クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 紫銀の月   作:MIDNIGHT

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旅立ち

アルゼナルは今、剣呑とした空気に包まれていた。

 

『ノーマの脱走』―――その事実がジルからアルゼナルにいる全ノーマに伝えられたのは、フェスタの花火が終わってすぐのことだった。

 

突然の司令の召集に一同は何事と思ったものの、フェスタのこともあり、祭りの余興かなにかぐらいにしか感じていなかったが、その司令から告げられたのは、予想を遥かに超えるものだった。

 

あまりに実感のないものであり、伝えられた当初は、なにかのドッキリかと思った者も少なくはなかった。だが、ジルは『事実』だと淡々と述べ、冗談ではないことを悟り、全員が戸惑いとともに混乱に陥った。

 

ジルはすぐさま全員に自室での待機を命じ、別命あるまでは動くなと厳命した。祭りの余韻が冷めやまぬなか、皆が皆、不安を隠せずにいた。

 

 

―――アルゼナルはどうなるのか?

 

―――自分達はどうなるのか?

 

 

元々、アルゼナルに送られてくるノーマ達は大多数が赤ん坊や物心つく前の幼児であり、親の顔も知らなければ、外の世界に対しての執着も薄い。

 

故にこれまで、脱走などという行為に及ぼうという発想すら出てこなかったのだが、それがここに来て破られた。そのため、これまで経験したことがない不安がアルゼナル全体を侵食していた。

 

緊張感と暗然とした空気が漂うなか、セラもまた自室へと引き上げていた。

 

先程まで、第一中隊の全員が調書を取られていたのだ。同じ隊のメンバーが今回の件を起こしたのだから、当然かもしれないが……幸いにも、そのおかげか自分のフェスタの間の行動は特に気にされた素振りもなく、僥倖だったのだが、事態が好転したわけでもない。

 

セラは一人考え込みながら、自室のドアを開く。ほんの昨日まではそこに居たはずのルームメイトは既になく、数ヶ月前の状態に戻ったような錯覚を憶えた。

 

それだけ、そこに『彼女』がいたことが当たり前になっていたことに軽く自虐し、これからのことを考えながら部屋に入り、ベッドに眼を向ける。

 

ベッドの上に何かが置かれているのが眼に入り、セラは徐に掴む。

 

それは、一通の封筒だった。宛名はなにもなく、思わず裏返すと、そこには『アンジュ』と刻まれており、セラは息を呑み、慌てて封筒を開く。 

 

封筒の中には、一通の手紙が入っており、セラはそれを読む。

 

『セラへ

 

これを読んでいるということは、恐らく私はアルゼナルからいなくなっていると思うわ。バカなことだと思ってるかもしれない。呆れているかもしれない。

 

でも、私はどうしても行かなくちゃいけないの。助けたい子がいるの……私の妹は、私のせいで自由を喪った。私はずっとそれを自分の罪だと思っていた。アルゼナルに来て、もう二度と会うことはないと思っていた。けど、あの子が助けを求めてきたの。

 

ノーマだった私を頼ってくれる――家族が助けを求めている。だから、私はどうしてもいかなくちゃいけない。

 

あなたに何も伝えず、悪いと思ってる。けど、言えばきっとあなたは私を止めようとする。だから、私は行く。

 

正直、なんであなたと同じ顔だったのか、今となってはどうでもいいわ。あなたには本当に感謝してる。アルゼナルに来て、私を守ってくれた、助けてくれた――こんな私を受け入れてくれた。あなたと出会えたこと、私は絶対に忘れない。

 

もう二度と会うことはないかもしれない。こんなこと、言えた義理じゃないけど、あなたは生き延びて――私も、生き足掻くわ。あなたに教えられた『生きる』ために――けじめとして、私の母の形見の指輪をあなたに託すわ。

 

遺品なんて扱いはしないでね―――さよなら…元気で。

 

                                      アンジュ』

 

封筒の中から、アンジュの指輪が落ち、セラはそれを掴む。

 

「ホント―――救いようのない…大馬鹿よ、アンジュ」

 

悪態をつきながら、セラは手紙を握り潰す。そして、ひとつの決意を固めた―――指輪を握り締めると、身を翻し、部屋を静かに出る。

 

待機が命じられているなか、ほとんどのライダー、整備班、一般職員が自室にいるはずだ。物音を立てずに周囲を窺いながらセラが歩き出す。

 

だが、セラは何かに気づき、顔を動かさずに視線を背後に向ける。歩みを止めず、角を曲がる。その時、セラの歩いてきた通路から別の人影が現われ、急ぐようにセラの曲がった角に向かう。

 

だが、その通路の先には誰の姿もなく、その兵士は戸惑う。

 

「捜し物は私かしら?」

 

頭上から掛かった声にハッと顔を上げると、天井のパイプを掴んでぶら下がるセラがすぐさま飛び降り、反応の遅れた兵士の鳩尾に肘打ちを叩き込み、兵士は微かな呻き声を上げて崩れ落ちる。

 

それを受け止めながら、セラは眉を顰める。

 

部屋を出た時から視線を感じていたが、何故自分を監視していたのか――もっとも、考えるまでもなかった。

 

「――司令か」

 

このアルゼナルで監視などという指示ができるのはジルだけだ。理由は知らないが、よっぽど自分に動かれては不味いらしい。

 

あまりのんびりはしていられない。兵士を縛り上げると、手近な空き部屋に放り込み、セラは急ぎ格納庫に向かった。

 

ロッカールームに入り、ライダースーツに着替えるとセラは銃をホルスターに装着し、ナイフを差す。そして、外套を羽織りながら身を翻し、次はジャスミンモールに向かった。ジャスミンは今頃ジルに呼び出されているはずだ。到着すると、留守番をしていたバルカンが気づき、唸り声を上げる。

 

ジャスミンに先程叱咤されたからかやや殺気立っているが、セラはギロリと睨みつけると、気圧され、すぐに萎縮して小さくなる。それを一瞥すると、勝手知ったるとばかりに銃火器のコーナーから目当ての火器類を調達し、それを担いで今度はパラメイルの格納庫に向かう。

 

中に入ると、そこに人影が立っていることに警戒した面持ちを浮かべるが、振り返ったのはナオミだった。

 

「ナオミ――」

 

「――やっぱり、行くんだね?」

 

セラの姿にそう呟くナオミは、どこか複雑な眼差しだったが、セラは無言で返す。それが『肯定』であることを、ナオミは嫌というほど実感できた。

 

「アンジュを連れ戻しに……」

 

反芻するナオミだったが、セラは苦笑まじりに肩を竦める。

 

「よく分かったわね?」

 

「分かるよ、セラのことだから」

 

付き合いの長さは伊達ではない。だが、無言のまま目的の場所に向かって歩き出す。焦れるような面持ちでナオミはセラに言い募る。

 

「でも、アンジュは妹さんを助けに行ったんだよ。妹さんと一緒にいられるなら、このままの方がいいんじゃないかな……」

 

正直、アンジュの脱走を垣間見たときは、頭が混乱してしまったが、このまま家族と一緒にいられるなら、その方がいいのではないか――ナオミはそう考えていたが、セラがどこか鼻で笑う。

 

「妹と一緒に、か―――」

 

「セラ?」

 

言葉の中に込められた侮蔑に戸惑うナオミだったが、セラは呆れたように肩を竦める。

 

「その妹に――殺されるかもしれないのに」

 

「え?」

 

一瞬、セラが何を言ったか理解ができなかった。セラはそのまま格納庫の保管庫へと向かって行く。

 

「セラ!」

 

慌ててナオミが追い、セラは無言で保管庫を開け、そこに保管されているモノを一瞥しながら目的のモノを探す。

 

「どういうこと? 殺されるって―――」

 

作業を黙々と行うセラに上擦った口調で問い掛ける。あまりに物騒な表現にナオミも動揺していた、目的のモノを見つけたセラが作業パネルを操作し、天井に吊られていたクレーンが動いてそれを掴み、ゆっくりと格納庫内へと移動させていく。

 

「言葉通りよ―――アンジュは、誘き出されたのよ。その『大切な妹』に、ね」

 

それを見つめながら、微かな怒りを感じさせる口調で応える。絶句するナオミにセラは独白のように言葉を続ける。

 

「調べたのよ。アンジュの故郷…ミスルギ皇国がどうなったのかね―――司令もうまいこと言ったものね。確かに無くなったわ、『ミスルギ皇国』はね。けど、実際は名前を変えて今もそこに在り続けているわ。『神聖ミスルギ皇国』、皇帝は『ジュリオ・飛鳥・ミスルギ』―――」

 

「それって……」

 

聞かされる事実に驚愕していたナオミだったが、セラが最後に呟いた名にハッとする。

 

「アンジュの兄――そして、アンジュをアルゼナルへと送り込んだ張本人」

 

まるで口にするのも忌々しいとばかりに、セラの声にはハッキリとした敵意がこもっていた。目的のモノを移動し終えたのか、セラは踵を返し、保管庫を後にする。ナオミも慌てて後を追う。

 

「最初に疑問に思ったのは、モモカがここへ来たときよ」

 

皇族でさえ一部を除いて知られていないはずの『アルゼナル』をどうやってモモカが知り、そして来ることができたのか―――彼女と話したときに、カマをかけてみた。ハッキリと口にはしなかったが、あの態度から誰かに送りこまれた可能性が高いと睨んだ。

 

そして、モモカをアルゼナルへと送り込ませるのに関与したと考えるなら、皇族の人間の可能性が高いと思い至った。

 

「それじゃ、モモカさんも!?」

 

思わずそう口にするナオミに、セラは小さく首を振る。

 

「モモカは恐らく利用されただけよ――多分、本当の思惑は何も知らなかったんじゃないかしら」

 

アンジュを慕うあの姿が本当に演技だったとしたら、それこそ大したものだが―――マナを使える人間として、皇族の秘匿回線や脱出時の援助、なによりアンジュを慕うモモカなら不審感を抱かれずに済むと考えたのだろう。だが、利用されたにせよモモカがアンジュの危機を呼び込む要因になったのは間違いない。

 

無論、この時点ではまだセラの予想でしかなかった。それをより調べるために、司令部のメインコンピューターからデータを調べた。

 

この時点では、まだ可能性は半々だったとはいえ、結果はセラの考えていたなかでも最悪のものだった。

 

皇族は今も呑気に権力に居座っている――そんな中で、わざわざノーマになった元皇女に助けを求めるなど有り得ない。

 

「で、でも…なんでわざわざ―――」

 

ナオミの疑問ももっともだった。

 

アルゼナルに送り込んだ時点で既にアンジュを気に掛ける必要はなくなったはずだ。言い方が悪いが、アルゼナルに来た時点で、アンジュは死んだも同然だ。なのに、なぜわざわざ誘き出す必要があるのか。

 

「さあ? そこは私にも分からないわ―――もっとも、実の妹を地獄に送り込むような奴よ。理解したくもないけどね」

 

アンジュの両親が『ノーマ』であることを隠してまで守ろうとしたことはモモカから聞いている。だが、それをすべて引っくり返してまで、アンジュを地獄(アルゼナル)へ送り込んだ。

 

「よっぽど、自分の手で殺したいのかもしれないわね」

 

「そんな―――」

 

あまりに非情で無情な言葉に、ナオミは言葉を喪う。いくら『ノーマ』とはいえ、実の妹を殺すなど、予想もできない。そんなことができるのが、本当に『人間』なのか―――恐怖するナオミに、セラは憮然と呟く。

 

「争いも差別も格差もない――聞いて呆れるわね。結局、『ノーマ』っていう悪意をぶつける相手がいなければ、成り立たない歪んだ世界――『ヒト』の本質がそう変わるわけがない」

 

『マナ』を壊されること…自分達の世界が壊されることへ恐れが『ノーマ』を忌み嫌う―――『アイデンティティ』、『イデオロギー』、『人種』――言い方は多々あるが、『ヒト』だろうが『ノーマ』だろうが、結局は自分とは違う存在を嫌う。『恐怖』や『禁忌』は『対立』を生み、『対立』は『排斥』を誘う――それが人類の歴史だ。

 

「何も変わらないっ…だから滅びたんじゃない―――っ」

 

無意識に口走るセラに、ナオミが息を呑む。

 

「セ、セラ……?」

 

名前を呼ばれ、ハッと我に返る。

 

「どうしたの? なんだか、すごく怖い顔してたから……」

 

恐る恐る声を掛けるナオミもうまい表現が見つからない。例えるなら、まるでこの世界のすべてに絶望したような――そんなやるせなさを感じさせる顔だった。まるで…『世界の終わり』を見たような―――口にすることはなかったが、ナオミは言葉を呑み込む。

 

セラは軽く首を振って、思考を切り替える。

 

「なんでもない――けど、急がないと、本当にそうなってしまう」

 

もし、今朝のシルヴィアからの通信をセラが知っていたら――最悪の可能性は回避できたかもしれない。だが、今更それを悔やんでも仕方ない。

 

「だから、あのバカを連れ戻しにいく―――!」

 

セラは目的の機体の前で立ち止まり、顔を上げる。ナオミもそこでようやく眼前の機体に気づく。二人の前には、ヴィルキスが静かに鎮座している。まるで、二人がここに来ることを待っていたように―――

 

「セラ、まさか――!?」

 

アンジュを助けにいくと聞いて、どうするつもりなのかと困惑していたナオミは、セラの思惑を悟って驚く。セラはそれが『答』とばかりに頷く。

 

「ヴィルキスに増槽処置を行う――多分、この機体が一番今回のことに向いている」

 

本来なら、使い慣れた自身のパラメイルを使うべきなのだろうが、セラはこの件に使えるとしたら『ヴィルキス』しかないと、無意識に確信していた。

 

無論、ミスルギ皇国までの距離を飛ぶには、パラメイルだけの燃料では足りない。予備エネルギーパックを取り付けなければ、航続距離が保たないだろう。

 

セラは保管庫から取り出したエネルギータンクをヴィルキスに接続する作業を開始する。普段からパラメイルの構造を把握しているのは伊達ではない。増槽処置ぐらいなら、10分もあればできる。

 

作業を始めるセラだったが、ナオミもそれを手伝い始める。

 

「ナオミ…バレたら、懲罰ものよ」

 

「平気だよ」

 

そんな軽口を交わしながら、セラも止めるでもなく作業を続ける。やがて、5分ほどでヴィルキスにエネルギーパックを装着し、エンジンに接続する。

 

「でも、アンジュはともかく、どうしてヒルダまで……?」

 

後で知ったことだが、ナオミを昏倒させたのはヒルダだったらしい。そして、アンジュと一緒に脱走したと聞かされた。

 

何故ヒルダがアンジュに協力して脱走したのか、困惑するナオミだったが、セラは軽く一瞥する。

 

「さあ? ヒルダのことは知らない――なんで一緒にいたのかもね」

 

元々、親しい付き合いをしていたわけでもないのだ。そして、セラはヒルダのことについては然程興味はなかった。だが、ヒルダが6歳の頃まで外の世界に居たというのはサリアから聞いたことがある。その歳頃なら、外の世界への未練を抱えていても不思議ではない。

 

なら、ずっと脱走の機会を伺っていたのだろうか――今となってはどうでもいいことだが。作業を終えると、セラはシートに跨り、コンソールを操作してセッティングを進める。準備が完了し、セラはヴィルキスを起動させる。

 

灯る計器を見つめながら、セラは無言でアンジュの指輪を見つめる。

 

(悪いわね…アンタのご主人様を迎えにいかなきゃいけない。だから―――力を貸して)

 

指輪を左手に嵌め、そう内心に呟き、セラは操縦桿を握る。それに呼応するかのようにヴィルキスが動き出す。

 

「ねぇ、セラ――」

 

不意に声を掛けたナオミに振り向くも、ナオミはどこか複雑そうに表情を歪め、なにかを言い淀んでいる。

 

「どうして…そこまでしてアンジュを助けるの?」

 

躊躇いながらもそう、口にしたナオミには不思議に思うことだった。アンジュをどうしてそこまで想うのか――それに対して、セラも微かに顔を苦く顰める。

 

「分からない――自分でもよく、ね」

 

どこか自嘲気味に肩を竦める。

 

セラ自身も分からない――今回の件にしても、脱走したことは本人の意思によるものだ。自分がこうしたいと、己の感情のままに動いたことなのだから、無論それに対しての責任は本人にある。セラなら、何かあっても、自分から関わろうなどと…ましてや、助けにいこうなどとは思わなかっただろう。

 

実際、ヒルダに関してはそう思う―――ヒルダが外の世界でどう過ごそうとも、関係ない。だがアンジュは……無論、脱走した背景に潜む思惑を知ってしまったからかもしれないが、それでも自らこうして危ない橋を渡ってまで助けにいこうとしている己の行動に少しの戸惑いも浮かんでいないのが不思議だった。

 

「けど、なぜか放っておけないのよ―――あのバカをね」

 

明確な理由なんかない――ただ、自分がそうしたい………感情的と言われればそうかもしれないが、セラは己の意思で動く。誰に指図されるでもない――自分の意思で決め、そして道を進む。たとえ、それがどんな道であっても。

 

ただそれだけだ―――不敵に、そしてどこか決然と顔を上げるセラに、ナオミは思わず見入る。

 

「もし、もしもだよ。私が……――ごめん、なんでもない」

 

言いかけた口を慌てて閉じ、苦笑気味に頭を振るナオミに戸惑っていると、ナオミがぎこちなく笑う。

 

「絶対に、アンジュと一緒に帰ってきてね」

 

「――ええ」

 

強く頷き返し、ナオミはそのまま背を向ける。

 

(私、嫌な子だ……)

 

もし、自分が同じようなことになったら、セラは助けてくれるのか――そう訊きたくなり、口を噤んだ。何故かは分からないが、セラがアンジュの指輪を嵌めて決意を秘めている姿に、もやもやしたものが浮かび、心の奥が鈍く疼く。

 

それを抑え込みながら、ナオミはフライトデッキに移送させるためのコンソールパネルへと近づく。どの道、パラメイルを使用するのだ。アンジュ達のようにこっそりとするなど無理に近い。なら、通常の発進シーケンスで進め、強引に突破する。

 

セラの意図を察したナオミはコンソールに灯を入れ、シーケンスをスタートさせる。ヴィルキスを固定していた台座がガクッと動き、そのまま発進ゲートへと移動していく。

 

「ナオミ! 司令に訊かれたら、私に脅されたって言いなさい!」

 

ゲートの奥へと消える間際、セラはそうナオミに告げた。見送ったナオミは、今しがたまで感じていた疼きが少し和らいだような気持ちで見送る。

 

「そんなことしないよ――セラ、気をつけて………」

 

既に消えたセラにそうエールを送り、ナオミも急ぎ格納庫から駆け出した。

 

突然のシーケンス起動は、司令室に混乱を齎していた。ただでさえ、オリビエが負傷して人手が足りない為、今の司令部には最低限の人員しか配置されていないのだ。

 

鳴り響く警報のなか、ヴィルキスはカタパルトへと移動する。既にアレスティングギアの解除は手動で行っている。固定具が外れ、浮遊するヴィルキス。

 

《司令室からヴィルキスへ! 発進は許可されていません、停止してください!》

 

通信越しに焦るパメラからの制止に、セラはフッと口元を薄く歪めた。

 

「それで止まるバカはいないわよ―――」

 

軽く毒づくと同時に、ギアを踏み込む。スラスターから粒子が噴射され、操縦桿をフルスロットルさせる。最高潮に達したスラスターが火を噴き、機体を打ち出す。

 

ゲートを潜り、アルゼナルから飛び出したヴィルキス。操縦桿を引き、加速させながらセラは紫光に彩られる月下の空に機体を舞い上がらせた。

 

 

 

 

 

 

ヴィルキスが発進する少し前―――

 

ジルの執務室にはリベルタスの主要メンバーが集められていた。だが、部屋の中に漂う空気は重く、誰もが沈痛な面持ちだ。

 

能面のような表情で動揺を見せていないジルの態度がせめてもの救いか――煙草を噴かすジルに、マギーが苦い面持ちで呟く。

 

「しかし、随分マズイことになったねえ……」

 

その言葉に込められた意図を察せられたのは、恐らくジルとジャスミンのみだろう。傍で聞いているサリアやメイは別の意味に取ったのかもしれない。

 

ジルは表情を変えていないが、ジャスミンは幾分か顔を顰めている。

 

確かに、ノーマの脱走自体も前代未聞だが、それをしたのが『アンジュ』というのがまた厄介な点だった。これがその他のノーマだったなら、ジルも捨て置けとばかりに放置したかもしれないが、アンジュにはまだまだ死んでもらっては困るし、手の内に押さえておかなければならない。

 

「監察官殿は?」

 

「まだ寝込んでるよ――当面は起き上がれないかもね」

 

噯にも出さずに問い掛けると、さしものエマもあまりの事態にショックが大きく、自室で寝込んでいる。余計なちょっかいが入らないだけマシとはいえ、この状況では何の足しにもならない。

 

(アンジュ…! ヒルダ……!)

 

そんな中、サリアは苛立たしげに唇を噛む。

 

主犯は第一中隊の『アンジュ』と『ヒルダ』、そしてここで暮らしていた『モモカ』―――二人が脱走したという情報を伝えられた時、サリアは戸惑いと困惑が大きかった。

 

何を言われたのか理解ができない―――何故、と疑問符ばかりが浮かんでいたが、ジルが淡々と事実だと述べ、理解が追いつき、思考が動き出すと同時に沸き上がったのは失望だった。

 

先日の一件で、アンジュと少しは歩み寄れた――少しは信頼ができたと思えた矢先のこの行動だ。ヒルダにしても気に入らないところがあったが、長く共に戦ってきた戦友の突然の離反にサリアは大きく怒りを憶えていた。

 

まだ他の面々には緘口令がしかれたこともあって、誰が脱走したという具体的な内容は伝わっていないが、隊員であった第一中隊はそういう訳にもいかず、先程までサリアを含め全員が調書を取られた。

 

その際に二人が脱走したと聞かされ、全員が少なからずショックを受けていた。特にヒルダとの関係を修復したいと願っていたクリスの動揺は大きく、今はロザリーと一緒にいるも、当のロザリーもショックを隠せずにいる。

 

そんな中で、サリアはセラのことが気に掛かっていた。ジルの話によれば、脱走するアンジュ、ヒルダと最後に話したのは彼女らしいのだが、傍目からはあまり動揺を見せずにいたが、それでもショックはあるのかもしれない。

 

サリアが思考に沈むなか、ジルは徐にジャスミンに問いかけた。

 

「ジャスミン、あの坊やと連絡は?」

 

「いんや、まださ…どこをほっつき歩いているのか知らないけど、グズグズはしてられないしねぇ」

 

苦い顔でぼやくジャスミンだが、ジルもやや強張った面持ちで沈黙する。迂闊に連絡が取れないのは重々承知しているが、それでも今回の件は悠長にしていられるわけにはいかない。

 

ジルは内心、真実をアンジュに伝えなかったことを悔やんだが、今更それを悲観しても始まらない。冷静な思考は次の手を考え出す。

 

「ジャスミン――奴には監視をつけてあるか?」

 

「ああ、一応はね――ジル、まさかとは思うが……」

 

「最悪――アンジュの奴は諦める。最終的にヴィルキスが使えればいいのだからな」

 

その言葉にジャスミンとマギーの表情が強張り、聞き留めたサリアも動揺する。それは、このままアンジュもヒルダも放置するということなのだろうか――思わず問い質そうと口を開こうとした瞬間、警報が執務室内に響いた。

 

一瞬にして緊張が部屋を包み、ジルは手元の通信機を取る。

 

「パメラ、この警報は何だ?」

 

なんとか平静を保ちながら問い質すと、通信の向こうからパメラの上擦った声が響く。

 

《た、大変です! ヴィルキスが発進しようとしています!》

 

その声にジルは普段の冷静な態度からは考えれないほど動揺し、息を呑む。

 

「ライダーは誰だ!?」

 

思わず声を荒げるジルに、パメラは通信の向こうで動揺しながらも、応える。

 

《パ、パーソナルデータ照合――『セラ』です!》

 

既に予想できていたかもしれない。だが、現実に目の当たりにしたことにさしものジルも困惑する。メイは急ぎ、執務室の壁面のモニターを点灯させる。

 

モニターがフライトデッキ付近のカメラ映像を映し出した瞬間、カタパルトから一機のパラメイルが飛び出す。それが、『ヴィルキス』だということはすぐに察せられた。

 

驚愕するジル達の眼に、カメラがヴィルキスのライダーを捉える。

 

「セラ……―――!?」

 

モニターに映る顔にサリアが思わず声を上げるも、ヴィルキスはそのまま空中に舞い上がり、加速してアルゼナルより離脱していく。

 

瞬く間にモニターから消えたヴィルキスに、誰もが呆気に取られているなか、警報音だけがアルゼナルに響く。

 

「……っ、第一中隊に至急招集をかけます!」

 

「私も、整備班を集めるよっ!」

 

ようやく我に返ったサリアとメイが執務室を飛び出していく。それを見送ると、らしくなく腰を浮かしていたジルはやや疲れた面持ちで腰をシートに落とす。

 

「やれやれ、してやられたね―――」

 

そんなジルを慰めるでもなく、ジャスミンはどこか喰ったように見やる。ジルは憮然と新しい煙草を咥え、一服する。

 

「今からじゃ他のパラメイルに増槽処置をしても間に合わない――下手に動けば、アルゼナル全体を巻き込んじまうからねぇ」

 

モニターで一瞬だけだったが、ジャスミンは確かに見た。ヴィルキスに増設されたエネルギーパックを。アレと同じ処置を第一中隊のパラメイルに施して追撃するには時間が掛かりすぎる。

 

なにより、下手に動けばただでさえ皇女の誘拐で混乱しているローゼンブルム王家に要らぬ干渉を受けることになる。そうなれば、ジル達の進める『リベルタス』そのものが破綻する可能性がある。

 

だが、ジルの心配はそれよりも別のところにあった。

 

「けど、セラの奴はどこ行ったんだい?」

 

そんなジルの気持ちを代弁するように、マギーがジャスミンに問い掛ける。まさか、アンジュやヒルダに続きセラまでが脱走したなどとは思いたくはない。もっとも、本気で脱走するつもりならもっと目立たぬようにやるだろうが、マギーには知る由もない。

 

「恐らく――いや、アンジュの奴を連れ戻しに行ったんだろうよ……心配しなくても、わざわざ『ヴィルキス』を持ち出したんだ。戻ってくるさ」

 

含むような物言いで、そして断言するように告げるジャスミンに、無言で煙草を噴かしていたジルが微かに睨む。

 

「ジャスミン……いい加減、教えてもらうぞ―――あの『セラ』とかいう奴…何者だ?」

 

低い声で問うジルに、ジャスミンは小さく肩を竦める。

 

「おや? とっくに気づいているかと思ったけどね……」

 

侮るような口調だが、ジルは己の考えが当たっていたことに表情を変えず、黙り込む。灰が落ちるのを一瞥すると、ジャスミンは、不意にモニターを見やる。

 

「今日はいい月だねぇ……まるで、アイツのためにあるかのようにねぇ………」

 

夜空に浮かぶ紫光を放ち照らす月を見やりながら、ジャスミンはどこか穏やかなそれでいて憂いを見せる眼差しを浮かべるのだった。




今回は前回からの続きのセラの旅立ちの回でした。
初期の第一クールのプロットを組んだときは、ここで初めてヴィルキスに搭乗する予定だったのですが、もう少し前振りがあった方がいいと思い、アンジュ捜索時に乗せて、こちらの流れに引き継ぎました。

次はまず、ヒルダと合流します。最初はヒルダをどうしようか悩んだのですが、合流してアンジュのもとへ向かう展開にプロットを決めましたので、現在詰めております。

ミスルギでは、恐らく激しい描写があるかと思いますので、今から書くのが楽しみ(エ?

次に書くのはどれがいいですか?

  • クロスアンジュだよ
  • BLOOD-Cによろしく
  • 今更ながらのプリキュアの続き

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