クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 紫銀の月 作:MIDNIGHT
ドラゴンの襲撃によって破壊されたアルゼナルの司令部――強化ガラスで覆われていたはずの壁面は完全に損壊し、完全な修復には時間が掛かるだろう。
「これは――やっぱり無理ですよね」
「そうね、今はどこもかしこも復旧で手一杯だから」
開けた向こうに見える海を見つめながら、ため息をつくオリビエにヒカルも深々と頷く。臨時司令部は防空壕のような造りでお世辞にも機能性がいいとは言えない。
そのため、できる限り司令部の復旧を急ぎたいのだが、今は施設の復旧はパラメイルの関連施設を優先しているため、司令部の復旧は先になるし、いつになるか見当もつかない。
「ほらあなた達、いつまでも立っていないで早くデータのバックアップを急いで」
そんな二人にパメラが発破をかけ、二人は慌てていつものシートに戻る。ジルから司令部を一時的に内部の一室に移動させると指示を受けており、機材の搬入と今までのデータの移管を行うため、各種データのバックアップを急いでいた。
「でもさっきは本当に心臓止まるかと思っちゃいました」
「そうよね~まさかドラゴンに出くわすなんて」
ここに来る途中で遭遇したドラゴンにあわやというところでなんとか逃げ出し、その後ドラゴンの相手は第一中隊によって駆逐されるということになり、遠回りしてなんとか司令部へと戻ったのだ。
「ドラゴン、ちゃんと退治されたのかな………ん?」
「どうしたの、オリビエ?」
「あ、はい――外部からの通信が届いているんです。でも、この周波数は登録には――」
首を傾げるオリビエにパメラがやや怪訝そうに見やる。
「繋げてみて、それと司令への連絡も」
「あ、はい」
オリビエが慌てて通信回線を開く。メインモニターにはノイズ混じりに画面が荒れ、電波の乱れる音が響く。破損したモニターと受信アンテナも不調のせいか、なかなかうまく繋がらない。
《――えますか―――アルゼナル……》
やがて、荒れたモニターから途切れ途切れの声が聞こえてきた。画像が徐々にクリアになっていくも、まだぼやけている。
《アルゼナル、応答してください――こち……》
とびとびの声に首を傾げる一同の前で、ようやく受信画面が開き、モニターに通信主が映し出された。
《アルゼナル、応答してください。こちらは、ミスティ・ローゼンブルムです》
画面はまだ荒れたままだったが、ようやく声だけはハッキリと聞こえるようになり、その主が発した名にパメラ達は驚く。
「ミ、ミスティ・ローゼンブルム……!?」
「うそ――!」
オリビエやヒカルは予想外の人物に戸惑い、パメラも口を開けて一瞬呆けてしまう。
《よかった、やっと繋がりました》
そんな様子に気づかず、画面の向こうでミスティは安堵したように胸を撫で下ろした。だが、パメラ達は予想外の人物に反応できずにいる。
だが、そんなことは気にも留めず、ミスティは言葉を続けた。
《あの方に…『セラ』様に伝えてください、早くそこから脱出してください!》
声を上擦らせながら叫ぶように告げた内容にパメラ達はより困惑するも、ミスティは切羽詰まった口調で声を荒げる。
《アルゼナルはもうすぐミスルギ皇国に襲撃されます! 急いで脱出―――》
だが、ミスティの言葉は最後まで続かず、突然割り込むように入った通信に遮られた。
《こちら、ノーマ管理委員会直属、国際救助艦隊です。ノーマの皆さんドラゴンとの戦闘、お疲れ様でした。これより皆さんの救助を開始します。全ての武器を捨てて脱出準備をしてください》
画面いっぱいに映し出された映像に、眼を見開いた。
セラは独り、無言のまま『ソレ』を見つめていた。
掘られた穴のなかでは未だ微かな炎が燻っているも、それは既に大方が炭化し、黒ずんでいる。ドラゴンの遺骸を静かに見つめるセラの背中を、ナオミはどこか不安気な眼差しで見ていた。
あの衝撃的な光景とジルの恫喝とも取れる選択に、誰もが複雑な面持ちで一人、また一人とこの場から去った。あのジルに心酔しているはずのサリアでさえ、どこか不信を見せていた。
アンジュもあまりの事実にショックを隠せなかった。ただでさえセラとのことで葛藤していた矢先の現実が重くのしかかり、モモカに付き添われて一度戻った。
誰もがこの先の選択を思い悩んでいる―――だが……最初から選択の余地などない。あるとしたら、『ジルと行く』か『ここから去る』か、だ。
セラの指摘したとおり、選択肢など最初から無いに等しい。ジルに従うしか、ノーマには生きる術などないのだから。
そんな中で、セラは独りその場に残って炎を見つめていた。ナオミは、躊躇いながらも意を決してセラの傍に歩み寄る。
「セラ、さっきからずっとそうしているけど…どうしたの?」
隣に寄り、覗き込むように訊ねると、セラは静かに呟いた。
「忘れないためよ」
「え……?」
「理由は知らない――でも、ドラゴンも何かの譲れないものを持ってこちらの世界に来た。でなきゃ、何年も続くはずがないわ」
侵略者ではない――明確な目的と譲れない覚悟、だからこそあれ程までに執拗に攻めてきた。
「だけど、どんな理由にせよ殺そうとするなら戦うだけ」
ドラゴンの目的も、ノーマの歪んだ意義もセラには関係ない。戦場では殺すか殺されるかの二択しかない――そこに譲れないもの同士がぶつかれば、結果はどうであれどちらかが淘汰される。
「だから私は忘れない――私が殺した相手を…私が生きるために犠牲にした業を」
立ち昇る死煙が霧散していく空を見上げる。それが、命を懸けて殺し合った者へのせめてもの哀悼であり、その『業』こそが、『生きる』ということなのだから―――その覚悟に、ナオミは圧倒された。
「強いんだね…セラは」
自分にはそこまでの覚悟はない――単なる異世界からの異形、そうであった方が割り切れた。それを覚悟しているセラの心の強さには哀しくなる。
結局―――それは傷を負っていくことではないのか。すべてを背負いこんでいくことではないのか………アンジュとの関係も、ドラゴンとの戦いも、この世界の何もかもがまるでセラを呪うかのように傷つけてくる。
たとえ、本人がそれを覚悟しているといっても、ナオミからすれば理不尽なものにしか見えない。まるで、生きていることが『罪』だとでもいうように―――
(いやっ! そんなの――そんなの………)
自身のあまりの想像に激しい忌避感を抱き、ナオミは首を振る。そして、恐る恐るセラを見ると、不意に顔を上げた。
「どうかしらね――結局は自己満足かもしれないし」
どこか自嘲気味に肩を竦める。
「セラ――アンジュのことだけど、その…どう、思ってるの……?」
うまく言葉が見つからない。自分でも正直何を訊いているのか分からない。ただ、『姉妹』だと知って――セラがアンジュをどう思っているのか…そして、自身の出生をどう思っているのか―――疑問は確かにある。だがそれ以上に、今なにかしなければ、言わなければセラがどこかに行ってしまいそうで、ナオミは怖かった。
「どうって―――ま、驚いているのは事実だけど、なんとなくそうなんじゃないのかなって考えないわけじゃなかった」
セラとて、アンジュと出会い、そして彼女に抱く不思議な感情に戸惑っていた。あまりに似通った容姿と同じ歌と宝石―――普通なら、勘ぐらずにはいられないだろう。
「だけど、敢えて眼を逸らしていたわ――私は、ずっと独りだって」
苦く笑い、空を見上げる。心のどこかで己にそう言い聞かせてきた――両親は知らない、きょうだいなんてものはいない―――それが『ノーマ』だ。そう言い聞かせることで、その『事実』から眼を背けていたのは、怖かったからだ。物心つく前から己に言い聞かせていたことを――それを今更破ることが怖かった。
「両親がどうして私を捨てたかなんて知らない―――でも、むしろ感謝しているわ。『腐らず』に済んだんだから」
正直、顔すら知らない両親に対して思慕や憎しみどころか、何の感慨も沸いてこない。だが、敢えて言うなら捨てたことに対しての感謝だった。
『マナ』なんてものに溺れずに済んだ、自身の意思で生きられる道を与えてくれたことに。逆にアンジュを憐れに思う―――もし、立場が逆だったなら、自分もあの歪んだ世界の思考に染められていたのかと思うと反吐が出そうだ。
両親に対しての怒りもない、アンジュに対する蟠りもない―――ただ、事実だけを受け入れた。無論、まだ戸惑っているのは本音だが。
「これから――どうするの?」
ナオミが一番知りたいことはそれだった。ジルは言った――選べ、と。だが、セラは恐らくジルには従わないだろうし、ましてやこのままノーマとしての歪んだ生き方を選ぶとも思えない。
「―――ここを出ようと思うわ」
まるで、さも当然のように紡がれた言葉―――アルゼナルを去る………ノーマとしての歪んだ生き方への叛逆、だがそれは拠るもののない『孤独』の道だった。
「アンジュは……?」
「どうするかは知らないわ――もっとも、一緒に居たいとは思わないかもね」
あくまでこれはセラ自身の道――なにより、『姉妹』だと知ってしまった今、よりぎこちなくなるだけだろう。セラは別に気にはしていないが、アンジュはなまじ外の世界で生きてきただけに負い目を感じているかもしれない。苦笑気味に告げるセラだったが、ナオミは恐らくアンジュはセラと一緒に行くだろうと確信していた。
ナオミ自身もジルに対しての不審感を抱いている。その上、真実を知ってしまった今、これ以上ドラゴンと戦うことも難しい。
なにより、このままではセラと離れ離れになる―――そんな事は絶対に嫌だった。
空へと昇っていく死煙を見つめていたセラが徐に踵を返す。歩き出す背中が酷く遠くに感じ、このまま行かせたら二度と会えなくなる―――そんな恐怖にも似た強迫概念がナオミを襲い、思わず声を張り上げた。
「セラ!」
その声色に驚き、振り返るセラにナオミは激しくなる動悸を抑えながら、言葉を絞り出す。
「あの、私も――!」
ナオミが言葉を続けようとした瞬間、突如遮るように空中にウィンドウが浮かび上がった。息を呑む二人の前でウィンドウが周囲にいくつも浮かび上がる。
アルゼナル全体をまるで覆うように現われる無数のマナのウィンドウに映る女性官が言葉を発する。
《こちら、ノーマ管理委員会直属、国際救助艦隊です。ノーマの皆さんドラゴンとの戦闘、お疲れ様でした。これより皆さんの救助を開始します。全ての武器を捨てて脱出準備をしてください》
無数の立体ウィンドウから聞こえる内容に聞いているノーマ達が戸惑う。
「え…? きゅう、じょ……?」
思わず呆けたようになるナオミだったが、セラは瞬時に舌打ちした。
「まずい――っ」
「あ、セラ!」」
動揺を隠せず、走り出すセラにナオミが慌てて後を追う。背中に聞こえる耳障りのいい『悪意』を聞きながら―――
アルゼナルにマナのウィンドウが開く少し前―――ジルは憮然とした面持ちで森林浴ができるエリアへと無意識に足を運んでいた。
だが、気分は晴れるどころか不快感を増す。手が先程からそれを募らせる腫れた頬に触れる。セラに殴られた一撃―――ただの一発が、まるで毒のように傷みを続かせている。
『復讐に巻き込むな』―――それと同時にセラの言葉が耳から離れず、ジルはギリッと奥歯を噛み締める。
「黙れ、黙れ黙れ――っ、何も知らない小娘が!」
振り払うように叫び、気を紛らわせようとタバコに手を伸ばし、咥えた瞬間―――どこからともなく旋律が聞こえてきた。
息を呑み、周囲を窺う。
森林に響く旋律は、口笛のようだった――それに耳を凝らしていると、その旋律に奇妙な既視感を憶え、ジルは戸惑う。
その音のする方角へと小走りに向かい、やがて一本の木の前に辿り着く。この人工林の中で一際大きな木の上から聞こえる音にジルは視線を上げ、やがて太い枝に本体に背を預けている人影が見える。
流暢な口笛を響かせる人影の顔を視認した瞬間――ジルは眼を見開いた。
「貴様は……アイビス―――!?」
陰に隠れていた顔にジルは眼を剥く。名を呼ばれた人影が口笛を止め、その口端をどこか歪めるように吊り上げる。
「覚えててくれたみたいだな……オレとお前、よくここで言い合ったよな。なあ、『アレクトラ』」
視線をこちらに向けるワインレッドの髪を靡かせる女性が嘲るように見やり、そのまま飛び降りる。
「こうして面合わせんのは10年振りかぁ、『あの時』以来か――」
「貴様、生きてたのか!? リベルタスの時に死んだとばかり……」
対峙するジルの脳裏に10年前の記憶がフラッシュバックする。10年前、皇女からノーマへと堕ちたジルは、アルゼナルでヴィルキスのライダーとして『リベルタス』のために腕を磨いていた。その時に彼女に並ぶほどの腕を持っていたのが、眼前にいるアイビスであり、バネッサの『妹』にしてタスクの叔母――だが、リベルタスの最中彼女は突然行方不明となった。
その彼女が何故眼前にいるのか――それに対してアイビスはどこか不敵に笑う。
「しかし、お前が司令なんてもんになってるなんてなぁ……男にヒイヒイ言わされて、何もかも放り出した皇女さん?」
その言葉に、ジルは驚愕に眼を見開き、間髪入れず視線が鋭く吊り上がる。
「アイビス、貴様―――!?」
殺さんばかりに睨むジルだったが、アイビスは態度を些かも変えず、それどころか飄々と言葉を続ける。
「ホント報われないよなぁ……姉貴も、他の連中も、横恋慕してた『騎士』もな。命懸けで助けた相手が殺そうとしていた相手に惚れ込んでるんだからなぁ」
それがトドメだった――ジルは瞬時に銃を抜き、トリガーを引いた。甲高い銃声が轟いた瞬間―――ジルの足元に銃が落ちる。
歯噛みするジルの機械の右手には小さな歪みができており、アイビスの手には硝煙を上げる銃が握られている。
「ライダーとしての勘だけじゃなく記憶まで鈍ったか――銃でオレに勝てたことがなかったお前が」
銃を回転させて腿のホルスターに収める。その仕草に歯噛みするジルだが、そんな様子を鼻で笑い、肩を竦める。
「貴様、どういうつもりだ――何故、その事を知っている!?」
『あの』事実を知っているのは自分しかいないはず。それこそ、マギーやジャスミンにも話していない。いや…話せるはずなどないジルの『秘密』だ。睨みながら叫ぶジルに、アイビスは小さく口端を歪める。
「―――教えてもらったからさ、『神様』に。お前が無様に堕ちたことをな」
やがて視線がどこか侮蔑するようなものに変わり、軽蔑するアイビスだったが、ジルは告げられた内容に息を呑む。
「神様か――君といい、どうしてそう呼ぶのかね?」
刹那、ジルの背後から別の声が…いや―――決して忘れることなどできるはずがない『声』に息を呑み、その表情が激しい怒りに染まり、振り返る。
背後に佇む金髪を靡かせる紳士風の出で立ちを見せる一人の男――だが、その顔はジルの脳裏から一瞬たりとも消えたことなどない。
「私は自分から名乗った事は一度もないぞ? 『創造主』と言う意味であれば、正解かもしれんが」
世界の指導者達を束ねていた男―――エンブリヲと名乗る青年はやや不可解とばかりに眉を顰めた状態で佇んでいる。
ジルは反射的に落ちた銃を拾い上げ、エンブリヲに向けて撃ち込んだ。だが、弾丸はエンブリヲの身体をすり抜けるように外れ、後ろの木に当たるのみだ。
「エンブリヲ……!」
ギリっと奥歯を噛み締め、激しい怒りと憎しみを見せるジルが銃口を向けたまま睨むも、エンブリヲは涼しげな笑みを浮かべて応える。
「怒った顔も素敵だな、アレクトラ…いや、今は司令官のジルか?」
その笑みも、口調も、何もかもがジルの神経を逆なでる。
「よくもぬけぬけと、私の前に現われたものだな……っ!」
再度トリガーを引くも、弾丸はエンブリヲを掠めることもなく、周囲に着弾する。
「やれやれ…私は別に君を怒らせに来たのではないのだがな」
「仕方ねえさ、殺したいほど愛してるんだからな」
呆れたように嘆息する仕草にアイビスが鼻で笑うと、小さく指を弾く。それに呼応するように突如、何もない空間から巨大な陰が姿を見せる。
ジルがハッと息を呑むと、そこにあったのは一機の機体。おそらく光学迷彩によって、その姿をカメレオンのように周囲の景色と同化させていたのだろう。それを解除した為にその姿を見せたのだ。
全身をワインレッドに染めるカラーリングと、形状は変わっているが、その機体には見覚えがある。
「この機体は、まさか――?」
「そうさ、オレのアーキバス―――もっとも、今となっちゃ別物、そうだな……『ディーヴァ』とでも呼ぶかな」
不敵に笑いながら、アイビスは屈み込んだ機体のコックピットに飛び乗る。
「アイビス! 貴様、何故エンブリヲと――!?」
突然の仇敵との再会と、戦友との出会いが混乱を齎し、うまく思考を纏められないなか、ジルが叫ぶ。それに対してアイビスは小さく鼻を鳴らす。
「簡単なことさ、オレはオレのやりたいように生きるって決めただけだ。主義も主張もねえ、ノーマらしく戦いの本能の赴くままにな。尤も、そうしようと決めたのはアレクトラ――お前に失望したからさ」
侮蔑の眼差しで一瞥するアイビスに気圧され、息を呑むジルの前でアイビスはその姿を機体へと収容させる。ディーヴァのバイザーに禍々しい光が宿り、立ち上がる。
差し出す掌の上にエンブリヲが優雅に乗ると、ディーヴァはゆっくりと浮上していく。
「ま、待て―――!」
思わず手を伸ばすジルを一瞥し、エンブリヲは小さく髪を掻き上げた。
「アレクトラ…いや、ジル―――私などよりも、今は別のことを心配した方がいいと思うがね? ふむ…来たようだな」
エンブリヲはあさっての方角を見やり、怪訝そうになるジルの耳にアナウンスが聞こえ、マナのウィンドウが現われ、眼を見開く。
ハッと気づいたときには、ディーヴァは再び光学迷彩を展開し、周囲の景色に同化していく。完全に消え去ったのを悔しげに見送るも、今は時間が惜しいとジルはすぐさま司令部に向けて駆け出していった。
アンジュは一人、アルゼナルの丘で、お山座りをしていた。『ここ』は、彼女の…セラの――『妹』がよく訪れていた場所――――
表情は茫洋として、口は半開き、先程まで事実に怒りに打ち震えていた両の眼は、ほとんど微動だにせず開かれたまま焦点がどこにも合わないような、浮浪者のような眼だった。
正直、どうやってここまで来たのかも曖昧だ―――ジルが去った後、立ち去る一同に倣うようにアンジュもフラフラとした足取りであの場を後にした。
正直、ショックを隠せない―――自分は今まで、ドラゴンに対してなんとも思っていなかった。決してジルの言うように、そんな生活が気に入っていたわけではない。だが、それでもドラゴンを殺すことに対する罪悪感などはほとんどなかった。
最初の戦いで憶えたあの高揚―――殺してでも生きたいと思ったあの激情の赴くままに、ドラゴンを殺していた。聞こえるドラゴンの悲鳴が耳から離れず、アンジュは虚ろな面持ちのまま、抱え込んだ膝のなかに顔を埋めながら、アンジュは茫然とただ遠くを見ていた。視線の向かう先は、先程の衝撃的な光景を眼にした崩壊区――そこから未だに立ち昇る死煙。そして、彼女もまだそこに居るだろう。
虚ろげなアンジュの脳裏には、彼女の言葉が何度も何度も、再生させられていた。
業を背負う覚悟―――セラは、妹はそれを最初から既に課していた。それでいて凛と、そして真っ直ぐに進む姿が何度も見え………
「フッ……――」
ふと、口元から、乾いていて痛々しい自虐な笑みが浮かんだ。
何をやっているのだろうか………あまりの違いと自身の醜態に対して呆れを通り越して滑稽にさえ思えてくる。セラは最初に自分に伝えてくれていた。なのに自分はそんなことも気づかず、ただただ自分のためだけに戦い、激情に身を任せて、ドラゴンと戦うことに酔いに酔いしれていた。
戦うこと、生きることの意味すら考えず―――なんて情けない姉なのだろう……国に、兄妹に裏切られた……そんなちっぽけなことに打ちのめされていた自身が酷く小さく見えた。
自分はどうしたらいいのだろうか―――その答えも未だ分からない。
落ち込むアンジュを背後の離れた場所で不安な面持ちで見守っていたモモカだったが、突如マナのウィンドウが無数に開いたことに眼を見開き、アンジュに叫んだ。
「アンジュリーゼ様!」
「――なに、これ…?」
「マナの映像です!」
突然のことに未だ動かない思考のなか、呆けるアンジュにモモカが寄り添い、マナのウィンドウに映し出された女性官の発する内容にアンジュの思考が徐々に動き出し始める。
「アンジュリーゼ様、助けです! 助けが来ましたよ!」
モモカはその内容に喜び、声を上げるが、人間に殺されかかったアンジュにしてみれば、胡散臭いものこの上なかった。
「人間が、ノーマを救助? そんなこと考えられないわ」
吐き捨てるように告げるアンジュに戸惑うモモカだったが、やがてアルゼナルの外壁に残っていた対空砲がすべて展開され、迎撃体制に移行する。その直後、海上の艦隊からミサイルが一斉に放ってきた。
「逃げるわよ!」
返事を待たずしてモモカの腕を引き、アンジュはすぐさま施設内に逃げ込む。やがて、ミサイルの着弾がアルゼナルの各所に爆発の炎を咲かせる。
そう――『運命』という時間は、逡巡さえ赦さず選択を迫るのだ。
アルゼナルが迎撃の動きを取り、それを確認したミスルギ艦隊の旗艦にて、兵士がジュリオに報告する。
「アルゼナル、対空兵器を起動!」
「やれやれ、平和的に事を進めたかったが……」
ジュリオは呆れた面持ちで、だがそれでいて予想通りとばかりにマイクを取り、全艦艇に宣言する。
「旗艦エンペラージュリオ一世より全艦艇へ、たった今ノーマはこちらの救援を拒絶した。これは我々、いや全人類に対する明白な反逆である、断じて見過ごすわけにはいかない。全艦攻撃開始!」
命令と同時に全艦隊からミサイルが発射され、弧を描きながらアルゼナルへと直撃させる。
「上陸隊、準備! メイルライダーの確保を優先、それ以外は――殺せ」
非情に告げるジュリオに、兵士達は指示を実行していく。その様を横で聞いていたリィザは無表情のまま見下ろしている。
(このノーマに対する忌避感――やはり、『妹』のことか)
あの夜―――夢現なジュリオから聞き出した事柄。ジュリオが何故あそこまで『ノーマ』を、
(まさか、アンジュリーゼに双子の妹がいたとは―――それが、この男をこうまで変えたか)
ジュリオから聞き出したのは、15年以上前のこと―――まだジュリオも幼く、両親に懐いていた頃、初めて『妹』ができると喜んだ。
生まれてきた二人の妹、とくにジュリオは『セラフィーナ』と名付けられた妹をいたく気に入った。だが、その数日後、その妹は忽然と消えた。
両親に聞いても、『死んだ』としか言わない、その原因も理由も分からず、その上存在自体がまるで無かったことのように扱われ、ジュリオは幼心に大きな衝撃を受けた。
そこへ誰かが告げたのだ―――『妹』は、もう一人の『妹』のせいで消されたのだと。もう一人の妹は忌むべき『ノーマ』だと―――誰が告げたのかは分からない。
だが、それがジュリオの『アンジュリーゼ』に対する憎悪を堆積させていった。なにも知らず、幸福に浸るその姿がノーマへの嫌悪感を煽り、そしてそんなアンジュリーゼを誰よりも構う両親に対しても怒りを覚えていた。そして、待ち詫びたのだ――『洗礼の儀』でなにもかも奪ってやると。自分から
深層意識の中に刷り込まれたような無意識下の価値観―――リィザはその原因について目星をつけていた。
(『あの方』に、報告をしておいた方がいいかもしれん)
内心に決めると、今はリィザにとって『茶番劇』とも取れるこの戦いへ意識を移した。
着弾するミサイルがアルゼナルを震撼させ、砲台が吹き飛び、台座ごとノーマが血まみれの遺骸へと変わる。既にドラゴンとの戦いでほとんどの防衛機能を喪っているアルゼナルには、この侵攻を耐える力さえ残っていなかった。
揺れる施設に未だドラゴンの攻勢による恐怖が抜けきれていないノーマの少女達は震えるように身を寄せ合う。
迎撃もままならない今、座して死を待つしかない。その時、放送が響いた。
《アルゼナルにいる全ノーマに告げる、連中が言ったことが戯言だと分かったはずだ》
あくまで冷静に告げるジルの言葉に混乱していた一同は僅かに落ち着きを取り戻す。
《諸君、これが『人間』だ。その愚かさと恐ろしさを理解しただろう。人間は我々を助けるつもりなどない、モノのように回収し、別の場所で別の戦いに従事させるつもりなのだ》
淡々と語る内容に誰もが恐怖を抱く。ドラゴンに殺されかけ、さらに守っていたはずの人間でさえも殺そうとする――そんな現実が、ジワジワと侵食していく。
絶望が包むなか、ジルはまるで『希望』のように言葉を発する。
《それを望むものは止めん、奴らに降るといい――だが、抵抗するのなら共に来い。これよりアルゼナル司令部は人間の管理下より離脱、反抗作戦を開始する!》
その言葉が驚きと衝撃を齎す。そして、『ソレ』を事前に知っていた者達は決意を秘める。
《志を同じくする者は、武器を持ち、アルゼナルの最下層に集結せよ!》
逡巡するノーマ達は、まるでそれに縋るかのように顔を上げる。まるで、そんな反応を見透かしたようにジルは過去の世界を変えてきた英雄達のように『大義』という名の御旗を掲げる。
《作戦名―――『リベルタス』!》
宣言するジルの言葉にノーマ達は各々が決意する。『生きる』ために―――たとえそれが、どんなに理不尽な選択だろうとも、生きることを放棄するわけにはいかないのだから。
アルゼナルの崩壊――砲火と共にそのカウントダウンは始まった―――――
今回はいろいろ、キャラクター達の心情を掘り下げるのに苦労しました。
そして、今回から登場した『アイビス』。一応、名前だけはかなり前にも少し書きましたが、バネッサの妹にしてタスクの叔母です。サリア達が寝返ったように、かつてのリベルタスにも寝返った人っていなかったのかなというのが最初の発端でした。
その辺はあまり描写が少ないので、想像で書いてみました。さらにぶっちゃけると、このキャラってアンケートのB案も少し入っております。
残すところ後一話で第一章も終了。いよいよ物語りも折り返しですので、引き続き応援していただければ幸いです。
次に書くのはどれがいいですか?
-
クロスアンジュだよ
-
BLOOD-Cによろしく
-
今更ながらのプリキュアの続き