クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 紫銀の月   作:MIDNIGHT

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月下の慟哭

ミスルギ皇国より離脱したヴィルキスは夜の海上を疾走していた。

 

「無事逃げ切れたみてえだな」

 

セラの背中にいるヒルダが後方を時折振り返りながらそう呟く。

 

「追っ手を出せるほど余裕があるとは思えないけどね」

 

「そりゃそうか! あの光景、思わずスカッとしたぜ!」

 

不敵に返すセラにヒルダが喝采気味に笑う。あの場にいた民衆の手当やジュリオにシルヴィアといった皇族のあの状態からロクな対応はできないだろう。

 

追っ手を出せるほど頭が回るとは思えない。

 

「とはいえ、油断はできないわ。このまま逃げ切るわよ」

 

そもそも無理して3人でシートに乗っている状況だ。こんな状態では迂闊に戦闘行為も取れない。セラとヒルダのやり取りをようやく気持ちが落ち着いたアンジュは見つめながら、なにか釈然としなかった。

 

妙にヒルダがセラに馴れ馴れしいのだ。先日まであれ程敵視していたというのに―――なにか、心の中で不快感を憶えていたが、不意に何かを忘れていると逡巡し、ハッとする。

 

「モモカ……モモカがっ!?」

 

思わず声を上げ、驚くセラにアンジュが叫ぶ。

 

「セ、セラ、お願い! モモカも助けなきゃいけないの! 戻って!」

 

「はあ? こんな状況で戻れって――」

 

突然の申し出にヒルダが制する。この状況で戻ることがどれだけリスクが高いか、アンジュとて理解しているが、それでもモモカだけは見捨てられなかった。

 

唯一最後まで自分を信じてくれた少女を見捨てることなどできるはずがなかった。危険を冒してまで助けてくれたセラに対して申し訳ないとは思っても、言わずにはいられなかった。

 

戸惑うヒルダとは別に、セラは特に動揺した素振りもなく、やがて静かに告げた。

 

「モモカなら大丈夫よ」

 

「え……?」

 

「どうやら、私以外にも『物好き』がいたみたいだからね――」

 

困惑するアンジュに、セラは先程の広場での光景を思い出す。処刑台の上で兵士を相手にしているなか、視界の端で見た―――モモカを助けるタスクの姿を。

 

(アレは確かに『タスク』だった―――)

 

数ヶ月前に無人島で出会った青年――モモカを助け、そして一瞬視線がかち合った時にアイコンタクトを送ってきたことからも間違いないだろう。何故彼があの場にいたのか、どうしてこの事態を知ったのか――疑念は尽きなかったが、あの場では彼の意思に従うしかなかった。

 

「モモカは別のルートで脱出しているはずよ――無事だから、今は信じなさい」

 

「―――分かったわ」

 

そう諭され、アンジュも頷く。まだ納得はできないものの、セラの言葉を信じることにした。

 

それから暫し無言の状態が続き、ヴィルキスは全方位が海の上を飛んでいた。比較対象がない中で飛ぶことをアンジュもヒルダも不安を憶えていたが、当のセラは時折星を見上げながら進路を修正し、迷うことなく操作していた。

 

やがて、先に小さな島々が点在しているのが見える。ここまで来れば、アルゼナルまで後少しだろう。その時、セラは操縦桿を切り、機体を降下させた。

 

戸惑う二人を横に、セラは小さな無人島の浜辺にヴィルキスを着陸させる。

 

「おい、どうしたんだよ、急に?」

 

「今日はここで休むわよ」

 

「きゃ」

 

訊ねるヒルダに投げやり気味に返すと、アンジュを抱えたままヴィルキスから降り、その拍子にアンジュは小さな悲鳴を漏らす。

 

その様にヒルダはどこか面白くなさげだが、小さく悪態をつきながら機体から降りる。ヴィルキスから離れた位置に流れ着いたと思しき流木があり、そこへアンジュを座らせる。

 

どこか名残惜しそうにしているアンジュに気づかず、セラはヒルダに向き直る。

 

「ヒルダ、悪いけどその辺で枯れ木を集めてくれない? 火を起こすから」

 

「へいへい、分かったよ」

 

頭を掻きながらため息をつき、ヒルダは浜辺の周囲を散策しながら流れ着いた枝木や内陸の方の木々を集めていく。その間にセラはヴィルキスに戻り、機体のフリースペースに詰め込んであったサバイバルキットを取り出す。

 

アンジュの元の戻る時には、ヒルダは既に木々を集めて山を作っており、どこか不敵に笑う。小さく苦笑しながら、セラは燃料を取り出し、マッチで火をつけると放り込む。

 

やがて火が燃え移り、大きな炎になっていく。燃え盛る焚き火をアンジュはどこか心ここにあらずといった面持ちで眺めていた。

 

そんなアンジュの横に座り、ヒルダも傍に座る。

 

「けどよ、なんでこんなとこに降りたんだ?」

 

「――アルゼナルに戻ったら、多分ゆっくりなんてできないわよ」

 

そう指摘され、ヒルダはげっとばかりに顔を苦く引き攣らせる。今更だが、アンジュとヒルダは脱走犯だ。セラも立場的には変わらない。

 

そんな状況でアルゼナルに戻ろうものなら、厳罰は避けられないだろう。それに、アルゼナルに戻れば、嫌でもロザリーやクリスと顔を合わせることになるだろう。

 

「ホント、面倒くさ―――いっそのこと、このまま三人でどこかで隠れて暮らさない?」

 

悪態を返しながら、ヒルダはそう、提案する。正直、アルゼナルに帰るのも気が進まないのだ。ならいっそ、このまま雲隠れするのも手かと本気で思ったが、セラは苦笑気味に首を振る。

 

「なんだよ、そんなにあそこがいいのかよ?」

 

思わず不機嫌そうに訊ねるヒルダに肩を竦める。

 

「そんなんじゃない――ただ、約束したから」

 

「約束?」

 

「そ、ナオミとね――必ず帰るって……破るわけにはいかないでしょ」

 

どこか穏やかな面持ちで言いながら、セラは弱っていた火に木を放り込んで火を燃やす。その答にヒルダは少し口を尖らせる。

 

(ちぇ、やっぱライバルはアイツか―――)

 

不機嫌そうにするヒルダにセラが首を傾げるも、横のアンジュがさっきから無言でいることに眉を顰める。ヒルダもそれに気づくと、小さく舌打ちする。

 

「あーあ、つまんねえ……どうせ、アルゼナルに戻ったらロクな目に合わねえだろうしな。あたし、少しその辺り散歩でもしてくら」

 

わざとらしそうに声を上げ、ヒルダは立ち上がる。そのまま離れていく背中を見送り、その意図を察したセラは小さく感謝する。

 

ヒルダの姿が消えると、アンジュは唐突に訊ねた。

 

「ねえ、どうしてヒルダと……?」

 

アンジュもそこが気になっていた。彼女は母親の元に帰ったのではなかったのだろうか――そう疑問を口にすると、セラはどこか能面のように無表情で枯れ木をくべる。

 

「――詳しくは言えないけど、アンタと同じよ」

 

その一言ですべて察したアンジュは驚きに眼を見張り、やがて沈痛な面持ちで俯く。無言が続くなか、アンジュはただずっと炎を見つめており、セラは徐に水を差し出す。

 

「ほら」

 

顔を上げたアンジュに促すと、おずおずと受け取り、ゆっくりと飲んでいく。水を飲むのも久しく感じるぐらいの感覚だった。

 

心の奥に染み渡るような冷たさが心持ちを落ち着かせてくれるなか、セラがアンジュの羽織っていた外套を取り上げる。

 

「セラ……?」

 

突然のことに戸惑うアンジュに、セラはアンジュの肩を叩く。

 

「背中向けなさい」

 

「え……?」

 

「怪我してるんでしょ? 手当をしないと」

 

その指摘に思い出す。先程までシルヴィアに鞭を受けていた背中にはまだ傷みが残っている。沈痛な面持ちを浮かべるアンジュの肩を掴み、そのまま背を向けさせると、セラはキットの中に入れていた薬を取り出し、アンジュの赤くなった背中に塗っていく。

 

走る痛みに微かにアンジュが顔を顰めるも、声を押し殺す。薬を塗り終えると、セラはアンジュの背中に包帯を巻いていく。

 

「ほら、これでいいわ」

 

手当を終えると、セラは改めてアンジュに外套を羽織らせる。

 

「ありがと――」

 

小さく礼を述べるアンジュに肩を竦め、セラは左手に付けていた指輪を外す。

 

「それ――」

 

「ほら……大事なものなんでしょ? こんなものを渡されても困るしね――しっかり持ってなさい」

 

セラはアンジュの手を取り、指に指輪を嵌める。

 

嵌められた指輪を見つめながら、アンジュはジュリオに捕まった時のことを思い出す。ジュリオに指輪はどうしたと訊かれたが、心情的に応えられるような余裕はなかった。だが、もし持っていたなら間違いなく取り上げられていただろう。

 

その意味では、セラに託したことは僥倖だった。ある意味で、今生の別れのような決意で指輪を置いてきたので、それが今またこうして自分の手にあるのが不思議な感覚だった。

 

「―――助けにきてくれて、ありがとう……」

 

暫し無言が続いていたが、やがてアンジュはそう呟く。

 

「大したことじゃない――あんな遺言めいた手紙なんか渡すんじゃないわよ」

 

軽く毒づくセラにアンジュはバツが悪そうになる。確かに、あの文面ではそう取られても仕方ないが、そう指摘されるとなんとも気恥ずかしくなる。

 

「でも、どうして……?」

 

何故、セラはアンジュの危機が分かったのだろうか――そう疑問を口にすると、セラはこれまでの経緯を説明する。

 

モモカがアルゼナルにやって来た頃から、ミスルギ皇国のことが引っ掛かっていたこと――それをフェスタの日に調べ、その事実を掴んだことを伝えると、アンジュは驚く。

 

「それを伝えようと思ったんだけど、アンタは既に脱走していたからね」

 

アンジュはあの脱走の瞬間を思い出し、そう言えばセラがあの時何かを必死に伝えようとしていた様子だった。

 

「――私、ホント馬鹿だったわ……まんまと騙されて、あんな国に帰りたいと思ってたなんて」

 

自虐するようにアンジュが髪を掻く。

 

「兄も妹も、国の人間達も――私は忌むべき『ノーマ』でしかないって……アンジュリーゼは、とっくに死んでたんだって―――――」

 

いくら過去を捨てたといきがっていても、心の中ではまだ皇女だった自分を捨てきれずにいた。モモカが来て、そしてミスティと再会し、それは少しずつ大きくなった。

 

そこへシルヴィアからの通信だった―――過去の過ちを償うために、家族を守りたいという思いだけで飛び出した結果がこれだった。

 

もはや喜劇でしかない――自分は踊らされていたことにも気づかずにいたピエロだった。

 

「そのせいで、またあなたに迷惑をかけちゃった……助けられてばかりね、私―――」

 

アルゼナルに来てから、ずっとセラに助けられてばかりだった。今回も、自分で蒔いた種だというのに、助けに来てくれた―――それを嬉しく思う反面、己の不甲斐なさが情けなくなる。

 

疑いもせずにのこのこと脱走し、その挙句、自分から裏切った相手に助けられる―――自分はこれ程、情けなく惨めな存在だったのだろうか……被虐的になるアンジュの顔が陰りを帯び、疲れたように歪む。

 

「ホント――救いようのない……馬鹿………っ」

 

刹那、アンジュの言葉を遮るようにアンジュはセラの腕に頭を抱えられ、胸の中に押し付けられた。

 

「セ、ラ……」

 

呆気に取られ、呆然となるアンジュの頭に顔を寄せ、耳元を囁く。

 

「もういい……」

 

無意識に、抱く腕の力が強くなる。

 

「それ以上、言わなくてもいい――これ以上、自分を責めるな」

 

その言葉にビクッと肩を震わせ、アンジュは動悸が激しくなる。そんなアンジュを包むように、セラは言葉を続ける。

 

「誰だって間違いぐらいする。間違いを犯さない生き方なんてない――」

 

それは、以前にもセラが言った言葉だった。

 

「過去は変えられない――どう足掻いても、どんなに悔やんでも、どんなに喚いても、どんなに渇望してもね。だったら、その過去を糧にすればいい。失敗があるから、辛い過去があるから、『今』がある。それをすべて否定したら、今の『アンジュ』というすべてを否定することになる。アルゼナルにきて、過ちを経験して、歯を喰い縛って耐えてきた道筋を、努力や決意まですべて自ら否定することになる。アンタはそれでいいの――?」

 

静かに語るセラの言葉が、アンジュを動揺させる。

 

「私、は……」

 

片言のように、弱々しく呟くアンジュに、セラは強く頭を抱き締める。

 

「無理に抱える必要なんてない――辛いなら、泣けばいい……胸ぐらいは貸してあげる」

 

「泣いて、いいの……?」

 

それは、己の弱さを認めることへの不安から出た言葉だった。隠された顔の下で、まるで自分自身に問い掛けるように窺うアンジュに、微笑を浮かべる。

 

「涙を見せることは、決して恥ずかしいことじゃない――本当に辛いときなら、泣けばいい。その涙を糧に強くなりなさい―――弱いことは罪じゃない。でもね、自分の弱さを認めないことが罪なのよ。思いっきり泣きなさい、アンジュ」

 

その言葉に、アンジュの心を支えていたものが決壊した。

 

「うっ、うぅぅぅ…うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ! ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!」

 

セラの胸に顔を埋めたまま、アンジュは声を上げて感情のままに哭いた。

 

信じていた――ずっと大切に思っていた『アンジュリーゼ』という自分……大好きだった故郷に家族―――裏切られたショックと失望、己自身の不甲斐なさ。なにより赦せないのは、セラに助けられてばかりいる自分自身―――泣くなかで、アンジュは強く思った。

 

 

―――強くなる、と………

 

 

静かな決意を秘めながら、アンジュは哭き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

それから暫くして、アンジュの慟哭が響いていた浜辺には再び静けさが戻っていた。

 

「――寝ちまったのか、そいつ」

 

微かに音を立てる焚き火の傍にヒルダが戻り、そう問い掛けると、セラは小さく頷く。アンジュはセラの膝に頭を預け、静かに眠っていた。

 

内に抱えていたものを吐き出したためか、先程と比べても、僅かに穏やかな面持ちを浮かべている。セラはそんなアンジュの髪を優しげに撫で、微笑する。

 

「こいつもあたしと一緒か――信じていたものに裏切られて、自分が何のために生きているのかが分からなくなっちまったクチだよ」

 

自嘲気味に笑い、ヒルダはセラの横に腰を下ろす。

 

「悪かったわね、気を遣わせて」

 

「へっ、別に」

 

鼻を鳴らすヒルダに苦笑する。散歩と言いながら、ヒルダはヴィルキスの影に隠れてこっそり様子を窺っていた。そして、アンジュの慟哭にヒルダも共感するような思いだった。

 

「なあ、なんで世界ってこんなにムカつくんだろうな――」

 

不意にポツリと呟くヒルダに、セラが顔を向ける。ヒルダにしてもアンジュにしても、ただ家族に会いたいという思いだけで行動したのに、その結果は散々なものだった。

 

ヒルダにはそれが理不尽なものに見えて仕方なかった。

 

「こんな世界、ぶっ壊してやりてえよ……」

 

思わず吐露したのは、ヒルダにとっての本音だったかもしれない。自分を否定した世界を憎んで、どうしようもない感情の向かうままに言い放っていた。

 

母親の仕打ち、ミスルギ皇国の人間の無情さ―――こんな世界のために戦わされることが理不尽に思えて仕方なかった。

 

「―――そうしたいなら、そうすればいい。それがアンタの思いならね」

 

無言で聞き入っていたセラがそう返し、ヒルダは驚いたように見やる。

 

「理不尽でない世界なんてない――『平等』なんて、所詮上辺だけの言葉よ。幸福があるなら、必ずどこかで不幸がある――それが現実よ」

 

人間のために使われるノーマ――何も知らない、分からない赤ん坊の時に刷り込まれる歪んだ義務。洗脳に近いようなやり方に疑問を覚え、セラはそれに従うつもりはなかった。

 

「私は、人間のために戦ったことなんて一度もない――私が戦うのは、『生きる』ためよ。生きて、生き足掻いて、世界に抗うためよ」

 

死んで初めて『人間』に戻れる――その現実に心底嫌悪した。どんなに綺麗なお題目を掲げられていても、結局は血生臭い汚れ仕事を押し付けられているだけ。

 

むしろ、ドラゴンと共に滅びてくれとでも思っているかもしれない。そんな連中のいい加減な世界のために殉じるつもりなどさらさらなかった。

 

「ノーマの運命なんて知ったこっちゃない――私が生きる道は、自分で切り拓く。私の前に立ち塞がるなら、ドラゴンだろうが人間だろうが、排除する。生きるためにね」

 

最低かもしれない、歪んでいるかもしれない――だが、セラはそれを変えるつもりもなかった。綺麗な言葉で誤魔化すつもりもない。

 

自分の生き方の上にある業を背負うと決めたときから、曲げることはできないのだ。

 

過去を辛いと嘆いても、何も変わらない。ただそうやって弱さに蓋をして逃げたいならそれでも構わない――だが、そんなことは無意味だ。それを糧にして、生きるかどうかを決めるのは自分自身だ。

 

「ホント…変わってるよ、てめえは―――」

 

その揺るがなさに、心底呆れると同時に、魅入られてしまうような強さがある――とても、自分よりも歳下とは思えないその様に、ヒルダは肩を竦める。

 

「てめえ、本当にあたしより歳下か? そんな風に考えてる奴なんていねえぜ」

 

どこか茶化すように見やるヒルダにセラも苦笑を返す。

 

「自分でも不思議なのよね――たかだか十数年しか生きてないのに……まるで、随分永い刻を生きてきたように錯覚する時があるの――――傍から見れば、頭がイカれてるかもしれないわね」

 

アルゼナルという環境がそう思わせるのか、セラには分からなかった。ただ、ずっと何かが自分の中で燻り、そして得体の知れない虚無感にも似たような漠然とした不安があった。

 

自分であって『自分(セラ)』でないような―――そんな曖昧で不確かなもの。物心がつく前に感じていたそれを埋めるために、振り払うために強くならねばならなかった。

 

「だけど、私は『(セラ)』よ――それだけは変わらない」

 

「そっか――けどさ、あたしにとっては羨ましいけどな……そんな風に生きられることがさ」

 

微かな羨望を口にし、ヒルダが寄りかかり、セラの肩に頭を置く。

 

「ヒルダ……?」

 

「少しぐらいあたしにも甘えさせろよ……あたしだって傷心してるんだぜ。そのイタ姫様と同じぐらい優しくしてほしいね」

 

どこか拗ねたように口を尖らせるヒルダに眼を白黒させる。だが、ヒルダは無遠慮に体重を預け、身を委ねてくる。

 

理由は分からなかったが、セラはヒルダの好きなようにさせた。やがて、微かな寝息が聞こえ、セラは小さく嘆息した。

 

動くに動けなくなったセラは無言のまま星空を見上げる。

 

雲ひとつない星空のなか、月が紫光を放ち、世界を照らす―――その寵愛が向けられるのは、何なのか……セラは静かに口を開き、唄いだした。

 

「哀しみ喜び慟哭さえも銀の河から見ればすべてはいっときの夢花火―――」

 

静かな浜辺に流れる旋律が月に紫光に導かれるように満ちる。傷ついた心を癒すように―――そして、セラの心を導くように――――

 

その時、機械的な音が響いた。

 

顔を上げると、島の頭上に一機の輸送機が現われた。その轟音に眠っていたアンジュとヒルダが眼を覚ます。

 

「なんだよ、せっかく気持ちよく眠ってたのによ…」

 

「なによ――っ」

 

二人もまた輸送機に気づき、動揺する。無意識にセラにしがみつくが、その時輸送機のハッチが開き、顔を出した人物に眼を見張った。

 

「アンジュリーゼ様!」

 

「モモカ……!?」

 

ハッチから顔を出すモモカが笑顔で手を振り、アンジュは戸惑いよりも嬉しさが増す。やがて輸送機が着水し、降りてきたモモカが涙を浮かべてアンジュに駆け寄り、アンジュも嬉しそうに抱きつく。

 

「アンジュリーゼ様、ご無事でよかった……」

 

「モモカ、あなたも――本当によかった」

 

再会に感動する二人を横に、セラは輸送機から降りてきたもうひとりに気づき、そちらに顔を向ける。

 

「やあ」

 

「お久しぶり、かしらね?」

 

会釈するタスクに礼を返す。

 

「セラ、何だよこいつ? 男か?」

 

セラの横にいるヒルダはどこか不機嫌そうにタスクを睨んでいる。

 

「ま、ちょっとした知り合いかしらね」

 

「ああ、どうにか合流できてよかった……うわぁっ」

 

砂浜に足をつけた瞬間、砂に埋まっていた海藻に足を取られ、バランスを崩したタスクがセラに倒れ込む。巻き込まれる形で倒れた拍子に砂埃が舞い上がる。

 

「げほっ、ご、ごめん……だいじょう――ぶ……」

 

「ええ、問題はないけど――どうしたの?」

 

気づくと、タスクはセラの顔のほぼ間近に倒れていた。少しでも顔を寄せれば、キスできそうな位置だ。おまけにタスクの手はまたもやセラの胸を掴んでおり、微かに色づく唇にタスクがドギマギしていると、横から異様なオーラのようなものが噴出した。

 

「こ、このドクズの変態がぁぁぁぁぁぁっっ!」

 

「セラに何してやがるぅぅぅぅぅぅっ!」

 

「ぶべらっ!!」

 

ワナワナと震えていたアンジュとヒルダの渾身の一撃が左右からタスクを捉え、タスクは身体を回転させながら宙を舞い、砂浜に顔から突き刺さった。

 

「まったく、油断も隙もないわ! このエロタスク!」

 

「セラとキスしようなんざ、あたしが赦さねえ!」

 

憤慨する二人を他所に、セラは呆気に取られたままだった。

 

 

 

 

あれから数十分後―――輸送機にヴィルキスを積載し、一路アルゼナルへの帰還の途についた。

 

「アンジュリーゼ様、本当に、本当に…申し訳ありません――――」

 

沈痛な面持ちでモモカが謝罪する。知らなかったとはいえ、敬愛する主を危険に巻き込んでしまったことに、モモカは酷く傷ついていた。

 

「何言ってるのよ、あなたは何も悪くないわ――むしろ、スッキリしたしね」

 

「アンジュリーゼ様……?」

 

「あんな家畜の肥溜めのような国、見切りがついて清々したから――」

 

戸惑うモモカにアンジュはそう毒づく、不敵に笑うアンジュの姿に安堵したのか、モモカはまたもや涙を浮かべ、泣きじゃくる。

 

「ほら、もう泣かないで……あなたも無事でよかったわ」

 

またもや感極まって抱きつくモモカだったが、ふと疑問に思ったことを訊ねた。

 

「そう言えば、なんでタスクと一緒にいたの?」

 

セラからモモカが無事だと聞かされてはいたが、彼女の言う『物好き』がタスクとは思いもしなかっただけに、驚きを隠せなかった。

 

「あ、はい…セラ様が現われた時に助けていただいて――アンジュリーゼ様と私を助けるために来た、と」

 

その後、タスクと一緒に脱出したモモカは皇室の輸送機を一機奪い、そのままミスルギ皇国から脱出した。セラの読み通り、皇族の負傷に加え、国中が混乱して追撃を出せる余裕などなかった。

 

「そう…あ、タスクに変なことされなかった?」

 

「いえ……あ、でもアンジュリーゼ様のことは寝食を共にしたことがあると―――」

 

「はあ?」

 

突然とんでもないことを口にするモモカにアンジュが眼を見張り、上擦った声を上げ、横で聞いていたヒルダがどこか楽しげに笑う。

 

「へぇ、ただならぬ関係ってやつ? イタ姫様もスミにおけないねえ」

 

「ちょ、そんなんじゃないわよ!」

 

力いっぱい否定するも、ヒルダはしたり顔で笑みを噛み殺すのをやめない。

 

「男勝りだったアンジュリーゼ様にも、そのような方ができて、私もう嬉しくて―――」

 

「だから違う!」

 

こちらはこちらで暴走する侍従にアンジュは声を張り上げる。

 

そんな喧しいやり取りを後ろに、セラは操縦席に移動し、操舵するタスクに話しかける。

 

「大丈夫?」

 

「ああ、あの子が自動操縦にしてくれたから、計器を見てるだけだよ」

 

「いや、アンタが――」

 

そう指摘すると、タスクは青く腫れた顔を苦く引き攣らせる。あの後、アンジュとヒルダにボコボコにされ、見るも無残な状態にされたのだが、タスクはいつものことだから大丈夫と苦笑いだ。

 

軽く肩を竦め、横のシートに座る。

 

「ひとつ訊いていい? なんであの場所にいたの? 言っとくけど、偶然ってのは聞かないからね」

 

いくら顔見知りとはいえ、あの島で別れてからこれまで一切の接触がなかったタスクがアンジュの危機を知ったとは思えない。

 

たまたまあの場にいた、というのもあり得ない話ではないが、むしろ『知っていた』と考えた方が自然だろう。

 

口ごもるタスクに、セラは回答を突きつける。

 

「ジル司令――ね」

 

返答はなかったが、それが『正解』だとばかりにタスクは沈黙を返す。

 

「あなた、いったい何者なの? 男のノーマなんて聞いたことがないし、かといって『人間』ってわけでもなさそうだけど……」

 

これまで、ノーマが男に現われたという事例は聞いたことがない。だが、人間なら『マナ』が使えなければおかしい……あんな無人島に居たことからも何かあるのではと思っていた。

 

それに、ヴィルキスの横に置かれている飛行艇――チラッとしか見ていないが、構造的にはパラメイルとほぼ同じ造りに見えた。

 

ノーマでもなければ人間でもない――加えてジルの旧知となれば、勘ぐらずにはいられない。疑念を向けるセラにタスクはどこか気まずげだったが、やがて静かに口を開いた。

 

「俺はタスク――ヴィルキスの騎士さ」

 

「ヴィルキスの…騎士―――?」

 

「ああ、ヴィルキスを守り、その乗り手を護ることが俺の使命だ」

 

嘘は言っているようには見えなかったが、それでも『ヴィルキスの騎士』とはどういうことなのか――戸惑うセラにタスクが向き直る。

 

「俺からもひとつ訊いていいかい? ヴィルキスは、君を選んだのか?」

 

真剣な眼差しで問いただすタスクにやや面喰らいながら、セラは小さく頭を振る。

 

「どうかしらね? 今回は、あのバカを助けるために力を貸してくれたみたいだけど――」

 

未だ後方で騒ぐアンジュとその奥で鎮座するヴィルキスを一瞥し、そう返す。なんとなくだが、ヴィルキスは自分を乗り手としては認めていないような気がする。

 

ただの機械――ではないと、セラはヴィルキスの異質性に気づいていた。そして、実際に操縦してみて感じた――自分の感覚と妙にズレていると。

 

「そうか……」

 

タスクも追求はしなかったが、それでもその顔がどこか残念そうにしているのにセラは気づかなかった。

 

「詳しくはジルに訊くといい――俺に連絡をくれたのも彼女だ」

 

「司令、ね―――」

 

どこか含むような口調でセラは腕を後頭部に回し、それに頭を預ける。

 

「―――ひと悶着ありそうね……(アレクトラ皇女様――)」

 

小声でボソッと呟き、セラは少し休もうと眼を閉じるのだった。




はい、申し訳ありません。予定では今回の話の後に、サラ達の登場を描く予定だったのですが、急遽アンジュとのエピソードを挟みたくなり、今回の話を入れ込みました。

このあとはどうやっても入れられそうな隙間がないこともありましたが、原作では強がっているように見えたアンジュですが、やはり故郷に裏切られた傷みがあったのではないかと思い、今回のエピソードを入れました。

この作品では、アンジュは『ヒロイン』なので(笑


あと、お知らせといたしましては、今回は年内最後の更新になるかと思います。
仕事が忙しくなっているので、年明け以降はかなり執筆スピードが落ちるかと思いますが、完結はさせますので、気長にお付き合いいただければ幸いです。

この作品を読んでくださっている皆様、よいお年を。

次に書くのはどれがいいですか?

  • クロスアンジュだよ
  • BLOOD-Cによろしく
  • 今更ながらのプリキュアの続き

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