クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 紫銀の月   作:MIDNIGHT

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マーメイド・フェスタ

爽やかな日差しがアルゼナルを包む。まるで『今日』(フェスタ)という日を祝福するように。

 

自室でモモカに着替えを手伝ってもらっているアンジュはどこか穏やかな面持ちだった。

 

「アンジュリーゼ様、今朝は随分機嫌がよろしいようで」

 

その理由を知っている身としては聞くのはどうかと思うが、アンジュはまるで聞いて欲しいかのような表情を浮かべている。

 

「そうかしら?」

 

軽く惚けるも、昨夜の余韻が残っているのか、アンジュはどこか笑みが緩んでいる。月下の下でセラと踊ったことが、まるで夢のように思えるも、アンジュにとっては永遠に続いて欲しいと思えるほどの幸せの中だった。皇女時代にも皇宮で踊ったようなものと違う。

 

まるで本当に物語の中のような一瞬――アンジュとて、幼い頃はそういった物語で読んだシーンに憧れがなかったわけではない。

 

あの時のセラは、普段見ていた顔と違う――アンジュはまたもや思い出し笑いをしてしまい、顔がにやけている。

 

「よかったです、アンジュリーゼ様に喜んでいただいて」

 

その様子にそう漏らすと、アンジュは慌てて表情を引き締める。

 

「そう言えば、セラは?」

 

「それが…昨夜はあの後部屋には戻ってこられませんでしたので――」

 

あのダンスが終わった後が大変だった。観ていたノーマ達の歓声と拍手に、余韻に浸っていたアンジュがハッと現実に戻されると、セラもどこか戸惑っているようだった。

 

セラとしてはジャスミンに嵌められたものの、とにかく踊って見せればいいと思っていたのだが、予想以上に反応があり、うまく逃げ出せずにいた。そして、セラは強硬手段として、アンジュの手を引いて人ごみのなかに飛び込み、掻き分けるように脱出した。

 

居住区に戻ると、分かれた方がいいと告げられ、アンジュは部屋に戻るように伝えるとそのまま追ってきたノーマ達の注意を引きつけつつ、別の場所へと逃げた。

 

アンジュはそれをどこか呆然と見送ったのだが、その後どうやって部屋に戻ってきたのかも曖昧なのだが、今朝目覚めると、セラが隣におらず、困惑してしまった。

 

モモカも遅れて戻ったものの、結局セラは部屋に戻らなかったらしい。

 

腑には落ちなかったものの、今朝は第一中隊でアルゼナルに来るVIPをパラメイルで出迎えるという任務が下っているので、デッキでは会えるだろう。

 

そこまで考え、今更ながらどうセラと顔を合わせたものかとアンジュは悩む。そんな様子にモモカは小さく笑っていたが、不意に何かに気づいたように声を上げる。

 

「え? これって……」

 

「どうしたの、モモカ?」

 

突然のことに戸惑うアンジュの前で、モモカは空中にウィンドウを浮かばせる。

 

「マナの通信です。でもこれって――これは、皇室の極秘回線です!」

 

ウィンドウに繋がったラインに驚くモモカだが、アンジュの驚きはそれ以上だった。息を呑み、思わずウィンドウを覗き込む。モモカはウィンドウを大きく表示させ、回線を繋ぐ。

 

《モモカ、モモカ聞こえる!?》

 

「シ、シルヴィア様?」

 

ノイズ混じりに聞こえてきた声に、アンジュは眼を見開く。

 

「シ、シルヴィア……」

 

久しく聞いていなかった大切な妹の声――震える声で呼びながら、回線に近づくと、向こうから切羽詰まった声が響く。

 

《アンジュリーゼお姉様とは逢えた? そこにお姉様はいるの!?》

 

自分の名を呼ばれ、アンジュはビクッと身を震わせるも、声が出ない。だが、その間にも回線から聞こえるシルヴィアの声が上擦ってくる。

 

《あ、離して! 助けてお姉さま、アンジュリーゼお姉さまぁぁぁぁ―――》

 

「シ――」

 

ウィンドウに手を伸ばそうとするアンジュの前で、回線がシャットアウトされ、掻き消える。伸ばされた手は虚空を彷徨い、モモカは事態に慄きながら口を押さえ、アンジュは妹の悲鳴に呆然と佇んでいる。

 

静寂が満ちる部屋の様子を、ドア越しに聞いていたナオミは、驚きと困惑を浮かべたまま、必死に声を押し殺すのだった。

 

 

 

 

《気象条件晴れ、視界クリア――すべて問題なし》

 

フライトデッキにパメラの観測データが響く。デッキには第一中隊のパラメイルが待機しており、発進のタイミングを待っている。

 

とはいえ、いつものように緊迫したものではなく、大半がどこか浮ついている。今日は『フェスタ』であり、これから来るローゼンブルム王家のVIPをエスコートするという任務を終えれば、後はお祭りである。

 

早く退屈な任務を終わらせたいと思っているなか、アンジュは一人浮かない面持ちでずっと俯いている。その様子を隣で控えるセラが怪訝そうに見ている。

 

昨夜のあの騒ぎの後、混乱に紛れて分かれた後、何かあったのか――そう逡巡するセラだったが、そんな様子を後ろから見ているナオミはどこか困惑した面持ちで二人を交互に見ている。

 

整備班の喧騒も、周囲の誰も視界に入らない。アンジュの心持ちは今朝のシルヴィアからの通信しか頭になかった。滅びたと聞かされた故郷で、今も生きている………それは確かに思いがけない僥倖だったが、助けを求める声がそれを打ち砕く。

 

自分のせいで、妹が窮地に立たされている―――それがアンジュの心を掻き乱し、同時にどうすることもできない己の不甲斐無さに苛立つ。

 

「アレスティングギア、接続完了! 全機、発進準備完了!」

 

その間にも作業は進み、全機の発進準備を終え、アンジュを含めた初発の機体が発進シーケンスへと移行する。

 

《カタパルトエンゲージ――リフトアップ!》

 

発進パネルが表示され、進路がクリアになる。

 

「サリア隊、発進します!」

 

サリアの号令に従い、離脱した機体が加速し、カタパルトを滑って離脱する。空中へと舞い上がるサリア、ヴィヴィアン、セラだったが、セラはアンジュが発進していないことに眉を顰める。

 

それはサリアやヴィヴィアンも同じなのか、戸惑いを浮かべている。

 

《アンジュ機、発進どうぞ! アンジュ機?》

 

《さっさと出やがれ! 後ろがつっかえてんだぞ、この便秘女!》

 

通信から戸惑うヒカルの声とロザリーの罵倒が飛ぶも、アンジュはまったく反応していない。

 

(アンジュ……?)

 

いったいどうしたのか――困惑するなか、サリアが苛立ち混じりに叫ぶ。

 

「アンジュ! 何やってるの!? 早く上がりなさい!」

 

そう叫んだ瞬間、アルゼナルから突然勢いよく何かが射出された。デッキから落ちるベースと無理矢理加速させた機体にヴィヴィアンは歓声を上げる。

 

「おお、すっげー!」

 

まったく反応を返さないことに司令室で地団駄を踏むエマが業を煮やし、メイに緊急射出させたのだ。突然のことに反応の遅れたアンジュはすぐにトップスピードにのって打ち出され、悲鳴を上げる。

 

その様子にセラは小さく肩を竦める。やがて、なんとか制御を取り戻し、空中へと上がるアンジュは肩で息をしながら、怒鳴る。

 

「な、何するのよ、いきなり!」

 

死ぬかと思ったと心臓がバクバクしているが、サリアは呆れたように悪態を返す。

 

「ボサッとしてるからよ」

 

そう返され、グッと言葉に詰まる。不意に横につくセラに気づき、視線を向ける。

 

「―――何かあった?」

 

物言いたげな視線にそう問い返すも、アンジュは一瞬逡巡するも、やがて顔を逸らす。その態度に小さく嘆息し、それ以上の追求はしなかった。

 

残りのメンバーが続々と上がり、編隊を組みながら第一中隊は飛び、やがて前方から複数の輸送機の船団が雲の切れ目から姿を見せる。

 

「慰問船団を確認――これより、エスコートに入ります」

 

《くれぐれも、粗相のないように!》

 

苛立ち混じりに釘を刺すエマに頷き、船団とのランデブーへと向かう。

 

「おおっ! キタキター! フェスタだー!」

 

はしゃぐヴィヴィアンにアンジュが首を傾げる。

 

「フェスタ?」

 

「あ、そっか…アンジュ知らないんだよね。フェスタってのは――」

 

横にいたナオミが口を挟む。どこかぎこちない口調だが、当のアンジュは気づかず、説明を聞き流している。

 

「無駄口はそこまで! 各機、輪形陣!」

 

『イエス・マム!』

 

サリアの一喝に一同は気を引き締め、第一中隊はサリアを先頭に船団を囲うように布陣していく。セラは機体を船団の左側面に付かせる。

 

(―――ローゼンブルム王家の紋章…権力のブタどもか)

 

船団の中央に位置する輸送機には、王家専用の紋章が刻まれており、セラは内心悪態をつく。フェスタの当日にはアルゼナルを管轄するローゼンブルム王家の人間が慰問に訪れるのが慣習だ。まあ、実際はこの日に解放されて浮つくノーマを見下すためだけにくるのだが。

 

とはいえ、VIP対応に監察官のエマは愚か、ジル司令も接待に取られるため注意が向く。その意味では精々嫌味なり揶揄なりしておいてくれればいい。

 

その間に調べさせてもらう―――自分達が『何と』(・・)戦っているのか…自分達は、『何に』(・・)呑まれようとしているのか。

 

静かに決意を秘めるなか、不意に輸送機の窓に一人の少女が外を見ているのに気づき、なんとはなしに顔を向けた。

 

セラが視線を向けた先――輸送機の客室にて座る少女がいた。穏やかな面持ちと落ち着いた雰囲気で座る少女は、ローゼンブルム王家の皇女、ミスティ・ローゼンブルムだった。

 

彼女は今回の慰問団の責任者を務めていた。とはいえ、まだまだ彼女のような若輩の身に任せられるような役目ではないのだが、彼女は自身のたっての希望でこの役目に自ら名乗り出ていた。

 

どこか緊張した面持ちで窓から外を眺めていた彼女の視界に、空中を飛ぶパラメイルが映り、小さく感嘆の声を漏らす。

 

「アレで…ドラゴンと戦うのですか?」

 

「左様です、ミスティ様」

 

脇に控える秘書の女性がよどみなく応える。事前にミスティはアルゼナルの背景についても説明を受けていた。次元を超えて侵攻する『ドラゴン』の存在と、それと戦う役割を負う『ノーマ』のことを―――やがて、彼女の前で編隊を組んでいたパラメイルが散開し、輸送機を中心に囲うように展開していく。

 

彼女が座っていた左側面の窓に黒い機体がつき、そのライダーの顔が過ぎり、ミスティは眼を見開く。慌ててミスティは秘書にスコープを要求し、渡されたスコープで窓からライダーの顔を凝視する。

 

横を向いていた顔が、不意にこちらを一瞥し、見えた顔に驚きの声を上げた。

 

「アンジュリーゼ様……っ!?」

 

かつての友人でミスティがここへと来た理由の一つ――だが、声を上げたところで聞こえるはずなどもなく、彼女の前で間違われたセラは一瞥しただけで気にも留めず、機体を翻す。

 

思わず腰を浮かしたが、すぐに機体が大きく揺れ、秘書が慌てて席に着かせる。輸送機がアルゼナルへの降下シークエンスに入ったのだ。

 

揺れる機体のなか、ミスティは不安な面持ちでアルゼナルに降り立つのだった。

 

 

 

 

 

船団が到着し、積まれていた物資が届くと、アルゼナルは一気にお祭りムードに突入した。アルゼナルの裏手に設けられた小さなビーチには、水着姿に着替えたノーマ達が思い思いにはしゃいでいた。

 

岸壁に取り付けられた看板には、『マーメイド・フェスタ』と印刷されており、その下では様々な出店があり、普段の食堂ではあまり味わえない香りが漂っている。他にも小さなテントに設けられた映画館や簡易遊園地、さらにはマッサージ小屋など様々な娯楽施設がある。

 

屋台での食べ物に舌鼓を打つ者、マッサージ小屋で癒される者、海で泳ぐ者など、活気に満ちている。

 

「うわぁぁ、フェスタだぁ」

 

「ほらココ、せっかくだし泳ぐわよ!」

 

「あ、待ってよミランダ!」

 

可愛らしいワンピースの水着を着たココとミランダが興奮気味に海へと走っていく姿をアンジュはどこか唖然と眺めていた。

 

「これが…フェスタ?」

 

どこか楽しそうに眺めるモモカの横で、アンジュは改めて周囲を見渡し、ポツリと呟く。

 

「一年に一度だけ、人間が私達ノーマに休むことを許してくれた日よ。明日までは一切の訓練が免除、私達ノーマにとっては一日だけのお祭り……過酷な明日を生きるための、希望の一日なの」

 

サリアが感慨深く呟き、一緒にいたナオミが不意に過ぎった光景に顔を緩ませる。ペロリーナが幼年部の子供に風船を配っており、受け取った小さな少女達が嬉しそうにしている。

 

『ドラゴンと戦う』ためだけに存在を赦されるノーマ――そんな地獄のような日々の中、『明日』を生きるための『希望』を抱く日―――その説明にアンジュはどこか釈然としない面持ちだった。

 

「奴隷のガス抜きってことね――」

 

アメとムチ――身も蓋もない言い方をすればその通りなのだが、辛辣な評価にサリアは小さくムッとし、ナオミは引き攣った声を漏らす。まだアルゼナルに来て日が浅いアンジュではそう認識しても仕方ないのだが、誰かに聞かれたら余計なトラブルを誘発しかねない言動だ。

 

幸いにして周囲の誰もがフェスタに夢中で聞き留めてもいなかったようだが――アンジュは小さくため息をつくと、もうひとつの疑問をぶつける。

 

「でも…これは何……?」

 

アンジュが着ているのはいつもの制服やライダースーツではなく、赤のビキニ姿だった。もっとも、周囲にいるノーマ全員が水着姿だ。サリアもビキニを着けており、ナオミは胸に名前が書かれた幼年部のスクール水着だった。

 

お祭りは分かるが、何故水着に着替えなければならないのか―――そう視線を問い掛けるアンジュにサリアが応える。

 

「伝統よ、制服やライダースーツじゃ息が詰まるって」

 

「……恥ずかしくないの?」

 

普段ライダースーツを着ている身としては今更だが、どこか呆れた眼で見やるアンジュにサリアは思わず顔を赤くして胸元を隠す。確かに、水着になれば嫌が応でも自らの体型を晒すことになり、まったく変わらない胸部と少し太った腰回りが気になっていた。

 

「水着でいることが、よ」

 

そう指摘され、自爆したサリアは大きく肩透かしで項垂れる。

 

「ま、まあまあサリア――せっかくのフェスタなんだし」

 

そう言って慰めるも、サリアはナオミの体型に小さな敗北感を抱いていた。自分よりも3つも下でこのプロポーション―――いったい何が違うのか、とサリアは悩む。

 

ジト眼で見るサリアに先日の風呂場でのやり取りを思い出し、アンジュは小さくため息をつくも、そういえばセラがいないことに気づき、周囲を見渡そうと顔を上げる。

 

「あ、あの……っ」

 

不意に掛けられた声に振り向くと、そこにはやや年下の少女達が数人佇んでおり、眉を顰めるアンジュと同じく気づいたサリアとナオミも顔を上げる。

 

「何?」

 

アンジュが声を掛けると、眼前の少女が恥ずかしげにモジモジする。その後ろで付き添いと思しき少女達がエールを送る。

 

「あの、これ…受け取ってくださいっ!」

 

全身全霊とでもいうほど気合が入った声で差し出されたのは、一通の手紙――差し出している少女と同じように可愛らしい便箋だ。

 

「こ、これってもしかして――!」

 

そのシーンが自身の持っている漫画のシーンと重なり、サリアが思わず身を乗り出すも、当のアンジュはそれ以上に混乱していた。

 

とはいえ、アンジュとて伊達に皇女として16年間を過ごしてきたわけではない。学園にいた頃は、そういった話題がなかったわけではない。自身は未経験だが、なんとか平静を取り戻す。

 

「わ、私に……?」

 

やや上擦った口調で問い掛けると、少女は一瞬眼を瞬く。

 

「あ、いえ、違います。その…セラお姉様に…届けてください……」

 

最後の言葉はどこか恥ずかしげに告げると、当人は顔を真っ赤にして俯き、背後のギャラリーの少女達は色めき立つも、アンジュの心持ちは瞬く間に反転し、一転して憮然となる。

 

そんなアンジュに気づかず、受け取ってくれないことに焦れたのか、それとも緊張の糸が切れたのか、少女はアンジュの手に手紙を握らせ、再度懇願するように告げた。

 

「絶対、絶対渡してくださいね! それと、お慕いしていますと伝えてくださいっ!」

 

念押しし、そしてまるで告白のような伝言を託すと、羞恥が限界に達したのか一目散に駆け出し、残りのギャラリーの面々もキャーキャーと沸き立ちながらその場を去っていった。

 

まるで嵐のように過ぎ去ったものの、当のアンジュの気分は氷点下近くにまで下がっていた。その様子にサリアは腹を押さえて声を押し殺しており、ナオミは乾いた笑みでどこか同情するように見ており、アンジュは二人をキッと睨みつける。

 

「言いたいことがあるならハッキリ言いなさい」

 

「~~っっ、残念だったわね。でも、本人がいなくてよかったわね。ま、アレは確かに威力絶大だったからね――ファンの子ができてもおかしくないわ」

 

笑みを浮かべながらそう指摘すると、アンジュはますます不機嫌になり、預けられた手紙を握り潰した。

 

そんな様子に引き攣った顔で苦笑するナオミはどこか浮かない面持ちで周囲を見渡す。

 

(セラ………)

 

アンジュの様子も気に掛かったのだが、ナオミはそれ以上にセラの姿が見えないことに不安を覚えていた。今朝の任務を終えてからすぐに姿を消し、てっきり一人で会場に行ったのかと思っていたのだが、セラの姿はない。

 

周りとは対照的に、ナオミの気持ちは微かにざわめくものを抑えきれず、サリアに怒鳴るアンジュを見やるのだった。

 

 

 

 

 

「わざわざお越しいただいて感謝いたします、ミスティ・ローゼンブルム妃殿下」

 

心底感激したような面持ちでエマはミスティ達を案内していた。アルゼナルを管轄するローゼンブルム王家の次期後継者であり、皇女でもある彼女の存在は最初に聞いたときは驚きだった。

 

例年は皇族――といっても、せいぜい中階層の人間が訪れていた。下賎なノーマのためにわざわざ足を運ぶまでもない、皇帝などはそう考えている。その意味ではその娘が今回の慰問団の統括者として訪れたのは予想外だったものの、エマとしてもここ最近のトラブル続きのストレスから少しは解放されたような気持ちだった。

 

「無事終えられたのですね、洗礼の儀――おめでとうございます、これで立派な王家の一員ですね」

 

隣を歩くミスティを称える。16歳で洗礼の儀を終えた皇族は一人前となり、政治に関わることができる。その称賛にミスティはくすぐったいような笑みを浮かべる。

 

「いえ、私のようなものなどまだまだ若輩の身です。それに、アルゼナルはローゼンブルム王家の管轄とはいえ、今回のこの役目も、私が無理を言って務めさせていただいているだけですので」

 

謙遜するミスティに、エマは好き勝手するノーマに見習わせたいと心の中で叫ぶ。

 

「それでは、ゲストハウスへとお連れします」

 

大体の主要施設の案内を終え、これからノーマ達への慰問を行うため、会場近くに設けられたゲストハウスへと案内しようと誘導する。

 

通路を歩く中、やや逡巡していたミスティが、顔を上げる。

 

「あの――ブロンソン監察官、一つお伺いしたいことがあるのですが……」

 

「はい、なんなりと――そこのあなた、邪魔ですよ、道を開けなさい」

 

応じたエマが不意に視線を上げると、前方から歩いてくる影が見え、邪険そうに告げる。その声につられ、ミスティも顔を上げ、視界に入った顔に眼を見開いた。

 

「アンジュリーゼ様!?」

 

エマの態度に面倒臭いのに見つかったと内心舌打ちしていたセラがその声に反応し、視線をミスティに向ける。

 

「アンジュリーゼ様、アンジュリーゼ様ですよね?」

 

そう声を掛けるミスティにエマが戸惑い、後ろに控えていたSPが僅かに身構える。そんな様子にセラはミスティを凝視する。

 

(アンジュの知り合い……ローゼンブルムの皇女様か)

 

アンジュの真名を呼んだことから、セラは眼前の少女の素性を察した。とはいえ、自分はアンジュではない――現にエマは戸惑い、アタフタとしている。

 

「あ、あのミスティ様…この者はですね―――」

 

うまい言葉が見つからず、歯切れが悪いエマを無視し、セラはそのまま素通りしようとする。その態度にミスティは思わず声を上げる。

 

「アンジュリーゼ様、私ミスティです。アンジュリーゼ様なんでしょう?」

 

横を過ぎるセラに再度問い掛けると、セラは足を止め――どこか軽蔑するようにミスティを睨み、その視線に晒されたミスティは思わず怯む。

 

「―――生憎…私は『人間』の知り合いはいないから。あまり馴れ馴れしくしないでもらえるかしら?」

 

慇懃に鼻を鳴らして侮蔑するセラにエマは口をあんぐりと開け、SPが剣呑に包まれる。

 

「貴様、ノーマの分際で……っ!」

 

主を貶されたこともだが、なによりその態度が癪に障ったのか、掴み掛かるSPだったが、セラは動揺せず、伸ばされた腕を回転するように掴み、それをそのまま自身の腕に絡めて捻り上げた。

 

「がぁっ」

 

呻くSPの腕を捻り上げたままセラは囁く。

 

「へぇ……『マナ』がなかったら、何にもできないってのは『真実』(ほんと)みたいね。もっとも、ノーマは『マナ』を壊すことができるんだけどね」

 

そのあまりに冷静で冷淡な声にSPは喉を引き攣らせる。やがて、捻る腕から嫌な音が鳴り、SPが悲鳴を上げる。

 

「このまま関節を外してやろうか――そっちから仕掛けたんだ…それぐらいは覚悟してるわよね」

 

まるで路傍の石を見るような何の感慨もない瞳で、本気で外そうとするセラに他のSPは慄き、ミスティは衝撃的な光景に完全に呑まれている。

 

「い、いい加減にしなさい! セラ! これ以上の無礼は許しません!」

 

同じように圧倒されていたエマだが、まだ耐性があったのか、なんとか声を振り絞り、叫び上げる。金切り声にセラも毒気を抜かれたのか、無造作に構えを解くと、解放されたSPは腕を押さえながらフラフラと戻り、仲間が支える。

 

「――仮にも皇族の護衛なんでしょ? 役立たずもいいとこね」

 

辛辣な物言いに歯噛みするSPを一瞥し、その様子にミスティは掠れた声をもらす。

 

「アンジュリーゼ様…ではないのですか?」

 

「―――人違いですよ、ミズ・ローゼンブルム」

 

素っ気なくあしらうと、セラは肩を竦める。

 

「わざわざノーマになった元皇女の醜態を哂いに来たの? 皇族の趣味はタチが悪いわね」

 

鼻を鳴らして揶揄するセラにミスティは唖然となり、エマは頭の血管が切れそうになる。

 

「なんて無礼な! あなた、この方をどなたと―――!」

 

「『ノーマ』ですから――無礼もなにも知ったこっちゃない」

 

「きぃぃぃぃぃっ」

 

頭を掻き毟るように苛立つエマを無視し、ミスティに視線を向けると、僅かに戸惑いながら小さく返す。

 

「私は…その、アンジュリーゼ様とお会いしたくて………」

 

「で?」

 

「え……?」

 

「会ってどうするの?」

 

「そ、それは……」

 

切り返された問い掛けに詰まり、窮する。アンジュリーゼと会って――それからどうしたいのか…そこまでは何も考えていなかった。ただアンジュリーゼと一度会いたいと―――それだけだったために、何も考えていなかった。そんな思考を見透かしたのか、セラは呆れた面持ちで一瞥する。

 

「会ったところで彼女を惨めにするだけ…それどころか、逆に恨みを買うかもよ」

 

どの程度の付き合いがあったのかは知らない。だが、今は住む世界が違う――かつてのように振舞ったところで、余計にアンジュを惨めにするだけだろう。

 

「下手な同情ほど――相手を傷つけるわよ」

 

そう指摘され、言い返すこともできずミスティは沈痛に俯く。その横でエマがワナワナと震えながらこちらを睨んでおり、これ以上は余計なことかとセラも考えを切る。

 

「本当にアンジュリーゼを心配しているなら、自分のやるべきことをもう少し考えてみることね」

 

踵を返し、去ろうとするセラの背中にミスティは思わず声を掛ける。

 

「あの……っ」

 

立ち止まるセラの背中に戸惑いながらも、おずおずと口を開く。

 

「私はミスティ・ローゼンブルムと申します。あなたは……?」

 

その問いに、セラは一瞬逡巡するも、やがて肩を竦める。

 

「―――――セラ。『ノーマ』のセラよ…プリンセス?」

 

どこか揶揄するように告げ、セラはそのまま何の興味もないと去っていく。その背中をどこか呆然と見送るミスティだったが、エマが恐る恐る声を掛ける。

 

「も、申し訳ございません、ミスティ様――あのノーマはここでもかなりの問題児でして……後でキツク言い聞かせておきますので……」

 

必死にご機嫌を取ろうとするエマにミスティは乾いた笑みを返す。

 

「い、いえ……少し驚いただけですから……」

 

これまで『ノーマ』を目の当たりにする機会がなかっただけに、衝撃的だった。歯切れがわるいが、ミスティの視線は既に見えなくなったセラの背中を追っており、心の中に葛藤が生まれる。それに対して逡巡していたが、やがて小さく決然と顔を上げる。

 

「あの、ブロンソン監察官――お願いがあるのですが……」

 

「は、はい! 私でできることならなんなりと―――」

 

「ありがとうございます。それでは、捜してほしい人がいるのです」

 

「は? 捜してほしい…人ですか?」

 

予想外の申し出に戸惑うエマに、ミスティは静かに告げた。

 

「ミスルギ皇国第一皇女、アンジュリーゼ・斑鳩・ミスルギ―――こちらにいるはずです。彼女に伝えたいことがあるのです。捜してください」

 

有無を言わせぬほど真剣な面持ちで見られ、エマは圧倒されながら戸惑うも、凝視するミスティの視線に耐え切れず、小さく頷き返した。




フェスタ開幕。

その裏でいろいろな動きが起こります。セラ、アンジュ、ヒルダの視点が恐らく入れ替わりながら進んで行くと思います。

最後のミスティとの会話が少し難産だったので、時間が掛かりました。

彼女どうしよう-―事実、彼女はここでフェードアウトでしたから、味方にするべきかむしろ敵にするべきか……悪い子じゃないんですけどね。

次に書くのはどれがいいですか?

  • クロスアンジュだよ
  • BLOOD-Cによろしく
  • 今更ながらのプリキュアの続き

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