クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 紫銀の月   作:MIDNIGHT

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残酷な天使のテーゼ

厳粛な空気のなか、葬送式が終わりを迎え、夜も完全に耽け、神殿前の大広場では、小規模な宴会が催されていた。簡易コンロで串を数人が焼き、それを手に盛り上がっている。

 

神殿前では大型のドラゴン達が巨大な樽を盃代わりに酒を飲み交わしていた。葬送式の後の故人を偲ぶための宴―――英霊となった同胞をおくり、最後の別れを交わすしきたりだった。

 

無論、明日には大きな作戦も控えているので、そのための士気向上も兼ねていた。その一角で、アンジュはヴィヴィアンの母であるラミアに礼を言われていた。

 

「本当に、ありがとうございました。街と私達を護っていただいて……」

 

「そんな、私は少し手伝っただけです。それに…」

 

恐縮していたアンジュの表情がやや沈痛なものに変わる。視線を横へと流せば、そこには破壊の爪痕が生々しく残っている。 

 

「助けられなかった人も、たくさんいます…」

 

それを言っても仕方がないだろう。すべてを救うなど、傲慢なことは言えない。だがそれでも、と―――小さな後悔が胸中を過ぎるのを止めることはできなかった。

 

そんなアンジュの心情を慮ってか、ラミアもそれ以上言葉をかけることはしなかった。

 

 

 

 

「はい、あーん」

 

「あー…」 

 

別の一角では、タスクが何人かの女の子に囲まれていた。そして、手ずから肉を食べさせられている。口に入れて咀嚼する様に黄色い声が漏れる。 

 

「いやー、食べてくれた♪」

 

「男の人って、可愛い♪」

 

「そ、そう?」

 

タスク自身も満更ではないとばかりに表情をだらしなくしている。タスクも男子としては、異性にモテるのに気分が悪いわけはない。 

 

「…楽しそうですね」

 

その空間に響く冷たい声に、その場にいた全員がビクッと身を硬直させる。引き攣った面持ちで声のした方を振り向くと、そこには両手でバーベキュー串ほか、焼きそばやおにぎりなど、結構な量の食べ物を載せたお盆を持って額に青筋を浮かべているリーファが笑顔で佇んでいた。

 

その笑顔の迫力に無言のプレッシャーを憶え、女の子達はそそくさと逃げていく。一方のタスクは腰を浮かすこともできず、恐怖に引き攣っている。

 

そんなタスクの傍に大股で歩み寄り、横にドカッと腰を下ろす。

 

「私のせいで怪我をしたので、大変かと思っていたのですが、余計なお世話だったようですね!」

 

不機嫌な面持ちで横を向き、悪態をつくリーファに、タスクはハッと我に返り、慌てて言葉を繕う。

 

「い、いや! そんなことないよ! むしろ嬉し、もがっ」

 

あたふたするタスクの口にねじ込むように串焼きで塞ぎ、もごもごするタスクに、ツンと口を尖らせる。

 

「フン」

 

手が使えないだけに、止めることもできずなすがままだったが、息をするために口を動かし、なんとか飲み込む。

 

「なに馬鹿やってんのよ、あんた達」

 

そんな様子に近づいてきたアンジュが呆れたように声を出し、ため息をこぼす。なんというか、もう正直見てて好きにしてくれというような気分だ。

 

そこまで考えて不意にアンジュは気づいた。この世界に来た当初は、リーファがタスクに絡むのがどこか面白くなかったのだが、今は以前ほど苛立ちが来なかった。何故と自身に首を傾げるも、リーファは不機嫌だったので、そんな言葉に思わず反応してしまう。

 

「なんですか、大体呆れると言えば、あなたの妹はなんなんですか!? 姉上を誑かすなど!!」

 

リーファの苛立ちというよりも、心労の原因の一旦は朝のサラマンディーネの爆弾発言にある。よりにもよって、『妻』などという言葉が飛び出すなど、乱心かと思った程だ。

 

だが、それに対してアンジュは眉を吊り上げ、過剰に反応する。

 

「なんですって!? それを言うならあの女の方でしょうが! なによ、あんなあからさまに媚び売っちゃって! いいこと、私の眼の黒い内は私の妹に手を出すのは赦さないからね!」

 

一部が妙に力がこもっているが、交わされる会話は傍から聞くと、どうでもいい内容なのだが、アンジュとリーファは互いに睨み合いながら、やはり『気に喰わない』という感情に落ち着くのだった。まあ、セラやサラマンディーネからすれば、じゃれ合っている程度の認識なのだが。

 

噛みつかんばかりに威嚇する二人にタスクは顔を引き攣らせ、その光景を後ろから見ていたナーガとカナメも及び腰だ。

 

「そう言えば、姫様は?」

 

「先程から見ていないわね」

 

二人の睨み合いを横に、ナーガとカナメがサラマンディーネの所在を探すが、見当たらない。あの葬送式の後から、見かけてないのだ。いくら、都内にいるとはいえ、護衛をつけずに行動するのは好ましくない。

 

「カナメ、やはり危険だと思うわ」

 

ナーガが不意に漏らした一言にカナメは小さく眉を顰める。

 

「姫様はこの者達を信用されているけど、この者達は我々のことを知りすぎたわ。もし、あちらの世界に返せば、どのような脅威になるか」

 

建前であり、本音でもある。ナーガも心情的にはリーファと似たようなものだ。敬愛する主の今朝の発言にショックを受けたのは言うまでもない。

 

サラマンディーネの信頼をこの僅かの間に得たこともだが、同時に自分達の内情を大きく知られたのは、懸念すべき問題だ。『情報』というのは、戦争において千金の価値がある。故に、リザーディアを内偵としてミスルギに送り込み、それが大きな助けになった。

 

だが、それが今度は自分達に牙を剥く可能性があるとなれば、納得がいかないのだろう。

 

「いざとなれば、あの者達を―――」

 

無意識に手が腰の得物に伸びるも、聞き入っていたカナメは難しげに顔を顰めたままだが、首を振る。

 

「でも、あの人達は都の皆を救ってくれたわ」

 

制するような言葉に昂ぶりかけていたナーガが僅かに沈静する。

 

「それは、分かってるけど」

 

納得できないのは個人的な気持ちが大きいのかもしれない。そんなナーガを宥めるように微笑を返す。

 

「姫様が信じているのだから、私達も信じましょう」

 

主の想いに共するのが臣下の務め。その言葉にナーガもぎこちなく頷いた。

 

「でも、さすがに『あの』発言だけは諫めないとね」

 

最後に冗談めかして告げるカナメに小さく失笑した。

 

 

 

 

 

 

宴が続く一帯から離れた場所、ドラゴン達の火葬が行われた櫓は、炎で炭化している。遺骸は黒ずんで灰になり、未だ燻る火が僅かな煙を天へと還している。

 

その光景をセラは独りで静かに見つめていた。不意に、何かに気づいたのか、顔を上げると、頭上から翼の羽ばたきが聞こえ、サラマンディーネが下りてきた。

 

「こちらにいらしたのですね」

 

セラの前に降り立つや、翼をしまい、小さく笑う。後ろから声をかけるなとは言ったが、相変わらずこちらを驚かすなとセラは独りごちる。

 

「主役がこんなとこに来ていいの?」

 

サラマンディーネはこの宴の主賓だ。いろいろとやる事があるだろう。それに対し、クスリと笑みを零す。

 

「あなたが見えなかったので。それに、あなた方も我々にとって恩人ですから」

 

予想外の返答にセラがキョトンとなる。

 

「セラこそ、ここで同胞達を見葬ってくれていたのですか?」

 

既に周囲には気配がなく、大型のドラゴン達も離れた場所で巨大な樽を手に酒を交わしている。そんな中で独りここに立っているセラに、サラマンディーネが自然と疑問をぶつけていた。

 

「―――同じなんだって思ってね」

 

セラは苦笑し、視線を霧散していく空へと向ける。

 

「アルゼナル―――私達の居た場所も、そうだった。生き残った奴が死んだ奴の墓を立てる。死んだ奴のことを背負ってね。その繰り返し――――」

 

人間に忌み嫌われ、そして生を終えるノーマが唯一、生きていたという証―――『マナ』が生まれたと同時に始まったノーマとドラゴンの戦いが何十年と繰り返され、そして今に至る。

 

「『生きろ』――――それが、唯一憶えている言葉。私を産んでくれた、母親ってやつの言葉」

 

どこか自虐するように漏らすセラにサラマンディーネの表情が微かに強張る。

 

母と過ごした記憶などない。だが、別離の時にかけられた言葉は何故か残っていた。そして、その言葉がセラを生かしてきた。

 

この言葉が無ければ、どうなっていたか分からない。自身の生きる意義すらなく、ただ無為に生き、そして命を落としていたかもしれない。だから後悔はない。それが、『他』を犠牲にするものだとしても。

 

「だから私が――『私達』(アルゼナル)が一度はこいつらの命を奪った」

 

サラマンディーネの息を呑む音が聞こえる。

 

それは変えようのない事実だ。このドラゴン達の命を最初に奪ったのはセラ達だ。たとえ、エンブリヲに利用されたとしても、その最初のきっかけは変わらない。

 

「生きるために犠牲にした―――それが私の業よ」

 

ただの自己満足かもしれない。それでも、自分は『死』から眼を背けてはいけない。自分が殺した相手の『死』を―――――ノーマとはいえ、所詮はセラも人の身だ。背負えるものなどたかがしれている。それを超えて背負い続ければ、いずれすべてこぼれ落ちてしまうだろう。そして、いつか、その重みを背負いきれなくなった時……セラの心が死んだ時が、自分の最期だと。

 

気づけば、煙は完全に途切れ、立ち昇っていた煙は霧散し、そこには曇りのない星空が広がっている。

 

遠くを見るセラに、サラマンディーネは無言で聞き入っていたが、やがて意を決したように声を掛けた。

 

「セラ」

 

呼ばれ、振り返って視線を合わせると、サラマンディーネは自身の腰に差していた小太刀の鞘を取り、それをセラの前へと差し出した。

 

その行動の意味が分からず、戸惑うセラにサラマンディーネは静かに告げた。

 

「我がフレイアの一族の長に代々引き継がれてきた『雛菊』―――これをあなたに」

 

「なんで?」

 

あまりに唐突な申し出にセラは疑問符だけが浮かび、眉を顰める。そもそも、そんなものを受け取るつもりもない。

 

「受け取る意味がないわよ―――豚に真珠、私には価値のないものだわ」

 

皮肉るように肩を竦める。

 

だが、そんなセラの態度に揺るがず、サラマンディーネは真剣な面持ちで手を引っ込めようとはしない。

 

「『あなた』だから受け取ってほしいのです。『とも』の証として」

 

有無を言わせぬ口調で告げるサラマンディーネにセラも気圧される。正直、セラにはその意図が理解できなかった。だが、その様子に無理に拒否することができなかった。それ程の決然としたものがあったからだ。

 

「―――後生大事にはできないわよ」

 

ややため息まじりに、それを受け取る。サラマンディーネは微笑を浮かべ、マジマジと小太刀を見るセラに安堵する。無論、こんな事をサラマンディーネの独断で行っていいはずがないが、セラを友として思っているのは事実、そしてなにより、今しがたのセラの様子が微かな不安を抱いたのだ。

 

まるで、眼を少し離したら存在すら消えてしまいそうで―――だからこそ、自身の大切なものを託したのだ。

 

セラは小太刀を腰に引っ掛けると、視線を再び月へと向ける。怪訝そうになるサラマンディーネに向かって、肩を竦める。

 

「私、一度帰るわ」

 

その言葉にサラマンディーネは表情を僅かに曇らせる。

 

「そう…ですか。それがあなたの選択なのですね」

 

考えないわけではなかったが、それでも落胆は隠せなかった。また戦うことになるのかもしれない―――そう思うと、心持ちが重くなる。

 

だが、そんなサラマンディーネの心情をまるで見透かしたようにセラは言葉を続けた。

 

「心配しなくても、サラ達とは戦わないわ。少なくとも、私はね」

 

ハッキリと、そう言いきったセラに思わず顔を上げ、眼を見開く。もうドラゴンと戦う理由はない。共闘するかと問われれば、まだ答えられないが、対立することはない。

 

それにもう意味などないのだから。それに、この事実はナオミやヒルダ達に伝えなくてはならない。サラマンディーネの言う通り、知らなかったとはいえ、今までノーマとドラゴンが戦いあってきたという事実は変わらない。ノーマの中には人間よりもドラゴンを畏れている者もいるだろう。

 

アルゼナルが崩壊した今、この二つが対立しても何の意味もない。なら、余計な問題は起こさないに限る。

 

(司令あたりはどうなるか分からないけど)

 

ジルにこの事実を伝えても、どう出るか分からない。あの女は自身の狂気に染まりすぎている。それに―――――

 

(一度、そのエンブリヲって奴のことも知る必要があるわね)

 

エンブリヲという男の目的が何なのか――これだけが未だに分からない。アウラを連れ去り、マナを与えて人間を家畜にし、ノーマとドラゴンを戦い合わせる―――この意味を知ることが、最終的な自身の取るべき道を決めるピースになる。

 

それだけは口にはしなかったが、セラの返答にサラマンディーネは安堵したように表情を和らげる。

 

「では、明日開く特異点よりあちらにお戻り下さい。必要ならば、カナメとナーガを護衛につけましょう」

 

「ガキの使いじゃないんだから―――あなたはあなたのことだけ考えておけばいい」

 

冗談めかした口調で返すセラに思わず失笑する。

 

「私も『とも』としてこれだけは言っておくわ―――どんな事があっても生きなさい」

 

真剣な眼差しを向けられ、サラマンディーネは息を呑む。

 

「『命』はひとつしかない。命の使いどころは間違うな」

 

本当に命を懸けるのは、もう『それ』しかなくなった時だけだ。どんなに無様でも、生きている限り戦うことはできる。

 

明日の作戦―――ドラゴンにとっての大攻勢となる作戦では、犠牲は間違いなく出る。それはサラマンディーネも覚悟している。そして、その先陣を切る自身は、命を賭すことも。そんな決意を見透かしたように告げられた言葉に動揺を隠せなかった。

 

「あなたはドラゴンを導くんでしょ? だったら、たとえ屍を踏むことになっても生き延びなさい」

 

そうやってセラは生きてきた―――そしてアンジュも。いや、ノーマとして戦う生き方を選んだ時に変えられない誓いだ。死んだ後の後悔など何の意味もない。

 

「―――死ぬんじゃないわよ。死なれたら、寝覚めが悪いから」

 

最後はセラなりのエールを込めて言葉を送った。その言葉にサラマンディーネは表情をやわらげる。

 

「あなたに感謝を―――」

 

胸に宿る想いを慈しむように胸元で手を握り、サラマンディーネは礼を述べ、握っていた手をそっとセラに差し出す。

 

「お達者で、セラ―――あなたとまた会えることを」

 

「こっちこそ、世話になったわね」

 

互いに握手を交わし、二人は再会を誓ったのだった。

 

 

 

 

 

 

そして宴が終わり、明日の作戦の準備と出陣のため、誰もが己の役目を果たそうと務める。出陣する者達は身を休め、静かに時を待ち、見送る者達は最大限のバックアップと作戦の成功を祈る。

 

そんな中、セラ達はヴィヴィアンとラミアに彼女らの住まいへと招待された。

 

「では、明日の朝発つのですね」

 

居間でもてなすために淹れてくれたお茶を馳走になりながら、セラはラミアにその旨を伝えた。既にアンジュ達にも伝えている。

 

あの後、サラマンディーネと別れて合流したアンジュとタスクに、セラは明日の作戦に合わせて開く特異点を使って元の世界に帰還すること、一度アルゼナルのメンバーと合流することを伝えた。

 

無論、二人がどうするかの判断は任せた。このままこの世界に留まるならそれを止めるつもりもなかった。だが、アンジュもタスクもセラの意見に同調し、共に戻ると答えた。

 

アンジュはモモカの安否が気に掛かっていたし、タスクも迷いはしたが、リベルタスを成すという意志は失っておらず、この世界でのことをジル達に伝えたいと答えた。

 

「ええ、私達は一度あちらの世界に戻ります」

 

「おお! じゃあ、あたしも支度しなくっちゃ!」

 

その言葉に、お茶を飲んでいたヴィヴィアンが湯飲みから口を離し、当然のように宣言したのだった。だが、アンジュは驚きに眼を見張る。

 

「あたしもみんなが気になるし、サリアなんかは寂しくしてるかも」

 

「でも、ヴィヴィアン、あなた…」

 

アンジュが気遣わしげに眉を顰めて視線をラミアへと移すと、ヴィヴィアンもあっとバツが悪そうに顔を顰め、窺うように視線をラミアへと向ける。

 

ラミアはヴィヴィアンの言葉にどこか寂しげに顔を俯かせており、それがヴィヴィアンに小さな痛みを疼かせる。だが、どう答えていいか分からず、声を漏らしながら顔を顰めて口篭る。

 

その様子にアンジュは思わず声を掛けようとするが、その肩をセラが掴む。止められたアンジュがやや戸惑い気味に振り返るも、セラは無言で首を振る。

 

セラの意図を察してか、アンジュも口を噤み、不安な面持ちで事態を見守っていると、悩むヴィヴィアンにラミアはフッと笑い、傍に立てかけていた杖を持ち、負傷した脚を支えながら、奥の部屋へと歩いていく。

 

「お母さん…」

 

その後ろ姿に、ヴィヴィアンの表情が不安気に染まり、いつもの明るさもなく、狼狽する。だが、すぐに奥からラミアが戻ってきた。 

 

「ここでクイズです」

 

戻るなり、明るい声でヴィヴィアンの口癖を呟く。思わぬ言葉にヴィヴィアンは眼を丸くするも、そんな姿に微笑み、手に持っていた一枚の衣服を見せる。

 

「これは何でしょうか?」

 

「え?」

 

唐突な問い掛けに、ヴィヴィアンは眼を丸くし、首を傾げる。そんな様子にクスリと微笑み、ラミアは小さなピンクの服を広げて見せた。

 

「正解は…あなたが小さかった頃の服でした」

 

見せられた服は本当に小さく、いくらヴィヴィアンが小柄とはいえ、それでもその差はハッキリしていた。それだけ、この親子が引き離されていた時間が長かったのだろう。

 

ヴィヴィアンは自然とラミアに近づき、彼女の手にある自身の服をマジマジと見つめる。そんな娘の姿と手の中の服を交互に見やり、笑みが穏やかになる。 

 

「ホント、大きくなったわね。この服なんか全然入りきらないぐらい……」

 

優しい眼差しを向けながら、ラミアが感慨深げに呟いた。声色には微かな寂しさも混じっていた。子の成長を見ることができず、ある日急に戻ってきた。その連絡を受けた時の彼女の胸中は如何程のものだったのか。

 

もしかしたら既に死んでいたかもしれない―――行方不明となった我が子の事を案じながら、今日まで過ごしてきた彼女の想いが込められていた。 

 

「でも、その分、たくさんの人達と出会って、たくさんの思い出も出来たんでしょう?」

 

「え…う、うん」

 

そんな自身の葛藤を抑え、優しく問い掛けると、ヴィヴィアンはぎこちなくも頷いた。その返答に満足したように、ラミアは言葉を続けた。 

 

「じゃあ、帰らないといけないわね―――皆のところへ」

 

「えっ!?」

 

そう言われるとは思っていなかったのか、思わずヴィヴィアンが驚きの声を上げた。戸惑う彼女に向けて、ラミアは大きく頷く。

 

「お母さんなら大丈夫よ。お母さんは強いんだから!」

 

思わず握りこぶしを見せて振舞う姿に、ヴィヴィアンの胸中は言葉にはならない思いで熱くなる。

 

「お母さん……」

 

それが無理に空元気を出しているのが分かったのだろう。ヴィヴィアンが気遣うように呼び掛けると、ラミアも眼元に涙を浮かべながら、そのまま抱きついた。

 

拍子に持っていた服がするりと落ち、両手でヴィヴィアンの身体を強く抱きしめた。

 

「帰ってきてくれてありがとう、ミィ。あなたともう一度会えて、本当に嬉しかった。もう一度、お帰りって言わせてくれると嬉しいな」

 

それはラミアにできる精一杯の娘へのエールだった。二度と離したくはないだろう―――だが、娘の意志を曲げてまですることはできない。だからこそせめて――帰ってきてくれることを願う。

 

「うん! 絶対、『ただいま』しに帰ってくる!」

 

ヴィヴィアンも精一杯、ラミアに応えるように抱きしめ返した。ここが自分の帰る場所なのだと――強く信じるヴィヴィアンにタスクはもらい泣きしそうに鼻水を啜っており、アンジュは優しい眼差しで二人を見つめていた。

 

母親との思い出を思い出したのか、どこか寂しげながらも穏やかだった。そんなアンジュを見やり、セラは小さく息を吐く。

 

(母親、か……)

 

母との記憶などない。それこそ顔すら覚えていない―――セラにとって母親など、自分を産んだというだけの存在でしかなかった。思慕も憎悪もない……ただの過去、それだけのものだった。だが、聞かされた過去と母親の想い……『生きろ』という言葉をくれた。

 

最後に抱きしめてくれたあの感覚は、まるで刻まれたように感じる―――無意識にペンダントを取り、手の中で撫でる。

 

(一度、会ってみたかったな……)

 

それが永遠に叶わない願いだと分かっていても、思わずにはいられなかった。感傷だとそれを抑え、すっかり冷めたお茶を誤魔化すように呷った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜が明け、陽もまだ顔を出して間もない朝―――都の周辺は俄かに喧騒のような雰囲気を見せていた。無数のスクーナー級を伴った大型のドラゴン群が幾体も集結していた。 

 

「ビーベルの民、シルフィスの民、待機完了」

 

次々と集結するドラゴンの民―――部族間ごとに整列するのを確認する近衛軍も慌ただしくしている。 

 

「ジエノムスの民はまだ?」

 

「河を渡るのに、後数刻かかるようです」

 

参戦を通達された全部族のドラゴンが集まるのだ。それはまさに圧巻とも言える規模だ。都を埋め尽くさんばかりの数に、見ていたセラ達は圧倒されていた。

 

「おぉー! ドラゴンのフルコースなりぃ!」

 

壮観な光景に、ヴィヴィアンも驚きを露わにして、興奮する。

 

「ホント、改めてこの物量で攻め込まれなくてよかったわね」

 

若干苦い口調でセラも肩を竦める。先のアルゼナル襲撃―――あの時以上の物量に思わずそんな愚痴が出る。あの戦いは龍神器の性能テストが目的だった。そのため、大型のドラゴンは巻き込む恐れから引き連れていなかった。後の総攻撃のための温存もあったが、あの時この物量で攻められていたら、アルゼナルはそれこそ長くは保たず、あっという間に陥落していただろう。

 

セラの評に聞いていたアンジュは想像したのか、若干顔を青くするが、その視線がセラの腰にぶら下がったものに気づき、眉を顰める。

 

「セラ、それ―――」

 

「ん? ああ、これ?」

 

視線で指す小太刀を軽く撫でる。

 

「それって、あの女の―――」

 

サラマンディーネが腰に差していた小太刀のはずだ。それが何故、セラが腰に差しているのか……首を傾げるアンジュにセラはあっさりと答えた。

 

「もらった」

 

「はい?」

 

「昨日ね―――よく分からないけど、くれるって。いいって断ったんだけどね」

 

断り切れなかったというか、強引に押し付けられたというか―――いまいちサラマンディーネの意図が分からずに眉を顰めるも、瞬時にアンジュの視線が細まる。

 

「へぇ………」

 

気のせいだろうか、アンジュの声が一段どころかかなり低くなり、隣にいたヴィヴィアンとタスクも気圧されたように引き攣っている。

 

(あの女ぁぁぁぁ!!!)

 

内心に怒りが燃え上がり、アンジュはサラマンディーネに対する警戒がさらに強くなる。自分も何か、セラに贈った方がいいだろうかと真剣に悩む。

 

異様な殺気を放ちながら、真剣に考え込むアンジュにやや引きながら、セラは集結するドラゴン達に視線を戻し、推移を見守った。

 

 

 

 

それから程なくして、都には多くのドラゴンが集った。百近い大型ドラゴンに無数のスクーナー級に変身した女性ドラゴン達。

 

それらはすべて、この一大作戦のために呼応した者達だった。神殿前にはサラマンディーネを筆頭にリーファ、ナーガ、カナメの龍神器が控え、近衛軍の精鋭が集結している。

 

(やはり、龍神器の増援は間に合いませんでしたか)

 

いくらリーファ達の機体でデータを収集したとはいえ、龍神器を量産するのにはコストも時間も掛かる。久遠達整備班もこの作戦のため、連日サラマンディーネ達の機体の最終調整を行っていたのだ。それを責めるのは酷というものだ。

 

ないものねだりをしても仕方がないと、サラマンディーネは気持ちを切り替える。やがて、神殿の上部に設けられた舞台に大巫女が姿を見せ、静寂が場を包む。

 

「誇り高きアウラの民よ」

 

眼下に控えるドラゴン達をすべて見渡し、大巫女の凛とした声が響いた。

 

「アウラという光を奪われ幾星霜――みな、よく耐えてくれた。遂に、我らの反撃のときが来た!」

 

演説する大巫女の言葉にドラゴン達の声が奮い立つ。さらに鼓舞するように、言葉は続く。

 

「今こそエンブリヲに、我らの怒りとその力を知らしめるとき! 我らアウラの子! 例え地に墜つるとも、この翼は折れず!」

 

天を仰ぐようにその両腕を空に向かって突き出す。大巫女の言葉に歓声が上がった。ドラゴン達が咆哮を上げ、士気を高め、轟く鳴き声が都の空気を震撼させる。それに乗って、ヴィヴィアンも喝采を上げた。

 

大巫女の演説で士気が上がったのを確認し、サラマンディーネは焔龍號に乗り込み、続くようにリーファ達も愛機へと乗り込んでいく。

 

コックピットのハッチが閉じられ、システムが起動すると同時に、サラマンディーネは通信機を全周波にして声を発する。 

 

「総司令、近衛中将サラマンディーネである。全軍、出撃! 我に続け!」

 

勇ましい号令と共に先陣を切り、サラマンディーネの焔龍號が飛び上がった。それに続いて黄龍號、蒼龍號、碧龍號も飛び上がる。やがて待機していたドラゴン達が翼を広げ、一斉に飛び立っていく。

 

隊列を組んで飛ぶドラゴンの最後にセラ達も機体に乗り込み、発進させる。

 

「行ってきまーす!」

 

タスクの飛行艇に同乗させてもらったヴィヴィアンが眼下に見送りに来たラミアへと手を振り、それに微笑み返す。

 

空へと舞い上がり、ドラゴン達の最後尾で並走するアイオーン、ヴィルキス、タスクの飛行艇―――先を行くドラゴン達を追いかけながら、アンジュは思わず口を開いた。

 

「不思議な気分ね……こうして、ドラゴンと一緒に元の世界に戻るのって」

 

つい、少し前まで戦いあっていた相手とこうして分かち合い、そして彼らに連れられて元の世界に戻ろうとしている。改めて考えると、以前は考えられなかったことだ。

 

「事実は小説より奇なり―――かしらね」

 

アンジュの言葉にはセラも同意してしまう。だが、眼の前で起こっていることが現実だ。なら、その現実を受け入れて進むだけ。セラは無意識に握る操縦桿が強くなる。

 

「ねえねえ!」

 

飛行を続けるなか、唐突にヴィヴィアンが口を開いた。

 

「どうしたんだ、ヴィヴィアン?」

 

「ドラゴンさん達が勝ったら、戦いって終わるんだっけ?」

 

背中越しに訊ねたタスクにヴィヴィアンが逆に訊ね返すと、不意打ちに近かったのか、口篭る。

 

「え、あ、ああ……」

 

「そしたら、暇になるね。そしたら、どうする?」

 

「えっ?」

 

その問い掛けにタスクもアンジュも眼を白黒させる。確かに、これでアウラを取り戻せば、ドラゴン達の戦いは終わる。そうなれば、ドラゴンと戦う必要は無くなり、ノーマである自分達もその不毛な戦いから解放される。

 

最も、事はそう簡単にはいかないであろうが、一つの区切りにはなるだろう。思わぬ問い掛けに、アンジュは考え込む。

 

「あたしはねぇ、サリアやエルシャ達、みんなをご招待するんだ! あたしんちに!」

 

まるで確定事項のように嬉しそうに告げるヴィヴィアンの弾んだ声が通信越しに聞こえる。

 

「タスクは?」

 

「お、俺?」

 

振られたタスクは一瞬、考え込むが、やがて徐に口を開く。

 

「俺は……海辺の綺麗な街で、大切な人と小さな喫茶店を開きたいな。その人にコーヒーを淹れてもらってさ、俺は店の看板メニューの海蛇のスープを作って―――」

 

夢というよりは妄想だろうか―――横で聞き入っていたアンジュが何かを思いついたように笑みを浮かべた。

 

「その大切な人って、『あの女』?」

 

「いいい!? あ、いやそれは! 彼女、料理上手いし、なんだかんだで付き合ってくれるし! それに、穏やかな日々が来ればいいなって思ってるだけで!」

 

不意打ちに声が上擦る。この数日間の付き合いに自爆するさまにアンジュはご馳走様とばかりに一瞥する。

 

「ねぇねぇ、アンジュは?」

 

次いで振られたアンジュは眼を瞬くも、指を顎に当てて考え込む。特に何も考えてはいなかったが、不意にこの先の事となるとすぐには思い浮かばなかった。それはある意味で仕方ないだろう。

 

ほんの半年前までは皇女として生き、そしてノーマに落ちた―――皇女であった時にも、明確な未来に対する考えなど無かった気がする。ノーマだと自覚してからは生きることだけだった。それが今度は降って沸いたように別の未来がある……随分と流転の大きなことだと。

 

先ずはモモカとまず会いたい――戦いが終わったら、セラと三人でどこかで静かに暮らすのも悪くないかもしれないと……そこまで考えて、アンジュはハッと視線を先に行くセラの背中に向けた。

 

先程から会話に参加せず、真っ直ぐに進む背中―――セラはどうするのだろうか……先を行く背中に漠然とした不安が疼き、アンジュが声を掛けようとした瞬間――――――

 

《特異点、解放します!》

 

思考を遮るように通信が入り、進行先の空が大きく歪み、それはやがて広がり、特異点――シンギュラーがその口を開けた。

 

ワームホールの向こう側に見える同じ空―――その光景を見た率直な感想をヴィヴィアンが漏らす。 

 

「おぉー! 開いた!」

 

《全軍、我に続け!》

 

サラマンディーネの焔龍號が特異点に突入し、それに続くようにドラゴンの軍勢も次々にシンギュラーへと突っ込んでいった。

 

「行くわよ、私達も!」

 

その光景を目の当たりにしていると、セラが声を上げ、ハッと我に返る。その間にセラは操縦桿を引き、ペダルを踏んでアイオーンを加速させる。

 

離れていくのに慌ててアンジュもヴィルキスを加速させ、タスクもそれに続いた。シンギュラーを抜け、飛び込んできたのは一面の海と空―――だが、それは今までいた世界にはない不思議な感覚を抱く。

 

「ここは…」

 

今までとは様変わりした光景にアンジュが思わず周囲を見渡す。 

 

「ここでクイズです! ここは一体、何処でしょうか?」

 

ヴィヴィアンが人差し指を立ててお得意のクイズを出す。そして、クンクンと鼻をヒクヒクさせた。 

 

「正解は、あたし達の風、海、空でしたー!」

 

他者の解答を待つまでもなく、まるで確信したように正解を言った。

 

「戻ってきた…戻ってきたのね!」

 

「帰ってきた―――『私達』の世界へ!」

 

世界から感じる空気――まるでそれは、自身の身体に染み付いたもののように理由はないが感じ取れた。間違いなくここはセラやアンジュ達の生まれた地球だと。

 

だが、帰還の感慨に耽るセラ達とは対照的に、サラマンディーネ達は混乱していた。

 

「到着予定座標より、北東、48000!?」

 

その異変に最初に気付いたのは、先陣を切っているサラマンディーネだった。特異点から飛び出した先の位置に眉を顰める。

 

何かの間違いかと思ったが、モニター越しに見えるのは間違いなく一面の海だった。少なくとも、すぐ傍に陸地らしきものはなく、間違いなく海上に自分達は出現している。

 

「どうなっているのですか!? これは!」

 

リーダーが困惑するべきではないが、それでも戸惑いを隠せない。それはリーファ達も同様だった。

 

《分かりません…! 確かに特異点は、ミスルギ上空に開くはず!》

 

リザーディアからの報告で、今回の作戦は奇襲が前提となる。そのため、敵の懐に一気に突入するため、特異点の解放点をミスルギに指定していた。

 

ゆえに、作戦概要を聞かされていたリーファ達も困惑を隠せない。だが、現実として彼女らはミスルギより遠く離れた海上にいる。

 

その現実を認識するにつれて、嫌な予感がサラマンディーネの頭の中を擡げる。

 

(まさか―――!?)

 

そう―――セラに指摘された可能性…それに思い至った瞬間、そんな動揺を嘲笑うかのように、コンソールに『警告』の文字が躍った。

 

《姉上、アレを!!》

 

敵、と認識したと同時にリーファが声を上げ、サラマンディーネは視線を前方へと向ける。進行先の空域に、複数の機影が滞空していた。

 

漆黒の姿を持つ6体の天使―――その姿にサラマンディーネは驚愕に眼を見開く。

 

「アレは……!!?」

 

驚いたのはサラマンディーネ達だけでなく、後方にいたセラ達もだった。

 

「何ぞ、あれ!」

 

「黒い、ヴィルキス……?」

 

アンジュの言葉通り、前方に控える機体郡はカラーリングこそ違うが、ヴィルキスに酷似していた。セラは見覚えのあるそのディテールに息を呑む。

 

進行するドラゴン達に動揺することもなく、悠然と対峙するなか、やがて一群の中の一体がゆっくりと浮上する。

 

 

 

 

 

 

刹那……『歌』が聴こえた―――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「何!?」

 

「この歌は、まさか―――!?」

 

突如響いてきた歌声…だが、その紡がれる歌詞にアンジュが混乱し、サラマンディーネは驚愕する。

 

「『永遠語り』………この声は――――」

 

戦場に響く歌声は切なく、そして同時に底知れない哀しみと怒りを纏うような声だった。だが、その声を聴いたセラはより困惑する。

 

「そんな、まさか……―――」

 

セラは声を震わせ、その可能性を否定するようにその機体を視た瞬間、漆黒の機体のボディに紫のラインが走り、脚部、腿部、腰部、腕部、肩部、胸部と装甲がスライドし、その下から紫紺の粒子が放出される。

 

粒子が周囲に舞うなか、頭部のマスクが外れ、蒼穹のバイザーが強く輝き、漆黒の装甲を黄金に染めていく。紫紺の粒子を纏った黄金色の天使の肩が変形し、その下に現れた宝玉に粒子が収束し、周囲の大気を震わせ、エネルギーがスパークする。

 

「―――――ナオミ?」

 

セラが呆然と―――そして、自身が一番信頼していた相手の名を呟いた瞬間…歌が止まった。

 

刹那。両肩に収束していたエネルギーが一気に解放され、激しい暴風となってドラゴンへと襲いかかった――――――――




お待たせしました。
なんとか令和1発目で5月には投稿したかったんですが、遅れて申し訳ないです。

いよいよ本格的に修羅場が>▽<・・・え・■・

次に書くのはどれがいいですか?

  • クロスアンジュだよ
  • BLOOD-Cによろしく
  • 今更ながらのプリキュアの続き

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