クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 紫銀の月   作:MIDNIGHT

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別離の足音

多くのノーマ達がフェスタの会場に集まるなか、一際盛り上がっている区画があった。

 

柵に囲まれた小さなレース会場には、数匹の豚が走り回っており、柵の周囲を多くのギャラリーが詰めている。フェスタ名物の『競豚レース』だった。走り回る豚に賭けたノーマ達の怒号と歓声が飛び交い、傍から見るとかなりシュールな光景だった。

 

「そこだ行けーッ! とんこつインパクトォーッ!」

 

「根性みせろー! トンカイテイオーッ!」

 

その参加者の中にロザリーの姿があり、その隣には第二中隊のエレノアの姿もあった。

 

ロザリーはこの競豚レースに毎年参加しており、今回たまたまはち合わせたエレノアと共に互いの押し豚にキャッシュを賭けていた。

 

実況の続く中、白熱するレースにヒートアップする二人とは裏腹にその傍でクリスはどこか所在なさげに周囲を見渡していた。

 

ヒルダの姿が会場内に見えず、また先日の一件以来ずっと避けられていることに不安を抱いていた。元々ヒルダと懇意にしていたこともあり、前回の一件で溝ができてしまったことを今更ながら葛藤していた。

 

どうすればよかったのか――確かにセラやサリアの言ったことも分かるが、それでヒルダとの仲が拗れてしまっていては悩みも尽きない。

 

そんなクリスの憂鬱とは逆にロザリーはエレノアとともに絶叫を続けていた。

 

「おっしゃぁ、いけいけー!」

 

「くそぉぉ、負けるな! あたしのキャッシュを307.2倍に増やせるのはオマエしかいないんだぞー!」

 

バカみたいに叫ぶロザリーに苛立ち、クリスは思わず声を荒げる。

 

「ロザリー!」

 

突然後ろから叫ばれたことに驚き、やや焦った面持ちで振り返る。

 

「な、なんだよいきなり……?」

 

「ヒルダのことだよ! フェスタにも来てないし、どうしちゃったのかな、って……」

 

戸惑うロザリーにクリスはそう漏らすも、ロザリーは頭を捻って軽く掻いて口を開く。

 

「生理とかじゃねえの」

 

あっけらかんに言うロザリーにやや呆れた面持ちで肩を落とすも、めげずに言葉を続ける。

 

「呼びにいった方がいいかな?」

 

「ほっとけほっとけ、来てねえってことは誰とも会いたくねえんだろうよ」

 

あまりにドライな言葉だが、確かにここ最近は訓練でもほとんど口を聞いていない。今朝も任務が終わるとすぐにどこかへと行ってしまい、完全に嫌われてしまったのではと、より不安が大きくなる。

 

「でも……」

 

それでも募るクリスだが、掻き消すように歓声が上がり、ロザリーは慌てて会場に視線を戻す。

 

「とにかく! ヒルダが何考えてるかよく分かんねえのは昔からだろ、ほっときゃその内元に戻るだろ…って! 何やってんだよ、とんこつインパクトー!」

 

レース会場に戻ったロザリーの前で、とんこつインパクトは最終コーナーで足を縺れさせ、転倒した。悲鳴を上げるロザリーの前でそれをかわしたトンカイテイオーが先頭で飛び込み、エレノアは喝采を上げる。

 

「おっしゃぁぁぁぁっ! 悪いなロザリー、勝負は時の運だぜ」

 

項垂れるロザリーに容赦なく勝利を告げると、ロザリーは持っていた豚券を大仰にばら撒いた。毎年このレースに大穴狙いで大金を賭けてはハズレるのを繰り返すロザリーは、主催者から『金の鶏』と呼ばれていることを知らないのは本人にとって救いかもしれないが、ともかくせっかく先日稼いだキャッシュもスってしまい、ロザリーはショックのあまり、幽霊のように青い顔で項垂れ、さしものクリスも呆れるのだった。

 

 

 

クリスが捜している当のヒルダは、一人医務室を訪れていた。

 

微かに吹く風に揺れるカーテンの下には、未だ眠り続けているゾーラがいる。そのゾーラをヒルダは愛憎の入り混じったような複雑な視線を向けていた。

 

「ゾーラ――あんたはどう思ってたかは知らないけどね、あたしはあんたを利用してたんだよ」

 

独り言のようにヒルダは口を開く。

 

「あたしはどんな事をしても生き残りたかった――誰を利用しようとも、誰を踏み台にしようともね。たとえ、あたしが穢されても構わない……だから、あんたに取り入ったのも生き残るためだったのさ。あんたに付いて、あんたのおもちゃにされて、それでもあたしは生き残りたかったんだっ」

 

独白に感情がこもり、ヒルダの口調が荒くなる。

 

「屈辱だったよ――だけど耐えてきたんだ、その時までね。ロザリーもクリスも利用した…誰を利用してもあたしにはやらなきゃならないことがあるのさ!」

 

肩で息をしていたヒルダが顔を上げると、そこには不敵な笑みが浮かんでいる。

 

「けど、遂に来たんだ……あたしはここを出るよ。あんたともお別れさ―――」

 

憑きものでも落ちたような表情で踵を返すヒルダは、部屋を出ようとして今一度振り返り、微かに憂いを瞳に浮かべる。

 

「だけどね…あんたのこと、嫌いじゃなかったよ―――あばよ、ゾーラ」

 

最後にそれだけ告げると、ヒルダは医務室を後にした。医務室を出たヒルダはフェスタへの会場に向かいながらこの後の行動を今一度シミュレートしていた。

 

T字路に差しかかろうとしたとき、通路の向こうにいる人影に気づき、慌てて身体を壁に隠す。窺うように覗くと、通路の先で見知った顔が歩いている。

 

(あいつ…こんなとこで何やってんだ? それに、あの先は確か――)

 

ヒルダの視線の先では、セラが背中を向けている。突き当たりの通路に来ると、周囲を警戒しながら身を隠すように通路の奥に姿を消す。

 

消えたセラの姿にヒルダは眉を顰める。フェスタだというのに、会場におらず、さらにセラはいつもの制服姿だった。それだけなら気にも留めなかったが、問題はセラが向かった先だ。

 

(あっちは確か…ドラゴンの焼却所?)

 

時折、アルゼナルの司令直轄の回収部隊が近海で撃墜したスクーナー級ドラゴンの死骸を回収し、生態の研究をしているという話はヒルダも聞いたことがある。その後は焼却処分されるとのことだが、その詳細はほとんど知られていない。

 

サリアはおろか、以前なんとなしに訊いたものの、ゾーラですら詳しくは知らなかった。ヒルダも然程興味を引かれるものではなかったので、これまで気にも留めなかった。

 

なにより、その区画は司令の管轄エリアで、立入を強く制限されている。監察官のエマも好き好んでドラゴンの死骸などに関わりたくはないのか、これまで問題にはならなかった。そんな区画へセラが人目を憚るように向かった。

 

ヒルダでなくとも疑念は沸く。以前までなら、それをネタにでもしただろうが、生憎と今のヒルダにとっては些事に過ぎない。

 

(変に近くで居られるよりむしろ好都合か)

 

セラはカンが鋭い――気に喰わないが、それだけはヒルダも認めている。特にアンジュと一緒にいることが多いため、今回も厄介な点と考えていたが、一緒に居ないなら、むしろ何をしていようがこの際どうでもよかった。

 

(けど……)

 

不意に、昨夜のことが過ぎる。

 

月灯りの下で踊るセラとアンジュ――普段見ていた表情とは違う顔を思い浮かべ、ヒルダは顔を赤くして首を振る。

 

「な、なに考えてんだあたしは……!」

 

軽く自己嫌悪しながら、ヒルダは足早にフェスタ会場へと向かうのだった。

 

 

 

フェスタの会場ではノーマ達が思い思いに過ごし、第一中隊の面々もフェスタを満喫していた。

 

ヴィヴィアンは屋台の食べ物を全制覇しようと食べ歩き、エルシャはマッサージ小屋でオイルマッサージを受け、すっかりくつろいでいる。サリアは映画小屋で昔の恋愛映画を見て、愛しているのに離れ離れになる恋人同士の結末にすっかり涙していた。ココとミランダは泳ぎ疲れたのか、浜辺で寝転んでいた。

 

活気と笑顔で満ちる会場の一画―――パラソルテーブルの下で休むアンジュとモモカの姿があった。仏頂面で頬杖をつくアンジュと、どこかぎこちなく笑うモモカだったが、そのパラソルにナオミが歩み寄る。

 

「はい、アンジュ」

 

「――ありがと」

 

持っていたジュースを不機嫌そうに受け取り、ナオミは乾いた声を漏らす。

 

「あ、はは……はい、モモカさん」

 

「ありがとうございます、ナオミさん」

 

同じく受け取ると、ナオミも席に着き、ジュースを飲みながらテーブルの上に置かれたものに視線を落とす。

 

「それにしても……すごいね」

 

「フン」

 

感嘆したように呟くと、アンジュはますます憮然と鼻を鳴らす。テーブルの上には、便箋と小さくラッピングされた小袋などが積まれている。

 

それはすべて、アンジュに渡されたものではなく、セラに渡して欲しいと託けられた品々だった。昨夜のダンスで歳下を中心にファンが異常に増えているとのこと。中には、妹にしたいというほど歳上にも若干人気があるとかなんとか―――それを聞いてアンジュの機嫌はさらに急降下した。

 

「ったく、なんで私が…そんなに渡したいなら自分で渡しなさいよ」

 

本人に直接渡せばいいのだろうが、肝心のセラは会場のどこにも姿がなく、また直接渡すのはやはり勇気がないということでアンジュに託けるのがほとんどだった。そうやって積み上がっていく度に、アンジュの機嫌はますます下がっていき、今や氷河期レベルだ。

 

愚痴るアンジュにナオミとモモカは顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。

 

「だいたい自分で渡す勇気もない奴に、セラを渡せるもんですか」

 

「アンジュ……?」

 

無意識だろうが、そう口走ったアンジュにナオミが思わず名前を呼ぶと、ハッと振り返る。

 

「あ、な、なんでもないわよ――」

 

上擦った声で頭を振りながら、また俯くアンジュだったが、ナオミがポツリと呟く。

 

「セラ…どこ行っちゃったんだろ――せっかくのフェスタなのに………」

 

会場を探してもセラの姿はなく、ナオミは寂しさを隠せなかった。

 

「セラ様は、あまり興味がないのですか?」

 

「うーん、どうだろ……去年までは私が誘ってはいたんだけど、ちゃんと参加してたよ。けど…ここ最近、なにか様子がおかしくて―――」

 

正確には、あのフリゲート級と交戦した辺りからどこかセラがよそよそしくなった。なにかを悩んでいる――もしくは、なにかをやろうとしている……そう思えるほど、どこか気を張り詰めている。理由は分からなかったものの、フェスタで少しは息抜きができればと考えていただけに、不安は隠せない。

 

「そうですか――」

 

「部屋だとどうかな? いつもと変わらない?」

 

不意に同じ部屋で生活しているアンジュやモモカなら何か知っているかと訊ねると、モモカも困ったように顔を顰める。

 

「そうですね…少し何かに悩んでいられるようにはお見受けしましたが―――」

 

先日の一件を思い出すも、セラに口止めをされているのでぼかすことしかできない。

 

「アンジュリーゼ様はどう思われますか?」

 

モモカが声を掛けるも、アンジュは反応を返さない。眉を顰めるモモカとナオミも気に掛かり、声を掛ける。

 

「アンジュ?」

 

「え? あ、何かしら……」

 

やや遅れて反応を返したアンジュに、二人は困惑する。

 

「何かあったの?」

 

先程まではどこか不機嫌そうだったが、今はどこか沈痛な眼差しを浮かべており、ナオミが戸惑うも、アンジュは口を噤んで顔を背ける。

 

モモカだけはその理由が理解できた。アンジュが気に掛かっているのは、今朝のシルヴィアからの通信だろう。姉妹の仲がよかっただけに、あの通信にはモモカもショックを隠せなかった。

 

モモカの予想通り、アンジュはシルヴィアの身を案じていた-―ノーマに堕ちた自分を頼ってきている…だが、今のアンジュにはどうすることもできない。

 

己の無力さを不甲斐なく感じていたが、不意にモモカが顔を上げる。

 

「あ、通信です!」

 

「シルヴィア!?」

 

その言葉に思わず反射的に振り返るも、モモカは首を振る。

 

「あ、いえ…違います。監察官さんからです」

 

マナのウィンドウに表示される名前にアンジュは小さく落胆し、徐に席を立つ。

 

「あ、アンジュ……」

 

ナオミも思わず立ち上がって後を追い、戸惑っていたモモカは呼び出し音が鳴るウィンドウを一先ず繋げ、回線を開く。

 

背後で聞こえるナオミの声とモモカの会話を聞き流しながら、アンジュは持っていたジュースを飲み干すと、カップを屑籠に捨てる。不意に視線を横に向けると、マッサージブースの裏手に先程見たぺロリーナの着ぐるみが置かれていた。

 

それを一瞥するアンジュに、ナオミが追いつくと、思い切って声を掛ける。

 

「ねえ、アンジュ――なにか悩んでるだったら、セラに相談してみたらどうかな?」

 

ナオミ自身もあまりセラに頼るのは憚られるのだが、今朝偶然にも聞いてしまったアンジュの家族からの通信が気に掛かっていた。とはいえ、直接訊けるわけもなく、アンジュも話そうとはしないだろう。だが、セラならアンジュも話してくれるのではと微かな希望もあった。

 

「―――なんでもないわよ、別にセラに相談するほどのことじゃない」

 

一瞬、逡巡するもアンジュは首を振る。セラに話してどうこうなる問題ではないし、なによりこれ以上セラに頼るのも気が引けてしまう。

 

「でも……」

 

「いいって言ってるでしょ!」

 

つのるナオミに思わず声を荒らげ、ナオミがビクッと身を震わせる。アンジュも微かに動揺するも、視線を逸らす。気まずい空気が漂うなか、モモカが慌てて駆け寄ってきた。

 

「アンジュリーゼ様、監察官さんがお呼びになってます」

 

「はあ?」

 

その言葉に首を傾げる。特に呼び出されるようなことはした憶えは――心当たりが多すぎて浮かばない。

 

「なによ? また嫌味でも言いたいわけ?」

 

「あ、いえ違います。なんでも、アンジュリーゼ様にお会いしたいという方がいらしてるようで……」

 

戸惑うアンジュにそう告げるも、ますます困惑する。エマが呼び出すほどの尋ね人が分からない。

 

「私に? 誰?」

 

「ミスティ様です」

 

「ミスティ?……ミスティ・ローゼンブルム?」

 

名前を反芻し、アンジュは声を上げる。ミスルギ皇国とも国交のあったローゼンブルム王家の皇女で、洗礼の儀の前のエアリアの試合で会ったのが最後だ。

 

すっかり忘れていただけに、アンジュは困惑の方が大きくなる。

 

「ローゼンブルムって…確か、アルゼナルを管理している国だよね?」

 

「はい、なんでも今回の慰問団の代表なんだとか――それで、是非ともアンジュリーゼ様に一目お会いしたいと……」

 

「会ってどうするの、哂い者にでもしたいわけ?」

 

「そ、それは……」

 

モモカの言葉を遮るようにそう悪態をつくと、モモカは言いよどみ、困ったように俯く。そんなモモカを一瞥し、アンジュは徐に置かれていたペロリーナの着ぐるみに歩み寄る。

 

「アンジュ?」

 

戸惑うナオミとモモカの前でアンジュは着ぐるみを着込み、ペロリーナの頭を持ち上げる。

 

「面倒だから暫く消えるわ」

 

昔の知り合いというも厄介だが、正直今は誰とも会いたくない――少し一人でいたいと着ぐるみをかぶり、ペロリーナに扮したアンジュが動き出し、寄り添おうとするモモカを遠ざける。

 

「ほら、離れて……あなたと一緒にいたら私だってバレちゃうでしょ」

 

ただでさえ四六時中一緒にいるモモカと一緒にいれば、目ざとくエマに見つかるだろう。その指摘に言葉を詰まらせるモモカを置いて、ペロリーナは会場へと戻っていく。

 

「私はペロリーナだペロ~」

 

完全に成りきっているのか、口調まで変わるアンジュに戸惑うナオミの横でモモカは思わず手を伸ばす。

 

「ア、アンジュリー……ペロリーナ様~~」

 

「――少し、放っておくしかないんじゃないかな」

 

縋るモモカにナオミはそう制する。アンジュのことは気に掛かるも、ナオミも詳しい事情を知らない。ただ分かっているのはアンジュが家族のことで悩んでいるということだけ。聞いたところでどうすることもできないことなのだが、今はアンジュの気持ちが落ち着くのを待つしかないだろう。

 

肩を落とすモモカは納得しかねるといった難しい面持ちだったが、ぎこちない声で応じる。その様子を、テントの陰からこっそりとヒルダが覗いていることに二人は気づかないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

活気で満ちるフェスタ会場とは逆のアルゼナルの一画に、セラは足を踏み入れていた。

 

ノーマの声も聞こえない――完全な静寂の支配する無音の空間に進入したセラは、足を進める。近づくにつれて漂うのは、焼け爛れた臭いと濃厚な『死』の気配―――『ソレ』が見下ろせる場所へと着いたセラは、眼下に見える光景に眉を顰めた。

 

「―――これが…『答』だったのね」

 

どこか苛立ちと怒りを感じさせながら自身に悪態をつくように呟く。セラの心には、それらが渦巻き、無意識に拳を握り締める。

 

微かに吹く潮風が運ぶその感覚のなか、髪が揺れる。セラは眼を閉じ、暫し無言で俯いていたが、やがてその肩が小さく揺れる。

 

「クッククク―――アハハハハ!」

 

次の瞬間、セラは声を高らかに哂い上げた。だが、その表情は次の瞬間、激しい怒りに染まる。

 

「ったくっ―――とんだ『茶番』ね。なにが『世界の平和』よ……なにが、『ノーマの生きる意義』よっ! ふざけんな―――っ」

 

反吐が出そうだった―――むしろ、口にしなければ、内に渦巻く『怒り』で狂いそうだった。

 

「逆か――世界が『狂って』いるから…『狂った』方が正常ってことか」

 

自虐しながら肩を竦め、セラは静かに降りていく。

 

一歩ずつ進むにつれて『死』の気配が強くなる。まるで、地獄の釜の中へ自ら落ちていっているような―――そこまで考え、セラは自嘲した。

 

(なにを今更―――)

 

自身を嘲笑い、肩を竦め、足を止める。

 

黒ずんで既に灰になった『ソレ』に向かい、静かに腰を落とし、右手で黒ずんだ灰を掬う。そして、手の中に収まる灰を強く握り締める。

 

血が滲み出るほど強く握り締める拳に向かい、セラは小さく俯く。

 

「赦しは請わない―――お互いに、命を懸けて戦ったんだからね……」

 

己に言い聞かせるように呟く。下手な懺悔など無用―――そんな事に意味などない。

 

「だけど…その『業』は背負っていく―――」

 

ゆっくりと立ち上がり、セラは右手を空中に離し、握られていた灰が風にのって空へと舞っていく。

 

「始まりの光 kirali…kirali 終わりの光 lulala lila―――」

 

セラは静かに口ずさむ。零れる歌が流れ、灰とともに風にのっていく。

 

忘れない――己の手で殺した命を―――血に染まった己の手の重みを――――

 

(いつか……私も『ソコ』にいく―――その刻まで)

 

空を見上げながらセラは覚悟と決意を秘め、踵を返す。今はまだ――そう己を奮い立たせ、セラはゆっくりと背を向けながら去っていく。

 

(司令は知っていたはず――『この事』を)

 

いや、ジルだけではない――恐らくジャスミンやマギーも知っている可能性が高い。ジルに近いと思われるサリアやメイは逆に知らされていない可能性が高い。もしサリアがこの事を知っていたなら、必ずどこかでボロを出しているはずだ。

 

余計な憶測や迷いを生じさせないため―――合理的に考えればそうだが、それだけでは説明がつかない。なにより―――セラの脳裏には、数ヶ月前の出来事が過ぎる。

 

アンジュの捜索の時に見たドラゴンの死骸を輸送する光景―――アレが『人間』の思惑を孕んでいるとしたら、ノーマにドラゴンを狩らせるという意味が別の側面を帯びてくる。

 

単なる化物退治ではなく、ドラゴンを狩ることに何か『意味』があるとしたら――それこそが、ドラゴンが幾度駆逐してもこの世界を侵攻する『理由』ではないのだろうか。

 

「『偽りの民』…そして『アウラ』――――」

 

先日の戦いで知ったキーワード――だが、まだ『謎』というパズルを解くには『ピース』が足りない。唯一分かったのは、これが単なる『化物退治』という括りでは図れないということだけ。

 

「あと可能性があるとしたら、『司令部』か――」

 

そこに足りないピースを掴む糸口があるかもしれない。そう見当を立てると、セラは今一度空を見上げる。

 

「あの『向こう』に『答』があるのなら―――それもいいかもしれない」

 

時折垣間見るシンギュラーの『向こう』―――その先に、『答』があるのかもしれない。なら、自ら死地に向かうのも臨むところだった。

 

セラとてそこまで己を過信してはいない――いかに技量を磨き、機体を強化しようとも、戦場に『絶対』はないのだ。

 

このまま何も知らずにいずれ無為に死ぬなら―――『真実』を知って死んだ方が何倍もマシだった。自身の考えに苦笑し、セラは今度こそその場を去った。

 

 

 

 

 

会場では、一際大きな盛り上がりが起こっていた。

 

台の上に乗ったジャスミンが拡声器を持って不敵に笑いながら叫んでいた。

 

「フェスタ恒例、賞金百万キャッシュ争奪大運動会の開幕だ! みんな賞金目指して頑張りなー!」

 

宣言と発破を掛けるジャスミンに前に集まっていたノーマ達が威勢のいい声で雄叫びを上げる。中にはサリアを含めた第一中隊の面々の姿もある。

 

彼女達が今参加しているのは、毎年フェスタの『目玉』として行われているイベントだった。複数の種目を競い合い、最後に残った一人が莫大な賞金を手にする。

 

身体能力はもちろんながら、運も必要となるこの競技は原則的に参加がフリーであり、普段稼ぎの少ないライダーはおろか、整備班や生活班といったあまりキャッシュを稼げない部署の面々も狙えるとあって、毎年多くの参加者で賑わう。

 

司会及び進行のジャスミンが早速第一種目を掲げ、競技がスタートする。参加者に混じるクリスは周囲を見渡しながらヒルダを探すも、その姿は見えず落胆する。だが、次の瞬間には何かを決意したように顔を上げ、自分の番が来ると鬼気迫る表情で飛び出した。

 

その競技の様を周囲のギャラリー達が応援し、そして時には失笑する。そんな中にナオミ、ココ、ミランダの姿もあった。

 

「うわ~やっぱりすごいね、毎年」

 

「ホントホント…賞金は魅力的だけど、ちょっと参加は躊躇っちゃうわよね~」

 

素直に感心するココとどこか呆れるミランダの前では、浅瀬にセットされた棒に吊るされたパンに向かっていく参加者達がおり、海水に入った途端水着が融け出した。競技用に特別に作られた水着は海水に触れると、時間の経過とともに破れていく素材でできており、全て融け落ちた時点でアウトとなる。

 

無論、他の参加者を妨害するのはルール違反ではないため、行かせまいとロザリーが一人を水に沈めると、逆に数人がかりで沈められ、水着が融けて露になる胸に悲鳴を上げる。

 

傍から見る分には楽しいため、すっかり観戦にしゃれ込むなか、ナオミは周囲を伺うように視線を走らせる。

 

セラの姿は愚か、ペロリーナに扮したアンジュの姿も見当たらず、ナオミは不安を憶えて仕方なかった。暫し逡巡していたが、やがてココとミランダには気づかれないようにこっそりと会場を抜け出していくのだった。

 

 

 

 

その頃――アンジュはフライトデッキにて休息を取っていた。ぺロリーナの着ぐるみを着てうまくエマの眼を掻い潜ったアンジュは人気のない場所を求めてフライトデッキに辿り着いた。

 

生憎と先客がいたが、着ぐるみ越しに威圧し、追っ払った。先客が話していたのを盗み聞いたが、フェスタ中はここはほとんど無人となるとのことで、一人になりたかったアンジュにはちょうどよかった。

 

先客が置いていったベンチに腰掛け、マスクを外すとそのまま寝転んだ。着ぐるみなど着たことがなかったアンジュはその蒸し暑さと様々な体液の染み込んだ着ぐるみ独特の臭いにすっかり辟易してしまい、疲れた面持ちだった。

 

微かに聞こえる会場の熱気も気にならず、雲の切れ目から差し込む陽光と潮風が包み、アンジュは穏やかな気持ちになる。

 

睡魔に襲われながら、アンジュは無骨な鉄の天井を見上げながら、過去に思いを馳せていた。脳裏を過ぎるのは、まだ彼女が皇女だった頃―――父がいて、母がいて、兄も自分を可愛がり、そして妹が慕ってくれていたあの幸せな頃……ある日、馬で遠出に出たアンジュはシルヴィアをのせて馬を走らせていた。

 

不意に、アンジュは着ぐるみ越しの両手を見やる。先程、遊園地内のメリーゴーランドの前で、シルヴィアと同い年ぐらいの少女の乗っていた馬のバーが崩れ、落下した少女をアンジュは咄嗟に助けた。

 

その光景が、あの瞬間に重なる―――シルヴィアをのせて走っていたアンジュは、馬の手綱を誤り、その拍子に同乗していたシルヴィアを馬上から転落させてしまった。

 

馬を降りたアンジュはすぐさまシルヴィアを抱き起こし、必死に呼び掛けた。すぐにモモカがマナで応急処置をし、皇宮へと運び、緊急の手当が行われたが、シルヴィアは両脚の神経を麻痺させ、歩けないと診断された。

 

その結果にアンジュは絶望し、何度もシルヴィアに謝った。そんな自分に微笑んでくれた妹―――そこで再びあの助けを求める声が聞こえ、アンジュは唇を噛んで顔を逸らす。

 

(どうしたらいいの、私は―――)

 

葛藤に悩むアンジュは、思わず先程のナオミの言葉を思い出す。

 

(セラ――あなただったら、どうするの………?)

 

もし彼女が自分と同じ立場に置かれたらどうするのだろうか―――ナオミにはああ言ったが、アンジュ自身もセラに相談したいという気持ちとこれ以上彼女に負担を掛けたくないという意地がせめぎ合っていた。

 

 

 

―――後悔しない方を選びなさい………

 

 

 

不意に、そんな声が聞こえた気がした。ハッと眼を開ける――だが、周囲には声の主はいない。アンジュは先日のモモカの件でセラに言われた言葉を思い出す。

 

逡巡していたアンジュは顔を上げると、デッキに固定されたローゼンブルム王家のシャトルが視界に入る。そして、先程モモカに言われたことを思い出した。

 

ミスティ・ローゼンブルム――アンジュの知り合いが会いたがっている。正直、会うつもりなどなかったが、アンジュはどこか何かを決意したように顔を上げた。

 

(セラ――もしかしたら、あなたは怒るかもしれない。でも、後悔はしたくないの)

 

アンジュの今から行おうとしていることは、ある意味では自分の我儘だ。後悔はしたくない――だが、それは一方でもうひとつの意味を孕んでいた。

 

 

 

――――『セラとの別離』……という事実を…………




今回は視点を変えながら物語を進めました。

この作品の中ではまだゾーラさんが生きているので、ヒルダの決別の意志を表現するために劇中のシーンを入れました。

葛藤しながらも脱走を企てるアンジュ。そして一人真実に向かって進むセラの覚悟を今回は書いてみました。

次回ぐらいフェスタ編は終わりです。次はミスルギ皇国ですが、恐らくTVのシーンは前半ほとんとカットして、セラのシーンが多くなると思います。

次に書くのはどれがいいですか?

  • クロスアンジュだよ
  • BLOOD-Cによろしく
  • 今更ながらのプリキュアの続き

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