クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 紫銀の月   作:MIDNIGHT

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※注意

今回は文面中にかなりグロい表現があります。
そういった表現を嫌悪される方はご注意ください。


血の雨と悲しみの涙

月光と星の灯りが照らす空を飛ぶ純白の機体―――ヴィルキスは加速したまま真っ直ぐに飛び、操縦するセラはレーダーを時折見やり、星を確かめながら進路を調整する。

 

パラメイルには長距離を航行するためのマップがないため、セラはアルゼナルで見た世界地図を思い浮かべ、縮尺から距離を算出し、方角は星の位置を基準に導き出していた。

 

昔、幼年部の講義をサボって資料室でたまたま見た星の位置で方角を確かめる方法をまさかこんな所で使うことになるとは―――人生、何がどこで役に立つか分からないと自身に苦笑しながら、セラは方向を定め、ヴィルキスを操作する。

 

(今のところ、大丈夫のようね)

 

ヴィルキスを操りながら、セラはこの機体に乗ることへの懸念があった。先のアンジュ捜索時に僅かに抜け落ちた記憶――その兆候は今はない。

 

微かな不安を抑えながら、セラは地平線を見つめる。

 

アルゼナルを発って既に数時間―――自身の計算が間違っていなければ、そろそろ陸地が見えるはずだ。とはいえ、ミスルギ皇国はそこから奥に進んだ場所だ。

 

輸送機の飛び立った時間とスピードを考慮しても、あちらは既に到着して向かっている可能性が高い。

 

やがて、陽が昇り始め、セラは小さく舌打ちする。夜が明ければ、星を頼りに進むことはできない。針路は間違っていないはずだが、まだ全方位が海であり、感覚が掴めない。

 

今は、己の判断を信じるしかなかった―――やがて、太陽が完全に顔を出した瞬間、前方に陸地が見えた。セラは小さく息を呑み、機体を加速させる。

 

だんだんと大きくなってくる地形は、明らかに小島などではない。小さく安堵し、ヴィルキスは陸地に入る―――海を超え、辺りに広がる森を見下ろしながら、セラはこれからのことを考える。

 

(取り敢えず、情報を集めないと――)

 

セラ自身もアルゼナルから出たことがないため、ミスルギ皇国の正確な位置は知らない。そのため、手近な街などで情報を集める必要がある。とはいえ、『ノーマ』だということは隠して行動しなければ、余計な騒動を引き起こす。

 

方針を決め、周囲を伺おうとした瞬間、眼下の森に何かが突き出ているのを見つけ、眼を凝らす。

 

「アレは――!」

 

セラは急ぎ機体を旋回させ、降下させる。森の中にポツンと佇むそれは、輸送機だった。その尾翼にローゼンブルム王家の紋章が描かれており、間違いなくアンジュ達が使用したものだった。

 

針路が間違っていなかったのは安堵したが、セラは強ばった面持ちでヴィルキスを輸送機の傍へと着陸させる。機体から降り、輸送機へと近づく。無茶な着陸をしたのか、周辺の木々をなぎ倒していた。

 

開かれたカーゴハッチに近づき、中へと進入する。銃を抜きながら格納庫内を進むも、人の気配はなかった。既に離れた後かと――予想はしていたが、小さく落胆すると背後で微かな音が聞こえ、反射的に銃を構える。

 

「ペロリーナ……?」

 

構えた先にはペロリーナの着ぐるみが打ち捨てられており、眉を顰めるセラの前でペロリーナの着ぐるみが動き、息を呑む。

 

だが、その動きはどこかぎこちなく、もぞもぞとしており、セラは怪訝そうに近づき、頭を剥ぎ取ると、その下からは口を塞がれたミスティが悶えており、セラは眼を丸くする。

 

突然視界に飛び込んだ顔にミスティも驚いたのか、固まってしまっている。とはいえ、放っておくわけにもいかず、セラは徐にミスティの口を塞いでいた布を外す。

 

「ぷはっ」

 

ようやく呼吸が楽になったのか、軽くため息をつくミスティを着ぐるみから出してやり、ロープを切る。

 

「あ、ありがとうございます。助かりました」

 

自由になったミスティがどこかぎこちなく礼を述べると、セラは小さく一瞥する。

 

「あの…確か、セラ様だったでしょうか?」

 

「そんな事より、どうしてアンタがここに? アンジュ達はどうしたの?」

 

ミスティを人質にしたところまではジルから聞かされていた。さすがに海の上で捨てるなどという真似には及ばないと思っていたが、それに対してミスティは僅かに顔を顰め、顛末を話し始めた。

 

ここはミスルギ皇国とエンデラント連合の境目であり、ここへ着陸してからアンジュ達はすぐに出ていこうとし、ミスティが戸惑っていたが、途中で意識を失い、気づくと拘束されてペロリーナの着ぐるみに入れられていたらしい。

 

さすがにミスティを連れていこうとは思わなかったらしいが、さらに詳しく聞くと、アンジュにミスルギ皇族の処刑を伝えたのは彼女らしい。

 

「アンジュリーゼ様は、シルヴィア様とお会いできたでしょうか……?」

 

「――会えるとは思うわよ。殺すために待っているんだから」

 

「え………?」

 

どこか抑揚のない声で一瞥したセラの言葉にミスティは一瞬、眼を白黒させる。そんなミスティを一瞥し、セラはもうここには用がないとばかりに出ていこうとするが、その背中に思わず声を掛けた。

 

「ま、待ってください、どういうことですか?」

 

「―――ミスルギ皇族は今も呑気に国のトップに居座っているわよ……アンジュを殺すための罠を張ってね」

 

ハッキリとした敵意を込めて告げるセラにミスティが絶句する。

 

「そ、そんな――そんな情報、マナには……」

 

混乱するミスティの言葉から、セラはミスティが『マナ』を使用して情報を得たということを知った。アルゼナルで育った者にはあまりピンとこないが、『マナ』は超能力のように物質を浮遊・移動させたり、光や熱を発生させたり、魔法陣のような拘束・防護用としても使用する他に、もう一つの大きな役割が『情報伝達手段』だ。マナを介することで情報共有が可能となり、相互理解を深め合うことが容易になる。

 

(なら、何故正確な情報が伝わっていないの……?)

 

セラはそこでふと疑問に思った。

 

自分がこの情報を手に入れることができたのは、アルゼナルのデータバンクからだ。閲覧出来るのが司令のみとはいえ、外界の情報は逐一手に入れているはずだ。まさか、アンジュ一人のためにアルゼナルに『偽』の情報を流すのはおかしいし、説明がつかない。

 

なら、『マナ』の情報の方が間違っているということになる。セラもそこまで詳しいわけではないが、もし偽りの情報を流せることができるとしたら―――受け取る情報に何の疑いも抱かないほど、それが常態化している世界には危険なものとなる。

 

「『マナ』に依存した欺瞞と偽りの社会―――ホント、つくづく胸糞悪くなるわね」

 

欺くことすら何の躊躇いもない、そんなくだらない世界のために戦わされるノーマがつくづく滑稽に思える。踵を返すセラに、ミスティが思わず追い縋る。

 

「ま、待ってください! シルヴィア様がアンジュリーゼ様を殺すだなんて――そんな、恐ろしいことあるはずが……きっと何かの間違いです! だって『マナ』には――」

 

「じゃあ、あなたは今、『ミスルギ皇国』がどうなっているか知っているの?」

 

「え……?」

 

唐突に返された問いに声を萎ませる。

 

「皇族からノーマが出た、それによって国民が反乱を起こした――国は滅んだ、ならあなたはそれを自分の眼でちゃんと確かめたの?」

 

「そ、それは……」

 

もし本当に、ミスティの言う通りなら、他の国々は混乱するミスルギ皇国を見捨てたということになる。まさか、混乱する国の収拾すらつけられないほど、政治家どもは無能なのか?

 

だが、もし各国の上層部が意図してその状況を放置しているとしたら―――そのために敢えて情報操作をしているとしたら―――

 

「『マナ』の情報はすべて正しい? そうなら、とんだ近視眼ね。考えることを放棄してるとしか思えないわ――『マナ』を使ってるんじゃなくて、『マナ』に使われてるんじゃないの?」

 

どこか侮蔑するように問い詰めるミスティは何も言えなくなり、萎縮するのみだ。そんな事、これまで考えたこともなかった。『マナ』から与えられるものはすべて正しいのだと――両親も、臣下も、友人も…皆が皆、そうミスティに言ってきたからだ。

 

「私は、自分で見たものしか信じない――」

 

自分の眼で、耳で、頭で――そうやって得たものが自分の進む道を示してくれる。ただ与えられたことに依存することなど、セラには到底できることではなかった。

 

「それに対して何も思わないなら、そうやって溺れておけばいい――それが『幸せ』なんでしょう、人間の」

 

痛烈な皮肉は、ミスティだけでなくこの世界すべてに対してのものだった。別にセラは自分の生き方を他人に強要するつもりもない。ただ享受するだけの堕落がいいなら、それに溺れていればいい。その先に待っているのは『破滅』だ。

 

口にすることはなかったが、セラは沈痛な面持ちを浮かべるミスティに、最後に言葉を掛けた。

 

「もし本当に『自分』の意思があるなら、自分で判断しなさい――自分の、本当にやるべき事をね」

 

それだけ伝えると、セラはもう振り返ることもなく輸送機を後にし、ヴィルキスに乗り込む。そのまま上昇していく様子を格納庫から出たミスティはどこか茫然と見入る。

 

そんなミスティを一瞥し、セラはヴィルキスと共に飛び去った。微かな風が吹くなか、揺れる髪を押さえながら、ミスティはその軌跡を凝視し続けた。

 

「私の――やるべき事………」

 

数時間後、連絡を受けたローゼンブルムの捜索隊が発見するまで、ミスティはセラの言葉を反芻し続けた。それは、後に彼女の運命を流転させることになるきっかけになることを、今の彼女は知る由もなかった。

 

 

 

 

 

ミスティと別れたセラはそのままヴィルキスを飛行させ、探索を行っていた。

 

先程の話によれば、この辺はミスルギ皇国とエンデラント連合の境目だということだ。

 

(エンデラント連合――確か、農作業が盛んな国だったわね)

 

あまり知っていても意味のないものだが、幼年部の項目に世界国家の講義があり、国の名前を覚えさせられた。守るべき『人間の住む国』なのだから、覚えるのは当然だと指導官が言っていたのを思い出す。

 

(守る、か…今はむしろ、どうやって攻めるか、なんだけどね)

 

とはいえ、ほとんど聞き流していただけに、あまりアテにはできない。陽も既に僅かに傾き、もうすぐ陽が暮れるだろう。思った以上に時間が掛かってしまったが、その時セラの頬に小さな雫が落ち、微かに顔を顰める。

 

よくよく見渡すと、黒雲が彼方から広がってきているのが見える。小さく舌打ちし、不意に眼下に視線を落とすと、ちょうど手前に大きな街が見えた。

 

「あそこで情報を集めるか」

 

小さく独りごちると、セラはヴィルキスを手近な森に降下させた。高い木々に囲まれる中へと機体を駆逐形態に変形させ、着陸させる。これだけの密度なら、充分雨除けになるだろう。

 

機体から降りると、羽織っていた外套のフードを頭に被る。顔を見られたら厄介なことになる。既に存在していないはずの『皇女:アンジュリーゼ』の顔を見られれば、余計なトラブルを招きかねない。

 

今はまだ派手な行動は控えるべきと自身に言い聞かせながら、情報を収集するためセラは森の中を進み、やがて林の切れ目に出た。

 

微かに降る雨のなか、セラはすぐ眼前に見える街に向けて農道を進んでいった。

 

 

 

一時間後―――セラは周囲を憚るように街を出た。この悪天候で人影はまばらだったが、別に聞くまでもなかった。『マナ』のウィンドウが街中に溢れ、それを一瞥しただけである程度の情報は収集できた。

 

(しかし、これ程『マナ』への依存が酷いなんてね)

 

誰もが『マナ』を使用し、使っていない者を見つける方が至難というほどの状態だった。そこには行動の基準がすべて集約されており、自己の判断などほとんど挟まれる余地がなかった。

 

(堕落しているな――一度手に入れたものをそうそう捨てることなどできるわけがないか)

 

『マナ』がいつから存在し、何故あるのか―――それは明確には分かっていない。ただそこに『ある』……それだけですべてが無視されている。

 

だがセラは、その『マナ』に対して不快感を憶えずにはいられなかった。それをさらに煽るように鬱蒼となっていた空は灰色の雲に覆われ、雨が強くなっている。

 

外套を深く羽織りながら、セラはヴィルキスへ戻ろうと農道を歩いていると、横を真っ赤なランプとサイレンを鳴らす車が過ぎっていく。

 

思わず身構えるセラだったが、車はセラに目もくれず通り過ぎる。警戒を僅かに緩めるも、次々と車が通り、セラは眉を顰める。

 

広く見渡しの良い景色だが、雨のせいで見通しは悪くなっている。だがそれでも、暗く淀んだ景色にそれはまるで血のように映る。その鈍い赤い光が一カ所に集まり、光輝いているのを見た。

 

セラは怪訝そうな面持ちでそれを凝視する。厄介事を避けるため、本来なら遠回りするべきなのだが、何故かセラは気に掛かり、雨に紛れながらその場所へと近づいた。

 

幸いに、雨音が気配を消してくれ、セラはすぐ傍に近寄ると、バイザーを下ろして望遠モードでその地点を見やる。

 

拡大されて映し出されたのは、眼を疑うような光景だった。複数の検閲官と思しき人間達が一人の少女を群がりながら痛めつけている。

 

いや――暴行という言葉すら生ぬるい一方的な私刑だった。なにより、暴行を加える男達の顔が、これ以上ないほどの愉悦を浮かべているのだ。

 

セラは心持ちが急速に冷めるのを感じた。無言で顔を隠し、ゆっくりと歩み寄っていく。私刑に一息でもついたのか、男達が下衆な笑みを浮かべる。

 

「へっ、ノーマふぜいが」

 

「このままアルゼナルへ送るのか? 面倒だぜ、手続きが」

 

「なら、このままここで処分しちまおうぜ。ノーマなんて処分してもお咎めもねえしな」

 

耳に聞こえる会話が堪らなく鬱陶しかった―――セラは無言のまま銃を抜き、男の一人に向けて発砲した。突然の銃声に男達が驚いた瞬間、仲間の一人が断末魔の声を絞り、その場に倒れ伏した。

 

血が雨によって周囲に拡がり、動揺する男達は近づいてくる外套で顔を隠した人影に気づいた。

 

「き、きさま…! なにを―――っ―――……」

 

言葉が続くよりも、男は眉間に銃弾を撃ち込まれ、その場で絶命する。またもや命を喪った同僚に他の面々が戦々恐々し、腰を抜かすようにその場に座り込む。

 

「鬼畜にも劣るクズども―――これが『人間』か、いや…思考すら放棄した本能しかない家畜だな」

 

外套の下で嘲笑う声は、どこまでも冷たく…そして威圧感を放っていた。

 

「き、きさま、いったい……」

 

ガチガチと歯を恐怖で鳴らす人間に、セラは口端を吊り上げる。

 

「―――『死神』よ」

 

刹那、駆け出したセラに男達は慌ててマナの光を防壁として展開するが、セラは何の躊躇いも持たず突っ込む。そのセラの身体が触れた瞬間、歪んだ光は霧散する。

 

「マ、マナが……ぐぼっ」

 

慄く男の首を掴み、そのまま大地に叩きつける。背中から響く痛みに悶える男の肩に向けて抜いたナイフを躊躇うことなく突き刺す。

 

次の瞬間、耳を劈くほどの悲鳴が響く。肩を貫通したナイフが大地に突き刺さり、動くことができなくなり、痛みに悶絶する男の口を片手で塞ぎ、顔を近づける。

 

「何故人間に五感があるか分かる?」

 

唐突に囁かれた言葉は、痛みに呻く男には届いていない。だが、セラは次の瞬間、突き刺していたナイフを傷口を広げるように抜き取り、その痛みが激しい奔流となって全身を襲うが、口を押さえられている男は声を上げることもできない。

 

「生きてるっていう『痛み』を感じるためよ―――」

 

次の瞬間、セラはナイフで男の鼻を削ぎ落とした。次は耳を落とし、噴出す血が手を真っ赤に染める。

 

「でも不思議よね――私はまったく、『痛み』を感じないわ」

 

無機質な瞳がフードの奥に見えた瞬間、男の網膜に最期に映ったのは、自らを襲う刃の輝きだった。眼を切り裂かれ、神経系を破壊された男は絶命した。

 

返り血で染まる影が幽鬼のように立ち上がり、顔を上げた拍子に顔を覆っていたフードが外れ、顔が露になる。

 

「お、オマエは――ミスルギの…ぎゃぁっ」

 

言葉が続くよりも早く撃ち込まれた弾丸が男の両脚を貫き、噴水の様に溢れ出す血が大地を赤く染めていく。だが、男は這いずりながらも必死に逃げようとする。

 

「マ、マナよ……」

 

掠れるような声で己が信じるものに、助けてくれる光に縋る様は、もはや哀れにしか見えない。

 

マナの光で身体をなんとか動かそうとするも、セラは再度銃口を向け、トリガーを引く。進行上に撃ち込まれた弾丸に声を引き攣らせ、男は惨めな泣き顔でこちらにマナを向ける。

 

「マ、マナよ! 俺を守れ!」

 

男の叫びに反応してか、マナの光が大きくなる。セラは銃口を向け、マナの防壁に向けて弾丸を放った。男はマナが守ってくれると思っただろう。

 

だが、それは弾丸がマナに触れた瞬間、粉々に砕け散り、粒子となって霧散する。何の障害にもならなかった弾丸は男の掲げていた右手の掌を貫き、貫通した掌から止まることなく溢れる血に男が絶叫する。

 

経験したことのない痛みに暴れる男を冷めた眼で一瞥し、セラは弾倉から空になった薬莢を落とし、新しく弾を装填する。

 

「き、きさま…ノ、ノーマの分際で……我々にこんなことをして、ただで―――」

 

この期に及んで口から出た言葉は聞くに耐えない罵りだった。だが、セラにとってはただの遠吠え――同時に聞く価値すらない戯言だった。

 

逆にセラの怒りを煽るにはこの上ないものだった。

 

ふざけるな―――なら、『人間』にはその権利があるというのか……セラは銃弾を傍に撃ち込み、黙らせる。

 

「この『顔』を知っているみたいね? それだけで生かしておく理由はないわ――」

 

いや…『価値』すらない―――内心で悪態をつくと、セラは銃口をゆっくりと男の額に向ける。

 

「ひっ! こ、この化け物が!」

 

恐怖で罵る男にセラは小さく自嘲する。

 

「『化け物』――ね………否定はしない。けど、ノーマが『化け物』で世界の敵、だから『人間』には踏み躙る権利がある―――なら、それに対して反撃を受けても文句は言えないわよね?」

 

『人間』がノーマを化け物ように扱い、踏み躙るなら――踏み躙られる側の反撃も当然ながら覚悟しておくべきだ。それが、『権利』という名の暴力を振るう『責任』であり、『代償』だ。

 

「もう遺言は充分でしょう? 続きは地獄で吠えなさい―――」

 

強くなる殺気に男が震え、悲鳴を上げる。

 

「あ、ああ、あ……た、助けて! 助けてくれぇぇぇ! もう二度としない! だから、命だけは……!」

 

迫る死の恐怖にタガが外れたのか、命乞いを始めた。

 

もはやセラの心には怒りを通り越して、『呆れ』しかなかった。今まで『化け物』と罵っていた相手に恥も外聞もなく命乞いなど―――だが、生かしておくつもりは露もなかった。

 

「戯言は、亡者どもに聞かせてやれ―――地獄の底が、貴様が堕ちる場所だ」

 

「まっ………」

 

乾いた銃声が轟き、眉間を撃ち抜かれた男が倒れ、後から噴き出す血が空中に飛び散り、雨と一緒になって降り注いだ。

 

赤く染まる大地に横たわる無残な死体―――心臓の弱い奴が見たら、そのままショック死するのではないか、という凄惨な光景だった。

 

横たわる死体はどれもが絶望に染まった顔を浮かべていたが、セラの心持ちは何の感慨もなかった。

 

ありていに言えば、『罪悪感』がまったくないのだ。それどころか、『後悔』もなかった。例えるなら、煩い害虫を始末したような―――その程度の感覚だった。

 

「これが、『人間』か―――『マナ』に溺れるしかない、救いようのない家畜ども」

 

小さく悪態をつく。

 

セラがこれまで多少関わった『人間』はエマにモモカ、そしてミスティのみ―――だが、『コレ』に比べたらエマですらまだまともだ。

 

もうこの場に用はなかった。セラはそこで初めて先程まで検閲官に暴行されていたノーマに気づき、歩み寄る。

 

「っ!?」

 

だが、倒れていた影の顔を見た瞬間、セラは驚愕する。

 

「ヒルダ……?」

 

そこに倒れていたのは、アンジュと一緒にアルゼナルから脱走したヒルダだった。身体中に痣をつけた痛々しい姿で横たわるヒルダにセラは戸惑う。

 

何故ヒルダがここに…そして、何故反撃もしなかったのか―――腰を落とし、ヒルダを抱き起こすと、微かな呼吸が聞こえた。

 

だが、ヒルダの瞳はまるで絶望したように生気を失っており、その瞳から溢れる涙が雨と一緒になって流れている。

 

何があったかは知らないが、この状態で放置しておくわけにもいかず、セラはヒルダを抱き上げる。

 

「ママ……」

 

その拍子に、ヒルダの口から小さく呟かれる言葉――震える身体と痛みに限界が来たのか、セラの腕に身体を預けて気を失った。

 

ヒルダを抱えたまま、セラはその場を後にする。轟く雷鳴と降りしきる雨のなか、残されたのは血溜りの地獄――響く雷鳴がセラを包み、心の中に暗い感情が渦巻くのを抑えることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ママ、見てみて、またリンゴがいっぱいなったよ! ママのアップルパイを作って欲しいな…あたし、ママのこと―――」

 

リンゴの木に登った少女が、眼下で手を振る母親に笑顔を向ける。彼女の名は、ヒルデガルト・シュリーフォークト―――ヒルダの本当の名だった。

 

ヒルダは11年前まで、エンデラント連合で母親と共に幸せな生活を過ごしていたが、ある時自身がノーマである事がバレ、検閲官に母親から引き離された。何故母親が自分の正体を隠して育てようとしたのか、分からずじまいだったが、それでも育てようとしてくれたことに対してヒルダは母親への想いを捨て切れずにいた。

 

そのままアルゼナルに連行されたヒルダは、何が何でも母親の元に帰るのだという強い決意をした。そのためなら、何でもしてやると――その結果、ヒルダは高いライダー適正を見込まれ、死の確率が高いメイルライダーとなったが、その決意を糧に必死に自らの実力を磨き、ゾーラの率いるアルゼナル第一中隊屈指のライダーとなった。

 

生きるためなら、生き延びるためならヒルダは自分の身体すらゾーラに差し出した。おもちゃとして弄ばれたり、ヘラヘラしているロザリーやクリスとの交友関係にも我慢した。すべては、自分のためだと偽り、利用した。

 

そして、長らくの間、脱走の機を伺っていたヒルダは、遂に脱走を果たし、故郷へと帰ってきた。だが、それは自分が夢見ていたようなものではなかった。

 

故郷で待っていたのは、過去と決別し、自身と同じ名前を持つ妹と新たな家庭を築いた母親の姿であった。自分がいなくなった後に産んだ妹に自分の真名をつけ、育てていた。

 

まるで、『自分』など最初からいなかったように―――万感の想いで辿り着いた先に待っていた残酷な現実、そして、母親は自分を『化け物』と罵った。

 

 

 

――――あんたなんか生まれてこなければ良かった!

 

 

 

母親の顔が激しい憎しみと怒りの醜悪なものに染まり、アップルパイを投げつける。自分が好きだったものを…母親との絆だったものを―――世界は歪み、ヒルダは声にならない絶叫を上げた。

 

 

 

 

「うわぁぁぁぁぁっっっ」

 

次の瞬間、ヒルダは大声を上げて飛び起きた。息を乱しながら、ヒルダは先程まで見ていた夢に歯噛みする。

 

「ちくしょうっ、忘れることもできねえのかよ! こんなにムカついてるのにっ」

 

11年も想い続けていたのに――ただ再会だけを夢見て今日まで生きてきたのに……居場所なんて、もう何処にもなかった。悔しげにしていたヒルダは、身体中に走った激痛に顔を苦悶に顰めた。

 

「っっ……ん?」

 

そこで初めて、ヒルダは自分の身体に包帯が巻かれていることに気づいた。着ていたワンピースは脱がされており、そこに布がかけられ、自分は手当てされて寝かされていたことを理解した。

 

記憶を必死に辿り、失意で家を出たところに、母親が呼んだ役人が自分を襲ったところまでは思い出した。そこでまた腹が立ったが、自分はその時誰かに助けられたのだろうか―――視線を動かすと、すぐ傍には赤々と燃える焚き火があり、顔を上げた瞬間、驚愕に眼を見開いた。

 

「なっ、ヴィルキス……っ!?」

 

木々の中に隠れるように鎮座する機体に眼を見開く。何故この機体がここに…混乱するヒルダに声が掛かった。

 

「気がついた?」

 

ハッと声を掛けられた方に眼を向けると、森の奥からゆっくりと歩み寄ってくる人影が姿を見せる。明瞭になった人影にまたもや驚きに眼を見張った。

 

「セ、セラ……っっ」

 

驚いた瞬間、激痛に呻くヒルダにセラは小さく嘆息し、傍に腰を下ろす。

 

「無理はしない方がいい――深くはないけど、全身痣だらけだったんだからね」

 

そう言い、セラはヒルダに一杯のコップを差し出す。呆気に取られながら受け取ったヒルダは、マジマジと見つめていたが、セラは特に話すこともないのか、持っていた水筒を抱えてヒルダの横に座り、先程近くの川で汲んだ水を飲む。

 

ヒルダも恐る恐る水を口に含む――冷んやりとした水が荒れていた心に僅かに染み渡り、少し気分が落ち着いた。セラの言葉から察するに、検閲官から助け、手当てをしてくれたのは彼女なのだろう。だが、素直に礼を述べれるほど、関係が良かったわけでもない。

 

むしろ、対立していただけに、気まずさが漂い、チラチラ伺うも、当のセラはヒルダのことをまるで気にした素振りも見せず、ナイフの刃を磨いている。

 

暫し無言が続いていたが、ヒルダはやがてセラに話し掛けた。

 

「助けてくれたことには感謝してるけどよ、なんでてめえがここにいるんだよ?」

 

やや横柄な口調だが、ヒルダはそれが気に掛かっていた。まさか、自分を追ってきたのかと訝しむも、振られたセラは同じように投げやりに応じた。

 

「それはこっちが訊きたいぐらいなんだけどね……先に言っておくけど、私は別に司令に命令されて来たわけじゃないから」

 

機先を制するように告げるセラに、ヒルダはますます困惑する。

 

「私は、アンジュを連れ戻しに来たのよ」

 

「はあ? アンジュを連れ戻すって? でも、アイツは――」

 

命令で来た訳ではないのに、アンジュを連れ戻すという言葉にますます混乱する。そのヒルダに、セラはアンジュが誘き出されたこと、危険が迫っていることを告げると、ショックを受けたように沈痛な面持ちを浮かべる。

 

その様子にセラも戸惑う。先日まではアンジュの不幸に喜んでいたとは思えない反応だが、ヒルダのあの状況から鑑みるに、ヒルダにとっても『何か』があったのだろう。

 

「ま、アンタに何があったかは訊かないわ。聞いて愉快な話でもないだろうしね」

 

正直なところ、ヒルダを助けたのはまったくの偶然だったし、なによりセラは『人間』に嫌悪しただけだ。そんな状況を鑑みても、不愉快になるだけだろう。

 

徐に枯れ木を炎に放り込むと、弱っていた勢いが強まる。

 

「―――母親に売られたんだよ、あたしは」

 

炎を見つめていたヒルダは自分のこと語った。話す間、セラは無言で聞き入り、進むにつれてヒルダの声が震え、話すのも躊躇するが、それでも何かを振り絞るように話を続けた。

 

「11年間も想ってたんだ! あんなに、あたしのこと愛してるって言ってくれたのに…あんなに、大好きだったのに………」

 

吐露するヒルダの顔が苦痛に歪み、握り締める手が震えている。

 

「ずっと、ずっとそれだけを夢に頑張ってたのに……全部馬鹿げた夢だった………あたしの居場所は、とっくに無くなってたんだ――傑作だろ、なにもかも利用して脱走した結果がこれだぜ、あたしはただの間抜けさ。笑いたきゃ笑えよ……」

 

自虐するヒルダに、セラは無言のままだったが、その態度がヒルダの感情を逆撫でる。

 

「なんで何も言わねえんだよ、いつもみたいに罵れよ! それともなにか、あたしが哀れってか? 母親に捨てられたあたしがかわいそうってか!」

 

次々に溢れる感情が行き場を失い、ヒルダは感情任せに叫び、肩で息をしている。

 

「気は済んだ? ヒルダ――悪いけど、私には母親に裏切られたっていうアンタの気持ちは分からないわ」

 

その言葉に歯噛みするも、次の言葉に虚を突かれる。

 

「――私には、親の記憶すらないんだから」

 

無言でペンダントを持ち上げ、手の中で遊ばせる。

 

「親の顔も知らない…自分がどこで生まれたのかも知らない――本当の自分すら知らない………知らないものに焦がれることもない。でもね―――」

 

そこで初めてセラはヒルダに向き直り、まっすぐ見据えられ、ヒルダは思わず見入る。

 

「アンタはそうまでして会いたいと思った――そうやって自分の想いのままに行動したことを、私は間違っているとは思わないわ。それが、どんな結果だとしてもね。そうまでして会いたいっていうアンタの気持ちは、アンタにとって大切なものだったんでしょ。それは否定はしない――否定させない………」

 

告げられた言葉に、ヒルダは無意識に頬に熱いものが流れた。気づくと、ヒルダは瞳からとめどなく涙が溢れていた。

 

「うっ、ううっっ……」

 

堪えるように俯き、必死に自制するも涙は止まらない。ヒルダは押し殺すように嗚咽を上げ続けた。この11年間の想いも、苦しみも、悲しみも…すべて吐き出すように。

 

セラは、そんなヒルダに声を掛けることもなく、ただ無言のまま傍でいるだけだった。




ヒルダと合流。

個人的にこのクロスアンジュの世界を一番表現していた箇所ではないかなと思います。
原作のこの辺はまさに世界の図式と生々しさを出していました。

今回はそれも踏まえて、少しバイオレンスな描写を入れてみました。


最後のヒルダとの会話は苦労しました。
次はいよいよアンジュ――ある意味で、ヒルダ以上の展開になりそう(マテ

次に書くのはどれがいいですか?

  • クロスアンジュだよ
  • BLOOD-Cによろしく
  • 今更ながらのプリキュアの続き

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