クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 紫銀の月 作:MIDNIGHT
アンジュを救出したセラ達を乗せた輸送機は、アルゼナル近海を航行し、間もなくといった所へ差し掛かると、水平線の向こうから朝陽が昇ってくるのが見える。
長い夜だった――アンジュもヒルダもそう思わずにはいられなかった。同時に、また『
「間もなく、着艦コースに入ります」
操縦席に座るモモカがマナで操作しながら、甲板へと進んでいく。
「それじゃ、俺はここらで退散するよ」
唐突にタスクが告げ、荷物とライフル銃を担ぐと飛行艇に向かう。
「行くの?」
「ああ、まだやり残したことがあるんでね」
セラの問い掛けに苦笑いで答える。
「タスク、その……モモカを助けてくれてありがとう」
アンジュが礼を述べると、タスクが頭を振る。
「いや、俺は頼まれただけだからね―――君を助けるように連絡をくれたのはジルだ。詳しくは彼女に聞くといい」
「ジルが……?」
戸惑うアンジュを一瞥し、タスクは飛行艇に跨ると、エンジンを起動させる。それを伺っていたモモカに軽く頷くと、モモカは後部のカーゴハッチを開放する。
気流の渦が輸送機内に吹き、飛ばされないように機体にしがみつく。
「また……必ず会おう!」
指を立て、飛行艇を機外へと射出する。同時にエンジンを噴かし、飛行艇は別方向へと離脱していく。その軌跡を見送ると、モモカは急ぎハッチを閉じる。
「見えました!」
モモカの言葉にコックピットに移動すると、雲の切れ目の奥に見慣れた孤島が見える。
「甲板に着陸しますので、席に着いてください」
モモカの指示に従い、一同はシートに着き、ハーネンスで身体を固定する。輸送機が振動を上げながらゆっくり降下していく。
「このまま撃たれたりしねえかな?」
思わずヒルダがそう口にする。ロクに通信も送っていないのだ――このまま撃沈される可能性もある。だが、それに対してセラは首を振る。
「もしそうする気なら、とっくにされてるわよ」
アルゼナルのレーダーでは既に捉えられていたはずだ。にも関わらず、パラメイルの発進もないことから、恐らくあちらには既に連絡が行っているのだろう。
タスクに依頼したのがジルなら、既に伝わっているとみるべきだろう。やがて、輸送機はアルゼナルの甲板に着陸し、小さく嘆息する。
徐に機外へと出ると、アンジュやヒルダは複雑そうな眼差しでアルゼナルを見上げる。
「また、帰ってきたわね――」
「ああ、この地獄にな」
顰めた面持ちで呟く二人を一瞥すると、セラは奥から複数の気配を感じ、顔を強ばらせる。明瞭になってくると、数人の保安係を連れたジルだった。
アンジュ達もそれに気づき、身構える。
緊張が空気を包むなか、保安係が銃を構えて威圧する。銃口を向けられ、アンジュやヒルダが息を呑み、モモカも二人を守るように前に立つ。
だが、いくらマナが使えてもこの多方向から向けられていては迂闊な真似もできない。やがて、ジルが静かに前に立つと、アンジュが憮然と口を開く。
「ジル、アンタに訊きたいこと―――」
アンジュの言葉を遮るようにセラが手を翳し、制する。戸惑うアンジュを見ず、セラはジルの前に立つ。
「まずは御苦労、と言っておこうか? 脱走犯を連れ戻したことにな」
どこか慇懃に告げるジルにセラが小さく鼻を鳴らす。
「だが……!」
次の瞬間、ジルは義手の拳をセラの腹部に叩きつけた。
「がっ…あ――」
「セラ!?」
「司令、てめえ――!?」
呻くセラにアンジュとヒルダが思わず飛び出そうとするも、保安係の銃口が向けられ、動きを封じられる。腹部に抉り込む義手の重さに歯噛みするセラにジルが冷淡に告げる。
「勝手な独自の判断による命令無視、さらには許可なく出撃、あまつさえ大事な機体まで持ち出したんだ―――貴様も無罪とはいかんぞ」
俯くセラに威圧するように告げると、セラは小さく笑う。その仕草に眉を顰めるジルに、セラが小さく口端を吊り上げる。
「『ポンコツ』――じゃなかったかしらね、司令?」
含むような物言いで挑発するセラにジルは微かに眉を動かし、続けざまにセラの頬を殴りつけた。狼狽するアンジュ達の前でセラは倒れるのは堪え、口から流れる血を拭う。
「貴様が知る必要などない」
冷たくあしらうジルにセラは口の中に沸いた血を吐き捨て、小さく笑う。
「――余計なことは知らず、駒は駒らしく従っておけ………私は、『道具』になった憶えはないけどね…ハッキリ言ったら? 好き勝手されるのは嫌だ、自分だけの特権だって――っっ」
不敵に返すセラにジルは再度殴りつけ、痛めつけていく。だが、セラは倒れることなく耐えている。傍から見れば、一方的なものに見えるだろう。
だが、どこか余裕のないジルに対し、セラはボロボロながら不敵に笑っている。
「私は司令だ。貴様らはただ従っておけばいい」
「『司令』、ね――それを盾に随分『秘密』を抱え込んでるようだけど? その秘密をすべて背負う覚悟があるの? ふざけんじゃないわよ――少なくとも、ここにいるノーマはその『秘密』を知る権利があるんじゃない? 私達が『何』と戦い、そして『何』のために生きているのか、ね」
その一言にアンジュ達だけでなく、保安係のノーマ達もどこか戸惑ったように動揺し、ジルは渾身の一撃をセラの腹部に叩き入れた。
「あ、が―――」
さすがに蓄積されたダメージがきたのか、顔を顰めるセラにジルが鼻を鳴らす。だが、そんなジルにセラは顰めた面持ちのまま不敵に笑ってみせた。
「知られたくないんだったら――せめて、もう少し上手く本心を隠したら? どんなに取り繕っても、そうやって本心を仮面で隠そうとするのは傍から見てると滑稽よ――それとも、それが素? その高慢さは?」
その一言にジルは眼に見えて怒りに顔を染める。そんなジルにセラがトドメの一言を告げた。
「哀れね……皇女様―――がはっ!」
次の瞬間、セラは首筋に一撃を受け、意識が昏倒し、その場に倒れ伏した。
「セラ!?」
「おい、しっかりしろっ!」
思わず飛び出したアンジュとヒルダがセラに駆け寄る。そんなセラをどこか肩で息をしながら見下ろすジルは、ギリっと奥歯を噛み締める。
「こいつらを反省房に連れて行け!」
怒鳴るような指示に硬直していた保安係が動き出し、3人を拘束していく。
「な、なにするのよ!」
「離せよ、この!」
「アンジュリーゼ様!」
引きずられるように連れて行かれるアンジュとヒルダ、セラは二人がかりで連行され、モモカは必死に手を伸ばすも、保安係が銃口を突きつけ、動けない。
その様を一瞥すると、ジルは踵を返す。コンテナの横をよぎった瞬間、声が掛けられた。
「随分らしくないねえ、ジル」
含むような口調で掛けられた声に振り返ると、コンテナに背を預けるジャスミンが難しげに佇んでいる。
「いつもの冷静なアンタらしくない――あの程度の挑発にのるなんてね……見透かされたかい、あいつに?」
「――前に言ったはずだ。余計なことを知る必要などない…所詮、現実も分からない小娘の戯言だ。なら、力尽くで理解させるまでだ」
毒づくジルにジャスミンは険しい視線を浮かべたままだ。
「それはアンタ自身のことなんじゃないのかい?」
「何が言いたい?」
「ジル…最近のアンタは随分急いているよ―――アンタのことは分かってるつもりだけどね、けどセラの言う通り、何も言わずに従えるってのは無理があるよ。あいつらだって機械じゃない、ちゃんと自分の『意思』があるんだ」
苦言を呈するジャスミンに、ジルは憮然と鼻を鳴らす。
「そんな青臭い考えで、『リベルタス』など成就できんさ―――私は、どんなことをしてでもやり遂げる…誰を利用しようが、誰を地獄に堕とそうがね」
鬼気迫る表情でそう吐き捨てると、ジルは踵を返しデッキを後にしていった。その背中をどこか辛そうに見送るジャスミンは、深々と肩を落とす。
「ジル――何がアンタをそこまで駆り立てるんだい? 焦ったら、また二の舞なんだよ」
苦い顔と口調で、ジャスミンは既に去ったジルに苦言を呈した。
あの後、アンジュ達は保安係に拘束されて、アルゼナルの反省房へと連行された。
3人で一つでの房に放り込まれ、モモカだけは『人間』ということで免れたものの、アンジュとヒルダの心配はセラだった。
ジルに痛めつけられたセラは未だ意識を戻さず、アンジュが辛そうにしていた。
「くっそ! 司令の奴、どういうつもりなんだよ!」
ヒルダが思わず悪態をつき、拳を握り締めて唯一の備品である簡易ベッドを叩く。衝撃で割れるのではないかというほどの強さだったが、ヒルダの気持ちは収まらない。
「――見せしめなのよ、私達へのね」
アンジュが苦虫を噛み潰したように、そして自己嫌悪するように漏らした。
戻った時点で、タダでは済まないということはアンジュもヒルダも理解していた。だが、実際はセラだけがジルにやられた。
これが、まだ自分達に向いたものなら耐えられただろう。だが、自分達のせいで巻き込んでしまったセラを痛めつけられる方が下手な拷問よりもアンジュ達を苛めた。
「セラの奴もなんでやり返さねえんだよっ」
正直、セラの実力ならジルにも引かないだろうということはアンジュもヒルダも理解していた。だが、もしあの時点で反撃でもしようものなら、間違いなく自分達は保安係に撃たれていただろうし、セラもそれを察していたから自分達を庇ったのだろう。
「ごめんなさい―――」
アンジュは今更ながら、懺悔するように膝で眠るセラに謝罪する。
「にしてもよ、司令もなんからしくねえってか――えらく動揺してたな」
正直、セラを殴る時の顔つきはどこか尋常ではなかった。いつも見ていた冷静沈着な一面が見えず、どこか動揺した様子だった。
特に最後の一撃をセラに打ち込んだ際の形相は一緒にいた保安係達も戸惑っていたほどだ。まるで何かに怯えるような――あの時のセラの声が小さかったこともあり、ハッキリとは聞こえなかったが、あの一言がジルの動揺を誘ったのは間違いないだろう。
「さあ? どうでもいいわ――あの女が何を考えてるのかなんてね」
元々訊こうと思っていたことも正直どうでもよくなった。訊いたところで、答えが返ってく可能性も低い。
「――随分な言い草ね」
憤慨するアンジュに毒づく声が掛かり、ハッと顔を上げると、檻の向こう側にサリアとエルシャが佇んでいた。
「サリア――」
「はっ、隊長様がこんな所に何の御用で?」
大仰に悪態を返すヒルダとアンジュをどこか軽蔑した眼差しで一瞥し、アンジュの膝で気を失っているセラを見やる。
「セラはまだ起きてないのね」
どこか複雑な面持ちで呟くと、気を取り直し厳しい面持ちで持っていた命令書を読み上げる。
「処分を通達するわ――サリア隊、アンジュならびにヒルダ…脱走の罪により、一週間の反省房での謹慎、及び資産、財産はすべて没収。もちろん、ヴィルキスを含めたパラメイルすべてよ」
冷淡に告げるサリアにアンジュとヒルダはどこか睨むように見やる。
「そして、あなた達からライダー資格も剥奪するわ。ここを出たら、せいぜい雑用だけよ」
意にも返さず、サリアは最後の一言を告げる。ライダー資格の剥奪――もうメイルライダーとして、このアルゼナルで生きることはできない。それは、お前達の居場所などないのだと暗に告げられているようで、二人は小さく歯噛みする。
だが、そこでアンジュはハッとする。
「ちょっと待って、セラは…セラは関係ないでしょ!」
「そうだぜ、こいつは何の関係もねえだろ!」
今の通達にセラのことが含まれていなかったことに声を上げると、サリアはやや驚きに眼を見張る。
「意外ね――アンタ達みたいな裏切者が人の心配なんて。本来なら伝える必要もないけど、いいわ――セラは反省房で3日間の謹慎だけよ。アンタ達を連れ戻してきただけとはいえ、勝手な行動をしたんだからね」
「――けじめはつけないと…ね」
侮蔑するサリアの言葉に繋げるように、それまで黙っていたエルシャが口を開く。その表情はどこか哀しげで、それでいてどこか冷たさを含んでいた。
処分の軽さにアンジュとヒルダが戸惑っていると、それを察したサリアが口を開いた。
「私がジルに頼んだのよ――セラの今回の行動も、アンタ達を連れ戻すためだってね…彼女には、ここを出たら私の副官として第一中隊に戻ってもらうわ」
その宣言にアンジュとヒルダが息を呑む。
「彼女は優秀だしね…必要なのよ、アンタ達と違ってね」
セラを引き合いに出され、二人が思わず睨みつけるも、サリアは動じず、逆に悔しげに唇を噛む。
「どうしてセラは、アンタ達なんかを連れ戻しにいったのよっ」
悔しげに震えるサリアに意表を突かれ、戸惑う二人にエルシャがサリアの肩を叩き、静かに二人に向き直る。
「ねえ、どうして? どうして脱走したの?」
静かに問われた一言にアンジュとヒルダは眼を見開き、息を呑む。
「私達は赤ん坊の頃からここにいるわ――外の世界を知らないし、待っている人もいない……セラちゃんもね」
その言葉に二人は心臓を鷲掴みされたように動揺し、思わず視線が眠るセラに向けられる。アンジュとヒルダは家族のために、会いたい人のために脱走した。
だがそれは、外の世界で過ごした記憶が鮮明に残っていたからだ。だが、アルゼナルにいるノーマのほとんどは親の顔も知らない赤ん坊や物心つく前に引き離された者だ。それはもちろん、セラもそうだった。
その事実に動揺する二人に、エルシャはやるせなさを含むように言葉を続けた。
「外にノーマの居場所なんてないのに……どうして?」
その事実を改めて突きつけられ、二人は苦く歯噛みして視線を逸らす。そんな態度にサリアは失望し、鼻を鳴らす。
「結局、私達とは違うってことよ、こいつらは――信じるんじゃなかった」
冷たく一瞥してサリアは踵を返し、反省房を後にする。それを見送ると、エルシャは視線をセラへと移す。ジルにやられて痣だらけになった痛々しい顔で眠るセラを悲しそうに見つめる。
「でも、セラちゃんはあなた達を連れ戻しに行った。こうなるって分かってたはずなのに……今のあなた達は、セラちゃんの優しさに甘えているだけ。もしそれが変わらないなら、二度とセラちゃんには近づかないで」
どこか怒りを含んだ視線で睨む――今まで見たこともないエルシャの威圧に気圧され、口を噤む二人を一瞥し、エルシャも反省房を出て行った。
残されたアンジュとヒルダは辛そうに、そして苦い面持ちで口を噤む。拳が震えているのは、己への怒りか――それとも、突きつけられた現実なのか、今は分からなかった。
夜も更け、アルゼナルは静けさに包まれていた。
照明すらない反省房は、唯一といっていいほどの窓から差し込む星と月明かりだけが、微かな灯りを差し込んでいた。
その間に少し落ち着いたのか、アンジュとヒルダはようやく別れた後の経緯をお互いに伝えた。といっても…ほとんど独白に近いものをなんとはなしに聞かせあっただけだ。
アンジュは裸にされて罪人のように妹に鞭で叩かれ、罵声を浴びせられて銃殺されるところだった。ヒルダは母親に罵られて、憲兵に私刑にされた。お互いに聞いた状況のハードさに驚くどころか自虐的な笑いが起こったほどだ。
そして……お互いに最後はセラに助けられたことも―――サリア達が去ってから既に数時間…未だ、セラは意識を戻さず、それに対して不安を感じながらも、アンジュとヒルダは己自身への不甲斐なさに考え込んでいた。
「――甘えている、か……ちくしょう!」
ヒルダが悔しげに歯噛みし、己に毒づく。
裏切られた現実に絶望していた中で、手を伸ばしてくれた―――否定されるだけだった自分の想いを認めてくれた。それに甘えてしまっていると分かっていた。分かっていても、他人から突きつけられて初めてその浅ましさに打ちのめされた。
サリア達が去ってから暫くして、今度はロザリーとクリスがやって来た。二人はアンジュには眼もくれず、ヒルダに詰め寄った。
ヒルダは視線を合わせようとせず、そんな態度にクリスが厳しい眼差しを向ける横で、ロザリーはヒルダの身を案じた。
そして、何故相談してくれなかったのかと寂しそうに訊くロザリーの言葉は正直予想外だった。だが、ヒルダは敢えて突き放した。ショックを受けるロザリーを押し退け、クリスはヒルダを侮蔑し、唾を吐きつけた。そして、死ねばよかったと、吐き捨てると反省房を去り、ロザリーはオロオロとした面持ちで後をついていった。
分かっていたことだった。脱走した時点で二人とは決別するつもりだったし、元々利用していただけに過ぎなかった。だが、思った以上にキイたのか、ヒルダは自虐的になる。
「――外の世界にノーマの居場所なんてない、か……」
先程のエルシャの言葉を反芻し、アンジュは拳を握り締める。
身を持って理解させられた―――あれ程故郷に帰りたいと、国民や家族を愛していると言っていた過去の自分を殴れるなら殴り飛ばしたいほどだった。
「差別され、辱められる世界…ドラゴンと戦わせられる日常―――クサってるわ、こんな世界っ」
あまりの理不尽さに笑えてくる――このアルゼナルも、世界も……すべてがノーマの牢獄だ。
「壊してやりたいわ――こんな世界っ」
自分を拒絶し、辱める世界――そんなもののために命を懸けていたことがすべてバカバカしく思え、アンジュは本気でそう呟いた。
その独白を聞いていたヒルダはどこか神妙な面持ちでボソッと呟いた。
「じゃあ、しろよ」
その言葉に顔を上げると、ヒルダが真剣な眼差しを向けていた。
「壊したいんだったらすればいいじゃねえか――本気でそう思ってるならな」
「ヒルダ……?」
あまりにらしくない態度に戸惑うアンジュに、ヒルダが告げた。
「セラに言われたんだ。本気でしたいならしろ、と――どう生きて、どう死ぬかは自分で決めることだってな」
昨夜の無人島でのセラの言葉を反芻する。
「セラが……?」
驚いた面持ちでセラを見やる。
「理不尽でない世界なんてない、平等なんて上辺だけだってな……ホント、あたしらよりも世界を分かってるって思ったよ。本気でしたいなら、か――」
自嘲するように肩を竦めるヒルダにアンジュも苦笑気味に肩を落とす。
「セラらしいわね……」
自分の生き方を自分で決める――ある意味、ノーマらしくない……だが、それでも正しいことのように思える。それを貫ける強さが羨ましかった。
「考えてみりゃ、こいつは母親の顔も知らねえんだよな――」
その言葉にハッとする。確かにヒルダは母親に裏切られた。だが、それでも母親と過ごした記憶は温かいものだった。だからこそ脱走してまで会いたいと焦がれた。アンジュも母親を思い出す。
故郷の醜い現実を垣間見た。だがそれでも、両親はそんな自分を愛してくれた。自らを犠牲にしてまで守ってくれた母親の最期を思い出し、アンジュは表情を顰める。
最低な世界だと思った。だが、そんな世界でも自分を愛してくれた両親――もう会えなくとも、思い出があるだけまだ自分達は幸せかもしれない。
「ホント、私って自分のことばっかね……」
自嘲するように肩を竦め、ヒルダを見やる。
「それにしても、随分セラのこと気にかけるのね? あんなに嫌ってたのに」
「う、うるせえ! あの時といい、いちいち昔のこと持ち出すな!」
からかうアンジュに、ヒルダが顔を赤くして怒鳴る。
「あ、あたしは命を助けてもらったんだぜ! 気に掛けて当然だろうが!」
「なっ、そ、それは私も同じでしょうが!」
思わず反論するアンジュに、売り言葉に買い言葉と言い合っていたが、そこへ微かな声が漏れ、二人はハッと口を噤んだ。
すぐに視線を下へと移すと、セラが微かな呻き声を漏らし、顔を顰めていた。眼が覚めたわけではなかった。何かに魘されているように呻く様に二人は驚く。
「セラ!?」
「おいっ、しっかりしろ!」
言い合いも忘れてアンジュとヒルダはセラを起こそうと身を揺すった。
(――――ここは、どこ……?)
自分の感覚がハッキリしない。そんなフワッとしたような心持ちのなか、セラは曖昧な意識を動かす。
一寸先も見えないような暗闇の中にいたかと思ったが、次の瞬間には周囲の光景がガラリと変わった。辺り一面に広がる廃墟の街並み―――朽ちてからの年月を強く感じさせるほどに広がる破壊の後は、遥か彼方まで続いているように錯覚する。
生命の気配もない――生命あるものがまるですべて死に絶えたような地獄に、セラは独り佇んでいた。
(地獄――ってわけじゃなさそうだけど……)
身体はまるで地面に縫いつけられたように動かない。
何故こんな場所にいるのか……思考の片隅でそんな考えが過るも、それは内から沸き上がる既視感に打ち消される。
(知っている……私は、この光景を―――)
初めて見るはずなのに…どこかで見たことがあるような錯覚を生み出す。不意に、視線が上がり、廃墟の奥に聳える巨大な建造物が見える。
崩壊し、朽ちているがその巨大さは見て取れる。
(アレは…暁ノ御柱………?)
ミスルギ皇国で見た巨大な柱――大きく破壊されてはいたが、見間違えるはずがない。なら、ここは『ミスルギ皇国』なのか………だが、それは次の瞬間、視界を大きく覆うような闇に呑まれる。
崩壊した廃墟も、暁ノ御柱も――世界すべてが暗闇に閉ざされ、セラはそんな闇の中に放り込まれる。もはや立っているのかも怪しくなるほど、浮遊するような感覚に身を委ねていたが、不意に暗闇に差し込むような光が溢れる。
ハッと顔を上げると、暗闇の中で紫光を放つ月が昇っていた。
月の光に導かれるように視線を動かすと、セラの前には巨大な影が佇んでいた。息を呑むセラの前で佇む影は暗闇に覆われ、その姿を覗うとはできない。
だが、セラは何故か不思議な感覚に包まれていた。驚きこそあれど、不安も戸惑いもなかった―――影を見つめるセラに向かって影はゆっくりと腕を伸ばす。
その掌が視界を覆うほど広がった瞬間……セラの意識は何かに引っ張られるように覚醒した。
「っ!」
ハッと眼を覚ますと、すぐ視界に飛び込んできたのは、こちらを不安気に覗き込むアンジュとヒルダの顔だった。
「アンジュ? ヒルダ?」
どこか戸惑った声を上げるセラに二人は安堵するように息を吐いた。
「よかった、魘されてたから心配したわ」
そう口にするアンジュに、セラは先程まで見ていた光景を思い出す。
「夢……?」
そうは思えないほどリアルな感覚だった。鮮明に思い出せるほど、現実感のある光景だった。厳しげな面持ちで口を噤むセラにアンジュが眉を顰める。
「大丈夫? あの女にやられたところがまだ痛むの?」
「別に、大したこと――」
「なんだよ、じゃあアンジュの膝枕じゃ悪夢見るほど寝心地がよくねえってか」
セラの言葉を遮るようにヒルダが不敵に笑いながら指摘すると、アンジュの眉が一気に吊り上がる。
「どういう意味よ!」
「事実だろうが、現にセラが魘されてたんだしよぉ」
その指摘に悔しげに歯噛みするアンジュの様子をしたり顔で笑うヒルダ――その様子にセラは小さく苦笑し、身を起こした。
「セラ……」
「大丈夫――大したことないから」
正直、ジルにやられたのはそれほどではない。むしろ、今まで視ていた夢の方が引っかかるも、答は出ない。徐に視線を動かし、今の場所を確認する。
「反省房か」
小さく肩を竦めると、セラは不意に隅に置かれていた制服に気づく。ここに放り込まれた時には既に3人分が用意されていた。ヒルダはボロボロのワンピース、アンジュは裸だったので、既に着替えていた。思えば、もうかれこれ数日間同じ格好だ。汗もかいたし、臭いも少し気になる。反省房である以上、水で身体を拭くというようなこともできないが、このままでいるよりはマシだろう。
ライダースーツを脱ぎ、制服に着替えるセラに向かって、アンジュが呟いた。
「セラ、あなたはずっとここで生きるの?」
不意打ちに近い問いかけに、セラが一瞬動きを止める。
「あなたも見たでしょ、あのクサッた人間達の世界を――あんな連中の世界のために、ここで戦い続けるの?」
アンジュの口調の中に混じる憤り――理不尽な世界のために戦わなければならない現実への忌避感がこもっていた。
「私達が戦うべきは、『人間』じゃないの……?」
己自身に問うように背中越しにセラに向かい合うアンジュは、縋るように言葉を続ける。
「セラ、あなたも私と一緒に――」
「『人間』を滅ぼせ、とでも言うつもり?」
その言葉にアンジュがビクッと身を震わせ、動きを止める。セラは無言のまま着替えを再開し、着替え終わるとゆっくり向き直る。
凝視するアンジュの顔には戸惑いが浮かんでおり、小さく肩を竦める。
「そうしたいならすればいいわ――私は別に、人間のために戦ってなんかいない。生きるためよ――こんなクサッた世界に抗うためにね。私の生きる道を阻むなら、人間だろうが殺すわ。でも、だからといって滅ぼしたいと思ってなんかはいないわ」
別に人間が憎いわけじゃない――無論、外の世界で垣間見た人間のノーマへの迫害を見て、怒りを憶えたのは事実だ。だからといって、すべてを滅ぼしたいと思うほどでもなかった。
「正直、そんなことをするほどの価値すらないわ―――豚が煩く鳴いている程度よ。喚くだけしかできない家畜なんて、相手にする? それに、そうやって憎しみのままに滅ぼすなら、あの家畜どもと同じになるわよ」
その指摘にハッとなる。
気に入らないと、拒絶されたことへの怒りと憎しみのままにやり返せば、それは『同じ』ということだ。
「それでもしたいならすればいいわ――けどね、ただ無為にやるんじゃないわ。殺すのは…『敵』よ――自分にとっての『敵』が何なのか―――」
『敵』―――その言葉が、アンジュの中に木霊する。自分にとっての『敵』……それは何なのか、思わずそう自問し、迷うアンジュにセラが不意に口を開いた。
「……一度や二度悩んでも、答なんて出やしないわ。ひょっとしたら、悩んだ末に出した答も正しいか間違っているかなんて分からない―――」
顔を上げるアンジュに背を向け、セラは窓から月を見上げる。
「だけど、立ち止まることはできない。もし間違っていると思ったなら、また別の道を探せばいい…それが自分の信じる道なら、覚悟をもって進まなきゃいけない――それが、生きるってことよ」
後悔しない道を選ぶなど不可能だ。だが、悩み、迷い……そして道を選択して生きていかなければならない――その道が正しいか間違っているか、それを判別するのは自分でしかないのだ。
沈黙が落ちるなか、ヒルダが大仰に声を上げた。
「あー、難しすぎてあたしにはさっぱりだ……先に寝るぜ」
そう言ってシーツを羽織り、ベッドに横になるヒルダを一瞥すると、セラは静かに唄い出した。窓から差し込む月光に照らされる中で唄うセラの声にヒルダはシーツの下で小さく笑い、アンジュはそれに聞き入る。
聞く中で、アンジュはハッと気づく。
セラもまた迷っているのだ、と――だからこそ、唄うのだ……『道を指し示す』、この歌を―――アンジュも自然と口を開き、セラの音色に自身の声を乗せていく。
セラとアンジュの唄声が反省房だけでなく、アルゼナル全体へと響いていく。重なる旋律に気づいた者達はそれぞれの想いを胸に秘めながら、その歌に聴き入る。
その中には、部屋にいたナオミにも届いていた。不安げな面持ちで俯いていたナオミは、耳に聴こえた歌にハッと顔を上げる。
「セラ……帰ってきたんだ………」
アンジュと一緒に―――ナオミは安堵とともに顔を綻ばせる。
聴こえてくる唄声は、セラの他にアンジュの声も聴こえる。『約束』を守ってくれたことに嬉しくなり、ナオミもその旋律に誘われるように、唄い出し、委ねていく。
旋律が流れる―――迷いと、そして進むための覚悟を秘める想いをのせて―――安らぎを齎す………次なる運命を導く調べのごとく――――
あけましておめでとうございます。
新年一発目――非常に難産でした。もう原作とガラリと会話内容が変わるので、自分の中で何度も書き直しながら、セラなら何と言うか、アンジュなら何と答えるか、何度も自分の中で考えながら書きました。
ともあれ、これでいよいよ次はサラ達の登場です。
いろいろサプライズはありますし、先にネタバレしますと、遂にセラに主人公恒例の乗り換えイベントが!
次に書くのはどれがいいですか?
-
クロスアンジュだよ
-
BLOOD-Cによろしく
-
今更ながらのプリキュアの続き