬のうちに、エンブリヲの死体が消え、飛び散っていた血がまるで、初めから無かったように消えた。

 

「フッフッフ…血の気の多いことだ」

 

聞こえてきた声にアンジュもモモカも、驚いて振り返る。

 

「そんな……」

 

「これでもダメなの!?」

 

モモカはエンブリヲが無傷の状態で佇んでいることに呆然とし、アンジュは先と同じ状況に歯噛みする。それでも、抵抗するようにナイフを構える。

 

「やれやれ強情なことだ。なら、少し趣向を変えるとしよう」

 

一瞬、思案するように顎をさすると、エンブリヲが指を鳴らす。次の瞬間、アンジュの視界に、別の光景が拡がった。

 

傍にいたモモカも見えなくなり、アンジュは思わず身構えるが、視線を動かした瞬間、驚きに眼を見張る。

 

「お父様? お母様?」

 

アンジュの視界に映ったのは、今までいた蔵書架ではなく、夜に包まれた無骨なデッキだった。驚くアンジュの前で、死んだはずの父と母がいる。

 

母の手に、二人の赤ん坊を連れて―――アンジュは、それが15年前の光景だと無意識に悟った。

 

『そう――これが、15年前の君達姉妹の別れだ』

 

背後から聞こえるエンブリヲの声に振り返ると、離れた位置で佇んでいる。驚くアンジュの前で、記録のように状況が流れていく。

 

ソフィアが片方の赤ん坊を若き日のジャスミンへと手渡す。自分達は――『アンジュ』と『セラ』はこうやって引き離されたのだ。

 

そして互いに、15年間知らずに生きてきた――――

 

『君達は、双子でありながら別々の生き方を歩む事になる――』

 

語り部のように話すエンブリヲの言葉に呼応するように、場面が切り替わる。

 

 

 

 

幼いアンジュが皇居の一室で、両親に囲われて幸せそうに笑っている。傍には幼いモモカもいる。まだ可愛がってくれていた兄もいる。幼いアンジュはそんな幸せを疑うことなく享受している。

 

幼いセラが、アルゼナルの殺風景な廊下で、複数のノーマを相手に挑んでいる。幼いピンクの髪の少女を庇って割って入り、相手の一撃を頬に喰らい、赤く腫れるも気にも留めず、殴り返す。絶えることなく続く同じノーマとの諍いの日々を過ごす。

 

 

 

 

 

 

 

――――ヤメテ

 

 

 

 

 

 

アンジュはモモカと共に学校に通い、誰からも慕われ、そしてチヤホヤされて楽しそうに笑う。

 

セラは、独りで知識を求め、本を読み、生きる術を求める。そして赤い髪のノーマに教示をこう。痛めつけられ、傷つきながらも己の力を高めていく。

 

 

 

 

 

 

 

――――――ヤメテ……

 

 

 

 

 

 

アンジュはドレスを着て、絢爛なアクセサリーを纏い、皇女として誰もが羨む存在となっていく。

 

セラは戦士として、そして生きるために運命に抗うために、血塗られた存在になっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――モウヤメテェェェェェェェェ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

止まることなく、アンジュの視界に次々と流れてくるアンジュとセラの15年の人生――まるで、鏡合わせのように正反対の生き方を見せられ、己の『無知』を思い知らされ、アンジュは悲鳴のように絶叫した。

 

『君は彼女に――セラに『姉妹』以上の感情を抱いている』

 

ループするように流れる光景の中、エンブリヲの声がアンジュの内に響く。その指摘にアンジュはビクッと身を震わせる。

 

『それは禁忌だ――だが、それ以上に魅惑のものだね』

 

それは決してセラには吐露しない『想い』―――表面上は、姉としての気持ちで覆い隠している『本心』。それを見透かされ、羞恥に染まる。

 

『だが、君にその資格があるのかい? 君はノーマでありながら、両親に守られ、皇女として満たされた日々を送る中、君の妹はその存在すら消され、アルゼナルという地獄で生きてきた―――』

 

「!!?」

 

これまで何度も思い、その度に核心に触れることを避けていた現実がアンジュの心を穿つ。

 

『このまま、その事実に眼を背けたまま彼女と生きるのかね? 彼女は君を必要とはしていない―――いずれ、君から離れていくだろう………』

 

エンブリヲの言葉に反応するように、アンジュの前にセラの姿が現れる。それはエンブリヲが作った幻覚だ。そうと理解しているはずなのに、セラが踵を返し、アンジュの傍から離れていく。

 

 

 

 

 

 

――――――マッテ……オイテイカナイデ………

 

 

 

 

 

 

必死に手を伸ばす。必死に叫ぶ。必死に追いつこうとする。だが、それは無意味に終わり、二人の距離はどんどん離れていく。

 

『だから―――私が、君達を導いてあげよう』

 

甘美な誘惑の言葉を最後に、アンジュの意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンジュリーゼ様!?」

 

突然、その場で倒れたアンジュの傍に駆け寄ったモモカがアンジュを抱き起すが、アンジュは反応しない。

 

不安気になるモモカに対し、エンブリヲは満足気に頷く。

 

「やれやれ、あまりこのような手は好ましくないのだがね」

 

嘆息しながら、自省するエンブリヲにモモカが思わず叫ぶ。

 

「姫様にいったい何をしたのですか!?」

 

アンジュの変調の理由は分からなかった。突然、金縛りにあったように硬直したと思ったら、意識を失った。だが、その原因がこの眼前の男だというのは理解できた。

 

睨むモモカに、エンブリヲはやれやれ、と肩を竦める。

 

「少しばかり彼女の心を開放しただけだ。もう少しばかり時間を掛けたかったが、もう一人の方にも会わなければならないのでね」

 

それだけ言い残すと、エンブリヲはその場から消えた。

 

「え? ええ!?」

 

姿が消えたことに驚くモモカだったが、突如腕の中の重みが消えたような感触を覚え、ハッと視線を下に落とすと、そこには先程まで気を失っていたアンジュの姿もなかった。

 

「ア、アンジュリーゼ様!?」

 

蔵書架には、モモカの困惑した声だけが木霊するのだった。




大変お待たせいたしました。
また難産の話でした。
原作のあのシーンは最初そのまま書こうかなと思ったのですが、アニメを見直してもこれどうよ、という感じがどうしても消えず、後の展開を踏まえてほぼオリジナルでいくことにしました。


なんとか年内投稿が間に合ってよかったです。
2022年最後に楽しんでいただければ、幸いです。
感想などくれると、喜びますのでよろしくお願いします。


セラのイメージをAIで作ってみました。

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次に書くのはどれがいいですか?

  • クロスアンジュだよ
  • BLOOD-Cによろしく
  • 今更ながらのプリキュアの続き

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