クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 紫銀の月   作:MIDNIGHT

50 / 66
SECRET AMBITION

祭りが終わったその深夜―――

 

灯篭の舞っていた夜空も静寂に満ち、誰もが寝静まり返る都。用意された客間へと戻ったセラやアンジュ達。タスクは男ということで一人別室にて眠りこけており、ヴィヴィアンは母親と共に用意された一室で休んでいる。そしてアンジュは、客間の布団にて眠りに落ちていた。

 

あの祭りが終わって部屋に戻り、部屋に備え付けられていた浴室にて、檜の湯船に浸かり、何日ぶりかの入浴ですっかりリラックスしてしまった。

 

アルゼナル襲撃から数日間、目まぐるしく激動に揉まれたせいか、完全に寝入っている。疲労が出たこともあるが、なによりこの先の自身のことについて悩みが深いせいもあるかもしれない。小さな声を漏らして寝返りを打ち、手を隣で寝ている相手へと伸ばすも、それは空を切り、布団を掴むのみだ。

 

アンジュの隣で寝ているはずの相手はおらず、それに気づかずアンジュは眠り続けた。

 

その頃―――セラは客間を抜け出し、屋敷の屋根に登り、その上に腰掛けて夜空を見上げていた。地上の灯りがほとんどないせいか、小さな星までよく視える。そして、その中に浮かぶ白い月を見ていた。

 

用意されていた寝具の着物を着て、その上に上着を羽織りながら微かに吹く夜風に髪が揺れ、静かに見つめていると、背後から声が掛かった。

 

「眠れないのですか?」

 

不意打ちに近い声に思わず眼を瞬き、振り返ると、いつ現われたのか、屋根の上にサラマンディーネが優雅に佇んでいた。

 

「――ええ、あんなに寝心地の悪いベッドじゃね」

 

一瞥しながら、軽口で応じる。

 

正直、あのベッドは違和感しかなかった。しっかりと作られた木製のベッドにふかふかの布団で、普通なら寝心地はいいのだろう。現にアンジュは布団に入ってすぐに寝入ってしまった。だが、長年アルゼナルの簡素な硬いベッドで寝起きし、ライダーになってからは寝袋で寝ることも多かったせいか、どうにも落ち着かない。

 

元々、セラは眠りが浅いほうだ。常に命の危険に晒されるアルゼナルでは、どんな状況でも即応が求められる。深く眠りこけて殺られた、など笑い話では済まない。

 

「随分至れり尽くせりなことで」

 

客間を用意したこともだが、なにより風呂付きと、さすがにセラも久方ぶりに髪を流したので、幾分か緊張が解れはしたものの、やはりどうにも落ち着かない。

 

「お気に召したようで」

 

環境が変わると身体が馴染まないと聞くが、まさにそれだった。セラの言葉に小さく笑いながら、サラマンディーネはゆっくりと歩み寄り、そのまま自然にセラの横に腰掛ける。

 

セラも特に気にしていないのか、咎めることもしない。しばし無言で夜空を見上げていたが、不意にセラが呟いた。

 

「こっちの世界も、星の位置は変わらないわね――」

 

夜空に煌く星を見つめながら、ポツリと漏らす。並行世界であるし、当然ではあるのだが、それでも普段視ていたものと違うように感じる。

 

「そうですね、今日は雲もなく星も綺麗です」

 

会話ということはなく、無言の状態が続く。どれだけそうしていたか、セラがポツリと呟いた。

 

「―――あなたの妹が言ってたわ、ここの連中はみんな『アウラ』のために命を賭ける覚悟だって」

 

「ええ、無論私もです」

 

視線を合わせないまま、応えるサラマンディーネにセラは冷めた面持ちで言葉を続ける。

 

「アウラ……ね――母親から巣立てない雛鳥か」

 

どこか揶揄するような言葉に、サラマンディーネが表情を僅かに強ばらせる。

 

「正直、あなた達のその覚悟には敬服するし、そのためだけに何百年も費やしてきたことには感心するわ。でもね―――」

 

言葉を切り、振り返ったセラがサラマンディーネを凝視する。

 

「結局、アウラがいなければ、何もできないってことでしょ……その点で言えば、あの世界の人間達と同じね。あの世界を維持するためにエンブリヲが必要としたように」

 

『アウラ』という存在がなければ、社会を維持することができない―――その点で言えば、ドラゴンもマナの人間達も変わらない。その方法が正反対なだけだ。

 

マナを生み出すための道具にされるか、心の拠り所となるべき存在であるかの違いでしかない。どちらも無ければ成り立たないという歪な構造だ。

 

「利用されているアウラを助けたいっていう気持ちは分かるわ。けどね、アウラだって元は『人間』だったんでしょ……こんな世界のためにその身を犠牲にした――けど、いつまでもそれに縋らなきゃやっていけない世界なんて、意味はないわ」

 

雛はいずれ、母親の下を巣立つ時が来る―――仮にアウラを取り戻せたとしても、それに縋らなければ成り立たない世界なら、結局は同じことだ。

 

崇高な思いも、時の流れの中でいつしか歪んでいくかもしれない。もしそうだというのなら、セラはドラゴンに与する気などさらさらない。そんな歪んだ世界に、自分の居場所などない。

 

「自分の生きる場所は、自分で切り拓くしかないのよ――どんなことがあってもね」

 

それがセラの変えられない生き方だ。自身の心の赴くままに生きる、自身のエゴを貫く――傍から見れば狂っているかもしれない。だが、それもまた歪んだ世界で、否定されてきた世界で『セラ』を生かしてきたのだ。

 

セラの言葉にサラマンディーネは無言のまま聞き入っている。無言が続くなか、サラマンディーネは静かに立ち上がる。

 

前に立つ彼女の背中を見やるなか、やがて静かに口を開いた。

 

「あなたの言いたいことは分かります。私達のやっている事がどこか歪んでいる、と―――」

 

自虐めいたものではなかったが、それでもどこか自戒するような苦い口調だ。

 

「かつて、あなたと同じことを言った者がいました―――私達の世界は間違っていると。私はそれに対して異端と切り捨てました」

 

サラマンディーネもそれが当然のことと考えていた。ドラゴンに遺伝子を変えたためか、ドラゴンはみな長命だ。永い時の中でその遺伝子が劣化することもない。

 

それ故に、それを齎したアウラに対して『神聖』とも言うべき憧憬を抱く。それがあるからこそ、ドラゴンの民は纏まり、地球の再生という理念の下に一つになっていた。

 

だが、それが『歪』であると誰も思いもしない。そこに疑問を挟む者は『異端』扱いされるのだ。

 

「どうなったの、そいつは?」

 

静かに問い掛けると、サラマンディーネはやや沈痛な面持ちで俯く。

 

「この地を去りました―――」

 

自身の過ちを悔いるように告げると、振り返ったサラマンディーネの顔は、決然としたものへと変わる。

 

「あなたの言いたいことも分かります。ですが、今の私達には、まだアウラが必要なのです。この世界を守り、そして存続させるためにも」

 

未だ、ドラグニウムの汚染が続く地球の大地、人が住める環境になった場所などまだ僅かでしかない。自らの招いた罰とは言え、それを再生しようと、ドラゴンの民はひとつにならねばならない。そのためにはアウラの存在は必要不可欠だ。

 

無論、サラマンディーネもそれがいつまでも続くものではないと考えてはいる。だが、それは『まだ』なのだ。

 

迷いながらもハッキリと告げるサラマンディーネにセラは向き合ったまま、無言が満ちる。その時、別の影が傍に降りた。

 

「姉上」

 

リーファがやや戸惑いながら降り立ち、サラマンディーネの傍で跪く。態度から、会話は聞かれていなかったようだが、視線を向けるサラマンディーネに静かに告げた。

 

「大巫女様がお呼びです、大広間にお越しください」

 

その内容に一瞬、思考を巡らせるもすぐに首を振った。

 

「分かりました、すぐに参ると――下がりなさい」

 

「は」

 

リーファが一瞬こちらを一瞥すると、威嚇するようにその場を離れた。

 

「随分、慕われてることで」

 

その態度に思わずそう漏らすと、今までの硬い面持ちから僅かに軟化し、微笑む。

 

「それでは――また後ほど」

 

恭しく一礼すると、サラマンディーネが羽根を広げてその場を飛び去さろうとする。その背中に、セラが声を発した。

 

「私は、利用されるのが一番嫌いなの――『セラ』()の道は、私が決める」

 

静かに告げる言葉に一瞬動きを止めるも、サラマンディーネは振り返ることなくその場を去り、それを一瞥すると、セラは再び夜空を見やった。

 

静かな月夜のなか、また嵐が来る予感を胸に抱きながら。

 

 

 

 

 

神殿の大広間、玉座の間で大巫女とサラマンディーネ、そしてアウラの民の神官達が集まるなか、眼前には一人の人物のホログラフィーが映し出されていた。

 

「なんと…! それは真か、リザーディア!?」

 

ホログラフィーで投影される人物、ミスルギ皇国近衛長官リィザ――いや、アウラの民であり、ドラゴンがかの世界の内情を探るために潜入させているリザーディアであった。

 

次元を超えた通信で彼女が連絡してきたのはつい数分前のことだった。大巫女は急遽神官及びサラマンディーネを招集し、全員で彼女からの報告を聞き、その内容に驚いた。

 

【はい大巫女様、神聖ミスルギ帝国の地下……アウラの反応は確かにここから】

 

報告するリザーディアも弾んだような面持ちだが、それは受けた大巫女達の方が大きかった。誰もがその報告に驚くも、すぐに喜色に変わる。

 

「よくぞやってくれたリザーディア――時は来た、アウラの子らよ! これよりエンブリヲの手から全能の母、アウラを奪還する。リザーディア、『特異点』解放のタイミングは手筈通りに」

 

【仰せのままに……】

 

大巫女の言葉に恭しく頷き、通知が途切れる。そして、誰もが昂ぶる思いを抱き。大巫女が見渡しながら静かに声を発する。

 

「皆の者、これはこの惑星の運命を賭けた戦い、アウラと地球に勝利を!」

 

『勝利を!!』

 

大巫女の声と同時に神官らも頭を下げ、意思を統一する。大巫女の傍で同じく頭を垂れているサラマンディーネは、同じく昂ぶる気持ちと微かな逡巡を抱きながら思考を巡らせていた。

 

「サラマンディーネよ」

 

「はっ」

 

唐突に掛けられた声に思わず硬い声で応じ、顔を上げると大巫女と視線が合う。

 

「かの者達はその後どうなった? 大事の前じゃ、お主に任せはしたが、どうにかなるのか?」

 

懸念を問い掛ける。間もなく起こる大きな戦いは文字通り命懸けとなるであろう。そのドラゴンの軍勢を纏めるにはサラマンディーネを含めた近衛軍の存在は必要不可欠。故に、異界の来訪者なる異物を抱え込んでいる現在、それらが余計な不確定要素になるのだけは避けたい。

 

その問い掛けに、サラマンディーネは一瞬口を噤むも、すぐに表情を引き締めて応える。

 

「今暫く時をいただけないでしょうか? かの者達の力、捨て置くには惜しいものがございます。もしもの場合は、『げーせん』にて彼女らを御します」

 

その言葉に聞き入っていた神官達がざわめく。大巫女も声こそ出さなかったが、表情が微かに強張っている。それでも真剣な様子で頭を垂れるサラマンディーネの態度に重く頷く。

 

「よかろう、しかし時はそう無いということだけは理解しておいてくれ」

 

「承知しました」

 

『了承』が取れたことに安堵したのも束の間、サラマンディーネは決意を新たにした。

 

 

 

 

 

翌朝―――突き抜けるような青空と昇った太陽が差し込むなか、ベッドに寝ていたアンジュは身じろぎする。小さく声を漏らして身を起こし、身体を伸ばして解すと視線を横に向ける。

 

「セラ……?」

 

隣で寝ていたはずの相手がいないことに眉を顰め、視線を動かすと、外へと通じるドアが開かれており、徐に身を起こす。客間のベランダに続くドアを開くと、すぐ傍の手すりに腰掛けて空を見上げているセラがいた。

 

「起きたのね? おはよう」

 

アンジュに気づいたセラが振り返り、そう挨拶するもアンジュは外に広がる光景に圧倒されていた。その様子に小さく失笑する。

 

セラも改めて視線を戻す―――青空に無数のドラゴン達が飛び交っていた。ガレオン級にブリック級など、他にも見たことがない種類のドラゴン達が縦横無尽に飛び交う光景は、圧巻の一言であり、そうそう拝めるものでもない。

 

正直言えば、セラも最初は驚いたものだ。セラが見ていた光景に、アンジュも呆然となるも、改めて自分達がドラゴンの世界に居るのだと実感した。

 

「さて、と…」

 

手すりから下り、セラが部屋に戻ると、アンジュはまだ呆気に取られていたが、そのまま続くように部屋に戻る。

 

寝具の着物を脱ぎ、セラは畳に置かれたライダースーツを見やる。昨日、サラマンディーネに預けたそれらは洗濯され、きちんと折り畳まれた状態だった。改めてそのもてなし振りに苦笑しながら着替えていく。

 

アンジュも釈然としない面持ちながら、着替えを始めていく。一夜明け、未だに相手の意図を図りかねているのか、気難しい顔だ。

 

「ねえセラ、あいつらホント何考えてるのかしら?」

 

この都に来るまでは、ドラゴンのことを知れると意気込んではいたものの、いざ目の当たりにした予想外の事実にアンジュも些か混乱し、不安を憶える。

 

この状況にも関わらず、いつもと変わらない様子のセラに、思い切って訊ねると、セラは軽く肩を竦める。

 

「さあ? でもま、少なくとも殺されはしないんだから今はまだ、様子見ね」

 

些か呑気にも聞こえるが、まだ動きようがないのが実情だ。アドバンテージは未だあちらに握られていることにアンジュは不満そうだ。

 

「ホント、何考えるのかしら、あのドラゴン女」

 

相手のことが分からずに思わずそう愚痴ると、セラではなく別の声が掛かった。

 

「あら、誰のことを話されているのでしょうか?」

 

思いがけない声にアンジュがハッと顔を上げると、そこには優雅に笑いながら入室してきたサラマンディーネがいた。今しがたまで考えていただけにアンジュは眼を白黒させているも、セラが小さく肩を竦める。

 

「いくらここがあなたの屋敷でもノックぐらいはしてほしいわね」

 

軽く睨むと、サラマンディーネはクスリと口元に手を当てて笑う。

 

「失礼、ですが先程から何度か声を掛けたのですが、お二人で話に夢中になっていたようなので」

 

意趣返しのように反撃され、アンジュは呆気に取られていた顔に憮然としたものを浮かべ、どこか睨む。その様子にサラマンディーネの背中で控えるナーガが顔を渋くする。

 

そんな様子に苦笑しながら、サラマンディーネはセラを見やり、穏やかに笑う。

 

「昨夜はとても有意義な時間を過ごせました、感謝を」

 

嫌味だろうか―――サラマンディーネの言葉に思わずそんな考えが過ぎる。だが、アンジュは意味が分からずに戸惑う。

 

「セラ、昨夜何かあったの?」

 

思い当たる節がなく、首を傾げるアンジュに答えるより早く、サラマンディーネが口を挟んだ。

 

「ええ、昨夜は二人で星を見ながら語り合いました」

 

どこか優越感を見せるように笑うサラマンディーネにアンジュの眉が吊り上り、セラは内心で嘆息する。間違っていない――間違ってはいないのだが、どうにも言い回しがおかしい。

 

その証拠にアンジュはセラを非難するように見やり、『事情を説明しろ』とばかりに睨んでいる。面倒くさい――サラマンディーネをジト眼で睨みながら嘆息する。

 

「別に、少し眠れなくて一人で居た時にただ勝手に絡んできただけだから」

 

ウンザリ気味に肩を竦めるも、アンジュは不審そうに見たままだ。その様子に小さく嘆息し、セラはさっさと話を進めるべく、改めて問い掛けた。

 

「それで、何の用?」

 

「朝食の準備ができましたので、呼びに来たのです――昨夜は召し上がられていないようですので」

 

その言葉に、アンジュの腹が思わず音を上げて反応し、アンジュは慌ててお腹を抱えて背中を向ける。悲しいかな、この世界に来てからロクに食事を摂っていなかっただけに、身体は正直に反応してしまった。

 

「そうね、この際だし食べれればなんでもいいわ」

 

空腹は最大の調味料というが、腐化した保存食などではなく、まともな食事にありつきたい。それは偽らざる本音だ。

 

「ま、それもあなたのせいでもあるんだけどね」

 

そもそも、アンジュ救出から始まり、ここ数週間ほどはロクな食事を摂った覚えがない。アルゼナルに戻ってすぐに食料庫は吹き飛ばされた。それをしたのは、この眼前の女なのだが――当のサラマンディーネは悪びれることもなく、優雅に微笑むだけだ。

 

「はい、それではタスク殿を迎えに行ったリーファと合流してから食堂へ案内―――」

 

刹那、サラマンディーネの言葉を遮るように大きな音が外から響き、思わず動きを止める。音は向かいの部屋――すなわちタスクが充てがわれた部屋だ。

 

何事と、サラマンディーネらだけでなく、セラやアンジュも部屋を飛び出し、向かいの部屋へと飛び込んだ。

 

「タスク! 今の音、な、に……」

 

開かれていたドアから部屋に入ったアンジュは眼前の光景に絶句し、同じく部屋へと飛び込んだサラマンディーネは一瞬眼を丸くするも、すぐに感心したように声を上げる。

 

「まあ、リーファもう交尾に入ったのですね。あなたにしては積極的ですね」

 

その言葉通り、今の二人の状態はリーファが仰向けに座り込み、タスクがその上に覆いかぶさるようになっている。倒れた際の拍子か、リーファの服の胸元が肌蹴ており、その寸前にタスクの顔が寄っているところから、先程の音は転んだもので、その拍子にタスクがリーファの胸にダイブしたというところだろう。

 

慌てて顔を上げて真っ赤に固まったところに自分達が飛び込んだ―――大筋はそんなところだろう。

 

「――そういった行為に及びたいんだったら、せめて静かにやってよね」

 

セラは『興味ない+呆れてものも言えない』とばかりに早々に退出し、アンジュはワナワナと震えている。

 

「あ、いや! これは、その――!」

 

その様子にタスクがようやく我に返り、慌てて弁解するも、顔を上げたアンジュは修羅のような憤怒を纏い、拳を握りしめた。

 

「この、エロのドクズがぁぁぁぁぁっっ!!」

 

「ぶべらっ!!!」

 

光速の拳がタスクの顔を抉り、潰れた声を上げたタスクが天井に舞った。

 

 

 

 

 

 

朝の騒ぎを他所にセラやアンジュはサラマンディーネに連れられ、食堂へと案内された。人の気配はなかったものの、一角に座るヴィヴィアンを見つける。

 

ヴィヴィアンは母親のラミアと共に朝食を摂っており、茶碗のご飯を掻き込みながら嬉しそうにしている。すぐに食べ切り、頬にご飯粒をつけたままおかわりをねだり、その様子にラミアは苦笑しながらおかわりを近くの御櫃からよそっている。

 

食事に夢中になる様子はどこから見ても親子のやり取りだろう。とはいえ、母親と過ごした記憶のないセラにはそれが正しいのかは分からなかったが、ヴィヴィアンが屈託なく笑っている姿は見ていて微笑ましくなる。

 

「お、おはようさ~ん! セラ、アンジュ~!」

 

二人に気づいたヴィヴィアンが手を振り、振り向いたラミアもサラマンディーネに向かって会釈する。

 

「昨日はよく眠れましたか?」

 

「それが、朝まで『ミィ』とお喋りしていまして」

 

「だから寝不足~」

 

苦笑するラミアにヴィヴィアンが両頬を抱えて寝不足をアピールする。とはいえ、それが親子の空白の時間を埋めるものであったのなら、大切なものだろう。

 

「そうですか、それはなによりです。さ、私達も食事にしましょう」

 

「え、ああ…そうね」

 

呆気に取られていたアンジュが生返事を返し、セラは無言でサラマンディーネが促す席に着く。すぐ横の座敷のテーブルに用意された食事の前の座布団に腰掛ける。

 

サラマンディーネ達はごく自然に正座をするも、アンジュはどう座っていいのか分からず一瞬戸惑う。セラは気にした素振りもなく、サラマンディーネに倣って正座し、それを見たアンジュもぎこちないながら正座、というよりも膝を広げて座る。

 

そこへ遅れてタスクとリーファが現われた。先程アンジュに殴られ、片眼の回りが青くなっており、肩を落としている。

 

そのままアンジュの横に胡座で座り、睨みつけるとやや落ち込みながら反省してますとばかりに項垂れる。リーファはそんなタスクの横に腰掛け、やや顔を赤くしながら憮然としている。

 

テーブルには、刺身や天ぷら、肉の炙りもの、他にも小鉢が並び、さながら懐石料理の様相を呈していた。

 

「さ、召し上がれ」

 

「そ、それじゃ――いただきます」

 

気を取り直したタスクがテーブルに広がる豪華な朝食に手を伸ばす。まずは刺身の一つを口に含むと、驚いたように眼を剥く。

 

「美味しい!」

 

魚は自分で釣って捌いたこともあるが、それとは比べ物にならない。

 

「お口に合いまして? この朝食はリーファが用意したものです」

 

「あ、姉上!」

 

思わぬ言葉にリーファが照れたように非難するも、微笑し、タスクは感心したように声を上げる。

 

「凄いよ、こんなに料理ができるなんて」

 

「あ、ありがとうございます」

 

称賛されて、恥ずかしそうに俯くリーファに、タスクがさらに言葉を続ける。

 

「ホント、いいお嫁さんに…ぐぼぉっ!」

 

途中で遮るような痛みがタスクを襲う。隣に座っていたアンジュが肘打ちを鳩尾に叩き込んでいた。

 

「なにデレデレしてんのよ、あんたは! 何の疑いもなく口にしちゃって!」

 

ギロリと睨まれるも、タスクは痛みに悶えて呻く。アンジュは警戒をしたまま、ヴィヴィアンの方を一瞥する。母親と楽しそうにしているも、どうにも納得できない。

 

ただでさえ、この世界に来る直前まで家族の裏切りや衝撃的な事実を知らされ、他に対して猜疑心が拭えないのだ。このドラゴンの接待も、自分達を懐柔するための策ではないかと勘繰ってしまう。

 

アンジュの言わんとしていることにタスクは一瞬戸惑うも、考えすぎではないかと思う。呑気な、と毒づくと先程から静かな隣を見る。

 

「ねえ、セラも―――」

 

振り返ると、セラはアンジュとタスクの諍いなど無視して一人、食事をしていた。茶碗を手に刺身、天ぷら、肉と次々に箸をつけ、口に運ぶと続けてご飯を含み、舌鼓を打っている。

 

「お気に召したようですね、おかわりはいかがですか?」

 

「いただくわ」

 

空になった茶碗を受け取り、サラマンディーネが御櫃からよそい、差し出すとすぐに食事を再開する。瞬く間に減っていく料理に呆気に取られるアンジュ。

 

「ちょ、ちょっと! セラ!」

 

ようやく我に返り、思わず詰め寄るも、セラは味噌汁を啜り、一息つく。

 

「なに?」

 

「毒でも入ってたらどうするのよ!?」

 

横眼で問い掛けるセラにアンジュが声を荒げるも、昨日も同じことを聞いたなとため息をつく。

 

「だから言ったでしょ――殺すつもりならとっくにされてるって。それより、せっかく用意してくれたんだし、食べなきゃもったいないわよ」

 

にべもなく一蹴し、セラは食事を再開する。呆然となるアンジュを横に、セラは止めることなく食事を続け、それを見ていたサラマンディーネもクスリと笑う。

 

「本当にお気に召したのですね」

 

「ええ、こんなに美味しいのは初めてね」

 

アルゼナルで育ったセラはお世辞にも美味しいとは言えない食事で過ごしてきた。そのため、初めて口にする味付けに、今まであまり感じなかった味覚を大いに刺激され、自然と箸も早くなっていた。

 

その様子を呆気に取られたまま見ていたアンジュのお腹が鳴り、我に返ると顔が赤くなる。アンジュもロクな食事をしていなかったため、セラの様子に大いに食欲を刺激され、身体が反応してしまった。

 

「さ、冷めない内に召し上がれ」

 

そんなアンジュを微笑ましく見ながら、サラマンディーネも味噌汁を啜る。その仕草がどこか癪に障るも、空腹には勝てず、アンジュも箸を手に料理に手を伸ばす。

 

一切れ摘むと同時に意を決して口に含み、味を噛み締めると口に広がる感触に眼を瞬く。随分と久方ぶりに味わうような味つけに思わず頬が緩む。

 

ふと気づくと、サラマンディーネがニコニコと見ており、どうにも誘導されているようで気に喰わないのだが、アンジュも空腹の誘惑に勝てず、食事を始めた。

 

 

 

 

奇妙な朝食を終え、一行は神殿前の広場に出ていた。そこでラミアがヴィヴィアンを家に連れて帰りたいとサラマンディーネに申し出た。

 

サラマンディーネがそれを快諾すると、ラミアは翼を広げ、ヴィヴィアンを抱え上げる。

 

「ってことで、ちょっくら行ってくるねー!」

 

抱き抱えられながら嬉しそうに笑い、二人は飛び去っていく。

 

「親子水入らずか――」

 

その微笑ましい姿にタスクはどこか羨ましげに呟く。

 

「―――父親に会わせる、って言ってたわよね?」

 

不意に呟いたアンジュの言葉に反応し、振り向くとアンジュはどこか眉を難しそうに顰めている。

 

「父親ってことは――『男』ってことよね?」

 

常識的に考えてもそれ以外にはあり得ないのだが―――だが、この世界には人間体の『男』はいない。

 

「この場合は『雄』なんじゃないの?」

 

セラが身も蓋もない言葉で応じると、脳裏に大型のドラゴンが浮かび上がる。『あの』ヴィヴィアンの父親――いったいどんなドラゴンなのだろうか―――興味をそそられない訳ではなかったが、今はなにより自分達のことだ。

 

アンジュは苛立ちを隠せないように唇を噛む。元々、物事がモヤモヤした状態が好きではないだけに、この状況はフラストレーションを溜め込んでいた。ハッキリさせなければ、この苛立ちは収まりそうにない。

 

意を決すると、厳しげな面持ちでサラマンディーネを見やった。

 

「で――?」

 

「はい?」

 

唐突に掛けられた声にサラマンディーネが振り返るも、そのあくまで惚ける態度に憮然と口を開く。

 

「茶番はもう充分よ、あなたの目的は何? 私達をどうするつもり?」

 

トゲのある口調で問い掛けると、サラマンディーネは一瞬考え込むも、すぐに穏やかに笑いながら応えた。

 

「腹が減っては戦はできぬと申します、お腹はいっぱいになりましたか?」

 

「ええ、食事に文句はなかったわ」

 

軽口で応じながら肩を竦める。セラはあの後もおかわりし、通算で茶碗4杯分食していた。アンジュも久方ぶりに味わった美食に抗えず、おかわりしてしまい、不覚と頭を抱えている。

 

その様子に満足し、サラマンディーネはどこか含んだ笑みを浮かべる。

 

「では、参りましょう―――」

 

不敵に笑いながら告げるサラマンディーネに眉を顰めるも、それに反論することはなかった。

 

その後、サラマンディーネの案内でセラ達は都の外れにある絶壁に建っている巨大なビルの中へと案内された。外壁はまだ修復中なのか、所々に工事の足場が築かれている。

 

それより眼を引いたのは真四角の建物の屋上に立っている巨大な棒状のタワーと巨大な球体のオブジェだ。いったい何なのか、訳が分からないまま屋内へと案内されたセラ達は入口のエントランスに入った。

 

「何、ここ?」

 

受付のカウンターを前に壁面には各階や屋外の施設と思しき場所をモニタリングできるモニターが複数備えられている。

 

初めて見る施設にアンジュが戸惑いながら疑問を口にすると、サラマンディーネは不敵に応じた。

 

「古代の『げーせん』という競技場ですわ。かつては多くの武士(もののふ)達が集い、強さを競い合ったそうです」

 

自信満々に答えるサラマンディーネだったが、セラはその口から出た言葉の意味に気づき、内心で脱力する。

 

(激しく違ってるわよ――……こういう奴なのね)

 

サラマンディーネが口にした『げーせん』――もとい、『ゲーセン』とは、遊戯施設のことだ。ジャスミンがジャスミンモールのゲーム機器が置いていた一角を確かそう呼んでいた。

 

それに、施設を見てもとてもではないが、サラマンディーネの言うような物騒な施設には見えない。何をどう調べて勘違いしたのかは知らないが、これまでの超然とした印象が思わずひっくり返りそうだ。呆れ気味に額を押さえそうになるセラを横に、その名称も場所も知らないアンジュやタスクはサラマンディーネの言葉にすっかり圧倒されている。

 

「まさか、500年前の施設!? 完璧な保存状態じゃないか――」

 

「姫様自ら復元されたのだ。サラマンディーネ様はその頭脳をもって、旧世界の文献を研究し、様々な遺物を現代に甦らせておられる」

 

興味津々に、そして驚嘆する様子にナーガが本人よりも自慢気に語り、そして褒め称える。感心するタスクとは別に、セラはますます頭が痛くなる。

 

(随分解釈に誤解があるみたいだけど……)

 

いったいどんな解釈をしたのか――なにか、妙に恍惚とした表情を浮かべているが、アンジュ達は気づかす、そしてナーガはさらに言葉を続ける。

 

「我々の龍神器も、原型はサラマンディーネ様が……うあっ」

 

語っていたナーガが突然横に居たカナメに脇腹を叩かれ、思考を中断される。呻くナーガをジト眼で睨み、リーファが小さく嘆息する。

 

「ナーガ、それは機密事項です」

 

「あ、そうだった―ごめんなさい」

 

シュンと落ち込むナーガだが、正直どうでもよく、セラはこれ以上頭痛が酷くなる前に本題を切り出した。

 

「それで―――私達をここに連れてきて、どうするつもり? あなたの言葉を借りるなら、ここで古代の決闘を再現しろとでも言うつもり?」

 

皮肉気味に問い掛けると、サラマンディーネは一瞬逡巡するも、やがて凛とした面持ちで見つめ返す。

 

「単刀直入に言いましょう――私達と、共に戦ってほしいのです」

 

「はあ?」

 

サラマンディーネの言葉にセラは表情を変えず無言で聞き入り、アンジュは思わず困惑の声を漏らす。

 

「私達の目的は、アウラを奪還し、失われた調和と安定を取り戻すこと。アウラを奪い、私達の仲間を殺し、あなた達を戦わせているすべての元凶は、エンブリヲです」

 

出された名に息を呑む。

 

「彼の者を打倒すれば、戦いは終わる。私達はアウラを、あなた達は自由を―――目的は違えど、倒すべき相手が同じなら協力できる……そうは思いませんか?」

 

敵の敵は味方―――とでも言うつもりだろうか。もっとも、セラにしてみれば予想できたことだ。だが、アンジュは意外だったのか、一瞬ポカンとなる。

 

訴えるように真剣な面持ちで語るサラマンディーネだったが、アンジュの顔はやがて嘲るような笑みを浮かべる。

 

「フフフ…あははは」

 

突然アンジュが笑い出し、呆気に取られるタスクがアンジュを見やる。

 

「アンジュ?」

 

だが、タスクの呼び掛けにも応じず、乾いた笑みを浮かべていたアンジュの顔がみるみる険しくなる。

 

「な~んだ、そう言う事…結局あなたも、私達を利用したいだけなんだ――戦力として!」

 

キッと睨みつけるアンジュにサラマンディーネは口を噤むも、表情に変化はない。そのすました様な態度がますます癪に障り、アンジュはさらに侮蔑するように言葉を投げつける。

 

「知って欲しかっただの、分かり合いたかっただの、良い人ぶっていたのも全部打算だったんじゃない!」

 

そこに込められるのは微かな失望だった。結局、この女も一緒かと――ジル達と同じ、自分やセラを利用したいだけの卑劣漢だ。

 

怒りに震えるアンジュの言葉に、サラマンディーネは無言で聞き入っていたが、やがて不敵な笑みを浮かばせて返す。

 

「その通りです、あなた達はそれなりの利用価値がありますから」

 

まさか肯定されるとは思っていなかったのか、アンジュが一瞬言葉を失うも、セラは逆に肩を竦め苦笑する。

 

「随分ハッキリ言ってくれるわね―――」

 

下手におべっかや誤魔化すよりもいっそ清々しい―――だが、アンジュは悔しげに歯噛みし、怒鳴り返す。

 

「ふざけるな! 私達はもう……!」

 

「もう…誰かに利用されるのはウンザリ――ですか?」

 

嫌な女だと改めて思った―――ジルやサリアとはまた違ったベクトルで気に喰わない相手だ。だが、サラマンディーネの言う通り、もう勝手な都合で振り回されるのだけはウンザリだ。悔しげに拳を握りしめる。唇を噛むアンジュを一瞥したセラは小さく息を吐くと、一歩前に出る。

 

その行動にアンジュの注意が向き、サラマンディーネもセラへと視線を移す。

 

「前にも言ったと思うけど、回りくどいことは好かないタチなの―――ハッキリ言えばいい、共に戦うじゃなくて、部下になれってね。もっとも、素直に従うつもりはないけど」

 

言葉を飾ったところで、サラマンディーネの思惑は自分達を指揮下に置くこと―――単純な協力者にすれば、周囲からも要らぬ疑心暗鬼を煽る。

 

なら、部下に据えて御し、自軍の戦力にあわよくば取り込むこと。

 

眼を細めて睨むセラにサラマンディーネは些かも動揺を見せず、逆に予想通りとばかりに笑みを浮かべた。

 

「そう仰ると思いまして此処へお連れしたのです――勝負をしませんか?」

 

「勝負?」

 

唐突な言葉に思わず反芻する。

 

「はい、あなた達の未来を賭けて―――私が勝った暁には、あなた方…いえ、皇女セラフィーナ―――あなたは私の所有物となっていただきます」

 

「は?」

 

宣戦布告のような言葉だったが、その内容にセラが眼を白黒させ、アンジュは大きく眼を見開く。

 

「な、なななな何言ってんのよ、このドラゴン女!」

 

青天の霹靂とはまさにこのこと―――憤慨したアンジュが掴みかかるような勢いでサラマンディーネに吼える。だが、そんな怒りなどどこ吹く風とばかりにセラを凝視する。

 

「私は、あなたが気に入りました。そしてなによりも『永劫の天使』の乗り手―――無論、あなた方が勝てば、自由にいたしましょう。いえ、あちらの世界に戻る方法もお教えしましょう」

 

余程自信があるのか、そう告げるサラマンディーネの言葉にアンジュは息を呑む。今の自分達がもっとも欲している情報だからだ。

 

だが、それでもセラを狙っていると聞かされれば心穏やかではいられない。視線がセラに向くと、セラは緊迫感を見せない、逆に相手を捌くような態度で肩を竦めた。

 

「随分買ってくれてるわね――そこまで言われて、逃げたら女が廃るわね。いいわ…その勝負、受けてあげる」

 

不敵に笑いながらそう返すも、サラマンディーネではなくアンジュが驚きの声を上げる。

 

「セラ、あなた何言って――!」

 

「けど、私は安くはないわよ――ドラゴンのお姫様?」

 

アンジュの咎めも無視して、さらに意趣返しも込めて挑発するように口端を吊り上げる。

 

「例え何であろうと、自分の道は自分で切り拓く―――それが私の生き方よ」

 

アンジュに向かってそう告げると、視線を気まずげに逸らす。ここで拒否をするのは簡単だ――だが、それはまたもセラにすべて委ねてしまうということ。

 

己の不甲斐なさをまた出してしまいそうになり、アンジュも腹を括る。

 

「どうするかは自分で決める…か、良いわ! やってやろうじゃないの!」

 

アンジュが決然と叫ぶと、セラは小さく微笑し、サラマンディーネも小さく鼻を鳴らす。

 

「そう来なくては…!」

 

受諾とばかりに不敵な笑みを浮かべたまま応じ、アンジュは睨みつけ、セラは同じような笑みで返した。




前回から大分遅れてしまいました。
セラとサラマンディーネの会話が妙に盛り上がり、本当なら勝負のシーンまで行きたかったのですが、今回はここで終了です。

これが今年最後の投稿になります。
仕事が忙しくなっているので、春まではあまり時間が取れず執筆が滞るかもしれませんが、引き続き応援していただければ幸いです。

それでは。よい御年を。

次に書くのはどれがいいですか?

  • クロスアンジュだよ
  • BLOOD-Cによろしく
  • 今更ながらのプリキュアの続き

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。