クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 紫銀の月   作:MIDNIGHT

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姉妹の夜想曲

アンジュがヴィヴィアンと周囲の探索に出たものの、結果は芳しくなかった。

 

行けども行けども見えるのは廃墟のみ。だが、あまり遠くに行き過ぎてしまうと今度は自分達が迷子になるため、迂闊に捜索範囲を拡げる訳にもいかなかった。

 

結局、何も目新しいものは見つからず、アンジュは苛立ちを募らせながら戻るしかなかった。アンジュが戻ると、セラはヴィルキスの整備を行っていた。

 

シェルターに残っていた僅かな工具類を手に応急処置でも施そうとしていた。戦闘どころか飛ばすことも難しいが、それでも自分で歩けるようにまで修理できれば、機体を移動させることができる。

 

アンジュ達が戻ってきたことに気づき、振り向くとヴィヴィアンは疲れた面持ちで地面に落ち、身体を横たえる。長時間の飛行で疲労が出たのか、そのまま寝込むヴィヴィアンにアンジュは声を荒げる。

 

「起きてよ、ヴィヴィアン! まだ北側に行ってないわ! 起きなさい!」

 

怒鳴るアンジュの口調も余裕がなく、顔は焦燥感に満ちている。アンジュはとにかく何か確信が欲しかった。ここが現実ではないという証拠、モモカ達が生きているという根拠が――そんなアンジュの様子にセラは小さく嘆息し、無言で近づいて肩を叩く。

 

「無理をさせすぎよ、少し休ませてあげなさい。アンジュ、あなたも」

 

振り向くアンジュは、長時間、気を張っていたせいか疲労を隠せず、また眼の下にクマができている。だがそれでも、その眼は殺気立つように苛立っている。

 

「休んでどうしろって言うの? こんな訳の分からない場所に居ろって言うの?」

 

あのシェルターで告げられた現実と事実が、アンジュを苛立たせる。

 

「タスクだって何処にいるか分かんないし、モモカ達だってどうなったのか――」

 

苛立ちがどんどん大きくなっているのか、アンジュは声を荒げる。元の世界に戻れるか、モモカ達は無事なのか、なにより今の自分達がいる世界の絶望が、冷静な判断を奪い、憤りを募らせる。

 

「少なくとも、闇雲に行動したって何も変わらないわ。それに、もう少しこの世界のこと――」

 

「いつもそうね」

 

セラの言葉を遮るようにアンジュが被せ、セラは戸惑う。

 

「いつもそう――いつだって取り乱したりせず、一人で考え込んでる。一人で勝手に決めて、一人で勝手に傷ついて、一人で勝手に遠くに行こうとする! ええ、そうよね! こんなに我が儘で自分勝手な姉じゃ、そうなるわよね!」

 

焦燥感と苛立ちが、『姉妹』であるという事実にアンジュは思わずそう叫んだ。

 

ジュリオのことも、勝手に背負い込んで、一人で始末をつけようとした。元々の原因は自分にあるというのに、それが悔しくて、歯痒くて、情けなくて――感情の赴くままに声を荒げるアンジュが肩で息をする。それに対して、セラは背を向ける。

 

「当然でしょ、私はずっと一人だったんだから」

 

背中越しに告げられた言葉にアンジュがハッとする。

 

「物心ついた時には、ノーマのクソみたいな生き方しか教えられなかった。気に喰わなかったわ、そんな現実が」

 

だから、抗ってやると決めた―――人間のためなどではない。『生きる』ために戦うと、誰にも頼らず、自分一人でノーマの運命に抗ってやると。

 

その言葉にアンジュはどこか気まずげに俯く。思わず感情が暴発してしまい、忘れていたが、セラは生まれてすぐにアルゼナルに送られたのだ。いつ死ぬかも分からないような現実に晒される一方で、アンジュはそんな事も知らず生きてきた。

 

双子の姉妹――そんな現実を突きつけられて戸惑っているのはアンジュだけではないのだ。今更ながらそんな事に気づき、アンジュは心が重くなる。

 

「だけどアンジュ――この世界は、あなたが望んだ世界でもあるのよ」

 

唐突に掛けられた言葉に意識が引き戻され、同時にその意図が分からずに戸惑う。

 

「な、何よ、どうして私がこんな世界を――」

 

「――――壊したかったんでしょ、世界を」

 

上擦った口調で否定するアンジュに、セラの言葉が突きつけられる。あの晩――アンジュは確かにそう思ったのだ。

 

自身を辱め、そして傷つける世界を壊してやりたいと―――その事実を思い出し、アンジュは喉が枯れるように声が出なくなり、動悸が激しくなる。

 

「ち、ちが――っ」

 

無意識に否定しようとするが、セラは厳しい視線で見返す。

 

「何が違うの? 世界を壊すっていうのは、今までのものをすべて無かったことにすることなのよ」

 

それは単なる受け取り方の問題かもしれない。だが、それだけの事をなすなら、結果はどうなるかは分からない。単なる戯言で終わるかもしれない。より最悪な結果を齎すかもしれない。

 

破壊の後に残るのは『無』だ――本気でそれを望むのなら、それを背負う覚悟が必要だ。アルゼナルでそれを嫌というほど見てきたセラは、どこか沈痛な面持ちで視線を逸らす。

 

「突然こんな訳の分かんない世界に放り出されて、何も分からなくて――! だけど、喚いたって何も変わらないわ!」

 

不満を口にするだけで何とかできるなら、いくらでもしてやる――だが、そんな事をしても無意味だ。

 

「だけど、私達はまだ『生きて』いる! だったら、生きるために今できることをやるべきでしょ!」

 

声を荒らげてそう叫ぶセラにアンジュは気圧され、思わず後ずさる。肩で息をしていたが、セラは小さく嘆息すると、再び背を向ける。

 

「少し頭を冷やした方がいいわね、お互い―――」

 

どこか硬い声で自嘲気味に呟き、セラはそのまま無言でこの場から去って行く。アンジュは思わず引き留めようとしたが、上手い言葉が見つからず、伸ばしかけた手を力なく下げ、言葉が喉に呑み込まれた。

 

取り残されたアンジュは、己の言い放った言葉の意味を噛み締め、後悔するのだった。激情に任せて思わず苛立ちを口にしてしまい、己の直情的な性格に自己嫌悪する。

 

同時に、セラの言葉とまだほんの数日前だというのに、もう随分昔のように感じる己の言った言葉の意味を噛み締めるのだった。

 

 

 

 

 

 

夜が明け、どんなに絶望した世界にでも陽が昇る。それだけが唯一の救いであり、慰めかもしれない。昨夜の喧嘩とも言えない、だがそれでもお互いに気まずい雰囲気のまま疲労が出たのか、それぞれ離れた場所で眠りにつき、先程眼を覚ましたアンジュは顔全体に不安を浮かべていた。

 

だがそれでも、相手を探さずにはいられない。視線を動かすと、先に起きていたのかセラはヴィルキスの破損箇所の修理を行っていた。

 

シェルターから持ち出した工具で可能な限り修理しようと無言で手を動かしている。向ける背中がどこか拒絶しているように見え、アンジュは声を掛けることもできない。

 

ヴィヴィアンはまだ疲れているのか、ぐっすりと眠りこけており、その図太さがこの時ばかりは羨ましくなった。

 

視線を彷徨わせ、不意に昨日の焚き火の跡の傍に焼却殺菌した非常食と僅かばかりの水が置かれていた。それを見た瞬間、お腹が空腹を知らせ、アンジュは己の身体を恨めしく思う。

 

昨夜、あんな風に気まずい雰囲気を作っておきながら、それでも食事をしていないことを気に掛けて用意してくれていたことに情けなくなるも、空腹には勝てず、アンジュはそれに手を伸ばし、もぞもぞと齧り付くも、顔を顰める。

 

焼いたとはいえ、まだ酸っぱさが残っているのか、口にするのも拒否したくなるほどの味だが、背に腹は変えられず、無理矢理口の中に押し込み、水で押し流した。

 

顔全体を苦く染める。コレに比べたらあのアルゼナルのノーマ飯でも十分ご馳走だ。別の意味で気分が優れなくなるも、アンジュは無言でその場を離れる。

 

今は、セラと話すどころか向かい合う勇気もなかった。いくら気が立っていたとはいえ、八つ当たりのように不満を口にしてしまったと、アンジュ自身にも自覚はあったし、セラはそんな自分を気遣ってくれていただけだ。最終的に口論みたいな形になったとしても、この場合謝るべきはアンジュの方だろう。

 

だが、こういう場合どう謝ればいいのか分からない。あんな形で袂は分かったが、ジュリオやシルヴィアとも喧嘩らしい喧嘩をした覚えもなく、そもそも今までもアンジュは喧嘩をして仲直りをしたという経験がない。

 

アルゼナルに来た初めは、セラに助けられて礼を伝えたことはあったが、このような状態になったのは初めてだ。

 

なにより、最後に見せたあのセラの表情が忘れられない―――アンジュ自身、セラは弱さなんて持っていないと思っていた。だがそれは違う――彼女だって傷つくし、不安だって持つだろう。だが、それを口にすることを、見せることができたのはナオミぐらいだった。

 

そんなセラが初めてアンジュに見せた激情――自分を完全に拒絶してしまったのかと、不安が押し寄せ、怖くて声も掛けられなかった。

 

そう考えるとどんどん悪い方向に思考が流れていく。

 

もしかしたら、本気で自分のことを嫌ってしまったのか、もう二度と口を利いてくれないかもしれない――自分とは顔を合わせるのも嫌かもしれない―――次々と浮かぶ不安に、心が騒ぎ、気持ちが落ち着かない。

 

「ホント――頼りにならない役立たずの姉ね……」

 

自虐気味に昨夜の己の言葉を反芻する。

 

みっともなく取り乱して八つ当たりをして、自分に何もできない状況がもどかしくて―――アンジュなら、見捨てても当然だろうと自分でも思う。

 

自虐しながら、アンジュは心の重苦しさから逃げるようにその場を離れるしかできなかった。なんて事はない――ただ謝ればいいだけだ。それだけの事なのに、アンジュは踏み出せずにいた。

 

謝っても赦してくれなかったらどうしよう――そんな不安が過ぎり、声を掛けることもできなかった。アンジュにとってセラの存在が大きなものであるという事を、痛感していた。

 

アンジュはアテもなく、崩壊した街をただ歩いていた。なんとはなしに視線を走らせると、高層ビルの地上階にはガラス張りに服を着せられたマネキンや、割れたモニター画面が残っている。

 

人が消え、ただ朽ちていく様を無情に晒す光景にアンジュの心持ちはますます沈んでいく。

 

視線だけが動くなか、ふと眼に留まったモノに足を止めた。崩れた瓦礫の前に無造作に転がる一つのぬいぐるみ――無意識に近づき、そのぬいぐるみを持ち上げる。

 

永く風雨に晒され、草臥れてはいたが、それでも子供の心を安らかにさせるものだった。この持ち主はどうしたのだろうか――不意にそんな事を考えたが、無意味だった。

 

例え、生き延びられたとしてもあのシェルターの有様を見た後では、儚い希望でしかない。アンジュはぬぐるいみをその場に下ろし、どこか祈るような面持ちでその場を離れた。

 

どれだけ歩いただろうか――延々と続く廃墟のなか、アンジュはセラの言葉を反芻させていた。

 

『生きる』ために――それが、アルゼナルで育ったセラの信念なのだろう。生命の本能であり、譲れないものだ。セラも決して元の世界に帰ることを諦めているわけではない。だが、そのためにもまずは生き延びなければならない。

 

だからこそ、セラはアンジュの行動を咎めたわけではない。ただ、無為に動くなと――考えれば考えるほど、アンジュの落ち度が目立つ。改めて自己嫌悪し、どうすればセラに謝れるか再び考え出した。

 

「どうしたらいいのよ――」

 

重くため息をこぼし、アンジュが立ち止まる。考え込みながら不意に顔を上げると、そこは開けた場所だった。元は整備された道だったのだろうが、今は所々窪みができ、荒れ果てている。その道の先に見えた建物を確認すると、アンジュは小さく眼を見張った。

 

「アレって―――」

 

眼前に見える建物は、ミスルギ皇国で見たモノと似ていた。アンジュは自然とその施設へと足を踏み入れていた。

 

それから暫くして後―――アンジュは施設を飛び出し、どこか逸りながら、それでも弾んだような面持ちで元の場所へと戻っていた。

 

もしかしたらセラに謝れるキッカケになるかもしれない―――そう考えると、先程までの沈痛な面持ちは消えていた。無論不安はまだあるが、それでもそうアンジュに決意させるだけのものだった。

 

息を切らしながら元の場所に戻り、呼吸を整えながらセラの姿を探す。

 

「セラ? どこ……」

 

ヴィルキスに歩み寄るも、セラの姿はなく、アンジュは不安な面持ちのまま周囲を探すも、セラの姿はない。アイオーンは置いたままであることから、一人で離れた訳ではない。アンジュはまだ寝ているヴィヴィアンに近づき、声を掛ける。

 

「ヴィヴィアン、セラを知らない?」

 

「キュイ?」

 

寝ぼけ眼で顔を上げるも、状況を理解していないのか上の空で応える。小さく悪態をつき、アンジュは不安な面持ちで顔を俯かせる。

 

せっかく、謝れると思ったのに――本当に自分を置いていってしまったのか………恐怖にも似た感情を必死に抑えるように、アンジュは胸の前で強く手を握った。

 

 

 

 

 

その頃――セラは一人、再びあのシェルターを訪れていた。エントランスに辿り着くと、中央のモニターを見上げる。

 

「コンピューター、質問」

 

抑揚のない声で問い掛けると、それに応じてモニターに擬似投影された女性の映像が映し出される。

 

【管理コンピューター・ひわまりです。ご質問をどうぞ】

 

「もう一度見せて、大戦の映像を」

 

【質問、受け付けました。映像を再生します】

 

エントランスホールが暗闇に包まれ、空間に映像が再生される。繰り広げられる戦争の映像を凝視しながら、セラは思考を巡らせていた。

 

どうしても確認しなければならないことがあるからだ。

 

やがて、映像は終盤に差し掛かり、あの謎の紫黒のパラメイルと6体のヴィルキスが映し出される。

 

「止めて!」

 

その指示に応じ、映像がストップする。

 

「中央のラグナメイルの映像を拡大して」

 

映像がズームアップされ、紫黒のパラメイルが拡大化される。あまり明瞭な映像ではないため、拡大することで解像度が粗くなり、ややぼやけたものに変わるも、セラは『それ』に気づいた。

 

あのパラメイルの傍に人らしき陰が映っている。ハッキリとした顔は分からないが、容貌から『あの男』であると確信する。となれば、世界をこんな様に変えたのはあの男なのだろうか。

 

セラは思考を巡らせながら顔を上げる。

 

「次の質問、『ラグナメイル』という兵器に関して識っていることをすべて」

 

【『ラグナメイル』――統合経済連合が投入した対ドラグニウム炉心の絶対兵器。それ以上のデータはありません。製作者、製造年月日、機体データ等は当方のメモリーには記録されておりません】

 

期待していたわけではないが、それでも落胆は隠せなかった。結局、謎は分からないまま――だが、あの『エンブリヲ』という男が関わっているということだけは確信ができた。

 

それに、初めて聞く単語も混ざっている。

 

「『ドラグニウム』ってのは何?」

 

最初に見た時も発せられたキーワードだ。だが、少なくともセラの中で何かが引っ掛かるものだ。

 

【『ドラグニウム』――大戦より以前に地球に齎された新エネルギー。従来のエネルギーと異なり、僅かな生成量で莫大なエネルギーを生み出す新炉心として地球上に普及。この管理のために制御タワーが世界各地に建造されました】

 

映像が切り替わり、世界中に建造されていくタワーが映る。

 

「暁ノ御柱―――」

 

建造されているタワーは間違いなく『暁ノ御柱』だ。だが、それは世界各地に建てられている。なら、この上の廃墟に在ったモノもその内の一つだろう。

 

【ですが、ドラグニウムには欠陥がありました】

 

「欠陥?」

 

続けて映し出されるのは、何かの化学式だった。

 

【ドラグニウムを構成する原子・分子、その他の生成物は強力な汚染物質を含んでいます。制御タワーが崩壊した場合、半径数十キロに渡って汚染物質が飛散し、汚染された地域での生存は困難になります】

 

穏やかではない説明に、セラは考え込む。映像の中、大戦の終わりにそのドラグニウムが全世界に四散した。なら、地上の他の地域も惨状は同じということだろう。

 

逡巡するセラに対し、コンピューターが次の行動を促した。

 

【他に質問はございませんか?】

 

考え込むセラは、一瞬瞑目すると顔を上げた。

 

「最後の質問――『ミスルギ皇国』、『アルゼナル』、『マナ』、『エンブリヲ』―――今の言葉で該当するものはある?」

 

【検索中――該当データはありません】

 

その言葉で確信した。

 

ここは…『この世界』は―――――その確証を得ると、セラは顔を上げる。

 

「ありがと、もういいわ」

 

【他に質問はございませんか?】

 

訊き返すコンピューターにセラは淡々と告げた。

 

「もういいわ――500年、お疲れ様。もう休んでいいわよ」

 

それは、生きる者も訪れる者もとうにいなくなった世界でただただ存在し続けたことへのせめてもの敬意だった。コンピューターのようなものに哀れみなどないかもしれないが。

 

【分かりました。これにて、当コンピューター『ひまわり』はスリープモードに入ります。また必要な時にはお呼びください。快適な生活を】

 

プツリとモニターが途切れ、静寂が満ちる。セラはそれを見送ると、踵を返した。

 

シェルターを出た頃には、既に陽は西に沈みかけていた。この分では、戻る頃にはもう暗くなっているだろう。歩き出しながら、セラは先程の得た情報から確信したものをどうアンジュに伝えるべきかを悩みながら、元の場所に戻っていった。

 

(『ドラグニウム』―――私は、それを『識って』いた……)

 

最初にそれを聞いた時はハッキリしなかった。だが、時間の経過と同時に不意に浮かび上がった。そして、ある共通点も。

 

(『マナ』と似ている―――なにより、『ドラゴン』の力と)

 

未だ、その正体がハッキリしない『マナ』――無限に現れるエネルギーなど存在しない。必ずどこかに発生させるための要因がある。ドラグニウムを制御するためのタワーとマナを制御するための暁ノ御柱――なにより、マナのあの特性はドラゴンが使用する魔法陣やエネルギー生成に酷似している。

 

考え込みながら元の場所に戻ると、既に夜の帳が包んでいた。戻るも灯りは見えず、やや怪訝そうに近づくと、焚き火は起こしておらず、アンジュを探すと、アイオーンの傍で蹲っていた。

 

徐に嘆息して近づくと、セラはアンジュが顔を顰めて眠っているのに気づいた。顔を近づけると、小さな寝言が聞こえる。

 

「セラ――行かないで……」

 

か細い声で漏らす言葉にセラは驚き、肩を揺する。

 

「アンジュ」

 

「う、うん……セラ……?」

 

寝ぼけ眼で見上げるアンジュに肩を竦める。

 

「風邪ひくわよ」

 

やや悪態をつくと、ようやく意識が覚醒したアンジュはセラに抱きついた。

 

「何処行ってたのよ、心配したんだから!」

 

手に力を込めながら咎める。また一人で遠くに行ってしまったのではないか――その不安が大きくなっていただけに、アンジュの声は震えていた。

 

「少し野暮用――悪かったわね」

 

困ったように苦笑しながら背中を叩く。ようやく落ち着いたのか、アンジュが離れると、顔を強ばらせながら逡巡していたが、やがて意を決して口を開く。

 

「セラ――その、ごめん!」

 

勢いよく頭を下げて叫ぶように告げるアンジュに眼を白黒させる。

 

「どうしたの?」

 

「私、気が立ってて――セラは、私のこと心配してくれてたのに、あんな事言っちゃって……」

 

一瞬、呆気に取られたセラに辿たどしく視線を彷徨わせながら呟く。その様子にセラは思わず失笑する。

 

「な、なによ!」

 

「ゴメン、あまりに意外だったから」

 

ミスルギ皇国に助けに行った時も気持ちが弱っていたが、こうまでしおらしいのも珍しい。なにか、自分の方が姉なのにまるで逆の扱いをされていることにアンジュは不満気だった。

 

「私の方こそ、つい怒鳴っちゃって悪かったわね」

 

口を尖らせるアンジュにそう謝ると、アンジュは釈然とはしなかったものの、小さく息を吐く。

 

「まあいいわ――それよりセラ、少し付き合ってくれない?」

 

その申し出にセラは首を傾げた。有無を言わせずセラの手を取り、アンジュが歩き出し、ますます戸惑うもそのまま引っ張られていく。

 

その様子を見たヴィヴィアンも頭を捻りながら後を付いていった。

 

夜の崩壊した街を歩き、十分ほど歩いただろうか―――アンジュの案内で辿り着いたのは、大きな敷地に佇む一つの建物だった。荒れた通路はかつては訪れる者を歓迎するような造りだったのか、両脇に花壇がある。通路を抜けて近づくと、それは二階建てのドーム型のような建物だ。

 

大きなガラス扉を潜ると、アンジュは周囲を見渡す。だが、さすがに夜ということもあって、通路は暗く道が分からない。

 

困ったように逡巡するアンジュにセラは視線を見渡させ、ある一点に気づく。

 

「ちょっとここにいて」

 

それだけ告げると、戸惑うアンジュを置いて歩き出す。向かう先は、微かに薄く点灯する非常扉のマーク。手探りで目的のものを探していると、それを見つけた。

 

壊れた扉を横にその奥に見えた基盤のレバーを上げた。刹那、それに連動して建物内に灯りが点灯する。

 

驚くアンジュとヴィヴィアンに、セラも内心ガッツポーズをする。

 

「セラ、どうやったの?」

 

驚きに眼を見張りながら訊ねるアンジュにセラは背後の基盤を指差す。

 

「自家発電用の基盤があったわ――よくもまあ無事だったものね」

 

地熱を利用した発電機のようだが、ほとんどの電源が死んでいただけに、非常灯の電源がかろうじて生き残っていたのはまさに奇跡だろう。

 

よく500年も持ったものだと感心する。とはいえ、野宿することを考えれば最高の環境だろう。

 

「お手柄ね、アンジュ」

 

「べ、別に大したことじゃ」

 

称賛すると、照れ臭いのかそっぽを向く。

 

「それより、どうしてここに?」

 

確かに思いもよらぬ発見だが、肝心のここへと連れてきた意図が分からずに訊ねると、アンジュはどこか真剣な面持ちを浮かべる。

 

「こっち、ついて来て」

 

先へと進むアンジュに戸惑いながら後について行く。数分程度歩き、通路を抜けて階段を昇ると、開けたエントランスに入る。すぐ眼前の壁には複数のドアがあり、アンジュは止まることなくその中へと入っていき、セラも無言で続いた。

 

ドアを潜って飛び込んできたのは、薄暗い空間だった。拡く奥行のあるホールは、お椀型のような傾斜があり、その斜面には無数の椅子が固定されて整然となっている。高い天井にある微かな照明が照らし出すその空間は、演奏観賞のためのホールだった。

 

セラは見るのが初めてのものだが、アンジュにとっては馴染み深いものだ。戸惑ったように周囲を見渡すセラにどこか安堵する。

 

「ここはコンサートホールって言うの。ここで、音楽の演奏をして聴いたりするの」

 

「へえ――」

 

正直、アルゼナルには無い習慣であり、知ることなどないものだ。ミスルギ皇国にもこういった施設があり、アンジュもよく両親と利用していた。

 

「で、ここに連れて来てどうしようっての?」

 

施設のことは分かったが、肝心のこの場所に来た意図が未だ分からず問い返すと、アンジュはやや緊張した面持ちで頷く。

 

「う、うん…その――迷惑かけたお詫びに、セラに私の演奏を聴いてほしくて……」

 

歩いていた足が止まると、劇場の舞台が眼前にあり、そのステージには一台のピアノが置かれている。

 

「演奏?」

 

「わ、私にはこれぐらいしかできないから! その、聴いてくれる……?」

 

不安気な眼差しで窺うアンジュに、セラは肩を竦める。

 

「別に嫌じゃない――それじゃ、聴かせてもらおうかしら」

 

微笑しながら、最前列の席に座る。その様子に安堵し、アンジュはステージに上っていく。このコンサートホールを見つけたのは偶然だった。

 

なんとはなしに足を踏み入れ、そこでこの会場を見つけた。そこに忘れ去られたように置かれていたピアノを見たとき、アンジュは不意に昔のことを思い出した。

 

母、ソフィアがピアノを弾いてくれたことを。音楽は、想いを乗せて演奏するものだと―――言葉にはできない想いを素直に相手へと伝えるものだと。

 

自分が不器用なことを自覚しているアンジュは、セラへの謝罪を込めて演奏を送ろうと思いついた。ピアノの前に立つと心臓がどんどん早くなる。

 

ミスルギ皇国にいた頃は、何度もピアノに触れ、大勢の前で演奏したこともあった。だが、アンジュの緊張はどんどん大きくなる。

 

席に着き、鍵盤に指を乗せると、深呼吸をし―――やがて、指が動き出した。

 

ピアノから流れる音が静かに旋律を奏でていく。滑らかに動くアンジュの指に反応して響く音は穏やかに、時に激しく、時に優しく、時に切なく―――心に響いてくる。

 

アンジュが演奏しているのは、ショパンの夜想曲(ノクターン)――ラテン語で『夜』を意味する曲は、周囲に安らぎを齎すかのように奏でられる。

 

聴いていたセラは、その旋律に心地よさを憶え、耳を傾ける。会場の外で聴いているヴィヴィアンもまるで委ねるように聴き入っている。

 

旋律の中に混じるアンジュの想い―――アルゼナルに来てから今日に至るまで、助けられてばかりだった。それに何もできていない自分の歯痒さ、それが強く伝わってくる。たった一人のために演奏するアンジュの音色にセラは表情が穏やかになる。

 

どれだけ演奏していたのか――やがて、旋律が静かに終わりを告げ、アンジュは無言で指を離す。その瞬間、息を止めていたように大きく吐き出した。

 

小さな拍手に我に返り、振り向くとセラが賛辞を送っていた。

 

「いい演奏だった――」

 

月並みな言葉だが、生憎とセラには気の利いたものは浮かばなかった。だが、歌を通して伝わったアンジュの想いは感じ取り、穏やかな面持ちだ。

 

その様子にアンジュも安堵するとともに、満更でもないと嬉しそうにはにかむ。

 

余韻が漂うホールで、セラとアンジュは舞台に並んで腰掛けながら、無音の劇場を見つめている。無言が続くなか、アンジュは口を開いた。

 

「私、あなたと双子だって聞いた時、驚いたけど、嬉しかった―――私には、まだ家族が居たんだって」

 

アンジュ自身もずっと心のどこかで思っていた――セラと過ごす中で少しずつ芽生える安らぎ。アルゼナルに来た当初は、なにもかもが敵に思えた。自身の境遇を受け入れても、心の何処かで自分は違うと思っていたのかもしれない。

 

だが、セラの傍に居る時だけはそれが薄らいだ。不思議な安心感があった。それが、姉妹としての感覚だったのだと今は思う。

 

(ジュリオ)(シルヴィア)は袂を分かった。自分に――『ノーマ』であること自体が罪だとでもいうように、憎悪を向けた。『ノーマ』である自分を愛してくれた両親は死んだ。だが、その両親は双子の妹のことを黙っていた。

 

「だけど、すごく怖かった――私は、もうあなたの傍には居られないかもしれないって」

 

信じられる家族が、両親がセラを――妹を捨てた。その事実に、アンジュはセラに対して負い目を感じていた。それ以上に、『双子』ということを意識してしまい、どう行動すればいいのかまったく分からなかった。

 

シルヴィアヘの接し方とも違う――なにより、セラの過去を知れば嫌われてもおかしくないとさえ思う。怯えるように黙り込むアンジュに、セラは軽く天井を仰ぎ、やがて深く嘆息する。

 

心なしか呆れたようなものに見え、アンジュは眼を剥く。

 

「別にその程度であなたのことをどうこうはしないわよ――――別にあなたを恨んでもいないし、自分の境遇を哀れんでもいないから」

 

本気でそう思っているとばかりに肩を竦める。

 

「両親のことも恨んでなんかもいない――というより、覚えてもいないからね。けど、感謝してるわ。私の意思で生きられる道を与えてくれたことにね」

 

顔すら覚えていなかった母親の唯一記憶に残る言葉――『生きろ』……と。その言葉が今日までセラを支え、これからもセラの信念になる。

 

その言葉にアンジュは過去に想いを馳せる――母親との永遠の別離となったあの日……『生きろ』と最後に遺してくれた言葉―――それがアンジュを生きる道へと奮い立たせてくれたことを。

 

「逆に、アンジュ――あなたがもし、アルゼナルに来なかったら……私達は『敵』だったのかもしれないわね」

 

唐突に告げた一言に息を呑み、思わず振り向く。セラは遠くを見ながら、厳しげな面持ちで言葉を続ける。

 

「あの男の――『ジュリオ・飛鳥・ミスルギ』はもしかしたら私達のどちらかだったかもしれないのよ」

 

不意に発した言葉に顔を上げる。困惑するアンジュにセラが冷淡に告げた。

 

「どうして『私』だったのかなんて知らないけど、もしアルゼナルに来なかったら――ああなっていたでしょうね」

 

アンジュの息が止まる。

 

あのジュリオの姿はミスルギ皇国にいた頃の『アンジュリーゼ・斑鳩・ミスルギ』そのものだ。ノーマが悪だと信じて疑わず、その存在をこの世界から消そうとすることに何の疑問も挟まなかった。

 

そして、もしあのままであったなら――アンジュとセラは敵対する形になっていただろう。そして、その可能性はどちらでもあった。

 

だが、運命は『セラ』を選んだ――その真意を知っていたのは両親のみ。もはや永遠に知ることは叶わない。どうして『セラ』だったのか、どうして『アンジュ』は違ったのか―――

 

「だけど、そんな事は関係ないわ。今の『私』には」

 

変えられない過去も、有り得たかもしれない未来も、『現在』(いま)のセラには何の意味もないこと。

 

「私は、私の意思で生きる――今までも、そしてこれからも。だからアンジュ……一緒に、生きるわよ」

 

一度は置いていった――それは、アンジュのためでもあったし、なにより、己の不始末への責任感からだ。セラのその独善に近いものがアンジュへの不安でもあった。

 

アンジュを見やり、そう告げるセラにアンジュは胸の内が熱くなる。

 

それは、自分を受け入れてくれたこと――共に生きると言ってくれたことへの嬉しさだった。なにか、小さなことで悩んでいた自分がバカらしく思えてきた。

 

「ええ、私も生きるわ―――生き足掻いてやるわよ」

 

ようやくいつもの調子に戻ってきたのか、不遜気味に胸を張るアンジュに苦笑する。刹那――セラは何かに気づき、微かに顔を強ばらせる。だが、アンジュはそんな様子に気づかず得意気になっている。

 

「だけどセラ、私の方が姉なんだから、少しぐらい私に甘えても―――きゃっ」

 

最後まで続かず、アンジュは突然セラに抱き締められ、舞台に倒された。

 

「セ、セラ……」

 

突然のことに顔を赤くして声が上擦る。ドギマギしたのも束の間、ホールが振動に包まれ、次の瞬間天井に亀裂が走り、アンジュが息を呑んだ瞬間、セラに庇われた。

 

天井が崩れ、崩落する。突然のことに悲鳴をセラの胸で噛み殺す。破片が僅かに降り注ぎ、辺りに粉塵が舞うも、すぐに収まり、ゆっくりと顔を上げる。

 

「セラ、大丈夫!?」

 

「ええ」

 

顔を上げたアンジュが思わず叫ぶも、セラは降りかかった粉塵を首を振って落とすと、視線を天井へと向け、アンジュもつられて顔を上げると、驚愕に眼を見開いた。

 

裂けた天井の隙間から覗き込む巨大な影――人間と同じツインアイを輝かせる顔に息を呑む。

 

「アレって、あの時の――!?」

 

眼前にてこちらを見ているのは、アルゼナルを襲ったドラゴン側のパラメイルだった。セラは微かに眼を細める。

 

(やはり――ココは、この『世界』は)

 

自身の考えに確信を持つと同時に覗き込んでいた黄色の竜の機体の胸部ハッチが開き、眼を瞬く。ハッチの下から人影が姿を見せる。

 

どこか蒼みが混じった黒髪を靡かせ、機体と同じ山吹色の衣装を身につけた少女がこちらを凛と睨む。どことなく、以前の紅の機体の少女に似ている。

 

「救難信号を出していたのはあなた達か?」

 

こちらを警戒しているのか、威圧するように問い掛ける少女に咄嗟に反応できなかった。相手も出方を伺っていると、背後に別の影が現れた。

 

アルゼナルを同じく襲った蒼と碧の機体、そしてその周囲にはドラゴンの姿も数体ある。蒼と碧のハッチも開き、その中から同じような意匠の女性達が姿を見せる。

 

「リーファ様、お一人での行動は控えてくださいと」

 

「サラマンディーネ様が心配なされます」

 

諌めるように告げる二人に苦笑しながら肩を竦め返す。

 

「心配は無用ですよ、ナーガ、カナメ」

 

相手の気遣いに応じつつ、視線を再び向けてくる。

 

「あ、あなた達いったい―――?」

 

ようやく思考が回り出したのか、アンジュはそう口にする。それに対し、少女は鼻を鳴らす。

 

「どうやって来たのかは知らないけど――まあいい。ようこそ、偽りの民よ。我らの世界―――『真』の地球へ」

 

明らかに歓迎していない――そんな態度を見せながら不敵に告げるリーファと呼ばれた少女に、セラとアンジュは身構えるのみであった。

 

「『真』の地球―――」

 

ただ、発した言葉を反芻するのみだった。




今回はセラとアンジュの会話に苦労しました。

原作のタスクとの会話はすべてリセット――展開もホテル等ではなく、コンサート会場での語らいと変更しました。

劇中ではハッキリ描かれはしませんでしたが、恐らく皇女なのだからピアノなりバイオリンなりは嗜んでいるだろうと思い、こういう展開にしました。

さていよいよ本格的にあの人も物語に関わってきます。楽しんでいただければ幸いです。


活動報告でアンケートをやっていますので、興味のある方はどうぞ。

次に書くのはどれがいいですか?

  • クロスアンジュだよ
  • BLOOD-Cによろしく
  • 今更ながらのプリキュアの続き

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